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「赤城」三態



(こちらより引用)


 【link】

日本陸軍空母史

『飛龍天に在り 航空母艦「飛龍」の生涯』(碇義朗著,潮書房光人社NF文庫,2013/09)

『勇者の海 空母瑞鶴の生涯』(森史朗著,光人社,2008.2)

「瑞鶴の飛行甲板は305mあったんだ!」
という証言が書かれている.
 まあ,単なる誤計測だろうけど.
 Sプレイのルールから高橋嚇一の長男の逸話まで,盛りだくさん.

――――――軍事板,2010/06/19(土)

 【質問】
 珊瑚海海戦や南太平洋海戦で,翔鶴の甲板が簡単に大破壊してしまったのは何故か?

 【回答】
 上部格納庫には薄い側壁を簡単に取り付けて,ここで爆弾が爆発すると爆風が側壁を吹き飛ばして外に逃げ,飛行甲板に累を及ぼさないように作られていたが,飛行甲板が強固さを欠いていたため,現実には爆風は側壁を飛ばすと共に,飛行甲板をも破壊する結果となったという.
 以下引用.

 日本の中・大型空母は2層の密閉式格納庫を備え(一層の信濃を除く),飛行甲板は英空母と同様に深いビーム(梁)とガーダー(桁)で支持しているが,概ね軽構造であり,あまり強固な作りではなかった.
 代表的な大型間の翔鶴型では上部格納庫には薄い側壁を簡単に取り付けて,ここで爆弾が爆発すると爆風が側壁を吹き飛ばして外に逃げ,飛行甲板に累を及ぼさないように作られていた.

 しかし飛行甲板が強固さを欠いていたため,現実には爆風は側壁を飛ばすと共に,飛行甲板をも破壊する結果となった.
 翔鶴は珊瑚海海戦と南太平洋海戦で,命中弾の爆発により飛行甲板が山なりに吹き飛ばされ,一部は上部格納庫まで陥没する大破壊を生じて飛行機の発着艦が不可能になり,戦闘離脱を余儀なくされた.

「世界の艦船」2005年4月号,p.88(安部安雄著述)



 【質問】
 では,米空母のほうの飛行甲板の強度はどうだったのか?

 【回答】
 強固な構造であり,空母ヨークタウンが2日の修理で復帰できたのも,これに負うところが多いという.
 以下引用.
 米空母の飛行甲板は,支える梁を深くして,
「飛行甲板は,その直下のギャラリー甲板と共にサンドイッチ構造を形成して,飛行甲板にかかる荷重を支持する方式」(故鈴木昌氏の記述による)
とし,強固な構造を得ていた.
 ギャラリー甲板の下は一層の解放式格納庫とされ(密閉式のレキシントンを除く),ここで爆弾が爆発しても,かなりの爆風が舷側から逃げ,飛行甲板は,爆弾の貫通部分を除き,大きな破壊・変形を生ぜず,短期間の応急・修理作業で戦闘行動を再開できた.

 珊瑚海海戦で損傷したヨークタウン Yorktown CV-5 が,真珠湾での僅か2日の修理期間でミッドウェー海戦に出撃できたのも,飛行甲板の強固さに負うところが多いと見られる(筆者の知る限り,この点を指摘しているのは故・酒井三千生氏だけである).

「世界の艦船」2005年4月号,p.88(安部安雄著述)


 【質問】
 鳳翔,瑞鳳,大鷹は練習空母としてはどう使われたのか?

 【回答】
>鳳翔

 練習空母になったのは昭和17年10月20日以降です.
 ミッドウェイまでは戦艦部隊付属の直衛空母になっており,ミッドウェイ海戦でも,対潜用として九七艦攻6機を搭載,主隊に随伴しています.

 機動部隊訓練部隊編入以後は,
1943/1/15 第3艦隊第50航空戦隊に編入され,内海西部にて母艦着艦訓練に従事
1944/1/1 第12航空艦隊第51航空戦隊編入
1944/2/20 連合艦隊付属に編入.第3艦隊の着艦訓練に従事.
1944/6/7~24 飛行甲板拡張工事.これにより外洋航行は不能となる.
1945/3/19 米機動部隊の攻撃により損傷
1945/3/27 修理完了.単独訓練従事.
1945/4/20 予備艦に.
1945/6/1 特殊警備艦となり,乗員の大部分は退艦.
1945/10/5 正式に除籍.以後,復員輸送艦となる
1946/9/2~47/5/1 解体工事

>瑞鳳

 瑞鳳は1940/12/27に佐世保鎮守府警備艦となって後,1941/4/10に第1艦隊第3航空戦隊に編入されるまでの間,12連空の着艦訓練に従事してますが,他は自艦の訓練をやったり,ハワイに行っていた連合艦隊を出迎え警護したり.

 本格的に練習空母となったとは言えないですな.

>大鷹

 こちらは練習空母というより輸送空母扱い.
 高雄に輸送したり,トラックに輸送したり,ラバウルに輸送したり.
 着艦訓練に従事したのは,
1941/12/12~31 内海西部にて.
1942/6/9~7/1 同上
の2回のみです.

 ソースは,潮書房の「丸スペシャル」各号より.

消印所沢 ◆z3kTlzXTZk


 【質問】
 空母「龍鳳」について,3行で教えてください.

 【回答】
 1942年11月に改造完了して空母になった艦で,前身は1934年に竣工していた潜水母艦「大鯨」.
 「大鯨」は予め,戦時に3ヵ月で航空母艦に改造できるよう計画された上で建造されたが,実際に改造してみると,
・問題の多かったディーゼル・エンジンを、陽炎型駆逐艦のものと同型のタービン・エンジンに換装
・1942.4.12のドーリットル隊の東京空襲により被爆
したため,11ヶ月程度かかっている.
 マリアナ沖海戦に参加して辛くも生き残り,以後は艦載機不足のため,船団護衛任務に回されていたが,1945年の呉軍港空襲で大破し,防空砲台として港に繋がれたまま,終戦を迎えた.

 【参考ページ】
http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main03/weaponjpnacryuho/ryuho.html
http://www.geocities.jp/usio_no_ibuki/ship_page_Aircraft_carrier/Ryuho.htm
http://military.sakura.ne.jp/navy/a_ryuho.htm

二面図
(こちらより引用)

模型
(画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/07/13 20:00
を加筆改修


 【質問】
 「大鳳」って何? 3行で教えて!

 【回答】
 大鳳(たいほう)は,日本海軍が戦時中に起工したものとしては,唯一実戦に間に合った正規空母.
 翔鶴型をベースとし,その飛行甲板を装甲化した重防御空母として建造された.
 だが,初陣となったマリアナ沖海戦では,1944/6/18,米潜水艦の雷撃により航空機燃料が漏洩,引火して爆発,自慢の装甲が役に立つこともなく沈んでしまった.

三面図
(こちらより引用)

昭和19年5月ごろの大鳳@タウイタウイ泊地

同じ泊地,同じ時期だが,上空より撮影されたもの


 【質問】
 「大鳳」の飛行甲板の装甲は,どんなものだったの?

 【回答】
 500kg爆弾の急降下爆撃に耐えることができるよう,前後の昇降機の間,約150mの長さの飛行甲板部分に,幅20mの範囲で,20mm DS板上に75mm CNC甲板を張った.
 なぜ500kg爆弾か?
 先のミッドウェー海戦で,日本の空母を沈めたのが500kg爆弾だからである.

 また,昇降機部分には,25mm DS板2枚を重ねた.


 大鳳の飛行甲板表面については,史料が少なすぎて現在も推測の域を出ない.
 米側がテニアン基地で接収した三枚の写真(この写真がなければ始まらなかった点に注意)
 靖国にある「大鳳型(改)」設計図面←大鳳ではなく大鳳改であることに注意
 空母大鳳艦上での,スナップ写真←これは元乗員がそう言うのなら,一史料として参考に出来る.
 戦後,引かれた空母大鳳の三面簡略図面程度しかない.
 だから,現状では両説併記と共存が望ましい.

 ただし,木甲板じゃなかったとしてもコンクリじゃないからな.
 ラテックス.
 ラテックスは木材の代用品,さらにラテックスの代用品が鋸屑入セメント.
 当時の状況を考えると,この代用品を使用ってのが,リアルに思える.

 【参考ページ】
東清二「決戦空母"大鳳"に見る造艦術」,『空母〈1〉 写真 日本の軍艦〈第3巻〉』(雑誌丸編集部,光人社,1989/09)

http://www.geocities.jp/akazibusyo/taihou.html
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-26.htm
http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main03/weaponjpnactaiho/taiho.html

 【関連リンク】
http://www4.ocn.ne.jp/~d98/taiho2.html(模型)

軍事板,2008/09/18(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 空母大鳳についてですが,装甲甲板を採用したために重心の関係で船体を低くし,そのため搭載機数が減ったと良く言われますが,実際は零戦,九九艦爆,九七艦攻なら70機以上の搭載が可能だったという話も聞きます.後者が正しいんでしょうか?

 【回答】
 「Warbirds」の常連BUNさんが計算してます.
http://www.warbirds.jp/truth/ijn_cv.html
 これによると可能であるようです.

 ただ,質問の前提である零戦・99艦爆・97艦攻のトリオは明らかに型落ちした旧式機である以上,マリアナ海戦以降は零戦・彗星・天山で換算するか,将来を見越して烈風・流星で換算しないと,単なる数字遊びに終わってしまうでしょう.

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

流星
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 同じ船体,同じ機関の空母に,
通常飛行甲板+二階建ての格納庫を載せたのが翔鶴
装甲飛行甲板+1階だて格納庫を載せたのが大鳳
と思えばいいの?
 もちろん細部は違うが.

とらいばる : 軍事板,2003/04/08
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 大鳳は2段格納庫です.
 大鳳が削ったのは,格納庫以外の甲板1層分です.

 なお,大鳳も信濃も,装甲範囲は前後のエレベーターの間,離着艦に必要な最低限の領域と判断された部分のみです.
 艦首・艦尾は普通の空母同様.

ゆうか ◆9a1boPv5wk : 軍事板,2003/04/08
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 空母「天城」について3行以上で教えてください.

 【回答】
 空母「赤城」型の幻の1番艦.
 元は八八艦隊計画で建造された天城型巡洋戦艦の1番艦だが,ワシントン海軍軍縮条約締結により,2番艦「赤城」と共に,建造途中で空母に改造されることが決定.
 ところが1923.9.1,関東大震災により大破,修理不能と判定され廃艦となり,代わりに空母に改造され,完成したのが「加賀」である.

 さて,廃艦となった「天城」,完成していた船体の一部は,横須賀軍港の浮桟橋に改造.
 1942.6.5,ミッドウェイ海戦で赤城も加賀も沈んでしまったが,浮桟橋となった「天城」は生きていた.
 この浮桟橋が撤去されたのは,戦後も2007年になってからで,理由は「原子力空母が配備されるので,港を拡張するから」
 今度こそ解体か?と思いきや,IHIに払い下げられ,「今もまだそこにいるのです」という,まさかのつげ義春オチ.

 艤装中の海上自衛隊護衛艦「ひゅうが」を見に行ったことのあるあなた,そこにあった浮桟橋が「天城」です.

 【参考ページ】
http://jyousiru.doorblog.jp/archives/37175068.html
http://jyousiru.doorblog.jp/archives/38310877.html
http://www.jgnn.net/ls/2014/05/post-8509.html
http://www4.plala.or.jp/hinoyama/history/IJNship/amagi.html

巡洋戦艦「天城」
(こちらより引用)


 【質問】
 空母「赤城」について,3行で教えてください.

 【回答】
 国定忠治の「赤城の山も今宵限りか」で知られる赤城山にちなんで命名された空母で,太平洋戦争開戦時の日本海軍の主力空母の一隻.
 元は「八八艦隊計画」により建造された天城型巡洋戦艦の二番艦だったが,ワシントン軍縮会議で主力艦の保有数を制限されたため,建造途中で空母に変更された.
 太平洋戦争では,真珠湾攻撃を皮切りに,ラバウル攻撃,ポードダーウィン空襲,インド洋作戦に従事したが,ミッドウェイ海戦にて戦没した.

 【参考ページ】
http://www.geocities.jp/akazibusyo/akagi.html
http://www.mod.go.jp/msdf/sasebo/5_museum/5_akagi/
http://gikoheiki.web.fc2.com/umi/003.html
http://www4.ocn.ne.jp/~d98/akagi2.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~gomenmar/syowa/akagi.html

二面図
(こちらより引用)

なお,近年,某ゲームの影響により,「大食らいイメージ」が付きつつある模様
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】, 2013/07/22 20:00
を加筆改修


 【質問】
 空母赤城の良質な写真資料書籍は,何かありませんか?

1/350帝国海軍航空母艦 赤城 (大日本絵画)
超精密3DCGシリーズ18 空母赤城 (双葉社)
超精密3DCGシリーズ42 日米空母決戦 (双葉社)
歴史群像 2011年12月号[徹底解剖 空母『赤城』](学研マーケティング)
決定版日本の航空母艦 (学研パブリッシング)
日本の空母(双葉社)
図説 山本五十六の太平洋戦争 (洋泉社)
図説 帝国海軍 (翔泳社)
図解 日本の空母 「丸」編集部
写真集 日本の軍艦 (ベストセラーズ)
日本の空母 軍艦メカ (光人社)
空母機動部隊 (新人物往来社)

 上記のものは一通り,図書館,神保町,アマゾンなどで閲覧,購入しました.
 他に良いのはありませんか?

 【回答】
・日本海軍艦艇写真集の航空母艦・水上機母艦

 大きな写真が載っていて見やすかった.
 ただ,赤城だけの本じゃないので,10枚くらいしかない.

 あと,写真じゃないけど,去年の歴史群像12月号の付録のポスターには,各デッキの俯瞰図が載っていたので,プラモか何かの参考になりそうだった.

・写真太平洋戦争のハワイ作戦やミッドウェーあたり

 色々載ってるけど,文庫だからサイズが小さい.

・大和・赤城と日本の軍艦 大日本帝国海軍艦艇図鑑
大東亜戦争研究会
出版:笠倉出版社

・超精密模型で見る帝国海軍艦艇集 歴史群像シリーズ
出版:学研

・写真日本海軍全艦艇史

 他の艦も載ってるし,大判.

・"Sunk IJN Ships vol.2 ; Sea around Midway"

軍事板,2012/03/03/31(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「赤城」の性能諸元は?

 【回答】
 1927.3.25の竣工時には,
基準排水量:26,900t
公試排水量:34,364t
全長:261.2m
全幅:29.0m
吃水:8.1m
飛行甲板:190.2m x 30.5m (上段)
主缶:ロ号艦本式専焼缶11基
    ロ号艦本式混焼缶8基
機関:技本式タービン8基4軸 131,200hp
最大速力:32.1ノット
航続距離:8,000カイリ / 14ノット時
乗員:1,297名
兵装:50口径20cm連装砲2基4門
   50口径20cm単装砲6基6門
   45口径12cm連装高角砲6基12門
搭載機:三式艦上戦闘機:16機
     一〇式艦上偵察機:16機
     一三式艦上攻撃機:28機

 これが1938年の近代化改装後時になると,
基準排水量:36,500t
公試排水量:41,300t
全長
(艦体):260.67m
(水線長):250.36m
全幅:31.32m
飛行甲板:249.17m×30.5m
機関:133,000hp
最大速力:30.2ノット
巡航速度:16ノット
航続距離:8,200浬
乗員:1,630名
兵装:20cm砲 6基6門
    12cm連装高角砲 6基12門
    25mm連装機銃 14基28門
搭載機:常用66機,補用25機

 そして最終時,つまりミッドウェイ海戦当時は,
最大速力 31,2ノット
燃料 重油×6,000トン(満載時)
乗組員 2,000名
兵装:三年式50口径20cm単装砲×6
    一〇年式45口径12cm連装高射砲×6
    九六式25㎜連装機銃×14
艦載機 (定数/予備) 戦闘機(12/4) 艦攻(35/16) 艦爆(19/5) 計66/25 91機
飛行甲板 249,2m×30,5m (装甲)水線帯250㎜

 【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)
http://www.geocities.jp/akazibusyo/akagi.html
http://military.sakura.ne.jp/navy/a_amagi.htm
http://dougakan675.blog49.fc2.com/blog-entry-207.html

某ゲームによる擬人化解説
(こちらより引用)


 【質問】
 竣工当時の空母「赤城」は,なぜ三段式甲板だったの?

 【回答】
 英空母「フューリアス」が,第二次改装後に二段式甲板にしていたため,それを参考にした.
 このうち中段は飛行甲板ではなく,20cm連装砲2基と艦橋があった.
 着艦と大型機の発艦は,最上段の発着甲板で行い,小型機の発艦は,中部格納庫から伸びた下段飛行甲板で行うという計画だった.
 だが実際には,下段甲板は殆ど使われず,やがて1933年の近代化改装により,全通式の飛行甲板に直された.

 ま,日本海軍としてもまだ2隻目の空母であり,試行錯誤も色々あったというお話.

 【参考ページ】
http://www.hasegawa-model.co.jp/hp/catalog/wl_series/wl220.html
http://akagi.three-k.info/entry2.html

(画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/07/24 20:00
を加筆改修


 【質問】
 空母「赤城」「加賀」は同型艦?

 【回答】
 違う.
 同時期に建艦されたというだけ.
 元「天城」型巡戦と元「土佐」型戦艦であって,また,改造後の細部も,艦橋の位置などが異なっている.

天城型戦艦二艦を空母に設計変更して建造開始

土佐型戦艦加賀建造開始

震災で天城が被災、廃艦処分に

加賀が天城型空母の設計を参考に、空母に変更

天城型空母赤城完成(三段空母)

加賀完成(三段空母)

三段はやっぱダメだったので改造することに

加賀のいいとことりいれて赤城設計変更

 こんな流れだっけか.


342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/30(火) 21:07:01.23 ID:u/iGyFSk

 腹違いの姉妹って事で手を打とう.

ブラウザ・ゲーム板,2013/07/30(火)
青文字:加筆改修部分

空母「赤城」(左)と「加賀」
(こちらより引用)


 【質問】
 空母「加賀」について,簡単に教えてください.

 【回答】
 いわゆる「八八艦隊」計画で起工された戦艦の一隻.
 「長門」を超える戦艦となるはずだったが,ワシントン条約により廃艦となるところを,空母に改装中だった「天城」が,関東大震災の被害により廃艦となったため,代わりに空母に改装されることとなり,1928(昭和3年)3.31竣工.
 第一次上海事変で初陣を飾り,日中戦争では「赤城」が改装中であったために,海上航空戦力の最有力艦となっていた.
 太平洋戦争でも主力空母の一隻として真珠湾攻撃に参加.
 続いてラバウル空襲,ポードダーウィン空襲を行ったが,1942.6.5,ミッドウェー海戦において撃沈された.

【ぐんじさんぎょう】,2013/09/14 20:00
を加筆改修


 【質問】
 空母「加賀」の性能は?

 【回答】
 「加賀」も他の艦艇の例に漏れず,何度か改装を受けており,それによって性能も変化している.

 竣工時の性能諸元は,
排水量
 基準:26,900t
 公試:33,693t
全長 238.5m
最大幅 29.6m
水線幅(公試)=29.57m
平均吃水(公試)=7.92m
深さ(飛行甲板)=29.57m
〃 (最上甲板)=18.67m
飛行甲板長(上段)=171.30m
  〃  幅( 〃 )=30.48m
  〃  長(下段)=55.02m
  〃  幅( 〃 )=24.38m
主缶 ロ号艦本式缶専焼缶12基
機関 ブラウン・カーチス式タービン4基4軸 91,000hp
最大速力 27.5ノット
航続距離 8,000カイリ / 14ノット
乗員 1,269名
兵装
 20cm(50口径)連装砲2基4門
 20cm(50口径)単装砲6門
 45口径12cm連装高角砲6基12門
搭載機
 三式艦上戦闘機:16機
 一〇式艦上偵察機:16機
 一三式艦上攻撃機:28機

 大改装後の性能諸元は,
排水量
 基準:38,200t
 公試:42,541t
全長
 船体:247.65m
 水線長:240.30m
全幅 32.50m
吃水 9.5m
飛行甲板 248.60m
主缶 ロ号艦本式8基
機関 ブラウン・カーチス式タービン2基 & 艦本式タービン2基 4軸 127,400hp
最大速力 28.3ノット
巡航速度 16ノット
航続距離 10,000カイリ / 16ノット
燃料搭載量:7,500t
乗員 1,708名
兵装
 20cm単装砲 10基10門
 12.7cm連装高角砲 8基16門
 25mm連装機銃 11基22門
搭載機(改装直後)
 航空機72機(艦戦12、艦攻36、艦爆24)+補用18機
搭載機(1941年12月)
 零式艦上戦闘機:18機
 九九式艦上爆撃機18機
 九七式艦上攻撃機45機

 ちなみに加賀は,赤城とは排水量では大差なかったが、全長では22.7m短く、艦幅(最大幅)ではわずかに56cm大きい。
 これは改造のベースとなった,戦艦と巡洋戦艦の差による.

 他方,ライバルとされる空母「レキシントン」型と比べ,艦載機数では遜色ないが,最大速度で劣り,高角砲の数も「レキシントン」型が上回っていた.

 【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/加賀_(空母)
http://dougakan675.blog49.fc2.com/blog-entry-207.html
http://www.geocities.jp/akazibusyo/kaga.html
http://www.biwa.ne.jp/~yamato/kagagata.htm
http://www9.ocn.ne.jp/~seiten/rf/jpn_cv.htm#3
http://military.sakura.ne.jp/navy3/us_lexington.htm

【ぐんじさんぎょう】,2013/09/15 20:00
を加筆改修


 【質問】
 未成巡洋艦「伊吹」の空母転用は正解だったの?

 【回答】
 わざわざ改造するほどの手間をかけてまで巡洋艦を改造するよりは,輸送船改造のほうがメリットが大きかったと思います.

 もともと,伊吹は主砲塔の搭載も終わり,艦橋の偽装を除いて,巡洋艦としての形が見えるくらいまでに艤装作業が進んでいました.
 それなのに無理やり空母改装なんてするものだから,改造は困難を極め,作業は遅れ,結局完成しせずに終戦.
 巡洋艦として完成させた方が良かったという意見もあります.
 巡洋艦では工数が少ないとはいえ,もともと他の艦種として進水したものをを空母に改装するのは困難なのです.

 それに,護衛空母程度の搭載機数しかありません.
(搭載予定機数は27機)
 重巡洋艦の艦体(青葉型)に無理やり格納庫二段を乗っけた龍譲で苦労したため,伊吹の格納庫は一段になったからです.

 また,実際に試験したわけではありませんが,小さいので新鋭機の発着は困難という予想が立てられていました.

 他の艦では利根型巡洋艦を空母に改装する計画も検討されましたが,実施には至っていません.

軍事板,2004/10/29
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 正規空母は大鳳,雲龍,天城,葛城の4隻就役していますが,大鳳以外は,どうしてあ号作戦に参加しなかったんですか?

 【回答】
 雲龍の完成が1944年8月,天城,葛城が同年10月と,あ号作戦はとっくに終わってますが.

 また,完成したからってすぐ戦闘に投入は出来ませんので.
 最低限乗組員集めて艦の扱い方をマスターさせなければ,軍艦として動かせません.
 そして,それだけの新造艦に載せるだけの数の艦載航空隊を編成できる余裕が,昭和19年の日本海軍には既にありませんでした.
 「何とか空母から離発着できるだけ」のレベルの乗組員をかき集めて,ようやく「あ号」作戦を実施してるのに,更に3隻分の航空隊なんて無理もいいところ.

 まぁ,編成可能になったところで,出撃しても敵艦隊までたどり着けず戻ってもこれないし,辿り着けても一方的に叩き落されるだけの技量未熟な航空隊にしかならないので,史実よりも被害が悲惨になるだけの話ですが.

軍事板,2009/07/16(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 空母「天城」について3行以上で教えてください.

 【回答】
 ミッドウェイ海戦の敗北より急遽量産されることになった「雲龍」型空母の2番艦.
 1942.10.1,三菱重工業長崎造船所にて起工され,損傷艦修理や材料逼迫,労働者不足などの困難の中,1944.8.10竣工.
 ところがせっかく苦労して建造したというのに,既に日本海軍は深刻な燃料や航空機不足となっていたために,補充の航空部隊が無く,「天城」は出撃機会がないまま,1945年7月の,3次に渡る呉軍港空襲により横転,沈没判定された.

 結果論になってしまうが,「泥縄」やね…

 【参考ページ】
http://mc-liners.main.jp/gunneta/gunneta02.htm
http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main03/weaponjpnacamagi/amagi.html
http://romanship.web.fc2.com/kubo/amagi.html
http://repmart.jp/blog/history/ww2_aircraft_carrier/

空母「天城」写真
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/02/23 20:00
を加筆改修


 【質問】
 空母「天城」「葛城」は戦争中,何をやっていたの?

 【回答】
 竣工した頃には,艦載機もパイロットももうなかったので,昭和20年に入って,空襲を避けるため,呉港三ッ子島に偽装して係留されていた.
 艦と岸の間に網を張り,この上と飛行甲板上を樹葉で覆って,島の一部のごとく見せかけようとした.
 しかし偽装の甲斐もなく,天城は1945/3/19の空襲で命中弾1発,7/24の空襲では命中弾3発,また,それぞれ至近弾若干を受け,至近弾で生じた多数の小破穴から浸水して横転.
 また,葛城も7/24と7/28の空襲で被弾し,なお航行は可能だったものの中破している.

 詳しくは
『丸スペシャル 日本の空母I』(潮書房,1979.1.12)
を参照されたし.

消印所沢

 大戦末期,既に燃料もなく動くことも出来ない大型艦艇を少しでも隠蔽しようと,日本海軍では艦艇を木で偽装して島に見せかけようとした.

 しばらくして,米軍機からこんなビラがまかれた.
「艦上の植木が枯れてきてますよ.そろそろ取り替えてはいかがでしょう」

 圧倒的な戦力差ってのは,悲しいなあ.

軍事板,2010/02/10(水)
レス回収:bernoulli in 「軍事板常見問題 mixi別館」2010年06月10日 11:51
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 空母「神鷹」について3行で教えてください.
Kérem, mondja meg az repülőgép-hordozó "Sinjó"-t a három sorban.

 【回答】
 第二次世界大戦勃発によりドイツに戻れず,神戸港に係留されていたドイツの客船「シャルンホルスト」を,ミッドウェー海戦後に空母陣増強を図った日本海軍が買収,改造して出来た軽空母.
 ところが,ドイツ製の電気推進式高温高圧ボイラーの取扱いが難しく,結局,日本製ボイラーに換装したため,完成までに約1年3ヶ月を要することに.
 しかも空母としては小型・低速であり,空母用カタパルトもなくて最新鋭機を搭載できなかった為,就役後は輸送船団護衛しかさせてもらえず,最期は1944.11.17,済州島沖にて米潜「スペードフィッシュ」の魚雷攻撃を受け沈没した.

 【参考ページ】
http://romanship.web.fc2.com/kubo/shinyo.html
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/18onketsu/O_18_119_1.pdf
http://military.sakura.ne.jp/navy/a_sinyo.htm

全力運転公試中の神鷹(1944年11月1日)
(wikipediaより)

【ぐんじさんぎょう】,2016/1/28 20:00
を加筆改修


 【質問】
 日本空母の集大成といえる瑞鶴級航空母艦は,何故2隻しか量産されなかったんでしょうか?

 【回答】
 飛龍蒼龍がマル二計画,翔鶴瑞鶴がマル三計画で建造されたが,建造費は倍に.
 マル四計画では大鳳が装甲空母として計画され,戦争なしでマル五計画が進めば,排水量4万5000トンの改大鳳級が3隻建造される予定だった.

 艦政本部としては装甲空母にしていくつもりだったが,現実としては戦争による空母の不足をなんとかしなきゃならなくて,そのときに飛龍が雲龍の原型になったのは,翔鶴が建造に手間のかかる高性能艦であったから.
 装甲空母というのを思いつかなければ,昭和19年ごろに翔鶴級の3番艦や4番艦が出来ていたかもしれないけど.


 【質問】
 水上機母艦は簡単に空母に改造できるようなものなの?

 【回答】
 最低でも1万tくらいの大きさがなければ難しい.

 米海軍が大量建造したカサブランカ級護衛空母が,満載排水量10400t,全長156.13m.
 蒸気カタパルトを装備することにより,このサイズでも航空機を飛ばしたり,着艦させたりすることができた.
 日本海軍は空母用の蒸気カタパルトを開発できなかったので,より大きなサイズの船をベースにしなければ,役には立たなかっただろう.

 日本海軍が水上機母艦を空母に改造したのは,空母に改造することを前提にして建造していたためであり,それも「千歳」「千代田」「瑞穂」「日進」に限られる.
 そのうち「瑞穂」はミッドウェイ海戦前に戦没したので,空母改造の機会がなく終わった.
 また,「日進」は,ガダルカナル島への物資輸送に苦労していた頃,大型で輸送力があり,高速で,水上偵察機も運用できることから,前線では「極めて重宝なる」と高評価を受けており,そのために空母に改造されなかったと思われる.

 したがって空母「千歳」4姉妹が存在する,ifの世界もあるかもしれない.

 【参考ページ】
『丸スペシャル 水上機母艦』(高木肇著,潮書房,1979/3/12)

【ぐんじさんぎょう】, 2013/06/13 20:00
を加筆改修


 【質問】
 結局空母に改造するんだったら,千歳も伊勢のように半分滑走路みたいなのに変えてしまった方が,よかったんではないでしょうか?

 【回答】
 千歳・千代田は,有事の際に航空母艦への改造が可能であることを考慮して設計された水上機母艦です.
 一方,伊勢・日向は時間・費用の制約から,航空機の発艦機能を持たせただけの戦艦です.
 建造時からあの姿だったわけではありませんし,空母への改造の準備でもありません.
 比較する意味は無いと思います.

 千歳・千代田の建造案には,帰着甲板を装備する案もあったようですが,有事の際に他艦種に改造することを重視したためか,装備されませんでした.
 結果的には水上機母艦や,特殊潜航艇母艦としては戦局に寄与することがなかったために,もっと早くから航空母艦に改造,もしくは改造の準備をしとくべきだとお考えなのでしょうが,こうした戦前の予想が外れるというのは,けっして珍しいことではないと付け加えておきます.

軍事板,2003/07/26
青文字:加筆改修部分

千歳
千代田
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 空母「千歳」「千代田」が派手な塗装をされていた時期がありますが,これは何のためだったのですか?

 【回答】
 これは兵士の迷彩服と似たような意図があり,敵航空機や敵潜水艦が,艦種識別や投弾の際などに見間違いを起こしてくれることを期待していました.
 海軍中央からの通達を受けて,1944年3月~7月にかけ,特別委員会において実験が行われました.
 飛行甲板に,投弾の際に目測を見誤らせることを狙っての渦巻き模様を描いたものや,飛行甲板や艦の側面に,商船と見間違えることを期待した塗装が行われました.
 それらの実験結果は,空母を航空機から発見されるのを防止するのに十分効果的でもなければ,空母を他の船種に見誤らせるのに十分効果的でもないとの結論でしたが,飛行甲板に何も迷彩塗装されていないよりはマシということで,各艦その塗装のままで残され,「千歳」「千代田」もその姿で,囮となるためレイテ沖海戦に臨み,囮の役割を十分に果たして,2隻とも撃沈されました.

 こちらは模型ブログではありますが,こんな感じに塗装されていた,というのがよく分かると思います.

 【参考ページ】
http://blogs.yahoo.co.jp/subsuk4155/61321048.html
http://seniria.blog95.fc2.com/blog-entry-289.html
http://www.mr-hobby.com/gunkan.html
http://www.warbirds.jp/ansq/22/B2002173.html

塗装パターン5種
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】, 2013/08/04 20:00
を加筆改修


 【質問】
 大和級一隻分の資材で,飛龍が4隻も造れた,というのは本当?

 【回答】
大和型戦艦:基準排水量65000t
空母飛龍 :基準排水量17300t

 だから,ごく単純に計算するなら大和は,飛龍の約4隻分の鉄を使ってることになる.
 ただし,当時の日本の大型艦船用建造ドックの数からすると,大和型戦艦の建造を全部取りやめても,大和型1:飛龍型4の比数では建造できない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆信濃


 【質問】
 結局泥縄式に空母に改造されてしまった大和型戦艦三番艦「信濃」ですが,もし空母に改造されてなかったとすれば,何年の何月頃に戦艦として完成する予定であったのでしょうか?

 また,もし信濃が戦艦として完成していれば,どのような艦生を辿ったと推測されますか?
(ミッドウェイの敗北等戦況は史実と変わっていないとして)

 【回答】
 太平洋戦争が起きていなく,米の対日経済制裁がそれ程キツく無い状態で,④計画が予定通り進行した場合でしたら,

・110号艦(後の信濃):1940年5月4日起工→1943年10月進水→1945年3月竣工

・111号艦:1940年11月7日起工→1943年9月進水→1944年末竣工

の予定で,111号艦の方が先に出来上がる予定でした.
 その理由の一つとして,横須賀工廠では全ての艤装を行う事が出来ない為,進水後に呉へ回航する必要が有った為です.

 尚,110号艦が戦艦として完成した場合,必ずしも艦名が「信濃」に成るとは限りません.
 「信濃」と言う艦名は空母として進水した時に付けられた物で,候補の一つではありましたが,戦艦として進水した場合は,他の名前が付けられた可能性も有ります.
 また,このスケジュールは,あくまで④計画が予定通り進行した場合ですので,経済制裁等で一部資材や工作機械の部品などが入手困難に成った場合や,戦争が激しく成った場合(大陸方面等),あるいは対米戦争が起こった場合は考慮していません.
 それらのファクターを加味しますと,予測は不可能と成ります.


 【質問】
 空母「信濃」が大和と殆ど同じ排水量なのは何故?
 主砲・副砲・後しょう楼が無い分軽くなって,もっと速度が出ると思うのですが.

 【回答】
 基準排水量でいうと大和の6万4000トンに対し,信濃は6万2000トンある.
 公試排水量でならば大和の6万9100トンに対し,信濃は6万8060トンだったりする.
 もっとも公試排水量といっても計画値で,呉への回航時は缶が2/3しか動かず最高速力は20ノットだったけど.

 降ろすもの降ろしても降ろせない船体の装甲や,重防御空母として追加された飛行甲板防御,18ノット1万海里を保証する大和より5割増,9000トンの重油搭載量など,
 軽くしよう,とか,速くしよう,という努力は考えていなかったのでは?

(ふみ)


 【質問】
 信濃は何で格納甲板が1層しかないの?

 【回答】
 とりあえず,福井静夫さんの回顧録を見る限り,格納庫は前部と後部に一つ宛あり,前方の格納庫の3分の2は開放式で,此処に偵察機7機,艦爆20機を搭載,後部には防禦を施して戦闘機20機が搭載できるようになっていました.
 但し,この計画数値は,艦爆は流星,艦偵は彩雲,艦戦は烈風を基本に算出していますので,それが無い竣工時の時点では,もう少し搭載できたかもしれません.

 当初は2層式を考えていたそうですが,煙路導設方法,中甲板甲鈑の大改正を伴い,戦時急造の思想からは外れるため,1層になったようです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 「信濃」を撃沈した潜水艦は,その戦果をなかなか認めてもらえなかったって本当?

 【回答】
 本当の話.

 潜水艦「アーチャーフィッシュ」の艦長は
「大型空母1隻撃沈」
と報告したのですが,米海軍は暗号解読で得た「信濃沈没」から信濃川,つまり軽巡名と勘違いし,艦長の戦果報告を否定したのです.
 結局,強硬な主張が実り,
「2万7000トン級空母1隻撃沈」
と判定されたので,艦長は
「もっと大物だった筈だけどなあ」
と不満を持ちつつ,それを受け入れたそうです.

軍事板


◆◆◆◆「陸軍空母」(陸軍所属航空機搭載艦船)
 ※厳密に言えば空母ではないが,便宜上,こちらのページに掲載


 【質問】
 日本陸軍は何故,独自に空母をつくったのですか?
 そんなに海軍が信用できなかったのでしょうか?

 【回答】
 信用がないと言うか,必要に迫られた訳です.

 そもそも日本海軍は,艦隊決戦に特化した歪な艦隊(上まぁこれは言い過ぎかも知れないが)なので,陸軍が必要とする揚陸支援とか,そう言ったものに本腰を入れてくれません.
 また,部隊の輸送についても,海軍輸送船の護衛が中心で,陸軍は余り考慮されていません.

 従って,陸軍としても,航空機を搭載した,揚陸支援用の「空母」が必要になった訳で.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 大戦初期の日本の揚陸艦って神州丸くらいしか聞きませんが,当然他にもありますよね?
 一等,二等とかはかなり後の方で登場してますし,日本がガンガン勝ってた頃の上陸戦ってどうしてたのですか?
 まさか神州丸一隻で頑張ってたんですか?

 【回答】
 揚陸船は9隻建造してます.

 それまでの揚陸の手順は…
・上陸地点の沖合いに貨物船を停泊させる.
・クレーンで大発・小発を海面に下ろし,接舷させる.
・縄梯子や網を舷側から大発・小発めがけて掛ける.
・鉄砲かついで兵隊さんがわらわらと乗り込む.
・上陸後,大発・小発は貨物船に戻り,次の兵隊さんがわらわ(ry…またはクレーンで物資を積み込む.
 無事すべての人員・物資が上陸するか,貨物船が沈められるまで繰り返し.

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

 神州丸は1935年,播磨造船で建造されました.これは極秘に建造されたもので,龍城とかMT船という名称で呼ばれました.
 船内に上陸用舟艇を20隻収容し,上陸地に近づくと,船尾のドアを開けて,後部に舟艇を出すLSD的用法を想定していたほか,九一式戦闘機と九七式軽爆撃機を20機装備し,カタパルトで発進させ,上空援護に当たる様になっていました(これは実際には使われていませんが).
 日中戦争では,杭州湾上陸戦などで用いられました.
 太平洋戦争では,ジャワ上陸作戦に投入されましたが,味方巡洋艦の魚雷が命中して撃沈,後引き揚げられて,再使用され,1945年1月にフィリピンで撃沈されています.

 この同型船として,民間船として陸軍が資金を出す形で,建造されたのが,あきつ丸,にぎつ丸,熊野丸,ときつ丸の4隻です.但し,ときつ丸は建造中止になりました.
 あきつ丸,にぎつ丸は,日本海運の客船として建造され,途中で,上甲板上面全部に飛行甲板を取付け,空母兼上陸用舟艇母艦となりました.
 これらは主に対潜用空母として,三式連絡機,カ号観測機を搭載することになっており,空母的な外観が色濃くなっています(1944年には更に飛行甲板を延長する予定でした).
 あきつ丸は1944年11月15日に撃沈,にぎつ丸は1944年1月12日に撃沈されています.

 熊野丸は川崎汽船の持ち船として建造されましたが,こちらも,船橋構造物は撤去した空母的外観になって
います.
 但し,完成が1945年3月になったので,使用されず,敗戦後,引揚げ船となって,1947~51年まで,川崎汽船の貨物船として使用されました.

 航空機設備を持たないものとしては,同じく民間船として陸軍が資金を出す形で,摩耶山丸,吉備津丸,玉津丸,高津丸,日向丸,摂津丸の6隻が建造されました.
 これらは,後部に上陸用舟艇20~25隻程度を搭載しています.
 摩耶山丸,玉津丸はいずれも,三井造船で建造され,前者は三井商船,後者は大阪商船で使用予定でした.
 しかし,1942~44年に完成と同時に陸軍に引き渡され,前者は1944年11月17日に撃沈,後者も1944年8月19日に撃沈されました.
 高津丸は浦賀船渠で建造され,1944年完成,こちらは山下汽船の持ち船でした.1944年11月のオルモック湾上陸を果たしましたが,二度目の上陸戦で撃沈.
 吉備津丸,日向丸,摂津丸は日立因島で建造された戦時標準船1Aの改造で,吉備津丸は1943年完成,1945年8月7日に触雷沈没.
 日向丸は1945年完成で,3月30日に触雷沈没.
 摂津丸は1945年完成で,実戦に参加せずに終わりました.戦後,摂津丸は引き揚げ業務に従事後,日本水産に引き渡されて捕鯨船団の冷凍船となりましたが,南氷洋で事故によって沈んでいます.

 なお,ときつ丸は,1944年10月に進水しましたが,1945年3月に工事中止,戦後に工事再開し,1946年3月2日に日本海運の商船として引き渡されました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2

あきつ丸
(画像掲示板より引用)

あきつ丸模型
(こちらより引用)


 【質問】
『日本陸軍の航空母艦 舟艇母船から護衛空母まで』(奥本剛著,大日本絵画,2011.6)
には,
写真で確認できる特徴が,図面で全く無視されてるところも何カ所もある」
と聞きました.
 詳しく教えてください.


 【回答】
 例えば,掲載された神州丸の写真で,はっきり確認できるマストトップのヤードが,図やCGではまるっきり無視されてるとか,浮揚修理後の神州丸の船体後部に,不自然な段差があったりする点など,掲載図面には,にわかに信じがたい点が多くある.
 神州丸の場合,中甲板下は舟艇搭載用のスペースになってるので,舵機室はその上にあるはずだが,それが露天になる構造とかは,普通ありえないと思う.
 それを裏付ける写真も掲載されていない.
 あきつ丸も武装配置も怪しいし,改装時の高射機銃の換装も言及されていない.

 テーマとしては面白いけど,内容は全面的には信用出来ないと思ってる.
 同人誌や雑誌記事ならともかく,商業出版物としてはツメが甘い感じがする.

軍事板,2011/10/16(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 帝国陸軍空母について教えてください.
 艦長や船員は陸軍軍人でしょうが,艦長は誰がやっていたのでしょうか?

 【回答】
 残念ながら,陸軍の船舶司令部には小舟艇の運行を主に行っていて,大型船舶の運航は殆ど行っていません.
 船舶兵にしても,まともに航海士免状を持っているのは一人か二人でした.

 従って,陸軍空母の運航要員は,民間の海運会社から徴用された人々です.
 ちなみに,陸軍空母は民間船として建造されたものを徴用したものが多いですから,その乗組員がそっくり徴用された訳です.
 指揮官は陸軍軍人,兵器関係の要員や上陸用舟艇の要員,航空機関係の要員は,陸軍軍人ですけどね.
 上陸要員でも,積荷の揚陸は,民間の沖給仕たちです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


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