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 【link】

『Zrínyi II Assault Howitzer: Armour of the Royal Hungarian Army』(Attilia Bonhardt 著,Peko Publishing,2015/5/19)


 【質問】
 ニコラス・ストラウスラーって誰?

 【回答】
 ニコラス・ピーター・ソレル・ストラウスラー Nicholas Peter Sorrel Straussler(1891~1966)は,アルヴィス・ストラウスラー Alvis Straussler 商会とかヴィッカースで軽戦車とか装甲車を設計していた人ですね.
 自動車技師であった彼は1928~1933年,フォールディング・ボート&ストラクチャーズ社 Folding Boats and Structures Ltd を経営.
 水陸両用車や路外走行用の軍用車輌の設計開発を得意分野とし,折り畳み式のものを含む多数の浮航装置の特許を取得しています.

 1930年代には,アルヴィス Alvis,ヴィッカース=アームストロング Vickers-Armstrong やハンガリーの企業で様々なプロジェクトに携わりました.
 そして彼は1937年~1938年にかけて,V-3,V-4という当時としてはわりに優れた軽戦車を開発しています.
 最初はアルヴィスで1937年に自社開発した軽戦車.
 エンジン二基で左右の履帯をそれぞれ駆動し,走行装置は一体構造としたものを車体中央に固定し,両端に大径の外部転輪と,小径の誘導輪で構成したボギーを前後に取り付けたもの.
 当時としては驚異的な67.5Km/hを狙ったけど,試作のみで中止.
 これはV.4と同じ機構ですね.

 装甲車のほうでは1933年にストラウスラーAC1を開発.
 英国ブレントフォード Brentford の Harlequin Avenue にストラウスラー・メカニゼーション Straussler Mechanization Ltd という会社を設立し,そこで開発されました.
 英国国籍も1933年2月に彼は取得しています.
 ちなみに組み立てはハンガリーのマンフレド・ヴァイス社 Manfred Weiss で行われました.

 次に開発されたのがAC1の改良型ストラウスラーAC2で,1935年のこと.
 これの試作車輌がマンフレド・ヴァイス社で2台製作され,1台は中東で使うために英国空軍で試験されましたが,ハンド・ブレーキに不具合が見つかり,もう1台は英国国外の顧客向けに,工場に残されました.

 1936.7.13,ストラウスラー・メカニゼーションはアルヴィスの出資でアルヴィス・ストラウスラーという協同会社となり,さらなる改良型アルヴィス・ストラウスラー AC3を開発.
 12両が同社で生産され,中東アデンの
英国空軍基地で使われました.
 また,オランダからも注文があり,インドネシアのジャワに配備するために改修したAC3Dが3両生産されました.

 一方,ハンガリー陸軍省はストラウスラーの合意を得て,マンフレド・ヴァイスに対し,工場に残っていたAC2を基にした装甲車8両を発注.
 これが39M
「チャバ Csaba」装甲車となります.

 で,大戦ではシャーマンDDなどに使用された折り畳みフロートを開発.
 その他,幾つかの英軍のプロジェクトに関わりました.

 戦後も主として水陸両用車方面で,様々な自動車の開発計画に携わりました.
 超低圧,路外走行用,ランフラットタイヤである「ライプソイド・タイヤ Lypsoid Tyre」もその一つです.

 1966.6.3,彼はロンドンで死去.
 生涯に取得した特許は30を数えました.

 結構,天才肌の人かも知れません.

眠い人 ◆ikaJHtf2(黄文字部分)他 : 軍事板,2002/08/07
青文字:加筆改修部分

 【参考ページ】
http://someinterestingfacts.net/straussler-armored-car-ac1-ac2-and-ac3/


 【質問】
 ストラウスラーV-3戦車について3行以上で教えてください.

 【回答】
 トリアノン条約による軍備制限下で1933年,ニコラス・ストラウスラーによって開発された自称「農業トラクター vontató」
 様々な地形に対応できるよう,大小2つずつの転輪が,それぞれ独立して動くという変態設計.
 しかも両サイドにフロートをとりつけると水陸両用車になるという代物だった.
(というか,ストラウスラーは水陸両用車開発の専門家)
 試作車は1935年,ヴァイス・マンフレート社で完成したが,砲塔は搭載されないまま終わっている.
 しかし斬新過ぎたようで,同年,試作車は英国陸軍省にも持ち込まれて試験を受けたが,同省は対抗馬のマークVI軽戦車に軍配を上げた.
 日本にも持ち込まれたが,日本も,他のどの国も興味を示さずに終わった.

 【参考ページ】
Tanks!>Hungary(アーカイブ)
http://ftr.wot-news.com/2013/11/05/hungarian-armor-part-2-introduction-straussler-tanks/
http://tankarchives.blogspot.jp/2014/09/strausslers-tank.html
http://www.aviarmor.net/tww2/tanks/hungary/straussler_v3.htm

V-3四面図&写真
faq160430st.jpg
faq160430st2.jpg
faq160430st3.jpg
(こちらより引用)

mixi,2016.4.30


 【質問】
 ストラウスラーV-4戦車について3行以上で教えてください.

 【回答】
 V-3戦車に対してハンガリー軍当局は好評価をし,ストラウスラーに対し,フル装備の戦車の試作を承認.
 そこで製作されたのがV-4戦車である.
 これはV-3と異なり,サスペンションを2個の支持転輪で支える方式.
 一部にリベットが使われた以外は溶接だった.
 37mm砲を長方形の砲塔に搭載し,160㏋エンジンで時速46kmを出した.
 フロートを装備して水陸両用で使えるのは,V-3と変わらず.
 1936年にヴァイス・マンフレート社において最初の試作車が完成し,ハンガリー軍当局による試験の前に英国と,そしておそらくイタリアにも売り込んでいる.

 1938年,試作車はハンガリーに戻り,40mm砲に換装してV-4/40と改名.
 再軍備を宣言したハンガリーにおいて,軍当局はV-4/40とドイツの1号戦車,そしてスウェーデンのランツヴェルク Landsverk L-60戦車とを比較試験した.
 しかしV-4/40試験の結果は芳しくなく,重量があり過ぎ,また,悪路で転倒し易いという欠点を見せた.
 結果,ハンガリー軍はL-60の採用を決定,これが「トルディ」としてライセンス生産されることになった.

 試作車輌は合計4台あったと言われる.

▼ 1両は1937年,イタリア陸軍が興味を示したため,イタリアへ送られた.
 移送されたのは,砲塔要員が1人のタイプ.
 同地で同車は試験されたが,採用とはならず,翌年ハンガリーへ送り返された.
 図1(図版番号faq190116v4)はイタリアでのもので,乗員も全てイタリア人.

 試験後のその後のそれらの行方は定かではないが,一説によれば1両をハンガリーに残し,3両は輸出されたという.
 輸出先はイタリアと見られている.

 ハンガリーの1両は,1945年にソ連軍に鹵獲され,クビンカでテストされたと言われており,今もクビンカのどこかに忘れ去られているのではないかと疑う歴史家もいるという.
 倉庫のどこかからひょっこり発見されたりしたら楽しいだろうね.

 【参考ページ】
http://web.archive.org/web/20071010131956/http://mailer.fsu.edu/~akirk/tanks/hun/Hungary.html
http://ftr.wot-news.com/2013/11/05/hungarian-armor-part-2-introduction-straussler-tanks/
http://tankarchives.blogspot.jp/2014/09/strausslers-tank.html
http://www.tanksinworldwar2.com/hungary-straussler-v-4.php
https://live.warthunder.com/post/675294/en/ ※図1引用元

V-4二面図&写真
faq160501st.jpg
faq160501st2.jpg
faq160501st3.jpg
(こちらより引用)

ドニエプル・モデルというメーカーから出ている,V-4戦車の模型
http://store.shopping.yahoo.co.jp/miniature-park/dm3590.html

mixi, 2016.5.1


 【質問】
 フェイェシュとファービアーンの戦車について3行以上で教えてください.

 【回答】
 1930年代にフェイェシュ・イェネー Fejes Jenő とファービアーン・ラースロー Fábián László が陸軍の競争試作に応募した戦車.
 フェイェシュ・イェネーは自動車分野の発明家で,世界で初めて溶接製造によって自動車エンジンを作った人.
 ファービアーン・ラースローについてはgoogle検索程度の調査では不明.
 ぐぐってもオリンピック選手や作家の情報しか出てこない.
 英国のタンケッテ,カーデン・ロイド Carden-Loyd Mk. VIをベースにした設計で,そのうち一つは角ばった砲塔が進行方向左側にシフト配置されている.
 もう一つは丸形砲塔が中央にあり,模型から想像するに,フロートを両サイドにつけて水陸両用で使えるものだったらしい.

(ただし,下掲の模型に関しては,正確性を疑う声もある.
 また,下掲の想像図と4面図の転輪周りも,それぞれ異なっている.
 そもそも,ブログの記事一つと,それを基にしたであろう掲示板の情報しかない時点で,情報の正確さはかなり心もとないのだが…)

 詳細は不明であるところから想像するに,試作車輌は製作されていない模様.

 【参考ページ】
http://ftr.wot-news.com/2014/10/20/hungarian-branch-in-wot-part-2-light-tanks/
http://forum.worldoftanks.eu/index.php?/topic/128733-magyar-tankok/page__st__1340
http://magyarjarmu.hu/emberek/fejes-jeno/
http://www.repulomuzeum.hu/Hajtomuvek/Fejes.htm

フェイェシュ・ファービアーン戦車の想像図
こちらより引用)

同4面図
フェイェシュ・ファービアーン水陸両用?戦車・模型
こちらより引用)

mixi, 2016.5.12


 【質問】
 「ズリーニ」II突撃砲について3行以上で教えてください.

 【回答】
 40/43M「ズリーニ Zrínyi」II,別名「ズリーニ105」は,ドイツ国防軍における突撃砲の成功に触発されたハンガリー陸軍が,「トゥラーン」中戦車の車体をベースとして独自に設計し,量産・実用化した突撃砲 rohamlöveg.
(roham = 攻撃,突撃,löveg = 銃砲)
 主砲には,不良在庫となっていたハンガリー製の105mm榴弾砲40Mを搭載.
 生産にあたっては,装甲板や砲は他社工場で製作され,ヴァイス・マンフレート社に引き渡されるという協同体制が組まれたが,その足並みが揃わず,最初の3両が完成したのは1943年9月.
 しかもこの3両は装甲鋼板が間に合わず軟鉄製で,訓練用のみに使われた.
 さらに1944年7月27日,工場がアメリカ軍の爆撃により破壊され,生産停止.
 その後,回収された装甲車体やエンジンを使い,ガンズ社で組立て再開されたが,こちらもガンズ社のあるブダペシュトの包囲・陥落に伴い,11月には生産が不可能となった.
 生産数は,ヴァイス・マンフレート社において合計60両,ガンズ社で1944年9月までに6両とされている.
 ガンズ社でのそれ以降の生産については不明.

 現在唯一現存する「ズリーニ」IIが,ロシアのクビンカ戦車博物館に展示されている.
 唯一現存する「ズリーニ」IIはロシアのクビンカ戦車博物館に展示されていたが,2018年以降にパトリオット・パークへ移され,よりオリジナルに近い塗装に塗り直されている.
4枚目:パトリオット・パークのニムロード
(図No. faq200329pt6,こちらより引用)▲

 【参考ページ】
http://combat1.sakura.ne.jp/43M.htm
http://wbmuse.blog89.fc2.com/blog-entry-112.html
http://www.geocities.jp/grypf276/unit/tank5.html
http://www.amazon.co.jp/dp/4499230977

「ズリーニII」写真
(こちらより引用)


(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/04/14 20:00
を加筆改修

 写真・下は試作車か初期生産型らしいです.
 多くの車体は正面右の丸いハッチ?が廃止されています.

 クビンカのズリーニ Zrínyi Kubinkai Múzeumban
 唯一の現存車輌.
 主砲が後座状態のままになっているのは,ソ連軍が本車の性能を調査中,駐退機スプリングを壊したせい--と,この本に書いてあった(ダイレクトマーケティング
(図表番号 faq190801zr,こちらより引用)

ギシュクラ in mixi,2016年04月11日
青文字:加筆改修部分

 ズリーニ突撃砲の戦歴については,ラスト・オブ・カンプフグルッペ3 高橋 慶史著に詳しく書かれています.
 同書にはスロバキア軍についての章もあります.
(4巻にはスロバキア蜂起に関する章もあります.)

ギシュクラ in mixi,2016年05月22日

 ハンガリーのニュース映画「Magyar Világhiradó」にはズリーニィ突撃砲の動く映像が収められている。
 軟鉄製訓練車の演習時を除けば,量産車はこの映像だけかもしれない。

マーノシュ in twitter, 2019年6月15日

 ハイマーシュケール演習場で歩兵との共同訓練を行うズリーニィ突撃砲の貴重な砲撃映像。
 ハンガリーのニュース映画Magyar Világhíradóから.
 0:06~の、量産車(右)と軟鉄製訓練車(左)が撮影者に向かって並走してくる所もいいですね.

マーノシュ in twitter, 2020年3月12日
https://mobile.twitter.com/Nasikandar_/status/1238065708375748608
https://mobile.twitter.com/Nasikandar_/status/1238072688431656960


 【質問】
 「ズリーニ」IIの性能要目を教えてください.

 【回答】
全長:    5.90m
車体長:   5.45m,5.9m(砲身含)
全幅:    2.89m
全高:    1.90m
接地高:  0.38m
接地圧:  0.72 kp (kilopond)/cm2,0.75 kp (kilopond)/cm2(スペースド・アーマー付き)
トレッド:  2.398m
トラック数: 2x106-107
全備重量: 21.5t,22.5 t(スペースド・アーマー付き)
車体容積: 14866 cm3
乗員:    4名(車長・操縦士・装填手・砲手,各1)
エンジン:  マンフレード・ヴァイスV-8H 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
ギア:    前進6,後進6
最大出力: 260hp/2,200rpm
最大速度: 43km/h
懸架・駆動: リーフスプリング式サスペンション&装軌式,前方起動輪
航続距離: 220km(整地),160 km(不整地)
最小旋回半径: 12m
超信地旋回半径: 4m
登坂能力: 45度
渡渉能力: 0.9m
Step climbing: 0.8 m
超壕能力: 2.2m
武装:    20口径105mm榴弾砲40/43M×1 (52発)
装甲厚:   正面75mm,側面25m,後部25m,上面・底面13mm,スペースド・アーマー5mm
主砲:    40.M 105mm L/20榴弾砲
弾薬数:   定数52,実際には90~95
最大射程: 10500m
俯角仰角: -8°~ +25°
左右角度: 11°~ -11°
弾種:    徹甲弾 500 m /60°/70 mm
        対戦車榴弾 500 m /60°/80 mm

 【参考ページ】
http://forum.warthunder.com/index.php?/user/292258-hebime/?tab=reputation&app_tab=forums&type=received&st=480
http://combat1.sakura.ne.jp/43M.htm

mixi, 2016.5.18

「ズリーニ」IIの各部装甲厚
faq190126zr

こちらより引用)

2019.1.26


 【質問 kérdés】
 「ズリーニ」II突撃砲の主砲は?
Milyen fegyverzet volt "Zrínyi" II rohamlövegben?

 【回答 válasz】
 ズリーニIIの主砲として搭載されたものは10.5cm 40.M戦車榴弾砲と言い,10.5cm 40.M榴弾砲を手直ししたものだった.
(図1)
(図2)
 手直しされた点は発射機構と安全装置で,砲の主要な構造には変わりはない.

 砲には空気圧式発射装置と,予備の機械的発射装置とがあった.
 安全装置は電気回路によるもので,砲を発射可能にするには親指でボタン2個を押して回路を閉じねばならず,そうでなければ発射できなかった.
 この手順は,射撃時に砲が装填手に当たってしまうことを防ぐためのものだった.

 砲弾により,この砲の特性も変化した.
 HE-T弾発射時は初速471 m/s,HEAT-T弾発射時は初速444 m/sだった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431597/en/ ※図1引用元
http://ftr.wot-news.com/2014/02/17/4043m-zrinyi-ii-and-44m-zrinyi-i-assault-guns/ ※図2引用元

2017.5.27


 【質問 kérdés】
 ズリーニIIの照準器について教えてください.
Kérem, mondja meg a Zrínyi II-nek fegyver látványáról.

 【回答 válasz】
 ズリーニIIには二種類の照準器があった.
・直射用の43.M照準器
・間接射撃用の8/14.M砲兵用双眼鏡
の2つである.

 前者のために,球状防盾の左側に照準孔が開いていた.

 後者は榴弾射撃用のパノラマ双眼鏡であり,オーストリア=ハンガリー時代に牽引砲用として使われたものだった.
 これを使うことにより,砲手は安全に目標を狙うことができた.

 『Zrínyi』(グムカ・ミニチュア,2019.7.17), p.25には両者の写真も掲載されている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/525537/en/
『Zrínyi』(グムカ・ミニチュア,2019.7.17), p.24-25

ズリーニIIの砲手が,8/14.M砲兵用双眼鏡をその位置に固定している写真
ズリーニIIが間接射撃を行うことは稀だったため,8/14.M双眼鏡が見える写真は非常に稀
(図No. faq191210gs,こちらより引用)

mixi, 2019.12.11


 【質問 kérdés】
 ズリーニIIの運転席はどのようなものだったの?
Milyen volt a Zrínyi II-nek vezetőülés?

 【回答 válasz】
 運転席はこの写真で105mm砲の右側に当たる.
 運転席の前にはトゥラーン戦車のものと同じ41.M旋回式ペリスコープがある.

 また,運転席・砲手席(砲の左側)前の上方には,トゥラーン戦車のものと似た方位インジケーターがあった.
 このインジケーターは車長のペリスコープの基部と機械的に同期しており,車長用ペリスコープが目標に対して真正面を向いていると,インジケーターの針は12時を指すようになっていた.

 さらに,運転席の前には緑と赤の2つのランプもあった.
 一方, 砲手席には膝の高さに(つまり,膝で押せる位置に)緑と赤の2つのボタンがあり,砲手が砲弾を装填後,照準微修正のため,車体を旋回させてほしい時にボタンを押せば,ランプが点灯して合図を送ることができる仕組みになっていたという.
 目標発見から主砲射撃までの詳しい手順については,
『Zrínyi』(グムカ・ミニチュア,2019.7.17)
参照のこと.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/525532/en/
『Zrínyi』(グムカ・ミニチュア,2019.7.17), p.27

ズリーニIIの運転席
(図No. faq191212zr, こちらより引用)

mixi, 2019.12.12


 【質問 kérdés】
 ズリーニ突撃砲の初陣は?
Mikor az Zrínyi rohamlöveg első csata?

 【回答 válasz】
 1944.4.21,ガリツィア戦線のボホロディチィンにて,第1突撃砲大隊第2中隊が交戦したのが最初.
 偵察部隊が発見した,森の中に潜むソ連軍対戦車砲部隊および歩兵連隊に対し,2個小隊(6両)で出撃.
 1個小隊が2分で対戦車砲部隊を沈黙させ,歩兵連隊を榴散弾連射で5分で全滅させた.

 初の対戦車戦闘はその4日後,4.25.
 スタニスラーウ南東20km地点で歩兵部隊の支援をしていた第1突撃砲大隊第3中隊は,ソ連第18軍第27戦車旅団のT-34×8両の攻撃を受けた.
 同中隊はT-34を2両撃破し,ソ連軍は後退.

 だがこうした対戦車戦闘により,ズリーニII突撃砲の主砲である105mm榴弾砲は対装甲威力が低く,T-34中戦車等のソ連軍戦車に対抗困難なことが明かとなったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
『Zrínyi』(グムカ・ミニチュア,2019.7.17), p.19
http://combat1.sakura.ne.jp/43M.htm
http://www.magyartudat.com/zrinyi-rohamloveg-a-keleti-fronton-minden-lovesuk-egy-szeg-volt-a-kommunizmus-koporsojan/
https://www.haborumuveszete.hu/minden-ami-gurul/784-a-zrinyi-i-rohamloveg-es-a-zrinyi-ii-rohamtarack

1枚目:38/33M榴弾および42M徹甲弾の補給を受けるズリーニII
1944年,ガリツィアにて
この車輌は,第2生産ロットの中でも初期に生産された,
第1突撃砲大隊「バランカイ・ヨージェフ Barankay József」第3大隊の7号車
(側面に37の文字が見える)
(図表番号 faq191112ag,こちらより引用)

2枚目:現ウクライナのDeliatyn近郊を進むズリーニII
1944年4月
(図表番号 faq191112ag2,こちらより引用)

2019.11.13


 【質問】
 「ズリーニ」Iって何?
 3行以上で教えて!

 【回答】
 主力戦車「トゥラーン」がもはや改良の限界で,とてもこれ以上主力戦車として使用できなくなったことから,1943年に「ズリーニ105」発展型として構想された,対戦車戦闘用の駆逐戦車.
 これが44M「ズリーニ」I,またの名をズリーニ75」.
 「ズリーニ105」の車体を流用して,MÁVAG社が43M「トゥラーン」III重戦車用に開発した43口径75mm戦車砲43Mを搭載するものとされた.
 「ズリーニ75」試作車は,「ズリーニ105」突撃砲の試作車(H-801)の車体を再び改装して製作され,1944年2月には完成した.
 しかし結局,「ズリーニ」75突撃砲は試作車が完成しただけで,量産されなかった.
 これはディオーシュジュール Diósgyőr にある銃砲工場が資材不足のため,必要な75mm戦車砲を生産することが不可能だったからだといわれる.

 なお,「ズリーニ75」を「ズリーニ」I,「ズリーニ105」を「ズリーニ」IIと呼ぶこともあるが,なぜ先に開発された「ズリーニ」105が「ズリーニ」IIで,後に開発された「ズリーニ」75が「ズリーニ」Iとなったのかはよく分かっていない.
「きっと何かズリぃことでも考えていたんだろう」
というダジャレを思いついた自分を,我ながら罰したい.

 【参考ページ】
http://combat1.sakura.ne.jp/43M.htm
http://wbmuse.blog89.fc2.com/blog-entry-112.html
http://www.geocities.jp/grypf276/unit/tank5.html
http://www.baumann.co.jp/list/BRONCO/CB35121.htm
http://www.amazon.co.jp/dp/4499230977

「ズリーニ」I三面図
(こちらより引用)

同カラー側面図
(こちらより引用)

MAVAG社の工場で撮影されたZrinyi I
faq190106zr
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/04/15 20:00
を加筆改修


 【質問】
 「ズリーニ」Iの性能要目を教えてください.

 【回答】
全長:    5.5m,7.35m(砲身含む)
全幅:    2.89m
全高:    1.90m
全備重量: 21.5t,22.5t(スペースド・アーマー含む)
Free ground clearence: 0.38 m
Tread: 2.398 m (between the two edges of tracks)
Number of tracks: 2x106-107
Ground pressure: 0.72 kp (kilopond)/cm2
Ground pressure (with spaced armour): 0.75 kp (kilopond)/cm2
車体容積: 14866 cm3
乗員:    4名(車長,操縦手,装填手,砲手)
エンジン:  マンフレード・ヴァイスV-8H 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 260hp/2,200rpm
ギア:    前進6・後進6
最大速度: 43km/h,40km/h(スペースド・アーマー付き)
航続距離: 220km
燃料容量: 445リットル
最小旋回半径: 12m
超信地旋回半径: 4m
Crawl angle: 45°
Step climbing: 0.8 m
Trench bridging: 2.2 m
Ford ability: 0.9 m
武装:    43.M 75 mm L/55 cannon (搭載弾数52,実戦時には90~95発)
初速:    770m/s
発射速度: 毎分12発
俯角仰角: -8°~ +25°
水平可動範囲: 11°-11°
装甲厚:   車体正面75mm,側面&後部25mm,上面&底面13mm,スペースド・アーマー5mm
貫徹能力: 100 m /60°/85 mm
       300 m /60°/80 mm
       500 m /60°/76 mm
       1000 m /60°/66 mm
       100 m /90°/113 mm
       300 m /90°/106 mm
       500 m /90°/101 mm
       1000 m /90°/88 mm
無線機:  R-5/a

 【参考ページ】
http://forum.warthunder.com/index.php?/user/292258-hebime/?tab=reputation&app_tab=forums&type=received&st=480
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=5163
http://ftr.wot-news.com/2014/02/17/4043m-zrinyi-ii-and-44m-zrinyi-i-assault-guns/

mixi, 2016.6.12


 【質問 kérdés】
 43.M 75mm戦車砲って何?
Mi az 43.M 75 mm-es harckocsiágyú?

 【回答 válasz】
 トゥラーンIIIやズリーニIの主砲.
 元はドイツのPAK-40のライセンス生産版である43口径75mm 43.M対戦車砲.
 資材不足により対戦車砲としては未完成だったが,MÁVAG社では43MトゥラーンIII重戦車用の戦車砲へ転用.
 しかし結局トゥラーンIIIへ搭載されることは無く,さらにズリーニIの主砲へと転用された.

 (図1)はズリーニI試作車に搭載された43.Mを,操縦手および装填手の側から撮影したもの.
 砲の向こう側の席が砲手席.
 503とナンバリングされているボトルは,タンクの内側から砲の空気圧を補充するために使用される.
 壁際にある折り畳まれた銃は,ハンガリー国産の39.Mキラーイ短機関銃.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/737012/en/
http://live.warthunder.com/post/431232/en/ (※図1引用元)
http://combat1.sakura.ne.jp/43M.htm
http://combat1.sakura.ne.jp/40M.htm

twitter bot, 2019.1.11
に加筆改修


 【質問 kérdés】
 「ロケット・ズリーニ」について教えてください.
Kérem, mondja meg "Rakétás Zrínyi"-ről.

 【回答 válasz】
 ズリーニの自走ロケット砲型.
 ズリーニの車体後部に,15cm Nebelwerfer のハンガリーでのライセンス生産版43.M Sorozatvetőを3つ束ねた発射筒を,左右に1基ずつ装備.
 車体はおそらく軟鉄製の試作車輌と思われる.
 発射筒の照準は,水平方向については車体を目標に向けることで行われるが,垂直方向については車内から操作可能.
 主砲を搭載したままだったのか,それとも撤去した状態だったのかは不明.

 改造や試験が行われた日時は不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
『Zrínyi』(グムカ・ミニチュア,2019.7.17), p.18
https://live.warthunder.com/post/539832/en/

「ロケット・ズリーニ」
(図No. faq191202zr,こちらより引用)

mixi, 2019.12.2

 ちなみにズリーニの派生型としては他に,戦後にクレーン車に改造されたものがある.
 50年代までガンツ社の工場で使用された後,処分されたという.
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1332524661666582531
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1332528943694450689

2020.12.1


 【質問】
 「タシュ」重戦車について3行以上で教えてください.

 【回答】
 44M「タシュ」重戦車 Tas nehéz harckocsi は,ソ連のT-34などに対抗し得るものとして,1943年春,ブダペシュトのヴァイス・マンフレート社において開発が始められた戦車.
 ヴァイス・マンフレート製V-8Hエンジンを2基搭載して速度は時速45km.
 長砲身の75mm戦車砲を搭載,傾斜装甲を採用し,最大装甲厚120mm,重量は38トンとする計画.
 ドイツの「パンター」中戦車よりも軽量だが,75mm砲搭載の戦車はハンガリーでは重戦車に分類されるので,誰が何と言おうと立派な重戦車.
 ついでに外見も何となく「パンター」戦車に似ているが,そこは深く突っ込んではいけない.

 ハンガリーの工業力では,試作品にまで装甲板を回す余裕がなかったので,ズリーニのときと同じように,試作車輌は軟鉄で作られることになった.
 搭載砲も国産の43M 75mm砲.
 量産車ではドイツの7.5 cm KwK 42が搭載される予定だったそうだが,果たして当時のドイツにもそんな余裕があったかどうか…

 とにもかくにもヴァイス・マンフレート社にて組み立てが始まったのだが,1944.7.27,工場が米軍機の爆撃を受ける.
 せっかくの試作車輌は破壊されてしまい,計画は放棄された.
「素直にパンター戦車のライセンス生産していたほうがマシだったんじゃないの?」
というのは,ただの素人考えだろうか?

 【参考ページ】
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E6%88%A6%E8%BB%8A#.E3.82.BF.E3.82.B7.E3.83.A5.E9.87.8D.E6.88.A6.E8.BB.8A
https://twitter.com/61shikip/status/484896904816250880
http://kabanos.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-941d.html
http://ftr.wot-news.com/2013/06/17/hungarian-armor-part-1-44m-tas-and-tas-rohamloveg/
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=19899

1~3枚目:「タシュ」4面図および完成予想模型
(図表No. faq160421ts1~3,こちらより引用)

4枚目:「タシュ」各部装甲厚
(図表No. faq191116ts,こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/04/30 20:00
を加筆改修


 【質問】
 「タシュ」駆逐戦車について3行以上で教えてください.

 【回答】
 「タシュ Tas」駆逐戦車 Rohamlöveg は,「タシュ」重戦車が開発開始されると同時に,将来の戦車の発展を予期して構想されたもの.
 同時期のドイツ駆逐戦車が通常の戦車よりも安価かつ有用だったことにも影響を受けていた.
 計画ではドイツの71口径8.8 cm KwK 43を搭載し,正面装甲厚は120mmで傾斜装甲.
 4号駆逐戦車よりもやや曲面的であることから,外見はドイツ駆逐戦車よりもアメリカのT-28やソ連のJS系自走砲のほうに似通ってきている.
 待ち伏せ攻撃を想定し,車体は低く設計された.
 試作車輌2両が発注されたが,工場が空爆を受けたことにより,「タシュ」重戦車ともども計画は中止され,ハンガリーの戦車開発はここに終焉したのである.

 【参考ページ】
http://ftr.wot-news.com/2013/06/17/hungarian-armor-part-1-44m-tas-and-tas-rohamloveg/
https://en.wikipedia.org/wiki/44M_Tas
https://en.wikipedia.org/wiki/44M_Tas_Rohamlöveg
https://hu.wikipedia.org/wiki/44M_Tas

「タシュ」側面図
模型写真?
(こちらより引用)

「タシュ」カラー側面図
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/02 20:00
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 「タシュ」駆逐戦車型は実在しなかったって本当?

 【回答 válasz】
http://www.tanks-encyclopedia.com/ww2/hungary/Tas-rohamloveg-fake-tanks
において,そのような主張がなされている.
 同ページによれば,第二次大戦当時,ハンガリー国防省はタシュ試作をヴァイス・マンフレート社に複数発注したが,その中に駆逐戦車型は無かったことが判明しているという.
 第二次大戦後,共産主義政権下では大戦中の戦車について研究することはタブーとなり,1970年代後半までは研究家は殆ど皆無だったため,今日,矛盾を含んだ記憶証言に頼らざるを得ない状況となっている.
 今日流布されている駆逐戦車型「タシュ」の模型や側面図などは全て,そうした回想に基づく想像図であり,複数の図の間で細部に違いが見られるのはそのためである――としている.

 この話の真偽だが,ホームページ一つの情報だけでは真偽不明というしかないので,情報の蓄積を今後も行っていく予定.

mixi, 2018.3.15

▼ GUMKAミニチュア氏によれば,以下のような顛末であるという.
 以下引用:

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 まだ社会主義政権下だった1970年代末~80年代初頭,タシュの開発メンバーの子息であるコルブリ・パールが,当時のヴァイス・マンフレート製作所の関係者からの聞き取り調査をした結果,
「タシュ駆逐戦車が存在しており,試作車が製造されていた」
との説を唱え,具体的な形状を示す模型も製作しました.

 彼の説を疑う声も一部にはあったものの,ソ連に対する国民感情や,ドイツの計画機や計画戦車のような「これが間に合っていれば」的な溜飲を下げる思いもあって,タシュ駆逐戦車の話は,ハンガリーのモデラーやミリタリー好きの間では広まっていたそうです.

 東欧革命で社会主義体制でなくなった後の1990年,バイトシュ・アイヴァーンがコルブリの模型を基に描いた三面図によって,8.8cm KwK43を主砲とするタシュ駆逐戦車は,西側社会にも知られるようになり,これを基にプラモデルまで開発・販売されました.

 現在では国立公文書館で資料が公開され,ドイツが8.8cm KwK43の供与に合意した事実はなく,タシュ駆逐戦車の試作車も存在せず,コルブリ・パールの説は完全に否定されています.
 ただ,タシュの企画段階でヴァイス・マンフレートの社内試案として対戦車突撃砲を検討していた可能性はあるとのことです.

https://mobile.twitter.com/gumkaminiatures/status/1161653333162991616?p=p
https://mobile.twitter.com/gumkaminiatures/status/1161654100338995200?p=p
https://mobile.twitter.com/gumkaminiatures/status/1161658058788896769?p=p
https://mobile.twitter.com/gumkaminiatures/status/1161661218047664129?p=p
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2019.8.15

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