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◆◆「沙漠の嵐」作戦以降 "Sivatagi Vihar"
◆湾岸戦争
戦史FAQ目次

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[O]仏6Lヽ                                   /            │
[∞]82    \ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _/              │
    [V]101[(/)]3   [O]1[O]1  [X]1    [O]エジプト  [(X)]サウジ \            /
       [(X)]24   [(X)]2  [O]英1[(/)]1    [O]シリア        丶          │
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               さ う じ                              [(X)]サウジ          
                                                         
         湾岸戦争初日の多国籍軍の配置
 


軍事板


 【link】

「Togetter」◆(2010/09/04)だよもん氏によるイラク軍編成表や湾岸戦争における海上輸送やら空爆損耗の詳細

「Togetter」◆(2011/01/29)だよもん氏が語る『湾岸戦争に見る米軍の航空攻撃について』

「ワレYouTube発見セリ」:湾岸戦争 アメリカの主力兵器

●書籍

『Crusade〜The untold story of the gulf war』(by Rick Atkinson)

 湾岸戦争の裏話.
 これまた非常に興味深い.
 湾岸戦争を個人の目線で取材して構築している.
 湾岸戦争開戦までの大統領,国防長官,統合参謀本部議長の駆け引きは,目から鱗が落ちる.
 また,あれほど90年夏から米空軍が作戦立案してきた戦略航空作戦を,シュワルツコフが理解しておらず,
「何で共和国親衛隊を空爆せんのだ!」
「ハァ? イラクの重心攻撃中ですが何か?」
「キサマーーー! 騙したな!!」
っていうくだりは,これまでのトム・クランシーの本とは180度違うので,衝撃的.
 また,開戦初日のF-15Eが1機未帰還となり,戦死した仲間のテントに集まり,悲嘆に暮れる同僚のパイロット達の様子や,あまりの恐怖にトルネードから泣きながら降りてくる英空軍パイロットの様子など,この本を読む前は全く知り得なかった事実が満載.
 湾岸戦争研究のためには必読の書です.
 今のところ日本語訳はありませんが,頑張ってトライしてみて欲しい.

――――――軍事板
 米陸軍第二次世界大戦史三部作を執筆中のワシントンポスト記者で,米陸軍に人脈のある記者による,湾岸戦争の知られざるエピソードを盛り込んだルポ.
 ただし1993年時点のことなので,今では新聞でも登場する話もある.

 戦艦ウィスコンシンや第101空中強襲師団のアパッチ大隊(陸軍の前副参謀総長コーディ大将が中佐のとき上番してる)などや,シュワルツコフ,パウエルのサフワンでの休戦交渉前夜の秘話まで,幅広く取材し纏め上げた力量は素晴らしい.

 後にペトレイアス少将(当時)のヘリに同道して,イラク戦争を取材するにいたった経緯を伺わせる点でも,抑えておくべきかもしれない.

 惜しむべくは8年目へと入るアフガニスタン戦争と,2011年以降も続くであろうイラク戦争を経験した今となっては,陸軍賛美の調子がいささか違和感があること.
 むしろ著者は,陸軍再建への道筋を再びウェストポイントの卒業同期生に取材する方向へと向かうのでないか.

――――――軍事板

『暁の出撃』(トム・クランシー&チャック・ホーナー著,原書房,2000.4)

『現代の航空戦 湾岸戦争』(リチャード・P・ハリオン著,東洋書林,2000.2)

『戦火の勇気』(パトリック・S・ダンカン著,新潮文庫,1996.9)

 読了.

 湾岸戦争を題材にし,映画化もされた小説.
 主人公のサーリング中佐には,湾岸戦争中に味方の戦車を誤射し部下を殺してしまうという,苦い経験があった.
 戦後もトラウマから抜け出せず,書類仕事に回されていた彼は,懇意の中将に志願して,湾岸戦争で戦死した救命ヘリのパイロットである女性大尉,ウォールデンの名誉勲章受賞資格調査を任される.
 しかし,関係者が語る戦死状況は食い違っており…

 話の流れ自体は,サスペンスやミステリーとしてはありがちな部類で,その舞台を軍隊にし,当時はやっていた戦争のPTSD関係をくっつけたような印象を受けた.
 軍隊やホワイトハウスという組織に対するスタンスも,何か言いたそうだがいまいちはっきりとしない.
 「中立」ではなく「中途半端」な感じ.
 フィクションだけに,都合の良い設定がかえって目についてしまう.
 ストーリー自体,英語版アマゾンで突っ込まれてるが,「勇気」といってもいろんな勇気があろうとも思う.

 しかし,戦闘の描写は秀逸.
 ウォールデンの戦死状況は,様々な人々の目線から語られるが,それぞれの描写が,非常に臨場感あふれる形で描かれている.
 また,サーリングが戦車中隊長として参加した戦車戦も,作中で回想されるが,戦闘描写だけでなく心理描写も,非常に丁寧で素晴らしい.

 訳文はそれほどおかしいところもなく,読みやすい.
 映画は未見だが,訳者の解説を読んでいると,映画の方が筋としては面白そうな感じに見える.
 なお,訳者解説は原作と映画の主要な相違を,結末を含めてばらしているので注意.
 映画版のwikipediaに,米軍が積極協力しなかったと書いてあったが,軍隊に大して批判的でもない(モルヒネくらいか?)小説を読むに,実は兵器を借りるお金が足りなかっただけではないか?と思わないでもない.

 総合すると,他人におすすめはしにくいかなあ.
 戦闘描写が目的なら,読んでみては?という程度に感じた.

------------軍事板,2012/01/10(火)

 映画は,センチュリオンを改造してM1戦車もどきを造るような,大変な手間をかけて戦闘シーンを撮影したものなんで,金がなかったってことは考えにくいかと.
 なんか一昔前は米軍って,エラい映画撮影に非協力的だったじゃない.
 今はリクルートに必死だから,活躍シーンがあれば大体協力してるみたいだけど.
 その当時の米軍の方針の影響じゃない?

------------軍事板,2012/01/10(火)

『戦場のIT革命 湾岸戦争データファイル』(河津幸英著,アリアドネ企画,2001/05)

 『軍事研究』連載の,「湾岸戦争に学ぶ 現代軍事作戦&テクノロジー」をもとに構成.
 参考文献も,米国議会への報告書や公刊戦史をもとにしており,非常にわかりやすく,本格的.

------------軍事板,2001/07/17(火)

『熱砂の進軍』(トム・クランシー&フレッド・フランクスJr.著,原書房,1998.12)

『ブラヴォー・ツー・ゼロ』(アンディ・マクナブ著,早川文庫,2000.10)

『湾岸戦争 砂漠の嵐作戦』(F. N. シューベルト他編,東洋書林,1998.10)

 米陸軍戦史センターによる公刊戦史と銘打っているので,100時間地上戦での戦闘を,主に取り扱っているかと思いきや,ページの四分の三ほどがロジスティックな面に費やされている.
 軍や予備役・州兵の動員から始まり,部隊や装備,補給品の移動に輸送,サウジアラビアでの基地や車両の確保,合衆国内や欧州にいる軍人家族に対する配慮等.
 パゴニス中将の名前もちょくちょく出てくるので,「山・動く」と併読するといいかも.

――――――軍事板,2011/05/23(月)

 【質問】
 湾岸戦争は,最初にF-15なんかがイラクのMiG-29やMIRAGEなんかをバタバタ落としてから,そのあと爆装F-16やF/A-18なんかが,何も飛んでない空を飛びながらラクチンに爆撃した感じなんでしょうか?

 【回答】
 湾岸戦争では開戦劈頭,巡航ミサイル・F-117・アパッチなどの攻撃でイラクの防空指揮,通信,レーダー設備をまず破壊しました.
 次いで囮ミサイルを放ち,それに対応して立ち上がったイラク軍レーダー網に対して,EF-111やEA-6の支援を受けた攻撃隊がHARMを撃ちまくった.

 つまりイラクは目も神経も頭も破壊・混乱させられた状態で多国籍軍の航空戦力に立ち向かわねばならず,組織的な防空を行う能力は大幅に低下していました.
 邀撃管制も満足に受けれないイラク軍機は,空戦では殆ど完封(撃墜はMiG-25でのF/A-18のみ)負け,
 上がったらAWACSに探知されてCAPを送られる→あぼーん.
 これは個々の兵器の性能ではなく,技術・情報・組織の優位がもたらした物と言える.
 ソ連の中の人は,自国と似通った防空システムを形成していたイラクが簡単に制圧されちゃったんで,焦っただろうな・・・

 しかしそのような状態においても,地上の対空火器を完全に排除する事は不可能で,攻撃には一定の損害を受ける危険があった.

軍事板

Iraqi SU-24 "FENCER"
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 湾岸戦争における,F-15Eの撃墜戦果について教えてください.

 【回答】
 1991年2月14日,4TFW/335TFS“CHIEFS“(第4戦闘航空団第335戦術戦闘飛行隊)のF-15Eストライクイーグル(ビューロシリアルナンバー:89-0487)が,スカッド・ハンティングの任務中,ホバリング中のイラク軍ヒューズ500ヘリコプターを発見.
 F-15E(パイロット:リチャード・ベネット大尉,WSO:ダニエル・ベーカー大尉)はLANTIRNでヒューズ500をロックオンし,LGB-10ペイブウェイIIレーザー誘導2000ポンド爆弾を投下,ヘリ撃墜に成功したという.
 ただし,国防省が議会に対して提出した湾岸戦争に関する最終報告書 'CONDUCT OF THE PERSIAN GULF WAR' (April 1992) には,この撃墜はリストに載っておらず,地上ターゲット撃破と同じ扱いとして,特例的に両者 +1 でカウントされている模様.

 【参考ページ】
http://strike-eagle.masdf.com/spbomb.html
http://www.au.af.mil/au/afhra/wwwroot/aerial_victory_credits/avc_swa_gulf.html)

【ぐんじさんぎょう】,2009/8/5 21:00
に加筆

『Gulf Air War Debrief described by the pilots that fought』
General editor:Stan Morse, Aerospace Publishing Ltd.,London,119.
ISBN 1 8784023 14X
(Airtime Publishing Inc.,Conneticut,USA,1991. ISBN 1 880588 00 5)
と言う本に,その根拠があります.

 同書の226ページですが,
>Kills and losses Aerial victories
として湾岸戦争中のアメリカ軍の戦果と損失がまとめてあり,その中のナンバー40(40機目の戦果)として,以下の記述があります.

――――――
Kill No.40
14 February 1991
Helicopter by F-15E
89-0487, 335th TFS/4th TFW, Seymore Johnson(Al Kharj),
using GBU-10.Captain Richard T. Bennett(pilot) and Captain Daniel B. Bakke(WSO).
Thought to be Hughes 500.Destroyed by 2,000lb laser-guided bomb which struck it in the hover. Near Al Quain while F-15E on 'Scud' patrol.
――――――

 また同書の148ページ,戦闘日報の中の2月15日の項にも,

――――――
An F-15E of the 336th TFS, 4th TFW, on an anti'Scud' patrol over Kuwait, used a laser-guided bomb to destroy an Iraqi Hughes 500 helicopter while the latter was in the hover.
――――――

と記されています.

 お気付きのように,戦果のまとめの記述とは日も部隊も違っていて,どちらが正しいのかは分かりませんが,いずれにしても誘導爆弾を以て,ヘリコプターを撃墜した実例が存在することはお分かりと思います.
 少なくとも,そのように記した資料が実在することは証明可能です.

 この本は,軍事/航空関係を揃えている大きな洋書店(東京だと西山洋書とか)に行けば,今でも置かれていると思います.
 湾岸航空戦を語るには,スタンダードな資料の一つだと,個人的には思っています.
 私の引用に不審がございましたら,どなたか立ち読みでもされてお確かめください.

軍事板,2000/12/11(月)
青文字:加筆改修部分

▼ また,成美堂出版の「米軍最新兵器1500」ISBN4-415-09469-4によれば,
「湾岸戦争では,2個飛行隊48機がサウジアラビアに展開し,スカッド発射基地攻撃にも投入された(ただしLANTIRNポッドは装着せず).イラク領内で「スカッド・パトロール」中のF-15E,1機はホバリング中のイラク軍ヘリ(ヒューズ500?)を発見,誘導爆弾を投下,撃墜している.」(P104,F-15Eについての項目より)
とあります.

 ただ,これとはべつにA-10による戦果もあったのかもしれませんし,これとは微妙に異なった記述をどこかで読んだ記憶もあるので決定的ではありませんが.

Kfir in FAQ BBS,2009年8月23日(日) 14時51分
青文字:加筆改修部分

28 名前: 名無しさん@お腹いっぱい.投稿日: 2000/12/09(土) 10:24

 ベトナム戦時に.滑走路で加速していたMiGを,A-4が無誘導爆弾で攻撃して当たったというのがあったみたいですが.
 飛行中かどうか?


33 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2000/12/11(月) 15:39

 ロケット弾を使ったんだよ.
 でも,撃墜は未公認.

軍事板
青文字:加筆改修部分

>ビューロシリアルナンバー

 海軍機ならビューローナンバー (Bu. No.),空軍機ならシリアルナンバー,でいいんじゃないかしらん.

井上@kojii.net in mixi,2009年08月04日 23:33


 【質問】
「湾岸戦争では,味方が間違うからって理由で,フランス製戦闘機を多国籍軍側は使わなかった」
って本当?

 【回答】
 フランス製戦闘機ミラージュF1,ミラージュ2000,ジャギュア(英仏共同開発機だが)は,多国籍軍で参戦しています.
 確かにミラージュF1はイラクでも使用されてますので,識別の点から当初出撃を控えられましたが,1/22にカタール空軍のF1Cが戦闘に加わったのに続き,仏空軍機,自由クウェート空軍機が作戦に参加しています.

 以上手元の航空情報別冊「湾岸航空戦」で確認.

あげ in FAQ BBS


 【質問】
 湾岸戦争に派遣された仏空軍部隊は?

 【回答】
 地上戦終結の時点で

・ミラージュ2000C×14(第5戦闘航空団)
・ミラージュF1CR×6(第33偵察航空団)
・ジャガーA×27(第11戦闘航空団)
・KC−135RF×5(第93空中給油航空団)
・C−160×9(第61輸送航空団)
・C−130×1(同上)
・ヘリコプター若干機

駐カタール
・ミラージュF1C×8(第12戦闘航空団)

 指揮系統はアメリカ中央軍シュワルツコフ大将―仏軍「ダゲー」作戦司令官ロックジョフル中将のライン.

参照:歴史群像シリーズ [図説]湾岸戦争〜ペルシャ湾岸の砦(クウェート)を巡る210日間の攻防〜

邪夢 in mixi,2009年03月06日20:05


 【質問】
 湾岸戦争前夜(1990年夏)における米陸軍の編制は?

 【回答】
・5個軍団
・・第1軍団
・・第3軍団
・・第5軍団
・・第7軍団
・・第18空挺軍団

・28個師団(P.50参照)
・・第1騎兵師団(機甲)
・・第1機甲師団
・・第2機甲師団
・・第3機甲師団
・・第1歩兵師団(機械化)
・・第2歩兵師団
・・第3歩兵師団(機械化)
・・第4歩兵師団(機械化)
・・第5歩兵師団(機械化)
・・第6歩兵師団(軽)
・・第7歩兵師団(軽)
・・第8歩兵師団(機械化)
・・第9歩兵師団(自動車化)
・・第10山岳師団(軽)
・・第24歩兵師団(機械化)
・・第25歩兵師団(軽)
・・第82空挺師団
・・第101空挺師団(空中強襲)

・機甲騎兵連隊(おまけ)
・・第2機甲騎兵連隊
・・第3機甲騎兵連隊
・・第11機甲騎兵連隊

 師団規模の現役部隊の数は,これくらいじゃなかったっけ……?
 あとの第28,35,40,42,47歩兵師団,第50機甲師団とかは州兵部隊だったような希ガス…….
 でも上の師団だと,18個師団しかねぇお…….
 28個師団って州兵入れた数なのかなぁ.

在欧米陸軍(1990年夏時点)
軍団
・第5軍団
・第7軍団
師団/独立連隊
・第3歩兵師団(機械化)
・第8歩兵師団(機械化)
・第1機甲師団
・第3機甲師団
・第2機甲騎兵連隊
・第11機甲騎兵連隊
・第1歩兵師団(前進部隊)(機械化)
・第2機甲師団(前進部隊)
・その他軍団直轄の野戦砲兵旅団,航空旅団,防空旅団有

 【参考ページ】
『湾岸戦争 砂漠の嵐作戦』(米陸軍戦史センター=著 F.N.シューベルト,T.L.クラウス=編,東洋書林,1998.10)

邪夢@蛸神教 in mixi,2010年04月18日15:18


 【質問】
 湾岸戦争ではイラクがスカッドミサイルを多数アメリカ軍に撃ち込んだと聞きますが,どれほどの被害を与えたのでしょうか?

 【回答】
http://www.globalsecurity.org/military/ops/casualties.htm
の下の方にコメントしてありますが,28名が死亡しています.
 これは,ダーランの兵舎に着弾(あるいはペトリオットで迎撃された破片が着弾)したもの
(対するに自軍誤爆の死者が35名).
 スカッドをイスラエル,そしてサウジの米軍に対して多数発射しています.
 イスラエルに対する攻撃では,米国の中東政策を二重性があるとして,中東諸国の離反を誘う,民衆レベルでの支持取り付けを狙った政治的なものでした.
 当時,米国から至急パトリオット大隊がイスラエルに展開して守りに着いたものでした.

 ただ,直接の損害よりも,スカッドのランチャーを狩るための努力を強いたという点において,効果はそれなりに大きかったように思えます.


 【質問】
 湾岸戦争時,イラク軍からのミサイル攻撃に対し,なぜイスラエルは報復攻撃しなかったのか?

 【回答】
 シャミル首相は当初,多国籍軍とは別行動でイラクを攻撃する事を考えたという.

 だが,出撃するイスラエル機は当然アラブ諸国の領空を通るし,親イラクのヨルダンは特にこれに反発しよう.
 イラクとの直接対決は,戦局の混乱を招くばかりだ,と米国はシャミルを懸命に説得した.

 イスラエルは結局,反撃を自制した.
 イスラエルTVに出演したシャミル首相は,
「我々はピンポンをしているのではない.『お前は私を傷つけた.だからお前を傷つけてやる』という問題ではない.これは我々の国益にかかわることなのだ」
と述べ,国民に理解を求めた.
 情報機関モサドから政界に転身し,強硬派で知られるシャミル首相にとって,この我慢は辛かったに違いない.

 後にシャミル首相は,「自伝」の中で,この決断について次のように書いている.
「私の見通しは間違っていただろうか?
 そうは思わない.
 イスラエルのある人々は,国家の抑止力が失われたとか,イスラエルのイメージが国内においてもアラブ世界においても損なわれたとか,ミサイル攻撃という挑戦に立ち向かわなかった点で,我々は弱体化してしまったとか説いた.
 しかし,自制はむしろ我々の強さの表明だった.我々は自分達に最善と思う事を実行できたのだ」(Yitzhak Shamir : Summing Up)

(布施広「アラブの怨念」,新潮文庫,2001/12/1,P.142-144,抜粋要約)


 【質問】
 湾岸戦争では特殊部隊はどんな働きをしたのか?

 【回答】
 同作戦に従事したグリーン・ベレーの元隊員,マーク・Wによれば以下の通り.

 ・イラク軍によるクウェイト侵攻開始の14〜15時間後には,最初のODAがクウェイトへ潜入した.
 ODAとはA分遣隊の意味で,すなわち,最強の精鋭部隊を意味する.
 ・中東・北アフリカを担当する第5特殊作戦群だけでは人員不足のため,第3群にも出動命令が出た.
 第3群は11月,フォート・ブラッグからアフリカ某国へ移動,第101空挺師団と共に,1周間かけて車両の沙漠用塗装,装備点検・パッキング,地図熟読,現地語・現地情報&文化を短期間で集中的に吸収するカルチャー・トレーニングを行った.
 ・シュワルツコフ大将は特殊部隊を忌み嫌っていたが,統合特殊作戦軍司令官スタイナー大将の正当なアピールにより,そのことが障害にならずに済んだ.
 ・クウェイト到着後,まず砂漠のサンプリングを行い,戦車・車輛がどの程度走行できるか調査した.沿岸地域ではSEALsが同様任務を行った.
 ・その後,強襲偵察に従事.発電所,道路,橋等軍事施設の位置情報を収集,デジタル・カメラを使って衛星経由で本部へ送信した.
 ・多国籍軍開戦後は,爆撃効果確認のため,現場に接近して偵察した.昼間の任務であるため,接近距離は500mが限界だった.
 ・デルタ・フォースとSASはミサイル基地の破壊工作を行った.

 以上,ソースは「世界の特殊部隊」(宝島社,2005/3/1),p.50-51.
 ただし,迂闊に信用していいソースではなさそうなので,複数文献と比較検討されたし.


 【質問】
 湾岸戦争での多国籍軍総司令官は誰ですか?

 【回答】
 多国籍軍総司令官は存在しません.
 アラブ諸国が,異教徒の外国人の指揮下に入るのを潔しとしなかったために,アラブ諸国とその他の国々(これがほんとの他国籍軍^^;)との指揮系統が分けられています.
 アラブ諸国はたぶん,サウジアラビアの国防相だか誰かの指揮下に入り,その他はアメリカ中央コマンド総司令官のH・ノーマン・シュワルツコップ陸軍大将の指揮下に入りました.
 両者は作戦に関して協議するということで,実質的にはシュワルツコップ大将が最高司令官を務めましたが.

 ちなみにコリン・パウエル陸軍大将は当時のアメリカ統合参謀本部議長.
 共和党の副大統領候補,ディック・チェイニー国防長官の補佐役ですね.

 さらに余計なことですが,アメリカのコマンド総司令官は大統領と国防長官の直属で,統合参謀本部議長には実戦部隊の指揮権限はありません.
 あくまで形式上はですが.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 多国籍軍地上部隊の編成・戦力を教えられたし.

 【回答】
・中央軍総司令官

 ・中央軍特殊作戦コマンド 兵力:7083人
 ・中央軍海兵部隊 第1海兵遠征軍:総兵力約7万人,戦車×438
  ・第1海兵師団(M60A1×130)
  ・第2海兵師団(米第2機甲師団第1旅団を配属)(M1A1×196,M60A1×53)
  ・第5海兵遠征旅団(M60A1×17)
  ・第4海兵遠征旅団(洋上配備)
  ・その他部隊

 ・中央軍陸軍部隊:総兵力33.3万人(支援兵站部隊含.戦車×2117)
  ・第7軍団:兵力14.6万人 戦車×1639
   ・米第1歩兵師団
   ・米第1機甲師団
   ・米第1騎兵師団
   ・米第3機甲師団
   ・英第1機甲師団
   ・米第2機甲騎兵連隊
   ・米第11航空旅団
   ・第7軍団砲兵
    ・第42野戦砲兵旅団
    ・第75野戦砲兵旅団
    ・第142野戦砲兵旅団
   ・その他軍団直轄部隊
  ・第18空挺軍団:兵力約11万人 戦車×478
   ・米第82空挺師団
   ・米第101空挺師団
   ・米第24歩兵師団
   ・仏第6軽機甲師団
   ・米第3機甲騎兵連隊
   ・米第12航空旅団
   ・米第18航空旅団
   ・第18空挺軍団砲兵
    ・第18野戦砲兵旅団
    ・第196野戦砲兵旅団
    ・第212野戦砲兵旅団
   ・第20工兵旅団
   ・第35通信旅団
   ・第1軍団支援団
   ・第525軍事情報旅団
   ・第16憲兵旅団
   ・第360民事旅団
   ・第62防空砲兵連隊第5大隊

・アラブ合同軍総司令官(中央軍総司令官と調整)兵力約10万 戦車約1000

 ・東部合同軍
  ・TFオマール(10SA)
  ・TFオスマン(8SA)
  ・TFアブ・バクル(2SANG)
  ・TFタリク

 ・北部合同軍
  ・エジプト第3機械化師団(兵力1.5万人,M60×120輌)
  ・エジプト第4戦車師団(M50×240輌)
  ・シリア第9戦車師団(兵力1.5万人,T-62×235)
  ・20SA
  ・4SA
  ・クウェート軍部隊(戦車90輌)

※SA=サウジ地上軍 SANG=サウジ国境警備隊

 こえだけの戦力を集めても,中央軍司令部では結構な損害を被ると思ってたとか何とか.
 結果はご存知の通りですけども.

 参照:軍事研究2008年10月〜12月号
 軍研で連載中の「湾岸戦争の推移」は面白いから困る.
 このために買ってる様なものなのですよ,ええ.

邪夢 in mixi,2008年11月17日15:23

注意! この編制表はあくまでお遊びです

多国籍軍地上部隊の編成・戦力

・中央軍総司令官
 ・中央軍特殊作戦コマンド 兵力:7083人
 ・中央軍海兵部隊 第1海兵遠征軍:総兵力約7万人,戦車×438
  ・第1海兵師団(M60A1×130)
  ・第2海兵師団(米第2機甲師団第1旅団を配属)(M1A1×196,M60A1×53)
  ・第5海兵遠征旅団(M60A1×17)
  ・第4海兵遠征旅団(洋上配備)
  ・その他部隊
 ・中央軍陸軍部隊:総兵力約34万人(支援兵站部隊含.戦車×2117)
  ・第7軍団:兵力約15万人 戦車約1800
   ・米第1歩兵師団
   ・米第1機甲師団
   ・米第1騎兵師団
   ・米第3機甲師団
   ・英第1機甲師団
   ・日第1独立装甲連隊
   ・独第21装甲旅団
   ・米第2機甲騎兵連隊
   ・米第11航空旅団
   ・第7軍団砲兵
    ・第42野戦砲兵旅団
    ・第75野戦砲兵旅団
    ・第142野戦砲兵旅団
   ・その他軍団直轄部隊
  ・第18空挺軍団:兵力約11万人 戦車×478
   ・米第82空挺師団
   ・米第101空中強襲師団
   ・米第24歩兵師団
   ・仏第6軽機甲師団
   ・米第3機甲騎兵連隊
   ・米第12航空旅団
   ・米第18航空旅団
   ・第18空挺軍団砲兵
    ・第18野戦砲兵旅団
    ・第196野戦砲兵旅団
    ・第212野戦砲兵旅団
   ・第20工兵旅団
   ・第35通信旅団
   ・第1軍団支援団
   ・第525軍事情報旅団
   ・第16憲兵旅団
   ・第360民事旅団
   ・第62防空砲兵連隊第5大隊
・アラブ合同軍総司令官(中央軍総司令官と調整)兵力約10万 戦車約1000
 ・東部合同軍
  ・TFオマール(10SA)
  ・TFオスマン(8SA)
  ・TFアブ・バクル(2SANG)
  ・TFタリク
 ・北部合同軍
  ・エジプト第3機械化師団(兵力1.5万人,M60×120輌)
  ・エジプト第4戦車師団(M50×240輌)
  ・シリア第9戦車師団(兵力1.5万人,T-62×235)
  ・20SA
  ・4SA
  ・クウェート軍部隊(戦車90輌)

※SA=サウジ地上軍 SANG=サウジ国境警備隊

 ドイツ軍の装甲旅団名は適当ー(ぁ
 現在だと,第1装甲師団隷下部隊です.

 1独連を第7軍団に配備したのは趣味……ではなく,カフジに向かって進撃中との作中の台詞の為.
 ドイツ軍も配備したのは適当(ぁ
 まぁ,第18空挺軍団のほーかもね.ドイツ軍は

邪夢 in mixi,2008年11月17日16:13

 と言うわけで,ダン・ラザー&某新聞曰く「メコン虐殺部隊」を放り込んだ,「征途世界」の多国籍軍編制妄想です(笑)

邪夢 in mixi,2008年11月20日 02:35


 【質問】
 湾岸戦争時のイギリス第1機甲師団の編制について教えられたし.

 【回答】
師団司令部
・第7機甲旅団'The Desert Rats'
 ・戦車大隊(戦車×43)
 <スコットランド近衛竜騎兵連隊>
 ・戦車大隊(戦車×57)
 <クイーンズ・アイルランド軽騎兵連隊>
 ・機械化歩兵大隊(歩兵戦闘車×45)
 <スタッフォードシャー連隊>
 ・砲兵連隊(155mm自走砲×24)
 <第40野砲連隊>
 ・工兵大隊
 <第21工兵連隊>
 ・第10防空中隊(携帯SAM×36)
 ・通信中隊
・第4機甲旅団
 ・戦車大隊(戦車×43)
 <第14/20国王軽騎兵連隊>
 ・機械化歩兵大隊(歩兵戦闘車×45)
 <スコットランド王国第1連隊>
 ・機械化歩兵大隊(歩兵戦闘車×45)
 <王立フィーリジア連隊>
 ・砲兵大隊(155mm自走砲×24)
 <第2野砲連隊>
 ・工兵大隊
 <第23工兵連隊>
 ・第46防空中隊
 ・通信中隊
・師団砲兵群
 ・砲兵中隊(155mm自走砲×12)
 <第26野砲連隊>
 ・砲兵大隊(155mm自走砲×16,203mm自走砲×12)
 <第32野砲連隊>
 ・MLRS中隊(MLRS×12)
 <第39重砲連隊>
 ・防空大隊(自走式SAM×24)
・機甲偵察連隊(装甲車×40,戦車駆逐車×16,軽戦車×24)
 <第16/5クィーンズ槍騎兵連隊>
・戦闘ヘリ大隊(対戦車ヘリ×13,観測ヘリ×18)
 <第4航空連隊>
・支援ヘリコプター群(大型ヘリ×12,中型ヘリ×12,小型ヘリ×15)
・工兵連隊
 <第32戦闘工兵連隊>
・通信連隊
・輸送車隊×2
・機甲補修隊×2

※この第1機甲師団は,英国ライン軍(BAOR)から第1機甲師団司令部をはじめ,各部隊を抽出した臨時編成.
※同様のことは湾岸戦争に派遣されたフランス第6機甲師団にも言える.

 参照:歴史群像アーカイヴ 「ミリタリー基礎講座 現代戦術への道」

 一応,連隊名まで書いたけれど,師団砲兵群の砲兵中隊が連隊ってのはどうなんだろう.
 中隊名までは載っておらず,もう一つ詳細文献が必要な気が.

邪夢 in mixi,2008年06月16日17:14


 【質問】
 湾岸戦争時のイラク軍機甲師団の編制を教えられたし.

 【回答】
・旧イラク軍機甲師団

機甲師団
・師団司令部・司令部付中隊
・機甲旅団×2
 ・・戦車大隊×3(3個中隊編制)
 ・・機械化歩兵大隊
 ・・重迫撃砲中隊
 ・・補給・輸送中隊
 ・・コマンド中隊
 ・・工兵中隊
 ・・化学防護中隊
・機械化歩兵旅団
 ・・機械化歩兵大隊×2
 ・・戦車大隊(3個中隊編制)
 ・・重迫撃砲中隊
 ・・補給・輸送中隊
 ・・コマンド中隊
 ・・工兵中隊
 ・・化学防護中隊
・機甲偵察大隊
・コマンド中隊×2
・砲兵連隊
・工兵大隊
・施設大隊
・通信大隊
・化学防護中隊
・輸送大隊
・戦闘訓練隊


・旧イラク軍共和国親衛隊 機甲師団

機甲師団
・師団司令部・司令部付中隊
・機甲旅団×2
 ・・戦車大隊×3(T-72配備.4個中隊編制)
 ・・機械化歩兵大隊
 ・・自走砲大隊×2
 ・・重迫撃砲中隊
 ・・工兵小隊
 ・・補給・輸送中隊
 ・・コマンド中隊
 ・・後送・警備小隊
 ・・化学防護小隊
・機械化歩兵旅団
 ・・機械化歩兵大隊×3
 ・・戦車大隊(T-72配備.4個中隊編制)
 ・・砲兵大隊×2(牽引砲)
 ・・重迫撃砲中隊
 ・・工兵小隊
 ・・補給・輸送中隊
 ・・コマンド中隊
 ・・後送・警備小隊
 ・・化学防護小隊
・機甲偵察大隊
・コマンド中隊×2
・砲兵連隊
・工兵大隊
・施設大隊
・通信大隊
・化学防護中隊
・輸送大隊
・戦闘訓練隊


 うんうん.旅団中心のとこがイギリス臭.
 旧宗主国がそーだから,影響受けるよねぇ.
 結構厚い師団編制だよねぇ.
 全てが定数通りであれば,だけど(酷

 いや,共和国親衛隊はほぼこの通りの編制だったとおも.
 さすがエリート部隊.
 親衛隊は戦車全部T-72だしな.
 戦車大隊も4個中隊編制だし.

 でまぁ,湾岸戦争にて,この編制の師団を戦術核を使わない空爆だけで,3割削る米空海軍マジチート.
 ……一部地域に至っては8個師団を5割削るとゆー.
 戦術核数発使ったってこんな損害でねぇよ!
 やだなにこれこわい.
 主にボコられたのは一般機甲師団・歩兵師団だけどもー.
 それでも3割とか5割とかないわー.
 チート乙と言わざるを得ない.

(追記)
 ただ,その損害の大半は脱走ではありますががが.
 B-52の爆撃,MLRSの砲撃等々の恐怖によって,脱走/降伏した兵は大量にいましたから.

 ネタ元
[図説]湾岸戦争 ペルシャ湾岸の砦(クウェート)を巡る210日間の攻防
(歴史群像シリーズ)

邪夢 in mixi,2010年09月04日19:39

イラク軍戦車隊
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 C・ダグラス・ラミスの『憲法と戦争』に

――――――
 (湾岸)戦争が短期間に終わったのは,米国空軍の恐ろしい攻撃の前にイラク軍が戦意を喪失したからではなく,そもそもイラク軍が戦おうとしなかったからだという.
 戦っても何も得るものが無かったし
(大統領はすでに,喜んでクウェートからの撤退交渉に応じると明言していた),
勝つ見込みも,命を捨てるべき大も無かったから,兵士たちは機会さえあれば逃亡して軍に対する叛意を示した.
 この分析が正しいとすれば,イラク兵の反抗心のおかげで両陣営の死傷者数が激減した事になる.
――――――

つう記述があったのですが,フセインはクウェートからの撤退をしていたのですか?
 この本,気化爆弾を化学兵器と書いてあったり,カンボジアPKOの自衛隊を中傷したり,憲法九条マンセーだったりしていて信じがたいのですが・・・

 【回答】
>(大統領はすでに,喜んでクウェートからの撤退交渉に応じると明言していた)

 そもそも交渉の前提が
「イスラエルのパレスチナからの撤退」
など非現実なもので,単なるポーズです.

>クウェートからの撤退をしていたのですか?

 それどころかクウェートを自国に併合した上,在留外国人を人質にした「人間の盾」作戦を決行して,国際社会の非難を浴び,国連決議で勧告された撤退にも応じなかったため,武力行使を容認する国連決議が採択される事となりました.
 で,砂漠の盾作戦により,「クウェート領内に集結したイラク軍」が大打撃を受けてますので,撤退なぞしていなかった事は明白です.

 結論から言うと,そのナントカスミスの言ってる事はハチャメチャで,後からあなたの子供や知り合いでも読んで悪影響を及ぼす事を防ぐため,今すぐゴミに出すか,ブックオフに叩き売る事を推奨します.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「起床ラッパの戦い」とは?

 【回答】
 湾岸戦争において,イラク陸軍クウェート防衛部隊のうちの戦車大隊が,第8海兵連隊の補給部隊を攻撃しようとしたところ,米軍のM1A1戦車中隊の奇襲待ち伏せ攻撃を受け,壊滅した戦い.

 『軍事研究』 2009年1月号,p.127-132によれば,戦闘経過は以下の通り.


 イラク陸軍クウェート防衛部隊の主力である第3戦車師団の,第8機械化旅団に所属する混成戦車大隊(戦車35輌)――彼らはイラン・イラク戦争時において勇敢果敢な戦いぶりによって,特に尊敬されていた戦車隊であったらしい――は,日の出と同時に米海兵隊に逆襲するべく,南に進撃.
 幸運にも第8海兵連隊の補給部隊を発見,海兵隊を殲滅するぞという意気込みで,砲撃準備のため,舗装道路を越えて海兵隊との距離を詰めていた.
 ところが,真横からM1A1有するブラボー戦車中隊の奇襲待ち伏せ攻撃を浴びる.
 イラク戦車大隊35輌のうち34輌が撃破され,勇敢果敢な戦車大隊はここで壊滅した.

 第2海兵師団の第8海兵連隊所属のブラボー戦車中隊が保有するM1A1は13輌.

 この戦車戦においてイラク軍と米軍の距離は1000m弱で,日の出の時間帯であったので,十分イラク軍側にも反撃できるチャンスはあったはずだが(奇襲攻撃によるハンディキャップはあるにせよ),数で勝っていたイラク軍戦車部隊は,一発もM1A1戦車に命中させることができなかったという.

 この戦いに参戦したパーキソン大尉は,T-72戦車の射撃精度の悪さについて,次のように解説した.

T 自動装填装置の構造上の欠陥

 T-72のカセトカ自動装填装置は,砲撃後一旦水平状態に主砲を戻さないと,自動装填できない構造である.
 つまり砲撃のたびに,主砲の照準が目標から外れる事を意味する.
 通常の射撃では初弾が外れても,2発目で主砲の照準を微調整して射撃精度を高める事ができるが,T-72はそれができない.

U 自動装填装置の発射速度の遅さと乗員の質の差

 カセトカ自動装填装置は1発あたり12秒という発射速度を持つが,これは突発的に発生する遭遇戦では遅すぎると指摘した.
 M1A1の装填手であれば,12秒もあれば2発以上の砲弾を人力装填し発射することもできる.
 他にも精度不足の大きな原因として,イラク戦車兵の砲術訓練不足(実戦的な実弾射撃)も指摘した.

 結局の所,奇襲攻撃を受けたイラク軍戦車隊は組織的な反撃をする前に,ブラボー戦車中隊にたった90秒(!)で約20輌の戦車を撃破されており,日の出となった時には戦える戦車は全体40%までしか残っていなかった.

 恐怖に駆られて,この殺戮地帯から逃げ出そうとしたT-72は,情け容赦なく砲撃の餌食となり,次々と爆発した.

 この戦いでのブラボー戦車中隊の損害は0であり,射撃の際には停止しての射撃戦だった.

 その後の作戦において,ブラボー戦車中隊が行った遭遇戦では,例えばダガス3等軍曹のM1A1が,32km/hのスピードで走行しながら,2000m先のT-62戦車を撃破している

CRS@空挺軍 in mixi,2008年12月11日18:36

イラク軍戦車隊
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 湾岸戦争の中盤において,イラクは突然越境してサウジアラビアのカフジという都市を攻撃しましたが,その後増援を送るでもサウジに全面攻勢に出るでもなく,あっさりアメリカ軍に撃滅されてしまった,ということがありましたよね.
 あれは,一体何がしたかったのでしょうか?
 何を目的として行われた作戦だったのでしょうか?

 【回答】
 当時のイラクの声明では.
「イラク地上軍は29日アッラー・アクバルの旗を掲げて(サウジ領)カフジに侵攻し,敵の侵略者たちに電撃的な地上攻撃を加え,不信心者たちの部隊に痛撃を加えた.
 このような事態は我々の本意ではないが,米国の手先に成り果てたファハド(クウェート国王)が聖地を不信心者に明け渡して汚染したから引き起こされた」

 まー油田もあるし,クウェート人は多数逃げ込んでるしで,ちょっとした牽制に出るには都合が良かったのかも.

 あと,カフジは昔,イラクとサウジの中立地帯で,国境が画定してのが70年代だったかな.


 【質問】
 「やる夫で学ぶ狙撃兵の歴史」後編
にある,エイブラムスの話は本当ですか??

bernoulli in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 【回答】
 私の日記でもネタにしましたが

軍事研究 2008年12月号
連載:戦車7000両の激突!湾岸戦争大戦車戦(9)
<ユーフラテス河畔で発生した無敵M1A1タンクバトル> p144 が元ネタですね

 一応,米軍の公式記録にありますから,(多少の脚色あるかもしれないが) 事実と考えていいんじゃないでしょうか

CRS@空挺軍 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 たぶん2/27のTallil飛行場付近での戦いかと.

 ここでは,1両が敵の砲火によって行動不能になり, 2両のエイブラムスが泥で行動不能になりました.
 この3両は自軍の劣化ウラン弾で破壊処分されました.
 戦死者,負傷者は出ていません.

 T-72から損傷を受けたエイブラムスは,砂漠の嵐作戦では2両です.わかっているだけで.
 1両は後部右側に食らって,火災の危険を生じさせ, 1両はT-72の攻撃で生じた二次被害,弾薬庫区画からの火災で損傷を受けました.
 後者の火災で一名が負傷しました.

 珍しい例としては,BMP-1の73ミリ弾を,張り出し部の機銃の根元に食らって負傷者一名を出した車両がありました.

極東の名無し三等兵 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 軍事研究で好評連載中の「連載:戦車7000両の激突!湾岸戦争大戦車戦」でありますが,今月号の
「第18空挺軍団の『西方の壁作戦』 フランコ・アメリカン機動隊の結成/敵領一五〇q史上最大のヘリボーン侵攻作戦」
に大変興味深い話があります.

<ユーフラテス河畔で発生した無敵M1A1タンクバトル> p144

 トム・クランシーの「Armored Cav」でも報告されているエピソードらしい

 第24歩兵師団所属のとあるM1A1がユーフラテス河畔を進撃中だったが,運が悪いのことに泥穴にはまり込み,戦車回収車を待つことになった.
 部隊はそのまま進撃.
 まぁ,敵なんか来ることはないだろうと楽観視していた所に,

T-72神がやってきた しかも3輌同時に!!

 M1A1は泥穴にはまり動けない,戦力差1対3!という絶望的な状況に.

 最初に砲撃したのはT-72.
 距離1000メートルからHEAT弾を射撃!
 見事砲塔に命中・・・・

 しかしM1A1は生きていた!!
 その後M1戦車の反撃により,返り討ちに遭う.

 もう1輌のT-72も,距離1000メートルからHEAT弾を射撃し命中弾を浴びせたが,熱エネルギーが足りなかったのか,これまた貫通に至らず.
 恐れをなしたT-72は逃亡しようとしたが,これを見逃さずにM1戦車は砲撃.
 エンジンルームに命中弾を浴びたT-72は爆発炎上.

 続けて2輌失ったイラク軍戦車隊・・・残るは1輌!
 しかしこのT-72は猛突進を掛けた!
 そして憎きM1戦車との距離を400メートルまで接近させ,125mm滑腔砲から放たれた高速徹甲弾を砲塔正面に命中させた!!

 こうして偉大なるT-72神は,見事に憎き邪神を打ち砕いたのである・・・Объект

                                               -完-











……というのは嘘で,実際には400メートルという距離で放たれた砲弾は確かに,砲塔正面に命中しましたが ,
装甲にちょっとした窪みを付けただけで弾き返されましたとさ.

\(^o^)/

 高価なダングステン弾芯ではなく,安価な鋼鉄製弾芯を使ったのが勝敗の分かれ目とされる.

 だがこのT-72の戦車長は切れ者で,迷うことなく傍にあった小砂丘の背後に隠れた.
 迂闊に逃走すれば砲撃の餌食になると判断し,操縦手の腕もあってすぐに隠れる事が出来た.

 それは大変見事な操縦捌きであったが,しかし運命の女神は彼らに微笑まなかった.
 小砂丘という地形とM1A1のテクノロジーが,彼らの運命を定めたのであった.
 M1の砲手は高感度の熱映像装置(TIS)に目を凝らして,小砂丘の上に異様な熱の陽炎が湧き上がっているのを探知.
 これはT-72のエンジンから吐き出された高温の排気ガスに違いなかった.
 これを見逃さなかったM1砲手は,砂丘のT-72が潜んでいる当たりに狙いをつけ砲撃.
 そして3発目の砲弾は,小砂丘を貫通し潜んでいたT-72に命中.
 優秀な乗員を乗せたT-72は爆発炎上した・・・

 3輌のT-72が1輌のM1A1(しかも動けない)に敗れ去ったのだ.

 たった1輌に・・・そうたった1輌に,

 そしてこの3輌の戦車を返り討ちにしたM1A1のもとに,ようやく2輌のM88戦車回収車が到着.
 回収作業が始まったが,60トンの鋼鉄の塊は泥に吸着して離れない.
 指揮官は敵に奪取されること恐れて,救援隊のM1戦車隊に砲撃破壊命令を下した.

 命令を受諾した小隊は砲撃を開始,120mm砲で2発撃ったが,一発目は正面装甲部に命中したため,跳ね返された.
 3発目にようやく砲塔弾薬庫に命中させ砲弾を誘爆させることに成功.
 ところが弾庫上部にあるブローオフパネルが設計通りに吹っ飛んで,砲塔内部を燃やすはずであった爆炎は車外へ.
 加えて自動消化装置も作動したので見事に失敗.

 結局生き残ったこのM1A1は3輌目のM88戦車回収車が到着して,ようやく引き上げられた.
 内部を調べると照準装置は損傷していたが,主砲は発射可能な状態だったという.

 そして不死身のM1A1は後方に送られて,砲塔を新品に交換し,また戦場へと舞い戻っていた.

 そういえば後々のイラク戦争でも,外路上で撃破されたM1A2を爆破処理しようとしたら,なかなか壊れなかったので,最終的にA-10地上攻撃機を呼んだという話があったな.

CRS@空挺軍 in mixi,2008年12月01日21:02

>救援隊のM1戦車隊に砲撃破壊命令を下した.

 つまり,敵戦車を撃破したワケですから,神の勝利でつね! (w`;

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・U <    沼の神様の!
  /JベタJ   \__________

ベタ藤原 in mixi,2008年12月01日 21:17

お沼に嵌って,さあ大変♪

CRS@空挺軍 in mixi,2008年12月01日21:02

▼ 「湾岸戦争大戦車戦」を読んでも,米軍の損害って半分は友軍からの誤射なんだよね.
 M1やM2が撃破された被害状況を調べてみたら,明らかに友軍のいる方角から撃たれてたり,被弾箇所を調べたら劣化ウランが検出されたり.
 そんな中でも奮戦して,米軍に損害を与えるイラク軍もいたりして,目から鱗なんですが.

軍事板,2012/01/10(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 何で最新鋭の米軍が,既に太平洋戦争当時で時代遅れだった戦艦なんか,湾岸戦争で使ってたの?

 【回答】
 朝鮮戦争でもベトナム戦争でも湾岸戦争でも出てるよ.
 対艦兵器としての戦艦は廃れても,上陸する側の対地兵器としては,圧倒的な火力とその持続性,また砲弾自体はミサイルよりも安いという事で,戦艦は使える兵器だったし,その大きさを利用してハープーンとトマホークも積めた.
 アメリカ軍くらい圧倒的な航空優勢と海上優勢があったからこそだけど.

 さらに士気にも良い効果をもたらす,と戦艦の信奉者たちは言う.

 でも,結局そのアメリカ軍からも,潜水艦等からの護衛必要で護衛用の船というコストの問題と,古くてこれ以上近代化出来ないし(゚听)イラネ って言われて除籍.
 汎用性も空母ほどではない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 湾岸戦争で戦艦がトマホークの発射を行ったらしいですが,トマホークを撃つだけなら他のイージス艦あたりでも出来ると思います.
 戦艦のほうがトマホークをたくさん積めるとかの利点があったのですか?

 【回答】
 あれは戦艦を現役復帰させるにあたって,16インチ砲と5インチ砲だけでは1980年代の軍艦としてはあまり戦力にならないから,とりあえず現用艦に載せてる装備を積んだだけ(だけってことはないが・・・).

 ただ,1980年代後期から90年代初頭にかけてはVLS装備艦は僅かだったので,駆逐艦や巡洋艦はトマホークは4連装発射機を2基積むのがせいぜいだった.

 アイオワ級は4連装発射機を8基も積んでいたから,通常の艦4隻分の搭載能力があったことになり,艦体が大きい分搭載能力――つまりは戦闘能力ー―も大きいという戦艦の利点を大いに発揮したと言える.

 湾岸戦争に投入されたトマホーク発射能力の有る艦艇は,
アイオワ級戦艦2隻(Mk-143ABL8基装備)
ヴァージニア級原子力巡洋艦2隻(Mk-143ABL2基装備)
タイコンデロガ級イージス巡洋艦8隻(Mk-41VLS2基)
スプルーアンス級駆逐艦6隻(Mk-41VLS装備艦4隻,Mk-143ABL装備艦が2隻)
ロサンゼルス級攻撃原潜5隻(VLS4隻,魚雷発射管1隻)

 湾岸戦争における水上戦闘艦のトマホーク発射数は以下のようになっている.

 駆逐艦は
スプルーアンス級のネームシップDD-963「スプルーアンス」が2発,
同級DD-970「カロン」が2発,
DD-984「レフトウィッチ」が8発,
DD-991「ファイフ」が60発,
DD-964「ポール・F・フォスター」が40発.

 戦艦は
BB-63「ミズーリ」が28発,
BB-64「ウィスコンシン」が24発.

 原子力巡洋艦は
ヴァージニア級CGN-38「ヴァージニア」が2発,
同級CGN-40「ミシシッピー」が5発.

 イージス艦は
タイコンデロガ級CG-52「バンカー・ヒル」が28発,
同級CG-53「モービル・ベイ」が22発,
CG-55「レイテ・ガルフ」が2発,
CG-56「サン・ジャンセント」が14発,
CG-58「フィリピン・シー」が10発,
CG-59「プリンストン」が3発,
CG-60「ノルマンディ」が26発.

 この内,DD-991「ファイフ」とDD-964「ポール・F・フォスター」のVLSは,総てトマホークで埋まっていた,と,言われている.
(90年10月〜91年3月まで湾岸に展開し,その間,洋上での再装填を行っていない為)


 【質問】
 湾岸戦争に参加したアイオワ級戦艦は,艦砲射撃をしたのですか?

 【回答】
 ミズーリとウィスコンシンが海兵隊の陽動作戦の支援のため,海岸から20kmであわせて300発あまりをクエート市内のイラク軍に発射.

 それを含めてミズーリとウィスコンシンは83回の射撃任務を行い,合わせて1102発を発射.
 投射重量は約982トン.
 平均射程距離は約35km.

 事前調整による射撃が64%
 戦艦の随意目標射撃が30%
 地上部隊からの要請射撃が6%

 弾着観測を行った52回の艦砲射撃のうち,37回の戦闘損害評価が得られている.
約30%が中程度から完全に破壊の判定
約40%は軽微な被害

 点目標に対する射撃は,目標の28%が大損害から無力化・破壊と評価されている.

軍事板,2006/01/07(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 湾岸戦争時に米艦隊で行われた化学戦防護訓練は,どのような内容のものだったのか?

 【回答】
 出港間もなく,全乗員にガスマスクと毒ガス防御服が支給され,何度も装着訓練が行われた.
 訓練は部隊ごとに数人のグループに分かれて行われ,確実に,制限時間内に装着できるようになると,特別に訓練を受けた検査官のテストを受けた.
 テスト内容は,照明のない,真っ暗な特設部屋に数人で入って行われる.
 最初は雑談.そこに突然催涙ガスが部屋に流し込まれ,そこから30秒ほどして,暗闇の中でのマスク装着をしなければならない,というもの.

 また,GQ訓練でもガスマスク着用の指示が出された.

 詳しくは,ジロミ・スミス著『空母ミッドウェイ』(光人社,2006.2.14),p.173-179を参照されたし.


 【質問】
 湾岸戦争中,空母ミッドウェイでGQが発令されたことはあるのか?

 【回答】
 イラク軍のミグが接近して来たときに,発令されたことがあるという.
 そのミグは,サウディアラビア軍のF-15に撃墜されたので,ミッドウェイが実際に対空射撃したり,被弾したりすることはなかった.

 詳しくは,ジロミ・スミス著『空母ミッドウェイ』(光人社,2006.2.14),p.192-195を参照されたし.


 【質問】
 湾岸戦争中,空母ミッドウェイで行われた「ノンスキッド作戦」とは?

 【回答】
 作戦行動が始まると,同艦航空機のフライト回数は,普段の訓練の倍以上に増加.
 2基しかないカタパルトは1基が故障することもあり,昼夜休まず艦載機が飛行甲板上を動きまわった結果,飛行甲板全体に塗られている滑り止め「ノンスキッド」が剥げてしまい,横揺れすると艦載機が滑って,数十人がタックルして滑る艦載機を止めるようなことが日常的に起きた.

 そのため,航海中に飛行甲板全体にノンスキッドを塗り替えるという前代未聞の作戦が行われた.

 艦内には,部分修理できる程度の量のノンスキッドしかなかったので,他の空母3隻からそれを調達.
 数種類の工具で,古いノンスキッドを全て剥がし,特殊な洗剤で飛行甲板を洗浄.ここまでで3昼夜.
 次にデッキ表面にペンキを塗り,ペンキの乾いたところから順にノンスキッドを塗っていった.

 通常の入港中には,1ヵ月かけてノンスキッド塗り替えが行われるところを,ミッドウェイでは6日で完了したという.

 詳しくは,ジロミ・スミス著『空母ミッドウェイ』(光人社,2006.2.14),p.196-198を参照されたし.


 【質問】
 湾岸戦争で最も能力の高かった空母は,最新鋭原子力空母ではなく,ミッドウェイだった,というのは本当か?

 【回答】
 ジロミ・スミス著『空母ミッドウェイ』(光人社,2006.2.14)によれば本当.
 当事者なので,贔屓感情はあるかもしれないが.

 彼によれば,艦載機1機の1日の平均フライト時間は,他の4隻の空母よりも多く,しかも,戦争中,ミッドウェイ艦載機だけが1機も失われることがなかった.
 そのため,ミッドウェイのオペレーション能力が,他の度の空母よりも高かったと,正式に認定されたという.

 もっとも,そのためにかなりの無茶をしたようで,本来なら「飛行停止」になるような破損,故障した機体も,「特別応急措置」をして飛ばしたという.

 詳しくは同書p.200 & 207-208を参照されたし.


 【質問】
 湾岸でB-52が1機失われたと聞きましたが これはSAMによる被害ですか?

 【回答】
 1991年2月3日にB-52G (59-2593)がディエゴ・ガルシアに帰還中にインド洋に墜落し,乗員三人が死亡しています.
 これは電気系統の故障によるエンジンストールに起因するもので,非戦闘損失とされています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE


 【質問】
「湾岸におけるトーネードの滑走路攻撃は成功しており,損失率も作戦の性質から考えれば大きなものではない.
 というか最初から高空攻撃してたらボコボコですがな」
という話を聞いた覚えが有るんですが,実際のところはどうなんでしょ?

VF-22

 【回答】
 『湾岸戦争データファイル』(河津幸英著,アリアドネ企画,2001.5)によると…….

 イギリスのトーネードGR−1は597回出撃し,低空侵入による滑走路破壊ではJP233を106発投下.
 同機は7機が撃墜され,その原因は
対空砲 1
赤外線SAM 1
レーダーSAM 4
不明 1

 これは多国籍軍の航空機の中で,最も多い被撃墜数.
 飛行場攻撃は,71箇所の飛行場のうち44箇所に損害を与えたが,JP233による破壊は子爆弾で小さな穴を開けただけなので,翌日には塞いで復旧できたという.

唯野

以上,「軍事板常見問題 mixi支隊」より

 ソースがアリアドネ企画である点に正確の上で不安はありますが,数値まで間違っているということはさすがにないでしょう,多分…….


 【質問】
 wikipediaのアメリカの戦争犯罪の項目に,「死のハイウェイ」というのがあるのですが,撤退中のイラク軍に爆撃を加えたことを戦争犯罪と主張するグループがいるのですか?
 敗走する敵に爆撃を加えることが戦争犯罪とは思えないのですが・・・

 【回答】
 戦争犯罪ではありません.
 追撃は軍隊の重要な仕事です.
 単に戦闘に負けただけでは,エリアを失っていくらかのダメージを受けたにすぎません.
 追撃して敵戦力を無力化しないと,ナポレオンの二の舞いになるだけです.

 ってなわけで,戦争犯罪と主張するグループとやらがいたとしても,無知か無知なふりをしてるだけ.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 湾岸戦争時にパトリオットミサイルで,スカッドミサイルを撃墜したそうですが,
@このスカッドって何型ですか?
APAC-2で迎撃可能ということは,中SAMでもスカッドを迎撃できるかもしれない?

 【回答】
 イラクの使用した弾道ミサイルは,SS-1CスカッドB(R-17) とそれの国産改良型である「アル・フセイン」.
 アル・フセインはスカッドBの弾頭重量を減らした代わり,燃料搭載量を増やして射程を175%延長させた.
 ただし設計に無理があったのか,命中精度が低下したのと,飛翔中の制御バランスが悪く,空中分解するものが多発した.

 03式中SAMには潜在的な弾道弾の迎撃能力があるとされる.
 ただし今のところ.公式には弾道弾迎撃能力があるとはされていない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 湾岸戦争での『任天堂』GBの活躍について教えてください.

 【回答】
 かのメーカーに関する都市伝説は枚挙のいとまがない.

 曰く,
 湾岸戦争でスカッドミサイルの破片が落下し,火災が起きた兵舎の中から発見されたGBが可動した.

(曰く,
 GBの試作機を社長に見せたとき,社長はその試作機を手に取ると,徐に壁に投げつけた.
 そして,壁に投げつけられても,試作機が機能に問題なく動いてるのを確認すると,
「売ってヨシ!」
 との許可を与えた)

 曰く,
 湾岸戦争中,米陸軍が
「弾薬よりもGBを送れ!」
と本国に要請した.

 湾岸戦争以外でも,……

 曰く,
 ファミコンが壊れ,子供に
「早く修理して!」
と云われた母親が,思い余って任天堂本社に駆け込んで来た時,
「それは大変でしたね」
と,母親の対応に社長自らが出てきた.
 そして本社勤務の技術系社員に命じて,その持ち込まれたファミコンを一時間足らずで修理させた.

 曰く,
 アメリカでGQが故障し,ユーザーがサポートセンターに電話すると,
「OH! 近所やないけぇ〜 直ぐ持ってこいや! 直したるけん! Yhaaaaa〜」
と,云われたんで,ユーザーがサポートセンターに持ち込むと,ものの30分で修理してみせた.

 曰く,
 GBを誤って,二階から道路へ投げ落としてしまったとき,たまたま通りかかったトラックにGBが轢かれ故障.
 それを修理に出したところ,任天堂の人が,
「こんな壊れ方をしたものを見るのは初めてなんで,一体どんなことをされたのか教えて頂きたくて」
と,修理の終わったGBを持って自宅まで来た.

 曰く,
 母親がファミコンを洗濯機の中に隠し,誤ってそのまま洗濯.
 洗濯した直後はさすがに動かなかったが,洗濯物と一緒に干したら動くようになった.

 曰く,
 保障期限が切れていても,タダで修理してくれた.

 ……

 どこまでが本当で,どこまでが事実無根の噂なのかは分かりませんが,任天堂の相談役が,京都大学医学部付属病院に入院したとき,病院があまりのもボロボロだったので,退院後,70億円をぽ〜んと寄付したのは本当 (w`;

ベタ藤原 in mixi,2007年04月27日20:31

 そのGBとは,もしかしてこのことではないでしょうか?
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070103_gulf_gb/

kuma in FAQ BBS


 【質問】
 湾岸戦争において,莫大な拠出金を出したにも関わらず,なぜ日本は感謝されなかったか?

 【回答】
 中東石油への依存度や経済力に比べ,それほど突出した拠出とは言えないため.

湾岸戦争の戦費における各国の負担
(単位:100万ドル)
資金拠出内訳 約定額
サウジアラビア 16,839
クウェート 16,057
日本 10,012
ドイツ 6,572
アラブ首長国連邦 4,088
韓国 355
その他 29
上記各国の合計 53,952
アメリカの支出 約7,000
費用総額 約61,000

アメリカ政府による,湾岸戦争「最終報告書」より

 経済規模を考えればドイツは日本並み,サウジに至っては体力に余る出血.
 事実,サウジはこれによって莫大な対外債務を抱えるようになった.
 サウジにしてみれば,それこそもっと感謝してもらいたいものだろう.

サウジアラビア

1.主要産業 石油(01年 日量876万バーレル生産),LPG,石油化学
2.GNP 1,705億ドル(2000年)
3.一人当たりGNP 7,746ドル(2000年)

クゥェート

2.GNP 292億ドル(99年)
3.一人当たりGNP 13,522ドル(99年)

ドイツ

GNP約2兆ドル

日本

GNP約4兆ドル

 見ての通り,日本の20分の1規模のサウジが日本と同等以上に出している事を考えれば,日本はあまり威張れたものでもないと思う.
 たくさん出していることは確かだが,もし日本が中東地域から石油を一滴も輸入していないのなら出さなかっただろうし,単なる安全料金という程度と見なされても無理はない.

unknown

▼ また,ケヴィン・メアによれば,日本のお役所は武器輸出三原則の下,物資協力の中身に細かく注文を付け,アメリカ側を怒らせたという.
 当時のアメリカ側当局者は,これについて以下のように述べたという.
「110億ドルもの巨額資金をプレゼントしていながら,相手をカンカンに怒らせる.そんなお役所は日本だけだね」
 詳しくは,ケビン・メア『決断できない日本』(文春新書,2011.8.20),p.195-201を参照されたし.

 なお,これについて日本外務省の責任が問われたことは,その形跡すら寡聞にして知らない.▲


 【質問】
 湾岸戦争におけるイラク軍の損害は?

 【回答】
人的損害:33万6000人中,死者1万5000〜2万2000人,負傷者空爆だけで2万数千人,捕虜8万6000人,逃亡10万人以上

海軍:187隻中,143隻を喪失.対艦攻撃能力を持つ高速ミサイル艇は13隻全て撃沈.
空軍:724機中403機を喪失.(イランへの退避・捕獲を含む).一線級の全天候戦闘機は159機中101機を喪失.
陸軍:戦車5800両中2633両,装甲車1万1200両中1668両,野砲3850門中2196門をそれぞれ喪失.

 ソースは『軍事解説 湾岸戦争とイラク戦争』(河津幸英著,アリアドネ企画)なので,米軍の見解であることには注意されたし.

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 湾岸戦争でアメリカは何故フセイン政権を潰さなかったんですか?

 【回答】
 まず,国連決議をどう解釈しても,イラク本土進攻を肯定する解釈とはならなかった.
 次にアメリカ内部には,放っておいてもじきにフセイン政権は倒れるだろうという楽観論があった.
 第3にアメリカは,仮にイラクが崩壊した場合,米軍が長期駐留しなければならなくなることを嫌った.
 第4にアメリカは,イラク崩壊によってイラク南部に我が国の影響が増大したり,クルド分離独立運動が盛んになって,トルコにそれが波及することを恐れた.

イラン前国防相 ◆2ahDXUlKbw

 まず90年8月にクウェートが占領されてから以降精力的にイスラム諸国に欧州諸国を始めとする各国を回って外交をして協力,支援,援軍を頼んだんだけど,その大義ってばクウェートをイラクの占領から解き放つことになったから.
 そして,確かに米政府はフセイン政権が崩壊するのは期待していたが,形としては軍内部のクーデターを考えていた.

大体,こういう感じだと思う.

湾岸戦争で壊滅したイラク軍戦車隊
(画像掲示板より引用)


 【珍説】
 湾岸戦争で勝ったのはイラクの方なんです.
 戦争当初のアメリカの戦略目標は,クェート奪回ではなく,フセイン政権を打倒して親アメリカ政権を樹立させることにより,湾岸地域でイランに対する楔を打ち込み,かつ,イスラエルと共同戦線を図り,イスラム圏におけるアメリカの支配権の確立が目標でした.
 イラクの戦略目標は体制の絶対維持.それのみです.
 結果,散々痛めつけられましたが,イラク本土は守り抜きました.
 一方,当時アメリカの大統領であったブッシュ大統領は,若い大統領候補クリントンに敗れ去りました.
 戦争で負けたはずの大統領はそのまま在任し,戦争で勝った方の大統領が大統領の座を奪われる.この一点を見ても,どちらが真の勝利者であるか自明だと思います.

 【事実】
 馬鹿げてる.
 米国大統領の交代=戦争の敗北であるというのなら,天皇がそのまま在任した一方,大統領がルーズベルト⇒トルーマン⇒アイゼンハワー⇒……と交代したアメリカは,太平洋戦争の敗者だという理屈も成り立つ.

 フセインは別にイラク本土を守り抜いたわけでもない.多国籍軍が,自分の都合で引いただけだ.
 湾岸戦争でなぜ多国籍軍がフセインを打倒しなかったかと言えば,国境,国家の再編への動きを恐れたからに他ならない.
 クルディスタンの分離は,即シリア,トルコ,イランに飛び火する.
 アルメニアやトルクメンの問題も生じるだろう.
 イラク南部に自決権を与えれば,イランが食指を伸ばしてくる.そこに民族性を加味すると,こんどはイラン南西部の分離という罠に嵌る.
 残されたイラクの内,メソポタミアの農民はシリア東部との一体感をもつだろうし,西部の遊牧民達は,シリア砂漠,ヨルダン,サウジ北部のかつての栄光に郷愁を感じるかもしれない(つるめそ,世界史板)

 さらに,「ブッシュ政権は,湾岸戦争が米ソ冷戦構造後初めての地域紛争処理の試みであったことから,できる限り『国連』を前面に出し,国際社会による新たな国際秩序維持システムの確立という形態をとろうとした.クウェイトからイラク軍を撤退させるための湾岸戦争,という位置付けで戦闘を開始した以上,目的を達成してもなおイラク本土へ進軍を続けることは,国連決議をどう解釈しても難しいことだったと言えよう.
 その一方で,戦後フセイン政権はどの道自壊するだろう,という楽観論があったことも否定できない.実際,後述するように,停戦直後にイラクでは,南北からバクダードを挟み込むような形で全国暴動が発生している.フセイン政権は早晩倒れるだろう,と見ていた観察者は多い.
 さらには「フセイン後」について明確な青写真をブッシュ政権が持っていなかったことも,積極的な「フセイン降ろし」を控えさせた要因であった.チェイニー国防長官(当時)は,同じ年にワシントン近東研究所で行われたシンポジウムで,次のように疑問を投げかけている.
『フセイン後の政権はどうするのか? 次期政権ができるまで,どれだけの期間,我々はバグダードにいなければならないのか? 米軍が撤退したら,イラク新政権はどうなるのか? いつも不安定なこの地域に安定を築くために,どれだけの犠牲をアメリカが払う必要があるのか?』
 このとき最も問題視されたのが,イラクが崩壊した場合にイラン,あるいはその傀儡勢力が,この地域で勢力拡大することであった.イラン・イラク戦争で疲弊したとは言え,アメリカや親米湾岸産油国は,このときまだ『イラン革命の輸出』の危惧を捨てきれていない.
 また,これまで強力な中央政府軍によって抑えつけられてきたイラク国内のクルド民族が,フセイン政権崩壊と共に政治的に台頭するだろうことも,アメリカには心配の種であった.クルドがイラクから分離独立するなどということになれば,NATO加盟国であり,同盟国であるトルコに,大きな損害を与えることになる.クルドに権利を認めない,という点では,トルコもまたイラク同様,抑圧的な政策をとっているからだ.
 こうしたことから,アメリカを初めとする戦勝国は,フセイン政権の維持存続を黙認するしか選択肢がなかった」(酒井啓子『イラクとアメリカ』)

 もし仮に「戦争当初のアメリカの戦略目標が,イスラム圏におけるアメリカの支配権の確立」であったなら,フセインをそのままにしてイラクから撤退したりはせず,今度の戦争でアメリカがそうしようとしているように,そのままイラク全土を占領し,親米政権を同国に誕生させ,イラクを恒久基地としただろう.

 イラクの戦略目標が「体制の絶対維持」などでないのは,一番最初に論じたように, その本当の狙いは.国内の不満をそらすことと.クウェイトの油田.そしてイラク自身の原油のペルシャ湾への積み出し港の確保だったと言われていることから明らか.


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