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◆◆海軍
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 【link】

American Merchant Marine at War(英語)

Battleships Carriers and all other Warships(諸国海軍,リンク切れ)

『氷海のウラヌス』(赤城毅著)

 モチーフから登場人物の設定まで,すべてが,どこかで読んだ本や,いつか見た映画のいいとこどり.
 パッチワークさながらの物語では,人物の心理描写も戦闘シーンも,食い足らない出来にならざるを得ない.

 何より気になるのが,やたら多用される日本語単語への,ドイツ原語のルビ.
 作者は留学経験を持つドイツ近代史の研究者らしいが,知識のひけらかしもたいがいにせいや.
 読みにくいこと,極まりない.

 また,当時,ドイツは過酸化水素を用いた高速魚雷を開発,電池魚雷も7000m届いて,40knotクラスのタイプを実用化しつつあった.
 そこへ酸素魚雷が,日本のお土産?
 無意味であろう.
 無意味すぎてどうにもならない根本的問題点が全体を拘束,技術が判る者から見たら噴飯モノの作品となっている.

――――――軍事板,2010/11/14(日)
青文字:加筆改修部分

「ワレYouTube発見セリ」:Carrier Operations

「ワレYouTube発見セリ」:War in the Atlantic


◆◆総記


 【質問】
 光栄の『第2次大戦海戦事典』を読んで以来,航空機よりも艦船にwktkするようになってしまった.
 特に欧州の海戦とか.
 歴史や政治から軍事に興味を持つようになったのに,なんか道を踏み外し始めているような気がする….

 【回答】
 おお,欧州海戦に興味とわ,うれしいかぎり!同志よ.

 さあ,
サンケイ赤本「壮烈!ドイツ艦隊」
早川書房「海戦」ドナルド・マッキンタイア
早川文庫「U・ボート」「Uボートコマンダー」「イギリス潜水艦隊の死闘(上下)」
「バレンツ海海戦」「戦艦ビスマルクの最期」「駆逐艦キーリング」「女王陛下のユリシーズ」
「ラプラタ沖海戦」「ポケット戦艦」「高速戦艦脱出せよ!」「ティルピッツを撃沈せよ」「潜水艦戦争1939-1945(上下)」
「船団指揮官」「殊勲の駆逐艦」「戦艦レヴァイアサン」「巨大戦艦ビスマルク」
朝日ソノラマ「ドイツ海軍戦記」「第2次大戦海戦小史」「撃沈戦記1~4」
光人社NF文庫「死闘の海」「護衛空母入門」「輸送船入門」「戦時商船隊」「戦う民間船」「悲劇の輸送船」
「ドイツ海軍入門」「Uボート入門」
創元推理文庫「眼下の敵」
フジ出版「非情の海」「三隻の護送船」「呪われた海」

を探す作業に入るんだ!今すぐ!!

Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 個人的な好みから言うと,『ドイツ海軍入門』を外して『ヒトラーの戦艦』と入れかえて,ダグラス・リーマン物の『巡洋戦艦リライアント』と『大西洋,謎の艦影』を追加する.
 後者は訳がアレだし,リーマンはパターンだけど(笑)

 あと,『ドイツ海軍戦記』と『呪われた海』は同じ作者で,全く同じじゃないけど結構ネタ被ってる,ってのも教えておいてあげると親切かもしれないと思うんだ.
(積んであったバルバロッサの下に目を通しながら)

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大西洋の戦いを連合国視点で書いてものでは,どんな本がおすすめ?

 【回答】
ロジャー・ヒル著『死闘の駆逐艦』
 PQ17→ペデスタル→イタリア上陸→ノルマンディー→終戦後失業→沖仲仕という経歴を持つ英海軍少佐(正規)で駆逐艦艦長だった人の回想.

『海戦 連合軍対ヒトラー』まっきんたいあ「早川書房)

雰囲気だけなら以下もおすすめ
(船団護衛モノの海戦小説は良いのがいっぱい)

『非情の海』もんさらっと(フジ出版/再販:至誠堂)
『三隻の護送艦』もんさらっと(フジ出版)
『女王陛下のユリシーズ号』まくりーん(ハヤカワ)
『駆逐艦キーリング』ふぉれすたー(ハヤカワ)
『船団司令官』まかっちゃん(ハヤカワ)
『巡洋戦艦リライアント』りーまん(ハヤカワ)
『キャメロンの海戦〈1〉炎の駆逐艦』まかっちゃん(ハヤカワ)

 軍事板ではユリシーズが鉄板の人気ですが,わたしはあえてキーリング派である事を表明します.
 ユリシーズも好きですが,ちょっとお腹いっぱいの感があるので(笑)
 まあ,最期が超燃えというのは文句ありませんが(笑)

 大英帝国ばんじゃーい.

Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2010/05/03(月)
青文字:加筆改修部分

 う~ん,あたしゃ,リーマン派だな.
 そう言えば,ハーフハイドは結局中途半端に終わった様な.
 後,ナポレオン戦争を扱ったシリーズも,エジプトに渡ったところで尻切れトンボだし.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2010/05/03(月)
青文字:加筆改修部分

 中学生時にすべて読破した私に,隙はなかった(笑)

ゆうか ◆u8WC078ef5ch in 軍事板,2010/05/03(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 英ソ海軍協定の内容を教えられたし.

 【回答】
一,ソ連は1936年ロンドンにて締結せられた新海軍条約の質的制限及び建艦通報条項を受諾す.
二,ソ連は主力艦2隻,甲級巡洋艦7隻の建造権を確保す.ただし甲級巡洋艦の備砲口径は6インチとなす.
三,ソ連は新ロンドン条約の不建造地帯を受諾し,甲級巡洋艦7隻以外に
   8000t以上17500tの艦艇を建造せず.
四,日本が右の新条約(第2次ロンドン条約のこと)に参加しない限り,ソ連はその極東艦隊の排水量,備砲口径その他につき
   何等制限を受けず.ただしソ連は新協定の質的制限を超過する艦艇を極東から欧州に回航せず.

 出典は・・・忘れた(苦笑
 多分,戦史叢書とかその辺りだったと思うけど.

ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板


 【質問】
 戦時中の客船航路はどうしていたのでしょうか?
 朝鮮や満州への客船航路は運行されていたのでしょうか?
 英米客船航路も護送船団に組み込まれていたのでしょうか?

 【回答】
 青函連絡船は1940年10月10日以後,客貨便4便,貨物便8便で合計12往復.
 1943年3月以後は1日14往復で夜間航行まで行っています.
 1944年4月以後は客貨便が4往復に削減され,貨物が14往復に増やされました.
 更に1日21往復まで増やされましたが,1945年には第5青函丸が沈没,第9青函丸沈没で1日13往復に落ち込み,7月14~15日の空襲により,第7,第8青函丸以外の連絡船が撃沈され,以後は1日6往復も難しくなります.

 関釜連絡船は,1939年7月に1日3往復(夜間便1往復)の旅客便と2往復プラス臨時便の運行が行われていました.
 1941年4月には貨物便は新型船就航で1往復に集約されました.
 1942年11月からは便数はそのままですが,時刻が変更となり,1943年7月からは博多~釜山航路が補助航路として1往復開設されます.
 以後,時刻などは変更されませんが,10月に崑崙丸が撃沈され,1945年4月には興安丸が触雷,新羅丸,金剛丸が運行不能や撃沈され,6月20日以後は,関釜,博釜の両航路とも事実上運航停止となります.

 稚泊連絡船は1941年12月以降,1往復が維持されていたものの1945年8月にソ連軍が侵攻した為,8月23日までに宗谷丸が3往復し,24日に航路が閉鎖されました.

 その他の外洋航路は船がないので,次第に縮小され,1945年以後は全く運行されていません.

 因みに米国や英国の場合は,護送船団ではなく,独航船で運行することが多かったりしています.
 また,米国では人員輸送用に戦時標準船形の客船を建造し,師団を一気に輸送したりしています.

 後,スウェーデンとドイツなどのバルト海航路,ポルトガルやスペイン本国と自国植民地の航路は連合国や枢軸国の了承の下,運航されています.
 この場合,船腹に大きく中立国の国旗を描き,夜間も灯火を赤々と付けた形での航行です.
 こうした経路で,英国や米国から引き揚げた日本の外交官が,欧州に赴任するケースもあったりしました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分



 【質問】
 独航とはつまり,英米や米仏といった民間人用の大西洋客船航路はWW2中も中断されなかったという認識でよろしいのでしょうか?
 また,上記の船でUボートに撃沈されたことはあったのでしょうか?

 【回答】
 あ,書き方悪かったですね.
 民間人用の客船航路としては,既に閉鎖されています.

 米国から英国などに行く民間人は,政府とか産業関係の人々が多く,民間人は軍属とかにでも成らない限り,行くことが出来ません.
 大戦後期では,そう言った人々は航空機(C-54やランカストリアンなど)での輸送も行われたりしていますが.

 なお,中立国から交戦国に行く航路は一応生きています.
 日本が太平洋戦争に参戦していない時代,英国やイタリアから日本に向けて航海する航路は維持出来ていました.
 1940年11月に最後の日英航路の船舶が運航されています.

 また例えば,1941年まではスウェーデンから米国に行く航路がありますが,亡命者達の需要には全く応えられません.
 スウェーデンでは数千人の亡命者に対し,数隻の船に数席の客席しかない状態でした.
 南米なら少しだけ余裕はありましたが,それでもプラチナチケットであることには変り有りません.

 連合国の船で,独航船で撃沈されたのは,U32に撃沈されたエンプレス・オブ・ブリテンが最大の船ですね.
 1940年にFw-200によって損傷を受け,その後,連絡を受けたU32が3本の魚雷で沈めたのがあります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WW2で連合国並びに中立国が喪失した船舶の推移を教えられたし.

 【回答】
 レオンス=ペイヤール「大西洋戦争」を出典として

             北大西洋           南大西洋         イギリス周辺         その他           合計
1939年9月  10万4829トン( 19隻),    5051トン( 1隻), 8万4965トン(33隻),       0トン(  0隻),19万4845トン(53隻)
1939年10月 11万0619トン( 18隻), 2万2368トン( 4隻),16万3368トン(24隻),       0トン(  0隻),19万6355トン(46隻)
1939年11月  1万7895トン(  6隻),       0トン( 0隻),15万6374トン(44隻),       0トン(  0隻),17万4269トン(50隻)
1939年12月  1万5852トン(  4隻), 2万1964トン( 3隻),15万2952トン(65隻),       0トン(  0隻),19万0768トン(72隻)

1940年1月   3万5970トン(  9隻),       0トン( 0隻),17万8536トン(65隻),       0トン(  0隻),21万4506トン( 73隻)
1940年2月   7万4759トン( 17隻),       0トン( 0隻),15万2161トン(46隻),       0トン(  0隻),22万6920トン( 63隻)
1940年3月   1万1215トン(  2隻),       0トン( 0隻), 9万5794トン(43隻),       0トン(  0隻),10万7009トン( 45隻)
1940年4月   2万4570トン(  4隻),       0トン( 0隻),13万3648トン(54隻),       0トン(  0隻),15万8218トン( 58隻)
1940年5月   4万9087トン(  9隻),    6199トン( 1隻),23万0607トン(90隻),    2568トン(  1隻),28万8461トン(101隻)
1940年6月  29万6529トン( 53隻),       0トン( 0隻),20万8924トン(77隻), 8万0043トン( 10隻),58万5496トン(140隻)
1940年7月  14万1474トン( 28隻), 3万1269トン( 6隻),19万2331トン(67隻), 2万1839トン(  4隻),38万6913トン(105隻)
1940年8月  19万0048トン( 39隻),       0トン( 0隻),16万2956トン(45隻), 4万4225トン(  8隻),39万7229トン( 92隻)
1940年9月  25万4553トン( 52隻), 1万7801トン( 1隻),13万1150トン(39隻), 4万5117トン(  8隻),44万8621トン(100隻)
1940年10月 28万6644トン( 56隻),       0トン( 0隻),13万1620トン(43隻), 2万4721トン(  4隻),44万2985トン(103隻)
1940年11月 20万1341トン( 38隻),       0トン( 0隻), 9万2713トン(48隻), 9万1661トン( 11隻),38万5715トン( 97隻)
1940年12月 23万9304トン( 42隻),       0トン( 0隻), 8万3308トン(34隻), 2万6956トン(  6隻),34万9568トン( 82隻)

1941年1月  21万4382トン( 42隻), 5万8585トン(17隻), 3万6975トン(15隻), 1万0298トン(  2隻),32万0240トン( 76隻)
1941年2月  31万7378トン( 69隻),       0トン( 0隻), 5万1381トン(26隻), 3万4634トン(  7隻),40万3393トン(102隻)
1941年3月  36万4689トン( 63隻),       0トン( 0隻),15万2862トン(73隻), 1万2155トン(  3隻),52万9706トン(139隻)
1941年4月  26万0451トン( 45隻), 2万1807トン( 3隻), 9万9031トン(40隻),30万6612トン(107隻),68万7901トン(195隻)
1941年5月  32万4550トン( 58隻), 1万1339トン( 2隻),10万0655トン(99隻), 7万4498トン( 20隻),51万1042トン(139隻)
1941年6月  31万8740トン( 68隻), 1万0134トン( 2隻), 8万6381トン(34隻), 1万6770トン(  5隻),43万2025トン(109隻)
1941年7月   9万7813トン( 23隻),       0トン( 0隻), 1万5265トン(18隻),    7897トン(  2隻),12万0975トン( 43隻)
1941年8月   8万3661トン( 25隻),       0トン( 0隻), 1万9791トン(11隻), 2万7238トン(  5隻),13万0699トン( 41隻)
1941年9月  18万4593トン( 51隻), 1万5526トン( 2隻), 5万4779トン(18隻), 3万1091トン(  8隻),28万5942トン( 84隻)
1941年10月 15万4593トン( 32隻),    5297トン( 1隻), 3万5996トン(12隻), 2万2403トン(  6隻),21万8289トン( 51隻)
1941年11月  5万0215トン( 10隻),    4953トン( 1隻), 3万0332トン(20隻), 1万9140トン(  4隻),10万4640トン( 35隻)
1941年12月  5万0682トン( 10隻),    6275トン( 1隻), 5万6845トン(19隻),46万9904トン(255隻),58万3706トン(285隻)

1942年1月  27万6795トン( 48隻),       0トン( 0隻), 1万9341トン(14隻),12万3771トン( 44隻),41万9907トン(106隻)
1942年2月  42万9891トン( 73隻),       0トン( 0隻), 1万1098トン( 5隻),23万8643トン( 76隻),67万9632トン(154隻)
1942年3月  53万4064トン( 95隻), 1万3125トン( 3隻), 1万5147トン( 8隻),27万1828トン(167隻),83万4164トン(273隻)
1942年4月  39万1044トン( 66隻), 4万8177トン( 8隻), 5万4589トン(14隻),18万0647トン( 44隻),67万4457トン(132隻)
1942年5月  57万6350トン(120隻),    9081トン( 2隻), 5万9396トン(14隻), 6万0223トン( 15隻),70万5050トン(151隻)
1942年6月  62万3545トン(124隻), 2万6287トン( 4隻),    2655トン( 5隻),18万1709トン( 40隻),83万4196トン(173隻)
1942年7月  48万6965トン( 98隻), 2万3972トン( 3隻), 2万2557トン( 9隻), 8万4619トン( 18隻),61万8113トン(128隻)
1942年8月  50万8426トン( 96隻), 3万5494トン(10隻),        トン( 0隻),11万7213トン( 17隻),66万1133トン(123隻)
1942年9月  47万3585トン( 95隻), 5万7797トン( 7隻),    1892トン( 1隻), 3万4053トン( 11隻),56万7327トン(114隻)
1942年10月 39万9715トン( 62隻),14万8142トン(20隻), 1万2733トン( 6隻), 7万7243トン( 13隻),63万7833トン(101隻)
1942年11月 50万8707トン( 83隻), 5万8662トン(10隻),    6363トン( 5隻),23万4022トン( 36隻),80万7754トン(134隻)
1942年12月 26万2135トン( 46隻), 4万3496トン( 8隻),    9114トン(10隻), 3万6386トン( 11隻),35万1131トン( 75隻)

1943年1月  17万2691トン( 27隻), 1万5819トン( 4隻), 1万6116トン( 3隻), 5万6733トン( 16隻),26万1359トン( 50隻)
1943年2月  23万8625トン( 46隻),    4925トン( 2隻), 2万1656トン( 4隻), 8万7856トン( 21隻),40万3062トン( 73隻)
1943年3月  47万6349トン( 82隻),     884トン( 2隻), 6万1462トン( 8隻),15万4694トン( 28隻),69万3389トン(120隻)
1943年4月  23万5478トン( 39隻),    9926トン( 5隻),    7129トン( 1隻), 9万2147トン( 19隻),34万4680トン( 64隻)
1943年5月  16万3507トン( 34隻),    1568トン( 1隻), 4万0523トン( 6隻), 9万3830トン( 17隻),29万9428トン( 58隻)
1943年6月   1万8379トン(  4隻),     149トン( 1隻), 1万1587トン( 3隻), 9万3710トン( 20隻),12万3825トン( 28隻)
1943年7月  12万3327トン( 18隻),      72トン( 1隻), 6万4478トン(11隻),17万7521トン( 31隻),36万5398トン( 61隻)
1943年8月   1万0186トン(  2隻),      19トン( 1隻), 1万5368トン( 2隻), 9万4228トン( 20隻),11万9801トン( 25隻)
1943年9月   4万3775トン(  8隻),       0トン( 0隻), 1万0770トン( 3隻),10万1874トン( 18隻),15万6419トン( 29隻)
1943年10月  5万6422トン( 12隻),       0トン( 0隻),    4663トン( 1隻), 7万8776トン( 16隻),13万9861トン( 29隻)
1943年11月  2万3077トン(  6隻), 1万3036トン( 7隻),    4573トン( 1隻),10万3705トン( 15隻),14万4391トン( 29隻)
1943年12月  4万7785トン(  7隻),    6086トン( 1隻),       0トン( 0隻),11万4653トン( 23隻),16万8524トン( 31隻)

1944年1月   3万6065トン(  5隻),       0トン( 0隻),    6944トン( 3隻), 8万7626トン( 13隻),13万0635トン( 26隻)
1944年2月   1万2577トン(  2隻),       0トン( 0隻),    4051トン( 3隻),10万0227トン( 18隻),11万6855トン( 23隻)
1944年3月   3万6867トン(  7隻),    4695トン( 1隻),       0トン( 0隻),11万6398トン( 17隻),15万6398トン( 25隻)
1944年4月   3万4224トン(  5隻), 1万3539トン( 2隻),     468トン( 1隻), 3万4141トン(  5隻), 8万2372トン( 13隻)
1944年5月         0トン(  0隻), 1万7277トン( 3隻),       0トン( 0隻), 1万0020トン(  2隻), 2万7297トン(  5隻)
1944年6月      4294トン(  2隻),    3268トン( 1隻), 7万5166トン(19隻), 2万1356トン(  4隻),10万4084トン( 26隻)
1944年7月   1万5480トン(  2隻), 1万4062トン( 2隻), 1万9038トン( 8隻), 3万0176トン(  5隻), 7万8756トン( 17隻)
1944年8月      5685トン(  1隻),       0トン( 0隻), 5万4834トン(12隻), 5万7785トン( 10隻),11万8304トン( 23隻)
1944年9月   1万6535トン(  3隻),       0トン( 0隻), 2万1163トン( 3隻),    7107トン(  2隻), 4万4805トン(  8隻)
1944年10月        0トン(  0隻),       0トン( 0隻),    1722トン( 2隻),    9946トン(  2隻), 1万1668トン(  4隻)
1944年11月     7828トン(  3隻),       0トン( 0隻),    8880トン( 3隻), 2万1272トン(  3隻), 3万7980トン(  9隻)
1944年12月     5458トン(  1隻),       0トン( 0隻), 8万5639トン(18隻), 4万3816トン(  7隻),13万4913トン( 26隻)

1945年1月   2万9168トン(  5隻),       0トン( 0隻), 4万6553トン(12隻),    7176トン(  1隻), 8万2897トン( 18隻)
1945年2月   3万2453トン(  5隻),    7136トン( 1隻), 4万8551トン(19隻),    7176トン(  1隻), 9万5316トン( 26隻)
1945年3月   2万3684トン(  3隻),    3656トン( 1隻), 8万3864トン(23隻),       0トン(  0隻),11万1204トン( 27隻)
1945年4月   3万2071トン(  5隻),       0トン( 0隻), 4万9619トン(14隻), 2万2822トン(  3隻),10万4512トン( 22隻)
1945年5月      5353トン(  1隻),       0トン( 0隻),    4669トン( 2隻),    7176トン(  1隻), 1万7198トン(  4隻)
1945年6月         0トン(  0隻),       0トン( 0隻),       0トン( 0隻), 1万8615トン(  2隻), 1万8615トン(  2隻)
1945年7月         0トン(  0隻),       0トン( 0隻),      39トン( 2隻),    7198トン(  1隻),    7237トン(  3隻)
1945年8月         0トン(  0隻),       0トン( 0隻),      36トン( 1隻),    1806トン(  2隻),    1842トン(  3隻)

ゆうか ◆9a1boPv5wk


 【質問】
 WW2における船舶喪失推移を,原因別にて教えられたし.

 【回答】
 レオンス=ペイヤール「大西洋戦争」を出典として

1939年
潜水艦  42万1156トン(114隻)
飛行機      2949トン( 10隻)
機雷    26万2542トン( 78隻)
軍艦     6万1337トン( 15隻)
襲撃艦         0トン(  0隻)
その他      7253トン(  4隻)
合計    75万6237トン(221隻)

1940年
潜水艦 218万6158トン(471隻)
飛行機  58万0074トン(192隻)
機雷    50万9889トン(201隻)
軍艦     9万6986トン( 17隻)
襲撃艦  36万6644トン( 54隻)
その他  25万1890トン(124隻)
合計   399万1641トン(1059隻)

1941年
潜水艦 217万1754トン(432隻)
飛行機 101万7422トン(371隻)
機雷    23万0842トン(111隻)
軍艦    20万1823トン( 40隻)
襲撃艦  22万6527トン( 44隻)
その他  48万0190トン(301隻)
合計   432万8558トン(1299隻)

1942年
潜水艦 626万6215トン(1160隻)
飛行機  70万0020トン(146隻)
機雷    10万4588トン( 51隻)
軍艦    13万0461トン( 31隻)
襲撃艦  19万4625トン( 30隻)
その他  39万4788トン(246隻)
合計   779万0697トン(1664隻)

1943年
潜水艦 258万6905トン(463隻)
飛行機  42万4411トン( 76隻)
機雷    10万8658トン( 37隻)
軍艦           0トン(  0隻)
襲撃艦   4万1848トン(  5隻)
その他   5万8315トン( 16隻)
合計   322万0137トン(597隻)

1944年
潜水艦  77万3327トン(132隻)
飛行機  12万0656トン( 19隻)
機雷     9万5855トン( 28隻)
軍艦        7840トン(  1隻)
襲撃艦         0トン(  0隻)
その他   4万7951トン( 25隻)
合計   104万5629トン(205隻)

1945年
潜水艦  28万1716トン( 56隻)
飛行機   4万4351トン(  6隻)
機雷     9万3663トン( 28隻)
軍艦           0トン(  0隻)
襲撃艦         0トン(  0隻)
その他   1万9091トン( 15隻)
合計    43万8821トン(105隻)

ゆうか ◆9a1boPv5wk


 【質問】
 ドイツ海軍とソ連海軍の水上艦が交戦した例はないんですか?

 【回答】
1941年6月27日に駆逐艦ストロジェヴォイが魚雷艇S31と交戦し,魚雷1本を受け艦首を失う.
1941年7月27日,駆逐艦スメルイが魚雷艇S54と交戦し,雷撃で撃沈.
1943年1月,駆逐艦トビリシとバクーが敷設艦スカゲラックと掃海艇2隻と短時間交戦.
1943年1月,ヴァドソー沖海戦(別項参照)▲
といった例がある.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハンガリーのドナウ河川艦隊について教えてください.

 【回答】

 東欧には大河が縦横に走っていて,河川艦隊を保有している国も多い.
 マジャール王国はダニューヴ河警備のための小艦隊を保有していた.
 今でも,河川掃海艇の部隊を有しているが….

 大戦中のものは,いずれも旧二重帝国の海軍艦艇を引き継いだもの.

 最大のものは1928年に建造された補給艦Csobancで305t.

 戦闘艦艇で最大のものは,1918年建造のBaja,Győr,Debrecenの三隻の河川哨戒艇で,140t.
 これらは,AEGのTurbineを搭載して15ktを出す高速船で,70mm砲を前後に2門,機関銃を2丁搭載している.
 元々は,二重帝国軍向けだったが,Debrecen完成後に帝国が崩壊し,共産政府に接収され,更に白軍に没収されたもの.
 なので,艦名も二転三転している.

 他にも,Szeged,Kecskemét,Sopronと言った哨戒艇があり,いずれも70mm砲を2門搭載し,機関銃2丁と変わらない.

 Gödöllőだけは,70mm砲1門だけだが,1ポンド対空砲を1門有し,機関銃を3丁搭載している.
 この艇は,最初二重帝国の哨戒艇Kとして建造され,Czukaとして1916年に完成,その後共産政府に接収され,Siofokと命名された.
 しかし,反革命でチェコ・スロヴァキア軍に接収され,Boragoとなり,更に解体に伴ってGödöllőとなった,流転の艦艇だったりする.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/02/09
青文字:加筆改修部分

 艦の名前の読み方を調べてみました.

Baja(バヤ)
Győr(ジェール)
Debrecen(デブレツェン)
Szeged(セゲド)
Kecskemét(ケチケメート)
Sopron(ショプロン)
Gödöllő(ゲデレー)
 エリザベート皇妃の離宮のあった街ですが,ハンガリー語の発音だとグドゥルーに近いように聞こえます.
 「ゲデレーに行きたい」といっても通じませんでした.
Siofok(シオフォーク)
 バラトン湖半の別荘地で有名な街.
Sava(サヴァ)
 ハンガリー南部の大河.
Inn
 たぶんイン川でしょう.
 ドイツとオーストリアの国境でドナウに合流する川だと思います.
Temes(テメシュ)
 ハンガリー王国の県の名前.
 今のルーマニアのティミショアラの周辺.
 ティミショアラはハンガリー語ではテメシュヴァール.
Ardeal(アルディアル
 ルーマニア語のトランシルバニアのことです.
 ハンガリー語ではエルデーイ,ドイツ語ではジーベンビュルゲン.

ギシュクラ・ヤーノシュ : 軍事板,2003/02/09
青文字:加筆改修部分


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー水軍の軍装は?
Milyen katonai egyenruhák voltak a magyari flotta a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 こちらがハンガリー水軍の将兵
こちらより引用)
 袖の階級章は,背景色は濃い青.
 JNCO(初級士官)の階級章には錨が,NCOのそれには聖なる王冠&錨がついた.
 ズボンはパンタロン型.

 これは水軍の「嵐コート」
こちらより引用)
 荒天時,水兵が着用した.

 これは水軍志願兵用のジャケット.
こちらより引用)
 フィールド・ブラウン色.
 夏用の綾織のものもあった.
 勤務中や正装として着る時には白い胸当てを着けることで,「海軍らしさ」を演出した.

 これは水軍将校用のジャケット.
(引用元・同上)
 陸軍の39.Mジャケットのように,下士官用と将校用とでは,ボタンや肩のストラップに違いがあった.
 ジャケットにはフィールド・ブラウン,白,黒の3色があった.
 黒い種類のものはコートのようなデザインになっており,将校が蝶ネクタイとともに着用するものだった.
 白のほうも将校が着るもので,夏用だった.
 パンタロンは合う色のものを履いた.
 画像の制服は掌帆二等兵曹のもので,スリーヴ上の階級章でそれを確認できる.
 戦闘服として着用するときには,下士官・将校はベージュのシャツと茶色のタイを,フィールド・ブラウン・ジャケットの下に着用し,勤務服として着用するときには白シャツを身に着けた.

▼ これはベルトのバックル.
こちらより引用)
 ベルト自体は陸軍と共通.
 ただし,将校には勤務服や正装用の黒いベルトもあった.▲

 なお,例によって誤訳御免.

 【関連リンク】
http://live.warthunder.com/post/409758/en/
 水軍軍装写真8枚

mixi, 2017.3.22
2017.4.17追記


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー水軍の軍帽は?
Milyen sapka volt a Magyar Királyi Honvéd Folyamerők a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 こちらは水軍のベレー帽
 参謀本部要員のみが着用した.
 帽子にある帯の文字は,"M. KIR. HONVÉD FOLYAMI ERŐK".
 "Magyar Királyi Honvéd Folyami Erők"の略記で,これを直訳すると「ハンガリー王国軍河川軍」.
 1938年からこの略記は使われた.
 "M. KIR HONVÉD FOLYAMERŐK"と略記されている場合もあった.
 帯の反対側には,帽子をかぶっている当人が乗り組む船の名前が刺繍されていた.
 帽子の水軍記章はブロンズ製.

 こちらは水軍の勤務帽
 下士官,准士官,将校や将軍が着用した.
 アイ・シェードは帽子と同じ材質.
 下士官の帽子には銀のストライプとボタンと徽章,予備役下士官 hadapród のものには茶色のストライプがついた.
 どちらの帽子にも,アイ・シェードに4mm幅のストライプがあった.
 准士官 Sub-ensign のものには8mm幅の縁取りが,アイ・シェードについていた.
 WOと将校の帽子はストライプ,記章,ボタンは金色だった.
 WOと下級士官のアイ・シェードには4mm幅,上級士官のものには8mm幅の金のストライプがついた.
 将軍のものにはオークの飾りがあった.
 帽子の色はフィールド・ブラウン,白,黒(濃青)の3つがあった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/407634/en/
(画像引用元も同じ)

2017.4.12


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー水軍の刀剣は?
Milyen kardok voltak a Magyar Királyi Honvéd Folyamerők a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 写真1は水軍栄誉装飾短剣 Folyamerők tiszti dísztőr.
 下士官と将校の勤務服および正装用だった.
 全くの儀典用で,刀身には刃はついていなかった.
 短剣自体も鞘も金色.
 この短剣は黒いベルトと共に着用するようになっていたが,空軍とは異なり,茶色のベルトと共に着用することも許可されていた.

 写真2はサーベル.
 これも下士官や将校の勤務服および正装用.
 サーベルが必要な儀典のときのような特定の状況を除き,短剣とサーベルのどちらを帯びるかは着用者本人が決定していた.
 通常,船上では短剣だった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/409316/en/ ※写真1~2引用元

2017.4.25


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリーの機雷戦について教えてください.
Kérem, mondja meg nekem, milyen az magyari aknaharca volt a masodik világháborúban.

 【回答 válasz】
 第一次大戦の結果,海への出口を失い,内陸国となったハンガリー.
 だが,ドナウ Duna 川では河川艦隊が引き続き存在し,機雷戦もこの川において展開された.

 ハンガリー河川艦隊がオーストリア=ハンガリーから継承した機雷は,主に2種.

 16.M S型浮遊機雷 "S" (sodor) akna は,1915~1916年に開発されたもの.
 炸薬量はTNT 25~200kg.
 ただし,実戦には使用されていない.

 もう一つが18.M E型触発機雷 "É" (érintő) akna で,第一次大戦末期に使用されていたもの.
 炸薬量はTNT 200kg.
 化学信管つき.
 水面下に浮かぶようになっており,深度調節が可能.
 安全装置もついていた.
 ケーブルで錨に繋がっており,このケーブルが切れると爆発する仕組みだった.

 1928年,この陣容に28.M E型機雷が加わった.
 E型の名が示すように,これも触発機雷で,だいたい深度50mの深さに沈めて用いられる設計だった.

 1935年,ハンガリー軍はもう一つ新型機雷を制式採用した.
 それが35.M M型感応機雷 "M" (Megfigyelt) akna .
 海底の係維器に係維索を持って水面下の任意の深度に機雷缶を係留する係維式で,電気信管で爆発した.
 炸薬量はTNT 100~300kg.

 一方,掃海のほうではダイバー・スーツを着用して行われた.
 ダイバーは全身を覆う2層の羊毛の服を着用し,次に含浸した麻の服を着用.
 その上にゴム製のダイバー・スーツを着用し,更にその上に,ラバー・スーツを保護するリネン・スーツを着用する必要があった.
 ダイバーは掃海だけでなく,自軍機雷の修理や回収も行った.

 【参考ページ】
http://makettinfo.hu/forum/image.php?img_id=372125&size=full#image_372125
http://live.warthunder.com/post/547043/en/
http://live.warthunder.com/post/376256/en/
http://newfront.ca/data/documents/MAGYAR-FRONT-FALL-2012.pdf

各種機雷
左から18.M,35.M,18.M
(こちらより引用)

28.M機雷敷設訓練の様子
(こちらより引用)

ダイバー・スーツ
こちらより引用)

mixi, 2017.2.19


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリーのドナウ~海洋商船隊について教えてください.
Kérjük, mondja el magyari Duna - tengeri kereskedelmi flotta a második világháborúban.

 【回答 válasz】
 第一次大戦の敗北により,内陸国となってしまったハンガリー.
 だが,産業のためには輸出が必要だった.
 外国の港の施設を借りると高価くつく.
 そこで政府は,ドナウ川を下って海に出ることができないものか?と考えた.
 ドイツではライン川を下って,そのまま外洋を航行することができる船を既に造っていたからだ.

 1928年,ハンガリー政府はドイツから老朽船「Liselotte」を購入.
 ドナウ川を下った船が,そのまま海を航行できるかどうかを試験した.
 テストは成功.
 船は川底の深いドナウ川を航行して,そのまま黒海に出ることができ,海上での暴風雨にも耐えることができた.

 次にハンガリーは1933年,オランダから「Apollinaris II」を購入し,梱包貨物を搭載しての試験を行った.
 このテストにも成功.
 船はブダペシュトからエジプトのアレクサンドリアまで航行することができたのである.
 ハンガリー政府は直ちにドナウ~外洋航行船の開発・建造を命じた.

 1934年,ハンガリーの「ネプトゥン海洋航海株式会社 Neptun Sea Navigation Co. 」は,フランスの河川航行船「Marquise de Lubersac」を購入し,「ドゥナ Duna」と改名した.
 この船は2軸の大型汽船 twin-screw steamship (TSS).
 同年,ガンツ社は国産初のドナウ~外洋航行船「ブダペシュト」を建造した.
 この「ブダペシュト」はディーゼル船で,同船を含めて以下が建造された.
(年は竣工年)

「ブダペシュト」級
1934 - MS Budapest ブダペシュト

「セゲド」級
1936 - MS Szeged セゲド

 「ティサ」級
1937 - MS Tisza ティサ
1939 - MS Kassa カッシャ
1941 - MS Ungvár ウングヴァール および MS Kolozsvár コロジュヴァール
1944 - MS Komárom コマーロム (米軍機の空爆により未就役 ⇒ 賠償船としてソ連に引き渡し)

「ソルノク」級
1944 - MS Solnok(未成 ⇒ 賠償船としてソ連に引き渡し)

 これらは全て都市の名がつけられている.
 これらの船舶は,ハンガリー王立ドナウ~海洋航行会社 Magyar (Királyi) Duna-Tengerhajózási RT (DTRT)が所有した.
 他にも主なところで2社ほどあった.

 第二次大戦が始まると,これらの船も戦争から逃れることはできなかった.

 1939年,「ティサ」と「「ドゥナ」は,まだハンガリーが参戦していなかったにもかかわらず,英海軍の軽巡洋艦アレスーサ HMS Arethusa によって鹵獲されてマルタに連行.
 「ドゥナ」は1940年4月に座礁して,二度とハンガリーには戻れなかった.

 ハンガリーが参戦すると,残る船は軍に傭船され,「コロジュヴァール」は大破.
 敗戦により「ブダペシュト」「セゲド」「カッシャ」はオーストリアへ逃げて,船員は連合軍に降伏.
 残る船は,修理中の「コロジュヴァール」を含め,ソ連軍によって一時接収.

 幸いなことにソ連に取られたのは「コマーロム」「ソルノク」だけで,戦後も生き残りの船はドナウ川運送に従事.
 戦後の新造船も加わって,外国企業に売却される1980年までDTRTは事業継続しましたとさ.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/541804/en/
http://www.mateinfo.hu/a-elod-davidhazy.htm
http://www.hajoregiszter.hu/tarsasagok/belvizi/dtrt_magyar_kiralyi_duna-tengerhajozasi_rt/23
http://uni-nke.hu/downloads/kutatas/folyoiratok/hadtudomanyi_szemle/szamok/2010/2010_2/2010_2_hm_zsigmond_gabor_26_33.pdf
http://www.costadelsolmagazin.com/content/magyar-duna-tengerjaro-hajozas-masodik-vilaghaboru-idejen

「カッシャ」
(こちらより引用)

「ティサ」
こちらより引用)

mixi, 2017.3.5

 「ティサ」の写真に写ってる橋は,戦災で破壊された旧エルジェーベト橋ですね.

ギシュクラ in mixi, 2017年03月05日


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリーの空母について教えてください.

 【回答 válasz】
 第一次大戦の敗北により,海を失ったハンガリー.
 だが,ハンガリーはドナウ川から外洋に出ることができる商船の保有・建造を計画し,それを実現させることができた.

 商船の次は軍艦の番だ.
 国家指導者(摂政)はホルティ海軍提督であったから,その強い後押しもあって,ハンガリー外洋艦隊建設が構想された.

 ただ,問題があった.
 いかにドナウ川が大河といえど,川底は海底に比べれば浅い.
 軍艦も川底に擦らないよう,喫水を浅くせざるを得ず,そうなると一定以上の大型艦を建造することが物理的に不可能となることだった.
 商船でも河川・外洋両用で最大のものは4000総トン程度.
 総トン数と軍艦の基準排水量とでは簡単に比較はできないが,軽巡が関の山だ.
 護衛艦はそれでいいとしても,主力艦が軽巡では,ちと貧弱な艦隊になってしまう.

 ところが,世の中には奇抜な発想をする者がいるもので,縦に深く作れないなら,横に広く作ればいいと考えた技師がいる.
 航空技師のルビク・エルネー Rubik Ernő (1910~1997)
https://hu.wikipedia.org/wiki/Rubik_Ern%C5%91_(g%C3%A9p%C3%A9szm%C3%A9rn%C3%B6k)
で,ルービック・キューブを発明したルビク・エルネーの父親でもある.
 何でも,フロートつきの水上飛行機を見て,それを思いついたという.
 ルビク技師の案は,船の胴体を二つ作って,それを横につなげるというもので,要は双胴船である.

 ただ,それでも戦艦の如き巨砲は積めない.
 小口径砲では射程が稼げない.
 こっちの砲が届かない内に,敵戦艦の主砲に滅多撃ちされるだけである.
 そこで建造するのは空母ということになった.
 空母なら戦艦の主砲では届かない距離まで飛行機を飛ばせて行って,爆弾を落とせるからである.

 しかしなにしろハンガリーで空母を建造するのは初めてのことだったので,計画される艦載機数は40機程度と,あまり冒険はしないことにした.
 格納庫は1層で,そこに25~30機程度しまい込み,残りは飛行甲板上に繋げたままにしておく.
 艦載機はハンガリーでライセンス生産する予定のイタリア機 Re2001が選ばれた.
 イタリアでは商船を空母に改造していて,その艦載機がRe2001だと聞いたからである.

 プランはだいたいこのように決まった.
 けれど造艦はノウハウも必要.
 まして双胴となると,世界の中でもレアである.
 ガンツ社の造船所では,さんざん頭を悩ませ,さんざん試行錯誤を重ねた.

 なので建造はちっとも進まない.
 そうこうしているうちに第二次大戦が始まってしまった.
 こうなると,戦車や小銃や弾薬といった,もっと差し迫った需要に工業力も資材も振り向けられることになり,建造は事実上中止となった.
 ホルティ提督はさぞやがっかりしたに違いない.

 艦の2つの胴体は,造船ドックの中で暫く放置されていたが,戦争は日に日に不利になるばかり.
 とうとうソ連軍がハンガリー領内に雪崩れ込んできて,ブダペシュトも包囲されんばかりの状況となった.
 市民や傷病兵を急ぎ避難させねばならぬ.
 そこで二つの船の胴体は,ドックから引っ張り出され,避難民を満載してタグボートに曳かれ,ドナウ川をウィーンへと遡って行った.
 そしてライン・マイン・ドナウ運河に入り,北海へ脱出したとも,キール近くで自沈したとも伝えられている.

 1993年,ハンガリーの公共放送局 MTV (Magyar Televízió)が調査を行ったが,今も発見されていないという…

 【参考ページ】
https://hu.wikipedia.org/wiki/Rubik_Ern%C5%91_(g%C3%A9p%C3%A9szm%C3%A9rn%C3%B6k)
http://www.shipmodell.com/

https://www.youtube.com/watch?v=MXd1HYW71RY

2017.4.1
注意! この項はエイプリル・フールのネタです


 【質問】
 ドイツ軍のポーランド侵攻時,ポーランド海軍はどんなことをしていたのですか?

 【回答】
 その前の1939.11.18には,英ポ海軍協定が結ばれていた.
 これは,乗員の階級や軍規などはそのまま維持されるものの,ポーランド海軍艦艇は英軍の指揮下に入るというものだった.
 そしてドイツ軍がデンマークやノルウェーに侵攻すると,ポーランド艦艇の主力は英海軍と合流し,開戦後には潜水艦も脱出してきて,自由ポーランド海軍を編成することとなった.


 山崎『ポーランド電撃戦』,p266-267より.

――――――
 ポーランド海軍は,総員三一〇〇人の将兵と,駆逐艦四隻と潜水艦五隻,掃海艇六隻,機雷敷設艦一隻などで構成されていたが,大型の主力艦(戦艦や巡洋艦)を持たず,ドイツ海軍に正面から水上戦を挑む能力を有してはいなかった.
 そして,保有する四隻の駆逐艦のうち,フランス製のブルザ(嵐)と,国産のグロム(雷光)およびヴリスカヴィツァ(電光)の三隻は,開戦直前の八月三十日に,英海軍と合流するためにグディニアを出港し,デンマーク海峡へと向かっていた.
 ポーランド海軍は,ドイツ海軍に緒戦で撃滅されるのを避けるため,最も重要な艦(駆逐艦)の大半をイギリスに逃がすという,苦渋の決断を強いられていた>のである.
――――――

 また,Wikipediaの「ペキン作戦」の項目にはこう書かれている.

――――――
 ペキン作戦はポーランド海軍の駆逐艦3隻をイギリスへ脱出させるという作戦である.
 ドイツとの戦争になった場合,バルト海にいては容易にドイツ軍によって沈められてしまうと思われることからこの作戦が立案された.
 ドイツ軍によるポーランド侵攻の直前に駆逐艦ブルザ,ブリスカヴィカ,グロムの3隻がポーランドを離れ,イギリスへ無事に着いた.
 3隻の駆逐艦は1939年8月30日の14時15分>にポーランドを離れた.
――――――

軍事板,2010/04/22(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 CVやDDみたいな艦記号は,アメリカ以外では使われていなかったのですか?

 【回答】
 隻数の少ないドイツはもとより,英国,日本でも一部の艦にしかそうした艦種記号は適用されていません.
 英国の場合は,集団機動する駆逐艦にHとかDと言う記号と番号が振られていました.
 日本の場合も,略号として或る程度使っていた様ですが,一般的ではありませんでした.

 英国については,戦後に復活し,空母は,R+数字,巡洋艦がC+数字,駆逐艦がD+数字,フリゲートがF+数字,
 潜水艦がS+数字,敷設艦がN+数字,掃海艦艇がM+数字,哨戒艦艇がP+数字,揚陸艦艇がL+数字,その他,A,K,Yなどが特務艦に割り当てられています.
 但し,数字については,適当に振っているので,例えば,R05はInvincibleに適用されていたのですが,これは元々Eagleに割り当てられたものだったりします.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 アメリカ海軍の食事はどのようなものだったか?

 【回答】
・戦闘配置中
 サンドイッチとお湯

・夕食
 ステーキとレモンパイ+キャンディーバー10本

・戦闘配置中
(夕食)ハムサンドイッチ×1 クッキー×1 林檎×1

・戦闘配置中
(朝食)ピーナッツバー数本
(昼食)ゆで卵×2 オレンジ×1 ドーナッツ×2

・上陸休暇中
(朝食)ホットドック ケーキ サラダ ビールの小瓶×4

エンカルタ総合大百科2003より抜粋

 第2次世界大戦中、アメリカ海軍の食事は乾燥食品を戻したものや、スパムという豚肉の缶詰をつかって料理方法だけを変えたものが多かった。
 朝食は、水で戻した乾燥卵を天火で焼き、四角く切り分けた「スクエア・エッグズ」である。
 ただし、焼きたてのパンやコーヒーは航海中もたいてい用意されていた。
 海軍の食事は、どんなに悪評の献立さえ、陸軍の前線で兵士に配られる携帯非常食「Kレーション」よりはましだった。

(ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E他)


 【質問】
 オカルト系の本を読んでて出てきたネタなんだけど,南極にナチスの残党がいないか,米軍が機動部隊を送って調査して,その時に南極点に森が広がっているのを発見したとかあって,これって何か元ネタってあるの?
 南極に砕氷艦以外の空母なんか行けないと思うから,完全にネタなのかな?

 【回答】
 ハイジャンプ作戦.
 1946~47年,南極探検家のバード海軍少将の指揮で,米海軍が行った南極探査および極地演習作戦のこと.
 大戦終結直後に行われた大規模な作戦だったために,オカルトファンやら陰謀論者やらのかっこうの餌になって,様々な伝説が作られてる.
 wikiの記事はここ.
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Highjump
 operation highjumpでぐぐれば,他にも色々出てくる.

軍事板


 【質問】
 フィラデルフィア実験とやらは本当にあったことなんですか?

 【回答】
 フィラデルフィア実験と呼ばれているのは,現在の日本でも当たり前に行なわれている艦体の消磁作業に関する実験.
 これを知ったあるホラ吹き常習犯が脚色し,超常現象としてUFO研究家に売り込もうとしただけの話.
 が,売り込んだ相手がその筋では有名な研究家だったため,逆に嘘を見抜かれてしまった.

 しかし,簡単に信じてしまう奴とか話をさらに膨らませてしまう奴もいて,モントーク・プロジェクトというさらにムチャクチャな話に発展したり,遠隔視というオカルト商売のネタにされている.

 ちなみに,実験が行なわれた駆逐艦エルドリッジは戦後,ギリシャ海軍に供与された.


 【質問】
 第二次世界大戦時のソ連海軍について質問です.
 WW2のソ連陸軍や空軍の活躍は有名ですが,一方で海軍が活躍したという話は聞きません.
 そこで聞きたいのですが,当時のソ連海軍の規模や参加した戦いについて教えてください.

 【回答】
https://en.wikipedia.org/wiki/Soviet_Navy#World_War_II:_The_Great_Patriotic_War
によれば,開戦時のソ連海軍兵力は以下の通り.

The composition of the Soviet fleets in 1941 included:[7]
3 aged battleships,
7 cruisers (including 4 modern Kirov-class heavy cruisers),
59 destroyer-leaders and squadron-destroyers (including 46 modern Type 7 and Type 7U destroyers),
218 submarines,
269 torpedo boats,
22 patrol vessels,
88 minesweepers,
77 submarine-hunters,
and a range of other smaller vessels.

 第二次大戦時には艦隊の主力はバルト海と黒海に置かれていたが,バルト海の艦隊は独ソ戦開戦時にエストニアのタリンからクロンシュタット軍港に,空爆で大きな損害を出しながら退避し,以後レニングラード封鎖によってほとんど活動していない.

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6)
 黒海の艦隊も,母港にしていたセバストポリからカフカスに退避する際に,やはり爆撃により大損害を出している.

 これらの大損害によりスターリンは大型艦艇の運行に大きな制限を加え,第二次大戦時のソ連海軍の活動は非常に丁重なもので,乗員をソ連版海兵隊である「海軍歩兵」に組み込むといった形で戦っていた.
 大戦末期には潜水艦の活動が活発化し,1945年4月にはバルト海で避難民を乗せた客船ヴィルヘルム・グストロフ号を撃沈しており,一万人近い犠牲者を出した史上最悪の海難事故として歴史に残っている.

 他には艦砲射撃で対地援護ぐらいはしていてたようではある.

軍事板,2015/11/03(火)
青文字:加筆改修部分


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