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 【link】

『死闘の本土上空』(渡辺洋二著,文春文庫,2001/07)

 渡辺洋二はあまり外れがなくて良し.
 文体も読み易いし,複雑になりがちな組織表なんかは,きちんと見開きで紹介してくれたりするので,読後調べたいことがあって読み返す時に重宝する.
 それと併せて搭乗員へのインタビューも多くて,なお良し.
 あとがきを読んで初めて気づいたんだけど,これって氏の処女作品の復刻なんだね.
 生活面でいろいろとご苦労があったようで,あとがきにも当時の思い出をいろいろと書いている.

------------軍事板,2001/07/15(日)

『首都防空網と〈空都〉多摩 歴史文化ライブラリー358』(鈴木芳行著,吉川弘文館)


 【質問】
 B-29による日本本土爆撃に対する,日本軍最初の応戦は?

 【回答】
 1944年4月19日から開始された「1号作戦」.
 この主要任務は,桂林,柳州を基地とする(と予測された)B-29による,日本本土爆撃を事前に阻止することだった.
 最大兵力40万人の日本軍は,11/10〜11に両飛行場を占領したが,実際には米軍は基地を成都に置いていた.日本軍はそれを察知しなかったか,あるいはB-29の航続力を過少評価していたものと思われる.

Carl Berger著『B29』(サンケイ新聞社出版局,1977/3/5),p.85-86


 【質問】
 日本の本土防空戦で,最も日本側の戦闘機が集結した(迎撃に上がった)戦いっていつなんですか?

 【回答】
 朝雲新聞の戦史叢書「本土防空作戦」の付録表を見ると,20年2月16〜17日の機動部隊関東来襲に際し, 第10飛行師団(調布・成増・松戸・印旛)と第302海軍航空隊(厚木)が,のべ879機で艦載機を迎撃したのが最多のようです.
 ただし,松戸の53飛行戦隊は夜間用の屠龍隊なので温存しており,実質3個戦隊での迎撃です.

 以後,100機以上での迎撃は6回に及びます.
・2月25日 機動部隊関東来襲…110機で迎撃
・4月7日 エンキンドル7号作戦(中島武蔵爆撃 ムスタング初護衛)…119機で迎撃
・4月12日 エンキンドル8号作戦…155機投入
・4月30日 ブロックハウス1号作戦(立川爆撃)…120機で迎撃
・5月14日 マイクロスコープ4号作戦(名古屋爆撃)…109機で迎撃
・5月24日 第181号作戦(東京東海爆撃)…140機で迎撃

 その後,沖縄戦支援のため首都圏航空隊が九州に移り,本土決戦準備のために,100機以上での大規模邀撃は行われなくなりました.

鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2005/03/12
青文字:加筆改修部分

高高度迎撃に用いられた「与圧面」
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 昭和19年の日本海軍の迎撃実績は?

 【回答】
 出典失念.

昭和19年8月11日 352空より月光×2出撃
   同  8月20日 352空より零戦×3,月光×4出撃

 352空の8月中の戦力は零戦×46,雷電×10,月光×5ですが,内夜間戦闘可能なのは月光×3のみで,まともな戦果を挙げてません.

10月25日 352空及び大村空より零戦×57,雷電×8,月光×6出撃
11月 6日 大村空より零戦×5,雷電×2出撃 岩国方面で別に零戦×12,雷電×8,月光×2出撃
11月11日 352空より零戦×33,雷電×11,月光×9,大村空より零戦×23出撃
11月21日 352空より月光×9,零戦×31,雷電×16,大村空より零戦×21出撃

 この頃の九州空襲は昼間,高度8000付近での戦闘となり,零戦隊もかなり活躍しています.

 東京での初空襲は11月24日,
 この空襲に対して海軍は雷電×48,零戦×27,月光×18,零式夜戦×10,彗星×4,銀河×2,彗星夜戦×1(延)を出撃,
 しかし偏西風の影響もあって,ろくに会敵すらできずに終わり.

12月 3日 302空より雷電×24,零戦×27,零式夜戦×8,月光×11,彗星×3,銀河×1,彗星夜戦×3を出撃.
 撃墜9,撃破8(他に第10飛行師団が撃墜21内不確実6)を記録,実際の米軍の被害は墜落6,損傷6でした.

12月13日 302空より雷電×26,零戦×9,零式夜戦×7,月光×11,彗星×2,彗星夜戦×5,銀河×1を出撃.
 このときは米軍の目標が名古屋だったため会敵できず.
 現地では210空が零戦×14,紫電×4,月光×3,彗星×4を出撃させて迎撃.

12月18日 302空より雷電×17,零戦×7,零式夜戦×4,月光×10,彗星夜戦×8,銀河×2を出撃.
 やはり名古屋空襲だったために,210空が代わって零戦×15,紫電×8,彗星×6,月光×4で迎撃.

12月22日 210空より零戦×16,紫電×11,彗星×5,月光×5が出撃,撃墜1機を報告.
 このときは阪神方面に移動展開中だった332空が,零戦・雷電計24機を出撃させて迎撃に参加しています.

12月27日 302空より雷電×27,零式夜戦×8,月光×10,銀河×2,彗星夜戦×1,彩雲×2を出撃させるも会敵できず.

 この他,偵察機に対しての迎撃行動などが記録されていますが,大体は取り逃がしています.

ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 B-29の爆撃は,当時の日本の空軍力の全力を出しても防げなかったのですか?

 【回答】
 戦略爆撃を完全に防止することはイギリスでもドイツでも不可能.
 出撃当たりの被撃墜を増やし,戦略爆撃そのものを諦めさせるしか現実的な手は無い.
 日本機はB-29を撃墜はしても,アメリカに断念させるほどの損害までには至らなかった.

 終戦時に温存されていた航空燃料は,終戦時に温存されていた稼動機約10000機が複数回全力出撃できる程度はあった.
 ただ米戦略爆撃調査団は,日本が保有する迎撃戦力の75%以上が,迎撃に投入されることなく温存されたと結論しているように,本土決戦に備えて戦力の大部分を蓄えていたというのが大きい.

 それでもB-29の損害自体は無視できるほど少ないわけではなかった.
 日本上空爆撃で撃墜・全損したB-29は,全配備数のうちの1/3に及んでいる.
 しかしそれも,米軍の予測の範囲内だった.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 B-29を迎撃しようと考えた場合,夜間戦闘機の方が使いやすかったのですか?

 【回答】
 零戦だろうと月光だろうと,まず夜間に離発着できる技量の高い搭乗員が足りません.
 どうせまともな機上レーダーは無いので,戦闘機そのものが単座であるか複座であるかは重要ではないのです.
 雷電も鍾馗も夜間迎撃に使われています.

 つか,機上レーダーが無ければ,地上の誘導に従って接敵したあとは,探照灯の照射で捕捉する,あるいは敵編隊より高位に陣取ってから,地上の火災に浮かび上がるシルエットを捕捉するしかないので,「夜間戦闘機の方が使いやすかった」なんてことはありません.

ふみ in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本本土防空戦に際しての,日本陸海軍航空兵力一元化の流れについて教えられたし.

 【回答】
 まず「捷号作戦」が1944年6月に計画されると,激減した陸海軍の航空戦力を有効活用するため,「捷号航空作戦ニ関スル陸海軍中央協定」が締結され(同年7月)されたが.不十分なものだった.
 同作戦の戦況が切迫すると,本土防空に関し,一元指揮による陸海軍航空の統合が,形式として実現した.
 1945年に入ると,本土決戦完遂のため,陸海軍自体を統合しようとする動きがあり,両軍間で交渉が行われたが,海軍は終始反対したため,交渉は何の収穫もなく終わった.
 陸軍は統合のためなら,「陸軍の航空戦力は全て海軍に提供してもよい」とまで提案したが,海軍の拒否的態度に変化はなかったという.

 【参考ページ】
『空軍創設と組織のイノベーション 旧軍ではなぜ独立できなかったのか』(高橋秀幸著,芙蓉書房出版,2008.12),p.80-85

【ぐんじさんぎょう】,2010/07/13 21:00
を加筆改修


 【質問】
 カーチス・ルメイは,戦後の回想録の中で,
「日本には夜間戦闘機はなかった,夜間空中戦で撃墜されたB-29はほとんど存在しない」
みたいなことを書いていますよね.
 しかし実際には,日本の夜間戦闘機隊は昼間戦闘機隊を上回るほどの戦果を挙げています.

 そこで質問なのですが,
1 この誤解は,ルメイのみのものなのか,当時の米軍に共通するものなのか?
2 もしルメイのみのものだとしたら,なぜ彼だけがこのような誤解を持ったのか?

 【回答】
 B-29は結構落とされてますが,機体不調による墜落,そして昼戦での撃墜が過半ではないでしょうか?

 それに,彼の「夜間戦闘機」のイメージはドイツのナハトイェーガーだから.
 そういう意味では,あのような夜間戦闘機はほとんど日本は持ってなかったわけで.

 さらに,米軍は月光に代表される斜め銃装備戦闘機の存在をよく理解せず,大半を「高射砲によるもの」として処理してた.
 なので尚更「夜間戦闘機に墜とされたB-29はない」という認識になっている.

 あと,誤解というか指揮官としてこういう強がり・誇張表現をいうのは,後代に漏れ伝わってくるルメイの性格からみて当然ではないかと

 ソースは『日本空襲の全容 米軍資料』(東方出版,1995.4)です.

極東の名無し三等兵 in 軍事板

40口径八九式12.7センチ高角砲@和鉄博物館
faq01k18d.jpg
faq01k18d02.jpg

ベタ藤原 in mixi. 2007年11月19日21:53

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 第二次大戦で爆撃機を迎撃する場合は,都市部からどのくらい離れた位置で迎撃するのが最良だったんですか?
 そして現代ではその位置は変わってるんですか?

 【回答】
 「都市部からどのくらい離れた位置」とかいった「迎撃する側の都合」など斟酌する余裕はない.

 なるべく早い段階で撃墜しておくのがベストに決まっているが,現に都市が爆撃されているのに,墜落による些細な損害が生ずる危険があるから攻撃を控えるなどといった悠長なことをする可能性など,何をどう間違えても絶無.
 また,爆撃が終了して,その回の攻撃ではそれ以上の損害は生じないからといって,爆撃が完了した爆撃機をそのまま,逃げるに任せるなどということもあり得ない.

 レーダーで察知して,予想した攻撃側の進路に合わせて発進して待機し,首尾良く遭遇できたら,場所などどこでも構わないから,「撃墜できるときに撃墜する」.

 ただし,地上の対空砲火との連携があって,自軍の対空砲火で撃墜されてしまう危険を避ける目的で,敵機への接近と攻撃を控えることはあって,それが場所として都市上空になっていることはある.

 参考:光人社文庫『B29撃墜記』など.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本の戦闘機が,B-29の飛んでる高度になかなか達することができなかったのは,自然吸気エンジンだったから?

 【回答】
 日本の戦闘機はNAではありません,
 WW2の戦闘機で,自然吸気のエンジン付けた機体なんて,日本以外の国でももはやありません.

 日本の戦闘機のエンジンは,今風に書くと「スーパーチャージャー」です.
 1段2速の機械式過給器が主流です.
 こいつの全開高度はせいぜい6,000m程度で,それ以上になると空気の薄さに過給器が負けて,出力は下がります.
 機械式過給器でも2段2速とかにすると,もうちょっと高高度性能は上がりますが,日本は最後まで諸般の事情により,ターボ過給器共々実用の領域には達しませんでした.

 日本の戦闘機はカタログ値では,上昇限度1万メートル近くまで上がれました
 だからB-29の来週高度(8000-9000メートル,末期にはもっと下がった)まで上がって待機できますが,そこまで上がるのに時間がかかるのと,上がっても空戦機動をすると,とたんに高度が下がって(しかも追いつけない)せいぜい1撃しかかけられなかったと言われています.
 B-29に手傷は追わせても,トドメを刺せない事が多いのです.

 でもって本土防空の戦果ですが,B-29の来週高度だけが,少ない理由ではないです.

軍事板,2000/07/10(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦国自衛隊みたいな話ですが,太平洋戦争中にF-15が数台有り,熟練した操縦士がいたならば(ミサイルや補給品は充分に有るという前提),空爆に来たB-29を壊滅出来ますか?
 ME-262の対B-19から推測した場合,楽勝と思えるのですが…

 【回答】
 結局,1機あたり4+4のミサイル分と,機関砲の分しか撃墜できないからねぇ.
 一度に出撃する数が限られる以上,大戦果挙げることはできても,壊滅は難しいだろうな.
 常に飛ばしとくことができないなら,地上にいるときに襲われたらどうにもならないんだし.
 F-15を飛ばせるレベルの滑走路を持つ飛行場を作ったら,航空偵察からごまかせないしな.

 あと,パイロットが限られた数しかいないなら,疲労度を考えれば,飛ばせる時間や単位時間あたりの出撃回数にどうしても限度が出る.
 無理して出撃させて事故で失われたら・・・ということを考えると,武器弾薬と燃料が例え充分にあっても,そんなに頻繁には出撃できないだろう.

 そして,予備部品がどれだけあっても,出撃回数が多ければそのうち「部品」の交換レベルでは直せないところが壊れて,共食い整備(要するにニコイチや三個一にすること)をせざるを得ないから,結局急速に消耗していくだろうね.

軍事板,2010/06/04(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 竹槍でB-29を撃墜するって話は,どこの誰がどんな経緯で言い出したことなんですか?

 【回答】
 竹槍事件の原因になった記事は
「敵が海を越えて襲来しようとしてる時に,(本土決戦に備えて)竹槍で訓練してるようじゃだめだ.航空戦力で敵を洋上で撃破せよ」
という内容.
 執筆者は「竹槍で飛行機を落とす訓練をしている」と陸軍を批判しているわけではなく,陸軍も本土決戦への備えとして民間人に竹槍で訓練させていた.
 実際の訓練で教官が
「飛行機を落とすくらいの気構えでやれ」
と言ったか,陸軍の精神主義を揶揄するものとして戦前もしくは戦後に作られた話ってところだろう.

軍事板

 竹槍事件の原因となった東京日日新聞,新名丈夫記者の全記事をupします.
 図書館でマイクロのコピーしてきた.
 昭和十九年二月二十三日(水曜日)朝刊一面 図表(米軍の侵攻経路)
(ただし,記事の場所は左下のほうである.)

■竹槍では間に合はぬ
■飛行機だ,海洋航空機だ
 今こそわれわれは戦勢の実相を直視しなければならない.戦争は果たして勝つてゐるか,ガダルカナル以来過去一年半余,わが忠勇なる陸海将士の血戦死闘にもかかはらず太平洋の戦線は次第に後退の一路を辿り来たつた血涙の事実をわれわれは深省しなければならない

敵航空兵力が主兵力たり,決戦兵力となつた現下の太平洋の戦ひにおいて,われわれは航空戦が厖大なる消耗戦たる事実を三省しなければならない.開戦以来幾多の作戦にわが海洋航空兵力が果たしたる赫々たる役割とともに,その一面われわれがその厖大なる消耗に思ひをいたさなければならない.ガダルカナル以来のわが戦線が次第に後退のやむなきに至つたのも,アッツの玉砕も,ギルバートの玉砕も,一にわが海洋航空兵力が量において敵に劣勢であつたためではなからうか

航空兵力は海と補給の攻防戦においては決定的威力を発揮する航空機一機の哨戒コンパスを半径六百海里としても,艦隊の一昼夜航程であり,輸送船なら二昼夜以上の航程である.空中戦闘と海上の艦隊決戦において如何に勝利を獲得するとも海上補給に際して敵航空機の網に罹つては補給は出来ないのである.敵航空機の海上補給攻撃に対してこれを防衛するにはわが航空兵力を以て対抗するほかはなきことは勿論である.潜水艦の交通破壊戦を防衛するにもまた上空の哨戒に俟たねばならない.
太平洋の攻防とも航空兵力こそ勝敗の鍵を握るものなのである

しかも敵は昨年十月廿七日モノ島上陸に火蓋を切つたソロモンの大攻勢作戦以来南太平洋にも,中部太平洋にも,基地航空兵力と機動部隊,即ち海軍航空兵力を結集して来攻しつつあるのだ

敵の戦法に対してわれらの戦法を対抗せしめねばならない.敵が飛行機で攻め来るのに竹槍をもつては戦ひ得ないのだ.問題は戦力の結集である.内線作戦の有利を発揮するためには兵力の集中による各個撃破が絶対不可欠の条件である.と同様に敵の攻勢に対して挙国一致わが戦力の結集が行はれなければならないのだ.帝国の存亡を決するのはわが海洋航空兵力の飛躍増強に対するわが戦力の結集如何にかかつて存するのではないか.日本の抹殺,世界制圧を企てた敵アングロサクソンの野望に対しわれわれは日本の存亡を賭して蹶起したのである.敵が万が一にもわが神州の地に来襲し来らんにはわれらは醜虜の辱めを受けんよりは肉親相刺して互に祖先の血を守つて皇土に殉ぜんのみである.しかも敵はいまわが本土防衛の重大陣地に侵攻し来つてその暴威を揮ひつつある.
われらの骨,われらの血を以てわが光輝ある歴史と伝統のある皇土を守るべき秋は来たのだ

 漢字は新字に直しました.
 ベタ打ちして思ったこと:「見出しで煽りすぎ! 中吊り広告かよ!」

 ちなみに,新名記者は昭和16年12月8日の朝刊で
「今日にも開戦へ!」
のスクープを放った取材チームの1人でもある.
(「今日にも」ってタイトルは意訳です(笑))

ぴぴ in FAQ BBS

竹槍攻撃を受けるB-29
faq06c02b.jpg
faq06c02c.jpg
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 戦時中に撃墜されたB-29のパイロット達を,市街地への爆撃の罪で裁判にかけて死刑にした日本の関係者が戦後,逆にアメリカにパイロット達を死刑にした罪を問われて,有罪になりましたが,当時の国際法に照らしたら,どちらが正しいんでしょうか?

 【回答】
 1922年の「空戦ニ関スル規則」第24条では,爆撃についての軍事目標主義を採用しており,軍隊,軍事工作物,軍事建設物,軍事貯蔵所,兵器弾薬または明瞭な軍需品製造工場で重要且つ公知の中枢を為すもの,軍事用の交通線以外の目標にした爆撃を禁止しています.

 但し,同法規は未発効ですから,無視しようと思えば出来ますし,米国の論理では,日本の都市に於て,軍需工場を支える小規模家内工業が住宅地域に混在し,軍需工場周辺に民家が集合している点で,地域爆撃を行うと言うことの正当性を主張し得ます.

眠い人◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 1945年8月15日までの段階で,空襲は違法か否か,と言うことを考えると,1907年10月18日のハーグ条約附属規則25条では,「防守せざる都市,村落,住宅又は建物はいかなる手段によるもこれを攻撃または砲撃せざるを得ず」と規定しており,無防備都市を攻撃した場合は,国際法違反となります.

 これを援用したのが,1963年12月7日の東京地裁判決,所謂,原爆判決下田ケースというものです.
 ここでは,「防守都市・防守地域に対しては無差別砲撃が許されているが,無防守都市・無防守地域に於いては戦闘員及び軍事施設(軍事目標)についてのみ砲撃が許され,非戦闘員及び非軍事施設(非軍事目標)に対する砲撃は許されず,これに反すれば当然違法な戦闘行為となる」としています.

 但し,戦前からも,重慶爆撃を弁護する為に,都市全体を防護する防衛施設や軍隊が駐在する都市を,それが戦場から遠く離れ,的による占領の危険が迫っていなくても,防守都市と見なし,それへの無差別攻撃を正当化する論説も日本では戦前からあった訳で,決して,空襲=国際法違反一辺倒ではなかったりします.

 では,その無差別爆撃を行った米軍機が撃墜され,その搭乗員が捕獲された場合は,その搭乗員は罪に問えるのか,と言う問題が出てくる訳ですが,1929年のジュネーブ俘虜条約では,45条で,「俘虜は,捕獲国軍の現行法律及び命令に服従すべし」と定めています.
 また,60〜67条にて俘虜の訴追についての項目を置き,締約国が国内法で国際法違反の行為を行った俘虜の訴追を認めています.

 ちなみに,俘虜の訴追のケースとしては,収容所での犯罪行為と俘虜の前に行われた国際法違反の戦闘行為に対し,捕獲国は処罰を行うことが出来るようになっています.
 この点,1949年のジュネーブ俘虜条約は,捕虜となる前に行った行為で起訴されても,捕虜は条約の利益を享受,つまり裁判上の保護が行われると改訂されています.

 戦後の例になりますが,ベトナム戦時に於いて,北爆に参加した米軍兵士を北ベトナムが処罰すると宣言した事例では,戦時国際法の違法性の廉で,抑留国の裁判に掛けられ得ることは疑いないと言う学説がありますし,東京裁判でもウェッブ裁判長が,判決の個別意見の中で,「国際法によれば,交戦国はその手中に陥った戦争犯罪人を戦争中に処罰する権利を持っている」と述べています.

 と言うことであれば,無差別空襲を行った米軍の搭乗員を捕獲し,国内法で処罰を行った日本軍の行為は許容されていたことになる訳です.

 ただ,国内法による裁判が1929年ジュネーブ俘虜条約に沿わないものであった場合,その裁判とその結果による執行を条約違反とすべきか否かと言う問題が出てきます.

 米国最高裁の判決(山下将軍裁判事例)では,同条約の保護を捕獲後の行為にのみ適用し,捕獲前の行為には適用しないとしています.
 また,国際赤十字委員会は,戦争法を犯した者が,その利益を享受し得ないのが慣習法上の原則で,戦争犯罪を犯して捕えられた兵士は,俘虜の地位を享受出来ないとし,1929年条約は以前から存在する慣習法規則を修正した訳ではないと解釈しています.

 その裁判手続きは,1949年のジュネーブ俘虜条約第3条(1)dに規定されているものを援用すると,「正規に構成された裁判所で,文明国民が不可欠と認める全ての裁判上の保障を与えるものの裁判によらない判決の言渡し及び刑の執行」を禁止していることになります.
 これは1949年の改訂条約ではありますが,学説上は大戦中の慣習法の成文化であるとされている訳です.

 で,日本の軍法会議法では,第1条4号で,俘虜の犯罪に対して軍法会議は裁判権を有すると定めており,第2条で,俘虜の身分発生前の犯罪についても同じく軍法会議は裁判権を有するとしていました.
 但し,空襲に関する処罰規定は無く,1942年の空襲軍律で漸くその処罰規定が整備されました.

 となると,少なくとも,「正規に構成された裁判所で,」と「裁判によらない判決の言渡し及び刑の執行」と言う部分の正当性は成立しています.
 ただ,「文明国民が不可欠と認める全ての裁判上の保障を与えるものの」という部分がすっぽり抜け落ちたのが,空襲従事者に対する軍律法廷を指揮した法務官が結構,BC級戦犯裁判で,有罪判決を受けた根拠になっている訳です.
 即ち,空襲従事者を法廷で裁くと言う部分は認められ,ただその手続き上,例えば,弁護人を付けない,とか,検察官役の法務官の恣意的な裁判進行,とか,軍律では処刑には銃殺としていたものを斬首にしたこと,など枝葉末節部分の争いに終始していたり.

 では,BC級戦犯裁判はどうなのか,と言うと,少なくとも弁護人が付くから正当性のある裁判だと言う論法になってくるのですが,英国が行ったBC級戦犯裁判では,マウントバッテン卿は,こう述べています.

 残虐ケースでは書かれた証拠によって犯された犯罪が特定され,被告が特定されるだけで十分である.
 裁判の手続きは短く,形式的でなければならない.
 この種のケースでは通訳のための時間を含めて,30分以上は必要ない.
 宣誓した証拠が読み上げられれば,後は被告が確認するだけだ.そして有罪が宣告され,二十四時間以内に刑が執行される.

 また,デニング政治顧問は同じく,

 ヨーロッパでは被告の弁護の権利が不合理なまでに濫用されており,これを極東で許してはならない.
 迅速な裁判が肝要であり,被告は裁判所の管轄権について異議を差し挟むことも裁判を妨害するための申し立ても許されない.

とまで主張していました.
 流石に,これらの論議は乱暴であるとして修正が加えられ,裁判手続きは被告人一人につき,一日で終了することとしました.
 ええ,大して変わっていませんがね.

眠い人◆gQikaJHtf2,2006年11月01日 in mixi


 【質問】
 本土で撃墜した,B-29の搭乗員の中で銃殺や打ち首にされた人がいるみたいだけど,なんで斬首や打ち首?
 当時の死刑の方法は絞首オンリーだったはず.

 【回答】
 ドーリットルの本土初空襲を契機に,陸軍省と参謀本部は,非軍事目標への攻撃に関わった敵搭乗員を戦争犯罪人として処罰する為,1942年7月に「空襲軍律(案)」を制定.
 防衛総司令官,内地各軍司令官,外地総軍司令官に実施を命じ,内地では防衛総司令部が,「空襲時ノ敵航空機搭乗員ノ処遇ニ関スル軍律」を制定して,公布.
 防衛総司令部が廃止され,第一総軍と第二総軍になると,第一総軍では,「第一総軍軍律」,「第一総軍軍律規程」を制定します
(第二もほぼ同じ).

 普通の裁判規程と違って,軍律会議では死刑を絞首刑一本に絞っていません.
 これは,戦地で裁判をする場合の即決性を重んじたからであり,普通の裁判では死刑に処するとしても,形式に則って絞首台などを整えなければならないのに対し,「手軽」に執行出来る死刑形式を用いた訳です.

 ちなみに,軍律会議と言うのは広義の軍法会議ですが,対象は日本人ではなく,原則的に外国人が対象でした.
 でもって,戦地(国内もこの時代になると戦地扱い)では,立法手続きに則って公布された法律よりも,軍が必要に応じて公布した軍律の方が優位に立ちます.
 これは,国外占領地ではより一層顕著で,占領地では明確にその地を併合としない限り,占領軍に法律を公布する権利はありませんから,その代りに「軍律」と言うものを公布して代替したわけです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


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