c

「欧露別館」トップ・ページへ   サイト・マップへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   本館サイト・マップへ

◆◆◆◆カーラ型ミサイル巡洋艦 Большие противолодочные корабли проекта 1134-Б
<◆◆◆大型水上戦闘艦
<◆◆装備
<◆ロシア海軍 目次
ロシアFAQ目次


 【link】

「ロシア海軍情報管理局」◆(2014/5/14) 最後のカーラ級ミサイル巡洋艦ケルチは2015年からロシア黒海艦隊旗艦となる

「ロシア海軍情報管理局」◆(2014/7/4) ロシア黒海艦隊の大型対潜艦ケルチは2015年末までに修理を終える


 【質問】
 カーラ型巡洋艦について,3行で教えて!

 【回答】
 カーラ型はソ連/ロシア海軍のミサイル巡洋艦で,同国海軍での正式名は1134B型大型対潜艦.
 1134A型 (クレスタII型)を一回り大きくしてガス・タービン推進に替え,装備を更新したもの.
 航洋性・対潜能力・稼働率において他の大型対潜艦より優れており,その設計の優秀さによって,1164型ミサイル巡洋艦(スラヴァ級)のベースとなった.

 【参考ページ】
ポルトフ『「世界の艦船」増刊 ソ連/ロシア巡洋艦建造史』(海人社,2010)
http://www.eurus.dti.ne.jp/freedom3/newpage116.htm


 【質問】
 カーラ型「オチャコフ」について教えられたし.

 【回答】
 オチャコフОчаковは黒海艦隊所属のプロジェクト1134B(カーラ型)大型対潜艦で,
1969年12月19日起工
1969年12月25日,海軍籍に入籍
1971年4月30日進水
1973年11月4日就役
1973年11月28日,黒海艦隊編入

 その後,黒海艦隊所属艦として活動してきましたが,1990年以降,セヴァストポリ工廠でオーバーホールされる事になりました.

 それから16年以上が経ちましたが,写真の通り,まだ修理中です.

 しかしながら,工事途中で資金不足により修理を断念し,除籍されたロシア海軍艦艇は数え切れない程存在しますが,本艦は,どういうわけか除籍される事も無く,今でも「現役」という事になっています.
 書類上,本艦は,黒海艦隊の第30水上艦艇師団・第11対潜艦旅団に所属しています.
 艦首にも,本艦が海軍籍に有る事を示すロシア海軍旗(聖アンドレイ旗)がしっかりと翻っています.
 ロシア海軍は,まだ本艦を修理して使う事を諦めていないようです.

 むろん,西側では,本艦はとっくに退役した事になっておりますが・・・

1枚目:洋上航行中のオチャコフ(1990年撮影)
5枚目:修理中のオチャコフ(2005年7月20日撮影)
6枚目:修理中のオチャコフ(2005年7月20日撮影)
9枚目:修理中のオチャコフ(2006年12月15日撮影)

Морские Силы~ロシア・ソ連海軍~
2007/4/29(日) 午後 8:30

▼ その後,「オチャコフ」は電子機器と兵装を全て一新する高度な近代化改装が計画されましたが,実行に移される事は有りませんでした.
faq151120oc.jpg
faq151120oc2.jpg

 2011年8月20日,ついに除籍され,ロシア海軍旗を降納しました.


 海軍旗が降ろされた後も,「オチャコフ」はセヴァストーポリに係留されたままになっておりました
faq151120oc3.jpg
が,2014年3月5日,クリミア半島のドヌズラフ湾を閉塞するため,自沈しました.

「六課」ACS◆(2014/03/07)

 【関連画像】
「ロシア・ソ連海軍」:10月24日のオチャコフ・その1
「ロシア・ソ連海軍」:10月24日のオチャコフ・その2
「ロシア・ソ連海軍」:カーラ型ミサイル巡洋艦オチャコフ近影(2008年2月9日)
「ロシア・ソ連海軍」:カーラ型ミサイル巡洋艦オチャコフ近影(2008年4月16日)
「ロシア・ソ連海軍」:カーラ型ミサイル巡洋艦オチャコフ近影・その1(2008年9月20日)
「ロシア・ソ連海軍」:カーラ型ミサイル巡洋艦オチャコフ近影・その2(2008年9月20,21日)


 【質問】
 カーラ型巡洋艦「ケルチ」について教えられたし.

 【回答】
 プロジェクト1134B「ベールクトB」大型潜艦(1970年代に7隻建造)の3番艦「ケルチ」Керчьは,黒海沿岸ニコラーエフ市の61コムーナ工廠(第445造船所)で建造.
1971年4月30日起工,
1972年7月21日進水,
1974年12月25日就役.
1975年1月23日,黒海艦隊に編入.
1976年,本艦は,艦長ユーリー・G・ゲイセフ2等海佐の下,地中海で6ヶ月に渡り作戦行動を行なった.
1984年8月10~14日,ヴァルナ(ブルガリア)訪問.
1989年6月28日~7月2日,イスタンブール(トルコ)訪問.
1989年8月11~15日,再びヴァルナ(ブルガリア)訪問.

 本艦は,1980年代後半にメイン対空レーダーを,新開発のMR-700「ポドベレゾヴィク」(МР-700"Подберезовик")に換装し,黒海で海上テストが行われた.
 このレーダーは,西側では「フラット・スクリーン」Flat-Screenというコード名を付けられた.
 しかし,「ポドベレゾヴィク」のテスト中にソ連邦が解体され,この新型レーダーが他のロシア・ソ連艦艇に搭載される事は無かった.

 1991年12月末のソ連邦解体に伴い,黒海艦隊所属艦艇の活動は低下したが,早くも1992年4月には,本艦を旗艦とするCIS(独立国家共同体)艦隊が地中海に展開し,黒海艦隊の健在ぶりを示した.

 ロシア海軍の他の艦隊が,新たな海軍旗(聖アンドレイ旗)を掲げたのに対し,ロシアとウクライナで帰属が争われている黒海艦隊所属艦には,まだソ連海軍旗(赤星旗)が翻っていた.
 本艦を初めとするロシア黒海艦隊所属艦が聖アンドレイ旗を掲揚するのは,1997年5月のロシア・ウクライナ間の合意を待たなければならなかった.

 本艦は,1994年4月27日から1997年6月12日まで,黒海艦隊の旗艦を務めた.

1998年11月,A・コフシャルヤ少将が座乗するケルチは,フランスのカンヌ及びイタリアのメッシナを訪問した.

1999年4月初頭,NATO軍のユーゴスラヴィア(コソボ)空爆(Operation"Allied Force"1999年3月24日~6月10日)に際し,ケルチは,他のロシア黒海艦隊所属艦と共にアドリア海へ展開した.

2003~2004年,セヴァストーポリでオーバーホール.
2005年1月11日,ノヴォロシースク海軍基地へ移動,9月初頭まで同地で修理.
同年9月12日,セヴァストーポリへ帰港.

2006年初頭から艦隊へ復帰し,最近では,2007年9月6日に黒海で対潜ミサイル発射演習を行なった.
2007年11月初頭にも黒海で演習を行ない,11月9日にセヴァストーポリへ帰港している.

 大型潜艦「ケルチ」は,黒海艦隊の第30水上艦艇師団・第11対潜艦旅団に所属し,今もなお,稼働状態にある.

 ソ連邦解体により,日の目を見ないまま終わるかに見えた新レーダー「ポドベレゾヴィク」は,2000年代に入り,インドに売却される航空巡洋艦「アドミラル・ゴルシコフ」への装備が決まり,「ケルチ」におけるテストが,ようやく実を結ぶ事になった.

 なお,本艦の舷側番号は,以下のように変遷している.

524(1974年)
529(1975~76年)
534(1977年)
703(1978年)
715(1979~80年)
703(1985年)
708(1987年)
717(1989年)
711(1990年)
713(2000年~)

Морские Силы~ロシア・ソ連海軍~
2007/11/14(水) 午後 4:38

 本艦は,ロシア海軍の1134B型で唯一,稼働状態にある艦です.
 1134B型は,本艦の他,オチャコフも海軍籍に有りますが,オチャコフは長期修理中です.
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/18471247.html

 下の3枚の写真は,2007年11月9日午後1時頃に撮影された最新のもので,ちょうどセヴァストーポリへ帰港するところを捉えた写真です.
 〔略〕
 ケルチは就役から30年以上のオールドタイマーですが,けっこう活発に動いているようです.
faq39m1134Bk.jpg
faq39m1134Bk02.jpg
faq39m1134Bk03.jpg

Морские Силы~ロシア・ソ連海軍~
2007/11/13(火) 午後 6:08

▼ ロシア黒海艦隊の大型対潜艦「ケルチ」(1974年就役)は,この数年間は予備役となっておりましたが,最近,修理が開始されました.
[ロシア黒海艦隊の大型対潜艦ケルチは2015年末までに修理を終える]

 その修理作業の最中の2014年11月4日に火災が発生しました.
[ロシア海軍黒海艦隊の大型対潜艦ケルチで火災が発生した]
 この火災により,機関室付近が燃えてしまいました.

 その後,修理を続けるのか,或いは修理を断念して除籍,解体するのかを決める為,浮きドックへ入渠して損傷個所の調査が行なわれました.
 その結果,機関室付近の損傷が激しく(機関室周辺のケーブル線などは全焼),修理するのは高く付く事になり,艦齢40年の「ケルチ」には,そこまでする価値は無いという結論に達しました.

 ロシア海軍に残された最後の「カーラ」級ミサイル巡洋艦も,2015年には姿を消す事になります・・・

ただ,「ケルチ」の名前は,今後黒海艦隊へ配備される新造艦の何れかに受け継がれる事になるようですが.

「ロシア海軍情報管理局」◆(2014/12/31)

 【関連画像】
「ロシア・ソ連海軍」:カーラ型ミサイル巡洋艦「ケルチ」近影(2008年1月)
「ロシア・ソ連海軍」:カーラ型ミサイル巡洋艦「ケルチ」近影(2008年9月2日)
「六課」:ノヴォロシースクのカーラ型ミサイル巡洋艦「ケルチ」(2005年)
「六課」:カーラ型ミサイル巡洋艦「ケルチ」近影(2009年7月26日)
新「六課」◆(2012/06/24) 最後のカーラ級ミサイル巡洋艦ケルチ近影(2012年6月)


 【質問】
 カーラ型巡洋艦「タリン」について教えられたし.

 【回答】
1975年11月5日,ウクライナの61コムーナ造船工場(ニコラーエフ北造船所)で起工
1976年11月5日進水
1979年12月31日就役
1980年3月28日,赤旗太平洋艦隊編入
1990年8月9日,「ウラジオストク」(2代目)と改名
1994年7月5日除籍
1997年6月,スクラップとしてインドへ売却

 2代目「ウラジオストク」は短命でした.
(「ウラジオストク」としては,1990年8月9日から1994年7月5日までの4年弱しかない)
 しかも,「ウラジオストク」と改名されて以降は,外洋に出る事もなく,ウラジオストク港内に係留され,錆び付き,傾斜したまま放置されました.

 「タリン」改め「ウラジオストク」は,日本の軍事評論家とも関わりが有ります.
 1989年8月,田岡俊次氏は,西側の報道陣への公開演習を行なった「タリン」に乗りました.
 1991年8月,『世界の艦船』編集長・木津徹氏は,ウラジオストク港内で係留されたまま錆び付き,傾斜した「ウラジオストク」を見ました.
(この時,木津徹氏は同型艦の「ペトロパブロフスク」に乗って取材した)

ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課
2012/2/5(日) 午後 7:40

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「ペトロパヴロフスク」の略歴は?

 【回答】
 プロジェクト1134B(カーラ型)大型対潜艦ペトロパヴロフスクПетропавловскは,
1972年1月4日建造承認,海軍籍に登録.
1973年9月9日,ウクライナ共和国の61コムーナ・ザヴォート(ニコラエフ北造船所)で起工.
1974年11月22日進水,
1976年12月29日就役.
1979年2月24日~7月3日に掛けて黒海から極東方面に回航,太平洋艦隊配備.
 この時,同時に「空母」ミンスク,「強襲揚陸艦」イワン・ロゴフも回航され,日本中が大騒ぎになりました.

 その後は,日本周辺で行動しました.

1986年10月9日から1990年2月12日までウラジオストクの「ダーリ・ザヴォート」でオーバーホール.
1991年8月に『世界の艦船』編集長・木津徹が取材の為にウラジオストクを訪れた際には,本艦に乗艦して太平洋艦隊の公開演習を取材しました.
 この時,木津編集長は,本艦のガスタービン機関の静粛さに感心し,艦内には木材が多く使われている事に驚きました.
 この当時,カーラ型がガスタービン機関である事は判明していましたが,その形式が"COGOG"なのか"COGAG"なのかまでは分かっていませんでした.

 ちなみに,"COGOG"とは,"COmbined Gas turbine Or Gas turbine"の略で,巡航時と全速時で別々のガスタービンを動かす方式.
 "COGAG"とは,"COmbined Gas turbine And Gas turbine"の略で,巡航時には一部のガスタービンを運転し,全速時には全てのガスタービンを運転する方式です.

 カーラ型は,巡航用タービン2基とブースト用タービン4基を搭載している所までは分かっていましたが,それをどのように運転するのかまでは分かっていなかったのです.
 (この場合,COGOGならば,巡航時には巡航タービン2基だけを動かし,全速時にはブースト用タービン4基だけを動かす事になるが,COGAGならば,巡航時には巡航タービン2基だけを動かし,全速時には巡航タービン2基及びブースト用タービン4基を動かす事になる)

 そこで木津編集長は,ペトロパヴロフスクの士官に
「この艦が全速力の時に運転するガスタービンは何基ですか?」
と尋ね,
「6基(全て)です」
という答えが返ってきたので,同型はCOGAGである事が判明しました.
(もっとも,ロシア・ソ連のガスタービン推進艦でCOGOG方式を採用しているタイプは在りませんが)

 1980年代後半にオーバーホールを受けていた事もあり,ソ連邦解体後も稼働状態に有りましたが,財政難の為,1994年6月には予備役に編入されました.
 太平洋艦隊には,もう1隻カーラ型(タリン/ウラジオストク)が居たのですが,ソ連邦解体以前に,非稼働状態となっておりました.

 ソ連邦解体後,太平洋艦隊から大型水上艦艇が次々と姿を消していく中,本艦だけは予備役編入後も良好な状態に維持され続け,ウラジオストクの太平洋艦隊司令部ビルの前の泊地に停泊していました.
 この為,当時の西側では,本艦は現役で稼働状態に有ると見られていました.

 1996年7月のロシア海軍創設300周年記念観艦式の際には,日本などの外国艦艇がウラジオストクを訪問しましたが,この時,本艦はホストシップとして外国艦を出迎えました.
 これが,ペトロパヴロフスクの最期の花道となりました.

 翌1997年6月,本艦はスクラップとしてインドに売却され,同国に曳航されて行きました.

1枚目:地中海を航行中のペトロパヴロフスク(1978年撮影)

4枚目:日本海を航行中のペトロパヴロフスク(1982年5月撮影)

6枚目:日本海を航行中のペトロパヴロフスク(1984年5月23日撮影)

Морские Силы~ロシア・ソ連海軍~
2007/5/29(火) 午後 8:27


目次へ

「欧露別館」トップ・ページへ   サイト・マップへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   本館サイト・マップへ

inserted by FC2 system