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テロリズムFAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【link】

「VOR」◆(2012/02/11)ウズベク人 米大統領暗殺計画を告白

「VOR」◆(2012/10/18)バングラデシュ移民,NYのFRBビル爆破テロ未遂

「VOR」◆(2012/11/02)米国防総省爆破を計画した米国人に禁固17年
> この米国人はマサチューセッツ州出身で27歳のイスラム教徒で,米国防総省と米議会を爆発物を積んだラジコン機による攻撃を計画したとされている.

「日本語で読む中東メディア」◆(2010/11/04)タクスィム自爆テロ,犯行指示はRojTVから? (Zaman紙)


◆◆◆トルコ


 【質問】
 ネジメティン・エルバカンとは?

 【回答】
 トルコのナクシュバンディ教団再興の旗手となったのは,同教団の有力指導者の一人.
 1926年10月,黒海沿岸,シノップ県生まれ.
 イスタンブール工科大学機械工学部で学び,機械工学の科学修士号を取得.
 51-52年,内燃機関講座の助手を務めながら,卒業論文を終える.
 また,この両年,西ドイツ・アーヘン工科大学の熱力学・内燃機関講座で博士号取得と助教授就任に備える.
 53年,助教授になり,クレーナー・フンボルト=ドイツ・プラントで,調査研究担当の主任技師を務める.
 56-60年,イスタンブール工科大学内燃機関講座の助教授を務めながら,トルコ初の内燃機関プラントを立ち上げる.
 65年,教授昇進.
 66-69年,教授を務めながら,トルコ商工会議所連合会産業部長,事務局長,会頭を務める.
 69年,無所属で,コンヤ県から国会議員に選出.
 70年以降,イスラーム主義政党を設立,教団信徒を選挙基盤に政権掌握を図った.
 何度か弾圧されながら,イスラーム主義政党を再建.「国家秩序党」「国家救済党」「繁栄党」党首を歴任.
 74-78年,副首相.
 95年12月の総選挙ではエルバカン率いる「繁栄(福祉)党(RP)」が得票率21%で第一党に躍進.
 96年6月,中道右派の「正道党」と連立して,エルバカン首班の政権が誕生.

 しかし,97年2月から軍部が本格介入する.エルバカンのイスラーム主義主導政府が,トルコの国是,政教分離の世俗主義を危うくすると見なしたからだ.トルコ軍部は,ケマル主義の擁護者を辞任している.
 エルバカンはこれに抗しきれず,同年6月,辞表を提出して,RP主導政府は崩壊.
 98年1月には,トルコ憲法裁判所は,RPの活動がイスラーム教に基づいており,憲法が定めた政教分離の世俗主義に反するとの判決を下した.
 この結果,RPは解党され,党の全資産は国家が没収.エルバカンを含めた党執行委員7人は,政党活動を5年間禁止され,内,国会議員6人は議員資格剥奪.
 繁栄党の国会議員や党員は解党を予期し,97年12月に設立していた後継の「美徳党(FP)」に集団入党.
 しかしFPも2001年6月,憲法裁判所から「政教分離を定めた憲法に抵触する」として違憲判決が出され,解散させられた.
 また,その後継政党は「幸福党(Saadet)」と「正義進歩党(AKP)」とに分裂した.

 エルバカンが91年に著した「正義の経済精度」によれば,彼の歴史観は,
 (1) 世界史の中で「正義の文明」と,それとは逆の,最強者の権力を基盤にした不正な文明が,交互に立ち現れてくる
 (2) 帝国主義とシオニズムが「悪の根源」
 「正義の経済制度」が現行の資本主義と決定的に異なるのは,「利子と,その結果生じる独占および高利貸しの否定」※だ.

 エルバカンが「悪の根源」と見なす「帝国主義」を,「イスラーム世界を植民地支配する欧米キリスト教社会」と言いかえると,エルバカン史観の言わんとするところが,よりはっきりする.
 「悪の根源」派「欧米キリスト教社会」とシオニズムの連合勢力,つまり「西側のキリすと・ユダヤ教世界」であり,イスラーム過激原理主義者,例えばウサマ・ビン=ラーディンが非難してやまない「イスラーム世界を襲う新十字軍」そのものだ.

(藤原和彦=中東調査会参与 from 「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.149-157,抜粋要約)

 ※バーキルッ=サドル「イスラーム経済論」参照.


 【質問】
 エルバカンとナクシュバンディ教団の関わりは?

 【回答】
 米アメリカン大学のシェリフ・マルディン教授が1991年に刊行した「トルコの歴史におけるナクシュバンディ教団」は,次のように指摘する.

「1958年,〔同教団の20世紀最大の指導者とされる〕メヘメド・ザヒド・コトク師は,(イスタンブールの)イスケンデル・パシャ・モスクに移り,80年に死去するまで同モスクに留まった.
 コトク師の戦略の幾つかの面は明白に,社会に関わる教団の姿勢を継続させることだった.

 師はまず,自分を中心にしたサークルを作った.
 このサークルに参加した人達が,70年代から80年代にかけてのトルコ政治のキー・パーソンとなった.
 この中には,トルコ最初のイスラーム教政党を作ったネジメティン・エルバカン博士,元首相(トゥルグト・オザル元首相・大統領を指す)の実弟コルクト・オザル氏,トルコで最も影響力のあるイスラーム主義紙『ザマーン』の発行人メヘメト・シェブケト・エイギ氏が含まれる.

 コトク師は,2つの飛び抜けた発展を促進し,また,貢献した.
 第1に師は,(トルコ社会の)模範となるイスラーム教的産業プラントを設立するよう,エルバカン氏を説得した.
 第2に,イスラーム教の大義を取り上げる日刊紙『サバハ』の68年の発刊に影響を与えた.

 師が(20世紀後半のトルコ社会に)与えた影響は,真剣に検討しなければならないものだ.
 師がモダニティに異常なほど敏感だった事は,現在,アンカラ大学神学部教授のエサト・ジョシャン氏を養子に選んだことでもはっきり窺える.ジョシャン教授は教団の後継者である」

(藤原和彦=中東調査会参与 from 「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.154-155,抜粋要約)


 【質問】
 トルコのスーフィズム教団の状況は?

 【回答】
 やや古いが,ある西側外交官が80年代末に纏めた報告書によると,

●ナクシュバンディ教団
 トルコ語の組織名がナクシベンディレルで,「スンニー派の伝統的なタリーカ〔教団〕であるが,布教の過程で分裂しており,現在,十分には組織化されていない.
 (中略)
 支持者(勢力)は全国的に広がっており,250〜400万人.
 クルアーンの教えに従い,イスラームの戒律(断食,祈り,巡礼,記者)を実践する際,神を想起しつつ瞑想すべしとの教え」とある.

●カディリレル
 このタリーカはナクシベンディレル同様,伝統的なものだが,中央組織がなく,特定の指導者もいない.
 勢力も把握しきれていない.
 クルアーンの言葉にある表面的なものと実体的なものの双方を実践すべしと教える.
 政治的動きが少なく,政治的影響力も少ない.

●ヌルジュルック
 創始者はサイディ・ヌルシ(1873-1960).現在,フェトフッラー・ギュレン師とクルクンジュ師(エルズルム)の2大勢力がある.
 250-400万人.
 トルコ共和国建国以後の諸制度は全てイスラーム教と乖離しているとし,イスラーム法の回復,男女平等否定,夫人の国家機関就労禁止,チャルシフ(婦女子の頭部から足に至るまでの肌を覆う衣類)着用を主張.

●ウシェックジュルック
 創始者はヒュセイン・ヒルミ・ウシュク.現在の指導者は,その娘婿エムレル・オウレン(チェルキエ・ガゼテ紙社主).
 勢力不明.

●スレイマンジュルック
 創始者はスレイマン・ヒルミ・トゥナハン(1888-1959).
 よく組織されており,現在の指導者はケマル・カチャル師.
 勢力はアンタリヤ県を中心に,イスパルタ,ブルドゥル両県などで,150-200万人.
 国法は唯一イスラーム法であるべしとする.
 男子はタッケ(男性が礼拝の際に着用する,柄模様を織り込んだフェス=トルコ帽=に似た特別な防止)を着用.
 婦人の就労および女子の就労禁止,婦女子のチャルシフ着用などを主張.

(藤原和彦=中東調査会参与 from 「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.157-158,抜粋要約)


 【質問】
 トルコのイスラーム過激派は,どのようなことを行ってきたのか?

 【回答】
 世俗主義国家の体制を揺さぶろうとして,言論人や知識人・実業家などを狙った散発的な暗殺を続けている.
 以下,ソース.

 ただトルコにも,色々なイスラム過激派が社会の中に潜伏し,世俗主義国家の体制を揺さぶろうとする挑戦的態度を崩していない.
 特に90年代に入る前から,言論人や知識人・実業家などを狙った散発的な暗殺事件が続いており,厄介なことに大半が未解決のままだ.
 また,一般市民の間にも原理主義志向に挑発される人々が増え,93年には,狂信的な放火殺人で37人もの文化人が犠牲になる悲劇も起こった.
 こういった勢力が,他の一部のイスラム国家から支援を受けたり,かつてヨーロッパに出稼ぎに行ったトルコ人移民社会の中に,資金源となる拠点を作っているのも周知の事実だ.

(野中恵子=現代トルコ研究者 from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.191)


 【質問】
 トルコ軍次期参謀長ブュカニット大将に対し,中傷キャンペーンが行われているのは何故か?

 【回答】
 イスラミストにとっては,タカ派で実力がある参謀総長の出現は,彼らの理想を実現する上での障害となるからだという.
 以下引用.

〔略〕
トルコのイスラミスストの目からみれば,タカ派で実力がある参謀総長の出現は,イスラミズムに対する脅威となる.
 彼等は,トルコを世俗主義からイスラム主導の国家へ変えようとする.
 このような軍人は,その努力をはばむ勢力とうつる.

 2006年8月に就任を予定されている次期参謀長ブュカニット大将(Mehmet Yasar Buyukanit)は,テロリズムに宥和せず,反イスラミストとして知られる直情径行型の軍人である.

 昨年から,中傷キャンペーンが始まった.勿論目的は,就任を阻止することにある.

 〔略〕

 ブュカニット大将追い落しを望む勢力は,何をもくろんでいるのであろうか.
 アタチュルクの衣鉢を継ぐ愛国の兵士という誉れも高い大将であるが,その大将のイメージを傷つけ世論を混乱させる.これが狙いのひとつのようである….

 この追い落とし計画は,ギューレン派の日刊紙Zaman,宗教勢力(イスラミスト)と分離主義者のウェブサイトが推進している…
 数年前このイスラミスト指導者は,空軍司令官ジョレクチ大将(AhumetCorekci)をターゲットにした.
 空軍司令官が,空軍の士官及び下士官を対象にギューレン支持者を調べて,一人ひとり識別したからである….

 当時,エスキシェヒル空軍基地の居住区では,下士官の妻君達が頭からブルカをすっぽりとかぶり,中佐が部下の下士官に敬意を払い,その手に口づけする光景がみられた(その下士官はギューレン派の幹部であった)….
 空軍司令官の次に狙われたのが,マルテペ機甲軍団司令官シラフジョール大将(Silahcioglu)である.
 このイスラミスト紙Zamanが「軍団司令官,モスクのミナレットを破壊」と報道(誤報だった)したことに端を発し,追い落としのキャンペーンが張られたのである.
 ちなみに軍団長もアタチュルク信奉の愛国兵士であり…ギューレン派は心よく思っていなかった.

 何の証拠もないのに陸軍司令官ブュカニット大将を狙いうちにする宗教勢力の一派は,全員AKP政権の傘の下にいるのではないか.
 その傘の下でギューレン派は,司法に影響を及ぼし,メディアを動かすだけでなく銀行家を慴伏せしめる政治力を持っている.
 信奉者達が全員銀行口座から預貯金を全部引出してしまう,と脅しをかけるのである…
 ギューレン派は政治経済力の行使法を心得ている.司法当局,警察,政界そして財界に影響力を浸透させる点では,プロ並みの専門家である…※14.

※14 2006年3月7日付 Cumhuriyet, HikmetCetinkaya

MEMRI, 2006/4/15



 【質問】
 具体的にどのような中傷キャンペーンが行われているのか?
 【回答】
 ユダヤ人であるとする中傷や,不当な告訴が行われているという.
 その手始めが,各種サイトを通したブュカニット大将の血統を問題視した誹謗である.
 つまり大将は,純血の<gルコ人ではなく,その出自はイスラム教に改宗したユダヤ人(サバテアン)であるとし,サバテアンの伝統に従って,大将の娘は血統証明付き<Tバテアンと結婚した,と主張する.
 大将の家系図をトレースしたサイトもある.大将が本物≠フトルコ人ではないことを証明≠キるためと称して,一族全員の名前と市民権・身分証番号を羅列しているのである※1.
 このサイトは,
「勇気があるなら,ユダヤのドンメー(イスラム教改宗のユダヤ人)でないことを自ら証明せよ」
と表題をつけ,大将に挑戦している※2.

 サイトを通した攻撃に続いて,2006年3月初旬には,ブュカニット大将を相手どった告訴問題が生じた.PKK(クルディスタン労働者党)所属クルド系前議員の所有する書店が,爆破された事件に関わるものである.
 事件は2005年9月,クルド族が主に住むセムディンリの町で起きている※3.
 この告訴状はワン市の地方副検事長が準備したものだが,名前をサリカヤ(Ferhat Sarikaya)といい,2005年10月にワン市のユズンジュ・ユル大学(Yujuncu Yil University,YYU)学長ユジェル・アスクン教授(Yucel Askin)を監獄へ送った本人である.
 ちなみにアスクン教授は,イスラミストの学内活動をストップさせたことで知られる※4.

 ブュカニット大将告訴は,トルコ政界に嵐を呼んだ.
 軍部はこの告訴を,イスラミストによるトルコ軍(TSK)に対する攻撃と位置づけ,トルコのイスラミスト指導者ギュレン(Fethullah Gulen)の部下や数名の政権政党AKP(公正発展党)メンバーが関わっている,と指摘している※5.
 その後3月23日になって,トルコのメディアはトルコ治安機関情報局長ウズン(Sabri Uzun)の更迭を報じた.
 セムディンリ事件の背後に軍部ありと匂わせたためである.
 それから,副地方検事長についても,法務省調査でブュカニット大将を起訴するに足る確固たる″ェ拠はないことが判明した.

 次に紹介するのは,本件に関わるトルコ・メディアの報道内容である.

最初は大学々長,今度は軍司令官

 世俗派主流紙Hurriyetのコラムニストジョスキュン(Bekin Coskun)は,3月7日付で次のように書いている※6.
「(AKP)政府と世俗の共和制を守る機関及び思想とのミゾは深まるばかりである.
 今やその懸隔は一段と鮮明になり,双方の態度はますます硬化し,攻撃も頻繁になってきた.
 宗教派(イスラミスト)は冷静で柔軟な態度を棄てた.
 ゲームは終りである….
 最初は大学々長,そして今度は,次期参謀総長として就任が予定されているブュカニット大将である.
 大将に対する非難攻撃は,アタチュルク信奉公務員数千人を政府機関から追放した(AKP政権の)パージと,軌を一にする.矛先が軍の幹部に向けられたわけである」.

 3月6日付同紙では,コラムニストのユルマス(Mehmet Y. Yilmaz)が,「目的は頑敵ブュカニット打倒にあり」と題する署名入り記事で,次のように論評している※7.
「まず最初に彼等は,ブュカニット大将一族の人種的出自に冠するウソをばらまいた…
 そして今度は,ワンの検事問題を攻撃材料にしている.大将が司法に介入しようとしたというのである.
 セムディンリ事件関与を疑われた一兵士について,大将は私は本人を知っている.いい奴だ≠ニ言った.
 ところが,本人が犯人かどうかは,捜査によって判明する≠ニいう発言の後段部分が,なんらかの理由で削除されたのである…」.

 同じく世俗派主流紙Aksamのコラムニスト コヤタシ(Meric Koyatasi)は次のように書いている※8.
「政府の口から公言されたわけではないとしても,(AKP)政権に近い集団が,ブュカニット大将を阻止しようとしていることは,よく知られている.
 この検事は,シャリーア(イスラム法)による学内支配を許さなかったワンの大学(YYU)学長ユジェル・アスクン教授に対する告発で有名である….

 軍のあらさがしをして力をそごうとする勢力があることは,誰でも知っている.
 その連中は,共和国建国(1923年)以来,秘かに行動し組織化につとめてきた….イデオロギー,信仰,文化そして教育で染め上がった(司法制度に根づいた)偏見は,極めて,極めて危険である…」.

 世俗派紙で中道左派のCumhuriyetでは,コラムニストのシルメン(Ali Sirmen)が「軍に対する政治干渉」と題して,次のように論じている※9.
「AKP政権が,その独自のイデオロギーにもとづいて,トルコを変えようとしており,そのプロセスで軍部をターゲットしていることは,よく知られている….
 嘗てヤウス将軍(KemalYavuz)は軍はいつも 宗教に存在基盤をおく政権から,目の敵にされる=Cと明言した….

 ここで,奇妙な暗合をいくつかとりあげてみたい.
 AKP政権は,大学とりわけワンのユズンジュ・ユル大学とユジェル・アスクン学長を心よく思っていない.嫌っている.
 そこでワンの地方検事サリカヤ(Ferhat Sarikaya)が,舞台にあがって(アスクン)起訴にとりかかる段取りになったわけである.
 これは大半の司法関係者が拒否したのであった.
 AKPに近い勢力が次期参謀総長を嫌っていることも,周知の事実である.誰でも知っている.
 (そこで再び検事の)サリカヤが登場し,ブュカニット大将に対するいやらしい起訴を準備する段取りになったのである…」.

背後で糸を引くAKPとイスラミスト

 軍のトップは参謀総長である.就任をはばもうとするのは誰であろうか.
 セムディンリ事件の起訴が公けになった2006年3月初旬から,トルコのメディアはこの問題をとりあげるようになった.
 以下その報道概要である.

狂喜するAKPメンバー

 AKPメンバーのなかには,ワンの地方検事の(ブュカニット大将)起訴に狂喜している者がいる.
 彼(地方検事)は調査,検討のため起訴状を参謀本部検察官室へ送った.
 アディヤマン選出のAKP議員ウンサル(FarukUnsal)は,「ワン地方検事によって準備された起訴は,我々が手出しできないことを,やってくれたのである」と言った.
 一方,マニサ選出のAKP議員タスジ(HakanTasci)は,「我々が未完のままにしていたことを,なしとげてくれた…彼は正しいことをしている」と述べた※10.

AKPとトルコ国軍

 トルコの首相エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)は,「本件は軍と司法当局に関わる問題であり,AKPは関係ない」と述べている.
 しかし現実には,AKP議員達による声明は,いずれも起訴側に立つ内容であり,この地方検事を支持している.
 ブュカニット大将を相手取った告発に喜びを隠さない.国防軍を傷つけ打撃を与えることであれば,AKPは大いに歓迎するようである.
 陸軍の軍司令官名が起訴状にだされたのは,議会調査委員会(セムディンリ事件の調査を担当)におけるデアルバキール出身の実業家アルティンダー(MehmetAliAltindag)の証言,があったからである※11.
 この実業家は,同じデアルバキール出身AKP議員トルン(CavitTorun)の求めにより,委員会で証言したのであるが,同議員は,このアルティンダーがヒズボラとの関与容疑で裁判にかけられた時,弁護士として本人を弁護した人物で,両名は持ちつ持たれつの仲であった.

 証言は40人程の目撃者がおこなった.そのなかで地方(ワン)検事はアルティンダーの証言だけをとりあげるように求めた.
 セムディンリ調査委員会の委員長であるAKP議員サウチオル(MusaSavcioglu)は,他の委員に知らせることなく,この証言を秘かにワンの地方検事に送った※12.

ブュカニット大将捜査はAKPの報復か

 1983年,トルコのイスラミスト指導者ギューレン(FethullahGulen)率いるイスラミスト組織が急成長し―現在極めて広範囲に拡大している―クレリ幼年学校に80人の青少年達を候補生として送りこんだ.その学校長がブュカニット大佐(当時)であった.候補生達は,将来国軍の基幹になるのである….ブュカニット大佐を委員長とする5人編成の軍規委員会は,この80人を全員退学処分にした経緯がある.

そこで,ワン地方検事の告発は,1983年の報復であると思わざる得なくなる.AKPによって高位高官の地位を得たギューレン信奉者達の仕返しではないか,ということだ※13.


※1 www.ulusalihanet.com(トルコ語で国家反逆の意)

※2  トルコでは,非ムスリム社会出身は誰も制服着用の仕事につくことができない.軍隊(徴兵期間以後の職業軍人),治安機関,警察部隊がそうである.
 非ムスリム国民はひとりとして司法機関のメンバー(検事,裁判官など)になっていないし,政府省庁で幹部職についている者もいない(例えば,非ムスリムで外交官はひとりもいない).

※3 PKK(クルディスタン労働者党)は,クルド分離主義組織で,テロ組織としてアメリカのリストにのせられている.
 トルコはこの30年間PKKのテロと戦い続けてきた.テロの犠牲は優に3万を越える.
 最近PKKはテロをエスカレートしている.トルコ南東のクルド地方,イスタンブルで頻発し,連日のように犠牲者がでている.

※4 2005年11月1日付 MEMRI No.1043「トルコを世俗主義からイスラミズムへ変えようとするAKP政権(PartT)―トルコの大学との衝突」を参照.

http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=countries&Area=turkey&ID=SP101405

※5 ギューレン(FethullahGulen)は,筋金入りのイスラミストで,シャリーア(イスラム法)とカリフ統治の提唱者であるが,近年は異宗派間対話(トルコの世俗派,西側のイスラム研究者の間では,タキーヤとみなされている.信仰を隠すの意である)を提唱するなど,比較穏健なトーンをうちだした.
 世俗派政権に対するイスラミストの反政府活動で告発されて,アメリカへ逃げ1999年までそこで暮らした.
 彼の宗派は,日刊紙Zaman,テレビ局Samanyoluを含め複数のラジオ局を持ち,さまざまな雑誌を発行するなど,メディア手段を運用している.
 信奉者のなかには,政府省庁,警察,軍の職務についている者も多い.
 トルコ国内には,イスラム・トルコ・ギューレン学校が数千校もあり,ウクライナ,インドネシア,南アフリカ,スーダン,オーストラリア,中央アジア,ヨーロッパ,ロシア,アメリカを含む70ヶ国以上に,数百の学校をもつ.
 学校は彼の持つさまざまな基金で建設,運営されているが,金の出所は不明である.
 2006年3月には,学校が2校新たに開校した.アルゼンチンとスーダンに各1校である.AKP政権の大臣ツスメン(KursadTuzmen)が,スーダンの開校式に出席!した.
 ソビエト体制の末期には,支持者達が反ソ活動を展開し,黒海北方のイスラム社会に不安動揺の種をまいた,と信じられている.

※6 2006年3月7日付 Hurriyet

※7 2006年3月6日付 同紙

※8 同日付 Aksam

※9 2006年3月7日付 Cumhuriyet

※10 同日付Hurriyet,MehmetYilmaz

※11 トルコのメディアによると,ブュカニット大将告発は,アルティンダー(MehmetAli Altindag)の証言だけでおこなわれたという.
 デアルバキールの実業家アルティンダーは地方紙と地方テレビ局をそれぞれひとつ所有し,まずテロ組織のPKK,ついでヒズボラと関わりを持っているとして何度も告発されている.ヒズボラの資金源と呼ばれていたのも,彼である.
 巨額の金がからむ政府プロジェクト多数落札したことでも知られる.次の2紙を参照.

2006年3月7日付 Cumhuriyet

2006年3月20日付 Hurriyet

※12 2006年3月11日付 Yenicag, UmitOzdag

※13 2006年3月12日付 Hurriyet,EminColasan

 この記事は,
「軍規委員会は次の点も明らかにした.即ち,この生徒達は全員ギューレンの光の家≠ナ教育され,そのなかで優秀な者が大学へ送られた.将来判事,検事或いは官僚になるために,法学や政治学を学ぶのである.
 残りは幼年学校へ行き,軍士官の道をめざした.クレリ(幼年学校)は前出光の家≠フ存在を警察に知らせたが,警察は動かなかった.
(今日,この光の家≠ヘトルコ全土に数万ヶ所もあり,生徒を寄宿させ食事を与え,指導係を任命して教育している.すべて無料である.資金源は不明).

MEMRI, 2006/4/15

 【質問】
 このキャンペーンを,裏から糸を引いているのは誰か?

 【回答】
 首相官邸ではないかとする見解がある.

 以下引用.
反軍作戦は首相官邸で練られた一野党指導者バイカル言明

 CHP(共和国民党)党首バイカル(DenizBaykal)は,記者会見の席で今回の起訴事件について問われ,首相エルドアンの官房長ディンジャー(OmerDincer)が背後で糸を引張っているという噂をどう思うか,との質問をうけた.これに対し,バイカル党首は次のように答えている.
「官房長のメンタリティは,本人の発言,著作で明らかなように,トルコの世俗的民主的共和制を尊重するものではない.
 このところトルコでは,共和制の実績をないがしろにするのみならず,共和制の機構そのものに対し,意図的な攻撃が加えられている.
 今回の反軍作戦は首相とその官房長が組み,官邸で練られている」※15.

 ※15 2006年3月25日付 Hurriyet

MEMRI, 2006/4/15


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