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(画像掲示板より引用)


 【link】

「Togetter」◆(2013/09/15) ソ連に引き渡された後の響について

『25歳の艦長海戦記 駆逐艦「天津風」かく戦えり』(森田友幸著,光人社NF文庫,2004.11)

 少し前に読んだ本.

 海軍兵学校から巡洋艦勤務,駆逐艦水雷長を経て,1945年に駆逐艦「天津風」の艦長となった著者の戦記.
 先代艦長から18期後輩,階級も3つ下の著者が艦隊駆逐艦「天津風」艦長となったのは,本艦が前半部分を失った状態で,シンガポールに係留されており,戦闘能力が著しく低下していたためであろうと考えられる.
 著者はなめられないようにと,乗員を訓練に鼓舞し,奮闘する.

 その後,天津風は輸送船扱いで,本土行きの船団に参加するが,護衛対象の輸送船が全滅.
 香港で再度船団を編成するが,これも全滅した.
 航行中に攻撃を受けた船の大半が沈没する中,天津風は空襲を受けて損傷しながらも,厦門周辺まで回航に成功,
 最終的に擱座したものの,損害を抑えることに成功した.
 空襲の描写は,米側の記録もページを割いて引用している.

 その後,著者は陸戦隊として,杭州湾口の列島守備隊長を終戦まで務める.
 記述自体は短いが,着任時に島を船で一周して,概況を確認する描写などは,海軍らしくて興味深い.

 写真は少ないが,空襲中の写真などが数枚掲載されている.
 特に艦前半部を失い,不恰好な応急艦首を付けた天津風の写真は面白い.
 この艦首が大きな波を作りだし,潜水艦による雷撃測距を誤らせたのではないかと,著者は推測している.

 著者は海戦間近に海軍士官となり,船団護衛の駆逐艦長として奮闘しただけに,訓練から実まで,海軍上層部についていろいろと言いたいことも多いようである.
 文章の端々に,そうした記述が表れている.

-----------------軍事板,2011/12/20(火)

『Эсминцы типа Фубуки в составе Императорского Флота Японии 1929-1945 гг.
大日本帝国海軍「吹雪」型駆逐艦 1929-1945年』

『駆逐艦「神風」電探戦記』(「丸」編集部編,光人社NF文庫,2011.7)

 リバイバル戦記コレクションの文庫化でした.
 駆逐艦戦記のオムニバスです.
 未読の人にとっては必読でしょう.

――――――軍事板,2011/07/02(土)
 一連の「再録本」だけど,基本的に単行本の文庫化みたいなので,買おうかと思った人は,できるだけ書店で巻末の元本表記を確認した方が良いと思う.
 本書の元は,「憤怒をこめて絶望の海を渡れ」とのこと.

 登場艦と著者の立場は次の通り.
・響/機関員
・雪風/砲術長
・夕雲/汽罐長
・早潮/掌砲長
・神風/電探員

 この巻は下士官・兵の著者が多く,必然的に「海軍の暗部」の描写も多くなってます.
 軍隊には避けられないことかもしれないので,
 何でも否定的にとらえることはないのかもしれないけど,電探の教育現場まで,「体で覚えろ」的海軍精神流なのはどうなのよ?,スマート海軍さん.

 まあ,その一方で「一艦一家」と表現されることも多い駆逐艦の話なので,力を合わせて難局を乗り切る話も記されています.

 個人的に興味深く読んだのは「夕雲」編.
 約60Pのうち,夕雲が浮いているのは最初の3Pくらいまで.
 某ガ○ディーンじゃないんだから,いきなり沈むなよ……と思いきや,そこからが圧巻.
 ベララベラ沖からブーゲンビルまで帰り着く,夕雲乗組員の粘り強さは強烈.
 人間,いざとなると凄い力を発揮するものだなぁ.
 でも,真似しろといわれてもできねっす.

------------軍事板,2012/05/19(土)

『駆逐艦「五月雨」出撃す ソロモン海の火柱』(須藤幸助著,光人社NF文庫,2009/12/30)

 これが何と,艦長や司令といった高級士官ではなく,一水兵の記録で,案外面白かった.
 特に印象に残ったのが,入渠中の工廠工員のさもしく,怠惰な勤務態度の描写.
 戦闘場面でなくて申し訳ない.
 たとえ戦時でも,どんな場所にも,ある割合で必ずDQNが潜在しているのだと感慨深かった.

-----------------軍事板,2011/12/20(火)
 駆逐艦の艦長や副長のような士官ではなく,兵を束ねる下士官の目から見た軍艦戦記物ってのは,珍しいかも.
 ダメな士官への悪口など,他の戦記では見られない内容は,ある意味新鮮かも.

------------軍事板,2012/05/12(土)

『特型駆逐艦』(学研パブリッシング編&出版,2010.8)

 駆逐艦の個別の推移に関しては一級の資料で,それは揺るがないが,それまでの「真実の艦艇史シリーズ」でのキレは無かったなぁ.

 それでも,30年前には直接見る事ができた保存資料の赤文字が,最近請求したコピーでは白黒になって,判別できなかったりとか,駆逐艦装備の13mm機銃へのこだわりとか,海軍系でも資料へのこだわりでは際立つ濃い本ですなぁ.

――――――軍事板,2010/09/13(月)
青文字:加筆改修部分

 【質問】
 太平洋戦争中の日本に,駆逐艦と呼べるものは何隻あったの?

 【回答】
樅型21隻(大戦前に大半が哨戒艇等に転籍)
峯風型15隻(そのうち2隻は哨戒艇に転籍,1隻は標的艦に)
若竹型8隻
神風型9隻
睦月型12隻
吹雪型24隻
初春型6隻
白露型10隻
朝潮型10隻
陽炎型19隻
夕雲型19隻
秋月型12隻(他に1隻未完成)
島風
松型18隻
橘型23隻(9隻未完成)

●軍縮条約逃れのため,わざとスペックダウンさせ,「これは駆逐艦じゃありませんよ」と言い張ったもの
水雷艇千鳥型4隻
水雷艇鴻型8隻

●鹵獲艦
哨戒艇第101号(元英駆逐艦「サレシアン」)
哨戒艇第102号(元米駆逐艦「ステュワート」)
哨戒艇第106号(元蘭駆逐艦「バンケット」)

●満州国籍だが,実質的には日本海軍が使っていたもの:
哨戒艇「海威(ハイウェイ)」 元は日本海軍の桃型駆逐艦の一隻「樫」.除籍後に満州国海辺警備隊へ貸与.しかし開戦後は無償貸与の形で再度,日本海軍が使用.

https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/345964445081677825
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/345964583858601985
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/345964719770841089
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/345964827455418369
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/345966725797388288


 【質問】
 日本駆逐艦は,どのような発展の仕方を辿ってきたのですか?

 【回答】
 八八艦隊で計画されたのが,大型で航洋性の高い一等駆逐艦「野風」型と,それより小型・低武装の二等駆逐艦.
 大型・快速の「野風」型は,「峯風」型を改良したもので,2番・3番の連装魚雷発射管を,連続的に廃置するよう改めた.

 二等の「若竹」型は,「樅」型の準同型艦で,その「樅」型は,「峯風」型の縮小版のような艦だった.
 ワシントン軍縮条約以降,二等駆逐艦は建造されておらず,この「若竹」型が最後となった.

 「野風」型の改良型が「神風」型で,復原力・安定性を増すために,船体を少しばかり大型化させた以外は,殆ど「野風」型と変わりない.

 次の「睦月」型も,やはり前級と殆ど代わりはないが,艦首形状をスプーン・バウからダブル・カーブド・バウに変更し,61cm魚雷を日本駆逐艦としては初めて搭載した.

 ワシントン軍縮条約により,日本海軍は補助艦艇強化の方針を打ち出し,「睦月」型は12隻で建造を打ち切られ,「吹雪」型にとって代わった.
 海軍では「特型」と呼んだ.
 従来の駆逐艦の1.5倍の戦力を持つ,まさに海軍にとっての「特別な型の駆逐艦」だった.

▼ しかしロンドン軍縮条約で,補助艦艇まで保有制限を受けることになったため,特型をそれ以上増やせなくなった.
 そこで1400t級の船体に,特型(1680t)並みの兵装を盛り込もうとしたのが「吹雪」型.
 そこで1400t級の船体に,特型(1680t)並みの兵装を盛り込もうとしたのが「初春」型.
 しかしやはり無理があり,「友鶴事件」の発生に繋がる.
 事件前から「吹雪」型の重心上昇は問題となっており,そのため主砲を減じて,代わりに魚雷を4連装×2基に増やし,さらに酸素魚雷を搭載したのが「白露」型.
 しかしやはり無理があり,「初春」型では重心上昇が問題となった.▲

 そのため主砲を減じて,代わりに魚雷を4連装×2基に増やし,さらに酸素魚雷を搭載したのが「白露」型.
 そのため主砲を減じた一方,「魚雷の射線が6では…」と魚雷を4連装×2基に増やし,後に酸素魚雷を搭載したのが「白露」型で,艦体構造等も改造の手間を掛けた前級より強固になっている.▲

 しかし結局,この排水量では満足できる性能を持たせるのは無理だと悟り,来るべき軍縮条約破棄に併せて建造し始めたのが「朝潮」型.
 「特型」時代の火力に加え,「白露」型時代の魚雷発射管4連装×2基を継承した,「特型」拡大型のようなもの.

 さらに,「朝潮」型を上回る航続距離,速度を持たせたのが「陽炎」型であり,その改良型が「夕雲」型.

 しかし「陽炎」「夕雲」型の速力35ノットでは,アメリカ巡洋艦が30ノットであることを考えると物足りないと感じた日本海軍は,さらに高速の駆逐艦を求めた.
 それが40ノットを出せる「島風」型で,16隻建造される予定だったが,現実の戦争はもはや水雷戦の時代ではなく,1隻だけで打切りになった.

 一方,航空機の脅威が増すにつれ,対空戦闘に特化した艦の建造を,日本海軍でも考えるようになり,結果登場したのが「秋月」型.

 さらに戦局が悪化し,多数の駆逐艦を失うようになると,生産の容易な駆逐艦が求められるようになり,「松」型と,その改良型「橘」型が登場.
 ある意味,二等駆逐艦の復活とも言える.
 そして「橘」型が日本海軍の建造した,最後の駆逐艦となった.

 【参考ページ】
『歴群[図解]マスター 日本海軍』(学研,2010),p.98-101
http://www.down.ne.jp/ish/ijn/ddhist/
http://dougakan675.blog49.fc2.com/blog-category-42.html

https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373804963559796737
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373805197941673984
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373805323284254722
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373805383338299392
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373805480809730048
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373805584400654336
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373805921350074368
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373806197440131072
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373806321197256707
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373806682612068352
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373806860043685889
https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/373806984606121984

▼ 1400トン級は初春型ですね.
 改装で減らしたのは,魚雷発射管(3連装3基から3連装2基)です.
 白露型と初春型の主砲門数は変わりません.
 艦橋前の高い位置にあった単装砲を,後部砲の前に背中合わせに移設しました.
 白露型の配置も同じです.

 友鶴事件につながるという表現は,一考した方が良いかもしれません.
 自身の復元性の問題を,バルジ装着または艦体の幅を広げる改修で対処する方向で進んでいたものが,千鳥型の事故(友鶴事件)から云々だと思います.
(要出典確認:記憶と違うので一応wikiで確認はしましたが)
 書かれた方のだれにでもある勘違いだと思います.
 私も同じようなミスをすることがあります.

bugaisha in FAQ BBS,2013/9/5(木) & 9/12(木)
青文字:加筆改修部分

▼> しかしやはり無理があり,「初春」型では重心上昇が問題となった.
> そのため主砲を減じて,代わりに魚雷を4連装×2基に増やし,さらに酸素魚雷を搭載したのが「白露」型

 しかしやはり無理があり,「初春」型では重心上昇が問題となり魚雷発射管を3連装2基に減じ砲配置を変更し{仰角も減じ}て兵装の軽量化を行ったほか艦体にも手を加え,復元性の改善と艦体構造の強化を図った.
 また,魚雷の射線が6ではと魚雷を4連装×2基に増やし,後に酸素魚雷を搭載したのが「白露」型で,艦体構造等も改造の手間を掛けた前級より強固になっている.

 ぐらいが良いと思います.砲の仰角云々で55°というのがwikiに書いてありますが初春級も改装で75°から55°になっていると思いますのでそれに触れる必要は無いとおもいます.
 復元性の改善と艦体構造の強化を図った.という部分は記憶書き込みですので検証が必要かもしれません.

*訂正*
  { }内部分は確認できませんでしたので不採用としてください.

 東大総長殿が電気溶接を排しリベットと補強材でがちがちに固めたんだったかなあ?(子どもの頃の丸の「日本の駆逐艦」(?)特集(今もでている大きい方で無く(当時は大小つだしていた)小さい方の月刊誌だったかと)記憶なのでこの部分は要出典です)

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 兵装の軽量化 と書いた部分を 兵装の軽量化と低重心化 としたほうが良いですね,きっと・・・・

bugaisha in FAQ BBS,2013/9/23(月) & 9/28(土)
青文字:加筆改修部分

 ご助言有難うございます.
 見づらくなるため,「初春」型の改善工事の具体的内容については,別項とさせていただきました.


 【質問】
 「日本海軍の主戦力は水雷戦隊?」とする見方について教えてください.

 【回答】
 結局の所,日本帝国海軍(以下IJN)が太平洋戦争突入時に主戦力とみなしていたのは,大和級・長門級以下の戦艦群でも航空機でもなく,水雷戦隊(とそれに付随する酸素魚雷)であったのではないか.というお話.
 「ですがスレ」のまとみたいなもんですが.

・「日本海海戦の栄光」に縋り付いたIJNは,水雷戦隊と敵艦隊を刺し違えさせることによって停戦を引きずり出す,と信じ込んでしまった.
 →前提条件として,海戦の戦域の指定が必要.
 それさえあれば,水雷戦隊と敵主力艦隊を刺し違えさせることが可能(と信じ込んだ)

 →米側は,巡洋艦のミニ戦艦化を行い大量生産.IJN水雷戦隊の排除能力の確保に力を注ぐ.
 更にフレッチャー級のような大型駆逐艦を多数投入し,IJN水雷運用艦の排除を行った.
 レーダーの早期導入も,IJN水雷戦隊への対抗という面があるのではないか

・当時のIJNは,外部からの批判を全て排除した上で,ひたすら自分の設定した状況に最適進化を行い,発展したのではないか.
(敵を自分の都合の良い存在とし過ぎている.作戦面でも戦備面でも)
 ※TFR氏曰く,「日本海軍ほど無能で卑怯な組織はそういない」

・IJN水雷戦隊が有効に機能できなかったのは,米側による互いの戦力をすり潰していく,という力押しに押し切られたから.
 →ソロモン海周辺での後半の戦闘では,お得意の夜戦能力すら米側に負けている.
 →米側はIJN水雷戦隊をすり潰すために,主力艦の投入ではなく,巡洋艦を中心とする戦力を投入した.

・そもそも,国家戦略が大陸進出であるにも関わらず(それが良いかどうかは置いといて),対米戦を始める辺りにアレっぷりが垣間見える
 →本来の当時の海軍の役割は,大陸進出とそこから上がる利益をサポートすることと,米英海軍の干渉を抑止する存在である筈.
 →組織防衛(陸軍から独立した組織という地位)のために対米戦を行っている辺り,救いようがない(ry

・大和級は必要悪.なければ米太平洋艦隊の戦艦群を阻止できない.
 →戦艦1隻を含む10隻の艦隊を始末するのに,300機の艦載機が必要.
 →16インチ砲戦艦の建艦競争には勝てないが故の18インチ砲.

・IJNが酸素魚雷を開発し,巡洋艦にまで搭載したのは,それでなければ米太平洋艦隊を阻止できないと思ったため.酸素魚雷に縋り付いていた.

邪夢 in mixi,2009年03月24日18:44

戦艦「比叡」(手前)より,水雷戦隊を望む
昭和初年頃
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 早蕨という船でトップヘビー問題が出たらしいのですが,詳細を教えて下さい.

 【回答】
 早蕨が昭和7年12月5日に転覆沈没した事故のことでしたら,あれは構造上のトップヘビーではなく,過積載が原因ではないかという説があります.

 昭和5年前後は,大湊・舞鶴・鎮海・旅順・馬公の各要港部に,横須賀・呉・佐世保の各鎮守府は持ち回りで警備用の1個駆逐隊を派遣していました.
 昭和8年度編制で,馬公要港部の担当となったのが,早蕨が属する第13駆逐隊でした.
 少なくとも1年は馬公に留まるわけで,駆逐隊の備品や馬公に送る物資を呉で満載して出動したものの,太平洋上で嵐に遭い,先頭を行く早蕨が転舵した途端,横波を食らって横転してしまった…とのこと.
 続行する若竹・呉竹・早苗もなすすべもないほど,あっという間の沈没だったそうです.

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)


 【質問】
 日本の駆逐艦で主砲塔を一基下ろして,機銃を載せるという改装をした艦があったと思うのですが,艦の名前と,増設された機銃の内容を教えて下さい.

 【回答】
 樅級は1943年頃から3番砲を撤去して代償に対空火器と電探を装備.
 神風級は1943~44年に掛けて4番12cm砲を撤去してその跡と艦橋前部に25mm連装機銃2基づつを装備.
 若竹級も12cm砲を2基降ろして対空機銃を増備.
 睦月級は12cm砲1~2門を降ろして対空機銃を増備.
 吹雪級は1943年後期頃から12.7cm3番砲塔を降ろして25mm三連装機銃2基と換装し,艦橋前面に25mm連装
 機銃1基と2,3番魚雷発射管中間に25mm三連装機銃2基を追加.
 初春級は1944年に入って,単装砲塔を撤去し,25mm三連装機銃1基と換装.
 白露級も初春級と同様.
 朝潮級は1944年頃に12.7cm2番砲塔を撤去して吹雪級と同様の改装を実施.
 夕雲級は1944年以降に12.7cm2番砲塔を撤去して25mm三連装機銃2基と換装.但し,最後期に建造されたものは,砲塔撤去が無かったです.

 ついでに,水雷艇千鳥級は後部主砲を撤去し,25mm連装機銃2基,単装4基を増強.
 鴻級も同様ですが,25mm単装機銃の門数が5基になっています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 「艦これ」というゲームにおいて,昼間と比べて夜戦の攻撃力が高いのは何でなの?

 【回答】
 史実の反映だな.
 旧日本軍は,水雷戦隊の夜戦が得意だったんで,巡洋艦・駆逐艦はクリティカル・ヒットが出易い.
 ただしそれは夜陰に乗じて敵艦に肉薄し,魚雷を叩き込むというのが,戦術の主体であり,同ゲームのような,夜間でも砲撃戦を続けるといった代物ではない.

 たとえば1942.11.30,ガダルカナル島タサファロンガ沖沖において生起したルンガ沖夜戦では,駆逐艦8から成る日本艦隊が,重巡洋艦4,軽巡洋艦1,駆逐艦6と遥かに優勢な米軍艦隊に対し,重巡洋艦1撃沈,重巡洋艦3大破させるという戦術的勝利を収めている.
 これはその殆ど全てが,酸素魚雷の戦果.

 そもそも,昼間と比べて大分接近しての戦闘だし.
 小さめの砲でも近くで撃てば,威力が上がるってものよ.

 ただし,米軍がレーダーを活用するようになると,夜戦における日本海軍の優位性は失われ,サボ島沖海戦(1942年10月11日深夜~12日)以降,夜戦でも日本海軍は敗北するようになる.
 同海戦において,まさか米軍が夜戦を挑んでくると思わなかった艦隊指揮官・五藤存知少将(「青葉」座乗)は,最期までこれを同士討ちと思い込み,
「ワレアオバ,ワレアオバ」
と発光信号を送り続けさせたというエピソードが残っている.

ブラウザ・ゲーム板,2013/05/27
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本の駆逐艦が米国の駆逐艦に勝っていたところは,雷撃力ぐらいのもんでしょうか?
 カタログだけ見ると砲撃力,対空戦闘力,レーダー,速度諸々全て劣っているようにも見えますが.

 【回答】
 雷撃力のみならず,対水上艦砲力でも優位.
 米駆逐艦の主砲が対空射撃も可能な両用砲だったのに対して,日本駆逐艦は主砲に対艦射撃を重視した,従来型の主砲を搭載していた).
 速力も実際には優位.
 凌波性が米駆逐艦よりも日本駆逐艦の方が優れていた,計測時の基準が日本のほうが実践的だった,等.
 で,夜戦での水雷突撃を任務とする本来の駆逐艦としては,日本のほうが優れていた.

 しかし,レーダーの登場で夜戦での水雷突撃自体が困難になったこと,航空機の発達で水上艦同士の砲雷撃戦が陳腐化したことを考えると,実際の戦力としては米駆逐艦の方が有力だったと言わざるを得ない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧日本海軍の駆逐艦は三連装や四連装の魚雷発射管を多数搭載していましたが,これらの発射管はいっせいに発射する事もあったと思いますが,逆に一発又は二発だけ撃つという事はできたのでしょうか?

 【回答】
 当然できる.
 発射機に発射する管を選択する機構があります.
 ただし戦闘時は全門全管を一斉発射するのが基本.
 発射機と発射管の角度は調整されていて,目標に対し扇状に発射されます(どれか一発が確実に当たるようにするため)


 【質問】
 日本駆逐艦って,どうしてサマールやスリガオで魚雷を撃たなかったんでしょうか?

 【回答】
 日本海軍の場合,駆逐艦や巡洋艦の積んでる魚雷は「決戦兵器」で,それなりの価値のある目標でなければ使わない(使えない).
 両海戦とも撃つべき目標,つまりは戦艦や空母には射程まで近づけなかったから撃ちようがない.

 更に,日本海軍は「統制雷撃」と言って,水雷戦隊の全艦が旗艦の指示で一斉射撃することを旨としていたが,どちらの戦闘でも海戦が始まったら混戦状態になってしまって,それどころではなくなってしまったので,魚雷戦自体が行えなかった.

 サマール沖海戦では「利根」が単独で魚雷を発射しているが,当たったという記録はない.

 もしかしたら味方の艦に当たっていたのかもしれない・・・が,そのあたりは(多分)永久に謎のままだろう.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 陽炎型や朝潮型,白露型といった駆逐艦は,対空装備を増強するのに,高角砲を設置せずに砲塔を下ろし機銃を増やすだけという,あしざまに言えば申し訳程度の増強しかしなかったように見えます.
 これら既存の駆逐艦に,秋月に載せた長10cm砲や,五十鈴に載せた12.7cm砲を搭載しなかった理由は何でしょうか? それまでの主砲は対空兵器としては役に立たないことはわかっていたと思うのですが.

 【回答】
 秋月級の長10cm砲は,砲塔重量が38tと重くデカイ.むりぽ.生産量も少なく,生産速度も遅い.
 また,特型以降の日本駆逐艦の砲は,一見砲塔状に見えるものの,実際は人力旋回の砲の全周に波除を装着した様な構造.
 其処へ12.7cmなり長10cmなりを積むのはかなりの大工事になる上に,重量的にも元の砲より過大となると思われます.
 時間的にも資材的にも余裕がななったものと思われます.

 「雑木林」では12.7cm高角砲の搭載を行いましたが,初速は3年式に比べると口径が短い分低く(三年式915m/sec,89式720m/sec),対水上戦としては威力が劣るため,対水上戦能力を重視する方面から嫌われたのではないか,と思います.

 さらに,砲の作動は電動式ですから,電路の設計など引き回しも面倒ですし,照準装置も対水上戦,対空戦の二つを併用するのであれば,二重に必要になり,ただでさえこの辺の精密機械の生産能力の低い日本ですから,これを準備できない可能性もありました.

 究極的にはいつもの
「みんなビンボが(略」

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)


 【質問】
 日本の駆逐艦で,キールが切断されても帰還できた例はありますか?

 【回答】
 「秋月」は被雷後に応急修理を行って,内地に帰還中に応急修理の補強不足でキールが切断したんじゃないかな.
 サイパンに引き返して艦橋後ろで船体を切断して,後部船体のみ曳航されて内地に帰還.

 魚雷の直撃でキール(船体)切断に至ったが沈まなかった艦としては,1942年7月被雷した駆逐艦「不知火」や,44年1月被雷した駆逐艦「涼月」などがあり,また触雷により船体を切断した艦としては,42年11月の駆逐艦「春風」があります.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板


 【質問】
 若干25歳で駆逐艦「天津風」の艦長を命じられた森田友幸氏について教えてください

 【回答】
1920年3月,福岡県大牟田市に生まれる.
1937年4月,海軍兵学校入校(海兵68期)
1940年8月,海軍兵学校卒業.
 その後,重巡「摩耶」乗り組み,ついで「鳥海」乗り組みで太平洋戦争開戦.
 駆逐艦「芙蓉」水雷長,同「霞」水雷長を歴任し,礼号作戦等に参加.
1945年1月,駆逐艦「天津風」水雷長(艦長は特務艦「早鞆」特務艦長が兼任),
同2月に同駆逐艦長に任命.当時,大尉.
同5月に上海特別根拠地隊隷下の四礁山部隊指揮官に任命.以後,終戦まで.

 「25歳の艦長海戦記」という自伝が光人社NF文庫で出てますから,買ってください.
 読んでから疑問があったら,具体的に聞いてください.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 睦月型駆逐艦って何?

 【回答】
 日本海軍では初めて61cm魚雷を搭載した艦隊型駆逐艦.
 前級「神風型」の発展型であり,第1艦「睦月」は1926年竣工.同型艦12隻.
 太平洋戦争勃発時,既に老朽艦だったが,61cm魚雷を持つ有力な水雷戦力と見なされて,第一線に投入され,12隻全てが戦没した.

睦月型二面図
(wikipediaより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2012/03/02 20:00
を加筆改修

 【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/navy/d_mutuki.htm
http://www.down.ne.jp/ish/ijn/ddhist/mutuki.html
http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_mutsuki.html

睦月型文月
(こちらより引用)

軍事板,2012/02/18(土)


 【質問】
 重心上昇が問題となった「初春」型では,どのような改善・改造が行われたのですか?

 【回答】
 魚雷発射管を3連装2基に減じ,砲配置を変更して,低重心化と兵装の軽量化を行ったほか,艦体にも手を加え,復元性の改善と艦体構造の強化を図った.

船体全般:
 溶接により材質を損なっていた外部鋼板を張替え.
 溶接構造であった肋骨梁と鋼板の結合を,鋲構造へ改め.
(いずれも第4艦隊事件後)

艦橋:
 重心降下の為,羅針艦橋上部の発射指揮所,射撃所の縮小・小型化が図られた.
 なお,前部セルター甲板撤去に伴い,艦橋は船首楼甲板後端部に,独立した構造物として設けられることになった.

前甲板:
 セルター・デッキを撤去して,前部2番砲塔を後部に移設.
 船首楼内の錨鎖庫を,一甲板下げ.
 溶接により材質を損なっていた前部甲板の張替え(第4艦隊事件後)
 甲板縁部への応用集中の防止を図るべく,船首楼甲板舷側の甲板と外板の結合部を,丸みを帯びた形状に改正(第4艦隊事件後)

主砲:
 連装砲の砲楯を改造,高角砲照準孔部分の半円形の突起の上部をカットし,ヨロイ戸式シャッターを廃止して,照準孔の形状と覆板を改正.
 2番砲塔を後部へ移設し,やはり突起をカット.照準孔右側の側壁を,外側に若干拡大させて,照準手を保護するための内部補強を施工.
 1番砲塔に補強フレームを2条装着(第4艦隊事件後)
 三番艦以降の連装砲も,この形状の砲楯を装備して竣工.

雷装;
 一番番発射管の装備位置を,30cm低める.
 後部の三番発射管を,その次発装填装置と共に撤去.
 魚雷搭載数を,18本から12本に削減.
 発射管シールドの形状が改められ,発射管への伝声管を撤去(第4艦隊事件後)

後甲板;
 三番発射管と,その次発装填装置の撤去に伴い,後部甲板室を縮小.
 煙突,缶室給気筒,マストを短縮.
 機銃台,90cm探照燈の装備位置を低める.
 後檣形状を,主脚の後ろと右後ろに支脚を設ける方式に改め.

 【参考ページ】
「丸」編集部編『軍艦メカ 日本の駆逐艦』(潮書房光人社,2012)

bugaisha in FAQ BBS,2013/9/23(月) & 9/28(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 駆逐艦「島風」は,なぜ速かったの?

 【回答】
1) 従来の「甲型駆逐艦」に比べ,極めて大出力の機関を搭載したためです.
 蒸気を発生するボイラーも,蒸気を力に変換するタービンも,全くの新型になりました.
 この新型ボイラーは圧力40kg/cm^2,蒸気温度400度という条件を満たすもので,本型に採用するに先立ち「陽炎型」の一艦「天津風」に搭載され,性能が確認されました.
 新型タービンの方は,高温高圧蒸気から少しでも多くのエネルギーを抽出するため,従来型タービンの高圧・中圧・低圧の3車室構成をやめ,高圧・第1中圧・第2中圧・低圧の4車室構成のタービンに変更,広工廠機関実験部における陸上試験で不具合を摘出した上で搭載されています.
 こうした新機軸導入の結果,75000馬力という大馬力を叩き出すことに成功しました.
 この数値は,大和の機関出力の半分にも達し,一馬力当りの機関重量は,島風が12kgに対して,大和では30kgでした.

 ただし,日本海軍の艦艇で最も高温高圧の蒸気を用いていたのは「島風」(40気圧・摂氏400度)ではなく,50気圧・摂氏470度の蒸気を用いる空母「神鷹」でした.
 同艦はドイツの客船「シャルンホルスト」からの改造艦だったためです.
 しかし,日本の技術ではワグナー缶は扱いかねたため,試運転後に通常の機関に換装されています.

2) 艦首形状を従来のダブル・カーベチャ・バウから,より高速に適したクリッパー・バウに変更しました.
 船体もL/B比を見直して,従来の駆逐艦より長くしました.

3) 通常の公試の際の2/3状態(燃料など消耗品を2/3搭載した状態)でなく,より軽い1/2状態で,試験を実施しました.
 2/3状態での全力発揮では,39ノット程度だったろうと思われます.
 ただしこれは八百長のためではなく,「公試状態」の概念の変更に基づいています.
 「公試状態」とは,その艦の戦闘状態を想定した状態であり,それは基地を出撃し戦闘海面に到着した段階の状態を指します.
 ところが当時の海軍は,前述の2/3状態を公試状態として取り扱うことに対し,疑念を抱き始めていたらしいのです.
 日本海軍は,麾下の艦艇の戦闘突入時の状態を,1/2状態ではないかと考え始めていたようなのです.
 「島風型」の設計には,この新しい考えが適用され,設計段階から1/2状態を公試状態としていたのです.

 【参考ページ】
http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_shimakaze.html
http://www.ne.jp/asahi/kkd/yog/gf4_10.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~zq9j-hys/D_SIMAKAZE.htm
http://www.down.ne.jp/ish/ijn/ddhist/shimakaze.html

「島風」ボイラー図面

「島風」機関図

(以上,画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】, 2013/07/11 20:00
を加筆改修


 【質問】
 駆逐艦「不知火」について教えてください.

 【回答】
 「不知火」は「陽炎」型駆逐艦2番艦として,1939.12.20に就役した.
 太平洋戦争開戦時には「陽炎」,朝潮型「霞」「霰」と共に第18駆逐隊に属し,機動部隊の警戒隊として行動,真珠湾攻撃において空母部隊の護衛を務めました.
 以降,
1942年2月のポートダーウィン空襲,
同年4月のセイロン沖海戦,
同年6月のミッドウェイ海戦
においても,同様に空母部隊を護衛した.
 7月5日,キスカ島沖で濃霧のため仮泊中,米潜水艦「グロウラー Growler」の雷撃を受け,艦橋付近を切断.
 9月3日~翌年11月15日まで,舞鶴工廠で入渠修理とあいなった.
 修理完了後,幾つかの輸送作戦に従事した後,1944.10.25,レイテ沖海戦において,志摩艦隊所属艦としてスリガオ海峡に突入したが,コロン湾に帰投.
 27日,オルモック湾上陸作戦にて損傷した「鬼怒」の,救助に向かったが発見できず,帰途に米空母艦載機の攻撃により,フィリピン諸島シブヤン海にて沈没,荒艦長以下全員が戦死した.

 なお,司馬遼太郎作品に登場する駆逐艦「不知火」は,先代(東雲型)のほう.

 【参考ページ】
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ENDOH/NAVY/IJN/DD/SIRANUI/KIJI.htm
http://homepage2.nifty.com/vanguard/makingpoints/makingyukikaze&shiranui.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_destroyer_Shiranui

就役時の「不知火」
(こちらより引用)

某ゲームにおける,擬人化された「不知火」
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/08/01 20:00
を加筆改修


 【質問】
 「萩風」って何?
 3行で教えて!

 【回答】
 陽炎型駆逐艦の17番艦.
 「野分・嵐・舞風」とともに第4駆逐隊を編成し,セイロン沖海戦,ミッドウェー海戦,ソロモン諸島の戦いに参加,サボ島周辺では米魚雷艇を数隻撃沈するが,空襲によって舵を損傷.
 1943年1月,戦線復帰すると輸送任務に従事したが,8月,ベラ湾夜戦にてレーダー装備の米艦隊から奇襲を受け,江風が轟沈,萩風・嵐も撃沈された.

 【参考ページ】
http://romanship.web.fc2.com/kuchiku/hagikaze.html
http://hush.gooside.com/Text/5h/51Ha/H112Haki_.html
http://shi.na.coocan.jp/wer.experience.01.html


 【質問】
 「雑木林」と揶揄された松型駆逐艦ですが,現場の評判はどんなものだったのでしょうか?

 【回答】
 現場と言っても立場によって違います.
 戦前から海軍の王道を進んでいた人たちにとっては,
「駆逐艦として不可欠である魚雷兵装も,砲熕兵装も貧弱で,且つ,駆逐艦の生命とも言うべき速度が全く出ない駆逐艦は,駆逐艦ではない」
と思っていて,事実,松型に反発する声は強かったのですが,予備士官,即ち商船出身の艦長から見ると,
「武装はそこそこあって,潜水艦や航空機にある程度対応出来,万一,艦に被害があっても局限出来る.
 更に小回りが効き,機械的に信頼性がある」
という訳で,これに高評価を与える人も多かったりします.

 士官だけでなく下士官や水兵でも,「軍艦」上がりの連中は,最初は余り良く思って居なかった様ですが,実際に使ってみたら,結構惚れ込んだと言うケースもあったり.

 立場や,地位,出身などからも色々印象は変わるので,一概にこれ,とは言えません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分

松型駆逐艦
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 船団護衛艦であるはずの松型に,なぜ魚雷発射管も装備されたのか?

 【回答】
 松型も,あくまで艦隊型駆逐艦として検討されたため.
 その証拠に,当初検討案では,
・白露型と同程度の大きさ
・兵装は12.7cm高角砲×4,61cm4連装魚雷発射管×2,
・速力30ノット以上
というものがあった.

 この計画がスペック・ダウンするのは,量産性を重視したため.

 詳しくは「世界の艦船」2006年10月号,p.109(大塚好古=軍事史研究家=著述)を参照されたし.


 【質問】
 駆逐艦グリッドレイ級って何?
 3行で教えて!

 【回答】
 米海軍において1934年度に10隻,1935年度に12隻が建造された駆逐艦.
 マハン級の改良型で,マハンでは2本だった煙突が1本に纏められ,マハンでは5基だった12.7cm単装砲を1基減らし,代わりに4連装魚雷発射管を1基増やして4基とした,言わば「マハン重雷装型」.
 後期建造艦をベンハム級またはマッコール級と呼ぶこともある.

 【参考ページ】
『世界の艦船増刊第15集 第2次大戦のアメリカ軍艦』(海人社,1984),p.86
http://military.sakura.ne.jp/navy3/us_d-gridley.htm
http://destroyerhistory.org/goldplater/gridleyclass/

「グリッドレイ」二面図
こちらより引用)


 【質問】
 駆逐艦ベンハムについて教えて!

 【回答】
 昔々,アメリカ海軍にアンドリュー・エリコット・ケネディ・ベンハム Andrew Ellicot Kennedy Benham (1832~1905)という軍人がおりました.
 時代や地域によっては,一生を訓練と書類作りで終える海軍将兵もおりますが,彼の場合は違いました.
 1847年に海軍士官学校を卒業して任官した彼は,米海軍艦艇に対する発砲事件に端を発する,1958年のパラグアイ遠征艦隊に,砲艦「ウェスタンポート Western Port」乗員として参加.
 1861年には南北戦争が勃発し,ベンハム中尉は外輪船を改造した哨戒艦「ビエンヴィル Bienville」に乗艦し,南大西洋封鎖作戦に参加しました.
 同年11月7日には,サウスカロライナ州のポート・ロイヤル奪取作戦にも参加.
 1863年にはテキサス州に対する西岸封鎖作戦に参加しました.
 戦後は,ニューヨーク海軍工廠や灯台保守航海の任務等に就いた後,1889年にメア・アイランド海軍工廠の司令に就任し,1894年に最終階級・少将として退役しました.

 その後,米海軍の軍艦の中に,彼に因んで命名されたものが現れました.
 初代が1914年に就役した,「エールウィン」級の駆逐艦.
 そして2代目が,1939年に就役した,「ベンハム」級の駆逐艦でした.

 1938年の進水式には,ベンハム少将の曾姪が出席.
 就役後は大西洋艦隊に配属されていましたが,日米関係が緊迫化した1940年には,太平洋艦隊に転属されてハワイ・真珠湾に到着します.
 1942年4月,空母の護衛としてドーリットル隊による東京空襲に参加.
 次いで同年6月のミッドウェイ海戦に参加し,空母ヨークタウンや駆逐艦ハムマンの生存者救助もこなしました.
 同年8月には,第二次ソロモン海戦に参加.

 そして同年11月の,第三次ソロモン海戦に至ります.
 ガダルカナル島への援護部隊として出撃していたベンハムは,第2の夜戦が発生した11月15日00:38,艦前方に魚雷が直撃します.
 魚雷を発射したのは,駆逐艦「綾波」だったと見られています.

 ベンハムは艦首部分を失い,戦線を離脱.
 なんとか浮力を保ったまま,ガダルカナル島へ辿り着こうとします.
 しかし16:37,これ以上の航行は不可能として艦の放棄が決定されます.
 生存者は僚艦グウィン Gwin に移乗.
 無人となったベンハムは19:38,味方の砲撃により撃沈処分されたのでした.

 1943年,ベンハムの名はフレッチャー級駆逐艦に引き継がれましたが,その後,その名前を艦名に見ることはなくなりました.

 ですので,せめて綾波の名前を見たときにでも,ベンハム少将のことも思い出していただけると幸いです.

 【参考ページ】
http://www.arlingtoncemetery.net/aekbenham.htm
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=19562037
http://destroyerhistory.org/goldplater/ussbenham/
http://military.sakura.ne.jp/navy3/us_d-benham.htm

ベンハム提督
こちらより引用)
駆逐艦「ベンハム」写真集


 【質問】
 「ブルー・デビル」って何?

 【回答】
 フレッチャー級駆逐艦「Melvin」のあだ名.
 同艦は太平洋戦争に2年に渡って参加し,11の主要な海戦を経験.
 スガリオ海峡夜戦では,戦艦扶桑に魚雷2本を命中させ,止めをさした.
 そして,いつしか「無慈悲なメルビン」「青い悪魔」のニックネームで呼ばれるようになった.

 【参考ページ】
http://shop.ayard.jp/shopdetail/045001000049/051/000/order/
http://yukemuri.mo-blog.jp/mokei/2007/02/index.html
http://en.wikipedia.org/wiki/USS_Melvin_(DD-680)
http://www.navsource.org/archives/05/680.htm

faq100810ml.jpg
こちらより引用)

faq050714.png
(朝目新聞より引用)

faq050524.jpg
(画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2010/08/09 21:26
を加筆改修


◆◆◆◆◆◆秋月型


 【質問】
http://karen.saiin.net/~clytie/countries/japan/navy.html
ここ↑に「秋月型駆逐艦で,自艦の高角砲弾片が命中,沈んだのがあった」という話が載っているのですが,
http://military.sakura.ne.jp/navy/d_akiduk.htm
↑を見てもそれらしい艦が見つかりません.どの艦のことでしょうか? それともガセですか?

 【回答】
 秋月です.
 かつては,潜水艦が瑞鶴に放った魚雷を身を挺して防いだと喧伝されました.
 緒方艦長みずからそれを否定し,搭載魚雷の誘爆で沈んだと指摘してます.
 今の論点は,火元は何か,ということで,秋月の機銃弾か,瑞鶴や瑞鳳の流れ弾か…で平行線をたどってます.

(鷂携帯版 ◆53cmjHPmWw)


 【質問】
 旧日本海軍は機動部隊防空のための秋月型を多数製造しましたが,秋月型以外に防空目的の駆逐艦を設計したのでしょうか?

 【回答】
 駆逐艦と言うより,当初は巡洋艦を志向しています.
 英国の旧式軽巡洋艦改造の防空巡洋艦を手本に,旧式化した天龍型とか5500t型軽巡洋艦の主砲を高角砲に換装し,高射装置を完備,雷装を全廃して直衛艦とするのが一番最初.
 ところが,これは予算が可成り掛かる上に,防空性能不十分,
 しかも,旧式と言えど,未だ十分に水雷戦隊旗艦として役に立つこともあり,又,これらは艦隊決戦に際し,重雷装艦とすることが考えられましたので,防空巡洋艦構想は後に五十鈴が改造されただけでした.

 で,その替わりに新型の防空巡洋艦を設計します.
 これは大淀型とほぼ同じ9000tで,10cm高角砲の連装砲塔を12基搭載,高射装置は4基搭載という立派なものでしたが,これは威力十分な替わりに船価が高く,実現の見込み無く,一艦で対応する巡洋艦よりも,数隻で対応する駆逐艦の大型化という方向に進んでいきます.

 当初は,駆逐艦ではなく,直衛艦という種別でこの艦は呼ばれました.
 これで設計されたのがW-115計画案で,原案は魚雷発射管無し,第二案で,魚雷発射管1基を搭載し,第三案はそれが二基に増えました.
 結局第三案は過大に過ぎ,第二案を元に計画が進められています.

 なお,○5計画では,島風型のボイラーと主機を採用し,速力を33ktsから37ktsに向上,基準排水量を300t増して3000tとし,魚雷発射管には新設計の6連装を1基搭載し,機器配置は缶-機-缶-機の交互配置を,日本の駆逐艦では初めて採用する予定でした.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 大戦中の日本の防空駆逐艦は米国と比較して低性能だったのでしょうか?
 ドキュメンタリー番組で防空駆逐艦の戦闘時のシ-ンが流れてたのですが,弾幕が凄ごく気になりました.

 【回答】
 一応,秋月を想定しているとして….

 日本の駆逐艦の場合は,対空機関砲としては25mm機関砲しかなく,それも,複葉機全盛の時代に導入された代物でした.
 その上は10cm高角砲であり,中口径の機関砲が無かった(毘式は無いに等しい)ので,弾幕がどうしても薄くなりがちでした.

 対空射撃完成機構については,九四式高射装置であり,これは優秀なものと言えるでしょう.
 砲側の高射装置は,当初は複雑な構造の方位板測的装置と射撃盤を装備する予定でしたが,結果的に簡便な照準器になっていますので,高射装置が破壊された後の戦闘力は落ちます.
 末期には九四式高射装置が供給不足となったので,2基取り付けるべきものを1基にしたりしていますし….
 また,米国に比べると電子機器の性能が少し劣っていたため,夜間の対空戦闘は困難でした.

 更に個艦戦闘ではなく,集団的な戦闘となると米側の方が上を行きます.
 運用とかについては,米軍の方に一日の長があります.
 艦隊防空というのはシステムだから,仮に一隻の駆逐艦が高性能であっても意味はありません.
 戦争は組織的にやるものですから,個艦能力がよくても組織的な戦闘能力で劣っていればだめぽです.

秋月型 12隻
フレッチャー型 175隻
アレン・M・サムナー型 70隻

 43年後半辺りの米海軍の場合だと,
レーダーで捕捉
→待機していた戦闘機が向かい迎撃
→余ったのを各艦迎撃
って流れが出来てる.

 一方,日本海軍でもそういった考えは有ったけど,態々数を増やした戦闘機に爆装させて米艦隊に突入させたり,レーダーや航空機の誘導がお粗末だったり,最終的には残った艦艇は航空優勢も取れない場所に突入したり,燃料不足で憂げ動けなくなったところを航空機にボコられたりして沈んでいきましたとさ.

 そもそも,米軍に防空駆逐艦なんてない.普通の駆逐艦の主砲が高射砲(両用砲)だっただけ.
 日本の「防空駆逐艦」(秋月)と向こうの「駆逐艦」(フレッチャー)を比べなきゃならない状況ってのが問題な訳.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)


 【質問】
 福岡だかで岸壁になってる駆逐艦,なかったっけ?

 【回答】
 涼月だね.
 涼月は「秋月」型防空駆逐艦の3番艦として,1942.12.29に竣工.
 空母部隊直衛のために建造されたはずだが,翌年3月から4月にかけて,ラバウル方面への航空兵力増強のための輸送を護衛し,その後も輸送船団などの護衛を専らとする.
 1944.1.16,米潜水艦「スタージョン」の雷撃を受け,艦首をもぎ取られるなどの被害を受ける.
 同年8.3まで復旧工事が行われ,角ばった急造型の艦首となって,これが今日,写真における僚艦との識別点に.
 同年10.16,今度は米潜水艦「ベスゴ」の雷撃を受け,またも艦首を切断.
 しかしこれら被雷や,荒天による損傷が幸いして,修理を受けている間,マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦には参加せずに済み,大破こそしたものの,
大和特攻からも辛くも生き残って終戦を迎えた.

 戦後,損傷のため復員輸送艦としては使用されず,1948年4月から5月にかけて旧佐世保海軍工廠の佐世保船舶工業で解体された.
 船体は同型艦「冬月」,「桃」型駆逐艦「柳」と共に,福岡県北九州市若松区若松港の防波堤として利用され,2013年現在も同地に埋まっている.


 本当の不沈艦になったんだな

 【参考ページ】
http://blogs.yahoo.co.jp/nobumusashi/9042626.html
http://shamal.biroudo.jp/suzutsuki.html
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/technology/akizuki.htm
http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/yanagifile/yanagi.html

ブラウザ・ゲーム板,2013/06/30(日)
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆◆◆特型


 【質問】
 特型駆逐艦について,3行で教えてください.

 【回答】
 ワシントン条約で戦艦や巡洋の保有数を制限されたため,それを制限外の小艦艇の強化でどうにかしよう,という発想で建造されたのが,この駆逐艦.
 軽巡「夕張」の手法を採り入れて軽量化することにより,長い航続距離を持ち,また,排水量に比して重武装にすることを可能とした.
 搭載砲によって特I型,特II型,特III型と類別される.

 【参考ページ】
http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_fubuki.html
http://www.eonet.ne.jp/~mamichan/wl/toku.htm

二面図
(こちらより引用)

特型の一隻「電 Inazuma」
(画像掲示板より引用)

https://mobile.twitter.com/KCin_Tokorozawa/status/346033392971829249


 【質問】
 特型の設計思想は?

 【回答】
 ワシントン海軍軍縮条約の結果,生まれた漸減戦の思想により,日本駆逐艦部隊の任務は敵主力艦の攻撃とされた.
 そのため,第1次大戦後,魚雷攻撃のみでなく,主力部隊の直衛,哨戒,対潜など多岐な任務を要求されつつあった外国駆逐艦と比べると,著しく攻撃に偏重していた.

 また,圧倒的多数を誇る米警戒部隊の阻止幕を突破するため,「寡をもって衆を制する」ことのできる「個艦優秀思想」が生まれたが,しかし,軍艦という複雑緻密な兵器に奇跡はない.
 特定の性能の傑出を得るためには,その代償に必ず何かを切り捨て,犠牲にしなければならない.
 特型駆逐艦の優秀性は戦略場の劣勢を補うため,痛みを伴う強引なまでの手法で引き出すものだった.

 詳しくは「世界の艦船」2006年10月号,p.75-76を参照されたし.

特型「叢雲」
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 列国の同時代の駆逐艦に比べ,特型はなぜ砲力で優位に立てたのか?

 【回答】
 主砲搭載数を多くし,発射速度を高くしたために,1分間当たりの片舷発射弾量はずば抜けて大きくなった.
 これは連装砲を搭載した結果である.

 当時の列強駆逐艦の主砲は,中心線上に単装砲を4~5門搭載するのが標準だった.
 中川務の私見によれば,それは,連装砲にすると1基当たりの重量が増大して,人力による俯仰旋回操作が不可能になり,機力の導入に迫られて重量が増大するのを恐れたためだった,と推察できるという.
 駆逐艦のような軽量艦の搭載砲を無理に連装化するよりも,単装のままで砲口径を増大するほうが容易で確実だった.
 ドイツを除く列強駆逐艦の主砲は1930年代に入って連装化に向かっており,その点では特型には先見性があった.

 発射速度については,揚弾を機力化し,砲支筒内に揚弾機(揚弾能力20発/分)を設置して,弾薬の供給を円滑化している.
 反面,特型の嚢砲(睦月型までは莢砲)は発射速度向上に適応し難かった.

 詳しくは,「世界の艦船」2006年10月号,p.77-79(中川務著)を参照されたし.


 【質問】
 特型駆逐艦の主砲は,対空・対艦両用砲なのか?

 【回答】
 特I型はA型砲で,これは最大仰角40度と限定的.
 II型は最大仰角75度のB型砲を搭載したが,これは旋回俯仰速度が遅く,弾薬装填方式がA型砲と基本的に一緒で,両用砲からはほど遠かった.

 ソースは「世界の艦船」2006年10月号,p.25より.


 【質問】
 列強の駆逐艦に比べ,特型は何故雷撃力で優位に立てたのか?

 【回答】
 魚雷の口径が各国の中で最も大きく,炸薬量が当時最大だったため.
 また,3連装発射官を船体中心線上に3基搭載できた為.発射官の中心線装備は,大きな艦上スペースを要するため,各国では2基装備または片舷射線減少を容認した両舷装備が多かった.
 特型がそのようなスペースを得ることができたのは,主砲を連装化して艦の中部に余積を生み出したからだった.

 詳しくは「世界の艦船」2006年10月号,p.79-80(中川務著述)を参照されたし.


 【質問】
 列強の駆逐艦に比べ,特型はなぜ航洋性に優れていたのか?

 【回答】
 長船首楼を採用して艦首付近に強いシアとフレアーを付し,また,艦の中部にもフレアを付して艦首波の打ち返しを防ぐよう留意し,さらに露天式艦橋を廃して艦橋に固定天蓋を設け,周囲をエンクローズして飛沫対策を強化.
 砲室も密閉化し,砲員や弾薬,要具類を飛沫から守った(ただし軽量化のため,鋼鈑厚は3.2mmで,弾片防御能力すらない)

 詳しくは「世界の艦船」2006年10月号,p.83(中川務著述)を参照されたし.

吹雪(特I型)を,艦首方向より
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 駆逐艦「綾波」について4行で教えて!

 【回答】
 1930.4.30に竣工した特型駆逐艦(吹雪型)の11番艦だが,設計が改良されていることから特型II型駆逐艦(綾波型)とも分類される.
 第四艦隊事件などの教訓から主砲の換装等重心低下の為の改装を受けた後,日中戦争において上海や杭州湾への上陸作戦を支援.
 太平洋戦争では第三水雷戦隊に所属し,マレー半島上陸作戦の際に蘭潜水艦「O-20」を撃沈した他,輸送任務に従事.
 1942.11.14,第三次ソロモン海戦において,戦艦2・駆逐艦4から成る米艦隊に対し,殆ど単艦で奮戦,駆逐艦2隻を撃沈,1隻を大破させたのと引き換えに,自身も撃沈された.

 【参考ページ】
http://www.finemolds.co.jp/WA/FW1.html
http://romanship.web.fc2.com/kuchiku/ayanami.html
http://gigan-t.com/gigant/001_category/t/sea/019_ayanami/ayanami.html
http://buton.sakura.ne.jp/ayanami1.html
http://buton.sakura.ne.jp/ayanami2.html

「綾波」模型
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 【質問】
 駆逐艦「響」について教えてください.

 【回答】
 「不死鳥艦」の異名を持つ「響」は,特III型駆逐艦の2番艦であり,1933.3.31就役.
 太平洋戦争中,何度も損害を受けるなどするも,遂に大戦を生き残った.

・北方,キスカ占領作戦中の1942.6.12,キスカ湾において米海軍機PBYカタリナ飛行艇から至近弾を受ける.
 艦首がもぎとられ,前部主砲周辺まで浸水して危うく沈没するところだったが,の危険があったが,3時間あまりの応急修理の末に浸水をとめる事に成功.

 暁に助けてもらって何とか帰投.
 その後,修理が終わると,他の姉妹とは別の任務に従事し,その間に暁が撃沈される.

・最新鋭の魚雷を装填した自分の魚雷でも小破

・と思ったら,訓練中の1943.9.2,「島風」の発射した訓練用魚雷が,右舷に命中.
 右スクリュー損傷など,小破のダメージを受ける被害.

・残った姉妹と一緒に護衛任務に就くも,次々と撃沈され,第六駆逐隊は自分だけが残る.

・艦内で赤痢が蔓延,大変なことになる:
 1944.9.6,高雄市からマニラへの船団護衛任務に就いたが,その出港直後,「響」の隣を航行していた輸送船「永治丸」を,米潜が撃沈.
 その救助作業中,米潜の雷撃を受け,艦首を損傷.
 左営と馬公で応急修理を受けて基隆に回航されたが,天候不順により,乗員に赤痢患者が発生.
 にも関わらず「響」は,護国丸の護衛を担当し,「響」艦内で赤痢がいっそう蔓延して,一刻も早く佐世保に急がなければならなくなり,「響」は「護国丸」と別れて佐世保に到着.
 単独航行となった「護国丸」は,その後,米潜によって撃沈された.

・いろいろ乗り越えて再び護衛任務に戻るが,今度は1945.3.29に機雷触雷.
 その直前に救助されていた人もろとも,乗員を失う.

・その触雷が原因で大和特攻に同行できず.自分は浮き砲台として終戦を迎える.

・最終時の響の主砲は,すでに大破して修理の見込みもなくなっていた「潮」のものを積んでいた

 その後はご存知の通りで,復員船となった後,1947.7.5にソ連に引き渡されて,太平洋艦隊の一員「ヴェールヌイ Верный」となり,1953年には解体されたという.

 【参考ページ】
http://www3.ocn.ne.jp/~kkoomei/hibikitowatasi/hibikitowatasi.html
http://www.geocities.jp/bluehead0/contents42.htm
http://page.freett.com/plc_rock/gunkan/hibiki.htm

ブラウザ・ゲーム板,2013/07/22(月)
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆戦闘妖精じゃないほうのヤツ


 【質問】
 雪風の名前の由来は何ですか?

 【回答】
 雪風は,日本海軍の命名基準によって,天象地象の名前から取られただけです.
 平安期の蜻蛉日記のくだり,「雪風うふかたなうふりくらがりて…」で現出の雪と風,または雪交じりの風の意をさします.

眠い人 ◆gQikaJHtf2

「雪風」の旭日旗
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 なぜ雪風って僚艦にとって不吉な艦だと言われてるんですか?

 【回答】
 雪風には大した被害が出ないのに周りの艦がえらい損害を被るので疫病神みたいに言われてました.

・マリアナ沖海戦(空母3隻撃沈,航空機378機損失)
・レイテ沖海戦(戦艦3隻空母4隻重巡6隻軽巡3隻駆逐艦9隻撃沈,重巡4隻駆逐艦2隻大破)
・信濃護衛(信濃撃沈)
・坊ノ岬沖海戦(大和軽巡1隻駆逐艦5隻撃沈)
・太平洋戦争開戦時から作戦に参加していた駆逐艦のうち唯一終戦まで無事に生き残った.

 他にも
第三次ソロモン海戦とか(戦艦比叡,霧島沈没)
ビスマルク海戦とか(輸送船全滅,護衛の駆逐艦半数が沈没)
終戦間際に日本海側に待避した際の触雷とか(雪風に触れた機雷はその時は爆発せず,後続の初霜に触れた時に爆発した).

軍事板

 本土に戦艦を返すときも護衛してましたが,金剛を討ち取られてます.
 僚艦の浦風が魚雷に体当たりして大和を守った伝説がある航海です

鷂携帯版 ◆53cmjHPmWw

 ただし,なぜ「周りの艦がえらい損害を被る」ような状況にあったかも考慮する必要があるでしょう.
「辛くも生き残った」とも言えるわけで,「幸運の艦」とも「疫病神」とも評されるのも無理はないでしょう.


611名前:名無し三等兵[sage]投稿日:2005/11/23(水)16:38:31ID:???

 この駆逐艦は不幸の駆逐艦です.
 13日以内に他の艦隊へ13隻の駆逐艦を転出させてください.
 さもないとあなたの艦隊に不幸が訪れます.

 【質問】
 不吉な艦だと言われていたのは雪風だけですか?

 【回答】
 雪風と並び称された時雨の場合,
ソロモンにて沖合で輸送船団を護衛していたら,敵が沖からでなく島影から突撃してきて船団全滅とか
スリガオ海峡を先頭で進んでいたら,続行する山城が火だるまになったとか……

鷂携帯版 ◆53cmjHPmWw


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