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◆◆◆賞罰
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<◆太平洋・インド洋方面 目次
<第2次世界大戦


(画像掲示板より引用)


 【link】

「楽しいことないかな」◆(2015/10/13) 【驚愕】質屋『天皇陛下から授与された時計が持ち込まれた!』元軍人の男「それワシのだな」質屋『ですよね』→K察に通報した結果・・・・・

『憲兵―元・東部憲兵隊司令官の自伝的回想』(大谷敬二郎著,光人社,2006.6)

 〔略〕
 この本は,東部憲兵隊司令官という,首都圏最高位の憲兵だった著者による回顧録です.
 あなたの憲兵観を一変させること請け合いです.

――――――おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)6月26日

『憲兵物語 ある憲兵の見た昭和の戦争』(森本賢吉著,光人社文庫,2003.10)

 かなりの良著.
 憲兵視点から見た,大陸での諜報活動や当時の中国人との関係とか,一般的に見られている憲兵の悪いイメージが生まれた原因(質の悪い人員を押し付けられた経緯)等,読み応えがある.
 文章も上手いので,読み物としてもかなり面白いよ.

――――――軍事板,2009/07/08(水)

『憲兵よもやま物語』(山内一生著,光人社NF文庫,2004.4)


◆◆◆◆顕彰


 【質問】
 旧軍にもドイツみたいな「肉弾戦車撃破記章」とか「歩兵突撃記章」とかあったのですか?

 【回答】
 日本陸軍に於いて,軍人も受けることが出来る勲等は,大勲位菊花章頸飾から勲八等宝冠章まであります.
 このほかに,軍人のみが授与される功一級〜七級までを金鵄勲章と言います.

 将官は功一級〜三級,
佐官は功二級〜四級,
尉官は功三級〜五級,
准士官は功四〜六級,
下士官は功五級〜六級,
兵は功六級〜七級が授けられます.これらには終身年金も付いていました(1941年には一時金となる).

 これら金鵄勲章は,武功抜群の陸海軍将兵と軍属に賜るもので,ドイツ軍の様な戦車を破壊したから功績章を授与するとか,そう言う性格のものではありません.

 また,記章類としては,従軍或いは戦役,事変に関係した軍人,軍属,民間人に拝受される従軍記章,皇室,国家の典儀,大事業を記念すべき表章として制定された,記念章があるだけです.

 金鵄勲章は昭和17年以降,戦死者でなければ授与されない勲章になってしまいましたので,海軍では,生存者を対象に前線の航空艦隊司令長官や艦長の裁量により,司令賞の授与や特別善行賞一線付与などが行われました.
 また,逐次感状(表彰状)や短刀の授与も行われています.
 感状の授与は陸海軍感状授与規程に基づいて行われました.
 ただし,これらには記章等は与えられていません.

 陸軍では感状の他には昭和19年に陸軍武功徽章(甲・乙)が制定され,金鵄勲章に匹敵する生存者授章勲章として軍司令官以上の高級司令官によって授与されました.
 武功徽章は楯を縦横に重ねて十字形にしたデザインで,中央に「武功」の文字が書かれています.
 甲章は個人の武勲に対して,乙章は部隊の武勲に対して授与されたものでした.
 海軍には同様の勲章は存在せず,陸軍のみの独自の勲章でした.

眠い人 ◆gQikaJHtf2他 in 軍事板


 【質問】
 金鵄勲章(きんしくんしょう)って何?

 【回答】
 金鵄勲章(きんしくんしょう)とは,明治23(1890)年2月11日の紀元節を基に制定され,昭和22年5月3日に廃止された勲章です.
 7等級に分けられ,陸軍・海軍の軍人軍属のみ,かつ,戦功がなくては授与されないというものでした.
 神武東征のおり,金色の鳶が神武天皇の御弓にとまり,その輝きに長髄彦の軍勢の目がくらんで降伏したという故事にちなんでいます.

 もっとも昔,春風亭柳昇が,「お酒を止めると貰える勲章だ」って言ってましたが.

 【参考ページ】
http://www2.saganet.ne.jp/KAIKOU/newpage16.htm
http://www.ne.jp/asahi/tonekousyou/yukikaze/fcg_kinsi.htm
http://military-web.hp.infoseek.co.jp/decoration/dec-5kinshi.htm
http://www.indi-info.pref.gifu.jp/manabi/pic/archive/chiiki/virtual_museum/database/page/0207213060000223.html
http://www.nazuna.com/tom/war/02kinshikunsho.html

 ちなみに「漢(おとこ)の勲章」は,殴り合いでできた傷ですよね?

【ぐんじさんぎょう】,2008/12/28 00:00
&消火器ちゃん in mixi,2008年12月27日 02:50(黄文字部分)
に加筆

 もちろん!!
 身体中のあらゆる傷が勲章ですよ.

パンチ in mixi,2008年12月27日 12:37

 いいえ,「ツッパル事」です.
 嶋大輔がそう言ってます.

鉄底海峡 in mixi,2008年12月27日 09:28

 あのー,男の勲章はたばこでつけるんだぞほうらって先輩に聞いてたんですが・・・

こじや in mixi,2008年12月29日 23:12

 せんせ〜,○んだバイクで走り出したり,夜の校舎窓ガラス×してまわったりするのは,漢の勲章じゃないんですか?

ぎんなんそう in mixi,2008年12月26日 23:46

所沢の「古本まつり」での収穫

 「大東亜協栄圏 南方大観」(昭17)は,タイ,マレー,仏印,蘭印,フィリピン等の産業,資源,文化や風俗,さらに日本軍の活動について言及してあり,一次資料として有効そう.

 雑誌「支那」4月号(昭18)の,『南方の華僑対策』等の経済記事や,北支戦線を描いた「分隊長の手記」(昭14)の兵隊生活描写や,「支那事変 北支之巻」(昭12)の生々しい現地レポ等も,興味深いものがあります.

 また「日本の勲章」(昭54)では,金鵄勲章について詳しい章があり,今後の勉強に役立ちそうです.
 戦後のドサクサ時期に,大阪のキャバレーでナンバーワンに金鵄勲章功三級をつけさせたり,赤坂の芸者が帯留めに勲二等旭日重光章を付けていたりして,旧軍人は眼を覆いたくなった…など,戦後エピソードも面白い.

よしぞう(maro') in mixi,2007年03月10日00:00

功五級金鵄勲章
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 我が愛しのクライン孝子さんの日記に,このような投稿が載りました.

>私が関心を持つ国防に焦点を当てて見ると,
>ドイツは敗戦のショックの中でも国防の重要さを決して
>忘れることなく,軍隊の伝統をしっかりと受け継いでいます.
>その証拠に第二次世界大戦中に授与された勲章を旧軍人が
>佩用することを認めています.
>かたや日本はそれを禁じているのです.
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20090731

 旧帝国陸海軍人は,大東亜戦争中に授与された勲章をぶら下げてはいけないのでしょうか?

ぴぴ,2009年08月01日 10:34

 【回答】
 そんな法律見た事も聞いたこともありませんなあ…

 それに旧軍人は,軍人としての地位を失っているはずですので,オフィシャルな場で制服とセットで着る機会も無いはずですし…

クローム・ツァハル,2009年08月01日 12:36

 先の大戦で授与された勲章をぶら下げてはいけない法律は,ないですので問題ないはずです.
 それこそ憲法違反ですし.
 おそらく,思想が偏った方が勲章をぶら下げた人を攻撃して,勲章を持ってる方が堂々と勲章をぶら下げられない状況を皮肉ったのではないでしょうか.

トランスフォーマー7,2009年08月01日 20:44

 色々ぐぐってみましたところでは,金鵄勲章は1947年にGHQ命令によって,公の場での佩用も禁止されていたようで.

 なお,韓国では未だに禁止の模様.
 こんな騒ぎもあったとか.
http://blog.goo.ne.jp/yoshi1963jp/e/9e36161f074e7c46f9d736e176669d8a

消印所沢,2009年08月01日 21:50

 ありがとうございます.
 wikipediaを調べてみますれば,
>金鵄勲章は廃止されたままで公の場での佩用も禁止された.
とのこと.
 86年には佩用が認められたそうなんですが.ついこの前じゃねえか.

 これがほんとの,きん・・いや,なんでもない.

 この辺がよくまとまってるかな?
 朝日の記事です.

――――――
金鵄勲章復権は当面白紙 中曽根首相,1度は決断 中国の反発で撤回
1985.06.20 朝日新聞・東京朝刊 2頁 2総 (全2,120字) 

 戦前,武功抜群の軍人,軍属に授けられた金鵄(きんし)勲章を復権させようと,中曽根首相が先月,これに必要な措置をとることをいったん決断,事務当局に指示した.
 ところがその後,先の大戦の対日戦で多くの犠牲者を出している中国の激しい反発ぶりが伝えられ,あわてて指示を白紙に戻した−−
 19日までに,複数の政府筋がこんな経緯のあったことを認めた.
 政府は自民党内の金鵄勲章復権要求の動きに対し,当面,従来の「慎重に検討中」との立場を続けることになりそう.
 首相の,時に戦前回帰に傾く気分が,中国など戦争被害者の気持ちをそこね,すんでのところで,第2の「教科書」事件になるところだった.

 政府筋によると,首相が金鵄勲章の復権措置を決断したのは先月20日のこと.
 日本金鵄連合会長の稲村佐近四郎氏や,「旧勲章名誉回復に関する議員懇談会」会長の江藤隆美自民党国対委員長ら自民,鈴切康雄氏ら公明,小沢貞孝氏ら民社,それに新自クの伊藤公介氏の4党国会議員計9人が首相官邸を訪ね,
「勲章の名誉を回復し,受章者本人の1代だけでも胸に飾れるように」
と首相に迫った.

 中曽根氏は,鈴木内閣の行政管理庁長官で鈴木首相外遊中の首相臨時代理を務めていた57年6月,日本金鵄連合会の同じような陳情に対して,
「個人としては復権に賛成だ」
と発言,所管の田辺総理府総務長官(当時)から
「発言は慎重にしてほしい」
と抗議されたこともある.
 いま首相の座につき,改めて陳情を受けて
「誠意をもって対処する」
と答えた.
 首相に会った国会議員の1人は
「首相は明確に
『やります.ただし,いろいろ地ならししないといけないことがあるので,時間をもう少し貸してほしい』
と述べた」
と証言している.

 首相はこのあと,ただちに総理府賞勲局に対し,金鵄勲章復権のためにはどんな手続きが必要か,また外務省に対しては,中国など先の大戦で旧日本軍による犠牲者を出している国々の反応を探るよう指示した,という.
 総理府は,金鵄勲章復権そのものには抵抗感を示しながらも,手続きとしては立法措置は必要ではなく,政府が政令を出せば十分との考え方で,首相にとってはきわめて都合がよかった.

 関係筋によると,この決断を白紙に戻すきっかけになった中国の反応を伝えたのは,首相と個人的に親しい実業家の四元義隆氏と自民党中曽根派の渡辺秀央代議士.両氏は先月25日,首相公邸で首相に会ったうえで,月末に訪中,胡耀邦中国共産党総書記や中日友好協会の王震名誉会長をはじめ要人と会見した.
 両氏は胡総書記や王氏ら要人に直接,金鵄勲章の復権を打診したわけではなく,別の幹部らに対しこれを話題にしたらしい.
 ところが,中国側は
「そんなことをすれば,これまでの日中友好は水泡に帰すことになりますよ」
と激しく反発.
「火鉢に手を突っ込んだような手痛い目に遭った」(関係者)
というほど.

 両氏が中国で金鵄勲章の問題を切り出したのは,首相の要請によるものか,訪中前に首相と会った際,首相の決断を知った2人が独自の判断で行動したものか,必ずしもはっきりしていない.
 四元氏周辺,渡辺代議士は
「中国滞在中,金鵄勲章のことを話題にした事実はない」
と否定している.
 しかし,政府はこうした中国の猛反発ぶりを受けて
(1)金鵄勲章復権問題は当面棚上げの状態にする
(2)今回の経緯はなかったことにする,
との方針を固めたという.

 今月4日の衆院外務委員会で,土井たか子氏(社会)が金鵄勲章復権問題を取り上げ,
「アジアで日本軍の侵略を受け被害に遭った人々にどう受け止められるか,外交上の配慮が必要ではないか」
とただし,安倍外相は
「日本が自主的に決める問題だが,外国の理解がないといけない.
 慎重に外交上の配慮をしていかなければ,と思っている」
と述べた.
 〔略〕
――――――

 この記事についている用語解説.

――――――
<金鵄勲章復権問題>

 〔略〕
 復権を主張している日本金鵄連合会は実際に受章した人たちが中心になって組織した団体で,40年代半ば以来,旧受章者の栄誉回復(復権)を求める運動を続けている.
 56年6月に衆院内閣委員会と同本会議で,日本金鵄連合会提出の「生存している受章者本人の1代に限り有効となるような措置を求める請願」が自民,公明,民社,新自クの賛成で採択された.
 政府は復権の是非論のほか,金鵄連合会の主張を認めると,すでに死亡した受章者の栄誉回復はどうするか,ご沙汰書組受章者にも新たに勲章を贈らなければならなくなる,などの問題も起きてくることから,「慎重検討」との回答を続けてきた.
――――――

・・・佩用禁止,って感じには読めないですねえ.
「法的にはグリコのおまけ扱いなんだから,公式の場で付けるんじゃねえぞ」
みたいなことだったんじゃないでしょうか?

ぴぴ,2009年08月01日 22:44〜08月02日 22:43

以上,「軍事板常見問題 mixi支隊」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 恩賜(おんし)のタバコって何?

 【回答】
 天皇から配られる記念タバコ.
 約8cm四方のケースに入っており,ケースには「御賜」と印刷されている.戦後は「賜」のみ.
 タバコは7cmほどで,その一本一本に菊紋が印刷されている.

 1934年から,兵士や勲章受章者,皇居を清掃する勤労奉仕団などに配られるようになった.
 ただし明治時代の1877年には,西南戦争の傷病兵に対し,皇后らがタバコを支給した事実もある.
 戦時中には前線の兵士に配布.
 年間1000万本以上が作られ,1944年には製造数2800万本.(占領地インドネシアはタバコの産地でもあるから,そのせいもあるのかも)

 戦後も叙勲者,皇室警備や清掃奉仕者,地方訪問の関係者らに,配布.
 また,天皇誕生日には宮内庁職員らにタバコ20本と酒1本,おつまみが配られていたが,喫煙率の低下によって「タバコを貰っても嬉しくない」という人が増えたため,,2000年からたばことおつまみの代わりに,菊紋を焼き付けたお菓子に変更された.

 ただし接待用としては製造は続いている模様.

 なお,
「恩賜の煙草は,喫煙率を拡大させ,日露戦争調達のためのタバコ税収入増加を狙って始められた」
という説もネットには見られるが,上記のような時系列から考えると,その可能性は低いのではないかと.

消印所沢


 俺ももらったよ.恩賜のタバコ.
 警視庁行った時(捕まったんじゃないよ)に,案内してくれた捜査員からなんだけど.
 警視庁内部の売店で売ってるという話もあるよ.
 中身はセブンスターで,まだもう一箱あるよ.

 自衛隊も災害出動から帰ると,支給されるって聞いた事あるけど・・・・どうなんでしょ?

自営業 in 軍事板

 以前,恩賜のタバコを吸う機会がございましたので,吸った感想を.
 ウィキペディアでは「非常に辛口」とありましたが,私の感想は「非常に不思議な味」.同じく吸ったことのある知合いに聞いても同じ感想でした.

(以下,「ソースは2ちゃん(軍事板?)」で,かつ過去ログも調べられなかったので聞き流して頂ければ)
 どうやら恩賜のタバコは国内産の葉のみを使用し,賜った方々がある程度保存して吸うことができるようにするために,香料などの混ぜ物は一才入っていないため,そのような味になるのだとのこと.

ぎんなんそう in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

恩賜の煙草
(画像掲示板より引用)


◆◆◆◆憲兵・警察


 【質問】
 「憲兵が国民を弾圧していた」と聞くことがありますが,憲兵って民間人を取り締まる権限持ってましたっけ?

 【回答】
 ありましたよ.
 明治14年に制定された憲兵条例には,「凡そ憲兵は陸軍兵律の一部に位し,巡安検察のことを司り,軍人の非違を視察し,行政警察,司法警察のことを兼ね,内務,海軍,司法に兼隷して国内の安寧を司る」となっています.即ち,軍人に対する秩序維持と,国内の民権運動などの過激派取り締まりが,そもそもの任務になります.

 昭和3年7月4日に,憲兵隊内に思想係が設置され,思想警察が主な任務となり,国内の民間人に対する思想運動取り締まりが強まっていきます.
 また,太平洋戦争勃発後は,非戦・反戦運動に対する思想的弾圧,また統制経済を維持するために,民間にあった隠匿物資の摘発なども主任務になっていきます.

眠い人 ◆gQikaJHtf2

 なお,大杉栄事件では大杉等は「検束」された,であって現在で言う逮捕・保護とは多少ニュアンスが異なります.
 検束は旧憲法下で認められていた市民拘束の手段で,泥酔者や自殺者志願者などの救護を目的とする保護検束と,公安を害するおそれがある場合に,その予防を目的とする予防検束(反政府集会の参加者等がこの対象となった)とがありました.
 いずれの場合も拘束可能期間は翌日の日没まで.

 この事件については,検束時の大杉は帰宅途中であったため予防検束の対象とはなり得ず,「命を狙われている可能性が高い」保護対象者として検束したと法的には言えますが,当時は「検束する」の一言で誰彼構わず引張れたのが実情です.
 なお,検束は官憲の判断で強制的に行うものであり,対象者の同意は必要ありません.

 現在では,警察官による予防検束は不可,保護検束は「保護」として残っています.

軍事板

 おじいちゃんは戦時中は憲兵やってたそうです.
 仕事は大層ストレスフルだったとか.
 なんでも,一般人が闇米を隠し持っていたら,没収しなければいけないのですが,昔の田舎の人は良く言えば純朴,悪く言えば愚鈍だったそうで,闇米の隠し方が信じられないくらいバレバレだったらしいのです.
 本当は見逃してあげたいのに,他の憲兵にバレてしまうので,仕方なく取り上げなければいけなかったとか.
 おじいちゃんは闇米を没収した日は,家に帰ると
「妊婦のふりとかおっぱい大きいふりとか,もっと上手く隠してくれ!」
とぼやいていたそうです.

 ある時,おばちゃんが一生懸命あやしているねんねこの中身が,赤ちゃんではなくてお米で,しかも米がねんねこからはみ出て見えてる(笑).
「風邪引くだろうが」
と言って無理やり奥に押し込んで見逃したとか.

生活板

▼ 日曜の朝に.本日は浜松町でミニミリタリー市の「ヴィクトリーショー」開催なので,午前中だけちょっと覗きに行ってみました.
 〔略〕

 珍しいと言えば,あまり見かけない,ちゃんと憲兵腕章が写った憲兵写真も,同一人物で何枚かあったので,すかさず是等もゲット.
 さらに嬉しかったのが,支那服をきて便衣(スパイ)スタイルになった同一人物写真があった事!
 やっぱり大陸の憲兵はコレですよねー(笑)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq20j02p.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq20j02p03.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq20j02p02.jpg

よしぞうmaro' in mixi,2007年09月30日18:16


 【質問】
 ある方のガ島戦記で,ガ島内で憲兵隊の目を盗んで,食料を盗んだりしていたとありました.
 憲兵隊って,各戦地に同行してたのですか?
 憲兵隊は,兵隊からも現地人からも嫌われる存在だったのですか?

 【回答】
 根拠地ならば,どこにでも居るよ.
 (兵士の)秩序維持に必要であるし.

 また,蛇蠍のように嫌われていたのも確かです.
 ある憲兵(中国戦線で鬼と呼ばれた)の手記によれば,新兵訓練から親しかった者達も,憲兵を希望すると聞いた途端,急によそよそしくなったとのこと.
 妨害工作こそなかったが,これはその人が憲兵試験に通ってしまうと報復されるから.
 また,当人も,憲兵を希望したうえで試験に落ちたら,「ハブ」にされる事が目に見えているので,必死になって勉強したとのこと.

 民間人・現地人から嫌われていたことは,言を待たないですな.
 尋問・拷問当り前,家族を人質にとって自白強要というのも彼自身行ったと.
 彼は水攻めの名手であり,犯人の自白率トップを維持,内部で重宝されたそうな.

zeke :軍事板,2001/04/18(水)
青文字:加筆改修部分

 他方,海軍の人が,呉でキャラメルを無断で持っていたところを憲兵に見つかり,殴られて取り上げられると思っていたところを,まだ若いのを知ってか見逃してくれたという話ありましたね.

軍事板,2001/04/18(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦前の憲兵の警察権は,内務省に対する牽制の意味があったのですか?
 森本賢吉『憲兵物語』(光人社)によれば,そのように書かれていますが.
 戦前は知事も府県の警察局も内務省官僚ですから,涜職事件について庇い立てする可能性があり,このため司法省検事が憲兵を指揮して捜査できる含みを残しておいたとか.
 ソースの人つまり森本賢吉氏は憲兵在職11年,准尉まで叩き上げて特高班長もやったプロ中のプロなんす.

 ただし同書では,検挙実績があったとは主張してないし,涜職捜査における警察と憲兵の競合も,主張してないので誤解なきよう.

 「含みを残しておいた」.法務府検察が内務省に掣肘されない制度的裏づけのひとつに,憲兵の警察権利用の可能性があったということなんす.

 【回答】
 それは違うんじゃね?
 憲兵は涜職の捜査権はほとんど無かったし,マジで知事等の涜職事件の検挙実績もない.

 法制上「司法省検事が憲兵を指揮して捜査できる含みを残しておいた」ってどこかに書いてあるの?
 推測でしょ?,その著者の.
 当時の法務府の法制解釈やら答弁でそう言ってるのがあるの?
 旧刑訴,組織規則等をあらかた見ても,全然そんなこと書いてないでしょ?
 さらに言うと,憲兵に涜職事件の捜査権が付与されてないと,検事指揮があっても憲兵は捜査できないでしょ?

 残念だけどソースの人の勘違いではないかと.
 自衛隊に10年以上所属しているのに,組織法や,法制的な根拠を知らない人間なんて山ほどいる.
 刑事だって同じ.
 そういうことでしょ.
 それにその人,現場の人だったんでしょ?
 それなら,そういう組織絡みのことはしょせん伝聞知識でしょ.
 そういう人が法制面については知らないのは,よくある話.

 戦前の警察はフランス式の行政警察中心.
 もちろん内務省内の一機関にすぎないから,政治の動きに左右されやすく,涜職事件には弱い.
 涜職検挙でそれなりに力を持っていたのは法務府検察庁.
 これは帝人事件みたいなのもあったが,涜職事件には抜群に強かった.
 しかも,戦前の警察は司法警察というより行政警察.
 涜職は法務府検察の専権事項が如くだったのだから.

 それに涜職事件は,積極捜査が必要で捜査の端緒から,捜査(司法警察)の世界に入るんだけど.
 そうなると,戦前の行政警察が手を付けるとか付けないのレベルの話じゃないよね.
 戦前の警察は行政警察を主任務にして,司法警察については検察の下請けをやってたわけで,涜職事件については積極的に捜査する組織法上の根拠も,第一次捜査権もなかった.
 要するにその部分を全部検察に牛耳られていたわけ.

 それを牽制する憲兵って何?
 論理的におかしいでしょ.

「週刊オブイェクト」コメント欄,2007年05月27日付


 【珍説】
情報保全隊―自衛隊は国民を監視するのか [2007/6/7 朝日新聞]
--------------------------------------------------------------------------------
 忘れてはならないのは,武力を持つ実力組織は,国内に向かっては治安機関に転化しやすいという歴史的教訓である.
 戦前,軍隊内の警察だった憲兵隊がやがて国民を監視し,自由を抑圧する組織に変わっていった.
--------------------------------------------------------------------------------

 【事実】
 慌てて書いたので碌に推敲しなかったせいなのか,それとも狙ってやっているのか知りませんが,この辺りの記述は間違っています.
 『軍隊が治安維持を行うという意味 』
を参照のこと.

 要するに,戦前の日本の憲兵隊は,フランスの国家憲兵制度(Gendarmerie nationale)を参考にして創設されたので,治安維持任務は最初から仕事の内の一つでした.
 朝日新聞の社説を書いた人は,MP(ミリタリーポリス:軍隊内警察)と国家憲兵の区別が付いていないのか,まるで軍隊内でしか活動できない憲兵が,やがて国民を取り締まるようになったかのように書いているようですが,違います.
 戦前の憲兵隊の場合,最初からそれは任務でした.

 なお,現在の自衛隊には,アメリカ軍のMPを参考にして創設された「警務隊」があります.これは軍隊内警察です.

<以下コメント欄>

■シバレイも監視対象!自衛隊の国民監視に対する声明

>旧日本軍において,軍内部の規律違反を取り締まる憲兵が,
>やがて国民を監視し,弾圧する存在となっていったことを,
>私達は忘れるべきではないでしょう.

 なんだシバレイは朝日新聞の記事をパクっていたのか.
 フリーランスの記者が盗用をやっちゃ駄目だろ.

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年06月08日 00:18:00

「週刊オブイェクト」,2007年06月07日


 【質問】
 陸軍と先鋭的に対立していた海軍が,なぜ独自の憲兵を持たず,陸軍憲兵に部内警察業務を委託してたのですか?
 独自の憲兵を持とうという動きはなかったのですか?

 【回答】
 憲兵は陸軍大臣に属する兵科ではありますが,海軍大臣の指揮をも受けます.
 これは明治31年勅令第337号の憲兵条例に定められたものでした.
 更に遡るなら,1881年(明治14年)3月11日の憲兵条例第一条で,海軍の取締も定められています.

 海軍大臣の指揮を受けるのは,海軍軍人をも取り締まる為でしたが,この規程は内地限りのもので, 戦地には適用されないとして,海軍は太平洋戦争時,海軍が軍政を布いた地域に,「海軍特別警察隊」を設置しました.
 これは,占領地の軍事警察,日本軍に対するあらゆる言動の取締り,敵スパイ活動の防止,海軍軍人の軍紀法律違反事件,非軍人日本人の犯罪行為など,あらゆる情報を集め,司令部に報告することを任務としていました.
 この組織は,1942年半ばから設置されましたが,設置に当っては当然,陸軍憲兵関係者の強い反対が あったようです.

 現地では,白地に赤字で「特警」と書いた腕章を捲き,いつも拳銃を持って巡回し,憲兵同様に現地人や日本軍人にも恐れられています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 太平洋戦争末期(昭和20年)の日本の憲兵は何名位いたのでしょうか?

 【回答】
内地に10,679名,台湾に745名,朝鮮に1,927名,関東軍に4,946名,北支に4,253名,
中支に6,115名,南支に1,094名,仏印に479名,昭南島に362名,Malayに754名,
Thailandに937名,Burmaに540名,Philippinesに829名.
合計36,037名(1945年現在〉

基本的に内地の治安維持は警察で,憲兵は思想犯の摘発と軍人の非違検察
が主な任務で,戦争末期は,隠退蔵物資の摘発にも乗り出しています.

当初は鎮台設置場所だけに置かれていましたが,戦争が激化すると,一県
一憲兵隊となり,可成り拡充されました.
ちなみに,1933年で僅か2,250名しかいません.
つまり,3万余人の大多数は,本来の憲兵ではありません.

これらは,憲兵学校を出た者で他に,他兵科から憲兵の補助となった補助憲兵,
朝鮮籍の志願者から軍属として憲兵の補助となった憲兵補,満州籍の志願者から
選抜された,軍属ではないものの,二等兵から伍長に準ずる憲補があります.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 特別高等警察と憲兵は協力関係にあったのでしょうか? それとも仲が悪かったのでしょうか?
 同じような機関なので,比較的協力関係にあったような気がするのですが....

 【回答】
 組織系統から見て,内務大臣が治安維持法事件の指揮系統の一つとして,憲兵司令部と関係と保っている以外,各地の特別高等警察課と直接協力関係にあった訳ではありませんし,憲兵隊が特別高等警察課を指揮命令系統下に置いた訳でもありません.

 簡単に図に表わすと,以下のようになります.

内務大臣−→ 警保局 → 保安課 → 特別高等警察課
 |  |                      ↑
 |  └−−→ 警視庁(府県警察) → 警察部−+→各警察署特高係
  └−−−−+
        ↓
陸軍大臣→憲兵隊司令部→各憲兵隊→特高第一課(外事警察・防諜)
            |         |          +→指揮班
            |          └→特高第二課-┼→政経班
            |                    +→右翼班
            |                    └→左翼班
            └→朝鮮憲兵隊司令部→各憲兵隊

 なお,憲兵隊には昭和期にはいると特高課が設けられ,所謂思想警察的な面が出てきます.(末期には経済犯にも対応)
 こちらは,警察の方と区別が付かない場合があるようです.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 特別高等警察って戦争が終った後,国民からボコられなかったの?

 【回答】
 闇討ちされたり村八分にされたりした人は結構いたみたい.
 それと,特高の関係者は公的機関には再就職できない(公職追放)ので,再就職に苦労したようだ.

 ただ,「うちは特高警察に勤めてます」と公言してた人はほとんどおらず,国民の意識も普通の警察の刑事特別が付いていなかった人も多いので,黙ってれば世間的にはあまり問題なかった模様.

 ・・・でも,自分の婆さんは,近所に役所に勤めてると行ってる人がいて,その人が元特高警察勤務だとばれた途端に誰も口を聞かなくなり,その家は逃げるように引っ越していった,というのを覚えてるそうだ.

 ばれた途端に次の日から家には落書きされまくり,子供は学校でいじめにあっていたらしい(と言うか婆さんもいじめてた一人だったそうだが(汗


 【質問】
 戦前の陸海軍と警察だと,ど,ど,どっちが,位が上なのかな?(山下清 職業・ちぎり絵画家)

 【回答】
 以下の表を見れば分かるように,警察の官階は将校より低いです.

(陸海軍とも官階は同じ)
将校 勅任官 将官 親任官    大将
将校 勅任官 将官 高等官一等 中将
将校 勅任官 将官 高等官二等 少将
将校 奏任官 佐官 高等官三等 大佐
将校 奏任官 佐官 高等官四等 中佐 警察 警視  高等官四等〜八等
将校 奏任官 佐官 高等官五等 少佐
将校 奏任官 尉官 高等官六等 大尉
将校 奏任官 尉官 高等官七等 中尉
将校 奏任官 尉官 高等官八等 少尉
                          警察 警部  判任官一等〜四等
                          警察 警部補 判任官二等〜四等

 判任官というのは,軍隊では准士官(特務曹長),下士官(曹長〜伍長)に相当します.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 戦前の日本領事館の警察部や領事警察官について,その地位役割や構成員の詳細などを教えてください.
 また,戦後はなぜこのような組織がないのかも気になっています.

 【回答】
 領事警察に関しては,「外務省の百年(下)」1393頁辺りに領事館警察史という項目があります.
 後,英修道「日本の在華治外法権」(有斐閣/1943年)とか.
 多分,外交資料館にはあるのではないでしょうか.

 基本的に領事警察は租界に配置されます.
 但し,日本の場合は,中国の一般地域にも設置していました.
 当然,中国当局は認めず,諸外国はこれを非難しています.
 この根拠は,明治29年日清通商航海条約第3/20/22条,同36年日清追加通商航海条約第10/11条と していますが,前者は領事裁判権の根拠,後者は条約港区域内に清国官庁の承諾を得なければ,自己の警察を設置してはならないとなっており,相手の抗議を無視して警察を置けると言う趣旨ではありませんでした.
 当時の日本の見解では,条約上の根拠はないが,領事裁判権を認める以上,当然必要になる,と消極的な正当化を行っています.

 ちなみに,領事警察官は,大正5年勅令第196号「外国在勤ノ外務省警察ニ関スル件」で定められ,大東亜省設置後は,大東亜省警察官となりました.
 これら警察官は,各総領事館,領事館に配置され,此処に警察署の看板を掲げ,在留邦人の保護取締を行っています.
 1943年当時,警察官吏は2,968名いました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/03/15
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆罰則


 【質問】
 旧軍の軍法会議はどのようなものだったか?

 【回答】
 軍人の犯罪に関しては,通常裁判所管轄に属さず,軍法会議で行ないます.
 つまり,軍法会議は国家刑罰権の機関で,特別裁判所の一種となります.
 これは,軍隊内の規律を厳重にする為です.

 軍法会議は旧陸海軍では,陸軍軍法会議法(大正10年法律第85号),海軍軍法会議法(大正10年法律第91号)で定められ,これには常設と特設に分かれます.

 種類は以下のようになります.

軍法会議-┬-常設軍法会議-┬-陸軍高等軍法会議-┬-師団軍法会議
       |           |               |
       |           |               └軍事法会議
       |            └海軍高等軍法会議-┬-東京軍法会議
       |                          |
       |                         ├-鎮守府軍法会議
       |                          |
       |    (陸軍)                 └-要港部軍法会議
       ├-┬--野戦軍法会議
       |  ├--独立師団軍法会議
       |  ├--独立混成旅団軍法会議
       |  ├--兵站軍法会議
       |  ├--合囲地軍法会議
       |  └--臨時軍法会議
       | (海軍)
       └-┬--艦隊軍法会議
          ├--合囲地軍法会議
          └--臨時軍法会議

ここで裁かれるのは,軍事に関する犯罪ですが,これに基づく法律としては,陸軍刑法,海軍刑法,軍機保護法がありました.これらは,一般刑法に対する特別法の意味合いがあります.
 陸海軍刑法は陸海軍軍人に適用しますが,軍紀の確立の為に軍人には特別の服従義務があります.
 このため,一般人では罪にならない行為も軍人には罪があるものとし,特に軍人に対する刑は重くなっています.

 陸軍刑法(明治41年法律第46号)に於ける罪の種類としては,叛乱・擅権(せんけん/権力を恣にする)・辱職が概ね銃殺となるもので,以下,抗命,暴行脅迫,侮辱,逃亡,軍用物損壊,掠奪,違命,俘虜取扱の11に分類されます.
 ちなみに,対象は軍人以外でも,軍の学生生徒,軍属,軍用船船員,捕虜も該当します.
 但し,一般人でも共犯者,特種事項(軍用物損壊,戦地に於ける掠奪行為など)に該当すればこれで裁かれます.

 なお,制裁についてですが,陸軍軍人の場合の制裁は,陸軍懲罰令で行なわれ,国家司法権の所謂刑法に基づくものではありません.
 営倉というのは,陸軍懲罰令に基づくものです.

 軍法会議の機関としては,陸軍高等軍法会議,海軍高等軍法会議,海軍東京軍法会議では,長官(陸軍では陸軍大臣,海軍では海軍大臣)が置かれ,その他の軍法会議では,長官はその部隊,地域の司令官となります.
 軍法会議の長官は,その裁判を定め,予審官検察官を命じ,公訴及び捜査を指揮する権限があります.
 但し,自らの裁判関与は長官にはありません.

 裁判官は判士(陸軍高等軍法会議では軍務局長,各課長,課員など,師団軍法会議などでは,師団司令部,聯隊区司令部要員,聯隊付などで海軍は常設ではない),法務官(陸軍省法務局長以下各師団法務部長,海軍は海軍省法務局長以下,鎮守府法務長など)からなり,判士は被告と同格以上の将校,法務官は判事の資格を持つ専任の司法官(後に法務将校,または大学法学部卒業の幹部候補生出身将校)で構成されます.
 裁判は3人または5人の合議で,高等軍法会議の場合は判士3人,法務官2人であり,法務官は検察官の役割も兼ね,憲兵を建前上,指揮しうるものとなっています.

 常設軍法会議の訴訟手続きは,普通の刑事訴訟手続と同様,裁判公開主義,口頭弁論主義で,高等軍法会議に上告も可能ですが,特設軍法会議は,非公開,弁護人選任無し,一審制です.
 敵前逃亡などの裁判は野戦軍軍法会議で行ないます.

 もう一つ,軍には裁判開催権があります.
 占領地に於ける,占領地住民に対する軍律会議があります.
 これについては,軍人が裁判権を行使するだけで,一般の刑法に則って裁判が開催されるものです.

 軍律会議ですが,国際的に慣習化されており,軍の作戦地域に設置されます.
 これは軍司令官以上が作戦の遂行上公布した自国民以外で敵対国の捕虜以外の人民を審判する為に設置するもので,反逆行為,間諜行為,軍事行動妨害行為の三点に関して,軍罰に処するために行なうもので,概ね方面軍,あるいは軍単位に設置されます.

 軍罰というのは,死刑,徒刑(禁固),追放と言うのがその刑罰となります.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

 軍法会議とは,軍隊内において一般の司法権とは別個に独立した軍法に基づいて軍人を裁き懲罰を科す軍の裁判所のことです.
 軍法会議の目的は,軍隊の指揮権を強固に維持するとともに,指揮命令系統を遵守させることにあります.
 従って,一般の司法裁判のようにその真実を明らかにするものではありません.

 師団長以上の親補職(天皇によって補された職)にある軍隊指揮官が,軍法会議長官となり,検察官による捜査および公訴を指揮しました.
 ですから,天皇の司法大権によるものと考えられます.

 明治5年に陸海軍に軍事裁判所が設置され,明治15年に「軍法会議」と改められました.
 翌年の明治16年に「大日本帝国陸軍治罪法」が制定され,また明治17年には「大日本帝国海軍治罪法」が制定されましたが,大正10年に「陸軍軍法会議法・海軍軍法会議法」と,改定されました.

 軍法会議は原則として,現役軍人・軍属およびそれに準じる者を対象としますが,戦時中は民間人であっても特定の犯罪に関しては管轄していました.

 常設軍法会議には,次の段階に分かれています.

陸軍.
 高等軍法会議(長官は陸軍大臣)
 軍軍法会議  (長官は軍司令官)
 師団軍法会議 (長官は師団長)

海軍.
 高等軍法会議 (長官は海軍大臣)
 鎮守府軍法会議(長官は鎮守府司令長官)
 艦隊軍法会議 (長官は艦隊司令長官)

 また,これ以外に,二・二六事件のように,「特設軍法会議」では,弁護,上告,公開は認められない「緊急勅令」によって設置された「東京陸軍軍法会議」は,非公開で一審のみの裁判となっています.

 昭和22年2月まで軍法会議は存続し,終戦後といえども,「敵前逃亡」「上官殺傷」などについては,法に照らして処刑されました.

 軍法会議を総括しますと,「天皇の司法大権」に負うところが大きいのが,現在の裁判制度と大きく違くところであると考えます.

"teruteru" from 軍事情報,4 Mar 2006



 【質問】
 旧軍の軍法会議について,
「師団長以上の親補職(天皇によって補された職)にある軍隊指揮官が,軍法会議長官となり,検察官による捜査および公訴を指揮しました.
 ですから,天皇の司法大権によるものと考えられます」
との記載がありましたが,「軍隊指揮官が訴訟指揮をする」という記載からであれば,「統帥大権」といくのが記述として親和的ではないかと思います.
 確かに,軍法会議は「司法大権」によるというのが有力説のようですが,司法大権は,(明治憲法下での)一般裁判も同じですから,軍法会議と大きく異なる点といえないような気もします・・・・
 ご見解をいただきたく存じます.

 【回答】
■見解1.(teruteruさま)

 以下はあくまでも,私個人の見解です.

[軍法会議とは]

 軍は武装集団であり,戦時には通常の倫理規範に反する行為(即ち破壊や人員の殺傷)が職務上要求されるという特殊性ゆえに,軍人の「基本的人権」を制約するといった行動全般を強く規制する必要があります.
 一方,戦力を保持するためには,軍紀の妨げになる行為を「固有の価値観」に照らして裁く必要があります.
 そこで生まれたのが,特別裁判所である軍法会議で,旧憲法の第五章司法,第六十条に謳われています.

 従って,一般的な解釈として「天皇の司法大権」の範疇の中に特別裁判所である「軍事裁判」が存在するとの解釈が大勢を占めていました.
 「統師大権」であるとの意見は一部の図書にも散見されますが,「統師大権」とは,全てを包含した概念的意味合いが強く総括されたものであると理解します.

【旧憲法抜粋】

『第五章 司法』
「第六十条
 特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム.
 
 第五章 司法

第五十七条
 司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ
 裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第五十八条
 裁判官ハ法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ニ任ス
 裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外其ノ職ヲ免セラルルコトナシ
 懲戒ノ条規ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第五十九条
 裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得

第六十条
 特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム

「参考文献:湯原綱『陸軍刑法講義』大学書房,大正15年」

■見解2.(木庭さま)

 私の見解ですが,「軍法会議」はいわゆる大元帥陛下の「統帥権」に基づくものではなく,「司法大権」に基づくものと思料します.

 その理由:

1)法務部: 法務部は明治時代は「法官部」と呼称されていた.
        大学,または高等専門学校にて「法学」を修め,
        判事検事登用試験(現在の司法試験)に合格した
        人たちが陸軍法官部員になった.
        明治29年ごろには陸軍省に「法官部」があって,
        井上義行理事が法官部長であった.
        明治38年には陸軍省法務局があって,志木子一郎
        理事が法務局長になり,大正13年には陸軍軍法会議  
        法務官が陸軍省法務局長を兼任することが定められた.

        昭和17年の官等改正で,法務部ができて文官は即日
        その階級相当の法務部将校になった.
        法務部の最高階級の文官は法務中将になった.

        2・26事件の裁判を担当したことで有名な匂坂(さきさか)
        春平法務官が法務中将になっている.

2)軍法会議:
        明治2年に創設された「糾問司」として始まり,「陸軍
        裁判所」を経て明治15年に「軍法会議」となった.
        兵科の将校と陸軍法務官で構成される裁判官の
        ような「判士」と検察官の役割の法務官がいた.


 ・・・・あとは略.

 上記1)により,文官でも法務中将になれることを勘案すれば,「軍法会議」はあくまで陛下の「司法大権」に基づくものであると考えます.

 統帥権には必ず,大元帥陛下を最高頂点としたピラミッド型の階級制度があって,統帥権に基づき,参謀本部が作戦の立案を行ったのであります.
(統帥権は参謀本部以外の部署が干渉できません.・・・干渉すれば,いわゆる統帥権干犯となります)

軍事情報,平成18年(2006年)3月12日


 【質問】
 軍法会議のシステムに興味があります.
 国によってかなり違うようですが,アメリカもしくは旧軍でお願いします.

 例として怠慢行為で大損害を出した師団長を起訴するとしますが,一般裁判なら検察に相当する部門は何という役職の人でどこに属しているのでしょうか?

 また,判事は(法務官ではない)軍人が勤めるのでしょうか?
 それとも専門の法務官でしょうか?
 判事は何処に属しているのでしょうか?
 海外の映画などでは,両方のケースを見たことがあります.

 【回答】
 それではとりあえず旧陸軍について簡単に.

 軍法会議は各師団および高等軍法会議に存在し,その実体は地域ごとにまとまって設置されていました.
 例えば東京ならば陸軍高等軍法会議と近衛師団軍法会議,および第一師団軍法会議が青山の第一師団司令部の構内に存在しています.
 また,戦場では後方の本部に設置された軍法会議と前線及びそれに類する地域に設置される特設軍法会議,さらに総力体制に移行するに従って旧来のものにとって代わり機能しはじめる臨時軍法会議がありました.

 裁かれるのが師団長との事ですが,軍法会議において判士長(普通の裁判でいう裁判長)および判士は,法務官に限らず一般将校の中から,被告より上の階級をもつ者が任命されました.
 また,被告が大将であるなど,それ以上の階級の者の任命が必ずしも適切ではない場合,先任の同階級を当てる事でよしとしています.

 検察官に相当するものを予審官と呼びましたが,これは現代の検察官以上に強力な権限を保有しており,その取り調べはさながら裁判の前に行なうもうひとつの裁判に似たものでした.
 予審官は法務官より任命され,階級も必ずしも上位に限る訳ではありません.
 ただし法務官は新米でも士官相当ですので,下士官兵を裁く場合は必然的に上の階級になります.
 法務官は高等文官試験司法科の合格者の中から陸軍に採用された者で,総力戦体制に移行するまでは軍の中で独自の地位を保証されていました.

 裁判の判決ですが,いかに後世において批判の多い軍法会議でも,これは必ず公開されます.……という建て前です.
 帝国憲法第五十九条は,安寧秩序・風俗を害するおそれがある時に限って,裁判の対審の公開の停止を認めておりましたが,判決の公開停止は認めていません.
 が,憲法違反を承知で判決が非公開にされる事はありました.
 一番有名な事例は二・二六事件でしょう.
 この場合,「軍事秘密」扱いで判決の公開を事実上禁止しています.
 この為,判決が完全な形で一般に公開されたのは戦後かなり経ってから,東京地裁の倉庫よりGHQより返却された資料として発見されるまで待つ事になりました.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 地理不案内で本隊から落伍した兵は,軍法会議で罪に問われるのでしょうか?

 【回答】
 そんなことくらいで一々軍法会議なんて開いてたら,裁判官がいくらあっても足りません.

 軍法会議はもっと重い罪に対して開催されるもので,例えば旧軍では,叛乱,権力濫用,辱職,抗命,暴行脅迫,侮辱,逃亡(と言っても士官が部隊単位で行った様な,明らかに敵前逃亡と見られる場合),軍用物損壊,掠奪,違命,俘虜取扱の11のカテゴリーに対して行われるだけです.

 ちなみに,常設軍法会議では,陸軍大臣や海軍大臣が長官を務めていますし,それ以外でも,部隊または地域の司令官がその長を務めます.
 謂わば,質問の事例は,超大企業の平社員がやった些細な事案に,社長決裁を求めるようなもので,常識で考えても無駄なことでしょうね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/10/22(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧陸海軍では「建前として」,私的制裁は禁止されていましたが,私的制裁が禁止されていた理由を教えて下さい.

 【回答】
 ちょっと考えただけで分かると思いますが・・・.
 大した謂われもなく,殆どが単なる「いじめ」として,毎日毎夜上官からぼこぼこに殴られたりする毎日で,チームワークとか上下間の信頼関係とかが生まれると思いますか?

 さらに,組織維持という話をすれば,私的制裁は軍隊内での法律である軍法と,それに基づく公的な秩序を崩壊させます.
 士官が問題ないと許した軽微な罪を,下士官が許さずバッタで殴るようでは,士官の権威が失墜しかねません.
 指揮系統崩壊の危機です.

 まあ,一般社会とは違って,ちょっとのミスが自分や部隊,下手すれば国家の死に結びつく可能性もある軍隊ですから,一般社会とはちと違った規律の厳しさがあるのは,仕方がないでしょう.
 しかし規律を維持する方法は,正しくないと意味がないし,私的制裁が規律維持のためではなく,殆ど下士官の鬱憤晴らしのために行われていたという事実を考えれば,禁止して当然だったと思います.
 禁止しても,ばんばんやっていたらしいですけどね.

軍事板,2001/06/01(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧軍では上官による下級者へのリンチが横行していたそうですが,徴集兵は皆殴られるままだったのですか?
 反抗したり,切れて殴り返したりする人はあまりいなかったのですか?

 【回答】
 普通は殴られるまま.
 上官への反抗は抗命罪に匹敵して重営倉.

 ただ,陸軍では戦闘中に闇討ちの可能性があるのであまり無茶は出来ないが,海軍だとかなりひどい事になったりもしたとのことだ.
 軍隊といっても銃を持っていなくて船という閉鎖空間にいる海軍と,二等兵でも銃を持ってる陸軍ではまったく条件が違うので.
 もちろん人それぞれだと思うけどね.

 「軍艦長門の生涯」に出てくる話では,ある新兵が古兵のいじめに耐えかね,そいつを思いっきり叩きのめしたという話がある.
 この話では直属の分隊長がそれは仕方ないと考えて不問に付したが,あとでその古兵の同年兵達にさんざん仕返しされたらしい.

 陸軍では大戦末期,軍規が緩み出すと,兵が徒党を組んで闇討ちするような例があったようだ.
 そして,闇討ちにあった場合は,面目を考慮して「なかった事」になるようだ.
 これは親父に昔聞いた覚えが・・・


 直接殴ったりしない反抗としては,フケめしとか,行水めしとか.
 度胸の据わった兵隊のなかには,
「弾は前から飛んでくるとは限らない」
とうそぶくのもいたとか.

 余談だが,捕虜虐待で戦犯扱いされた兵士の話で
「確かに捕虜を殴ったが,自分が上官に殴られるよりは軽く殴っていた.
 殴る事が虐待にあたるとは思わなかった」
とかいう証言があったと記憶している.

一等自営業 ◆JYO8gZHKO.(黄文字部分)他 :軍事板,2005/02/16
青文字:加筆改修部分

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 戦前の日本には,司法試験した法務将校なる軍人がいて,軍法会議で裁判・検察・弁護人を務めていたそうですが,法務将校について教えてください.

 【回答】
 元々,法務将校は軍人ではなく,陸軍文官つまり軍属です.
 1942年に法務官から法務将校となり,将校担当官(つまり軍人)となりました.

 彼らの業務内容の主な内容としては,一般に言う軍法会議の裁判官があります.
 これは,判事の資格を持つ専任の司法官で,合議制の下で行い,高等軍法会議の場合は,5名からなるうちの2名が法務官でした.
(5名の内の残り3名は判士と言い,陸軍の場合は,高等軍法会議では陸軍軍務局長以下各課長・課員,師団軍法会議では,師団司令部員,聯隊区司令部員,聯隊付などで,海軍は特に定まっていませんが,陸海軍とも被告人と同格以上の将校です.)

 軍法会議に於ける法務官は,陸軍の場合は陸軍省法務局長以下,各師団に配属されていた法務部長が充てられ,海軍の場合は,海軍省法務局長以下,鎮守府法務長以下となっています.

 また,法務官は検察官の役割をも果たし,その訴訟指揮の為に憲兵を指揮することも可能でした.

 もう一つ,占領地住民に対して行う軍律会議というのもあり,こちらの訴訟にも法務官が裁判官,検察官としての役割を果たすようになっています.

 これらの訴訟を維持するために,検察事務官に当たる人々がおり,彼らは法事務官(後に法事務将校担当官)と呼ばれていました.
 法務将校担当官は,法務中将まで進級出来ますが,法事務将校は,少佐止まりでした.

 また,数は少ないながら,法務准士官,下士官,兵もありましたが,これは1945年に制定されたもので,監獄長,録事(軍法会議の書記),看守長,看守がそれに当たります.
 彼ら法務准士官の昇進先は,法務将校ではなく,法事務将校です.

 補充は,基本的には法務官試補依託学生制度に基づき,帝国大学で法学を学ぶ者に手当てを支給し,毎年軍事教練を行っていました.
 そうして,大学を卒業したら,司法官試補の資格を得て,法務部見習士官となり,経験を経て,法務部将校となっていきます.

 なお,戦争の激化で人材が払底すると,大学法学部卒でも良いことになり,幹部候補生出身将校で代用しています.

 東京裁判においては,凡そ多数の人々が弁護士資格が無くても弁護人になっていたりしましたので,元法務将校の弁護人がいたかもしれません.
 また,彼ら法務将校の中には,英米法体系の研究者として欧米から一目置かれる人がいたりしています.
(名前は失念しましたが)

 参考図書になるかどうか判りませんが,古い本で,1974年に出版された花園一郎「軍法会議」(新人物往来社)なんてのが出ていますね.
 軍律会議については,朝日選書から1997年に出た,北博昭「軍律法廷−戦時下の知られざる裁判-」とかが参考になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/06/24(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧軍の法務将校は弁護士資格が要ったのでしょうか?

 【回答】
 弁護士資格は不要ですが,太平洋戦争が激化して,法務将校が払底するまでは,司法官試補(後に法務官試補)の資格が必要でした.
 司法官試補は,判事任命前の見習いみないなもので,裁判所または検事局で実務の修習を行い,1年6ヶ月経過後に考試を経て,判事に任命されます.

 太平洋戦争激化後の軍隊の拡大の中で,法務将校が不足したため,後に,大学法学部卒業の幹部候補生出身将校が任命されるようになりました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/10/21(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 そもそも法務将校って何するんだ?
 語感からすると,ROEに反する将兵の処罰の判断する人って感じですか?

 【回答】
 法務将校は,軍法会議,軍律会議に於いて,裁判官と検察官の役割を果たします.
 旧軍の場合,陸軍刑法,海軍刑法,軍機保護法などに抵触した場合,軍人,陸軍所属の学生生徒,軍属の他,陸軍刑法の場合は陸軍の司令下に置かれた海軍軍人,民間人でも,共犯者や軍用物損壊,戦地に於ける掠奪行為があった場合は,訴追対象となります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/10/21(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦地の軍事法廷では弁護なしが普通だって本当ですか?

 【回答】
 旧日本軍の場合は,本当です.

 常設軍法会議(種類に関しては別項参照のこと)の場合は,刑事訴訟手続に準じ,裁判公開主義・口頭弁論主義ですから,裁判は公開され,弁護人を付けることが出来,尚かつ,その判決に不服ならば上訴する上訴権があります.
 が,特設軍法会議(野戦軍軍法会議など)は,非公開で行われ,弁護人を付けることが出来ず,一審で結審します.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 手塚治虫の「アドルフに告ぐ」で,満州人が菊の紋章が入った表彰状を汚してしまった為,関東軍の兵士からリンチを受け,殺害される場面がありますが,こんな些細な事での日本軍兵士による殺人が外地で,恒常的に行われていたんでしょうか?
 本当だとしたら,やはり日本軍はあほですね.

 【回答】
 そのエピソードは中国に出征していた手塚治虫のお父上が現地で実際に見たそうです.

 軍だけではなく,当時の社会全体がそう.
 それは,
「ただの紙切れではないのです.神聖なる御聖体の分身であられる勅書・詔書は人命より尊いのです」
と戦前はされていた.
 天皇の御影を火事になった校舎から運び出そうと火の中に飛び込んで焼死した校長先生が賞賛された時代だからなぁ……

 連隊旗なんか一個中隊で守護していたくらい.
 もっとも,アレは予備隊扱いだが.しかし旗を汚したり紛失したりしたらマジ切腹もの.
 連隊旗は天皇崇拝の象徴であると同時に,郷土の誇りそのものだった.
 郷土と家族を背負って戦うので,これを紛失したりするのは「連隊そのもの」の名誉に関わった.

一方,海軍では汚れたら普通に取り替えていた.

 まあ,北朝鮮で金正日の写真を汚したら,どんな目に遭わされるかを想起されるとよいかも.

>やはり日本軍はあほ

 違う時代の話を今の常識に照らし合わせたら,異常だなんて当たり前.
 逆に当時の人から見たら,いまのそちらの意見は
「あんな大事な物が汚されたのに何も思わないなんて」
と異常に思われただろう.
 内戦続けてた戦国時代をさして
「じゃあ日本はアフリカの後進国とかと同レベルだったんですね!」
って言われても,
「だからなに?」
って話でね.

 ただ一ついえるのは,いつの時代が狂ってるとか今が狂ってるとかはともかく,時代や場所を問わずに普遍的に通用する常識なんて物が,実際に存在するなんて考えている時点で異常だということだ

 なお,今の日本だって,「一死を以って大罪を謝す」って雰囲気はバリバリに残っている.
 それに天皇が利用されるかされないかのだけの違いに過ぎない.


 【質問】
 旧軍では,前線での上官殴打は,軍法会議無しで即刻死刑でしょうか?
たとえばガダルカナルやインパールで,無謀な作戦を立てた軍司令官や参謀を,怒った中少尉がぶん殴ったら, 営倉に入るまでもなく銃殺なのでしょうか?

 【回答】
 最前線となると特設軍法会議ってのが開かれる.
 ここでは部隊から3人の将校が出されて,そいつらが判決を下す.

 で,当然ながら身内が身内を裁く訳だから,懇意的な判決になる場合が多い.
 考えられるパターンとしては
(1) 被害者が他の奴にも嫌われてたんで無罪放免.
 でも被害者たる上官に最前線に飛ばされて,自殺的な作戦を命令をされる.
(2) 営倉にぶち込まれて,その後釈放.
 でも被害者たる上官に(ry
(3)即死刑判決

 いずれにしろ死亡率が高い.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦闘中に,操作ミスや判断ミスで味方や民間人を誤射するケースがありますが,実際はわさと味方を誤射することもありましたか?
 何かの恨みで,戦闘中に紛れて殺害することとか.

 【回答】
 ありました.以下の例とか.

戦時中,ほぼ百万人のソ連兵が味方に射殺された
http://www.geocities.jp/putniki/Newspapers/rusrefelence.htm

 また,日本陸軍ではそのために,陰惨な私的制裁は組織文化としてはそれほど定着しませんでした.
 陸軍では(兵科にもよりますが)各員がそれなりの装備を持っているため,私的制裁で部下の恨みを買っちゃうと,戦場で「後ろ弾」で死ぬ羽目になりかねなかったので.
 もちろん陸軍でも「後ろ弾」で死んだとおもわれる人間は存在しますが.私的制裁がなかったとしても,日頃の所業のため恨まれることはありますからね.

 反面,日本海軍の事情はその逆のため,「後ろ弾」を気にせず私的制裁にかまけるという文化がしつこく残っていました.
 精神が崩壊するくらいのイジメをうけるのは海軍か航空隊.
 全ての下士官が私的制裁をしていたわけではありませんが‥


 【質問】
 戦時中の軍隊内でのいじめやしごきに対して,戦後や除隊後に部下からの復讐ということはあったのでしょうか?

 【回答】
 ありました.

 戦後に引き揚げ船内で“いよいよ明日は日本に到着する”という日の深夜を選んで,自分たちを執拗にいじめた上官に対し,
「戦争は終わったから,もう階級は関係ない」
と言って海に投げ込んだ,という話を死んだ祖父から聞いたことがあります.

 また,誰の自伝かは忘れましたが,中国戦線に出ていた少尉が復員で佐世保に降り立った後に,背中にモンモンの入った直属の下士官から,
「今からムカつく士官をしばきに行きますが,あなたは同輩と我々どちらに付きますか?(意訳)」
なんて事を言われてガクブルだったらしい.
 ちなみにその時しばかれた士官ってのは,捕虜時に国民党から配給された食糧をちょろまかしてた会計担当や中隊長だったらしい.

 高橋孟著「海軍めしたき総決算」(新潮文庫,1984.12)にも同じような話があります.
 終戦後,厳しかった上官にお礼参りをやっていた兵がおり,終戦時は上等主計兵曹だった高橋氏も的になりかけたのですが,
「あいつは大人しいほうだった」
と,見逃されたとか.

 欧州では,スターリングラード戦のドキュメンタリーで,捕虜のドイツ兵が戦後祖国に送還される途中でソ連に協力して仲間をいびった奴が列車から投げ落とされたって話があります.
 あと,ベトナム戦時の話ですが,無能な士官のテントに手榴弾を投げ込むなどして殺傷する,通称フラッギングという事件が頻発して問題になっています.


 【質問】
 旧日本軍で,麻薬や偽札などの犯罪に関与した人っているのでしょうか?

 【回答】
 陸軍は蒋介石の国民政府を経済的に混乱させるために組織的に偽札の製造を行っています.
 これを行ったのは通称「登戸研究所」と呼ばれた組織でした.

 「法幣」と呼ばれた,蒋介石政権下で発行された紙幣を偽造する計画は,昭和12年ごろから,諜報や謀略を担当する参謀本部第八課でひそかに計画されていたのですが,昭和13年12月に正式に参謀本部に偽造に関する計画書が提出され,翌14年8月から実行に移されました.

 製造に当たったのが第九陸軍技術研究所(登戸研究所)で,この計画は「杉工作」と呼ばれました.
 登戸で製造された偽造紙幣は,大陸に運ばれて,松機関と呼ばれた特務機関によって各地にばら撒かれました.

 「杉工作」は本来は,偽札の流通による中国経済の混乱を狙ったものでしたが,次第にその目的は偽札による 戦争資材調達に移っていきます.
 その目的はある程度達することができましたが,本来の,中国経済に影響を与えるという目的は,日本側の予想を超えた中国経済のインフレにより,まったく達することができませんでした.

 最終的に登戸研究所が発行した法幣は,当時の日本円にして約40億円ですが,これは当時の中国の法幣の発行額の1パーセントにも達していません.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 日本軍と阿片については最近NHKでかなり突っ込んだ番組やってたな.
 阿片が軍の大陸経営の根幹を成していたという話.
 里見甫と興亜院,佐野真一の『阿片王』が参考になると思う.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼ 2/20,陸軍登戸研究所で,戦争中に3科が印刷工場に使っていた木造建物が,取り壊しの前に説明会をするとのことで,行ってきました.

明治大学平和教育登戸研究所資料館外観

 ここは2科(生物化学兵器・スパイ用品担当)の建屋を改装して使っていた物を,当時の状態に即して再改装した物.
 内部撮影は許可制とのことで,本日訪問者過剰のため撮影はしませんでした.

5号館(取り壊しする建物)も改装して使われていました.その使われ方

 自分は以前,明大生田校舎のすぐ近くに住んでいまして,大学の中をチャリで突っ切ったりして(小学生の頃)遊んだりしてました.
 件の資料館は丁度小学校の裏手すぐのところにありまして,うっそうとした林の中に埋もれるように建っていたのを見て「小汚い倉庫だな−」などと思っていた物です.
 自分の住んでた町のルーツも知ることが出来て,まあなかなか面白い資料館でした.

 ちなみに,資料館内の資料では「アジア太平洋戦争」という表記呼称が使われています.
 日中戦争あたりを含むからでしょうか.

Ai in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2011年02月20日


 【質問】
 日本軍は略奪をしなかったの?

 【回答】
 軍票と引き換えに徴発したら,法的には略奪じゃない.
 ただ,その軍票が清算されるかは話が別.
 実態としては,現在の目で見れば略奪そのもの.

 光人社NF文庫に輜重兵の回想録が2,3冊あるから読んでみるとよい.
「○○部隊が通ったあとにはぺんぺん草も生えないので,先手を討って資材調達」
などと,現地での略奪の模様が誇らしげに書いてある.
 日本軍は,現地の住民の貯蔵していた食料を強奪(軍票で支払いはしたことになっているが,日本の軍票は現地では紙くずでしかない)し,しかも先行部隊が調達した村々を後続部隊がまた襲う,なんてことを繰り返していたんで,当初は日本を解放勢力と歓迎していたアジアの人々の支持を失ってしまった.

 戦争中の日本兵の倫理観は,現在の基準とは大きく異なる.
 彼らが「略奪でない」と主張しても,現在の目で見れば略奪以外の何者でもない.

軍事板


 【質問】
 日中戦争・太平洋戦争期の日本軍で,部下の戦時国際法違反に対して銃殺・重営巣を含め,厳しい処罰を下し続けた場合,その指揮官は軍内部でどのような扱いを受けるでしょうか?
 何故か最前線に送られたり,戦闘中に後ろから弾が飛んできたりするのか?
 上記まではいかなくとも,出世コースからは外されるのか?
 それとも特に何もないのか?
 どれが一番「ありそう」でしょう?

 【回答】
 日中戦争は当時の日本国内では支那事変と呼ばれ,戦争とは認識されておりませんでした.
 よって戦時国際法を守るという概念自体,一部の知識を持った将校以外はもっておらず,これは後々の太平洋戦争およびその戦後に大きな問題となることになります.

 太平洋戦争においては開戦前に酒井参謀が中心となり,小隊単位での戦時国際法の周知がられた形跡がありますが,結果は欧米の水準とは比べ物になりませんでした.

 とはいえ,太平洋戦争において適切な権限を持った上官が,部下の戦時国際法違反に対して,陸海軍の軍法会議法に則った特設軍法会議もしくは緊急時の即時射殺を行った場合,それが上層部の意向に背かない限り,なんら咎められる事はないでしょう.
 それが正当な業務の一環なのであり,それを行う事によって給料を得ている立場なのですから.

 ただし,陸軍の場合,あまりに部下の反感を買ってしまうと,撃ち合いをしている最中に後ろから流れ弾が飛んでくるかもしれないという危惧はありますが.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本軍は大東亜戦争で,軍人以外のアメリカの一般国民も殺してるという,まともなソース出してみろや.

 【回答】
 やれやれ,無知とは罪.
 わずかながら「戦果」を挙げた風船爆弾がある.

 1945年5月5日,風船爆弾によって, 米国人リーベンド・ミッチェル夫妻Reverend Archie Mitchellと子供など合計6人が,ピクニック中にオレンゴン州OregonカラマフォールズKlamath Falls北東,車で2時間の場所で死亡した.
Reverend Mitchell was still in the car when his wife called out that the children had found something strange tangled in the trees.
The Reverend shouted a warning but it was too late; one of the bombs exploded killing Elsie and the children.
Weapons constructed by children - killing children. The deaths occurred one month after the Japanese had discontinued the Fu-Go program.
( Short Bursts引用)

 あと,占領したアリューシャン列島にいた民間人を連行したが,彼らは結局同島に生還できなかった.
 原住民のアリュート人40人と,あと研究者のアメリカ人夫妻が連行され,北海道小樽に抑留.
 後者が抑留中に死亡.
 1980年10月号の「諸君」に,「昭和十七年 小樽,四十名アリュート人」が載ってるわ.

 日本軍は「民間人を大量には殺さなかった」んじゃなくて,大量に殺すところまで行けなかったというべきじゃないか?
 米本土爆撃する能力があればやるし,原爆先に完成させりゃ喜んでばらまくだろ.
 できなかっただけで.

軍事板,2009/05/31(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦前の日本軍についてですが,例えば戦場で兵士が現地女性を強姦した場合は,どのような処罰が待ってたのでしょうか?

 【回答】
 陸軍なら陸軍刑法,海軍なら海軍刑法で裁かれます.

 陸軍刑法の場合,

第9章 掠奪及強姦ノ罪

第86条
 戦地又ハ帝国軍ノ占領地二於テ住民ノ財物ヲ掠奪シタル者ハ1年以上ノ有期懲役二処ス
 前項ノ罪ヲ犯スニ当リ婦女ヲ強姦シタルトキハ無期又ハ7年以上ノ懲役二処ス

第87条
 戦場二於テ戦死者又ハ戦傷病者ノ衣服其ノ他ノ財物ヲ褫奪シタル者ハ1年以上ノ有期懲役二処ス

第88条
 前2条ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ7年以上ノ懲役二処シ死二致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役二処ス

第88条ノ2
 戦地又ハ帝国軍ノ占領地二於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又1年以上ノ懲役二処ス
 前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又3年以上ノ懲役二処シ死二致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役二処ス

第89条 
 本章ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

[/quote]

軍事板


 【質問】
 本多立太郎とは?

 【回答】
 中国では大人気の「戦争の語り部」.
 シナ事変の最中,
「中国の金檀県に駐屯していたとき,そこで無数の戦争犯罪を犯した」
と語り,中国メディアによって大々的に宣伝されている.

 だが,本多と同じ部隊,第15師団第51連隊の元兵士たちによれば,本多が駐屯していたという金檀には,本多がいたという第6中隊は駐屯しておらず,第6中隊が実際に駐屯していた場所は,金檀から約20km南西の下新河だったという.
 また,「金檀にあった日本軍経営の慰安所」という証言についても,実際は台湾人の経営だったという.
 さらに,敗戦時に関する体験談では,「中隊長と一緒に笑った」と証言しているが,第6中隊長,酒井重信は実際にはインパール戦で戦死しているという.

 その他にもさまざまな不審な点が『SAPIO』 2005/8/247-9/27号,p.30-33において指摘されており,その記事を信頼するとするならば,単なる虚言癖のある老人である模様.

 詳しくは同誌を参照されたし.


 【珍説】
 中国軍には,突撃する兵の後方にその兵達を銃で狙う兵が必要だった.逃げ出す兵を撃つ為.
(人海戦術はこうして支えられていた)
 朝鮮戦争では鎖で繋がれた兵が発見される.
 もちろん陣地を「死守」させる為.
 いずれも日本軍の戦いを範とした為.

 ただ,日本軍には味方を狙う銃や鎖は必要なかった.
 銃や鎖を必要としなかった日本軍,これは信じ難い存在.
 同胞であるはずの日本人ですら既に,当時の日本軍を理解できない.
 だから難癖つけたくもなる(笑).

 【事実】
>銃や鎖を必要としなかった日本軍,これは信じ難い存在.

 これは間違い.

 第1に,逃げられる状態にあっても逃げなかった守備軍は,世界史上いくらでもある.
 アラモ砦なんか逃亡を容認したのに,誰も逃げなかったし,阿片戦争では履門要塞の守備隊が,やはり陸伝いに逃げられるのに,提督以下全員が戦死してる.
 フランス革命の際には,チュイルリー宮殿に殺到する民衆に対して,スイス人傭兵が全滅.

 第2に,日本軍を美化しすぎ.
 日本軍は脱走しない.捕まったら銃殺というイメージがあるけど,そうでもないよ.
 戦争後半は,どこの戦場でも兵隊は逃げ放題.
 安全なところに隠れていて,戦闘が終わるのを待つ連中は多かった.
 比島では数万単位の遊兵が出た.
 これだけ多く出ると,処罰など到底できないし,捕まえるのも困難なので,運良く捕まえた連中をまとめて隊を編成して,少しでも戦力の足しにしようとした.
 戦意のない連中だから無駄だったけど.

 また,斎藤茂太の文を読むと,結構,精神病院に避難した人も大かったらしい.
 終戦後1週間で,多くの人は回復したとのこと.

 第二次大戦中の日米両軍の兵士は戦友や直接の上官への信頼を軸として戦闘を行っていた,という調査結果もある.
 復讐心や攻撃性で戦ってたんじゃなくて,とりあえず死にたくないから戦ってたというのが,偽らざる兵士の心境だったらしい.

 ちなみに親の地元の人で,敵前逃亡して銃殺になった人がいたそうだ.
 奥さんが遺骨を受け取りに行ったら,在郷軍人会の会長が,「ほれ」と赤い風呂敷に包まれた骨壺が入った木箱を蹴っ飛ばして寄こしたらしい.
 家族は戦時中,非常に肩身が狭い思いをしたって話.

 ついでに言えば,督戦が必要だったのは中国だけじゃない,
 ソ連軍でも政治将校が必要だったし,ドイツ軍でも兵士の規律維持にかなり過酷な事はやっている.
 マレーの英軍でも,インド兵が鎖に繋がれていたとの話もある.
 フィリピンの米比軍も同様.

 いい加減に当時の中国軍を引き合いにだすのはやめれ,
 あそこは清国滅亡以来,もはやまとも国家とはいえない体勢の中での軍隊なんだから.
 日本軍と比較するなら英米ソ独あたりにしなさい.

軍事板・改


 【質問】
 日本兵が敵前逃亡すると,死刑になりますか?

 【回答】
 条文を読むと,必ずしも敵前逃亡=死刑とは言いきれない.
 刑法の普通殺人とほぼ同様だね.
 とりあえず,旧陸軍刑法ではこうだ.

[quote]

第七章 逃亡ノ罪

第七十五条

 故ナク職役ヲ離レ又ハ職役ニ就カサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
 一 敵前ナルトキハ死刑,無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
 二 戦時,軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ三日ヲ過キタルトキハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
 三 其ノ他ノ場合ニ於テ六日ヲ過キタルトキハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

[/quote]

 まあ,厳罰ではある.
 もっとも,厳罰なのは敵前逃亡だけではなくて,例えば日本の旧陸軍刑法では,
まだ戦えるのに降伏した司令官は必ず死刑.
敵前で勝手に持ち場を離れた司令官も必ず死刑.
正当な理由なく勝手に戦闘を開始した司令官も必ず死刑.
敵前で任務を免れようとして仮病をつかうと最高死刑.
兵器を損壊すると最高死刑.
敵前で上官の命令に背くと最高死刑.
敵前で武器を使って上官を脅迫すると最高死刑.
……と,まあ最初から最後まで死刑とか無期とか厳罰だらけ.
 ここまで徹底してるとかえって男らしいっつうか(笑)

軍事板
青文字:加筆改修部分

 たとえば,帝国海軍で戦時中,泊地で外泊許可を得たものの,翌朝の出航に遅刻し乗船し損ねた兵の話があります.
 軍艦は不用な乗組員を乗せておらず,兵が1人でも足りなければ操船,戦闘に支障が出ると考えられます.
 戦地に向かう船は,出航時に既に敵前に当たるわけで,出航を知っていながら乗船しないのは敵前逃亡になります.
 結局,その兵は国内で朝寝坊しただけで死刑になりました.

boobee in 軍事板

 まあ,どこの国の軍隊でも,敵前逃亡は死刑が一般的だ.

 そもそも軍刑法が,一般刑法よりはるかに厳しいのは常識.
 そうでないと,わざわざ軍刑法を制定する意味はない.
 敵前逃亡を死刑にしないのは,俺の知る限りでは現代の日本とドイツくらいだな.
 死刑廃止国でも,軍刑法だけは別ってところが多いよ.

軍事板


 【質問】
 敵前逃亡って重大な軍紀違反ですよね.
 けど,軍が壊滅して,戦争に負けるまで逃げ切ったらチャラになるんでしょうか?

 【回答】
 日本の場合,陸軍刑法75-78条に逃亡罪が明記されているので,この陸軍刑法が失効しないことには,法的に許されません.
 ただし,警戒中は3日,平時は6日以内に復帰すれば,法に基づく罰はありません.
 素直に服役した方がマシな境遇になるでしょうね.

鷂 ◆exxupUqotM in 軍事板

 〔たとえば〕南方で飢餓に苦しんで逃亡した連中も少なからずいました.
 そういった方々が終戦後,置いて行かれると思って,ひょっこりと戻って来たケースがあります.
 しかし,そんな甘い考えを皆が許すわけがなく,軍法会議の末に死刑になった方も多くいたそうです.
 捕虜になって軍の指揮下から切り離された状態での軍法会議は,本来は正当性を持ちません.
 ですが,一番苦しい時に味方を見捨てるような奴には誰も同情せず,刑の執行に待ったをかける人はいなかったそうです.
 捕虜収容所で,収容所を監督する軍から武器を借りて刑を執行したそうです.

 横井さんみたいに何十年も逃げればチャラでしょうが,素直に刑務所に入った方がまだマシでしょう.

ue ◆WomMV0C2P in 軍事板


 【質問】
 戦前〜太平洋戦争中に軍法違反で軍刑務所に入れられた兵士は,陸海軍の解体後どうなってしまったのでしょうか?

 【回答】
 基本的に軍法会議で判決を受けて服役している人間は,判例の元となる法律が失効した時点で服務が修了したとみなされているらしい.
 なので,陸海軍の直接的な後身,第一・第二復員省が業務を縮小した時点で段階的に含む修了している様子.

 「様子」というのは,敗戦のドサクサでこんな些細なことはドウでもよくなっているのと,復員業務の関係上で組織が段階的に縮小されていることから,一概に何月何日というのがはっきりしないため.
 特に各部隊レベルでの判例(中隊長決済の営牢レベル)だと,なんとなく皆と一緒に復員という話もみられるので,お情けをもらった部分があったのは否定できない.

 あとは敗戦後に,復員業務の関係上,組織の秩序を維持するため,旧陸海軍刑法etcに準拠した形で軍事裁判モドキが行なわれ,判決を下した例もあります.
 この時は海軍軍事裁判ではなく,第二復員省裁判という誰も聞いた事が無い(けど,これでやるしかないよね)事が行なわれています.

 ただし前線部隊だと,復員が始まるその日までは既に執行されている刑は維持されている例もある.
 暴行による拘束・入牢など.

軍事板
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