c

「WW2別館」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

◆◆◆◆◆車輌 Magyari jármű
<◆◆◆◆装備 Felszerelés
<◆◆◆ハンガリー陸軍 Magyar Honvédség a Második Világháborúban
<◆◆陸戦 目次 Földi Csata Index
<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ


 【link】

12_Lukacs Farobbantas cikk.pdf
http://www.hhk.uni-nke.hu/downloads/kiadvanyok/mkk.uni-nke.hu/pdf2013_2/12_Lukacs%20Farobbantas%20cikk.pdf


 【質問】
 ホビボスのニムロッド,箱絵イメージを見たらハンガリー軍十字の赤と緑が逆だ.
 ああいうパターンもあったの?

 【回答】
 いいえ,ハンガリーの国籍マークで緑縁付き赤十字はありえません.
 日の丸の代わりに赤縁付き白丸を付けるようなもの.

 ハンガリー陸軍の国籍マークは大戦間から第二次大戦終結まで何回かの変更があり,また十字の太さや外形(8角形や丸)などのバリエーションがいくつかあったけど,赤十字というのはないでしょう.
 まぁ当時その場にいて実車見たわけでないので100%絶対とは言えないけど,

 詳しい変遷については,こちら
http://thehonvedhungarianarmedforces.blogspot.jp/2013/04/the-development-of-hungarian-military.html
および

http://www.zimmerit.com/zimmeritpedia/UNGHERIA_sez_1.html
に書かれているので,参照されたし.

 ちなみに車体の色彩は,光栄の「東部戦線」(小国に詳しい川畑氏が文章担当) によると
・ダークオリーブグリーン
・オーカー
・レッドブラウン
の三色迷彩が(戦争中盤までは)基本とある.

模型板,2013/10/23(水)~2015/01/03(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ニムロード自走砲の性能要目を教えてください.

 【回答】
全長:    5.32m
最大長   5.75 m(主砲砲身長含む)
全幅:    2.30m
全高:    2.80m
全備重量: 10.5t
車体容積  7913 cm3
装甲厚:  13mm(車体前面),10mm(砲塔&車体側面),6mm(後部)
乗員:    6名(車長,運転士,装填手2,射撃手2)
エンジン:  ビューシンク NAG L8V/36TR V型8気筒液冷ガソリン(第1生産ロッド分)
        またはガンツ VGT107 V型8気筒液冷ガソリン(第2生産ロッド分)
最大出力: 155hp/3,000rpm
最大速度: 50km/h
航続距離: 225km
戦闘行動半径 200km
懸架・駆動 トーションバー・サスペンション,装軌式,前方起動輪
トレッド   2.066m
トラック幅  0.286x0.065 m
トラック数  2x132
接地高   0.35m
接地圧   0.6 kp (キロパウンド)/cm²
最小旋回半径 5m
登坂能力 0.6-0.8 m
超壕能力 2-2.2 m
渡河能力 0.7m
武装:    60口径40mm対空機関砲36M×1 (160発)
最大射程 7160m
初速    850 m/s
発射速度 120/min
俯角仰角  -5° - +90°
貫通能力 100 m /90°/50 mm
       500 m /90°/40 mm
       1000 m /90°/32 mm
砲塔の長さ 2.84m
砲塔高さ  0.8m
砲塔旋回範囲 全周
砲塔旋回速度 50°/s
ターレットリング半径 2m
乗員携行兵器 9mm短機関銃×3,小銃×2

 【参考ページ】
http://forum.warthunder.com/index.php?/user/292258-hebime/?tab=reputation&app_tab=forums&type=received
http://combat1.sakura.ne.jp/40M-T.htm
http://sweeper.a.la9.jp/pamzer/another/nim.htm

mixi,2016.5.17


 【質問 kérdés】
 「ニムロード」IVとは?
Mi az "Nimród" IV ?

 【回答 válasz】
 「ニムロード」対空自走砲は,対戦車自走砲兼用としても期待されていたが,武装が40mm機関砲だったため,ソ連軍戦車に対しては威力不足だった.
 そこで計画されたのが,「ニムロード」の火力強化型である「ニムロード」IVである.

 最初に計画されたものは,対空火力の強化型,「ニムロード」IIIだった.
 「ニムロード」I・IIでは40mm機関砲×1門であったのに対し,4連装40mm対空機関砲1基を搭載する計画.
 外見はドイツの対空自走砲「ヴィルベルヴィント」と似たものになった.

 そして「ニムロード」IIIがまだ設計図だけの存在だったうちから,「ニムロード」IVが早くも計画された.
 「ニムロード」IVは「ニムロード」IIIを対戦車火力強化に特化させたもので,武装は4連装75mm対戦車砲または6連装75mm対戦車砲を1基搭載.
 重量増加を支え,また,6連装砲斉射の反動を抑えるため,車体も大幅に改設計され,左右3本ずつのキャタピラを備えた.
 エンジンはDB605DC 1970HP×2基で,時速40kmを出す予定だった.

 もちろん,大戦末期にこんな誇大妄想じみた戦車が実現できるはずもなく,設計図段階から進まないうちに終戦を迎えた.

「ニムロード」IV想像図

2017.4.1
注意! この項はエイプリル・フールのネタです


 【質問】
 「レヘル」って何?

 【回答】
1)
 マジャル人の族長で,アールパード王の子孫タクショニ Taksony 配下の軍事指揮官の一人.
 マジャル人のバイエルン侵攻に従軍.
 955年,レヒフェルトの戦いにおいて捕虜となり,その年のうちにレーゲンスブルクにおいて殺害された.

2)
 43M「レヘル Lehel 」は「ニムロード」の車台を流用した装甲兵員輸送車.
 戦闘室となっていた車体中央部を改設計して,8名の兵員を収容する,オープン・トップの兵員室とした.
 「ニムロード」を改造して試作車が作られ,1943年に試験には合格したが,工場の生産力が他の優先度の高い車両に回されたため計画は中止.
 代わりに救護車型の「レヘルS」が計画された.
 これは元の「レヘル」から対空機銃座を撤去し,天蓋となる幌をつけたもの.
 軍部は既存の9両の「ニムロード」を「レヘルS」に改造,および新造の「ニムロード」のうち28両を「レヘルS」として完成させる意向を示したが,実行されなかった.
 また,工兵車型の「レヘルÁ」も計画されたが,こちらも計画倒れ.
 残された写真から見るに,試作車はブダペシュトでの戦闘で遺棄されたようである.

 【参考ページ】
http://combat1.sakura.ne.jp/LEHEL.htm
http://www.aviarmor.net/tww2/tanks/hungary/43m_lehel.htm
http://bpp.gportal.hu/gindex.php?pg=35366240
http://deuxiemeguerremondia.forumactif.com/t7520-43m-lehel
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=34143&start=15
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/252288-magyar-harckocsik-a-ii-világháborúban/

「ヘレル」4面図
こちらより引用)

同写真
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/07 20:00
を加筆改修


 【質問】
 ラーバ「Vp」装甲車 Rába "Vp" Páncélgépkocsi について教えてください.

 【回答】
 第一次大戦終結直後,ハンガリー軍は旧オーストリア=ハンガリー軍から
ロムフェル Romfell 1両
ユノヴィッツ Junovitz 数両
ビュッシング=フロシュ Büssing-Fros 数両
オースティン 1両(ロシア軍から鹵獲)
を受け継いだ.

 一方,ハンガリー革命に介入したハンガリー・ルーマニア戦争や,カール一世擁立を目指したレハール将軍のブダペシュト進軍といった混乱期,新規調達した装甲車と言えば,たった2両のビュッシング=フロシュだけだった.
 第一次大戦の敗者となったハンガリーは,トリアノン条約により軍が装甲車輌を保有することを禁止されていたのである.
 しかし抜け穴があった.
 民兵や警察によって,LK軽戦車やビュッシング=フロシュ装甲車が輸入された.
 LK軽戦車は農村の小屋に隠され,その間に錆だらけとなったが,オフロード機能のなかったビュッシング=フロシュ装甲車は,連合軍の監視委員会も警察用として許可を出した.
 最終的にはそれらは1930年代には廃車となった.

 1923年,秘密裏に「軍備管理委員会」が立ち上げられ,再びその抜け穴を利用することとなった.
 表向きは警察用の装備として,装甲車の設計開発に取り組んだのである.
 ラーバ Rába自動車&機械工場でライセンス生産されていた,チェコの5tトラック,プラガ「V」型の車体を装甲で覆い,屋根に円形の砲塔を備えた.
 外観はビュッシング=フロシュと似ている.
 砲塔にはSchwarzloze M07 8mm機銃1.
 他に同じ機銃1や小銃,手榴弾を車内に配備し,車体の銃窓から射撃できる他,車内から警官隊が出動する際に携行することが可能だった.
 その警官は12名を輸送可能.
 実態としては「装甲バス」に近いかもしれない.
 エンジンは35馬力,時速は20kmだった.

 1925年には試作車が完成したが,生産のほうは1927年にキャンセルされた.
 「Vp」は何度か改修をされながら,1930年代まで使われ続け,軍の訓練に貢献.
 装備品リストからその車輌番号が消えたのは1940年になってのことだった.

 【参考ページ】
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_j_p_r.html
http://www.aviarmor.net/tww2/armored_cars/hungary/raba_vp.htm
http://forum.valka.cz/topic/view/59290/HUN-Raba-Vp

模型ページ
http://ipmsmalta.forumotion.net/t1734p30-1-35-hungarian-raba-v-p-scratchbuilt

ラーバ「Vp」3面図および写真
faq160528vp.jpg
faq160528vp2.jpg
faq160528vp3.jpg
faq160527vp3.jpg
こちらより引用)

mixi, 2016.4.28


 【質問】
 ラーバ「Vr」対空自走砲について3行以上で教えてください.

 【回答】
 ラーバ「Vr」対空自走砲 Rába "Vr" önjáró légvédelmi löveg は,ハンガリーが第一次大戦後,初めて作った対空自走砲.
 戦後,軍備を厳しく制限されたハンガリーでは,空軍保有を禁止されていたが,将来的には航空機が大きな脅威になるだろうことを軍首脳は予想していた.
 そのため,当時としては唯一の選択肢として,対空兵器を開発することとした.
 ラーバ自動車&機械工場 Rába Magyar Vagon- és Gépgyár が1913年にチェコからライセンスを取得して生産していた「V」型トラックに,やはりチェコはシュコダのM05 8cm野砲(ハンガリーにおける制式名称8cm 5.M野砲)を搭載した.
 ハンガリー軍は当時すでに対空砲として40mmと8cmのボフォース対空砲を有していたが,数が少なかったために,この選択となった.

 ちなみに第一次大戦中のオーストリア=ハンガリー軍も,トラックの荷台に火砲を乗せただけの対空自走砲を各種開発しており,ラーバVrもその発想の延長上にあると言えるだろう.

 このラーバVrは ディオーシュジェーリ機械工場 Diósgyőri Gépgyár において,1922~23年に20台が生産された.
 第二次大戦中,本車がどのように使われたのか,それは定かではない.
 ただ,1942年に撮影されたニュース映画において,国内防空演習の中の一コマに本車が登場している.

 【参考ページ】
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/252288-magyar-harckocsik-a-ii-világháborúban/
http://www.raba.hu/cegtortenet.html
http://www.armourbook.com/forum/topic_916/2
https://www.youtube.com/watch?v=L0PY97yknvY

ラーバ「V」型トラック
(こちらより引用)

ラーバ「Vr」模型?
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/09 20:00
を加筆改修


 【質問】
 「チャバ」装甲車について3行以上で教えてください.

 【回答】
 39Mチャバ偵察装甲車 39M Csaba felderítő páncélgépkocsi は,ニコラス・ストラウスラー設計のストラウスラーAC2装甲車を基に,ヴァイス・マンフレート社 Weiss Manfréd にて生産された装甲車.
 通常の前部操縦席以外に,後進用の後部操縦席もあったことが特徴.
 前身速度と同じ速度で後退できた.
 兵装としてはゾロターン20mm対戦車銃と8mm機関銃を搭載した他,車内にもう1丁の8mm軽機関銃を携行していた.
 これは後部ハッチを開放しての対空射撃や,乗員が降車して偵察任務を行う際の携行用として使われた.
 エンジンはフォード 90馬力エンジンで,ドイツのケルン工場から輸入された.

 合計202両生産.
 そのうち20両は無線指揮車型の40Mで,これは武装は8mm機銃のみ.
 その代わり,通常型のR-4無線機に加え,R-4T無線機と大型のフレームアンテナを装備した.

ルーク「"茶葉"と書くと,中に利休が乗ってそうで素敵ですね」
ヤン 「素敵です」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10264651

 【参考ページ】
http://ameblo.jp/solderkirby/entry-11209294146.html
http://www.internetmodeler.com/2001/may/first-looks/Botond_Csaba.htm
http://world-war-2.wikia.com/wiki/39M_Csaba
http://someinterestingfacts.net/straussler-armored-car-ac1-ac2-and-ac3/

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/04 20:00
を加筆改修

 どこかで見たなと思ったら,八重洲出版の第二次大戦で活躍した世界の軍用自動車と言う本の,「ドイツの戦闘車両」の項目に「マンフレット・バイス シュトラウスラ クサバ装甲車」として掲載されていたよ.
 隣が,中国陸軍使用のSdkfz.223と言うマニアックな本だけどさ.

 しかし,なんでハンガリー向けの装甲車が,ドイツの項目に入っていたのか,小一時間問い詰めたい気分.
 この本によると,4気筒デュアルイグニッションつきツインOHCリアエンジン.
 4520×2100×2270ミリ,重量5900kg.
 各車輪にステアリングボックスを備え,2輪もしくは4輪ステアリングの独立懸架.

 英国の奴は6気筒で120馬力リアエンジン,全輪独立懸架.
 殆ど変わらない.
 ただ,馬力当たりの重量はこっちの方が勝ってたのかも.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/09/17
青文字:加筆改修部分

 軽めの本ですけど,デルタ出版の「世界の軍用車両4」という本では,ページの上にイギリスという表記がなされていますた.
 ・・・ま,いいんですけど.

 路上速度が65 km/hで航続距離が150 kmというのは他国の同種の車両に劣っている気がしますけど,矢張り前進5速,後進5速というのは良いですね.
 エンジン独逸製ですか.
 一応.↓
http://www.phg.hu/models/botond/csaba.htm

 装甲車の名前になっているチャバって,アッツィラの(伝説上の)息子の名前なんですね.

軍事板,2002/09/19
青文字:加筆改修部分

「チャバ」三面図
こちらより引用)

彩色写真
(こちらより引用)


 【質問】
 第二次大戦中,ハンガリー軍が使用していたソフトスキン車輌を教えてください.

 【回答】
 主なものとしては以下の通り.

---------------------
Cars:(自動車)
*WM H-2 30 M
*FIAT 2F 29 M
*FIAT 508 33 M (2+1 uleses)
*FIAT 508C 1100 38 M (4 uleses)
FIAT 508M Ballila ? M
*FIAT 512 31 M
*FIAT 520 F4 33 M
*FIAT 525N 32 M
*Krupp L2 H.43 35 M
*Krupp L2 H.143 37 M
Krupp Protze Command (?)? M
*Horch 901 42 M
*Ford V-8 (60 LE) 39 M
*Ford V-8 (90 LE) 40 M
Mercedes-Benz G-5 38 M
*Steyr 55 ? M [tipuslap nincs, foto van]
Steyr 1500 43 M
*Škoda P1100 Popular/Colonial 42 M [tipuslap van, foto nincs]
*VW Typ 166 Schwimmwagen 44 M [tipuslap van, foto van]
*VW Typ 82 Kübelwagen 45? M [tipuslap van, foto nincs]

Trucks:(トラック)
*FIAT 4T 30 M
*FIAT XV 33 M
Botond I 38 M
Botond II 38/42 M
Krupp Protze 37 M
*Rába V 27 M
*Rába AFa ? M
*Rába AFe ? M
Rába AFh 33 M
Rába AFi 35 M
Rába 31 M (?)
Rába-Krupp L 3.6H 31 M
Rába-Krupp L 3.5H 63 32 M
Rába Super 32 M
Rába Super D ? M
Rába Speciál 32 M
*Rába Maros (K-31) 44 M
Ford-Marmon 39 M
*MAVAG-Mercedes LO 2000 36 M
*MAVAG-Mercedes LO 2500 38 M
Mercedes-Benz L3000 A/S 44 M
Mercedes-Benz L4500 A/S 44 M
*Klöckner-Deutz 330A/S 41 M
Magirus 3000 41 M
*ZIS ? (ex-Soviet, captured) ? M
FIAT 6M Autocarretta 32 M
FIAT/Spa Dovunque 35 M
FIAT/Spa 38-R 38 M
Ford V-8 (USA & Köln) 38 M
*Ford BB 39 M
Ford V-8 Marmon (USA & Köln) 39 M
*Ford V. 3000 Marta (repair truck) 43 M
Opel-Blitz Type 3,6 36S & 6700A 43 M
*Opel-Blitz (2.5t) Ambulance
Praga RV 42 M
Phänomen Granit ? M
*Škoda 256 Ambulance 43 M [tipuslap van, foto nincs]
*Škoda 356B (?) [Teves tipusjelzes?]

Artillery Tractors:(砲牽引車)
Pavesi P4-100 28 M
Breda 32 32 M
HSCS KV-40 41 M
HSCS KV-50 43 M
MWG T41M 41 M
Hansa-Loyd SdKfz 11 37 M
*Rába T41 41 M
Steyer RSO 44 M

Motorcycles:(オートバイ)
*AJS 500 36 M
*AJS 1000 36 M
Méray-Jap 500 32 M
Moto-Guzzi 35 M
BSA 500 35 M
BSA 770 35 M
Puch 350 GS 39 M
Puch 250 S4 40 M
*DKW 250 ?M
*DKW 350 ?M
FIAT-Gilera 300 (vagy 500?) 43 M
*Auto-Union 43 M
*Rába T41 Bakony 41 M
NSU 251 (vagy 241?) 43 M
BMW R.75 43 M
Zündapp 750 43 M

WM Army bicycle 32 M

*Cross-country Vehicle [Horse-drawn Wagon] 36? M ("országos jármű" = lo vontatta szeker) [tipuslap nincs, foto van]
*Cross-country Ammunition Vehicle [Horse-drawn Ammunition-carrying Wagon] ? M
---------------------

 上記はこちらに載っていたもの――日本語は編者が追記――だが,著作権が発生しない事実関係記述のみを転載させていただいた.
 ただし,上記記述の元ソースは不明.

2016.5.3


 【質問】
 ラーバ「V」トラックについて3行以上で教えてください.

 【回答】
 ラーバ 27M「V」は,ラーバ自動車&機械工場 Rába Magyar Vagon- és Gépgyár が1913年にチェコからライセンスを取得して生産したトラック.
 同工場が初めて生産したトラックでもある.
 ハンガリー陸軍では1927年に制式採用.

 ジェール Győr という街がある.
 4つの河川(ラーバ Rába, ラーブツァ Rábca, モショニ・デュナ Mosoni-Duna, マルツァル Marcal )が交わる,古くからの商業の中心地である.
 近代に入り,鉄道の交差点ともなったジェールでは,街を挙げて鉄道車輌を製造する工場を建てることにした.
 それがラーバ鉄道車輌&機械工場である.

 1904年,工場では初めてガソリン・エンジン車を製作.
 以降,自動車製造にも乗り出すことになる.
 1913年,チェコ,プラハの技師フランチセク・ケッツ Frantisek Kec が開発した自動車のライセンスを取得.
 これが「V」型トラックやその派生車輌のベースとなった.
 各種合わせて500両生産.
 そのうち何両を軍が購入/徴用したのかは,編者には調べがつかなかった.
 また,1927年当時には,もっと新型のトラックもあったはずだが,なぜ「V」型のような第一次大戦モノの車を軍が購入することにしたのかも不明.
 在庫を安値で仕入れた,ということなのか,それとも別の理由なのか…

 【参考ページ】
http://www.raba.hu/english/our_history.html
http://www.offroadvehicle.ru/AZBUCAR/Raba/Raba%20txt.html

ラーバ「V」型トラック
(こちらより引用)

mixi, 2016.5.4


 【質問】
 ラーバAFトラックについて教えてください.

 【回答】
 1928年,これまで生産してきた1.5tトラックが旧式であることを感じたラーバは,これを更新することにした.
 まあ,第一次大戦前の設計だったしなあ…
 今度のライセンスの購入先は,ウィーン近郊にある自動車工場,オーストリア・フィアット Austro-Fiat.
 その名が示す通り,イタリアのFIATがオーストリアに作った会社である.
 これによって1929年からライセンス生産開始された車輌が,ラーバ Rába AFシリーズ.
 plateau truck,バン,バス,救急車など6種類あり,1934年まで生産が続いた.
 長距離バス型は乗客20~22人を載せることができた.
 型式名称としてはAFa,AFe,AFh,AFkなどあったが,上記のどれがその型式名称なのか,google検索程度の調査では判明しなかったのが残念.
 オーストリア・フィアットのトラック
http://www.cars-pics-db.com/photo/austro-fiat-afn/05/default.html
と見比べると,まあ,似ていないこともないかな?という印象.

 さて,モータリゼーションは軍においても到来しつつあった.
 1930年の試算では,軍を近代化するためには少なくともトラックは1万台必要であると見積もられた.
 軍はAfaを125両,AFh(33M)を60両購入したが,本来民間向けであるこれらトラックは,軍用車としては性能不足.
 そこで1935年,軍用タイプの1.5tトラックAFi(35M)が開発された.
 3.5リッター55馬力エンジン,4速トランスミッション,ハイドロ空気圧アクチュエータのブレーキ付き.
 生産数350両.

 そしてこのシリーズは,ラーバ・シュペル Rába Super に発展していくことになる.

 【参考ページ】
http://www.raba.hu/english/our_history.html
http://www.raba.hu/english/en.raba.hu/doctar/120/Raba_history.pdf
http://encyclopedia.1914-1918-online.net/article/automobile_industry_austria-hungary
http://www.autocluster.hu/ikreator/acl/cms_pub/file_00001072/R%C3%A1ba%20Components_2007.pdf
http://www.idi.btk.pte.hu/dokumentumok/kutatasifuzetek20.pdf
http://truck-auto.info/raba/38-istoriya.html
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%96AF

ラーバAFとAFi
こちらより引用)

ラーバAFi 35M
推定ラーバAFi
こちらより引用)

mixi, 2016.5.6

 【質問】
 ラーバ「シュペル」トラックについて3行以上で教えてください.

 【回答】
 ラーバ「シュペル」Rába Superは,1936年にラーバ自動車&機械工場が開発した,2.5tのトラックおよびバス.
 それまで木造だった車体構造に変えて,溶接金属構造を採用した.
 「シュペル」シリーズは1951年まで生産が続けられて,約2500台が製造され,戦間期において同社では最も成功したシリーズとなった.
 翌年には,派生型として容量を3.5tに増やした「シュペツィアル」 Special も登場したほどである.

 【参考ページ】
http://www.raba.hu/english/our_history.html
http://www.raba.hu/english/en.raba.hu/doctar/120/Raba_history.pdf
http://encyclopedia.1914-1918-online.net/article/automobile_industry_austria-hungary
http://www.autocluster.hu/ikreator/acl/cms_pub/file_00001072/R%C3%A1ba%20Components_2007.pdf
http://www.idi.btk.pte.hu/dokumentumok/kutatasifuzetek20.pdf
http://truck-auto.info/raba/38-istoriya.html
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%96AF

ラーバ「シュペル」写真
(こちらより引用)

レール・カーとして使われている「シュペル」
faq160507sp2.jpg
faq160507sp3.jpg
(こちらより引用)

mixi, 2016.5.7


 【質問】
 「ボトンド」って何?
 3行以上で教えて!

 【回答】
1)
 勇者ボトンド Botond vitéz は,10世紀の半ば伝説上の戦士.

2)
 ラーバ 38M 「ボトンド」トラック Rába 38M Botond Tehergépkocsi は,ハンガリー軍の全地形型6輪トラック.
 1937年に陸軍の命を受けたヴィンクラー・デジェー Winkler Dezső が,ラーバ社で生産されていたAFi 1.5tトラックをベースにして開発.
・荒れた地形での機動を可能とするため,グランド・レベルよりも上の位置に,第2の車軸を有している点
・前部バンパーに,超壕のためのローラーを2つ有している点
が特徴.
 東部戦線では「ボトンド」は,悪路でも走行できる貴重な輸送手段だった.

 陸軍の発注数を,一つの工場で生産することはできなかったので,HMV(ヴァイス・マンフレート鉄鋼金属工業)とMAVAGを主工場とし,他に4工場が部品を生産する方式を採った.
 1938~1941年に1443両が完成.
 第二次大戦開戦後に生産されたものには,「ボトンドB」という新型を含む.
 さらに,C型までマイナー・チェンジが行われながら,工場が空爆で破壊されるまで生産され続けた.
 生産量,各型合計2554両.
 一部は1949年まで使われた.

 【参考ページ】
http://www.botondveteran.hu/botond.html
http://totalcar.hu/magazin/kozelet/2013/03/16/a_legendas_botond/
http://www.masodikvh.hu/haditechnika/pancelosok/harckocsik/magyar-harckocsik/2912-botond-terepjaro-rajkocsi
http://www.flamesofwar.com/hobby.aspx?art_id=1243
https://kuruc.info/r/6/109394/

「ボトンド」車台
1938年,ハイマーシュケール Hajmáskér において試験される「ボトンド」
路上試験時の「ボトンド」.バンパーのローラーは外されている
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/15 20:00
を加筆改修


 【質問】
 「マロシュ」って何?
 3行以上で教えて!

 【回答】
 ラーバ44M「マロシュ」 Rába 44M Maros は,1943年から1944年にかけて開発された,ハンガリー陸軍の4輪軍用トラック.
 「ボトンド」や民間向けトラック「AFi」や「シュペル Super」の良い要素だけを集めて,新型車輌を作ろうとしたもの.

 戦争期間中,労働者を増やすことにより,ハンガリーの機械工業は生産力を増加させることができた.
 しかし,1944年からは工場に対する空爆が始まり,工場疎開を余儀なくされ,あるいは被爆により生産を停止するはめになり,生産数は「ボトンド」よりも1桁少ない350両だけだった.

 なお,マロシュとは現在のルーマニアを流れるムレシ川のこと.

 【参考ページ】
http://www.kisalfold.hu/blog/kisalfoldi_historiak/a_raba_vagon_es_gepgyar_legendas_gyartmanyai_i/146/2786/
http://epa.oszk.hu/02700/02735/00027/pdf/EPA02735_katonai_logisztika_1998_4_229-237.pdf
http://voenteh.com/voennye-avtomobili/vengriya/raba.html

「マロシュ」写真
こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/16 20:00
を加筆改修


 【質問】
 マーヴァグ=メルセデス・ベンツの車輌について3行以上で教えてください.

 【回答】
 マーヴァグ MÁVAG は Magyar Királyi Állami Vas-, Acél- és Gépgyárak(マジャル王立鉄鋼&機械工場)の略称であり,その名が示す通り,ハンガリー王国政府によって設立された.
 設立年は1870年.
 当初の名前は Magyar Királyi Államvasutak Gép- és Kocsigyára (マジャル王立鉄道用機械&車輌工場)といい,1873年には工場自ら蒸気機関車の生産を開始するに至った.
 1924年からは,その方面の人にとっては有名なハンガリー国有鉄道424型蒸気機関車の生産を開始している.

 その後,他の工場を吸収合併するなどして,マーヴァグ MÁVAG の名となり,トラクターなども製造するようになった.
 そのマーヴァグが1926年から1936年にかけ,メルセデス・ベンツ Mercedes Benz の車輌の権利を取得,ライセンス生産を行ったのが,マーヴァグ=メルセデス・ベンツ のシリーズである.
 LOシリーズとNシリーズとがあり,それぞれの下に更にトラックやバスなどの派生型があった.

 第二次大戦が近づくと,陸軍によって
MÁVAG-Mercedes LO 2000が1936年に
MÁVAG-Mercedes LO 2500が1938年に
制式採用となり,1944年に制式採用となった本家メルセデス・ベンツの
Mercedes-Benz L3000 A/S
Mercedes-Benz L4500 A/S
ともども戦場に赴くことになった.

 戦前,広く世界に機関車を輸出していたマーヴァグの取引先は戦後,殆ど自国と共産圏だけとなり,1959年にガンツ Ganz 社と合併して社名をGanz-MÁVAGに変更.
 1988年の再編の結果,惜しくもマーヴァグの名前は消滅したのだった.

 【参考ページ】
https://hu.wikipedia.org/wiki/Magyar_Kir%C3%A1lyi_%C3%81llami_Vas-,_Ac%C3%A9l-_%C3%A9s_G%C3%A9pgy%C3%A1rak
http://jarmuvekamultbol.blog.hu/2015/11/05/mercedes_buszok
http://magyarjarmu.hu/ipar/mavag/
http://www.postamuzeum.hu/en/targyak/kategoria/463/jarmuvek
http://www.keptelenseg.hu/sorozat/regi-mercedesek-111662

LO 2000写真
LO 2500写真
こちらより引用)

メルセデス・ベンツL3000と鹵獲されたT-34/76
こちらより引用)

mixi, 2016.5.9


 【質問】
 第二次大戦ハンガリー陸軍の対戦車火器には,どんなものがあったの?

 【回答】
・36.M 20mmゾロターン Solothurn 対戦車ライフル

 36.M 20mm repeszgránát (HE round) - 0.3625 kg
 36.M 20mm páncélgránát (AP round) - 0.38125 kg

・37/42.M 40mm L/26 カノン砲

 36.M páncéltörő gránát (AP round)
 39.M repeszgránát (HE round)

・41.M 40mm L/45 カノン砲

 36.M páncéltörő gránát (AP round)
 42.M repeszgránát (HE round)

・41.M 75mm L/25 カノン砲

 36/42.M páncéltörő gránát (AP round)
 42.M páncélromboló gránát (HEAT round)
 42.M repeszgránát (HE round)

▼・40.M 40mm 対戦車砲
 別項参照▲

・40.M 105mm L/20 榴弾砲

 38/33.M repeszgránát (HE round) - 15.04 kg
 37.M páncélgránát (AP round) - 14.16 kg
 42.M rombológránát (HEAT round) - 17 kg

・36.M 40mm L/60 対空機関砲

 36.M páncéltörő gránát (AP round) - 0.97 kg
 39.M repeszgránát (HE round)

42/a.M 対戦車ロケット砲 páncélromboló gránát

 最大初速 110m/s
 有効射程 150-200m,
 180 mm の装甲を貫通可能

 【参考ページ】
http://forum.warthunder.com/index.php?/user/292258-hebime/?tab=reputation&app_tab=forums&type=received&st=480
https://en.wikipedia.org/wiki/Weapons_employed_in_the_Slovak%E2%80%93Hungarian_War
http://mek.oszk.hu/12900/12993/pdf/12993_3.pdf

対戦車ロケット砲
一部,戦後のものを含む
こちらより引用)

mixi, 20165.16

 40Mは40ミリ対戦車砲では?
 ドイツの37ミリ対戦車砲の派生形だそうです.
http://kabanos.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-daa4.html

 パンツァーファウスト作戦の時のハンガリー軍の写真.
 これでティーガー2を迎え撃つのは無理ですなぁ・・
http://kabanos.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/02/19/bundesarchiv_bild_101i6808283a18a_b.jpg

 この砲もカレンメグダン要塞にあるそうで,ベオグラードに行きたい気分・・.

 カレンメグダンにある個体
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/PAK-36_kalemegdan_3.jpg/640px-PAK-36_kalemegdan_3.jpg
http://farm8.staticflickr.com/7092/7221262096_f630a48e18_z.jpg
https://www.flickr.com/photos/massimofoti/7221059464

 その他,対戦車砲について
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?f=70&t=4258

ギシュクラ in mixi,2016年5月22日

 40Mはズリーニの主砲にも使われている105mm砲のことではないかと.

mixi, 2016.5.23
2017.5.18削除


 【質問 kérdés】
 43.M HAKとは?
Mi az 36.M hasábakna?

 【回答 válasz】
 1943年にハンガリー軍に採用された角棒状地雷で,43.M HAK または"43.M nagy hasábakna"(43.M 大型角棒状地雷)と呼ばれた.
 36.M HAKの対戦車版であり,36.Mと外見も大差ない.
 唯一の違いは地雷本体がより大きくなったことで,TNT 4kgが充填されていた.
 爆発するには加重200kgが必要だったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438694/en/

2017.7.9


 【質問 kérdés】
 43.M TAKとは?
Mi az 43.M tányérakna?

 【回答 válasz】
 1943年にハンガリー軍に採用された tányérakna (平板型地雷; TAK).
(写真1)
 43.M nagytányérakna(大型平板型地雷)と呼ばれることもある.
 成形炸薬を用いた対戦車地雷であり,ミシュナイ・ヨーヂェフ Misnay József によって開発された.
 ミシュナイ技師は「ミシュナイ=シャルディン効果」で知られる.

 この地雷は筒状の段ボール製で,上面と底面は合板.
 この中に厚紙で蔽われた成形炸薬がある.
 段ボールでできた地雷本体は,外側を瀝青,内側をパラフィンで蔽われている.
 そして,カモフラージュ模様の防水キャンバス・カバーが地雷全体を覆っている.
 このように金属部品が使われていないため,地雷探知機での発見が困難で,地上と地中の両方で使用することができた.

 信管のための穴が,地雷底部の中央に開けられている.
 信管は機械式の感圧タイプであり,加重500~600kgの間で作動範囲を調整できる.
 この地雷では,特殊なL字型の梃を使用することができる.
 戦車がL字型の「腕」の上を通過すると,梃の原理により地雷が戦車の底面に押し付けられ,そして爆発する.
 充填量はTNTまたはペントライト 50/50が4.6kg.

 43.M TAKの生産数は正確には分かっていない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438708/en/ ※写真1引用元

2017.7.10


 【質問 kérdés】
 44.M LŐTAKとは?
Mi az 44.M lövő tányérakna?

 【回答 válasz】
 ミシュナイ=シャルディン Misnay-Schardin 効果で知られるミシュナイ・ヨーヂェフ Misnay József 中佐が開発した対戦車路肩地雷で,1944年にハンガリー軍が採用.
(図1)
(図2)
 LŐTAKはLövő Tányéraknaの略記で,直訳するなら「狙撃用平板型地雷」といったところか.
 これは恐らく世界で最初の路肩地雷といえた.
 この地雷の作動はトリップワイヤによるものか,観測員がいる場合はリモコンで起爆させた.

 この地雷は,通常の地雷のような爆発効果または成形炸薬効果(モンロー/ノイマン効果)に代わり,モンロー/ノイマン効果と金属発射体との組み合わせを利用する.
 地雷が爆発すると,鋼板とそれに取り付けられたロッドが,目標に向かって投射される.
 この地雷は隘路など戦車の通りかかりそうな場所に,三角形の木枠を使って設置される.
 地雷の中にはペントライト50/50が4.5kg充填されており,距離20mで100mmの装甲貫徹能力があった.

 この地雷の初陣は,カルパチア山脈での戦い.
 1944年3月,ドイツ軍によるハンガリー占領作戦「マルガレーテI作戦」が行われたときには,ドイツ軍に対して抵抗したハンガリー軍部隊が幾つかあったが,彼らはブダ城にてバリケードを作り,城へ至る道路には,この44.M LŐTAKを仕掛けた.
 その一つはオシュトロム Ostrom 通りで爆発し,建物を貫通して建物の反対側まで穴を開けた.
 オシュトロム通りには片側に駐車場が,両側に歩道があって,壁から壁までの幅は12mあった.
 この事実が,この地雷の威力を示していると言えるだろう.

 ブダペシュト攻防戦においても,この地雷が多数,道路脇,岩陰,木の根元などに仕掛けられた.

 44.M LŐTAKの正確な生産数は分かってはいない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438787/en/ ※図1引用元
http://jaszlajosmizse.hu/70-eve-tortent-1944-november-1/
http://www.honvedelem.hu/container/files/attachments/55327/haditechnika_2011_3_teljes_red.pdf ※図2引用元
http://mek.oszk.hu/12900/12993/pdf/12993_3.pdf

2017.7.11


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍にあった外国製の対戦車砲は?
Milyen az páncéltörő lövegek voltak amagyar honvédség, akit idegen készült a második Világháború?

 【回答 válasz】
・ドイツ製3.7cm PAK-36
 全て40.M対戦車砲に転換

・ドイツ製 5cm PAK-38

・ドイツ製 7.5cm PAK-40
・7.5cm PAK-97/98
 フランス製の1897年式75mmカノン砲 Canon de 75 modèle 1897 をドイツ軍が鹵獲したもの

・ドイツ製 8.8mm PAK-43

・ベルギー王立砲兵廠 1931年式47mm 対戦車砲

・鹵獲したロシア軍対戦車砲

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431232/en/

2017.5.18


 【質問 kérdés】
 40.M対戦車砲とは?
Mi az 40.M páncéltörő löveg?

 【回答 válasz】
 大戦前,ハンガリーはドイツから3.7cm PAK-36対戦車砲を輸入し,軍標準の対戦車砲として使用した.
 しかし1940年,このPAK-36の砲身は,水平スライド・ブロックつきの40nn口径の L/47砲身に交換された.
 この改造は,そのころハンガリーが対空自動砲のために40mm砲弾を生産しており,兵站をより円滑にするため,対戦車砲と対空砲の両方に同じ砲弾を使えるようにすることを目的として行われた.
 全てのPAK-36がこのように改造され,40.M対戦車砲という新しい名前が与えられた.
(写真1)
(写真3)
(写真4)
(写真5)
(図版1)

 1943年には装甲貫徹能力を向上させた42.M 成形炸薬弾 páncél robbantó gránát / armor exploder grenade が登場.
(写真2)
(図版3)
 この砲弾は,新形状の装薬であり,安定板がついていた.
 43.M硬芯徹甲弾 magvas páncélgránát / cored armor-piercing という新しい徹甲弾も支給された.
 ただ,ハンガリーはタングステン芯を作る技術も物資も無かったので,この徹甲弾は通常の鉄芯で造られた.
 この戦車砲の貫徹能力は,距離100m,仰角60度で46mm,距離1000m,仰角60度で30mmだった.

 1940年から1944年の終戦までの間に,ハンガリー軍に供給された40mm対戦車砲の総数は822門.
 1944年頃には閉鎖機 gun breech が半自動化された改良型が登場しており,当時の報道映画の中にも見ることができる.

 なお,ハンガリーには砲の研究部門が無かったので,より強力な対戦車砲を開発する努力はなされなかった.
 1942年12月,ハンガリーは40.M対戦車砲を更新すべく,ドイツの7.5cm PAK-40対戦車砲のライセンスを購入し,75mm 43.M対戦車砲と名付けた.
 だが,75mm対戦車砲は資材不足により終戦までに作ることはできず,トゥラーンIIIやズリーニIのための2種類の戦車砲があったのみだった.
(図版2)

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431232/en/ ※写真1~2,図版2引用元
http://www.had.eoldal.hu/fenykepek/--tuzerseg/magyar-tuzerseg/ ※図版1引用元
http://www.honvedelem.hu/cikk/43570 ※写真3~5引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/15688 ※図版3引用元

2017.5.18


 【質問 kérdés】
 第二次大戦でハンガリー軍が使用した携行型対戦車ロケット・ランチャーは?
Milyen az hordozható páncéltörő rakéták voltak, amit használt a magyar honvéd a második világháborúban?

 【回答 válasz】
・パンツァーシュレック Panzerschreck
 ドイツ製.
Németországban készült
 1944年以降配備.
1944-től használt.

・パンツァーファウスト・クライン Panzerfaust Klein (ファウストパトローネ Faustpatrone)
 ドイツ製.
Németországban készült
 1944年以降配備.
1944-től használt.

・パンツァーファウスト30
 ドイツ製.
Németországban készült
 1944年以降配備.
1944-től használt.

・パンツァーファウスト60
 ドイツ製.
Németországban készült
 1944年以降配備.
1944-től használt.

・44.M対戦車ロケット・ランチャー
44.M páncéltörő rakéta
 ハンガリー国産.
 1944年以降配備.
1944-től használt.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434988/en/

2017.6.26


 【質問 kérdés】
 44.M 携行型対戦車ロケット・ランチャーとは?
Mi az 44.M páncéltörő rakéta?

 【回答 válasz】
 おそらくは1942~1943年頃のことだと思われるが,アメリカからソ連へのレンドレース兵器の中にあった初期型バズーカ砲に,ハンガリー軍は初めて遭遇した.
 そしてハンガリーもドイツ同様,個人携行可能な対戦車ロケットランチャーの開発を始めた.
 1943年のことである.
 それはドイツのパンツァーシュレックよりも,アメリカのバズーカ砲に似ていたが,他国の兵器のコピーではなく,パンツァー・シュレックや初期型バズーカよりも多くの点で優れていた.
(写真1)
(写真2)

 44.M ロケット・ランチャーは口径60mm.
 信管が頭部ではなく底部にあり,このためホローチャージの威力を弱めることがなく,装甲貫徹能力は100mmあった.
 弾頭カバーは亜鉛ベースのダイキャスト合金であり,これは弾頭に二次的な信管の効果を与えるだけでなく,製造も容易にした.
 弾道性能は米独のものよりも良く,ロケットの放物頂点は
飛距離50mに対して0.5m
100mに対して2m
150mに大使て4.5m
あった.
 また,初速は80m/s,有効射程距離は150m,最大射程距離は600mだった.
 量産型のランチャーには防盾がついたため,パンツァー・シュレックのように見えた.
 配備されたのが1944年後半だったため,戦局を挽回するまでには至らなかった.

 44.M ロケット・ランチャーの正確な生産数は分かっていない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434988/en/ ※写真1引用元
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_rv_l_6.html ※写真2引用元
https://tortenelem.444.hu/2017/05/10/magyar-egre-magyar-lidercet

2017.6.26


 【質問 kérdés】
 20mm 36.M ゾロターン対物ライフルとは?
Mi az 20 mm 36.M Solothurn páncéltörő puska?

 【回答 válasz】
 1936年,ハンガリーはスイスのゾロターン社からゾロターンS-18/100対物ライフルのライセンスを購入し,ダヌヴァア社で生産を行った.
(写真1)
(写真2)
(写真3)
 これは銃身後座式の反動利用方式による半自動ライフル銃だが,幾つかの性能が原型とは異なっていた.
 銃身は900mmで,給弾は銃の左側面に水平に取り付けられた,5発入りの箱形弾倉からなされた.
(オリジナルのS-18/100には,10発装弾の弾倉もあり,通常はこちらが用いられたのだが)
 発射速度は毎分22~26発だったが,射手の習熟度合いによって,早い者は毎分30発も撃つことができ,一方遅い者は毎分10発でしかなかった.

 この銃は0.175kgのAPHE-T弾,または0.156kgのHE-T弾を初速762m/sで発射.
 ハンガリーのデータによると,装甲貫徹能力は以下の通り;
仰角90°,距離 100mで35mm
仰角90°,距離 500mで24mm
仰角90°,距離1000mで17mm
仰角60°,距離 100mで30mm
仰角60°,距離 500mで20mm
仰角60°,距離1000mで13mm

 有効射程距離は1500mだったが,最長射程距離は5500mだった.
 散布界は500mで25x25cm,1000mで100x100cmと比較的精密だった.
 射撃の際にはスコープ(図1)が使用された.
 二脚に加え,大型の機関部を支えるため,床尾部下面には単脚があった.

 強力な弾丸のために反動が大きく,サイズや重量が大きいため,戦場では移動は困難だった.
Nagy, erőteljes lövedéke miatt hátrarúgása hatalmas, mérete és súlya miatt nehézkes a harctéren mozgatni.
 移動は馬による牽引か,それが困難な場合には,手押し車を使い,2人がかりで引っ張った.

 この銃や弾丸の製造単価は高価だった.
 また,極寒の東部戦線では,しばしば作動しないことがあった.

 36.Mゾロターン対物ライフルは,「トルディ」軽戦車や「チャバ」装甲車の主砲ともなった.
 水軍の警備艇にも搭載された.
 ハンガリーでは著名な銃器開発者,キラーイ・パール Király Pál とゲバウアー・フェレンツ Gebauer Ferenc は,航空機や戦車への搭載用に,この銃を全自動に改造しようとそれぞれ計画していたが,どちらの計画も手つかずに終わった.

 この銃の生産は1943年に終了したが,戦争の全期間を通じて使われた.

 この銃の生産数は正確には分かっていないという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434821/en/ ※写真1&図1引用元
http://magyarhonved.blogspot.jp/2012/11/a-36m-nehezpuska.html ※写真2引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/6696 ※写真3引用元

2017.6.23


 【質問】
 第二次大戦ハンガリー軍の対物ライフル搭載バイクについて,3行以上で教えてください.

 【回答】
 第二次大戦初期,ハンガリー軍ではサイド・カー付きオートバイのサイド・カーに,スイス製のゾロターン Solothurn 20mm対戦車銃を搭載した一隊があった.
 ハンガリー軍には十分な数のバイクはなかったので,民間向けバイクを徴用して使用.
 そのため種類は様々,総数も不明である.
 乗員はイタリアの戦車兵ヘルメットM35に似たヘルメットを被っており,快速軍団に所属して,独ソ戦に従軍.
 彼らは当初,軽車輌対象の猟兵的役割を担わされたが,さすがに無理があったようで,後には歩兵支援に投入され,1942年頃を最後に見られなくなった.

 ちなみにこうしたアイディアはハンガリーだけのものではなく,デンマークやソ連その他にも同じようなものがあったという.
 たとえ軽車輌が相手であっても,かなり厳しい戦いを強いられたのではないかと想像されるのだが…

 【参考ページ】
http://www.wwpd.net/2016/03/bolt-action-hungarian-motorcycle-with.html
http://dumbartonwargamesclub.webs.com/Unnoffficial%20Armies%20of%20Hungary.pdf

対戦車銃搭載サイド・カー付きBMW R75バイク
上記バイクのイラスト
対戦車銃搭載サイド・カー付きSokół 1000バイク
こちらより引用)

mixi, 2016.5.10


 【質問 kérdés】
 43.M 攪乱手榴弾とは?
Mi az 43.M vakító kézigránát?

 【回答 válasz】
 1943年,ハンガリー軍では歩兵の対戦車戦闘に新戦術を採用した.
 それはドイツ軍が使い始めた戦術と同じもので,このために新しい装備が必要とされた.
 それが43.M 攪乱手榴弾(写真1)(図1)で,これはドイツのBK-1H Blendkörper (一説にはBK-2H Blendkörper)のライセンス生産版だが,僅かにドイツ製の物とは違いがあった.

 これは洋梨型をしたガラス製の手榴弾で,中には290㎤の煙酸――三酸化硫黄とクロロ硫酸を1:1で混合したもの――が充填されていた.
 携行時は焼夷手榴弾と同じように,錫製の収納カプセルに入れられていた.
(図2)
(図3)

 この手榴弾は戦車兵の目をくらませるために使用され,その隙に対戦車装備を持った兵士が戦車に近づくという算段だった.
 これが戦車(通常は展視孔)に向かって投げつけられ,ガラスが壊れて中から溢れ出た煙酸が空気と反応.
 これが塩化水素と硫酸に変わり,濃い白煙が沸き上がった.
 時にはガラス瓶の中身が戦車の隙間または閉鎖されていないハッチから戦車の中に侵入,煙酸が戦車乗員を呼吸困難にし,乗員が戦車から脱出してしまうこともあった.

 43.M の生産数は正確には分かっていない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438241/en/ ※写真1引用元
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_ga_l_v.html ※図1~3引用元

2017.7.1


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の焼夷手榴弾は?
Milyen az magyar honvéd lángránátják voltak a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 これはいつごろからハンガリー軍に採用されたのかは不明だが,第二次大戦勃発前には既に存在していた.
 この兵器は元々,敵の要塞や機関銃座に対して使用されたが,1943年以降,戦車のエンジン区画への投擲に用いられるようになった.

 ハンガリーではこの種の兵器としては,
38.M
38/A.M
39.M
39/A.M
の4つが知られている.
 モトロフ・カクテルに似た手榴弾で,38.Mは1938年,38/A.Mは1938.9.27,ハンガリー軍に制式採用された.
 39.Mと39/A.Mは1939年採用.
 このうち最も広く,最も多く使われたのが39/A.M(写真1)だった.

 この手榴弾は割れ易いガラス瓶でできており,0.4~0.5リットルの可燃性物質が充填されていた.
 材料はガソリン,ガソリンとエチル・アルコールの混合物,あるいはガソリンと焼夷油(タールとペントールの混合物)を2:1で混合したもののいずれかだった.
 ガラス瓶の底には,2つのアンプルを樹脂ワックスで接着した長方形の部分が隅にあった.
 これらアンプルには雷管となる液体が充填されていた.
 この液体は空気と反応すると直ちに発火する物質,おそらくは燐のようなものだったと思われるが,資料が失われたため,正確なところは不明.

 38.Mや39.Mはコルク栓で封をされていたが,38/A.Mや39/A.Mはネジ山付アルミニウム栓とゴムとで封をされていた.
 38.Mや38/A.Mは透明ガラス,39.Mや39/A.Mは緑色のガラスだった.
 錫の収納カプセルはどれも共通.

 生産総数は不明だが,戦後も幾つか改修されて生産が続けられた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438335/en/ ※写真1引用元

2017.7.3


 【質問 kérdés】
 「ドボー」って何?
Mi az "Dobó" ?

 【回答 válasz】
 第二次大戦末期に,世界で初めて試作された二足歩行兵器.
 ハンガリーの天文学者でファンタスチカ作家,クリン・ジェルジ Kulin Györgyの考案によるものと言われているが,同時期のドイツの「武器人間」プロジェクトの影響もあった模様.

 航空機用のWM K-14Bエンジン(ノーム・ローンK-14のライセンス生産版),986HPを動力とし,50mm機関砲を装備する計画だったが,試作機製作中に終戦となったため,詳細は不明.
 試作機はバラトン湖に沈められたと言われている.

 ちなみに「ドボー」は,1552年,エゲル城を包囲したオスマン軍を撃退した守備隊長ドボー・イシュトバーン Dobó István の名に因む.

 【参考ページ】
http://empireofghosts.blogspot.jp/

「ドボー」完成予想模型
こちらより引用)

ドイツの「武器人間」計画
https://www.youtube.com/watch?v=PrDm_HuNjJY

2017.4.1
注意! この項はエイプリル・フールのネタです


目次へ

「WW2別館」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

inserted by FC2 system