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「HoI2 wiki AAR Division」:帝国国策遂行要領

「朝目新聞」(2013/03/12)●大日本帝国ってどの時点で詰んでたの?

「神保町系オタオタ日記」■(2007-07-15)[出版] 建川美次と茂森唯士
>元駐ソ連大使の建川美次,そして駐ソ連大使秘書だったという茂森唯士.

「神保町系オタオタ日記」■(2010-04-05)[スメラ学塾][図書館]間宮不二雄と高嶋辰彦の国防研究室

「そっと××」:秋山真之の思想が活かされたなら,太平洋戦争の悲劇は避けられたか否か,とか

『英国機密ファイルの昭和天皇』(徳本栄一郎著,新潮社,2007.5)

『清沢洌 日米関係への洞察』(北岡伸一著,中公新書,1987.1)

『計画的戦争準備・軍需動員・経済統制 続「政府の能力」』(三輪芳朗著,有斐閣,2008.3)

 東大の経済学の教授が,日中戦争・第二次世界大戦期における日本の産業政策のデタラメさとそっから生じた多大な無駄を検証した本.
 ただし,高い上にボリュームも多いんで,暇だったらお薦めするってレベルだな.

――――――軍事板,2011/08/17(水)

『検証 戦争責任』1(読売新聞戦争責任検証委員会編著,中央公論新社,2006.7)

『検証 戦争責任』2(読売新聞戦争責任検証委員会編著,中央公論新社,2006.10)

『検証 太平洋戦争とその戦略 3 日本と連合国の戦略比較』(三宅 正樹著,中央公論新社,2013/08)

『国力なき戦争指導 夜郎自大の帝国陸海軍』(中原茂敏著,原書房,1989.8)

『昭和史の怪物たち』(畠山武著,文春新書,2003.8)

 本書の収穫は,森格という右翼強硬派の政治家について,詳しく触れているくだりか.
 森は反米対中強硬派で,中国侵略と海軍軍縮条約破棄を強硬に主張し続けた中心人物の一人.
 散々日本の政治を壊し,日本を滅亡の戦争へと駆り立てておいて,開戦前に死んでいった.
 森には是非,焼け野原になった東京,名古屋,神戸,広島,長崎を見せてやりたかった.

――――――塩津計 in 「BK1」,2004/02/24 14:20:00

『戦争ができなかった日本 総力戦体制の内側』(山中恒著,角川書店,2009.8)

 1931年生まれの著者の書いた本書は,欧米列強の「悪行」や,ソビエト,共産主義の「悪行」には,特に言及せず,持たざる国であった,大日本帝国の「悪行」だけに,殊更厳しい感もあるが,戦争,事変の違いから,第一次世界大戦前後からの満州,中国大陸を巡る経済戦,思想戦などを,把握するのには,安価で良い本ではないか,などと.
 現在の日本国債,特別会計などにも,通じるということになるのか,などと,嘯いてみたり.

――――――俄将軍 in 軍事板,2009/10/25(日)

『大戦間期の対中国文化外交 外務省記録にみる政策決定過程』(熊本史雄著,吉川弘文館,2013/1/22)

『大日本帝国の生存戦略』(黒野耐著,講談社,2004.9)

 とっかかりには丁度良いのではないか,と(眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板)

『太平洋戦争3 「南方資源」と蘭印作戦』(森本忠夫・黒野耐他著,学研,2009.6)

『太平洋戦争はなぜ負けたか』(別宮暖朗著 並木書房 2009/3)

 最近流行りの「帝国海軍批判書」のひとつだが,全般から受ける印象は,「日本の官僚的なるものへの批判を帝国海軍を舞台に行なっている」点にある.
 その意味で類書とは異なる印象を受ける.
 官僚的思考,官僚的判断,官僚的行動からもたらされた結果は反省を産まない.
 これが国を腐らせる主因ではないか?と著者は訴えているように感じる.
 著者独特のあくの強さに拒否反応を示す人もいるだろうが,一度手に取る価値はある.

――――――おきらく軍事研究会)平成21年(2009年)3月15日

『帝国主義日本の対外戦略 日本の経済人はなぜアジア太平洋戦争を阻止できなかったのか』(石井寛治著,名古屋大学出版会,2012.7)

『日米もし戦わば 戦前戦中の「戦争論」を読む』(北村賢志著,光人社,2008.6)

 意外にも戦前の日本でも,米国の国力は詳細に知られていて,
「必敗を覚悟せねばならない」
と結論してる本を,海軍軍令部次長が高く評価した序文を書いていたりとか,戦時中でも米国の軍需生産についておおむね正しい情報がもたらされ,
「日本は負けるかも知れないから,早く講和した方がいいんじゃないか?」
という人間も結構いた事が分かる.

――――――軍事板

『日本海軍の戦略発想』(千早正隆著)書評<「FSM」

『日本はなぜ戦争をやめられなかったのか 中心軸なき国家の矛盾』(纐纈 厚著,社会評論社,2013/12)

『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5)

 著者は,陸自の第二特科群長まで勤め上げて陸将補で退官した人物で,現在防衛研究所戦史部主任研究員.

 本書は日露戦争後から太平洋戦争直前までの日本の国防政策を俯瞰したもの.
 「国家戦略のない国家は滅亡する」と言う言葉は,今の日本にも当てはまるのでは無かろうか.
 国家を企業と置き換えても良かろう.
 斜め読みだが,なかなか面白そうな本だと思う.

 PHP新書の幣原経済外交とか,朝鮮銀行に関する本と共に,戦前日本の安全保障政策に関する研究の入門書としては良い本じゃないだろうか.

------------眠い人 ◆ikaJHtf2 :軍事板,2002/05/18
青文字:加筆改修部分

 視点が確固としており,非常に分かり易く説得力のある分析が為される.

 すなわち,著者は,日露戦争以降,日本には統一的な国防方針(国策・国家戦略)が欠如しており,その結果として,果たすべき国家目標が不明確な中で,採るべき政戦略も混乱を極めていくプロセスを暴いていく.

 結局のところ,国策の欠如が,
「北守南進」なのか「北進南守」なのか,
「海軍優先」なのか「陸軍優先」なのか,
「対ソ戦重視」なのか「対米戦重視」なのか,
優先順位をつけられない状況を生み出す.

 そして,ここから,陸軍,海軍がそれぞれに,自らの組織的利益に固執し,それが国策にも悪影響を与えていくという悪循環が生じていることを明らかにしていく.

 そして,石原莞爾が参謀本部第二作戦課長時代に,そうした優先順位を明確にした「国防国策大綱」を作成するが,結局は作成しただけに終わり,実行には移されない.
 それは結局のところ,陸海軍の主導権争い,さらには,陸海軍それぞれの組織内部の争いの中で破棄され,最終的には,あの戦争へ…「戦っても,戦わなくても亡国」の状況に追い込まれていったのだ…と.

 こうしたプロセスが実に明晰に描き出され,当時の陸海軍それぞれの組織内部の暗闘を理解できる好著である.

 惜しむらくは,分析の視点が明確であるため,当時の経済社会環境,国民生活との関係,陸海軍以外の政府機関の動向,さらには,とても重要な「統帥権」問題についての分析は,今一つといったところだろう.
 しかし,それはそれでいいのかもしれない.
 この本では,敢えて,それらの問題への言及は留めておくために,問題点が明確に浮き彫りにされているのだ.

 組織論一般に,本書の主張を置き換えてみると,統一的なリーダーシップと揺るぎのない大方針というものが,いかほどに重要であるか痛感できる.
 今のところ,事実誤認の記述も認められず,敢えて論争になりそうな部分の扱いを小さくすることで,書きっぷりにも安心感がある.

 「歴史系の軍オタではないが,ちょっと興味がある」という人にも安心してお奨めできるし,一読をお奨めしたい.

------------軍事板,2002/06/24
青文字:加筆改修部分
 感想:今も昔も対して変わらんなぁ.
 日本にはそもそも,「権力を統合する機関」がないんでしょうかね?

――――――ますたーあじあ in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2010年10月08日 17:17

『敗戦真相記』(永野護著,バジリコ,2002.7)

『松岡洋右 その人間と外交』(三輪公忠著,中公新書,1974)書評――大馬鹿者のくせに気が小さい小人物:塩津計


 【質問】
 戦前日本の政軍関係については,どの本がおすすめ?

 【回答】
 戦前日本の政軍関係となると,北岡伸一あたりを読んでみてはいかが?
『日本陸軍と大陸政策』(北岡伸一著,東大出版会,1978.11)
『日本の近代(5)政党から軍部へ』(北岡伸一著,中央公論新社,1999.9)

 ただ,学術書なので読み解こうとすると,時間がかかるかもしれません.
(そんな頭悪いのは私だけか?)

46式 in 軍事板,2010/02/27(土)
青文字:加筆改修部分

 『政党から軍部へ』は一般書だから,そんなに肩肘張らずに読めるよ.
 それにしても,戦前日本の政軍関係についての本って,実質的に政府と陸軍の関係に関する記述がほとんどで,海軍があまり出てこないね.
 ほかの国のはどうか知らないけど.

軍事板,2010/02/27(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦前日本には,「オレンジ・プラン」のような対米戦争計画は存在したのでしょうか?
 また,存在するとしたら,オレンジ・プランでは米国陸海軍が共同で進めていたそうですが,日本では,陸海軍で協力して対米戦争計画について話し合ったことはあるのでしょうか?

 【回答】
 一応,帝国国防方針・国防所用兵力・用兵綱領として,1907年に初度決定,
 1919年に第一次改訂,1922年に第二次,1936年に第三次改訂が行われた計画があります.

 初度決定時は,仮想敵国をロシア,米国,ドイツ,フランスの順とし,兵備の基準はロシア,アメリカに対し,アジアで攻勢を掛けることとしています.
 このうち,海軍は機先を制して敵の海上勢力を殲滅することを目的に,陸軍は敵に先んじて兵力を一地方に集合し,先制の利を占めることを目的としています.

 第一次改訂では,仮想敵国が,ソ連,米国,中国の順となり,独仏は除かれ,中国が入りました.
 用兵については,対ソ作戦として,極東ソ連軍の撃滅とバイカル湖以東の占領,対米作戦として,陸海軍協同でのフィリピンの米海軍根拠地の覆滅,対中国作戦では,在中国の日本権益確保と在留邦人保護出兵が主です.

 第二次改訂では,仮想敵国は,米国,ソ連,中国の順番となり,用兵については,対一国の戦争とは前提せず,対米作戦としてフィリピンとグァム島を占領すること,対ソ作戦で,ウラジオストックの占領など,対中国作戦では各地の占領が設定されました.

 ちなみに,仮想敵国の順番は,海軍の主張で入れ換えられています.

 第三次改訂では,将来の戦争は長期戦となることを予想し,仮想敵国に,米国,ソ連を同格とし,中国,英国にも備えることとしました.
 この辺,陸軍があくまでもソ連一国を主張しましたが,海軍が米国を強く主張して玉虫色の表現となりました.
 用兵では対ソ作戦として,ウスリー方面の撃破,ウラジオストックの攻略,樺太,カムチャツカ半島,樺太対岸占領を目指し,対米作戦では,東洋の艦隊を撃破した上,ルソン島,グァム島の占領と目指していました.
 対中国作戦では,京津地区,青島,上海占領の上,揚子江制圧を定めました.
 対英作戦では,在東洋英軍の撃破を目的としています.

 さて,上記の計画を立案するに当たり,明治の初度決定時は,陸軍が海軍側に働きかけたものの,受け容れられず,当時枢密院議長だった,山県有朋に説得を求めて失敗.
 其処で,山県有朋は私案として明治天皇に上奏.
 それを2ヶ月後,明治天皇は,元帥府に諮詢し,山県有朋「元帥」主導で,陸海協同で国防方針を立てるように復奏し,天皇が山県案を参謀総長,海軍軍令部長に示したので,天皇の命令とあらば逆らえず,両統帥部は陸海軍大臣にも協議し,国防方針他を,天皇陛下に提出します.

 これにより,天皇陛下は,内閣総理大臣に国防方針の審議を命じ,所要兵力の審議を命じ,一応審議の態を取った上で,国防方針が天皇陛下により裁可されています.

 以後,発議は陸軍か海軍かはその改訂時期毎に変わりますが,概ね,統帥部間で協議し,陸軍省,海軍省,その他関係機関によって調整が行われ,陸海軍両総長が上奏,
 天皇が元帥府に諮詢し,首相に下問して裁可する,と言う流れになっています.

 従って,その計画立案には陸海軍が協力して(実際上は兎も角),行われています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/12/17(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧陸海軍は異なった仮想敵国を立てていましたが,海軍の対ソ戦研究,陸軍の対米戦研究は行われていたのでしょうか?
 あるならそれはどんな内容だったんですか? 教えて下さい.

 【回答】
 海軍は日ソ間の戦争を深く研究してはいませんでした.
 そのツケが現れたのが尼港事件.
 以後,ようやく冬季の沿海州行動がスムーズにできるよう,膠州や見島などに砕氷改造を施し,やがて大泊を就役させることになります.

 また,満州事変後に建国させた満州国の水上戦力指導のために駐満海軍部を設置し,この特務機関の主任務を
・陸軍省も参謀本部も把握できていない関東軍の状況把握
・ソ満国境付近での対ソ諜報活動
・満州海軍の指導
として掲げ,対関東軍諜報活動の片手間に,国境ソ連軍の動向調査を行っています.

 要は,たいした対ソ研究はやってないんですね…軍令部でも課一つで対応してましたし.

鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2006/03/06(月)
青文字:加筆改修部分

 海軍から見ればロシア東方艦隊なんか,第6戦隊+1個水雷戦隊で撃滅できると思っていましたので.

 陸軍も大陸方面以外で戦争する事はほとんど考えてなかった.陸軍から見たら,大陸でアメリカ陸軍と戦う可能性はほとんどなかったため.
 そのため,ガダルカナルに米軍が上陸してきたとき,陸軍参謀本部の作戦課で
「ソロモン諸島ってどこだっけ? ガダルカナル島ってどこだ?」
ということになり
「誰も知りません」
「地図はないのか?」
「ありません」
という”信じられないが,本当だ”な事態になったのは割と有名.

 また,1944年に学徒動員された山本七平が入営してから
「本日より対米訓練を導入す.これをあ号教育と称す」
というお達しが連隊長からあった,というレベルなので,陸軍の対米戦研究の程度は推して知るべし,というかゼロ.

軍事板,2006/03/06(月)
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 日本はWW2までは自主防衛できていた.

 【事実】
 それは幻想.
 仮に今の日米関係を「従属」と呼ぶのなら,当時の対独関係なんて犬以下の極度の追従関係だった.
 独ソ不可侵条約という,日独防共協定に真っ向から違反する措置をドイツに取られた――日本への通達が全くなしで.
 大杉一雄氏「真珠湾への道」では,「独ソ不可侵条約は,あきらかな「日独防共協定」違反であり,ノモンハンで国境紛争もあった日本にとっては,背信行為であった」と書かれている.

 にもかかわらず,日独関係は一時的に冷却したのみで,あっという間に日本は再び親独に傾斜して三国同盟を結んだ.
 その後,四国協定構想がバルバロッサ作戦――またしても全くの通達なしに――によって再び背信の憂き目を見ている.
 おかげで,日本の戦略が根底から(正確には松岡の戦略が)くずれちゃったわけだが,その程度の歴史認識もないのか?,コヴァという人たちは.

 そして,それにも関わらず,日本の親独姿勢はほとんど変化がなかった.
 これは,ニクソン訪中という「朝海の悪夢」の具現化を,戦後日本が20年経過しても忘れていなかったこととは,あまりにも対象的.

名無し四等兵 ◆clHeRHeRHo in 軍事板

 そもそも戦前の日本は,軍の燃料の8割がたをアメリカ様から買って,鉄のほとんどを中国や英国圏内から買ってた.その程度の「自主防衛」.
 その証拠に,石油を止められただけで慌てふためいて自滅.

軍事板

当時の日独関係をたとえると……
(朝目新聞より引用)


 【珍説】
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08j.html#04505
だが,日独関係は一時的に冷却,といっても同盟交渉中止と内閣総辞職にまでつながる事態だったわけで ,それでも親独派が多かったのは,別にドイツがいないと生き残れないからというのが絶対の理由だというわけではないし.

 そもそも元レスでは,どんな文脈で自主防衛という単語がでてきたのかはしらんが,
「戦前の日本は自主防衛していた」
というのは,独立で戦争を遂行できる軍隊を持っていたという意味で使われることが多いように思われるんだから,そういう意味では全然間違ってないと思うんだが
 過去と現在の日本の軍事的従属の程度を比較すれば,圧倒的に現在の方が従属していることは間違いないわけで.

 現在の日米同盟はイラク派遣や給油活動見てもわかるように明らかな「主従関係」だが,WW2当事の日独関係はそうでなかった.
 「犬以下の極度の追従関係」だったらドイツの許可無く対米開戦するわけねーだろwwwJK

新新FAQ(2008/7/27アクセス)

 所沢の小林嫌いは異常だけど,いくらなんでもそれは馬鹿すぎるwww
 本人が書いたわけでないにしても載せたのは本人だから,所沢の知能の低さがバレてるw

in FAQ BBS

 【事実】
 そんなにおかしいか?
 「現在の対米関係が従属というのなら」と前置きした上で,
「さんざん外交的に裏切られたあげく,それでも対独追従した戦前なんて犬以下でしょう」
と言っているんだろ.

 言ってみれば,(ありえないが)米国が北朝鮮の核を容認したり,中国の尖閣諸島領有を積極的に認めたり,そんな事されても従ったのが戦前の対独関係って事だろう.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 通達が全く無い,というのがどれ程酷いのか解らんか?
 外交的転換を行おうというのに,曲がりなりにも同盟国である国に通達を行わない,というのは「裏切り」以外の何者でもないんだが.

名無しですいません in FAQ BBS

 要するに新新FAQのは悪意に満ちた文意歪曲.
 批判というより中傷のたぐい.

>「戦前の日本は自主防衛していた」
>というのは,独立で戦争を遂行できる軍隊を持っていた
>という意味で使われることが多いように思われるんだから

 そんな「俺様定義」を持ち出されても,「思われません」の一言で片付く代物ですな.


 【珍説】
 同じとこだけど

――――――
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08j.html#04505
そもそも戦前の日本は,軍の燃料の8割がたをアメリカ様から買って,鉄のほとんどを中国や英国圏内から買ってた.その程度の「自主防衛」.
 その証拠に,石油を止められただけで慌てふためいて自滅.
――――――

これも凄いトンデモ電波だなあw
資源の対外依存率が高いと自主防衛ではないという理屈かよw
これだとイギリスもフランスもドイツもスイスもイスラエルも中国も自主防衛じゃないぞwww

in FAQ BBS

 【事実】
 実際,まともに自主防衛できて無いですよ.
 少なくとも,アメリカ相手では,自主防衛できていませんでした.
 歴史の勉強してないのかな? 
 講和どころか,四年も持たずに無条件降伏しましたよ.

 例外はあるにせよ,先進諸国間の戦争が長期消耗戦となりやすい当時の戦争を見るにつき,燃料・資源の海外依存率が高く,輸入8割以上と言うのは致命的でしょう.
 しかも,その資源を輸出してくれる国が,同盟国ではないばかりか,国際情勢と装備から見ても,第一の敵国ではね.

 開戦と当時に石油の補給がなくなって,新たに油田を確保しても,それを運ぶ油槽船も護衛戦力も足りない.
 あー,大した自主防衛ですねー(棒読

 で,最下行ですが,先進国間の戦争が無くなった(始まったら一瞬でケリがつくようになった)現代と当時では,まったく状況が違うでしょうに.
 電波云々と人を蔑むヒマがあれば,『海上護衛戦』や『補給戦』などを一読することをお勧めします.

極東の(以下略 in FAQ BBS



 【珍説】
 全く理屈になってないというか,そもそも自主防衛という言葉の意味さえわかってない.
 自主防衛とは国防とその判断を自主的行う事,即ち自律的,主体的な防衛政策のことであって,「防衛能力」とは意味が全然違う.
 自主防衛 = 防衛能力とするなら,最強の国以外は自主防衛じゃないって理屈になってしまうだろうが.
 これは自主防衛 = 核武装中立って言ってる漫画右翼と同じ論理だw
 核武装すれば最小限抑止というやつでどんな大国にもそれなりの抑止力を持てるからなw

 自主防衛とは防衛能力とは全く関係無いんだよ.
 ちなみに自主防衛は中立,同盟,集団的自衛権といった政策とも関係ない.
 それらの政策を自主的に選択することも自主防衛の一環なんだから.

新新FAQで晒しとくよw in FAQ BBS

 【事実】
 いや,だから防衛する方針を決めるだけが自主防衛の定義なら,それは「自主」なだけであって,まったく「防衛」出来てないって事なんですが.
 大野治長とか北条氏政とか1939年のポーランドを見習えとか言われてもなあ.
 ところでこの質問のもともとで,自主防衛と言い出してるのは「小林よしのり」本人なのですが,漫画右翼ではないが核武装を主張している小林よしのりが,自主防衛を「国防とその判断を自主的行う事,即ち自律的,主体的な防衛政策のこと」と定義しているという書籍とページをお教えください.

へー in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分

 この珍説者の定義に従うならば,戦後日本の国防方針も殆どの期間,選択の幅は狭いとはいえ,他国に強制されたものではないので,自主防衛できているということになる.
 すなわち,戦後日本は自主防衛できていないとする,コヴァの言葉と矛盾する.
 すなわち,「WW2までは自主防衛できていた」という,議論の発端の主張と矛盾する.

 この珍説者は,仮に本気でこれを主張しているのだとしたら,分裂症的傾向があるといえる.

 【質問】
 戦前の日本はアメリカに負けたから自主防衛できてなかったと言ってる人がいるのですが,正しいのですか?
http://mltr.ganriki.net/faq05c03.html#13751※
 結果論で言ってるのは変な気もしますが.

 【回答】
 そんなふうにしか読めないのなら,国語を勉強しなおしたほうがいい.

 つか,FAQの掲示板でやれ.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 「日本はアメリカに負けたから自主防衛できてなかった」と言っているのではなく,
「アメリカと敵対する戦略方針をとっているなら,アメリカと戦って負けないような算段を立てるべきで,その算段もろくにできていないような防衛戦略を,自主"防衛"できていたとはとうてい呼べないでしょ?
 なぜなら自主はあっても,防衛のほうはできていないんだから」
というお話.

※ 議論の整理上,URLをこのページへ引っ越しました.

 【珍説】
 自主防衛について論争してるけど,元になったwikiFAQの書き込みを転載するよ.

>仮に今の日米関係を「従属」と呼ぶのなら,当時の対独関係なんて犬以下の極度の追従関係だった.

 元はといえばこの極端な解釈が問題になってるんだろ.
 所沢は姑息に論点を変えて反論するんで無く,この点について釈明すべき.

in FAQ BBS

 戦前の日独関係を犬以下の従属関係とか,どんだけ電波だよ.

 現在の日本は米国の核の傘やら在日米軍にどっぷり依存してるわけで,米軍無しでは中国ロシア北朝鮮に対抗し得ない.
 WW2,それ以前の日本は今以上にドイツに依存してたというなら,どかを依存してたのか教えて欲しいな.

軍事板

 【事実】
 その返答は
>  そんなにおかしいか?
>  「現在の対米関係が従属というのなら」と前置きした上で,
> 「さんざん外交的に裏切られたあげく,それでも対独追従した戦前なんて犬以下でしょう」
> と言っているんだろ.
でFAですよ.
 この解釈に関する反論は,まだに来ていませんからね.

 ついでに,論点をコロコロ変えているのは,「戦前までは自主防衛できてた」論者――以下,便宜上,「自主太郎」と総称す――側ですよ.

> http://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/44.html#id_99a90239
> そもそも元レスではどんな文脈で自主防衛という単語がでてきたのかはしらんが

という風に,議論を最初から追うこともしていないと,自主太郎が自分で書いてるじゃないですか.
 その上,直後の文章(以下に掲載)に,「思われるんだから」「思うんだが」と,その後の書き込み内容が,傍証の無い,個人の感想でしかないことを告白していますね.

> 「戦前の日本は自主防衛していた」
> というのは独立で戦争を遂行できる軍隊を持っていたという意味で
>使われることが多いように思われるんだから
> そういう意味では全然間違ってないと思うんだが

 繰り返しますが,このように,議論を最初から追うこともせず,その場の文章だけで判断して,傍証も無く個人の感想を書き散らし,結果として論点がコロコロ変わって行くわけです.

 もっとも,最初から相手が一人だとは思っていませんので,こういうのは仕方の無いことだと思いますが,ろくに議論を追いかけもせずに,姑息だの釈明せよだの,言えた義理ではないでしょう.

 それでも論点が変わっていると主張したいのであれば,議論をしっかり追いかけた上で,
・どの時点で論点が変化しているか?
・それはどちらが原因か?
を具体的にするのが良いと思いますよ.

極東の名無し三等兵 in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分

 ……なるほど,議論がどうも噛み合っていないと思ったら,そういうことですか.

 失礼ながら自主太郎は,文章を読み取る能力が低いのではないでしょうか.

 ちゃんと読めば分かるはずなんですが,「当時の対独関係なんて犬以下の極度の追従関係」というのは,仮定の話なんですがねえ.

 ここにコヴァ(小林よしのり狂信者の総称)が主張するところの,「今の日米関係は「従属」」という言説がある.
 これが仮に正しいと仮定する.
 その上で,その言説と同じ論理を用いると,「当時の対独関係なんて犬以下の極度の追従関係」ということも言えてしまう.
 これはコヴァのもう一つの言説,「戦前までは自主防衛できていた」に反する.

 Xが正しいと仮定すると,Yも正しいということになり,Aに反する.
 ゆえにX≠Aとなるので,AとXの論理は並立しない.
 ゆえにそれらが並立している主張はおかしい,と言っているわけですね.

 ここでは,Yもまた「Xが正しいと仮定」されている条件の下でしか成り立たないものです.
 すなわち,Yもまた仮定の産物であることはお分かりかと存じます.

 自主太郎がYを極論と感じたのであれば,それはYを成り立たせている仮の条件が極論だからです.
 すなわち,X=「今の日米関係は「従属」」が極論なわけです.

 そういう論理立てを全てスッ飛ばして,「Yがどうこう」とあげつらっても,論理的には意味のない行為です.
 すなわち反論にも何もなっていません.

 ここまではお分かりですか?

 お分かりになったのなら,次に進みましょう.

>どかを依存してたのか教えて欲しいな.〔原文ママ〕
とのことですが,具体的に「どか」がそうかも既出ではないかと存じます.
 すなわち,
・独ソ不可侵条約という,日独防共協定への背信があったにも関わらず,三国同盟締結
・同盟締結にも関わらず,日本を無視した独ソ戦開始.なのに親独のまま
という点が,議論の最初で指摘されておりますね.
 近衛首相は
「ドイツが同盟国のわが国を無視してソ連と戦争を始めたのだから,三国同盟を破棄する好機だと思う」(『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著,文春文庫,1989.8.25),p.181)
とまで言ったのですが,結局破棄もされていません.

 付け加えるなら,当のドイツの指導者から劣等民族呼ばわりされているにも関わらず,同盟相手として信頼しようとした点からして,現在の日米関係以下の関係でしょう.
 しかもそんな,日本人を劣等民族呼ばわりしている国の勝利を当てにして,「戦争終結構想」や「対米英蘭戦争指導要綱」や「基本国策要綱」などという,まさに国家の存亡に関わる戦略を決定しています.
 ドイツがコケれば日本もコケるという,従属そのものの戦略を決めちゃっているわけです.
 「戦争終結構想」なんて御前会議での決定ですよ.
 昭和天皇の御前でそう決めたんです.

 この「ドイツの傘」はご存じのように,現代の「核の傘」と比べるのもおこがましいほど弱く,破れ易いものでした.
 「核の傘」は露・中・北韓を牽制するに充分足るものですが,「ドイツの傘」は米英ソを同時に抑えることもできなかったことは,史実からも分かる通りです.
 その程度の傘を,しかも2度も裏切られていながら,死ぬか生きるかというときに,なおもあてにしているのですから,どう贔屓目に見ても現代の日米関係より上等な関係には見えませんね.

 つまり,力関係において,
現代の日米間の軍事力格差>>当時の日独間の軍事力格差
でありながら,
現代の米への従属程度<当時の独逸への従属程度
であるから,ゆえにどちらがマシかでいうなら,
現代の日米関係>当時の日独関係
という不等式は当然のように導き出せるでしょう.

 なお,現代の日米関係が,全く従属していない,なとと言うつもりもないので念のため.
 軍事力格差が格段に違う2国間の関係が,まったく平等であれ,と願うほうが無いものねだりというものでしょう.

 最後に繰り返しますが,「当時の対独関係なんて犬以下の極度の追従関係」という言説は,「今の日米関係は「従属」」という仮定が正しいとした場合に,その仮の論理の応用によって成り立つ言説です.
 その言説がおかしいというのであれば,応用された元の論理を疑ってみるべきですな.

 ああ,もちろん,どれが仮定の条件でどれがそうでないかを把握しておくのは大前提で.

<まとめ>

・日米関係はもちろん対等な関係ではないが,戦前の日独関係ほどゆがんでもいない
・自主太郎は具体的論拠をもって,「自主防衛できていた」ことを論証すべき

消印所沢


 【質問】
 なぜ日本は太平洋戦争に際し,アメリカや周辺国と残らず敵対するような戦略を立てたのか?

 【回答】
 黒野耐によれば,国防の主導権を巡る日本陸海軍の対立が,両者の都合のいいように国家戦略を引っ張ってしまった結果だという.
 陸海軍の組織的要求は,それぞれが最大の敵に備えようとするため,外交によって日本に有利な政戦略的環境を作り出すことよりも,逆の環境に陥る傾向があったという.
 そのため帝國国策要領などにおいて,対米戦を重視した海軍や,対ソ戦を優先する考えと対南方作戦を優先する考えとに分裂したままの陸軍,双方の意向を併記した妥協的なものとなりがちだったという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20)を参照されたし.

「両大戦の参戦国の中で,最悪――というよりほぼ狂っていると言ってもいいくらい――な戦略を発展させて使っていたのは,日本である」
(マーチン・ファン・クレフェルト)


 【質問】
 「戦争終結構想」とは?

 【回答】
 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の略称で,1941/11/5の御前会議の直後,天皇の意図を汲んだ東條首相が,下僚に対して研究することを命じ,同月15日の連絡会議で決定されたもの.

 黒野耐によれば,これの要点は,以下の通り.

1. 主要資源地域と主要交通線を確保して,長期自給自足体制を整え,また,適宜,米海軍主力を誘致,撃滅すること

2. 英国を屈服させるため,
・豪・印と英国の連絡を遮断し,ビルマの独立を促進してインド独立を刺激すること
・ドイツ,イタリアは近東,北アフリカ,スエズ作戦を実施し,インドに対し施策し,対英封鎖を強化して,状況が許すようになったら英本土上陸作戦を実施すること
(※ドイツ・イタリアの与り知らないところで勝手に決めているんだけどね,これ)

3. アメリカの継戦意思を喪失させるため,以下の措置をとること
・フィリピンの現政権を存続させて取引材料とし,対米通商破壊戦を徹底し,中国,南洋資源の対米流出を禁絶し,対米宣伝・謀略を強化し,米豪関係の離隔を図る.
・ドイツとイタリアは,大西洋,インド洋でのアメリカに対する海上攻勢を強化し,中南米に対する軍事・経済・政治的構成の強化を図る
(※ドイツ・イタリアの与り知らないところで(以下同文)

4. 戦争終結の機会をトラエルタメ,常に戦局の推移,国際情勢,敵国民心の動向などに注意して,以下の時機を窺うこと
・南方作戦の主要段落
・対中国作戦の主要段落,特に蒋介石政権の屈服のとき
・欧州戦局の変化の好機,特に英本土陥落,独ソ戦の終末,対インド施策の成功
 そして,戦争終結の斡旋を南米諸国,スウェーデン,ポルトガル,法王庁などに期待し,これら諸国に対する外交・宣伝を強化すること

 この構想の問題点としては,黒野が指摘するところによれば,

・自給自足体制の確立を維持するための方策を重視することなく,逆に米海軍主力の誘致導入という,短期決戦の方策を強調していること.

・蒋介石政権の屈服を方策として挙げているのは本末転倒.
 米英と開戦するハメになったのは,日中戦争解決に行き詰まって南方進出に戦略転換を求め,仏印に武力進駐したことであり,蒋介石政権を早期に屈服させることができるのであれば,そもそも戦争になどなっていない.

・最も実現可能性のある英国打倒にしても,日本ができることは東亜の英根拠地撃滅と,英豪連絡線遮断ぐらいで,あとはドイツ頼み.
 にも関わらずドイツとの間で大戦略を調整することはなく,日本側の一方的願望を書き並べているだけ

・アメリカは長期戦を戦い最後に勝利することに政戦略の基礎を置いていたので,開戦初期の日本の作戦的勝利によってアメリカが講和に応じることはありえず,しかも,その斡旋を期待する国が小国であって,大国同士が存亡を賭けて戦っている戦争を調停できたとは思われない

 このような非現実的な構想が策定された背景として,軍の
「民主主義国民はいざとなれば強いのだとなす今日の世論は軽薄である.
 すべては作戦である.
 作戦さへうまく行けば,民主主義国民は真先に参るものと信ずる(『石井秋穂大佐回想録』;石井大佐は起案当事者)
という低レベルな認識があったのではないかと,黒野は示唆している.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.220-225を参照されたし.

 願望を並べるだけなら,いくらでも「自主的に」行うことはできる.
 しかし,この構想を見ても,どれだけ願望を並べても防衛は可能とはならない,ということが良く分かるだろう.
 そして太平洋戦争以前の戦略も,これとあまり大差ない「願望を並べただけの代物」であり,自主「防衛」と呼ぶにはお粗末な構想だった.
 詳しくは別項にて.


 【質問】
 太平洋戦争前,日本では継戦能力をどのように見積もっていたのか?

 【回答】
 これも戦史叢書が出所.
 何巻だったけかな?

永野軍令部総長の「戦争持続力二年」説

1.対米戦においては彼我の国力,兵力及び戦略態勢などからみて,我が方から兵を進めてアメリカを屈服させることは至難であり,戦いは持久戦になる可能性が大きい.
2.その場合,日本が50%以上の勝算をもって戦いを行い得るための対米7割兵力を持することは,日米両国の建艦能力からして2ヵ年が限度である.
 即ち,米国で第2次,3次,4次のビンソン案が議会を通過すれば,日本が国家財政の許す最大限度において海軍拡張を行っても,昭和18年後期になれば,対米兵力比は大約半量に低下する.
3.石油問題は開戦理由の中の決定的なものであるが,開戦に踏み切っても,占領地の生産が順調に行けばともかく,戦闘による施設の破壊,内地への海上輸送の不如意等を考慮すると依然不安定要素として残り,この面でも長期を見通すことは困難である.

 従って,当初2年間にいかなる成果を挙げるかが重要な鍵となるのであって,それ以後については何とも言えない.

山本連合艦隊長官の「1年半」説 (主に彼我の航空戦力に関する考察を論拠とする)

 米国は日本の10倍以上の生産能力をもっており,日本海軍特に航空軍備の実情をもってしては一戦を戦い得るに過ぎず, 従って経戦能力はせいぜい1年半である.

これに対する,鈴木企画院総裁の継戦能力見積り

1.国力の源泉となる要員及び国民の精神力についてはいかなる事態になっても不安はない.
2.国力の物的弾力性は帝国自体の生産力と日本の勢力下にある満州,支那,仏印,タイの生産力並びに現有備蓄に依存するほかない.
 従って今日の如く英米の全面的経済断交状態が続くときは国力の弾発力は弱化するばかりである.
3.最も重要な液体燃料については,民需において極度の戦時規制を行っても,翌年6,7月頃には貯蔵皆無となる.
 それ故,左右(戦うか否か)を決し,確乎たる経済基礎を確立することが帝国の自存上絶対必要である.
4.戦争になれば輸送力その他の関係からわが国の生産力は一時総じて現生産力の半ば程度に低下することが予想される.
 従ってこの生産力低下期間を努めて短縮するとともに武力戦の成果を直ちに生産に活用するよう企図する必要がある.
5.南方諸地域の要地を3〜4ヶ月の間に確実に我が領有に帰すれば6ヶ月内外から石油,ボーキサイト,ニッケル,生ゴム,錫等の取得が可能となり,二年目位からは完全にこれが活用を図ることができる.
 もっとも武力戦のことであろうから,時に予想に反することもあるので,これに処する方法を予め研究しておく必要がある.
6.高級石綿,コバルト等2,3の物質は南方地域を領有しても取得できないので,これが代用化について研究の要があるが,概ね見通しはついている.
7.日本の場合,国力の消長がひとえに国外からの物資輸入にかかっており,従って戦争遂行上の重要問題は船舶の問題であり,しかもこの戦争は,それ自体作戦用として多大の船腹を必要とするものである.

ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 なんで日本はドイツの事前の了解もなしに,勝手に対米戦を始めたの?

 【回答】
 黒野耐によれば,三国同盟には軍事協約がなかったので,対米戦に関係なく,事前協議することは考えられていなかった模様.
 他方,猪瀬直樹によれば,ヒトラーは松岡外相に対し,
「もしも日本がアメリカと戦端を開く場合には,ドイツは直ちに必要な処置をとるであろう」
と言っちゃったらしい.
 この言葉をどこから引用してきたのか,猪瀬は書いていないので,出典を確かめることができないが,このヒトラーの安請け合いかリップサービスのようなものを,松岡外相は真に受けた可能性が高い.
 当時の日本政府や軍部の首脳に横溢していたのは,願望と事実とを混同して,楽観な戦略を立ててしまう悪癖であったことや,その戦略がドイツにおんぶにだっこのようなものだったことも考え合わせると,このヒトラーの言葉を勝手に「事前了解を得た」と独り決めしたものと考えられる.

 【参考ページ】
『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20)
『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著,文春文庫,1986.8.25)

【ぐんじさんぎょう】,2009/5/15 21:38
に加筆

「戦線から遠退くと,楽観主義が現実に取って代る.
 そして最高意志決定の場では,現実なるものはしばしば存在しない.
 戦争に負けている時は特にそうだ」

bernoulli in mixi,2009年05月14日 21:27

「やっぱり俺(日本)には,あいつ等(ドイツ)しかいないか……」

葉月@御剣財閥 in mixi,2009年05月14日 23:56

「みんなで幸せになろうよ」

kira2@φノ . .\_ in mixi,2009年05月14日 21:46


 【質問】
 「戦力を西に向ける」という発想そのものは,援蒋ルート遮断印英分断という事から考えて,当然,当時の指導部にもそういう発想が出ててもおかしくないと思います.
 マダガスカルに伊号潜を派遣したりしたわけですし.

 そこで質問なのですが,
1)兵を西に向けるという構想が,当時の指導部で議論された事実はあるのか?
2)議論されたならば,どのような経緯で西方侵攻案は棄却されたのか?
 ここら辺の事実をご教示,あるいはよくわかる文献等のご教唆をお願いできませんでしょうか?

 【回答】
 兵を「西にも向ける」構想は議論され,実際実行されています.
 ビルマ侵攻やインパール作戦,チャンドラ・ボースとインド国民軍編成なんかをググってみるのがオススメ.

 海軍としては英国海軍を無力化しただけで,後はタイ・ビルマから陸続きな事もあり,陸軍の戦争でした.
 ただし潜水艦隊は積極的にインド洋で作戦しており,特殊潜航艇によるマダガスカル攻撃なんかも行われています.
 てか,インド洋を通る補給線を潰したいなら,もっとも費用対効果がよいのが,潜水艦です.
 実際,潜水艦隊や現場レベルでは,インド洋に多数の潜水艦を派遣して,通商破壊をすべきだ,っていう話が出ました.

 しかし,潜水艦の損耗が激しい上に,現場の状況やその他の任務(哨戒,敵中離島への補給など)に戦力を割かれて,十分な数を回せませんでした.

 これについては『ミッドウェーの奇跡』下巻(ゴードン・W・プランゲ著,原書房,2005.2)に,ミッドウエーの前ふりとして,インド洋作戦を行う前に海軍のほうから,陸軍のインド侵攻も合わせた攻勢案が出てるが,予算上の問題で内閣(東条英機)に拒否され,海軍単独で実施できるインド洋作戦になったとの記述があります

 ビルマから西にほとんど行ってないじゃん,というツッコミはまさにその通りで,それが国力の限界って事です.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大東亜戦争は,「戦争終結構想」に従って戦われたのか?

 【回答】
 黒野耐によれば,緒戦での勝ちに目がくらみ,構想の長期持久戦から逸脱した戦いを,陸海軍,共に行ったという.
 彼は,山本五十六長官は第1段階終了後も,アメリカ艦隊との決戦を求めて,FS作戦,ミッドウェイ作戦と,持久戦の地域的範囲から逸脱した作戦を強行し,戦力を消耗させたと指摘する.
 また,陸軍も第1段階作戦終了後は守勢的戦略体制に移行・強化すべきだったが,ポートモレスビー攻略,フィジー,サモア,ニューカレドニア攻略に同意するように逸脱したという.
 黒野によれば,田中新一第1部長は,第2段階作戦としてシベリア攻勢,重慶作戦,インド攻略戦,正論攻略戦などを考えており,東條首相は
「この調子なら……オーストラリアまでも容易に占領できると思う.
 この時機に和平など考えるべきではない」
として,和平工作を始めるべきとした意見を撥ねつけていたという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.226-228を参照されたし.


 【質問】
 1941/11/5に御前会議で決定された,帝国国策遂行要綱の内容は?

 【回答】
 条件を譲歩して(いわゆる甲案)外交交渉を続けながら,戦争準備を行うという内容であり,天皇から前回の遂行要領の再検討を求められての決定だったにも関わらず,黒野耐によれば実質上,前回の遂行要領の武力発動時機を1ヶ月延ばしただけだったという.
 これについて,黒野は以下のように述べる.

――――――
 このような情況に追い込まれる前に,国策を転換し,政戦略をめぐらすべきであった.
 事ここに至っては,日本が自存自立するために必要な最小限の条件を明確にして,これを達成するために外交・軍事を集約することであったが,遂行要領は自存自衛と大東亜の新秩序建設という両極端の目標を掲げていた.

――――――下掲書,220

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.218-220を参照されたし.


 【質問】
 「対米英蘭戦争指導要綱」とは?

 【回答】
 陸軍省軍務課において石井秋穂大佐を中心に起案された要綱で,1941年9月初旬に第1案起草.
 本来これは参謀次長直轄の戦争指導班が作成すべきものだったが,その組織が弱小であったことと,軍務局長が武藤章という自己主張の強い男だったため,軍務課主導で策定されたという.

 同月25日に石井大佐が東條英機陸相(当時)に報告してだいたいの同意を得,陸海軍関係者間での審議でも,10月上旬におおむね決定した.
 しかし開戦決定が難渋を極めていたため,本要綱を連絡会議にはかることを差し控えて陸海軍間内での決定とし,主な内容は個別に連絡会議で決定することになったという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.213-214を参照されたし.


 【質問】
 「対米英蘭戦争指導要綱」の内容は?

 【回答】
 黒野耐によれば,これの原文は現存していないが,『石井秋穂大佐回想録』から主な内容を知ることができるという.
 そしてそれによれば,

・戦争目的は「帝国の自存自衛を全うする」

・対米英蘭戦争は長期戦になるだろうから,万般の施策を長期戦の基礎に合わせる必要があるが,なお,あらゆる手段を尽くして短期解決の道を講ずる

・先制奇襲によって戦争を開始し,迅速な作戦によって米英蘭の根拠を覆滅し,戦略上優位の体制を確保すると共に,主要資源地域と主要交通線を確保して,長期自給自足体制を整える.
 この間,適宜,米海軍主力を誘致,撃滅する
(要するに「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」とほぼ同じ内容)

・思想戦については,米国与論を刺激してその海軍主力を極東へ誘致し,また,米国の極東政策の反省を促し,かつ,日米戦争が無意義なる与論を刺激する.
 さらに,東亜の諸民族を白人の支配から解放して,大東亜共栄圏を建設することを呼びかける.

・経済戦では,中国の資源の活用と,南方資源の流失を防止

・外交戦では,ドイツを対米戦に参戦させ,日本の南方作戦間は対ソ戦の勃発を避け,ドイツとソ連を講和させて枢軸側へ引き入れ,ソ連をインド,イラン方面に進出させる
(……無理がありすぎる)

・戦争終末促進の方略は,「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」と同じもの.
 つまり,本要綱の内容が,「腹案」に取り入れられたという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.214-215を参照されたし.

 すなわち,本要綱が「腹案」のベースになった模様.
 外交面では状況変化に合わせて変更が加えられた以外は.

 そしてやはり,戦略というよりは願望寄りのものになっている感が否めない.
 願望では防衛は達成できないことは,改めて言うまでもなかろう.
 まして自主防衛をや.


 【質問】
 「対米英蘭戦争指導要綱」の問題点は?

 【回答】
 黒野耐によれば,以下の点に本質的な欠陥があったという.

・日本は当時,日中戦争を戦いつつ,北方からのソ連,西南方からの米英蘭豪の脅威に直面していたのだから,戦争指導構想はこれら6ヶ国との戦いの枠組で考えるべきだった.

・そもそも開戦を決断するに至ったのは,大東亜共栄圏建設を目指して,6ヶ国と対立を推進してきた結果であり,自存自衛,すなわち石油さえ購入できれば戦争目的は達成されたとするのは,それと矛盾する.

・要則において長期持久戦でありながら,実行において短期決戦を追及するのは,長期戦の本質を見失っている.
(見失うことになった最大の問題点は,「長期戦の準備もできていないのに,アメリカと戦争になる可能性が高い国策を遂行してきたこと」だと黒野は指摘している)

・長期自給自足体制を確立するとうたっているにも関わらず,日本に輸送するための船舶とこれの護衛が重視されておらず,実際に準備もできていなかった.

・本戦争の本質がアメリカの継戦意思を放棄させることにあったにも関わらず,思想戦のくだりについては,アメリカの国家体制,国民性への無知が見られる.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.215-218を参照されたし.

消印所沢

▼ また森本忠夫は,最早,備蓄が前提となった戦争ではなく,戦争の成果を直に生産に活用するという「資源を手に入れるための戦争」という戦略的パラドックスが指定される羽目になったとしている.
 しかしこのパラドックスには,例えば採取したボーキサイトを船で日本に輸送し,それを原料にジュラルミンを製造・延圧し,そこから部品への加工,部品の組み立て,最終組み立てを経て各種試験飛行を受けた後に受領されるか,という資源の戦力化にかかる時間の概念,輸送に纏わる海上護衛は,万全かどうかが捨象されている,としている.

 戦陣にあった〔北条〕氏政は百姓の麦刈りを見て,「刈り取った麦で昼食にしよう」といった.
 信玄がこれを聞いて「さすがは大身の子.刈り麦をすぐに飯にできると思ったか」と嘲笑った.
(世界文化社「ビジュアル戦国1000人」P.114 この逸話が史実か,それとも後世の創作かは知らんけど)

 詳しくは,『太平洋戦争3 「南方資源」と蘭印作戦』(森本忠夫・黒野耐他著,学研,2009.6)内,森本忠夫「徹底検証「無資源国」日本の内実生糸に依存した国力造成メカニズムと成り立たなかった方程式」を参照されたし.

グンジ in mixi,2009年06月28日16:01
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 南方資源を獲得しての自給という計画には,そもそも矛盾はなかったのか?

 【回答】
 開戦前から日本は蘭印に目をつけており,これらの諸島一帯には日本にとって垂涎の的である資源(石油,鉄鉱石,ボーキサイト,ニッケル,マンガン,石炭,硫黄,タングステン,ゴム,マラリアの特効薬,カボック綿,砂糖など)が産出した.
 だが日本にとって資源を確保しようとすれば厖大な商船隊が必要であり,商船隊の安全を確保する為には強力な海上護衛艦隊が必要となり,艦隊の整備の為には十分な資源と生産力をそちらに回す必要がある,という循環の図式が,つまるところ,空母などの決戦兵力が弱体化すると言う事が国力の非力というアプリオリの前提によって立証されたのである,としている.
 こうして日本は,無資源国が諸大国からなる連合国を相手に戦争に突入すれば,アジア・太平洋の広大な地域にわたって厖大な資源が必要となり,戦争に突入すれば資源は入手困難で,戦争を放棄する以外に道がないという,有無を言わせぬ自己矛盾に逢着する必然の帰結を辿った.
 船舶と海上護衛を巡る様々な矛盾の中で,日本はもとより成り立ち得ない方程式をデッチ上げる事によって自滅の道を突っ走っていったのである,としている.

 詳しくは
『太平洋戦争3 「南方資源」と蘭印作戦』(森本忠夫・黒野耐他著,学研,2009.6)
を参照されたし.

グンジ in mixi,2009年06月28日16:01
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 1941/9/6決定の「帝国国策遂行要綱」の問題点は?

 【回答】
 これは,アメリカの経済制裁によって自存できなくなっていく日本が,外交交渉と開戦の踏ん切りを,10月下旬を目途とすることを決めたものだが,黒野耐によれば,米英との長期戦争に対する勝算,又は終結の目算が,明確に描かれていなかったことに問題があったという.
 しかも杉山参謀総長は,南方作戦実施間も対ソ作戦準備を更に強化することを主張.
 これは陸軍主力はソ満国境に拘束され続けることを意味した.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.212-213を参照されたし.

 天皇は御前会議ではこれを覆さなかったものの,実質的にはこれを強制,抑制することを求め,そのために1941/11/5の「帝国国策遂行要綱」ができることになったとか.
 まあ,まともな感性の持ち主なら誰だって,「もっかいよく考え直せ」とは言うでしょうな.


 【質問】
 天皇が御前会議で異議を唱えることは,よくあったことなのか?

 【回答】
 猪瀬直樹によれば,異例の出来事だったという.
 御前会議では天皇は発言しないことになっており,まして決定に積極的に参加して,反対意見を言うことなどありえない,というのが制度上の常識だったという.
>御前会議は,天皇が臨席して決める,というタテマエのためにあり,
>天皇が意見を述べる場所ではなかった.
と,猪瀬は記している.

 詳しくは
『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著,文春文庫,1986.8.25),p.92-93 & 111-112
を参照されたし.

 逆に言えば,異例の発言をする気になるほど,国策要綱の内容に疑問を感じたということだろう.


 【質問】
 昭和天皇って,御前会議でガンガン発言してた

 【回答】
 御前会議は,昭和開幕から戦争開戦まで8回開かれている.
 そして御前会議での天皇は,立憲君主制を守り,大本営政府連絡会議で決めてきたことを拒否しない原則になっていた.
 つまり,天皇の発言は一切なかった.

 それに,御前会議の内容は,根回しされて決まってた.
 ちょっとずるいけど,陛下に責任が及ばないように,会議中は発言させてもらえない.
 物言っても,不規則発言で削除さ.

 御前会議で君主が何もしないのは,日本に限らず,別に珍しいこっちゃない.

軍事板,2000/09/04(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「南方施策促進に関する件」とは?

 【回答】
 「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」と並行して検討され,1941/6/25に陸海軍両総長が天皇に上奏して裁可された,南部仏印進駐計画.
 黒野耐によれば,これは
・政治的には米英の工作から仏印,タイを保全して日本の傘下に収めること
・経済的には仏印の米,ゴムを確保して自存すること
・軍事的には,中国南西部からタイ,ビルマ,マレー半島にわたる戦略上の要点を抑えることにより,ABCD包囲陣に対抗する日本の戦略体制を強化し,武力南進する場合の拠点とし,南西方面からの援蒋ルートを遮断すること
を期待してのものだったという.

 陸海軍は,この進駐によってただちに米英との戦争にはならないと判断しており,米英の全面禁輸を受けるとも予測していなかったが,ルーズベルト大統領は,日本が南進して東亜を制覇して国力を増大させることは,アメリカの死活的利益を侵害することであり,アメリカの安全保障を脅かす行為であると考え,日本との戦争になる可能性があることを認識した上で,アメリカの強硬な姿勢を示すことにより日本を屈服させようとして,7/26,実質的には石油禁輸を意味する在米日本資産凍結を命令したという.

 同時期に行われた関特演と並んで,日中戦争を解決する目算も立たないまま,自ら四面楚歌の状況を作り出す愚行だったと,黒野は断じている.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.207-211を参照されたし.

 自主防衛という観点から見るなら,自主防衛を不可能にする四面楚歌情況を作り出すことは避けなければならなかったはずであって,このことからも,日本は自主防衛に失敗していたと言って良いだろう.


 【質問】
 「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」とは?

 【回答】
 1941/7/2の御前会議において決定されたもので,大東亜共栄圏を建設するため,「支那事変」処理に邁進すると共に,自存自衛の基礎を確立するために南方進出の歩を進め,また,情勢の推移に応じて北方の憂いを取り除くことを方針とした.
 黒野耐によれば,これは北と南に対する国策実行の優先順位を決めることのないまま,南北両方面への武力行使準備を認めたことになるというもので,国家意思を決定する中枢の当時の意見の分裂が,そのまま併記されたものだったという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.203-205を参照されたし.

 支那事変一つ解決できない日本が,南北両面作戦など実行して勝ち目がないことは分かり切っており,「自存自衛」など掛け声に過ぎなかったことが,容易に推測できるだろう.


 【質問】
 関特演は,どんな戦略の下に行われたのか?

 【回答】
 国策要領には,独ソ戦の推移が日本に有利に進展した場合,武力によって北方問題を解決することが決定されていたため,対ソ戦の準備を演習の口実の下に行ったのが,この関特演(関東軍特種演習).
 その基本構想は,極東ソ連軍の総合戦力が半減した場合,ソ連を急襲して短期間に作戦終了させるというものだったが,ドイツ軍の活躍に期待するという他力本願が基本.

 しかも黒野耐によれば,ソ連軍に対する所要戦力の計算根拠とした戦力比は,日本軍にとって甘すぎる見積もりだったという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.209-211
を参照されたし.

 こういう他力本願やら甘すぎる見積もりやらの,どこをどう解釈すれば「自主防衛できていた」ということになるのか,ぜひお教え願いたいものだね.


 【質問】
 関特演の際の日本軍の見積もりは,どのように甘かったのか?

 【回答】


      ____
    /      \ ( ;;;;(
   /  _ノ  ヽ__\) ;;;;)
 /    (─)  (─ /;;/  極東ソ連軍,独ソ戦で半減したと仮定しても
 |       (__人__) l;;,´    まだ15師団も残るお…
 /      ∩ ノ)━・'/
 (  \ / _ノ´.|  |
 .\  "  /__|  |
   \ /___




        ____
      /⌒  ⌒\
    /( ●)  (●)\
   /::::::⌒(__人__)⌒::::: \    あ!でも極東ソ連軍なんて応急動員兵力だお!!
   |     |r┬-|     |    なら,極東ソ連軍1個師団=日本軍0.75個師団で
   \      `ー'´     /     戦力等しいお!




               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |    それに攻撃兵力は2倍で十分だお!
   /( ●)  (●)\  !   !   だから日本軍は22個師団もあれば
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l  短期間で極東ソ連軍撃破できるお!
  |     |r┬-|       |  / 
  \     ` ー'´     //  
  / __        /  
  (___)      /  




   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)  戦力比を単なる師団数で比べてどうすんだよ・・・
. |     (__人__)   火力比で計算しなきゃだめだろ,常識的に考えて・・・
  |     ` ⌒´ノ
.  |         }  ミ        ピコッ
.  ヽ        } ミ  /\  ,☆____
   ヽ     ノ    \  \ /     \ 
   /    く  \.  /\/ ─    ─ \   イテッ
   |     `ー一⌒)  /    >   <  \
    |    i´ ̄ ̄ ̄ \ |      (__人__)     |
               \_   ` ⌒´    /
                /          \




   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__)   火力比で比べると,ソ連軍師団1個の戦力は,
  |     ` ⌒´ノ   日本軍師団1個の1.3倍だぞ
.  |         }
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \




        / ̄ ̄\ 
      /       \
      |::::::        |     しかも戦車・対戦車火力比を比べると,
     . |:::::::::::     |    ソ連軍師団は日本軍師団の3.2倍だ.
       |::::::::::::::    |          ....,:::´, .  
     .  |::::::::::::::    }          ....:::,,  ..
     .  ヽ::::::::::::::    }         ,):::::::ノ .
        ヽ::::::::::  ノ        (:::::ソ: .
        /:::::::::::: く         ,ふ´.. 
-―――――|:::::::::::::::: \ -―,――ノ::ノ――  
         |:::::::::::::::|ヽ、二⌒)━~~'´




    , -.―――--.、
   ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
  .i;}'       "ミ;;;;:}
  |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
  |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|      __________
  |  ー' | ` -     ト'{    / つまり総合すると,
 .「|   イ_i _ >、     }〉}   <   わが軍15個師団の2倍なら
 `{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、  .!-'     \ ヤポンスキイは39個師団必要ということだ!
   |    ='"     |        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {
  丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ
''"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-
   ヽ、oヽ/ \  /o/  |




 ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
 ゙、::::o::-‐''""" ̄"'i
  :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
  i!f !:::::      ゙、i
  i!ゝ!::::     ‐/リ
  i::/:、 :::、  /''ii'V
  ̄ハ:::::\ "''il|バ''

  ショカツリョウ
  諸葛亮 いわく、
「しかも,攻撃側は2倍ではなく3倍が原則のはず.
 なぜ2倍で計算するのですか?」




        ,. -ー冖'⌒'ー-、
       ,ノ         \
       / ,r‐へへく⌒'¬、  ヽ
       {ノ へ.._、 ,,/~`  〉  }    ,r=-、     それに観察してみたところ,
      /プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く    /,ミ=/      国境沿いにはソ連軍は
    ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐'  リ,イ}    〃 /       強固なトーチカ陣地を
   / _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ    〃 /        配置しているようだね
  ,/ └' ノ \   こ¨`    ノ{ー--、〃__/
  人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
. /   |/ |::::::|、       〃 /:::::/    ヽ
/   |   |::::::|\、_________/'   /:::::/〃




 ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
 ゙、::::o::-‐''""" ̄"'i
  :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
  i!f !:::::      ゙、i
  i!ゝ!::::     ‐/リ
  i::/:、 :::、  /''ii'V
  ̄ハ:::::\ "''il|バ''

  ショカツリョウ
  諸葛亮 いわく、
「…となると,防御側の防御力はざっと見積もって2倍.
 すなわち攻撃側は5〜6倍は必要になるかと」




            _  -───-   _
            ,  '´           `ヽ
          /                 \
        /                    ヽ
      / __, ィ_,-ァ__,, ,,、  , 、,,__ -ァ-=彡ヘ  ヽ
       ' 「      ´ {ハi′          }  l
      |  |                    |  |
       |  !                        |  |
      | │                   〈   !
      | |/ノ二__‐──ァ   ヽニニ二二二ヾ } ,'⌒ヽ
     /⌒!|  =彳o。ト ̄ヽ     '´ !o_シ`ヾ | i/ ヽ !    それだけの兵力,ないだろ?
     ! ハ!|  ー─ '  i  !    `'   '' "   ||ヽ l |     ソ連を挑発するだけで意味ないぞ.
    | | /ヽ!        |            |ヽ i !     それでも,関特演
    ヽ {  |           !           |ノ  /   
     ヽ  |        _   ,、            ! , ′
      \ !         '-゙ ‐ ゙        レ'        やるのか?
        `!                    /
        ヽ     ゙  ̄   ̄ `     / |
            |\      ー ─‐       , ′ !
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: : : ::;;< ● > ノヽ < ● >;;:::      |  なるほど…
: : : : : ´"''",       "''"´         l  見積もりが甘かったかもしれん
: : : : : . . (    j    )        /  だがな…
\: : : : : : :.`ー-‐'´`ー-‐'′    / 
/ヽ: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : イ\  
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   /     i f ,.r='"-‐'つ____   細けぇ事はいいんだよ!!
  /      /   _,.-‐'~/⌒  ⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
   /    ノ    il゙フ ::::::⌒(__人__)⌒:::::\
      ,イ「ト、  ,!,!|     |r┬-|     |
     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /




ナレーション「戦後,ソ連政府は,この関特演を利敵行為と断じ,このときをもって日ソ中立条約は事実上効力が消滅していたから,よってソ連の対日宣戦布告は国際法上問題ない,と主張している……」

 【参考ページ】
『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.209-211



.    _.. -──-.._
     || | | |  l | | |
     ||_j L〈{互}〉LL|
     {}{-───-}{}i}
    /  ─    ─\
  /  ==⊂⊃=⊂⊃=\  しかも戦力補充の面でも差があるお
  |       (__人__)    |  人的・物的資源のマシンガン投入だお
  /     ∩ノ ⊃  /  完全に制空権を握れるかも怪しい上に握ったところで
  (  \ / _ノ  |  |   ソ連の防衛網や兵站には決定的な打撃を与えられないお
  .\ “  /__|  |
    \ /___ /


フナムシ in mixi,2009年05月06日 22:43


 【質問】
 日ソ中立条約を結んだのは,どのような戦略的意図に基づいていたのか?

 【回答】
 黒野耐によれば,松岡洋右外相の意図は,中立条約締結後に訪米して,アメリカとの間で太平洋・中国問題を交渉し,ソ連に中国との友好的解決の斡旋を期待するというものだったという.
 松岡は日独伊ソ4国提携を背景とすることにより,十分な効果が期待できると考えていたという.
 この頃,ドイツは既に対ソ開戦を考えていたのだが…….

 一方,陸軍は,自主的に対ソ戦を開始するまでの時間稼ぎとしか考えていなかった,と黒野は述べる.

 さらにソ連の意図は,日本の南進政策を積極化させることにより,日米対立を激化させ,対独戦に備えて極東正面の負担を軽くすることになったという.
 したがって,欧州方面が片付けば,ソ連は再び極東へ進出する可能性が高かった.
 しかも本条約は対米圧力になるどころか,アメリカは,日本が南進政策を強化すると判断して,対日戦備充実に拍車をかけ,対日交渉ではいっそう強硬な態度を取るようになった――黒野はそう述べている.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.203-204を参照されたし.

 ここでもまたドイツ頼みが見られ,しかも最悪の形で裏切られることになる.


 【質問】
 「基本国策要綱」とは?

 【回答】
 1940/7/26,第2次近衛内閣によって決定されたもので,大東亜共栄圏建設が基本方針.
 黒野耐によればこれは,1940年5月から始まったドイツ軍西方攻勢を見た日本陸軍中央部に,この情勢を利用して蒋介石政権を屈服させ,更に南進を開始する考え方が浮上してきたことが背景にあるという.
 そしてこれは,米英の東亜における現状維持の秩序を打破し,日本主導の新秩序建設を宣言し,米英に挑戦状を叩きつけたに等しいものだという.

 しかも吉田海相が指摘したように,海上交通線の確保は日本にとっては困難だったから,元から成り立たない構想だったという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.196-200を参照されたし.

 当時,まともな生存戦略があるとすれば,それは唯一,米英協調路線だけだが,真逆の方向に進んでしまったわけである.
 しかもドイツの緒戦の勝利に浮かれて,というのだから,
「どれだけドイツにすがり付けば気が済むんだ」
と言いたくなるような防衛戦略である.


 【質問】
 「世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱」とは?

 【回答】
 1940/7/27,大本営政府連絡会議において決定されたもので,「基本国策要綱」の国防・外交部分を具体化したもの.
 日中戦争解決促進と南方問題解決の2つの目標が示されていた.
 しかし黒野耐によれば,政府と軍,陸軍と海軍の間,さらには陸軍内の考え方の違いも整合できないまま起案した結果,どのようにでも解釈できるようなものになってしまったという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.197-200を参照されたし.


 【質問】
 「時局処理要綱」当時の,陸軍内の考え方の違いとは?

 【回答】
 黒野耐によれば,日中戦争解決が行き詰まっていた当時の陸軍には,イギリスがまさに倒れようとしていた好機を捕捉して,速やかに日中戦争を解決しようとする考え方と,南方問題解決の好機と捉える考え方とがあったという.
 しかもそこには,南方問題解決の準備として日中戦争を早期に解決する考え方と,南方進出が日中戦争解決を促進する手段であるとする考え方(参謀本部)とが交錯していたという.
 しかも参謀本部では,迅速にシンガポールを攻略し,アメリカが参戦する機会を与えなければ,米国との戦争にはなりそうにないと考えていたという.
 そのため,南方主要地域占領後は,精鋭部隊は満州に返して北方に備えるという考え方だった.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.197-198を参照されたし.

 しかも両派共に,これは英国崩壊,すなわちバトル・オブ・ブリテンでのドイツの勝利が前提となってる考えかただから,当時の陸軍の戦略構想がどれだけドイツに依存していたか,分かるというものだろう.


 【質問】
 「時局処理要綱」当時の,海軍と陸軍の考え方の違いとは?

 【回答】
 黒野耐によれば,海軍の考えかたは,英米は不可分だから,対英戦は対米戦に連動して長期戦となる公算が高く,長期戦には自信がないというものだったという.
 そして,日中戦争解決を先に行い,南方問題は平和的手段によって解決することに努め,南方に自給圏を確立して,武力行使の準備を完成することだけを重視していたという.
 しかし,自信がないと明言した場合,陸軍に
「それでは暫く米の云うことに頭を下げて我慢し,その間,物資も人も陸軍に寄越せ」
と言われるため,対米戦を絶対に回避するとは主張できない(「井川巌海軍少将の聴取書」)という弱みと矛盾を考えていた,と述べられている.

 一方,陸軍は英国を東亜から駆逐する事だと認識しており,また,上述のように米英は必ずしも不可分ではないと考えていたという.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.197-199を参照されたし.


 【質問】
 「時局処理要綱」当時の,政府と軍の考え方の違いとは?

 【回答】
 黒野耐によれば,近衛首相は,日中戦争がなかなか片付かないため,中国の占領地域を縮小して南方に向かうことを考えていたし,松岡洋右外相も武力南進に賛成であり,南方問題解決が日中戦争解決を促進すると考えていたという.
 一方,陸海軍の考え方は上述の通り.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.199を参照されたし.


 【質問】
 日・満・北支にわたる自給自足体制を,日本が確立することは可能だったのか?

 【回答】
 それに関して,『太平洋戦争3 「南方資源」と蘭印作戦』(森本忠夫・黒野耐他著,学研,2009.6)内,森本忠夫「徹底検証「無資源国」日本の内実生糸に依存した国力造成メカニズムと成り立たなかった方程式」 では,おおよそ以下のように説明されている.

 昭和十二(1937)年に故名和統一教授が当時の日本の資源問題を分析し,貿易相手国と貿易商品の組み合わせを,三つの基本的環節に分けて問題の所在を分析した,「日本紡績業と原棉問題研究」によれば,当時の日本の貿易は
日米間の第一環節,
日英(及びその勢力圏)間の第二環節,
日満支貿易の第三環節
から成り立っている,と規定している.

 第一環節:
 アメリカに対して圧倒的な市場依存度を持つ生糸を輸出,アメリカからは石油,機械類,屑鉄,綿花を輸入.
 例えば昭和十一年には対米総輸出のうち,生糸は56.2%を占め,対米総輸入のうち綿花は43.9%を占めている.
 とりわけ綿花は,国民経済のメカニズム(再生産工程)にとって,外貨獲得の最重要品目である綿布を生産する決定的な意義を持っている.
 一方で生糸の対米輸出が止まれば,綿花の輸入が不可能となり,そうなれば綿製品の輸出もありえず,さらには軍需用を含めた重工業原料の輸入もありえない.
 とすれば日本にとって対米生糸輸出こそは日本の貿易,従って日本経済全体にとっての「アキレスの踵」であると断言している.
(アメリカは,日本からの生糸輸入が止まっても,ほとんど痛痒を感じない)

 第二環節:
 アメリカから輸入した綿花を加工して,綿布を生産,イギリス及びその経済圏に輸出して重工業原料を輸入する.
 鉄鉱石:英領マレー,海峡植民地,オーストラリア
 銑鉄:インドアルミニウム:カナダ鉛:カナダ
 亜鉛:カナダ,オーストラリア生ゴム:海峡植民地
 羊毛:オーストラリア綿花:インドなど

 日本の輸出品である綿布は,容易に保護主義の対象にされるにもかかわらず,イギリス及びその経済圏から輸入する商品のすべてが,日本の重工業,軍需工業にとって不可欠な資源であり,もし日本が英米と衝突すれば,悲劇的なことになる,と名和教授は当時の時流の中,身の危険を顧みず警告している.

 第三環節:
 日本が工業製品及び機械類を輸出し,当時の満州を含む中国から農産物,食料品,鉱物を輸入する.
 この環節では著しく輸出超過を示しているが,貿易額は全体の五分の一程度に過ぎず,政治的にも不安定なこの環節が,他の二つの環節を代替する事は出来ない,と結論付けている.

 そして満州事変以降の軍部の大陸政策について,海外の資源への依存から脱却しようと大陸政策を強化すればするほど,重工業,軍需工業の生産力の拡充が求められ,その為には海外への依存も増大する,として更なる戦争の道に向かって進む日本の矛盾を洞察,喝破した,としている.

――――――
 だがこの数年の経過を顧みて,それははたして英米からの制約低減にどれだけ成功したと見るべきであろうか?
 貿易表は日本が大陸政策強化の準備として,重工業・軍需工業生産力拡充に焦慮すればするほど,世界市場への依存,原料輸入は増大するという循環を示した.
 ここに日本経済の深憂が存ずる.

――――――「日本紡績業と原棉問題研究」P.473

 文字通り四周閉塞ともいうべき状況の中,無資源国日本はこうした状況を突破すべく,様々な手段を講じている.
 例えば資源の備蓄について,貿易を管理して優先度の低い物資の輸入を抑制,優先度の高い物資の輸入を促進している.
羊毛:昭和十二年を100として昭和十五年には40%に減少
綿花:昭和十一年を100として昭和十六年には32%に減少
ボーキサイト:昭和十一年を基準にして昭和十五年には11.3倍に増加
ニッケル:昭和十一年を基準にして昭和十六年には20.4倍に増加
鉄鉱石:昭和十一年を基準にして昭和十六年には143倍に増加

 これらは仮想敵・英米からの綱渡りの輸入であり,しかもこのことが皮肉にも,開戦時の国力判断で悲観的傾向を打ち消す一つの要因となったとしているが,連合諸国を敵にした太平洋戦争を巡り,十分な戦略物資を備蓄するといった問題は,ドンキホーテ流の倒錯的夢想であった,としており,中国や北部仏印に進出しつつ,新たな領土として南方地域を狙っている事が,まぎれもない事実として進行している時に,英米蘭が侵略戦争遂行の為の資源を,そういつまでも日本に分け与えるなどといった事は,ありえよう筈のない事柄だったとしている.

 米は,日本が中国への侵略の地歩を加速して以来,対日経済制裁を考えており,昭和十三(1938)年六月の「道義的禁輸(モーラル・エンバーゴ)」を皮切りに,翌十四(1939)年七月に日米通商航海条約の破棄を通告,昭和十五(1940)年一月に条約の無効が実施され,その後も無条約のまま日米の通商関係は相当期間存続したが,事態の運行はアメリカの一方的なオプション下にあったとしている.

グンジ in mixi,2009年06月28日16:01
青文字:加筆改修部分


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