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沖縄戦史 公刊戦史を写真と地図で探る 「戦闘戦史」

「ワレYouTube発見セリ」:Okinawa, april 1945 WWII (Historical fact) 日本 沖繩 沖繩島戰役

「ワレYouTube発見セリ」:アメリカからみた【沖縄上陸作戦】第二次世界大戦

●書籍

『沖縄 日米最後の戦闘』(米国陸軍省編,光人社NF文庫,2006.8)

『沖縄決戦 高級参謀の手記』(八原博通著,読売新聞社,1972)

 牛島大将の自決の場面だが,本によって色々異なるので驚いた.
 事実を記録するのって本当に難しいんだな.
 しかし,小説なんかだと自決場面を荘厳化したりするんだろうが,最高司令官の自決を前にして,米軍の砲火を恐れて気もそぞろになる兵士達の姿に,これが現実かと思った.
 実際にその場に居合わせた八原氏だからこその描写だろうなぁ.
 復刊ドットコムにもリクエストがあがってるが,この本は再販されるべきだと思う.

――――――軍事板,2009/08/26(水)

『沖縄決戦 太平洋戦争最後の激戦と沖縄県民の戦い』(学研パブリッシング,2013.6)

『沖縄シュガーローフの戦い 米海兵隊地獄の7日間』(ジェームス・H. ハラス著,光人社文庫,2010.9)

 沖縄戦に限っては,スレッジ氏の「ペリリュー・沖縄戦記」よりも戦闘描写が激しい.
 米軍側のバンザイ突撃とか,珍しい話がある.

――――――軍事板,2010/06/12(土)

『沖縄戦 第二次世界大戦最後の戦い』(米陸軍省戦史局編,出版舎Mugen,2011.3)

 名著.
 米陸軍公刊戦史,OKINAWA:The Last Battleを,もと沖縄県公文書館副館長としての立場で,議論上の確実なソースとして使えるよう全文忠実愚直に訳した一書.
 追加として,地理的要素について,地元民としての訂正もかなり入っている.
 今後,沖縄戦を論議するための基礎資料になるのは間違いない.

 ただ…,特に軍事的固有名詞について,前半の意味不明さが後半どんどんまともになっていくのは,訳者の三年余に渡る努力が現れていて良いのだが…
 逆に言うと,後書きでも言っているとおり,沖縄県の役人として退職したあと,心覚えで訳して,自費出版するところを,「公に出版したほうがいい」と勧められて出した本なんで,どうもまともな編集者による校閲を受けていないんだな.
 それどころか,前半部の訳文見直しもやっていない(体力的に無理?)ぽい.
 特に,翻訳するための資料として,まず訳出したと覚しき巻末資料(という態度は圧倒的に正しいです,無論)の訳語の意味不明さが壮絶…
 本文で,Buzz Bombというのは大口径スピゴット迫撃砲の事だとわからないのは無理もないですが(要するに98式臼砲.怖がられていたようだ),巻末資料で…155mm機関砲って一体何ですか!
(他の訳語と照らし合わせると,ロング・トムの事らしい)
 Inf. RgtのInfはInfantryの略で,Informationじゃないですよ!
 基本的な訳文としての素材自体は非常にいいので,河津幸英氏あたりによる細部監修を経て,イカロス出版あたりからの,大々的刊行が望まれる.

――――――軍事板,2011/08/09(火)

『最後の決戦沖縄 鉄の暴風が打ちのめした90日間の死闘』(吉田 俊雄著,潮書房光人社NF文庫,2013.4)


 【質問】
 第二次大戦末期の沖縄戦について質問です.
 1944年10月,米軍がフィリピンに上陸した事により,沖縄の第32軍から第9師団と中迫撃砲2個大隊が抽出されましたが,これは戦略的合理性から見てどうでしょうか?
 また,これにあたって大本営と第32軍が揉めた形跡はありますか?

 【回答】
 第9師団の転用は比島に抽出された在台湾部隊の穴埋めの為で,当時の台湾に対する脅威度というのは異論,各論様々です.
 32軍から見た場合,第9師団は最精鋭部隊で引き抜かれることに対して,沖縄の防衛不可能もしくは全軍の比島への移動を主張し,大本営と対立しています.
 最終的に第9師団は引き抜かれ,代用の部隊として84師団が当てられますが,海上輸送困難の為,派遣は中止されます.

 結果として2/3の戦力となった32軍は,全島防衛を諦め,嘉手納地区飛行場の放棄に繋がります.


 【質問】
 旧帝國軍も九十九里と予想していたら,沖縄に上陸したじゃないですか.
 あれは単に裏をかいただけ?

 【回答】
 アメリカによる沖縄攻略は,45年11月に予定されていたオリンピック作戦(九州上陸)に備えての地ならしの意味を持っていました.
 また,46年には九十九里浜での上陸作戦であるコロネット作戦が計画されていました.
 直接九十九里浜に対する上陸作戦が行われなかった理由は,アメリカ側の日本の抵抗力に対する過大評価があったようです.
 帝国陸軍としては本土防衛の戦力不足を痛感していましたし,ソロモン,中部太平洋,ニューギニアにおけるアメリカの大胆な作戦遂行を考え合わせれば,帝国陸軍があのような予想をしたのも納得のいくことだと思います.

(軍事板)


 【質問】
 なんでアメリカって太平洋戦争で,東京じゃなくて先に沖縄に上陸したの?
 一気に東京に上陸して制圧したほうが速くない?

 【回答】
 いきなり首都に上陸しようとしても,抵抗に遭って,米軍の損害が無駄に大きくなる.
 そのため,別の場所に事前に上陸して,そちらに戦力を割かせるとか,占領したところから本命の作戦の支援基地を作るとか,段階を踏まなきゃならない.

 具体的には,湘南海岸や九十九里浜とかに上陸する作戦計画,コロネット作戦が立案され,それに先立ち,九州南部に上陸するオリンピック作戦が立案された.
 オリンピック作戦は上陸占領後,航空基地を作ってコロネット作戦をサポートする意味があった.

 が,その前に原爆投下と日本の降伏があったんで,実行されることはなかった.

 サイパン陥落後,フィリピンも沖縄も無視して,いきなり東京に来たらどうなっていたか,考えてみると楽しいね.
 米軍の損害も増えるが,戦争終結も早まったか.

 その場合,近場の陸上にまともな中継基地もなくては,「いきなり」来ようがない.
 空襲だけすればいいんじゃないんだから.サイパンでは中継基地にはならない.
 せめて大島か八丈島だな.

 また,マリアナ陥落直後なら,日本の工業地帯も陸上インフラもほぼ無傷だから,神奈川県沖で日本機の波状攻撃にあって,損失はレイテの数倍.
 米軍は撤退を視野に入れなくてはいけなくなったろうね.

 栗田艦隊もある程度の直援を得たうえ,まず反転せずに突っ込んでくるだろうし,陸上部隊の補給能力も陸続き&生産地が近場な分,飛躍的に上がる.
 そのうえ,関東なら日本軍の密集地だろうから,米航空隊は地上部隊支援だけで手一杯で,戦略爆撃のゆとりも無くなるだろう.
 空母の積載機数や搭載可能な爆弾や航空燃料の量,マリアナの地積を考えると.

 だが一方,マリアナ陥落直後なら,硫黄島は補強前なのでもう少し簡単に落ちたかな.
 八丈島,大島も,難なく陥落.
 でも,父島は少し苦戦するかな?

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 沖縄県知事,泉守紀は逃げたって本当?

 【回答】
今週から『沖縄の島守 内務官僚かく戦えり』(田村洋三著,中公文庫)と言う本を読んでいました.
 〔略〕
 この本は,最後の官選沖縄県知事である島田叡氏と,警察部長の荒井退造氏の沖縄への赴任からその死に至るまでの軌跡を描いた本です.
 〔略〕
 前知事(Iとなっていたけれど,泉守紀だね),内政部長の臆病さ加減と,対照的に与えられた任務を愚直に進行していく,島田知事,荒井警察部長との対比が非常に明確に書かれている.

 しかも,前知事と内政部長は,著者からは間接的にではあるが,思い切りこき下ろされていたり.
 こういう泥臭い著述をそのままやっているのがついつい引き込まれるところなのかもしれない.

 ちなみに,前二者は両方とも戦後を全うして,前知事が1984年,内政部長に到っては2001年まで「のうのうと」生きていたそうな.

 更に,前知事については,第32軍の無謀な命令に逆らった,官僚の鏡とかで顕彰しようと言う動きもあるとか.

 実際には,長参謀長が,沖縄県民を極力疎開させて10万人程度にまで減らそうという計画をしたのを悉く妨害したり,県庁を空襲が怖いからと無理矢理あちこち移転して,正常な県政を妨害するなど,軍としても何とか住民を避難させて,地上戦に於ける住民の犠牲を最小限に減らそうと腐心した施策を悉く妨害され,最終的に牛島司令官が赫怒し,沖縄県に戒厳令を敷いて,知事の権限を取り上げようとしたほどのことをしたり.
 この時期に県外疎開が円滑に行かなかったのが,後の沖縄戦での住民巻き添えの伏線になっている.
 最初は,期待を持っていた県民も,余りの阿呆ぶりに辟易して最後には誰も言うことを聞かなかった.

 最終的には,あちこち工作した挙げ句,逃げるように本土に帰って,香川県知事に就任したそうな.ま,命は誰だって惜しいわな.

 もし,日本が1945年8月に降伏していなくて,本土上陸作戦が行われていたとしたら,彼等はどうしたんでしょうかね.
 逃げ場が無い時に,覚悟して開き直れるのか,それとも,命乞いをしてでも生きようとするのか.

 今の世の中でも,勇ましいことを言って,世論の喝采を浴びている人もいるわけですが,いざ,極限の状況に追い込まれて,果たして不言実行をするだけの根性があるんでしょうかね.

 いや,私も気をつけなければ.

眠い人◆gQikaJHtf2 in mixi

 第26代沖縄県知事,泉守紀については,『鉄の暴風』(沖縄タイムス社編,1995)を始めとする多くの沖縄戦に関する本で 
「沖縄戦が目の前に迫ると,中央で各方面に工作し香川県知事に転任し,逃げるようにして沖縄を去った」
として悪名高い第26代沖縄県知事,泉守紀なのですが,私としては 「各方面に工作した」 結果が香川県知事転任に繋がったかは,非常に懐疑的だったりします.

 軍からの要請を聞かない泉知事に対し不満を持っていた32軍は,軍令官統裁の参謀会議で,行政権を軍が掌握する戒厳令の布告を検討しています.
 また,大本営参謀にも,県知事と現地軍との不仲は把握しており,その不満は県知事の任命権を持つ内務省に向けられていました.
 一方,内務省では今後行われるであろう本土決戦の中でも,行政権を確保することに腐心しており,その為には知事の軍への協力が必要不可欠とされていました.

 そこで,打開策として出されたのが,泉知事の転任,事実上の更迭であった,と私は考えます.

 私は泉知事を弁護するワケではありません.
 自分が果たすべき責務を放り投げて防空壕に潜ったり,大蔵省幹部である兄に転任工作を依頼する手紙を書いたり,軍に反対するだけで対案は出さなかったり,日記で軍に対する不満をタラタラ書いたりと,決して褒められるような人間ではないです.
 ただ 「各方面への工作が功を奏して,転任した」 というのに懐疑的なだけです.
 まぁ 「各方面の工作」 よりも,各方面上層部の高度な判断と考えた方が,合理的に説明がつくんですけどね.
 まぁ,それだけのことなんですけどね (w`;

 とりあえず 『鉄の暴風』 が行方不明…… orz

 処分したんだっけ?
 誰かにあげたんだっけ? (w`;

ベタ藤原 in mixi,2006年10月31日


 【質問】
 沖縄戦の戦闘推移は?

 【回答】
 時系列順に以下の通り.
1945.3.18〜 米空母機動部隊による事前攻撃.
3.26〜 米軍,慶良間諸島上陸
4.1 米軍,沖縄本島中西部上陸
4.5 米軍,中部を制圧し,日本軍第32軍を分断.
4.6 日本陸海軍,菊水作戦開始.
4.16 米軍,伊江島上陸.
4.21 米軍,同島占領.
4.22 米軍,沖縄本島北部制圧.
5.4〜5.5 第32軍,反攻に失敗.
5.12〜18 シュガーローフの戦い.
5.24 第32軍司令部は南部島尻地区への撤退を決定.
5.26 日本陸軍参謀本部,沖縄諸島方面での陸戦の継戦断念.
5.27 日本軍,津嘉山に撤退.
5.30 日本軍,本島南端の摩文仁(まぶに)に撤退.
5.31 米軍,首里市占領.
6.14 日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部壊滅.
6.18 バックナー米軍司令官戦死.
6.22 菊水作戦終了.
6.23(異説あり) 沖縄守備軍司令官・牛島満中将,参謀長・長勇中将,摩文仁司令部にて自決
6.25 大本営,沖縄本島における組織的戦闘の終了を発表
8.15 玉音放送後,宇垣纏海軍中将が沖縄県方面へ特攻出撃
8.29 北郷格郎大佐以下,第24師団歩兵第32連隊の残存兵力が組織的降伏
9.7 沖縄守備軍,降伏文書に調印

 【参考ページ】
http://www.okinawa-senshi.com/index.htm
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/okinawasenn.htm
http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/okinawasennokeika/okinawasen.html
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/heiwagakusyu/index.html
http://okinawasensouki.web.fc2.com/content.html

【ぐんじさんぎょう】,2009/6/18 21:00
に加筆

 激戦地シュガーローフ周辺は,現在は再開発され那覇新都心.
 免税ショップに英霊たちは何を思う・・・

御座候 in mixi,2009年06月17日 22:01

「ジャングルに避難せよ」
と,軍の人に善意で言われたので
「いや,それマラリヤで死ぬって!」
と地元の長老が警告したんですが,聞き入れてくれなくて仕方なくジャングルに避難したら,長老の予想が大当たりで,マラリヤ大流行,島の人口が激減したという話を,石垣島で聞きました.

 早いとこ書き留めないと,お年寄りが死んじゃうので,真偽はともかく色んな話を集めておくと,面白い資料ができるんじゃないかと思います.
 評価査定はその後でいいんで.

koz@ in mixi,2009年06月17日 22:18

 バックナー司令官戦死の報復として虐殺行為があった
http://www.city.naha.okinawa.jp/heiwa/gaid/online/back.htm
とあるけど,事実としてそうだったのかな?
 一方,日本側も牛島司令官の自決で規律を失った,というような記述が見られる.

しまだ in mixi,2009年06月17日 23:19

▼ 死んだ父方の爺さん;
 現地招集で潜んだ壕が,艦砲の直撃喰って部隊アボーン.
 数人だけ生き残る.
 その時の砲弾の破片が身体に残る.

 母方の爺さん;
 一家が自決,一人だけ生還.

 母方の婆さん:
 グラマンに掃射される.

 たまに「私ってよく生まれてきたな(笑)」と思う.

島の人 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年07月15日 11:57
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 前田高地の戦闘について教えてください.

 【回答】
 1945/4/25から5/10にかけ,沖縄における日本軍の第2線陣地の一つ,前田高地(第150高地)において行われた戦闘.
 初日一日中続いた砲爆撃の後,米陸軍第96師団は攻撃を開始したが,日本軍は米軍が高地頂上まで上りきったところに攻撃を浴びせるという戦術を取り,ニードル・ロックのF中隊は梯子をつくって丘陵の頂に登ろうとしたが,頂上に達すると同時に犠牲者が出た.
 以後,戦車隊や火焔放射装甲車まで米軍は投入して,寸土を争う近接戦闘を5/10まで続けねばならなかったという.

 【参考ページ】
http://www.okinawa-senshi.com/maeda.htm

【ぐんじさんぎょう】,2009/6/27 22:20
に加筆


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