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「神保町系オタオタ日記」■(2006/02/06) [トンデモ][亀井貫一郎] 731部隊と亀井貫一郎

「神保町系オタオタ日記」■(2007-04-16)[トンデモ] 平泉澄と731部隊長石井四郎

(題名不明)

 自衛隊OBの書いた生物化学戦の本読んでるんだが,旧軍のBC戦資料が丸ごと転載されてて,なかなか面白い.
 ごく普通の部隊の衛生日誌とか軍医団の演習記録とか化学戦部隊の常備医薬品目録とか.

 特に興味深かったのは,大戦末期の第一師団の本土防衛図上演習における対化学兵器戦闘.
 連合軍が本土上陸でBC兵器を使うことを想定していたと知って勉強になった.
 ただ,シナリオに関しては第一次大戦の化学戦の域を出ておらず,実際に使われたらえらいことになったんだろうなと,背筋が寒くなった次第.
 それでも野戦病院用の対ガス天幕とか支給していたんだね,一応.

 731部隊とかセンセーショナルな部分を抜いた,旧軍のBC戦に関する話って結構貴重なんだよな.
 見た感じ,Cに関してはWW1時代のレベルに止まってるけど,Bに関しては他列強の水準に近いレベルに達していたという印象を受けた.

――――――軍事板,2009/07/29(水)

『731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』(青木冨貴子著,新潮文庫,2008.2)

 インタビューしたり,文献調べたり労作ではあるんだが,新事実はないじゃないか.
 石井四郎が大学生を勧誘するときに,「人体実験や生体解剖し放題だよ」って勧誘したとか……
 そんなんでまともな大学生くるのか?
 戦前の医学生は皆マッドサイエンティスト志望かよ.
 小説的な描写と文献を解析するところが,渾然一体となって妙な本になってる.
 思想的に極端な偏りがあるわけじゃないんだが.
 なんつーか,歴史的な知識や軍事的な知識,前提となる軍隊組織の知識が無い人が,付け焼刃で文献あさって書いたような本だった.

――――――軍事板,2009/12/31(木)

『蚤と爆弾』(吉村昭著,文春文庫,1989.8)

 この人らしく確実な取材に裏打ちされているので信頼できます,お勧め.
 ただし,仮名になっていますが.

――――――軍事板

 【質問】
 WW2の日本軍は毒ガスを実戦で使用したのでしょうか?

 【回答】
 使用した.
http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/reishoushu2.html

 ただし,規模については諸説ある.
 多用したのは催涙ガスや煙幕で,本格的な毒ガスは実戦テストレベルとの見解.
 あるいは,日中戦争前期を中心に,きい剤(イペリット)までかなり使ったとの説.

 変わったところでは,対戦車攻撃用の青酸ガス手投げ弾も作られ,前線部隊に支給するところまでいってる.
 もっとも,敵に使用した例はないようで,事故で日本側に死傷者が出たのみ.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大東亜戦争では生物化学兵器は使われましたか?

 【回答】
 細菌兵器はノモンハンで日本軍が使用していますね.
 といっても,チフス菌を培養した寒天をハルハ川に流したという程度で,却って散布した隊員に感染による死者を出したりしてます.
 もちろん効果は殆どありませんでした.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 日中戦争でも,日本軍が青酸ガスなどをちょこちょこ使ったらしい.
 が,兵器として優れていないので,あまり大規模には使われなかった.

 ただ日本軍の化学生物兵器関連の情報は,残虐性を強調する為に誇張されまくってるので,注意が必要.
 明らかなねつ造や非致死ガスと区別がついてない例が少なくない.

 細菌兵器に関しては,日本軍が飛行機から病原菌入り麦を蒔いたという主張があったが,真偽のほどは知らない.
 とりあえず,そんな方法じゃ伝染病を発生させれる可能性が低い.

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦中,日本軍は中国戦線では毒ガス兵器を結構使ってたって書いてあるものがあるけど,実際どのくらい使用したのが真実に近いんでしょうか?
 使ってたのは日本軍だけなんでしょうか?

 【回答】
 日本軍による毒ガス作戦は,1930年の台湾に於ける所謂,霧社事件で使用されたのが最初です.
 当初は現地作成で,台湾総督府中央研究所に於いて飛行機からの投下用に,青酸ガスと催涙ガスを発生させる甲三弾を試作,少なくとも3発を投下していますが,効果の程は不明でした.
 次いで,日本本土より山砲用催涙弾(緑弾(甲一弾))100発が台湾に送られ,11月18日の総攻撃で使用されました.
 ちなみに緑弾は,催涙性の塩化アセトフェノンが用いられていました.

 宇垣陸相はこの山砲弾を催涙ガスであると国会で答弁していますが,国際連盟の問い合わせでは,幣原外相は,これを「催涙ガスも毒ガスに含まれる」と回答しています.
 また鎮圧に当った台湾軍参謀の服部兵次郎大佐も,自らその講演で,毒ガス弾の使用とは関係ありませんが,ダムダム弾の使用を認めています.

 で,1937年7月27日に華北へ,「第一野戦化学実験部」が派遣され,日中戦争に於いて,毒ガス戦がスタートします.
 森松俊夫監修・原剛解説 『「大本営陸軍部」大陸命・大陸指総集成』 第三巻,エムティ出版,1994年,223〜224pに記載されている,
1938年12月2日付,閑院宮載仁参謀総長より杉山元北支方面軍司令官などに発せられた「大陸指第345号」
によれば,
「在支各軍ハ特種煙(あか筒※・あか弾・みどり筒)ヲ使用スルコトヲ得
但之ガ使用ニ方リテハ市街地特ニ第三国人居住地域ヲ避ケ勉メテ煙ニ混用シ厳ニ瓦斯使用ノ事実ヲ秘シ其痕跡ヲ残ササル如ク注意スヘシ」
とあります.訳しますと,
「中国にいる日本軍は,あか筒・あか弾(ジフェニ-ルシアンアルシン)・みどり筒などの特種煙(毒ガスのこと)を使用してもよい.
 ただし,毒ガスの使用にあたっては,市街地,特に第三国人(アメリカ人やイギリス人・ドイツ人など日本人・中国人以外の国民)の居住地域を避け,できるだけ煙に混用し,厳に毒ガス使用の事実を秘し,その痕跡を 残さないように注意しなさい」
という意味になろうかと思います.

 この毒ガス使用が停止されるのは,1943年6月に米国大統領からの警告(毒ガスを使用し続けるのなら,米軍は日本軍に対しても同じ方法で報復する)があってからです.

 1937〜38年までは実験期,1939〜43年までは本格使用期です.
 前半期には,催涙性の「みどり」(塩化アセトフェノン),嘔吐剤の「あか」(ヂフェニル青化砒素)が主に使用されています.
 使用状況は,1938年に発行された教育総監部「事変の教訓」第5号,第7号(化学戦の部)に詳しいです.
 なお,「きい」と言われた糜爛性のイペリット,ルイサイトですが,これらが用いられるようになったのは後半期で,1942年の陸軍習志野学校編「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」に使用例が収められています.

 ちなみに,両者とも,「毒ガス戦関係資料」(不二出版:1989)に収められています.
 例えば,武漢の例では,
「堅固なる陣地に拠り頑強に抵抗せる敵を制圧し,軽微なる我損害を以て陣地奪取を可能ならしめ,作戦の進捗に資すること少なからず」
という評価が下されています.

 中国側には国民党,八路軍共に化学戦能力など殆どなかったため,少数使用でもかなりの成果を上げたようです.
 また,弾薬が欠乏した日本軍が,発煙筒を投げつけたところ,毒ガスと間違えた中国軍が動揺し,
『日本軍は毒ガスを使用している,防毒装備がないのでこれ以上の追撃は無理』
(軍閥の将軍だから戦意ははなはだ低い)と通信しているのを傍受した,という話も記録されていたりします.

 ちなみに人民解放軍は相当これに懲りたようで,現代では化学戦には力を入れているらしいです.

 ※“赤筒”は通称.正式には92式嘔吐ガス弾.手投げ及び擲弾筒での発射により使用.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他&軍事板)


 【質問】
 中国の東北部に旧日本軍の化学兵器の砲弾が数十万発埋まっているそうですが,そんなに大量に生産したのに,実戦で殆ど使用しなかったのはなぜでしょうか?

 対米戦で日本軍が化学兵器を使用したという話は聞きませんし,中国大陸で化学兵器を使用したという説も,人によって意見が分かれています.
 悪名高い731部隊が研究開発した細菌兵器も,中国で使ったという人もいれば,使っていないという人いて,意見が分かれています.
 意見が分かれていることは,少なくとも大規模に使用しなかったと思うのですが,戦争後半になり,日本が苦しくなってもアメリカ軍へ使用しなかったのは不思議です.
 化学兵器や細菌兵器は使いにくい兵器なのでしょうか?
 使いにくいとわかっていたなら,化学兵器や細菌兵器の開発生産するための資金や人材を,早く他に回せばよかったのにと思うのですが.

 【回答】
 現代の核兵器と同じで,持ってる相手に使ったら,同じ手段で報復される.
 戦争後半なら,それこそ日本本土の都市部へ,細菌兵器や化学兵器を大規模に使用されたら恐ろしいことになる.

 同じ懸念があってドイツも,化学兵器を熱心に開発して大量に持ってたけど,連合軍に対して大規模に使うことはできなかった(全く使ってないわけではない).
(ヒトラーが自分の経験から,化学兵器に生理的嫌悪を示して許可を出さなかった,というのもあったけど)

 で,そういう形で「相手も持ってる以上ちょっとでも使ったら倍返しされるから使えない」という状況に持ってかないと,「報復される危険性がないならガンガン使ってまえ」ということになるから,例え使えなくても開発と生産はせざるを得ない.

 補足しとくとアメリカ軍は,風船爆弾を
「生物・化学兵器の散布用では?」
と疑い,やたら厳重に対応した.
 日本側でも搭載を考えたが,
「この状況でそんなことしたら,大都市に生物・化学兵器をかれるだけだろう.
 今の状況でそんなことされたら,民族全滅しかねんぞ」
ということで諦めた.

 また,一度最高戦争指導会議で
「こうなったらヤケだ.化学兵器を全面的に使用しよう」
という話がボソッと出たが,
「バカか,お前は」
という事で即座に却下されたとか.
 で,誰が告げ口したやらだが,後で「天皇陛下から」そのことに対する懸念が伝えられて来て,以後
「その話は二度となし」
になったという,まことしやかな話がある(真偽は不明).

 アメリカは一応,日本本土決戦に備えて,
「日本の主要穀倉地帯に高濃度の除草剤を大量散布する」
計画を検討していた.
 日本本土決戦はやらなかったから,幸いにも実行はされなかったけど.
 あと,同じく主要穀倉地帯にコバルトの微粉末を散布して,放射能汚染させるというプランもあった.

 この2つは朝鮮戦争が泥沼化すると,大陸中国に対する計画として,中国東北部(満州)主要都市への核攻撃と併せて提唱されたが,もちろん許可は出ず,大統領によって,言い出した人間のクビが飛んだ.

 ・・・もし日本本土決戦が本当に行われてたら,米軍は上記のプランを実行した可能性があるし,日本軍はヤケで化学・生物兵器を使いまくった可能性は高い.
 尚,本土決戦の戦争計画では,本土で「撤退」する場合は,撤収地域の水源(井戸とか上水ね)には毒を片端から投入しておく計画になっていた.

 ・・・本土決戦しなくてよかったなぁ.

軍事板,2009/08/22(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本側研究者で,中国での毒ガス戦の実相を研究してる人少なすぎじゃね?
 旧軍叩きとか良いから,詳細を知りたいんだよね.
 中国側の主張では,ずいぶんとバカスカ使ってたようなんだ.
 確かにあの快進撃の裏には,これがあったのかと思わせるものもあるんだよね.

 【回答】
 自衛隊化学防護隊のOBが,関東軍防疫部隊の資料を研究・公開しているよ.
 書名は失念しちゃったけど,自衛隊系の出版社から出てた.
横浜市の図書館で借りたんで,横浜市民ならその手の検索ワードで調べてみるといいかと.

 自衛隊以外の研究者では,常石敬一が第一人者じゃないかな.
 まっとうな歴史学者という立場から,丁寧に史料を読んでる.
 化学的素養は無いのに,松本サリン事件で解説に引っ張り出されて,ちと酷いことにはなったけど.

 中国側研究に出てくる死者云万人とかいうのには懐疑的で,日本軍の化学戦は非常に幼稚なレベルで,致死性化学兵器使用は実戦テスト程度って立場.

 なお,生物兵器についての研究もやってるが,これについても,人体実験関係の死者や小規模な実戦使用はあったものの,中国側が言うような何万という死者は根拠薄弱としてる.
 中国側の史料にあるような疫病の流行はあっただろうが,天然由来だったとみてる.

 若い研究者では松野誠也なんてのがいるが,中国側史料の批判が不十分で,いまいち.

 あとは,吉見義明や粟屋憲太郎なんかが掘り起こしてくれた,旧軍作成の戦史教育資料が参考になる.
 戦例集や教育計画など,不二出版から資料集として復刻されてる.

 それと,化学戦学校だった習志野学校の関係者がまとめた本も,なんかいいのがあるかも.
 ただ代表例の「陸軍習志野学校」は,実戦使用には殆ど言及しないで,隠ぺいをしてる印象だったが.

 ああ,あと旧軍のBC戦関係については,海外の研究者が書いたものは,邦訳された範囲ではおよそ信用ならないと思う.
 そのうち中国の研究者のものは,一次史料として使える情報は多く含んでて,批判をしたうえでなら使えないことも無い.
 でも,それ以外の国の研究者の本では,独自の研究は殆どない.
 日本や中国の研究を鵜呑みにしてるだけって感じ.

 ちなみに中国における化学戦については,防衛研究所にある井本熊男日誌が,詳細な記録だそうだけど,故人の遺志で未だに非公開なんだよな.
 岡敬純日記同様公開してほしいな.

軍事板,2009/12/20(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本軍は,どの程度の化学戦準備をしていたか?

 【回答】
 吉田一彦〔第二次大戦情報戦史家〕によれば,以下のように説明されている.

 日本軍は1929年,瀬戸内海の大久野島に毒ガス工場を建設,敗戦まで種種の毒ガスを製造していた.種類はイペリット,ルイサイト,くしゃみガス,催涙ガス.
 製造されたガスは北九州の曽根に運ばれ,そこで迫撃砲弾や航空機用爆弾に装填されることになっていた.

 日本は日中戦争で化学兵器を使用したが,対米開戦以後は使用中止している.報復を恐れた結果と推測される.

( from 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.54-55, 抜粋要約)

▼ 昭和13年発行のガスマスク・マニュアル
faq20j23t04.jpg
faq20j23t05.jpg

 薄いブックレットなので,被甲嚢(ガスマスクバック)に入れていたものでしょうか?
 それとも日本軍には,そのような慣習は無いのか……

 ガスマスクを付けて桜ヘルメットを被った歩兵が,ルノーFT戦車と共同でガス演習をしているのは,ちょっと珍しいかも

よしぞうmaro' in mixi,2007年09月28日02:12


 【質問】
 防毒面って何?

 【回答】
 毒ガスなどから体を守るために,顔面に着用するマスクのことで,要するに日本軍におけるガスマスクの呼び名.
 面体に,吸収缶をつけて装着する.
 陸軍の他,海軍にも「九三式防毒面」,民間防空用の「十二年型市民防毒面家庭用」「十七年式防空用防毒面」などの種類があった.

 剣道の面の代わりにはなりそうにない.

 【参考ページ】
http://kon-tan.hp.infoseek.co.jp/equip/japnavy/boudoku.html
http://yasenjidousyasyo.blog97.fc2.com/blog-entry-12.html
http://www6.ocn.ne.jp/~iguwolf/boudoku.html
http://www.geocities.jp/emamitsu/mask.htm
http://homepage3.nifty.com/dokugasu/kaihou10/kaihou1012.html

【ぐんじさんぎょう】,2010/06/08 21:00
を加筆改修

 日本軍の防毒面って,火災の時使うと触媒が過熱して,缶がチンチンに熱くなるんだっけか?
 なんだったかの手記で読んだ覚えがある.
 うろ覚えだが.

へち in mixi,2010年05月29日 00:00

 防毒面(ガスマスク)のマニュアル
faq20j23t.jpg
faq20j23t02.jpg
faq20j23t03.jpg

 図版が多く参考になります.
 馬用の防毒面の図は初めて見ました.

よしぞうmaro' in mixi,2007年09月24日12:09


 【質問】
 支那事変当時,当時も化学兵器禁止の国際条約はあったの?

 【回答】
 確かに「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」がありました.
 この条約自体は大正十四年六月十七日にジュネーヴで作成され,昭和三年二月八日から効力発生が発生していますが,我が国は第二次世界大戦当時この条約に批准しておらず――ちなみに言えばアメリカも未批准――我が国が批准・交付・告示しこの条約が我が国について効力発生したのは昭和四十五年五月二十一日です.
 法は遡らないと言う大原則を考えれば,当時日本軍には人道的観点以外の制約はありませんでした.

 また,この条約では
「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及びこれらと類似のすべての液体,物質又は考案を戦争に使用すること」
が禁止されていますが,非致死性に分類される嘔吐剤(あか剤)や催涙剤がこれに含まれるのか定かではない上に,支那事変は戦争ではないと主張することもできるので,実効性には疑問な点が多いです.

 さらに,この条約で禁止されていたのはあくまで「使用」であり,「開発・生産・貯蔵」など化学兵器自体を保有する事は認められていました.

>化学兵器に関しては,1925年のジュネーブ議定書により「窒息性ガス,毒性ガス等の戦争における使用」が禁止されていたものの,その開発,生産および貯蔵までは禁止されていなかった.
(化学兵器禁止条約の概要より)

 さらにまた,戦時復仇措置としての毒ガスの使用は違法性を阻却されていました.
 つまり,簡単に言えば,相手が毒ガスを使ってきた場合は,同程度に限り,毒ガスで報復してもよいと言うことですね.

 当時日本陸軍の仮想敵であったソ連は化学兵器大国であり,共産主義黒書によれば1921年にはソ連軍が毒ガスを用いて相次ぐ農民反乱を制圧しています.
 そのソ連を仮想敵とし,ソ連に敵視される我が国が,復仇兵器としての化学兵器を研究開発生産し,極東ソ連軍と対峙する関東軍がそれを備蓄していたことは,国際法上全く合法であり,どの国際法にも違反するものではありませんでした.

 その証拠に連合国の報復裁判として名高い極東軍事裁判でも毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用で裁かれたものはありません.
 それどころか,終戦後に国民党政府が行ったB・C級戦犯裁判でも,中国の瀋陽・北京・太原・済南・徐州・南京・上海・溝口・台北・広東の10ヵ所で裁判を行われ,起訴883名,死刑149名,終身刑と有期刑355名の判決が下りましたが,毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用の罪を問われ,「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」でB・C級戦犯として裁かれた者は,寡聞にして聞きません.
 また,西村慎吾代議士のホームページの「慎吾の時事通信」平成15年9月30日号によれば,西村事務所の秘書の方が防衛研究所で台湾派遣軍と海軍の作成した詳細な武器引渡しリストを入手し,そこには毒ガス弾を何発引き渡したと記載されていました.
 その台湾の台北で戦犯裁判が行われているにもかかわらず,毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用の罪を問われ「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」でB・C級戦犯として裁かれた者も,寡聞にして聞きません.

(多事某論,2005/7/3)


 【質問】
 第100部隊とは?

 【回答】
 吉田一彦〔第二次大戦情報戦史家〕によれば,以下のように説明されている.

 1930年代に編成された,破壊活動に使用する細菌兵器を開発する任務を持った,日本陸軍の部隊.
 責任者は若松有次郎少佐.彼は昇進を重ね,最終的には関東軍獣医部で少将にまで上り詰めた.
 若松の部隊は関東軍獣医部の指揮下にあったが,その任務の性質上,関東軍の特務機関とも密接な関係を保っていた.
 資金は潤沢で,出所は東京の陸軍省と関東軍司令部第二部だった.

( from 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.56, 抜粋要約)

 また,「七三一部隊」(講談社新書)によれば,100部隊は牛疫の研究をしてたんじゃネーの?と書かれている.
 当時の長春に設置されており,関東軍軍馬防疫廠といわれた.設立は七三一部隊と同時期.
 牛疫(家畜の伝染病)の兵器化は四三年に開始され,四四年夏には風船爆弾に積もうと思えば積むことができるところまで,開発は進んでいた.
 しかし,稲に対する枯れ葉剤攻撃の報復を恐れた参謀本部の判断で,牛疫ウィルスを風船爆弾に積むことは実現しなかったそうだ.

(極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS)


 【質問】
 第731部隊とは?

 【回答】
 吉田一彦〔第二次大戦情報戦史家〕によれば,以下のように説明されている.

 1930年代に編成された,生物戦専門部隊.
 細菌兵器開発のために多数の犯罪者や中国人捕虜を使用して人体実験を行ったことで知られる.
 アメリカ人捕虜を実験に使用したとも伝えられているが,それを証明する証拠はない.

 1939年8月のノモンハン事件では,第731部隊は決死隊を募り,ハルハ河支流のホルステイン河にチフス,パラチフス,コレラの病原菌を撒布したとされているが,これも決定的証拠があるわけではない.
 また,「ノモンハン事件の最中,ソ連軍も細菌兵器作戦に従事した状況証拠がある」(シェルダン・H・ハリス,「死の工場」,柏書房,143項).

 航空機を使用しての細菌戦を第731部隊が実施したのは,1940年10月27日のことで,場所は中国の寧波市.使用した病原菌はペストだった.
 さらに41年には,常徳に対して病原菌を帯びた蚤や穀物などを飛行機から投下している.

 1942年4月に大本営は,南方方面から必要な航空兵力転用も含む大規模作戦を支那派遣軍に命令した.これは大兵力を用いて淅江省を東西から挟撃する作戦で,淅●(せっかん)作戦または「セ」号作戦といわれるものである.作戦開始は5月中旬から.ドゥーリットル鯛の最終着陸地が中国だったことから,淅江省の飛行場群を制圧して本土空襲の禍根を断つのが目的だった.

 この作戦の一環として,731部隊は,航空機を使用しての大規模な生物兵器攻撃を実施.この作戦によって中国軍にも損害を与えたと思われるが,作戦実施の齟齬によって日本軍にも感染者が続出.主としてコレラにより日本兵1700人が死亡したとされる.
 また,中国人捕虜3千人に,病原菌を注入した食糧を与えて釈放している.
 これによって病原菌の広範囲撒布を狙ったのである.

 44年6月のサイパン島攻防戦においては,731部隊は,米軍に対して生物兵器を使用する計画だった.
 しかし,器具と要員を島に送る任務を帯びた潜水艦が途中で撃沈された結果,この作戦は実施されなかったと伝えられる.

 45年8月,ソ連軍満州侵攻の際,第731部隊は建物一切を破壊,生物兵器開発の痕跡を消し去った.
 結局,大量生産による広範囲に撒布可能な,実効性のある細菌兵器を開発する事は,日本はできなかった.

( from 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.56-58, 抜粋要約)

●=「章」偏に「『頁』の上に『夂』」

 また,「七三一部隊」(講談社新書)には,八二年に厚生省が発表した「関東軍防疫給水部略歴」が引用されているが,それによれば,
「一九三六年以前に編成」されていて,「関東軍直轄部隊として部隊長以下全員軍医薬剤官および衛生下士官をもって編成し,各部隊の防疫給水および細菌の研究予防等の業務に従事」
することとしている.
 仕事は
「細菌の研究を担任,各部隊の防疫給水,血清,痘症,予防ならびに錬成隊に置いて青少年の教育を実施する」
こと.

部隊編成(四五年六月時点)
本部  ハルピン  1300名  満州第731部隊
支部 ハイラル 165 満州第543部隊
ムータンチャン 200 満州第643部隊
ソンゴ 136 満州第673部隊
リンコウ 224 満州第162部隊
タイリェン 250 満州第319部隊

 本部と支部を併せての関東軍防疫給水部の全体名称は「満州第六五九部隊」

 五三年五月付の厚生省引揚援護局の文章によれば,終戦時,防疫給水部は七三一部隊以下,二十三の部隊があった.
 このうち,第二十七野戦防疫給水部のみが沖縄において玉砕,七三一部隊は武装解除.
 七三一部隊の「武装解除」は部隊の一部のみであり,他と防疫給水部同様に無事内地に引き揚げているようだ.

 最近の報道によれば,次のようなことも判明している.

ペスト菌兵器の開発詳述 731部隊の秘密論文集

 【ワシントン16日共同】太平洋戦争中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)が,ノミを使って致死性の高いペスト菌の細菌兵器を研究開発した過程や,ペストで死亡した患者データの詳細が16日,日本側文書や米議会図書館の資料で判明した.
 同図書館は,部隊関係者が戦後,米軍に提出した人体解剖記録(英文)を一般公開する方針を決定.
 公開に先立ち,共同通信と神奈川大の常石敬一教授(生物・化学兵器)に閲覧を認めた.

 日本側文書は,731部隊幹部らが執筆した日本語の秘密論文集「陸軍軍医学校防疫研究報告第一部」などで,ノミの増殖法や細菌戦に適した条件,爆弾に詰めた際の生存能力などを包括的に研究,当時のソ連を標的とした細菌兵器開発の経緯を伝えている.
 常石教授が国立国会図書館関西館(大阪)で発見した.

(共同通信,2005/8/16)

 英文記録は三種類の病理解剖データで,ペスト菌に関する「Q報告」,炭疽(たんそ)菌の「A報告」,鼻疽(びそ)菌の「G報告」.
 「Q報告」は,四〇年六月から秋にかけて中国東北部の農安と新京(現在の長春)でペストに感染して死亡し た住民五十七人の解剖結果をまとめた.
 日本側文書によると,七三一部隊幹部だった平沢正欣陸軍軍医少佐(当時)は,医学論文の中で,新京のペスト流行を研究し,犬に付着する「イヌノミ」が感染媒体だったことを立証.
 この過程で,感染したイヌノミを人間に付着させる人体実験も実施した.
 少佐はほかにも,機密扱いの四本の論文をまとめ,
(1)爆発でノミの脚に障害が発生すれば,ペスト菌の運搬能力が低下
(2)ノミは光を嫌うため雑草地への散布が 有効
――などを解明.爆発力が小さくて済むけい藻土製の「石井式細菌爆弾」の開発に至る基礎研究を行った.

(西日本新聞(共同),2005/8/18)

 あと,ペスト菌がノミの体内で休眠状態になるのを発見したのは731だぞ.
 公には戦中混乱期における,発見者不詳の知見ってことになってるけどな.
 これは下手すりゃノーベル賞モノの発見.

軍事板

 ちなみに,七三一部隊以外にも以下の細菌戦関連部隊があったと言われている.

陸軍軍医学校防疫研究室 東京 
一八五五部隊        北京
一六四四部隊        南京 
八六〇四部隊        広東 
九四二〇部隊        シンガポール


 【質問】
 森村誠一著『悪魔の飽食』の信憑性は,どの程度なのですか?

 【回答】
 細菌戦の研究及び準備ですね.ここまでは確定.
 問題とされているのは,その過程で人体実験が行われていたということ.これに物的証拠はない.
 しかし,状況証拠と証言が多数あるので,人体実験をしていたのは事実として認知されている.
 米国の下院だか上院だかで731部隊関連の調査が行われたときも,731部隊は人体実験をやってたというのは事実としている.

 また,中国に対して細菌攻撃を実施しているという資料もあり,これも事実ではないのかな,と.

 人体実験の詳細はとてもここには書ききれません.
 主なもので,細菌やウィルスの入った液を注射し,病気の経過を見たあと解剖し,ものによっては標本化腕などを凍傷にさせて(激痛)凍傷治療の実験.これは失敗すると腕が無くなります.
 一定間隔で円形に縛り付けておき,中央で細菌爆弾を爆発させて効果を観察するなどです.

 なお,戦時中に七三一部隊が作成し,戦後にアメリカが本国に持ち帰った物の多くは,現在行方不明です.
 アメリカは「日本に返した」と主張し日本政府は「確かに返ってきている.最初に厚生省へ入り,そこから防衛庁に移管された」と新聞社の取材に対して返答.
 しかし,防衛庁は「知らない」と返答.日本国内において行方不明となりました.
 常石敬一はこれを「事故」か「意図しないで起こったこと」ではないかと,そういった実例を挙げて著書「七三一部隊」(講談社新書)で書いています.

(軍事板 & 極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ on FAQ BBS

 実際読んでみました.といっても,昭和五八年出版の新版の方だけど.
 ちまたでボロクソに言われていますが,当方が読んだ感じでは,愛国戦隊の方々が騒いでるほど,ヒドイ物でもなかった.
「小説だー! 創作だー!」
と,よく言われてますが,コレは小説じゃないです.
 小説だと言っている人は,読んでもいないのにイメージだけで批判してる人でしょう.

 といっても,明らかにアレな記述がところどころあるのも事実.
 例えば以下のような記述.

 ポンプで室内の空気を抜くことができる真空室に「マルタ」を入れ,少しずつ真空にしていくのだ.
 外気圧と内蔵圧の差が大きくなるにつれて,「マルタ」の眼球,口腔,肛門など,およそ人間の身体の穴という穴から,内蔵がせり出そうとする.
 「マルタ」の眼球は飛び出し,顔面は異様にふくれあがり,血の血管がみみず腫れのように隆起し,身体の各部分がゴムのように伸びる.
 ついには腸がそれ自体一つの生き物であるかのように,ニョロニョロと外へ這い出してくるのである.
「実験開始後五分後……七分後……九分後……只今〇〇気圧」
 実験室の外で隊員達が,八ミリ撮影機を回している.

 えーと,人間を急減圧しても,こんな風にはなりません.
 「マクグロウ・ヒル宇宙百科事典」および「宇宙三百の大疑問(BLUE BACKS 講談社)」によれば,動物を爆発的に真空にさらしても,いきなり身体が飛び上がったり,目が顔から飛び出ることはない.
 周囲の気圧が47mmHg以下に落ちると,組織の内部にある水分が皮膚の表面から蒸発していく.
 まもなく表面の細胞は崩壊し,体内の熱も失われる.
 6秒もすると細胞崩壊のプロセスは心臓と肺に達し,体内の循環を妨げる.
 そして急速に,けいれん,無酸素症,腸の筋肉の弛緩が襲ってくる.
 15秒後に精神錯乱が起こり,20秒後に意識を失う.
 あとは,フリーズドライ加工された肉の塊になるだけだ,そうです.

 作者の創作なのか,それとも誰かに騙されたのかは知りませんが,これが真実でないことは明らかです.
 まぁ,しっかりソースを明らかにしている部分もあるし,他の記述がぜんぜん信頼できないわけではないけど,眉にツバつけて読むのが吉.始めからある程度疑ってかかりましょう.
 いちおう「ゴーマニズム宣言」よりはまともなシロモノだと言っておく.
 読み物としては面白いですね.文章もお上手だし.
 中古で売ってたら,買って読んでみるのも一興か,と.

極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ on FAQ BBS


 【質問】
 帝国陸軍が満州に遺棄した化学兵器だそうですが,200万発という数が出ております.さっきのTBSニュースでは70万発といっておりました.
 あまり使わない化学兵器をそんなに生産する余力が,日本にあったんでしょうかね?
 賠償金目的のように思えるのですが.

 【回答】
 化学兵器の生産技術を一度確立すると,多量生産はさほど費用もかからず,簡単だそうです.
 でないと,殺虫剤がえらい高いものになってしまう.
 ただ,中共の化学兵器には旧日本軍が遺棄したものの他に,敗戦で武装解除時に人民軍に引き渡したもの,中共が生産,購入したものも含まれてしまっています.
 日本が「化学兵器禁止条約」に則って,処理しなくては成らないものは,日本軍が遺棄したものだけであるはずなのですが.

(剣恒光 ◆YR1Hskt.M. )

 ちなみに「アジアの安全な食べ物:中国の7色に輝く河川と食品」には,中国のやばすぎる公害事情が紹介されている.
 また,

 河川の汚染対策の遅れについても,最近では,
「旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器が原因だ」
などと見え透いた嘘をついて責任逃れをして,真面目に取り組んでいません.

などとも述べられている.

 ただし,このサイトの信憑性については,
「写真とキャプションが一致しているとは限らない」
「これらの画像の元サイトを見ると,中国国内でも公害は問題視されている」
などといった指摘もある.

 ?西化学制??入河中 数公里?河水被染?(?)博?新?,?体中文新?:ヤバイ色の川の元記事.タレコミによると工場で化学薬品が流入した事故によるもので,日常的に汚染されているわけではないらしい.

 真性引き篭もり/entry :その他の画像の元記事リンク集あり.

 また,芝生の着色については,日本でも行われている.
 例えば「NISSAN STADIUM : スタジアムここだけの話」によれば,このスタジアムでは,芝が枯れる冬季は芝を着色(コーティング)する,という.
 こちらは芝用着色剤についての解説.
 さらに, 真性引き篭もり/entry では単なる着色ではなく,「種子吹きつけ工法」というものも紹介している.

(電脳遊星D)


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