c

「テロ別館」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

◆◆地域/組織別
<◆イスラーム過激原理主義テロリズム 目次
テロリズムFAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【Link】

「Reuters」◆(2013/05/31) Iran sponsorship of acts of terrorism increased in 2012: U.S. State Department report

「Strategy Page」◆(2013/04/29) LIBYA: The Slow Motion War On Terrorism

「Strategy Page」◆(2013/06/07) INTELLIGENCE: Saudis Scupper Iranian Intel Initiative
 サウディ,イランのスパイ10人を逮捕

「VOR」◆(2012/03/06)エジプトでまたガス・パイプライン爆破

「VOR」◆(2012/03/19)サウジのムフティー 教会破壊を呼びかけ

「VOR」◆(2012/05/03)米国 シリア情勢不安定化 アルカイダの責任認める

「VOR」◆(2012/06/09)ブリュッセル地下鉄 刃物ムスリムが警官攻撃
>ベルギーのブリュッセルにある地下鉄の駅で2名の警官が若者グループの身分証をチェックしていた所,イスラム原理主義者に刃物で攻撃される.
>犯人は取り押さえており,警官らは入院しているが,命に別状はなし.
>犯人は過激ムスリム団体「ベルギーにシャリアートを」のメンバーである53歳のフランス市民で,バランジの着用を禁止したベルギー政府に復讐する為,特別にベルギーにやってきたと語っている.

「VOR」◆(2012/06/21)トゥールーズの銀行で人質事件 アルカイダか

「VOR」◆(2012/06/29)中国 乗客がハイジャックを阻止
>中国新疆ウイグル自治区の地方便の航空機で6名が航空機をハイジャックしようとした所,乗員・乗客によって取り押さえられる.
>その際,乗員・乗客数人が軽症を負い,犯人らは航空機が空港に戻った後,警察に引き渡された.

「VOR」◆(2012/07/22)エジプト ガスパイプラインが爆発 15回目

「VOR」◆(2012/08/08)エジプト空軍の攻撃で20名以上が死亡 シナイ半島
「VOR」◆(2012/08/08)エジプト軍 シナイ半島で武装集団の掃討作戦続ける
「VOR」◆(2012/11/25)シナイ エジプト諜報機関の建物で爆発
「中東の窓」◆(2012/11/25)北部シナイ半島での大きな爆発
「中東の窓」◆(2012/08/06)エジプト・イスラエル国境でのテロ活動
「中東の窓」◆(2012/08/07)シナイ半島事件
「中東の窓」◆(2012/08/08)シナイ半島テロ事件
「中東の窓」◆(2012/08/08)シナイ半島てろ事件  エジプト攻撃ヘリのミサイル攻撃
「中東の窓」◆(2012/08/10)シナイ情勢
「中東の窓」◆(2012/08/11)シナイ情勢
「中東の窓」◆(2012/08/16)シナイ半島過激派の警告
「中東の窓」◆(2012/08/21)戦車及び航空機のシナイ半島持ち込み(エジプト)
「中東の窓」◆(2012/08/22)シナイ半島への戦車等の導入(イスラエル,米の反応)
「中東の窓」◆(2012/08/26)シナイ半島情勢(エジプト)
「中東の窓」◆(2012/09/09)シナイ半島情勢
「中東の窓」◆(2012/11/26)シナイ半島の治安状況

「VOR」◆(2012/10/07)リビアで「赤新月社」の職員解放

「VOR」◆(2012/11/15)ドイツで以降,イスラムの祭日にはムスリムは休みを取れる

「VOR」◆(2013/03/03) バングラデシュで警察とイスラム政党の支持者が衝突

「VOR」◆(2013/03/10) エジプト当局 テロの脅威が最高レベルにあると発表

「VOR」◆(2013/04/07) バングラデシュで「無信仰ブロガー」の処刑を求めるデモ

「VOR」◆(2013/05/20) サウジアラビア政府のサイトがサイバー攻撃

「VOR」◆(2013/07/08) エジプト ガスパイプライン近くで爆発

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/11/03)エジプト  コプト教徒に対するイスラム主義・サラフィストの敵対姿勢で,強まる社会不安

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/02/21) バングラデシュ  独立戦争当時の残虐行為に関連して,最大イスラム政党の非合法化を検討

「中東の窓」◆(2012/08/21)車爆弾犯人の逮捕(リビア)

「中東の窓」◆(2012/09/21)ムスリム同胞団員の逮捕(UAE)

「中東の窓」◆(2012/07/22)天然ガスパイプラインの爆破(シナイ半島)

「中東の窓」◆(2012/11/10)イスラム主義者のデモ(カイロ)

「中東の窓」◆(2012/11/04)北部シナイ情勢

「中東の窓」◆(2012/11/12)スフインクスやピラミッド破壊の呼びかけ(エジプト)

「中東の窓」◆(2012/12/10)サイバー戦争(アラムコ)

「中東の窓」◆(2012/12/23)クリスマス論争(シドニー)

「中東の窓」◆(2012/12/30) カイロ市中心部の警察署襲撃事件

「中東の窓」◆(2013/01/07) リビア国会議長の暗殺未遂

「中東の窓」◆(2013/02/22) 誘拐天国へ逆戻り?(レバノン)

「中東の窓」◆(2013/03/07) ムスリム同胞団の学生自治会選挙敗北

「中東の窓」◆(2013/03/22) ムスリム同胞団本部へのデモ(エジプト)

「中東の窓」◆(2013/03/22) ムスリム同胞団事務所等に対する攻撃(エジプト)

「中東の窓」◆(2013/03/14) アラブ内相会議のイランのテロ支援非難

「中東の窓」◆(2013/04/04) イランのムスリム同胞団に対する秋波?

「中東の窓」◆(2013/04/09) シリア情勢(イスラム原理主義者関係)

「中東の窓」◆(2013/05/06) 過激派2細胞の摘発(モロッコ)

「中東の窓」◆(2013/05/06) 首相暗殺未遂事件の否定
 エジプト内務省,一部ネットが報じたカンディ―ル首相殺未遂事件を否定

「中東の窓」◆(2013/05/07) イスラム過激派の殺人
>エジプト,エルアリ―シュに近いカフェで,4人組の男が酒を売っていた若い男性を射殺

「中東の窓」◆(2013/05/11) ムスリム同胞団の影響力の低下?

「中東の窓」◆(2013/05/12) 外国大使館に対する自殺攻撃未遂(エジプト)

「中東の窓」◆(2013/05/15) 警察車列に対する攻撃(カイロ)

「中東の窓」◆(2013/05/16) エジプト軍のガザとの境界への展開

「中東の窓」◆(2013/05/21) シナイ半島での兵士誘拐事件(エジプト)

「中東の窓」◆(2013/05/23) 誘拐兵士の釈放(エジプト)

「中東の窓」◆(2013/05/31) 駐米サウディ大使暗殺計画者に25年の懲役

「中東の窓」◆(2013/09/08) シナイ半島のテロ事件(エジプト)

モーリー・ロバートソン in twitter(2013/03/31)◆
なんと中国人(漢族)のムジャヒディーン(聖戦士)が登場したようです
> Bo Wang ,the Chinese Mujahideen Of the Islamic Khilafah


 【質問】
 2005/11/8,オーストラリアは何故アブ・バクルらを逮捕したのか?

 【回答】
 大規模テロを計画していたためだという.
 しかし,その計画の具体的内容は分かっていない.
 以下引用.

【オーストラリア】テロ容疑者を一斉摘発,16人逮捕

 シドニーとメルボルンで8日早朝,テロリスト容疑者の家宅捜査が一斉に行われ,16人が逮捕された.豪連邦警察(AFP)と州警察,豪安全保障情報機関(ASIO)合わせて約400人による合同捜査.
 議会では先週,反テロ法の改正案を可決し,警察当局の権限が大幅に強化されたばかりだ.
 各メディアが報じた.

 シドニーでは7人,メルボルンでは9人が逮捕された模様.
 シドニー南西部グリーンバレーのイスラム教寺院の前では,20代とみられる男性容疑者が警官隊に向かって発砲し,これに警官が銃で反撃.容疑者は首を撃たれ重傷という.
 メルボルンでは同日,逮捕された容疑者9人が下級裁判所に出廷.検察側によれば,彼らがテロ行為について話し合っている録音があり,このうち1人は明らかに自爆テロの決意を表明していたという.
 容疑者らは軍事訓練に参加し,大量の化学物質を注文したとされている.
 シドニーでは,爆弾製造に使用される恐れのある化学物質を大量に押収したという.

 ■反テロ法改正で可能に

 ニューサウスウェールズ(NSW)州警察のモロニー署長は,今回の一斉逮捕が16カ月間におよぶ捜査の結果として行われたものだとした上で,実施自体は前日に決定したと説明.
 シドニーではハーバーブリッジ,メルボルンでは証券取引所などが狙われているとの憶測が浮上していたが,特定の場所がテロの標的となっていたことを裏付ける情報はない模様.

 ハワード首相は8日の記者会見で,先週議会を通過した反テロ法の修正条項が今回の一斉捜査につながったとの見方を明らかにした.
 改正により,実際にテロ行為がなくても,テロを計画しているだけで逮捕することが可能になったためだ.
 同首相は,反テロ法改正案の議会上程の直後,
「テロ発生の危険性が高まっているという具体的な情報を受け取っている」
と発言.
 絶妙のタイミングに野党からは「政治的な策略だ」との批判の声も上がっていた.
 この件について同首相は
「国民と国家の安全にかかわる問題に政治的操作の余地はない」
と述べ,あらためて否定している.

 ■イスラム教徒は警戒

 イスラム教徒の間からは,一斉捜査に対する懸念の声が上がっている.
 レバノン人イスラム協会のトラッド氏は国営放送ABCテレビに対し,シドニーでは早朝から報道陣が,捜査を受ける容疑者らの自宅前に待機していたことを問題視.事前にメディアに情報が流れていたと指摘し,安全対策としては適切な方法ではないと批判した.

 NSW州,ビクトリア州両警察は,テロを未然に防いだと主張.ケルティーAFP長官は
「テロリスト容疑者の捜査は今後も続く」
としている.

(NNA,2005/11/9)

 メルボルンの逮捕者には,国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者を「偉大な男」などと称賛したことで知られるイスラム聖職者アブ・バクル師も含まれている.
 計画されていたテロ攻撃の対象や日時は分かっていないという.

(共同通信,2005/11/8)

 ニュー・サウス・ウェールズ州警察は,国内テレビに対し,
「大規模な計画を未遂に終わらせることができたと信じている.もし,これが実行されていれば,大惨事になっていただろう」
と語った.

(ロイター,2005/11/8)


 【質問】
 豪軍基地自爆攻撃未遂事件とは?

 【回答】
 2009.8.4,オーストラリア警察当局が,軍基地に対する自爆攻撃を計画した疑いで,ソマリアのイスラム武装組織「アル・シャバブ」とつながりがある4人の男を逮捕した事件.
 豪紙「オーストラリアン」によると,逮捕されたのは22歳から26歳の男4人.
 メンバーの1人がソマリアで訓練を受けメルボルンに戻っていた.
 彼らは自動小銃で武装,軍兵舎への自爆攻撃を企てていたという.
 実行されれば,豪州で最も深刻なテロとなった可能性があるという.
 イスラム世界に対する豪軍の関与に反発しての計画だったとされる.
 警察当局はこの事件について,7カ月にわたる捜査を行い,4日未明,メルボルン南部の19カ所で,警官数百人を投入して家宅捜索を実施した.

 【参考ページ】
2009年8月4日8時42分,時事通信
2009年8月4日13時52分,ロイター

家宅捜査を行う警察官ら(2009年 ロイター/Mick Tsikas)
ロイターより引用)


 【質問】
 バングラディシュ同時多発テロとは?

 【回答】
 2005/8/17午前11時ごろから約30分の間に,バングラデシュ全土300箇所で発生した,イスラム過激派によると見られる同時多発テロ.小規模な爆発物の爆発が続発し,2名が死亡した事件.
 同時期にインドとの国境で両軍の間で銃撃戦が発生しています.
 治安当局はテロに関与したとして52名を拘束しています.

 バングラデシュはイスラム国家で,過激派組織も活動しています.
 その一つである非合法組織「ジャマトルルムジャヒディン・バングラデシュ」の印刷物が複数の現場から発見されており,そこには
「バングラデシュでイスラム法を実行するときだ.ブッシュやブレアよ気をつけろ.イスラム諸国から出て行け」
との内容が書いてあったそうです.
 爆弾自体には破壊力はほとんどなく,狙いは全土をパニックにすることにあったようです.
 同国におけるイスラム過激原理主義運動の高まりは,すでに限度を超えており,いつ爆発してもおかしくないとする指摘もあります.
 バングラが昔のアフガンのようなテロの聖地になる可能性が懸念されます.大変危険だと思います.
 要注意でしょう.

(おきらく軍事研究会)

 また,報道によれば,概要は以下の通り.

<バングラデシュ>全国111カ所で爆発 40人以上が負傷

 【イスラマバード西尾英之】 〔略〕 ロイター通信は少なくとも40人が負傷したと報じた.
 爆発は首都ダッカで15カ所,南部の港湾都市チッタゴンで20カ所など全国で111カ所に及んだ.いずれも駅やバスターミナル,裁判所,政府機関の建物の付近など.
 現場の一部から「わが国にイスラム法支配を導入すべき時だ」などと書かれたビラが見つかった.
 非合法のイスラム武装組織「ジャマトル・ムジャヒディン」(イスラム聖戦士集団)によるものとみられる.

(毎日新聞,2005/8/17)

 爆弾テロは全土六十四県のうち六十三県で発生し,小型爆弾四百五十九発が爆発した.
 爆弾の破壊力が小さかったため,死者は二人にとどまっているが,けが人は約百五十人に及んだ.
 バングラデシュ紙デーリー・スター(電子版)によると,爆弾を仕掛けたJMBの実行犯は事件の三日前に各県のアジトに三,四人が集められ,犯行の指示を受けた.
 同国南西部サトキラ県がJMBの根拠地になっており,同県内には約千五百人のメンバーが潜伏.インドとの国境沿いにある数カ所のマドラサが過激派の軍事訓練施設になっており,メンバーはこうした施設や国内各地で訓練を受けたという.
(岩田智雄 from 産経新聞,2005/8/23)

 その捜査のほうだが,全容解明の可能性はあまり高くなさそうだ.

 バングラデシュでは過去,イスラム過激派によるとみられるテロが相次いでいるが,捜査が十分行われたケースはほとんどない.過激派メンバーは逮捕されても,保釈金などを支払ってすぐに釈放されてしまうという.
 ダッカの外交筋によると,同国のマドラサでは,サウジアラビアなど外国の援助を受けて,イスラム原理主義教育に力を入れているところも増えだした.
 バングラデシュはイスラム教徒が国民の88%を占めるが,国民はパキスタンや中東諸国と比べて教義にさほど厳格ではない.
 今回の爆弾テロで,現場から発見されたJMBの印刷物には,イスラム法による統治を求める声明が書かれていた.
 爆発は政府施設などを狙ったもので,外国人や外国施設を標的としていないことから,国際テロ組織アルカーイダの関与を指摘する声は少なく,事件の黒幕が誰かははっきりしない.
 野党は,与党が次期選挙を実施させないために国内を不安定化させようとしたものだとして与党を非難.与党は,国内を不安定化するために野党が工作したものだと反論している.

(岩田智雄 from 産経新聞,2005/8/23)


 【質問】
 「ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ」って何?
 3行以上で教えて!

 【回答】
 「ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ Jamaat-ul-Mujahidin-Bangladesh」(JMB)は1998年に結成されたイスラーム過激原理主義テロ組織.
 2003年,同組織のアジトで爆発事件が発生し,大量の爆発物などが発見されたことを契機に,その存在が知られるようになった.
 本拠地はパキスタンにあり,ラシュカレトイバ(LeT)から戦闘訓練を受けている.
 両組織ともアル=カーイダと繋がりがあると見られている.

 2005年2月,バングラデシュ政府は,JMBを同組織の青年組織「ジャグラタ・ムスリム・ジャナタ・バングラデシュ Jagrata-Muslim-Janata-Bangladesh」(JMJB)とともに非合法化した.
 同年8.17,首都ダッカを含む63県で発生した同時多発爆弾テロ事件(2人が死亡,150人以上が負傷)は,JMBによる犯行と断定された.
 2007年3月,JMBの指導者及びナンバー2を含む最高幹部6人が,2005年11月に起きた爆弾テロ事件に関与した罪で死刑執行された.
 JMBは新しい指導者の下で組織再建を図ったが,2010年5月,新指導者を含む複数の幹部が逮捕された.
 逮捕された新指導者らは,バングラデシュ全土での破壊活動を謀議していたとされる.
 2014年10月,インド北東部・西ベンガル州ブルドワンでJMBの細胞が摘発され,同組織がバングラデシュ政府の行うテロ取締りへの報復を計画していたことが判明したとされる.

 2016.4.23,北西部ラジュシャヒにおいて,公立大学で英語を教えていたレザウル・カリム・シディーク Rezaul Karim Siddique 教授(58)が,市内の自宅から徒歩でバス停に向かっていたところ,背後からなたで切り付けられ,殺害された.
 彼の首は少なくとも3度切り付けられた跡があり,70~80%切断された.
 彼は音楽などの文化的なプログラムに携わっており,バグマラに学校を設立していた.
 同地にはJMBの拠点があった.
 ダーイシュが犯行声明を出している.

 2016.4.26には,JMB構成員3人が逮捕された.21日に北部ポンチョゴル県ヒンズー教寺院で発生した,僧侶襲撃殺害事件の容疑.
 26日の逮捕に先立ち,JMB構成員2人と同国最大のイスラーム主義政党「イスラーム協会」の活動家が既に逮捕されている.
 ちなみにこの事件でも,ダーイシュが犯行声明を出していた.

 また,昨今では,バングラデシュとミャンマーの両国にまたがる地域において,苦しい生活を強いられているムスリムのロヒンギャ族の人々を狙い,JMBや「ハルカット・ウル・ジハディ・イスラミ Harakat-ul-Jihadi-Islami(HuJI)」等のイスラーム過激原理主義テロ組織が勢力拡大を図っている.
 彼らはロヒンギャ族の若者を戦闘員に仕立て上げ,アフ【ガ】ーニスタンでの戦闘に参加させているという.

 【参考ページ】
「碧空」◆(2016/04/23) バングラデシュ  止まないイスラーム過激主義者によるテロ事件
http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/SW_S-asia/JMB.html
http://www.moj.go.jp/psia/ITH/area/SW_S-asia/bangladesh.html
https://kotobank.jp/.../ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ
http://oscma.org/2015/10/06/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%a9%E3%83%87%E3%82%B7%E3%83%A5%EF%BC%9A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E3%83%86%E3%83%AD/
http://www.sAnkeibiz.jp/compliance/news/150416/cpd1504160500001-n1.htm

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/20 20:00
を加筆改修


 【質問】
 革命防衛隊幹部自爆攻撃事件とは?

 【回答】
 2009.10.18,イラン南東部シスタンバルチスタン州ピシンで発生した,革命防衛隊幹部に対する自爆攻撃事件.
 現場では当時,革命防衛隊と地元の部族長たちとの会合が予定されていた.

 イラン国営の英語テレビ放送局プレスTVは,死者数が42人になったと伝えた.
 幹部6人が死亡しており,部族長も多数犠牲となった他,数十人が負傷した.
 死亡した同隊幹部には,司令官級も2人含まれるという.
 複数の通信社は,死亡した革命防衛隊幹部には,陸上部隊の副司令官のNourali Shoushtari大将も含まれていると報じた.

 イランでは,イスラーム教シーア派信者が国民の大半を占めるが,事件現場となったイラン南東部にはスンニ派住民が多い.
 パキスタンやアフガニスタンと国境を接し,イラン国内でも貧しい地域である同地では,このところ爆弾攻撃など暴力行為が急増していた.
 国営メディアによると,「ジュンダラ(アラーの兵士)」と呼ばれる地元のスンニ派武装組織が犯行を認めた.
 イラン政府は,米国が同地域を混乱させるためにジュンダラを支援していると主張しているが,米政府はこれを否定している.
 また,アハマディネジャド大統領は18日,パキスタン治安機関の数人が関与していたとの情報を得ていると述べ,パキスタン政府に対して早急に容疑者逮捕に協力するよう要請した.
 国営テレビによると,イラン外務省がパキスタンの在テヘラン外交官を呼び,今回の攻撃の容疑者がパキスタンからイランに入国した証拠があると伝えたという.
 イラン学生通信(ISNA)によると,革命防衛隊のジャファリ司令官は19日,イランの代表団がパキスタン関与の証拠を携えてパキスタンを訪れ,同国に潜伏しているとみられるジュンダッラーの指導者引き渡しを要求すると語った.
 ジュンダッラーは,同州に多いスンニ派の少数派バルチ人がイランの主流派であるシーア派に差別されていると主張し,武装闘争を続けている.
 指導者はパキスタンの神学校で学び,ターリバーンやアルカーイダの影響を受けていると指摘されている.

 【参考ページ】
2009年10月19日9時20分,ロイター
2009年10月19日12時45分,ロイター
2009年10月19日13時30分,ロイター
2009年10月19日19時43分,産経新聞(カイロ=村上大介)


 【質問】
 カシミールにおいて,イスラーム過激原理主義者は「解放勢力」として,現地のムスリムに歓迎されているのではないか?

 【回答】
 そうは言い難い.

 これについては,「カシミールから来た暗殺者 ヴィクラム.A.チャンドラ(角川文庫)」が面白い.
 著者はインド人ジャーナリストゆえにインド寄りなのは否めないが,カシミールでのインドの官憲の横暴さも批判している.
 カシミール問題を知らなくとも,ポリティカル・サスペンスとして読んでみて楽しめる.

 カシミールが余所者(主にパキスタン人)のテロリストに乗っ取られてしまうのはアフガンと同様.
 連中は商店主をカツアゲするわ,可愛い村娘を手篭めにする(俺たちは大儀の為に戦っている)わ,ブルカを被らぬ女の顔に硫酸をかける(売春婦を罰しただけ)わ…と,やりたい放題.
 余所者ゆえに,その土地の文化財破壊も平然とやってのける.

(宗教板)


 【質問】
 アメリカの対テロ戦争を,イスラエルはどう見ているか?

 【回答】
 迷惑がっている,という.

 イスラエル国防省の将校Yは,次のように述べる.
「戦争には2種類ある.国防の戦争と,国益の戦争.正義や善意だけで国は戦争しない.
 イスラエルとパレスチナの戦いは国防の戦争だ.国益だけ考えれば,イスラエルにとってこんな不経済な戦争はない.
 例えば重要人物だけを狙ったピンポイント攻撃には,1回のオペレーションに10万ドルかかる.その出費は少しでも一般市民を巻き添えにしたくないからだ.
 正直,イスラエルが本気になれば,パレスチナを殲滅するのに10分とかからないだろう.
 それをしないのは,我々の心にモラルがあり,ある意味,勇気がないからだ.だが,この勇気のなさを我々は誇りに思う.

 そして,ここが我々とアラブ社会と決定的に違うところだ.
 アラブ社会は,いまだに絶対的な『力』の論理が先行する.だから,自爆テロやビンラディンが英雄・伝説になる.
 ところが,我々は異なる『力』の概念を持っている.
 アメリカは,こうした微妙な概念の違いを理解していない.だから軽々しく『新しい戦争』などと口走るのだ.
 それにアメリカには,イスラームと戦うスキルもない.
 いずれにしろ,今回の軍事行動は我々にとってははた迷惑な話だ」

(大高未貴「神々の戦争」,2001/12/20,P.31,抜粋要約)


 【質問】
 イスラーム過激原理主義テロに対し,日本ができることは何か?

 【回答】
 平山健一郎〔元NHK解説主幹〕によれば,テロが拡大する環境を押さえていく役割を,日本は積極的に引き受けるべきであり,現在でも地味ではあるが,成果も出しているという.
 以下,抜粋要約.

 例えば,小泉内閣が動いて,イランのアザデガン油田開発について長期契約を締結した事は,プラスに働くに違いない.イラクのついでにイランも攻撃せよといった超タカ派がいる米国にはできない,日本の独自外交は,ある程度の抑止力の意味合いを持つからだ.

 湾岸戦争時,サダム・フセインに同情的だったヨルダンを,米国が苛めていた.
 しかし戦争終了直後,ブッシュ大統領が中東和平に動き出したとき,多くのパレスチナ人を抱えるヨルダンに,その受け皿役を頼むことができたのは,長い期間をかけてヨルダンと親交を深めてきた日本の貢献だった.

 ちなみに,争乱が続くパレスチナの中で,日本政府が拠出するODA年間1億ドルの資金は,UNDP(国連開発プロジェクト)を経由して,パレスチナの市町村に緊急失業対策費として支給されている.
 その金で1年間で述べ20万人ほどのパレスチナ人を雇用,イスラエル軍戦車に砲撃された家屋の修理,荒らされたオリーブ畑の植林などを行い,地元からは大変感謝されている.
 日本に倣い,現在ではデンマーク,フランス,米国も,この面でのパレスチナ支援に乗り出しているようだ.
「人が血を流しているときに,自分の格好がどう見えるかを主目的にした外交はすべきではない」
 茂田弘・駐イスラエル大使の控え目な言葉である.

( from 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.147-149,)


 【質問 kérdés】
 アブ・カタダって誰?
Ki az Abu Qatada?

▼ 【回答 válasz】
 ヨルダン人の過激派のイスラーム法学者.
 別名オマル・オスマン.
 9.11テロの実行犯らに影響を与えたとされる人物で,ヨルダン当局の迫害を受けたとして,1993年に英国への亡命を申請し,一定期間の滞在許可を得た.

 その後,テロリズム防止法の成立などを受け,2005年から収監.
 英政府は同氏がテロを支援することで,国家に脅威を及ぼすとして送還する方針を明らかにしていたが,欧州人権裁判所は2012年に入り,ヨルダンでは公正な裁判が受けられない可能性があるとして,送還は欧州人権条約に違反すると判定.
 英国の移民裁判所も,政府には同受刑者の収監を続ける理由がないとの判断を下し,2012年2月に保釈.
 ただし,内務省報道官によると,保釈中は1日のうち22時間を自宅で過ごし,コンピューターや電話は使用できず,訪問者も限定されるなど厳しい制約下に置かれるという.

 カタダは,ヨルダンの裁判所ではテロ関与の罪に問われ,本人不在のまま有罪判決を受けている.

 【参考ページ】
CNN,2012年2月14日(火)9時51分


 アブ・カタダ・アル・フィスティニ Abu Qatada al-Filistini は過激原理主義にかぶれたイスラーム説教師.
Abu Qatada al-Filistini egy Iszlám prédikátor, aki szélsőséges fundamentalizmust szenvedett.
 1993年に偽造パスポートを使い,ヨルダンから英国に亡命.
 2013年,ヨルダンに身柄送致された.

xxxxxxxxxxxxxxxx

 宗教的過激原理主義というのは,実は多神教ではないかと思っている.
 建前上の唯一神の他に,過激なことを言う人間を崇拝しているわけで,その時点で2つのものを信仰していることになる.
 これは筆者の言っていることではない.
 イランの思想家アリー・シャリーアティーの述べていることである.
 彼は,ある主張を何であろうが受容し,発布される法令,命令を全て認め,思想・理性の面においても盲従するといった方法で,ある宗教的境地を礼賛し,それに本質的価値を認めるならば,この場合多神教(シルク)の信仰を実践しているに等しい,とし,
「権力,知識,財産,人種ゆえに高慢になり,自分を他人より偉大であると誇示する者,あるいは自分の意思を他人に強制し,自分の好みに従って統治する者は全て,神がかった主張を行う.
 それを受け入れる者は全てシルク(多神教)の信仰者である.
 何故ならば,絶対的統治,絶対意思,自己の顕示,権力,専制,君臨は,神のみに限定されているからである.
 タウヒードの信仰者は,神以外に服従しない.
 まさにこれがイスラームの意味である」
としている.
(『イスラーム再構築の思想』(大村書店,1997))

 そんなシルク連中の中には,
「こんな尖ったことを言う俺様すげー」
という,自分自身を崇拝しているかのような説法師もいる.
 日本で言えば中田考が該当するだろうし,これから紹介するアブ・カタダもそうした一人と言える.

 アブ・カタダは本名をオマル・マフムード・オスマン Omar Mahmoud Othman という.
 1960年,当時ヨルダン統治下にあったベツレヘム西岸地区に生まれた.
 彼の親族によれば,17歳の時にはすでに熱心なムスリムだったという.
 ヨルダン大学のイスラーム法学科を卒業し,イマームとして働く.
 1989年,彼はパキスタンのペシャワールに渡り,シャリーア(イスラーム法学)の教授となった.
 当時,ペシャワールはデオバンド学派の過激原理主義の中心地の一つだった.

 その後,彼はクウェートに渡ったが,1991年,湾岸戦争勃発.
 パレスチナ人はサダム・フセインに与したので,その戦後,パレスチナ人をクウェートは多数追放.
 アブ・カタダも追放されて,ヨルダンに帰国した.

 しかし1993年9月,アブ・カタダはUAEの偽造パスポートを使い,妻や5人の子供と共に英国に逃亡.
 1994年6月,彼はヨルダンで拷問に遭ったと申し立てて亡命を申請し,1998年6月30日まで英国に残留する権利を得た.

 ロンドンでアブ・カタダは宗教家としての活動を開始(写真1)
 ロンドン西部のアクトンにあった自宅で集会を開き,テロの暴力について「宗教的に正当」と述べるなど過激原理主義を説き,在英のイスラム教徒の一部の間で影響力を持っていたほか,90年代に途方もない暴力に見舞われていたアルジェリアでの流血を,さらに煽動した.
 在英の亡命アルジェリア人を通じ,彼の
「イスラームを捨てた者は妻子もろとも殺すことが正当」
という見解がアルジェリアにもたらされたからである.

 また,週刊誌「Usrat al-Ansar」の編集長に就任.
 これは「Groupe Islamique Armé (GIA:イスラーム武装グループ)」のプロパガンダ誌.
 中身は反ユダヤ主義などから成るものだった.

 MI5も,イスラーム過激原理主義者の内的論理を知るため,彼に数度接触したという.

 1998年5月8日,彼は無期限の残留を申請.

 2000年,西欧とイスラエルとで同時テロを行う「ミレニアム・テロ」計画が発覚したが,カタダは計画関与を疑われる.

 2001年,彼は9.11テロについて「正当な攻撃」とする見解を述べる.
 9.11テロ犯を含む多くのテロ実行犯が,彼によって宗教的正当性を与えられたと,当局は彼を非難している.
 そうであるなら,彼の自己承認欲求,「俺様スゲー」という気分に浸りたい欲求は,大いに満たされたことだろう.

 2001年2月,ドイツの過激派との関連で逮捕されたものの,裁判では「証拠不十分」で無罪.

 英国当局が外国のテロ容疑者を告発や裁判なしで拘禁することを可能にする新しい法律,「2001年反テロリズム,犯罪及び安全保障法(Anti-Terrorism,Crime and Security Act 2001)」が採択されることになると,その直前にアブ・カタダは行方をくらましたが,2002年10月23日,同法によって逮捕.
 テロリストなど重罪人のための専用房のあるベルマーシュ刑務所(拘置施設でもある)に入れられたが,その措置が違法であるとの裁定が出たため,2005年に釈放.

 そしてここから,彼をヨルダンに送還する/しないを巡る,長い長い法的闘争が始まるが,これはテロリズムのジャンルではなく法学の範疇なので,その詳細は省略.
 すったもんだの末の2013年7月7日,アブ・カタダはヨルダンに身柄送致,収監さる.
 過激主義テロを扇動してテロ被害者の人権を否定している者が,いざ逮捕されると人権を振りかざすのは矛盾した態度のようにしか見えないのだが,アブ・カタダや中田考といった「俺様すげー」教徒にとっては理屈の問題ではないのだろう.

 同国ではアブ・カタダには,テロ共謀罪によって欠席裁判で終身刑判決が出ていた.
 一つは1998年の複数のテロに関するもので,学校とホテルを標的に何度か行なわれたが,建物に軽微な損傷があっただけで,人的被害はなかった.
 もう一つは2000年の別の攻撃計画に関するもの.

 しかしヨルダンでは,欠席裁判の場合は裁判のやり直しができる.
 彼は再審請求し,2014年6月と9月に再審の判決が出る.
 ところが,これがまさかの逆転無罪.
 2014年9月,海外渡航・説法禁止を条件として,彼は釈放された.
 (写真2)は釈放されたアブ・カタダ.

 ちなみにダーイシュに対してはアブ・カタダは批判的.
 2005年11月にダーイシュの前身組織よってイラクで拉致された英国人ノーマン・ケンバーの解放を,2014年1月,獄中から呼びかけ,同年7月には,
「ムスリム指導者達の合意に寄らず,一方的にカリフ国宣言をしたダーイシュは異端である」
との見解を示した.
 さらに,同年9月には,
「預言者ムハンマドの「(情報を)伝える者を殺してはならない」
と言った言葉を引用して,ダーイシュによるジャーナリスト処刑を批判し,ダーイシュ戦闘員を「地獄の炎の犬ども」と呼んだ.

 保釈後は,シリアのイスラーム武装組織を糾合し,ダーイシュとの間の停戦を実現させようと働きかけた.

 こうしたアブ・カタダの姿勢には,
「自分の立場を良くしたいためではないか」
という見方もあるが,それよりも自分自身を信仰する「尖ったことを言う俺様すげー」教徒にとっては,もっと尖った言動をしている奴らは気障りで仕方ないのだろう.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://matome.naver.jp/odai/2141155411658357801 ※写真2引用元
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2354055/Abu-Qatada-booted-Sunday-At-Britain-deals-hate-preacher.html ※写真1引用元
http://www.bbc.co.uk/news/uk-16584923
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/middleeast/jordan/10164918/Abu-Qatada-the-making-of-Britains-most-notorious-Islamist.html
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/226/022602.pdf
http://blog.goo.ne.jp/jiten4u/e/3cd7bf833b561f21dd8ef183b309fd49
http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=IA23105▲

2012.2
2017.10.28-os felülvizsgálat


 【質問】
 IMIKとは?

 【回答】
 IMIK(クルディスタン・イラク・イスラーム運動)は,クルド人のイスラーム過激原理主義組織である.
 クルド人の闘争を長年リードしてきたクルド民主党,クルド愛国同盟の「民族派」に対し,より急進的であり,イランの後押しを指摘する人も多い.
 だが,イランが本気でIMIKに肩入れしているかどうかは大いに疑わしく,民主党と愛国同盟の接近に危機感を持ったイランが,体制撹乱のために一時的に投入した組織という見方も根強い.
 クルド問題を考える上で片時も忘れてはならないのは,周辺諸国はクルド組織の結束を望んでいないということである.

 宗教色が希薄な民主党や愛国同盟は,クルド人の自立に関して外国との連携や援助を当てにするが,これをイスラーム派は「腐敗」と見て,イスラームに基づく独立運動を主張する.
 IMIKの闘争方針は,イスラームに基づくクルド国家の建設と拡大,すなわちクルディスタンにおけるイスラーム革命にある.
 その模範がイラン革命であるのは言うまでもない.

 湾岸戦争直後の91年4月には,IMIKは他のイスラーム組織と「IFG(イスラーム軍団)」を結成,IMIKの戦闘員は山岳地帯だけで1万2千人に上るという(酒井啓子「民族主義運動とイスラーム運動の相克」,「国際問題」,94年6月号).

 IMIKは,1993年10月,クルド民主党と武力衝突したのを手始めに,同年12月以降,民主党と愛国同盟の連合戦線と激しい戦闘を繰り返した.

 以上,データは布施広著「アラブの怨念」(新潮文庫,2001/12/1),P.273-275より.


 【質問】
 サウジアラビアの反テロ対策は,どんなことが行われているのか?

 【回答】
 報道によれば,反テロ・センターでの特殊部隊訓練の他,作戦で押収した携帯電話やコンピューターから,過激派組織ネットワークのあぶり出しを進めている,という.
 以下引用.

 〔 2005/8/19,公開されたところによると,〕リヤド郊外の同センターでは,過激派組織のアジト急襲や人質救出作戦の訓練が行われた.
 疑似手りゅう弾の爆発音が響く中,10人前後の特殊部隊員が建物に突入し,テロリスト役を拘束するなど,実戦形式の訓練を約2時間続けた.

 リヤド地区の特殊部隊長を務めるセンター長は匿名で取材に応じ,03年5月のリヤド同時テロ以降,国内で約800件の対テロ作戦を実施したと説明.過激派の構成メンバーのほとんどは18歳から25歳と若年化が進んでおり,最近の作戦では過激派幹部の息子の12歳の少年が拳銃で応戦し,射殺されたケースがあると明らかにした.

センター長はまた,「テロが起きる前に防がねばならない」とし,作戦で押収した携帯電話やコンピューターから,過激派組織ネットワークのあぶり出しを進めていると説明.
「サウジでのテロは減少しつつあるが,問題は数ではない」
と語り,テロネットワークの壊滅が最終目標だと強調した.

(毎日新聞,2005/8/)

 珍しかったので掲載します.
 サウディアラビア内務省公安局の特殊緊急部隊対テロ小隊と思われます.

元諜報員 in mixi,2007年11月29日22:02


 【質問】
 サルマン・アウダとは?

 【回答】
 サルマン・アウダ(Salman Al-Odeh)はサウディアラビアのイスラーム法学者.
 MEMRIによれば,原理主義者とされる.
 2007年9月14日MBCテレビ(サウジアラビア系衛星テレビ)における,同氏主演の宗教ショーの中で,ビン=ラーディンを批判した.

 その発言とされるものを,以下に引用.

――――――
「私の(宗教)兄弟オサマ(ビンラーディン)(Osama bin Laden)に言う.
 アル・カーイダの名前で,どれだけ多くの血が流されたか,
 また,どれだけ多くの無実の人々,子供,老人,女性が殺害され,住んでいた場所から追い払われ, 国外に追放されたか.
 数百人,あるいは数百万人(の災難)にすら責任があるのに,あなたは喜んでアッラーにお目にかかるというのか」

 〔略〕

「預言者ムハンマドはこう言っておられる.
 鳥ですら不当に殺した人は誰でも,最後の審判の日にアッラーにお目にかかる.
 そうすると(殺された)鳥がアッラーに言う.
『なぜ不当に私を殺したのか,あれやこれや尋ねてください』と.
 この宗教は鳥や動物であれ,その血の尊さを守る宗教だ.
 預言者ムハンマドはアリ塚を焼いた一人の預言者について,こう言われた.
『あなたは一匹のアリに噛み付かれたことだけで,アッラーを讃えるアリ全体のコロニーを焼いたのか』と.
 人間であればますますもって,その血を尊ぶのがこの宗教だ」

 〔略〕

「私の兄弟オサマ・ビンラーディンよ.
 今日,イスラムのイメージはよくない.
 世界中の人々はこう言う.
 イスラムは,この宗教に所属しない人々は誰であれ殺し,また,サラフィスト(イスラム教原理主義者)はイスラムを信じないムスリムは誰であれ殺す,と.
 一方,預言者ムハンマドは偽善者――地獄の最も低いレベルに居るとアッラーがおっしゃったーー偽善者ですら殺すことを避けた.
 預言者ムハンマドはこう言われた.
 その理由は,ムハンマドが自分の友人でも殺すと人々に言わせないためだ,と」

 〔略〕

「私の兄弟オサマよ.
 9・11に起きたことは数千人,たぶん3000人以下の殺害だった.
 彼らは飛行機に搭乗していて,また,あのタワーの中で死亡した.
 一方,名前の知られざる説教師たちがいる.
 アッラーは彼らを通じて数十万人の人々を導かれた.
 また,彼らはイスラムの光によって啓蒙され,彼らの心はアッラーの愛に充たされた.
 殺す者と生命を与える者との違いははっきりしているのではないか」
――――――

 詳しくはMEMRI,2007/9/27付を参照されたし.


 【質問】
 「ジハード・ジェーン」とは?

 【回答】
 「ジハード・ジェーン」こと,コリーン・ラローズ(46)は,イスラーム過激原理主義テロリスト.
 ペンシルベニア在住.金髪の白人.

 2008年6月ごろからジハードジェーンなどを名乗って,ユーチューブでテロリストを勧誘したり,資金を募集するなどしていた.
 また,09年3月ごろにはテロ仲間からネットを通じてスウェーデンでの暗殺を依頼され,自爆を含むテロ行為は「栄誉であり大きな喜び」と語っていた.
 暗殺対象は,07年にムハンマドに犬の体を付けた風刺画を描いてアル=カーイダ系団体から死刑宣告を受けたラーシュ・ビルクスだったとみられる.
 ただ,実際にスウェーデンに渡航はしたが,標的の所在を突き止められず,実行には至らなかった.
 2010年3月,同暗殺計画関与の容疑により,訴追された.

 【参考ページ】
2010年3月12日7時56分,産経新聞(ワシントン=犬塚陽介)


 【質問】
 ナクシュバンディ教団とは?

 【回答】
 教団の名前は,初期指導者の一人バハエッディン・ナクシュバンド(1318-89年.ウズベキスタン・ブラハに廟がある)に基づく.

 イスラーム神秘主義(スーフィズム)は「神への愛」を説き,神の前に自己を無にする努力によって,神のうちに帰一し合一して魂の救済を体験しようとする.
 12~13世紀,正統派が重んじる外面的な宗教行為に飽きたらない人々の間に広がった.
 一方,神の絶対性・超越性を強調する正統派は当初から,スーフィズムが強調する「神への愛」に異端の疑いをかけた.
 スーフィズムが拡大を続ける中,各地の土俗信仰と結び付き,教団によっては,イスラーム教が本来認めない聖者崇拝や聖者の墓礼拝に走ったり,極端な場合には「踊る宗教」に変容したりすると,正統派によるスーフィズム非難は激しくなった.

 18~19世紀,西欧植民地主義との衝突を通じ,自己変革して急進化する教団が現れた.
 その過程で異端的要素は廃棄され,組織形態などを別にすれば,正統派内の急進派である過激原理主義勢力とそう変わらない集団になった.
 彼らは初期イスラーム共同体の例にならい,神政国家を作るために,正統的な学問や知識の修行と軍事訓練を結合した.
 これら急進派は「新スーフィズム教団」と呼ばれ,その代表格がナクシュバンディである.
 急進化したナクシュバンディは戦闘性を強め,今世紀に入っても,世俗主義のトルコや社会主義ソ連の同教団抑圧に激しく抵抗した.

 ソ連では反ソ勢力としてソ連の厳しい弾圧の対象になった.
 しかし地下潜行で弾圧に耐え,信仰の「裏の砦」となった.シェイフ(指導者)別の小集団に分かれるスーフィズム教団の組織上の特徴が,地下潜行に有利に働いたともいう.
 中央アジア・イスラーム諸国の独立後,この教団は地上に浮上.しかし,かつての面影,力を完全に失っていた.

 中国では19世紀,同教団信徒が,現在の新疆ウィグル自治区のカシュガルで対清朝反乱に蜂起し,一時は厳格なイスラーム新国家を樹立した.
 1997年2月のウイグル族ムスリム騒乱にも,同教団信徒が関与している可能性は少なくない.
 また,中国語を日常語とする「回族」ムスリムの中にもナクシュバンディ信徒が存在する.「新教徒」と呼ばれ,18~19世紀に,やはり対清朝反乱を起こした.

 現在,ナクシュバンディの活動が最も盛んなのはトルコとチェチェン.
 トルコの信徒数は500~800万人とされ,同国のイスラーム回帰推進の主動力になっている.
 96年夏,欧米報道機関がイスラーム原理主義政党と呼ぶ,エルバカン率いる「繁栄党」が,中道右派政権と連立,トルコ史上初のイスラーム政権を樹立した.この繁栄党党員の多くが信徒とされる.
 チェチェン共和国も,住民の多くがナクシュバンディ信徒だ.
 分離独立派の主体となり,侵攻してきたロシア軍と96年夏まで1年9ヵ月に渡る激戦を続けた.

 ナクシュバンディ教団は,統一された単一の教団ではない.多くの独立した組織から構成されている.
 このため,一地域で起きた信徒の騒乱が,即座に同教団全信徒に波及するわけではない.
 しかし同一の信仰を持つ人達だけに,お互いに深い関心を持ち,結局は強く影響し合うことになる.
 中国からトルコにかけた地域の将来にとって,同教団信徒の動向は見逃せない要素といえるだろう.

(藤原和彦=中東調査会参与 from 「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.139-143,抜粋要約)


 【質問】
 ドバイにおけるイスラーム過激原理主義テロの状況は?

 【回答】
「国際インテリジェンス機密ファイル」,2009.8.14付
によれば,ドバイは彼らにとっては資金調達の場所であるため,ドバイではテロを起こさないようだという.
 かなり闇経済も発達していて,パキスタンのカーン博士による核兵器取引の場所もドバイだったという.
 そのためか,ドバイのホテルなどは警備が薄いと述べられている.


 【質問】
 韓国へのイスラーム過激派の侵入情況は?

 【回答】
 国家情報院が提出した報告書「韓国の主なテロ対策」によれば,摘発されたケースだけでも以下のようなものがあるという.
・2002年11月に旧ソ連のイスラム過激派にかかわっていた疑いがある外国人が偽造したパスポートで韓国入りし中小企業に就職していたが,強制追放された.
・2003年1月,テロ行為の恐れがあるアラブ人1人がスウェーデンのパスポートで韓国入りしたが,強制追放された.
・2003年3月,東南アジアのテロ組織を支援した容疑の韓国系アメリカ人が摘発された.

 【参考ページ】
2006-09-20 07:35:10,KBS


目次へ

「テロ別館」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

inserted by FC2 system