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「寄星座不定期日誌」◆(2010/09/12) ハルゼーの勲章

「神保町系オタオタ日記」■(2007-08-06)■[スメラ学塾] 海軍省調査課長高木惣吉が語るスメラ学塾

「神保町系オタオタ日記」■(2007-08-07) 西田幾多郎と高木惣吉

「神保町系オタオタ日記」■(2008-04-09)[トンデモ][催眠術] 海軍大将山本英輔のトンデモ遍歴

「神保町系オタオタ日記」■(2011-04-21)[スメラ学塾]海軍少将小島秀雄

「神保町系オタオタ日記」■(2012-02-29)小島威彦の弟小島秀雄海軍少将の経歴

「とらっしゅのーと」◆(2010/04/25)【オタク元帥】 総理大臣・海軍元帥 加藤友三郎のマンガ趣味は世間からどう評価されたか 【マンガ首相】

『ソロモンに散った聯合艦隊参謀 伝説の海軍軍人樋端久利雄(といばなくりお)』(高嶋博視著,芙蓉書房出版,1917)

<いい本というのはひと言で言えるメインテーマを持っている本で,しかも声高な決めつけをせず,実証例がたくさんある本ということになるのではないでしょうか>
 日下公人さんのことばです.
 その通りだと思います.

 特に,<実証例がたくさんある>ことは,軍事本を評価する大きな柱の一つと思います.
 というのは,軍事関連本,とくに戦史を読む大きな理由のひとつは,「史実を一つでも多く自分の中に蓄えること」にあると感じるからです.

「良い文章は具体的事実を伴わないと説得力を持たない」
ということばがあります.
 そのため軍事関連のいろいろな史実,事実を知りたい,と意識している無意識に感じている,という方は多いはずです.

 しかし素人には,ここで大きな壁が立ちふさがります.
 「事実,史実の正確さを審査する術を持たない」ことです.
 特に軍事分野では,軍事知識や軍事作戦,戦術の妥当な評価は,誠実なプロの審査を待たざるを得ません.

 こういうこともあり,様々なデータは持ってるけど,事実か否かを判定する術がない人は多くいるのではないでしょうか?

 そんななか我々にできることといえば,信頼できるプロに意見をぶつけて確認することのみとなりますが,プロはそれほど暇ではありません.

 この環境が大きく変わることは今後も期待できませんが,一つだけ期待できることがあります.
 退官した高級将校さんの出版や講演活動が,これからさき活発になってゆくと思われることです.
 今回紹介する本は,その典型といえる作品といって差し支えありません.
 きちんとしたテーマを持ち,読み手に多くの事実・実証例を提供してくれる「いい軍事本」.
 それが本著を読み終えての感想です.

 樋端大佐を通じて,大日本帝国,帝国海軍,そして今の日本国,海自そして将来の日本,海上防衛について考えさせてくれる本でもあります.
 この本が多くの日本人の目に触れることにより,海軍史日本現代史のより深い理解発展につながることを期待してやみません.
 あわせて,同じような良質ないい軍事史本がたくさん生まれることを期待します.

 著者の高嶋さんは讃岐(香川県)出身の元海上自衛官[海軍軍人].
 最終階級は海将[海軍中将],最終補職は横須賀地方総監.
 退官後は講演・執筆活動をされており,『武人の本懐』『指揮官の条件』という本を上梓されています.

 この本は「昭和の秋山真之」「帝国海軍の至宝」と評された伝説の帝国海軍士官,樋端久利雄大佐(特進後)の生涯を描いた作品です.
 軍令・軍政に卓越した能力を発揮し,航空戦術の開発,兵器の改善改良に尽くした大佐は,残念なことに,山本五十六元帥(特進後)とともにソロモンに散りました.

 最大の特徴は,「一次資料」というキーワードで表現できます.
 高島さんは,
<同じデータを見るにしても,極力,一次資料を見て自分なりの評価や判断をしたいと思った.執筆の姿勢として一次資料に接することに腐心した.>
と書かれています.

 本著を読んだ人の中から,帝国陸海軍に関する知識・理解を修正する人が出てくるでしょう.
 知られざる帝国陸海軍の実像をつかめる人も出てくるでしょう.
 それほど豊富に出てくる「史実」「事実」「視座」を,安心して受け止められる点が本当にうれしいです.

 「ある時期の●●について知りたい」ときにどういう資料に当たったらよいか?のヒントや提示があちこちで確認できる点が非常に助かります.
 参考になりますし,あてになります.
 「戦藻録」「高松宮日記」の重要性も改めて感じさせられました.
 巻末にある参考文献は大変有益です.

 郷土の先輩というだけでなく樋端大佐の同窓生でもある高嶋さんはまえがきで
<戦争・戦闘の実相は,錦の旗のように美しいものではない.
 残酷・悲惨でむごい.
 一方で,国と国との関係が理想や綺麗ごとで済まされないことは,歴史や今日の国際情勢が示すとおりである.
 国が亡くなるということは,その国の文化が亡くなり,言語が亡くなること.
 そして,歴史が亡くなることを意味する.
 ひとつの戦争に負けても国が亡くなるとは限らないが,先の大戦に敗北して,日本は多くの有形無形,大切なものを無くした.
 失ったものを再び手にするには,気が遠くなるような長い時間と国民の努力が必要とされる.
 どれほど頑張っても取り返せないものもある.
 将来永きにわたって日本という国が世界から尊敬され,存在感を維持するためには,「治にいて乱を忘れず」.
 この本の全編を通じて,その意味を問いたい.
 加えて,戦争というものが持つ理不尽さや軍人家族の愛,そして平和の在り方を探っていきたいと思う.>(P6-7)
と記されています.
 単なる人物評伝にとどまらない作品という印象です.

 読後感は,その期待を裏切らないものでした.
 全編通して重厚,冷静,沈着で,単なる人物評伝を超えた「帝国海軍史」「大東亜戦争海戦史」「時代の中に生きた帝国海軍軍人とその家族を通じた社会風俗史」の三つの面を味わえる史書として楽しむことができます.
 なかでも「いつまでも使える正確な海軍事情知識」がたっぷり手に入るのが一番オススメできるところです.

 最大の魅力はやはり「帝国海軍をはじめとする軍事事情の記述が正確」という点です.
 トップレベルの軍人だった高嶋さんだけに,資料選びも軍事をめぐる記述も信頼性が極めて高く,歴史上の出来事への評価やコメントなどは「さすが提督」と感じさせるものです.
 とくに「い」号事件をめぐる分析は,これまで見たことのない観点が含まれており,非常に厳しい評価ですが納得ゆくところ非常に大きいです.

 海軍の悪習として知られた「鉄拳制裁」をめぐる話も非常に面白かったです.
 まさか攻玉社が出てくるとは思いませんでした.
 歴史を検証して正確な経緯をきちんと説明されています.

 海軍の伝説的存在だった樋端大佐の系譜は途切れることなく今も残っていますが,未亡人は戦後日本社会で大変な辛酸を舐めました.
 息子さんが父の姿を追い求める姿にも胸に迫るものがあります.
 「久利雄の残したもの」にそのあたりの話が書かれています.

 キレイごとでは済まない国家関係
 戦争の実際はむごく残酷
 この深刻な矛盾の中で,いかに軍事をかじ取りして国を動かすか?
 これは政治家に丸投げする課題ではなく,国民レベルで考えなきゃいけないことです.

 甘ったるい言葉・姿勢で国は保てません.
 だからといって,やたらめったら戦争をあおるのは,軍人という名の国民の命をどぶに捨てろと言っているのと同じです.

 よくよく深い叡智がなければ軍事を扱うことはできません.
 わが国民はその種の叡智を持っているはずですが,戦後社会のなかで溶けてなくなっているかもしれません.
 本著を読んでそのあたりをぜひ確認してください.

 高島さんは,大東亜戦争太平洋戦線でわが国が米国に敗れた萌芽は日英同盟破棄にある,と書かれています.
 こういう指摘は珍しくありません.
 でも本著で高島さんは「何故か?」を記されています.
 読んだ時は思わず膝を叩きました.
 同じ思いを持っていたからです.

 日清日露戦争に勝って1次大戦で漁夫の利を得たことで,わが国は目がくらんだ.
 一方,米国はわが国の興隆に危機感を抱き,日英同盟を消滅させるよう動いた.
 この面で米国は我が国の一枚も二枚も上手であった,と高嶋さんは指摘します.
 同感です.

 現在の我が国をめぐる状況は1次大戦後の状況とよく似ており,不穏な動きが周辺で増しています.
 過去の歴史から学んで同じ轍を踏まないことが極めて重要です.
 そのために最も大切なのは,本著のようなきちんとした歴史を学ぶことではないでしょうか?

 最初に読んでいただきたいのは,最後のエピローグです.
「私は樋端さんに全海軍の作戦を預けて,存分にその明快極まる脳味噌を働かせて貰いたかった.
 この人がもっと永く生き残り,もっと働ける立場にあったならば,太平洋戦争の様相はもっと変わっていたかもしれない」(源田実)
 帝国海軍で聯合艦隊参謀や航空隊司令等を務め,戦後は自衛隊で幕僚長になった源田さんをして,これほどまでに言わせる人物,それが樋端大佐でした.

 本著を通じて初めて知りましたが,帝国海軍航空の中心人物で,敗戦時に割腹自刃された軍令部次長・大西瀧治郎中将の影の参謀は,実は樋端大佐だったということです.
 海軍航空の星,山本権兵衛の再来,昭和の秋山真之・・・と激賞された樋端大佐は,大西中将の知恵袋だったんですね.

 もう一つ感じたのは,樋端大佐が殆ど記録を残されなかったということです.
 あまりに頭がよかったので,一度読んだり見たら全部覚えてしまうので残す必要がなかったようです.

 一部の間で,樋端大佐の遺産は継承されてきたのかもしれません.
 しかし一般レベルで樋端大佐の事績はまったく知られていません.
 生まれて初めて耳にする人が殆どでしょう.
 もしかしたら海自でも同じような状態なのかもしれません.
 海軍の至宝とまで言われた人の伝承が国史から殆ど絶えているこの現実.
 もし大佐が日記や書き物を残されていたとしたら・・・と感じますね.
 「秋山真之の再来」とまで言われた天才的人物で,航空戦術のパイオニア的存在.
 もし日記や記録が残っておれば,必ずや戦後日本でも注目を浴びていたはずです.
(頭脳天才,人格円満,勇猛果敢と,非の打ちどころのない余りにも完全な人だったようなので,それが逆に作用したのかもしれませんが・・・)
 高嶋さんも書かれています.
<今更ながら,記録を残すことの重要性を感じる.
 とりわけ,当事者の生の声は貴重な歴史資料であり,後世に残すべきだと思う.>
 捨てた,壊した歴史は二度と帰ってこないのです.

 もしいま樋端大佐が生きていたら,わが国の状況をどう判断されるか聞いてみたいところです.

 是非お読みください.

------------おきらく軍事研究会(代表・エンリケ航海王子)
2017.4.21

『提督新見政一 日本海軍の良識 自伝と追想』(提督新見政一刊行会編,原書房,1995.8)

 大井氏の遺稿となった追悼文など,読みどころは多い.

――――――軍事板,2010/06/12(土)

『山本五十六機撃墜指令 暗号名〈ディリンジャー〉』(白石光著,ダイアプレス,2012.2)


 【質問】
 第二次世界大戦当時,日本海軍に片腕の司令官はいたのでしょうか??

 【回答】
 隻腕の司令官と言うと,塚原二四三大将がおられました.
 塚原大将は第1連合航空隊司令(少将)として漢口に赴任していた昭和14年10月3日,新機材の領収を見届けるために,1連空の主だった幹部と一緒に飛行場の戦闘指揮所にいたところを,中国空軍のSB爆撃機に空襲され,左腕に重傷を負って切断しました.

 これによって塚原中将(14年11月に進級)は艦隊司令の道を断たれましたが,航空畑の将官として貴重な存在だったため,退役することもなく現役を続行.
 昭和16年9月,陸上基地部である第11航空艦隊司令長官としてマレー沖海戦・比島・蘭印方面作戦を戦い,ラバウルにも進出しています.
 のち,航空本部長・横須賀鎮守府司令長官を経て,昭和20年5月に大将に進級.
 これは井上成美とともに日本海軍最後の大将進級でした.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WW2の日本海軍将校で,
「演習でアメリカ側を担当した際には,日本側をさんざんに打ち負かした」
という逸話が残っている人がいたと思うのですが,誰でしたっけ?

 【回答】
 27期の中村良三さんです.
 中村さんが鎮守府長官の時のエピソードなので,佐鎮長官だった昭和7年度か呉鎮長官だった8年度(ということは,どっちにしてもコテンパンやられたGF長官は小林躋造さんですね).
 中村さんは,同期の末次さんと並び立つ鉄砲屋のエキスパート,しかも漸減邀撃作戦に精通した戦術家でした.
 で,小林さん率いるGFを完全に翻弄し,非難轟々の中,
「敵が貴様らの思い通りに動いてくれると思ったら大間違いだぞ!」
と一喝して沈黙させちまいました.

 ちなみに中村さん,上に厳しいだけでなく下にも厳しく,利根艦長となる黛さんは
「中村さんの言動は,『貴様ら低能は黙って俺の命令に従ってろ』て感じがにじみ出てて嫌だった」
と回顧してます.
 末次さん同様,艦隊派の過激派でしたが,末次さんみたいに権力への執着はあまりなく,艦政本部長としてB計画着手中に,2・26事件後の陸軍粛清にあわせて海軍も現役大将の減員を要求されたとき,中村さんは予備役入りを受諾して下野しました.
 ついでに,例の演習で惨敗した小林さんも,同時に予備役入りしてます.

鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2005/10/10(月)
青文字:加筆改修部分

 というか,図上演習(日本が)やっても毎回日本は負けてたんで.
 何回やっても土佐沖に追いつめられて終了.
 追いつめられた後のことはやらないのが,帝国海軍クヲリティ.

軍事板,2005/10/10(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 海軍軍令部総長の伏見宮殿下は,かなり悪評高い人物だったということで,嫌われているようですが,本当でしょうか?

 【回答】
 簡単に言えば,皇族の立場を利用して軍令部を専横し,海軍大臣の権限の多くを軍令部総長の権限にしてしまった.
 おかげで,海軍大臣を含む人事権を軍令部総長が掌握することになり,結果,軍令部の独走によって対米強硬派が海軍の主流を占めるに至る.
 実に老害としか言いようがない.


 【質問】
 吉田善吾って誰?

 【回答】
 吉田善吾(よしだ・ぜんご)は1885年2月14日生まれの日本海軍軍人であり, 戦艦「金剛」「陸奥」の各艦長,連合艦隊参謀長,海軍省軍務局長,練習艦隊司令官,第二艦隊司令長官,連合艦隊司令長官などを歴任.
 1939年8月30日に阿部内閣の海軍大臣に就任し,米内内閣,第二次近衛内閣でも留任.
 1940年に大将に昇進し,軍事参議官,支那方面艦隊司令長官,横須賀鎮守府司令長官などを経て,1945年6月1日に予備役となりました.

 ニックネームは「小言甚兵衛」だそうで.

 【参考ページ】
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/yo/yoshidazengo.html
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yoshida_ze.html
http://ww1.m78.com/pacific%20war/yoshida%20zengo.html(写真も)
http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/gallery/gallery-04.html
http://members.at.infoseek.co.jp/ijan/rare-navy-sano2.htm

 【関連リンク】
『提督吉田善吾』 (実松譲著,1979年)

【ぐんじさんぎょう】,2009/3/28 21:00
に加筆


 【質問】
 吉田善吾が昭和20年6月1日に予備役編入となったのは,どういう事情なの?

 【回答】
 海兵でコレス(同期)で同時に大将に昇進した嶋田繁太郎が1月に予備役に編入されているし,特に問題のない人事ではないでしょうか.

 海軍大将には停年(同一階級での最大勤続年数.
 それを超えて昇進できないと予備役編入)は定められていませんでしたが,昭和15年11月に大将に進級して4年以上経ってますんで,そろそろ予備役のお声がかかっても別に不思議ではないのでは.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 ちなみに吉田は阿部内閣の海相であった頃(1939年)に入院している.
 通説では,心臓病による入院,または吉田自身が述べているような疲労入院であるとされているが,
http://ww1.m78.com/pacific%20war/yoshida%20zengo.html

は自殺未遂による入院説を唱えている.
 いずれにせよ,ストレスに強いタイプではなかったのだろう.


◆◆◆◆米海軍軍人


 【質問】
 太平洋戦争中,日本海軍との海戦で,艦上で戦死した米海軍の将官って誰かいますか?

 【回答】
 太平洋戦争開戦の日に既に将官の戦死者が出ている.
 アイザック・キッド少将.
 真珠湾攻撃の際座乗していた戦艦アリゾナと共に戦死.

 次がダニエル=キャラハン少将とノーマン=スコット少将.
 どちらも第3次ソロモン海戦で戦死.

 あとはセオドア・E・チャンドラー提督.
 1945年1月6日,乗艦に突入した特攻機による被害で戦死.

 この4人が有名?か.
 ちなみにこの4人の名は,キッド級駆逐艦に銘けられた.

軍事板


 【質問】
 キング米海軍提督は性格破綻者だったってホント?

 【回答】
 ホント.

 第二次大戦中の米海軍制服組のトップ.ニミッツの上司.
 操艦の名手で,モットーは「即時実行」「厳格公正」「全てを100%に」

 合衆国艦隊司令長官と海軍作戦部長をかねたのは歴史上彼ひとりだけ.
 第二次大戦中,文字通りアメリカ海軍のドンとして君臨した.

 「海軍士官としての能力は人格以外すべて完璧」とまで言われた完全な性格破綻者で,ニックネームは「ニトログリセリン」「ドライアイスの剣」
 艦隊の指揮からデスクワーク,戦闘機操縦,政治家との折衝まですべてにおいて超一流の実績を残したが,性格は酷薄無情.
 共産主義者・有色人種──と言うか自分以外を蔑視していることを隠しもしない歩く舌禍.
 その上,酒と女,ギャンブルはつきもので,戦争指揮の傍らですら良くシケこんでた.
 当時の米陸海軍の将帥たちいわく,
「キングと比べれば,マッカーサーなんてハイスクールの生徒だ」

 スプルーアンスやハルゼーなど米海軍の将帥のうち,戦時向きな連中を見つけては引っ張り上げてたが,その反面,失敗した部下や気に入らない部下はバンバン切り捨てた為,周囲の人間からは滅茶苦茶に嫌われ,退役の際は慰留すらされず追い出された.

 後,脳溢血で倒れ,晩年はベセスダ海軍病院で10年あまり寝たきりのまま病床で孤独死.

 ……戦時とは言え,こんな人が事実上全軍の指揮をとっちまうのがアメリカン・クオリティ.

 WW2時の各国の将帥は皆,下手な小説よりキャラが立ってる気がする.
 このキングあたりなんか,小説で出されたら「絶対こんな奴いねぇよ」って感じ.


 【質問】
 自分の葬式で,天皇から贈られた勲章だけしか付けなかったアメリカ軍人って,誰でしたっけ?

 【回答】
 アーレイ・バーク.
 もらったのは勲一等旭日大綬章.

 バークは戦後来日中,旧日本海軍軍人との交友関係を結び,それが海上自衛隊創設に影響を与えた.
 その功績で,海軍作戦部長時代に勲一等旭日大綬章をもらい,葬儀の時棺の中のバークの遺体の軍服には,その勲章だけがつけられていた――
という話が,阿川尚之の『海の友情 米国海軍と海上自衛隊』(中公新書)に出てくる.

 草鹿任一が戦後困窮していた事を知ったバークが,食料を差し入れさせたら,草鹿が
「アメリカ人の世話にはならん!」
と怒鳴り込んできたのがきっかけで,友人になったという,できすぎなエピソードもある.


 【質問】
 大東亜戦争のとき,ハルゼーが「もっと猿肉を作れ!」と人種差別まがいのアジテーションをしたってホント?

 【回答】
 「猿肉」は知らんが,ハルゼーの人種差別は有名でしょ.
 ハルゼーは,映画「レッドオクトーバーを追え」ではS・コネリーに無能な提督と言われてたが,露骨な人種差別のせいで現代では評価を落しているのかも.

 他にも色々書かれているハルゼー.

"Halsey was not an intellectual. His official reports were written in commonplace language.
His speeches and private correspondence reveal that he often thought in cliches, that his vocabulary was narrow and that he had difficulty with syntax.
His letters confirm his contempt for the Japanese in locker-room jargon . . . "

"Halsey had the knack of appointing extremely intelligent officers to his staff, on whom he relied for decision- making. On only rare occasions did he overrule them. 'Admiral Halsey's strongest point,' wrote a staff officer, 'was his superb leadership. While always the true professional and exacting professional performance from all subordinates, he had a charismatic effect on them which was like being touched by a a magic wand. Anyone so touched was determined to excel."

[From "Fleet Admiral William F. Halsey Jr" by James E. Merrill]

 ただ,敵愾心を煽って戦意を高めるのは,戦時では寧ろ当たり前.
 つーか,既に戦ってる相手に,「人種差別」も茄子の蔕もありゃしませんよ.


◆◆◆◆山本五十六


 【質問】
 山本五十六について,3行で教えてください.

 【回答】
 山本五十六(やまもと いそろく, - 1943年4月18日)は,日本海軍の提督.
 1884年4月4日,新潟県古志郡長岡本町に生まれ,大海軍兵学校を卒業(32期生)し,1905.5.27の日本海海戦のときには,装甲巡洋艦「日進」に少尉候補生として乗り組んでいました.
 太平洋戦争時には連合艦隊司令長官を務め,真珠湾攻撃を指揮しましたが,1943.4.18,ブーゲンビル島上空で乗機が撃墜され戦死しました.

 【参考ページ】
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/miru/siryou/yamamoto.html
http://山本五十六.net/
http://www.japan-fishing.com/navy/isoroku.html

山本五十六
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】, 2013/08/19 20:00
を加筆改修


 【質問】
 連合艦隊司令長官の山本元帥は,海軍内では序列何番目ぐらいの提督であったのでしょうか?

 【回答】
 開戦一年前の昭和15年暮の時点での序列は上から順に以下の通り.
,昭和15年暮,開戦時,山本五十六戦死時の役職,階級の位置はを示す.

名前・昇進時期の階級 昭和15年暮の役職 開戦時の役職 山本五十六戦死時の役職 備考
伏見宮博恭王大将  元帥,軍令部総長 辞職,無し 無し
大角峯生大将 軍事参議官 故人 故人 海兵26期
永野修身大将 軍事参議官 軍令部総長 軍令部総長
百武源吾大将 軍事参議官 軍事参議官 予備役 海兵30期
加藤隆義大将 軍事参議官 軍事参議官 軍事参議官
長谷川清大将 台湾総督 台湾総督 台湾総督
及川古志郎大将 海軍大臣 軍事参議官 軍事参議官・海軍大学校長
塩沢幸一大将 横須賀鎮守府長官 軍事参議官 軍事参議官
吉田善吾大将 軍事参議官 軍事参議官 支那方面艦隊司令長官
山本五十六大将 連合艦隊司令長官 連合艦隊司令長官 連合艦隊司令長官
嶋田繁太郎大将 支那方面艦隊司令長官 海軍大臣 海軍大臣
豊田貞次郎中将 海軍次官 予備役 予備役 海兵33期
豊田副武中将 艦政本部長 大将 呉鎮守府長官 軍事参議官 海兵33期
古賀峯一中将 第二艦隊司令長官 支那方面艦隊司令長官 大将 横須賀鎮守府長官

軍事板,2005/12/28(水)
青文字:加筆改修部分

 上記の内,影の薄い人々(笑)について説明すると…

 百武源吾大将は開戦時にも軍事参議官で,昭和17年7月予備役になった.
 この人は,どちらかと言えば「条約派」で,対米戦争には絶対反対,軍事参議官の会合でも対米戦争反対を主張したので,煙たがられてクビになったと思われ・・・
 実兄に有名な百武三郎大将が居たので,その影に隠れて目立たず.

シア・クァンファ(夏光華) in FAQ BBS

 ただ,源吾さんより三郎さんが有名なのか?と言われたら,侍従長候補に三郎さんの名が出た直後に,昭和天皇が「誰?それ」と聞き返したというエピソードもありますしね….

鷂 ◆Kr61cmWkkQ in FAQ BBS

 豊田貞次郎中将(海兵33期,同じ海兵33期の豊田副武よりも序列は上)は昭和16年4月,大将昇進と共に予備役になって政界に転出,商工大臣とか外務大臣を歴任し,開戦時には日鉄社長,五十六サン戦死時には内閣顧問だった.
 豊田貞次郎大将も,同期にもう一人居た豊田(副武)の方がキャラクター性が強かった為か目立っており,貞次郎サンはいまいち目立たず.

 大角峯生大将(海兵26期)は昭和16年,中国大陸に視察に行き,飛行機が墜落し殉職した.
 この人は,以前に海軍大臣を勤めていた時に,軍令部の権限拡大を受け入れ,いわゆる「条約派」と呼ばれる人達を大量にクビにした.その中には,山本五十六の親友・堀悌吉中将も居た.
 バリバリの「艦隊派」というわけでも無かったようだが,「八方美人」などと陰口を叩かれるくらいの人で,軍令部に最後まで頑強に抵抗するだけの度量は無かった.

シア・クァンファ(夏光華) in FAQ BBS

 余談だが,漫画家・魔夜峰央の「峰央」は本名で,海軍提督に因む命名(白泉社「魔夜峰央の妖怪缶詰」より)だそうだから,その提督とは,この大角峯生のことだろう.

全員の名前を言えたら偉い
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 豊田貞次郎には,山本さんは後継者として気にかけてたのでは?
 山本さんがGF長官を辞めたがってた頃,後任に嶋田さんか古賀さんを希望しつつも機会があれば両豊田もいいね,と参謀に話したらしい.
 元帥宮にオイタして広工廠に飛ばされた貞次郎さんですが,それを機会に航空本部長まで這い上がってきたトンボ屋ですから,山本さんはきっと鉄砲屋の古賀さんや副武さんとは違った期待感を持ってたと思いますよ.

鷂 ◆Kr61cmWkkQ in FAQ BBS

 【回答】
「後任に嶋田さんか古賀さんを希望しつつも〜」
というのは,五十六サンが海軍大臣・及川古志郎に宛てた手紙の中で書いていたコトだよ.

 ちなみに,五十六サンが海軍次官だった頃,当時,佐世保鎮守府長官だった貞次郎サンを後任の海軍次官に,という話が出たんだが,貞次郎サンは断った.
 その時,貞次郎サンは,五十六サンに宛てて
「自分が今現在,親補職に有るので,海軍次官になるのが嫌であるなどとは,どうか思わないで下さい」
などという手紙を送っている.
(註:鎮守府長官は親補職(形式上,天皇が任命するポスト)だが,海軍次官は親補職ではない)
 これを読んだ五十六サン,カチンと来たらしく,井上成美軍務局長に
「オイ,豊田貞次郎が,こんな手紙を寄越したぞ」
と言って手紙を見せ,
「豊田貞次郎というのは,こういうヤツなんだ,よく覚えておけ」
と言った.

 その後,五十六サンはGF長官になったが,昭和15年末になると,交代の話も出てきた.
 GF長官は「平時でも2年が限界」と言われ,この時点で,就任から1年経った五十六サンには,当然の事ながら,交代の話が出た.
 そんなある日,航空本部長・井上成美中将が五十六サンを訪ねた.
 五十六サンは開口一番
「こないだ,豊田貞次郎(海軍次官)に会ったが,これが海軍次官か?と思うような世間話しかしなかった」
と,軽く貞次郎サンを叩いたあと,
「ところで井上君,GF長官の件だが,僕は,米内サンに現役復帰してもらってGF長官になり,僕は,1F長官専門(註:当時,GF長官と1F長官は兼任だった)になるのが良いと思うんだが,どうだろうね?」
と聞いた.それに対して井上サンは
「それは疑問が有りますね.
 だってそれじゃ,現役の海軍大将全員ロクデナシ,という烙印を押すことになりますよ.
 私が海軍大臣だったら,そんな人事はやりませんね」
と反論,
 さすがの五十六サンも,その場は引き下がった.
 だがそれでも五十六サンは,「米内光政GF長官」の考えを諦めきれなかった.

 というわけで,どう見ても,貞次郎サンを「後継者として気にかけて」「期待感を持ってた」とは思えないんだがねえ・・・(笑)

 及川大臣に送った手紙は,あくまでも,
「後任を選ぶのなら,序列から言って,こんな人達が居ますね」
といった程度の意味だ.いわば「建前」「社交辞令」に過ぎないんだよ.
 五十六サンはね,及川古志郎とか嶋田繁太郎とかに宛てた手紙では,必ずしも「本音」を書いていないんだよ.だって,五十六サンは,この二人を信用していなかったからね.

 及川古志郎が,日独伊三国同盟締結に同意した時,五十六サンに
「勘弁してくれ」
と言ったら,
「勘弁で済むか!!」
と怒鳴ったエピソードくらい知っているよね.

 あと,嶋田繁太郎は同期生だが,彼に対する五十六サンの評価は
「巧言令色の輩」
「おめでたいヤツ」
というものだった.
 そこのところを注意して資料を見ないといけない.

シア・クァンファ(夏光華) in FAQ BBS

山本五十六の手紙

軍事板


 【質問】
 戦時中,山本五十六ってアメリカ人からは東条以上の悪人と思われてたの?

 【回答】
 「アメリカ人」とひとくくりに言っても,軍上層部や一般の将兵,はたまた米国市民とでは,感触に大きな隔たりがあるかと思います.

 米国軍上層部にとっては山本は,在米武官の時期を含め,相当に研究去れ尽くされていた最重要人物です.
 ブーゲンビルでの山本暗殺が決定されたのも,山本長官程の人物にとって替わる人材が居ない(山口多聞が替わり得たかもしれないが,当時既に戦死)という判断に基づいて決行されていましたから.

 米国海軍の一般の将兵にとっては,山本長官はまさしく憎悪の対象でした.
 「山本」姓の兵が捕虜になる都度,「お前は山本五十六の親戚か?」などと尋問されたそうです.
 また,参考になるかどうか分かりませんが,1944年にプリンストン大学で行われた,前線に出る訓練を行っている兵士に対するアンケートでは,「ドイツ兵を心から殺したい」と回答した兵士は6%.
 これに対して,「日本兵を心から殺したい」と回答した兵士は44%でした.
 米国将兵の意識がかいま見えるアンケート結果かと.

 一般市民にとっては,山本の「ホワイトハウスまで追いつめないといけない」という発言が,反日キャンペーンに利用され,大きく物議をかもしました.

akuY ◆c0IRE/HCS. :日本史板,2003/01/06
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 当時のアメリカ人が,山本五十六について驚いたこととは?

 【回答】
「日本人は,一郎,二郎というように,子供が生まれた順番に数字を付けて名前を授ける」
と聞いていたアメリカ人が,山本五十六の名前を聞いて驚愕した.

 さらに,その名前が生まれた順番ではないと知ってホッとしたつかの間,父親が56歳のときに生まれたので名付けられたと知って,またもや驚愕.

(生活板)


 【質問】
 よく山本五十六がフリーメイソンだったという説を見かけるのですが,本当でしょうか?

ヨッチ

 【回答】
 それはヤコブ・モルガンや大田竜が唱えている大嘘.
 山本五十六がアメリカに内通していたので,日本は太平洋戦争が負け,しかも山本は戦死していなくて,アメリカで生活していた,というヨタ.
 ちなみにヤコブも太田も,反ユダヤ主義の本を沢山書いている.⇒ヤコブの本の内容

90式改 in FAQ BBS


 【質問】
 もし山本五十六が戦死せずに生き延び,彼が極東裁判を受けることとなった場合,どのような判決が下るのでしょう?
 開戦回避が認められて無罪?
 それとも,真珠湾攻撃とかの責任で有罪?

 【回答】
 戦争回避の功績とと真珠湾奇襲の罪でチャラかと思いきや,実戦部門の最高責任者であるので責任は逃れられない.
 有罪.単に「何ら罪に問われないことはありえない」という意味で.

 それに,ただ作戦に従っていただけでなく,彼は作戦立案に関わっているからねえ.そういった意味で豊田と違う.
 作戦を決定するのは軍令部.建前上はね.
 しかし山本提督が,指揮系統の横紙破りをやってしまったのも事実.

 「戦争は政治の延長」の理論からすれば,罰せられるのは筋違い.
 が,「勝てば官軍」の見方からすれば,極東軍事裁判にて彼に何からの見せしめのような(そんなに重くは無い)刑が下ったろう.


 井上,米内は戦前の・・・というよりは終戦工作の功によってお咎めなしなんだろう.
 彼が罪に服したとしても,おそらく1.2年で出てきたろうな.

 なお,当方,山本五十六をこき下ろすつもりは毛頭ない.
 じゃなきゃ提督なんて呼びませんよ.
 その辺お間違え無きよう.

zeke in 軍事板,2000/09/11(月)
青文字:加筆改修部分

 極東国際軍事裁判において
・訴因37
「1940年6月1日から1941年12月8日の間における殺人罪又は殺人計画・共同謀議の立案・実行の責任者」

・同訴因39
「真珠湾不法攻撃による米国軍隊及び一般人の殺害」

とありますね.

特命鬼謀 in 軍事板,2000/09/12(火)
青文字:加筆改修部分


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