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◆◆中国軍総記
◆軍事組織総記
アジア・太平洋方面 目次
<第2次世界大戦


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 【質問】
 中国軍は「チンピラ,ゴロツキに毛が生えた程度」と言う評価だったり,「ドイツ製装備と軍事顧問団により,かなりの精強を誇った」と言う評価だったりしますが,どちらが真実なのでしょうか?

 【回答】
 どちらも真実を表している.

 例として国府軍の場合だが,これは軍閥との連合軍でもあるので,その中に馬賊,匪賊が含まれていた.
 国府軍本体はドイツ製装備と軍事顧問団の指導により,第二次上海事変以前までは在支派遣軍より戦力が上だった.
 この軍事力という背景があったから,協定違反等で強気の態度に出ていた.

 ただ,輜重部隊が常設でないと言う致命的な欠点があった.
 兵站と言う概念が戦術レベルで欠けていた.
 その為,戦況が連合国側に傾くまで武器弾薬以前に,食料の不足が問題になっていたくらい.
 軍閥の部隊によっては,その支配領域から出ると活動が不可能になるくらい.
 ソ連やアメリカからの支援があっても生かし切れず,終戦まで戦況を大きく覆すことができなかった.

 ただ,美式中国軍という,アメリカ軍流の訓練と装備を受けた中国軍は,日本軍を火力で圧倒することに成功している.

中華民国陸軍歩兵


 【質問】
 陳雷とは?

 【回答】
 陳雷(チョンレイ)は1917年生まれ,
 1936年中国共産党に入党.
 1938年,中国東北地方の抗日連合軍に参加.金日成は当時の彼の同僚だという.
 中華人民共和国の成立以後,中国共産党の黒竜江省委員会の書記,黒竜江省省長,中顧委委員などの職を歴任.
 2006年12月5日,黒竜江省ハルビン市で死去.

 以上,ソースは「Record China」,2006年12月11日5時53分付


 【質問】
 国民党軍の装備はどんなものでしたか?

 【回答】
 ▼国民党軍の軍装はほぼドイツ式.
 国民党軍の軍装は,主としてドイツ式.▲

 小銃もGew98とか98Kとかとか使ってた.
 拳銃はP-08と何よりもモーゼルミリタリーが大量に装備され,現地工場まであった.
 ヘルメットが普及しなかったのか,略帽被ってるのが普通で,東洋人がドイツ軍装してドイツ製兵器を持ってる姿は,パッと見親衛隊の「東洋人義勇兵」部隊みたい.
(軍服の色が違うけれどね)

 航空機ではHe111A-0や,後にユンカースJu87として逆ガル翼になる前の原型機とか,マニア垂涎のレアな機体が国民党軍に売られ,使用されている.
 「中国的天空」(著・中山 雅洋)とか見ると面白いぞ.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 写真は,週末に届いた台湾で出版された中国国民党軍の野砲と歩兵砲/対空砲,小火器と軍装本.
 以前入手した戦車/装甲車本と同じ出版社が出しているもので,あるマイミクさんに年初にお願いしていたモノですが,ようやく年内に届きました.
 どうも長らくお手数をお掛けしてしまいましたm(_ _)m

 全ページでは在りませんが,写真も資料性が高いクリアなモノが多く,例えばおそらく捕獲した日本軍の38式野砲使用例や,

ドイツから輸入したラインメタル製105ミリ砲や,

お馴染みの37ミリPak35/36対戦車砲から,

ソビエト製の45ミリM1932対戦車砲,

更に対空砲本ではブレダ製20ミリ対空機関砲に驚き,

小火器本ではフランスから輸入したホチキス機関銃写真まであって,もう百花繚乱,魑魅魍魎.

 軍装本も素朴なイラストで和まされますが,

一番嬉しかったのは,中国製ベルグマン短機関銃の縦マガジンバージョン写真が在った事.
 マガジン装弾数も40発だった事が確認出来ます.

 以前入手した,熊本連隊のアルバムにも,この縦マガジンの中国製ベルグマン短機関銃の捕獲写真がありましたが,こうやって見ると色々な工場で作られていた様で,そこに関する記述もあり,今後読み解いて行きたいものです.

 因にこれは,押し入れから出て来たベルグマン.
 おそらく海軍陸戦隊海兵の遺品でしょうか.
 1997年10/22の朝日新聞東京版朝刊の切り抜きより.

 この中国製ベルグマンは,工場によって出来具合いが随分と違うので,おそらくライセンスでは無く,バチではないかと…

 いやー,それにしても日本軍は,こんな連中を相手にしていたのかと,在る意味関心させられました.
 国民党軍も調べると面白いですね,

 今後こういう資料が広まると,ドイツ装備の中国軍ジオラマを作るモデラーも出て来そうです.
 いや,台湾ではもう始まっているのかも(笑)

よしぞうmaro' in mixi,2007年12月03日16:20〜12月06日 02:10

 某誌の原稿を書くために調べていたところ,ドイツのPak35/36を中国で生産していたという記述を発見しました.恐らく,国民党軍がドイツから軍事援助を受けていた時期にライセンス権を取得したのでしょうが,実際に生産に入ったのは1942年からで,終戦までに100門ほどが造られたそうです.

 1942年からPak36作ってどうすると思いがちですが,敵の日本軍の戦車なら充分相手に出来たでしょうし.
 ヨーロッパではとっくにお役御免の2ポンド砲を,オーストラリア軍を終戦まで使っていたという記録もあったりしますが,75o砲対戦車砲なんて太平洋戦線では,牛刀で鶏を切るようなものでしょう.

 そう言えば,光人社FN文庫の「小銃・拳銃・機関銃」の299ページには,日本軍に押収された「民国四年式機関槍」の写真が載ってますが,民国四年というと西暦1915年に当たるので,かなり古い銃ですね.
 上海工廠製ともキャプションがついています.

 世界中から兵器を集めて,博覧会状態だったと言われる国民党軍ですが,国産兵器も少しはあったんですね.
 中でもフランス製のストークス砲をベースにした82o口径の迫撃砲,民国二十年式八糎迫撃砲は,国民党軍ばかりか満州国軍でも制式兵器だったという,隠れた優れものだったようです.
 
 それから写真の三八式野砲ですが,国民党軍は日本との関係が悪くないときには輸入していたそうですから,もしかすると正規に買ったものかもしれません.
 その他にも,コピー生産バージョンの十三式(民国十三年=1924年式でしょうか?)野砲というのもあったそうです.

印度洋一郎 in mixi,2007年12月03日 18:08〜12月06日 21:29


 【質問】
 中国って日本の終戦前に独自の軍備を生産していたのですか?

 【回答】
 中国で建造された軍艦は存在します.寧海級軽巡洋艦の二番艦「平海」がそれです.
 寧海級は中華民国海軍の艦艇として日本で設計が行われ,一番艦「寧海」は播磨造船所で建造されましたが,「平海」は播磨造船所から派遣された行員の指導の下,江南(上海)造船廠で1931年7月起工され,32年9月に進水しました.
 その後播磨造船所に回航され,儀装された後に36年6月竣工しています.
 この後37年に揚子江沿岸で日本海軍航空隊機の爆撃を受けて浸水擱座しますが,翌年日本軍が接収して浮揚し佐世保に回航し,しばらく放置された後,43年末、呉工廠で海防艦への改造工事に着手して,44年11月に二等巡洋艦「八十島」として再就役します.
 その直後フィリピン方面に出動し,11月25日 ルソン島西岸にて米軍機の爆撃を受け沈没しました.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

 自国の陸軍で使用するモーゼル小銃など小火器は国産化していました.
 また,150mmの中迫撃砲,240mmの重迫撃砲も確認されています.
 陸軍では上海工部局で1915年には急造ながら装甲車の製作を行なっています.
 なお,ヴィッカース6t戦車が「国産戦車」として内外に喧伝されたこともありますが,こちらは国産ではありません.
 航空機も海軍航空廠が上海にあり,1918年以来数種類の水上偵察機を製造しています.軽巡洋艦搭載用の偵察機は国産機です.
 空軍では広東省に飛行機工場があり,AP-1と言う軽爆撃機を製造しています.
 第二次大戦中は,Curtiss Hawk75(P-36の輸出簡易型)の製造を企画した他,Curtiss WrightのCW-21戦闘機の製造を行なおうとしていました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 南京政府軍について,その戦力規模,組織構成,使用した兵器,参加した戦闘及び戦果,敗戦後の経過について教えられたし.
 治安維持,及び河川哨戒規模で,軍隊とは呼べなかったのでは?と疑問に思っています.

 【回答】
 「もう一つの陸軍兵器史 知られざる鹵獲兵器と同盟軍の実態」(藤田昌雄著,光人社,2004.2) を買われると良いでしょう.

 南京政府軍は治安維持が主任務であり,昭和18年当時の総兵力は約40万人でした.
 装備はほぼ支那軍からの鹵獲品です.

 昭和18年における編成・配置は以下のとおりです.

警衛軍:首都警備
第一方面軍:中支
第二方面軍:中支北方
第一軍集団・第二軍集団:武漢方面
広州綏靖軍:南支方面
蘇豫邊區綏靖軍:北支〜中支
華北綏靖軍:北支

 また,南京政府海軍は警備舟艇を主力とした小規模な河川海軍で,河川の警備活動が主任務でした.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)


 【質問】
 大戦時の中国戦線の国民党の米軍式陸軍は強かったのでしょうか?

 【回答】
 強かった.
 この,いわゆる「美式中国軍」はインパール作戦において,北部ビルマで日本軍を壊滅に追い込んでいます.
 装備は米軍のものだし,訓練は行き届いていて,武器弾薬は豊富だし,衛生管理,兵站がしっかしている.そして何より給料がしっかり出るで(笑)

 一方,通常の国府軍の場合は指揮官が給料をピンハネするので,雀の給料でやる気無しだったそうです.

 もっとも,最初のうちは蒋介石に自由な指揮権がない上に,在中米軍司令官のスティルウェルと彼の仲が超絶に悪かったので,1944年(昭和19年)10月にウェデマイヤーが後任にやって来るまで,支那大陸では活躍させてもらえませんでした.
 支那では自分の指揮下にない軍隊は,敵とほぼ同義なので.

軍事板


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