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◆◆◆◆◆火砲 Tüzérség
<◆◆◆◆装備 Felszerelése
<◆◆◆ハンガリー陸軍 Magyar Honvédség a Második Világháborúban
<◆◆陸戦 目次 Földi Csata Index
<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ


 【link】


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の砲兵部隊について教えてください.
Kérem, mondja meg Magyar Királyi Honvéd tüzérségeről.

 【回答 válasz】
 1941.5.30のフバII計画の場合,9個ある軍団にそれぞれ
・自動車化砲兵司令部中隊
・自動車化砲兵大隊×1

 この自動車化砲兵大隊には
・大隊司令部
・自動車化砲兵小隊(149cm榴弾砲×2)×2
・自動車化砲兵観測小隊×1
が配属されていた.

 また,各軍団は3個歩兵旅団が配属されていたが,各旅団には砲兵連隊1個が配属されており,
第1大隊は
・山砲小隊(75mm山砲×4)×1
・砲兵小隊(76.5mm野戦砲×4)×1
・砲兵小隊(100mm榴弾砲×4)×1
・大隊司令部
第2大隊は
・砲兵小隊(100mm榴弾砲×4)×1
・砲兵小隊(105mm榴弾砲×4)×1
・砲兵小隊(149mm榴弾砲×4)×2
・大隊司令部
を有することになっていた.

 これが1942.2.17のフバIII計画では,9個ある軍団にやはりそれぞれ
・自動車化砲兵司令部中隊
・自動車化砲兵大隊×1
があったが,再編中であり,同年10月には総司令部直轄部隊とされてしまう.

 また,各軍団には2個軽歩兵師団が配属されることとなり,各師団は上述したものと同じような砲兵連隊1個を有していたが,やはり再編中だった.

 なお,総司令部直轄の第101砲兵旅団があり,この部隊は305mm榴弾砲や210mm榴弾砲を有していた.
 また,快速軍団にも砲兵があったが,こうした特別編成の部隊については別項に譲る予定.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://m.militaria.hu/digitalis-hadtortenelem-hadtorteneti-oktatasi-csomagok-iskolak-szamara/a-horthy-korszak-hadereje/a-horthy-korszak-hadereje-hadszervezet/honvedtuzerseg-a-horthy-korszakban
http://www.niehorster.org/015_hungary/41-huba-2/_army.htm

ハンガリー軍砲兵
(図No. faq210714tz1~3,こちらより引用)

mixi, 2021.7.14


 【質問 kérdés】
 305mm 11.M臼砲とは?
Mi az 30.5cm 11.M ostrom mozsár?

 【回答 válasz】
 これはオーストリア=ハンガリー時代のシュコダ30.5cm臼砲のことで,第一次大戦敗戦後,協商軍の軍備統制委員会によって没収されることのないよう隠匿された.
 その後,再軍備宣言により,ハンガリー軍はこの砲を同国仕様にして配備した.
(写真1)
 11.Mと11/16.Mとで合計5門.
 自動装填により,重量300~385kgの砲弾を発射し,射程11,250m,初速は329~371m/sだった.
 砲身長は3660mmで,L/12口径.
 砲全体の重量は21tに達し,仰角は40°~75°,旋回角は120°.
 砲架の大きさは2600×4600mmだった.
 運搬時には,砲身と砲台に分解して輸送された.
 この輸送のため,イタリア製のブレダ・トラクターを1932年に32.Mとして制式採用した.

 1938年の時点で,第101独立砲兵旅団に配備されており,その後,ユーゴスラビアとソ連での軍事作戦に参加した.
 1940年にこの砲はいったん退役したが,1942年春に再度,部隊配備された.
 第101旅団麾下の第151~154大隊に各1門ずつの配備だった.

 1943年1月のOstrogozhsk-Rossosh攻勢では,第2軍に配属され,この戦闘により残存2門だけとなったが,この2門は戦争が終わるまで生き残った.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431904/en/ ※写真1引用元
https://hu.wikipedia.org/wiki/%C5%A0koda_30.5_cm_M%C3%B6rser_M._11
http://www.niehorster.org/015_hungary/41-huba-2/brig-art.html
http://hagibal.blogspot.jp/2013/06/kulonleges-fegyverek-ii-skoda-m11-305.html

シュコダ30.5cm臼砲
(wikipediaより)

2017.5.29


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍の山砲について教えてください.
Kérem, mondja meg a magyar honvédség hegyi ágyúják a második Világháborúban.

 【回答 válasz】
 第一次世界大戦後もハンガリー軍はハンガリー仕様のシュコダ Skoda 7.5cm Gebirgskanone M 15を使用し続けた.
 15.Mはハンガリー軍山岳部隊によって戦争全体を通して使用された他,パラシュート部隊に配備された唯一の砲ともなった.
 この山砲は射撃状態で620kgあったが,三分割して運搬することができた.

 7.5cm 15/31.M山砲は,1931年に15.M山砲に若干の改修をしたもので,騎兵部隊に配備されたため,「フサール砲」と呼ばれた.
 馬車によって牽引された.

 7.5 cm 15/35.M山砲は,1935年にさらに若干の改修をしたもの.
 改修前よりも50kg重くなった.
 15/35.M山砲は,山岳部隊の騎砲兵部隊に配備された.

 15.M,15/31.M,15/35.Mは同じ6.5 kgの砲弾を発射し,射程距離は7600mだった.
 戦争開始時,山砲の数は十分と見なされ,それ以上の山砲は生産されなかった.

 7.5cm 42.M成型炸薬弾は,仰角60度で60~70mmの装甲貫徹力があった.
 この砲にはまた,7.5cm 34/35.M徹甲榴弾も用意された.
 この徹甲榴弾は,距離100m,仰角60度で24mmの装甲貫徹力があった.

M15系列の山砲
(写真1)
(写真2)
(写真3)
(写真4)

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431296/en/ ※写真1引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/4004
http://moesslang.net/kanonen75mm_gebirgskanone.htm
http://feol.hu/cimlapon/egesz-nap-dorgott-az-agyu-hagyomanyorzok-bemutatoja-a-katonai-emlekparkban-1115173 ※写真2引用元
https://mataszfovaros.hu/matasz-hagyomanyorzo-tagozat-m-kir-106-onallo-honved-tuzeruteg-elso-vilaghaborus-bemutatoja-a-ludovika-fesztivalon/ ※写真3~4引用元

2017.5.21


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍の試製80mm狙撃砲 crenel-shooting gun について教えてください.
Kérem, mondja meg a Magyar kísérleti 80 mm-es réslövő?

 【回答 válasz】
 1940年と1941年の戦訓により,ハンガリー政府はHTI(軍事技術研究所)に対し,敵の要塞を破壊することができる野砲を開発するよう命じた.

 最初の計画では,15cm 31.Mの榴弾砲(ボフォース1931年型150mm榴弾砲のライセンス生産)の砲架に搭載可能な砲身を開発することだった.
 そこでは,この特定の砲を装備した砲兵部隊は,必要とされる能力によって砲身を交換することができた.
 1942年,試験のため,15cm 14.M榴弾砲(15 cm schwere Feldhaubitze M 14)の砲架に砲身は搭載された.

 この狙撃砲の砲身はL/70口径長で,8cm 29/38.M対空砲(ボフォース1929年型80mm砲を,若干の手直しをしてライセンス生産したもの)をもとに4か月で製作された.
 元のL/50口径長を150mmに引き伸ばし,このために標準的なAPHEの弾速 round は,初速で750m/sから950m/sに向上した.
 これは80cmのコンクリートを貫通する能力があった.
 装甲貫徹能力は不明だが,ドイツの7.5cm PAK-40対戦車砲の貫徹能力は上回っていたと思われる.

 図1は,14.M L/70砲身が,14.M榴弾砲の砲架に搭載されている様子を示している.

 この試製砲の開発がなぜ断念されたのかは不明だが,量産はなされず,ハンガリーでは40mm 40.M対戦車砲の生産に集中した.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431247/en/ ※図1引用元
http://www.honvedelem.hu/container/files/attachments/55342/ht_2013-6_teljes_red.pdf

2017.5.21


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍の39.M擲弾筒について教えてください.
Kérem, mondja meg az 39.M gránátvetőt a magyar honvédség második Világháború.

 【回答 válasz】
 39.M擲弾筒は,火砲や迫撃砲の支援火力を得るにはリスクが大きい局面で,効果的な火力を提供するものとして,1939年に開発された.
 有効射撃範囲は50〜850m.
 0.85kgの擲弾には手榴弾2個分の効力があった.
 訓練を積んだ射手は,一分間に20~30発を発射することができた.

 擲弾装薬には排気口があった.
 穴が6つ開いており,その穴から発射ガスを逃した.
 排気が「閉」であるときは,ガスは一つの穴からしか逃すことができないが,「開」のときは6つの穴から逃すことができた.
 擲弾筒は発射ガスの圧力により,榴弾を飛ばした.
 ガスが多ければ多いほど射程は伸び,ガスが少なければ少ないほど射程は短くなった.

▼ 擲弾筒は比較的軽量であったので,オートバイのサイドカーで運搬することもできた.
 ただし,サイドカーに搭載した軽機関銃などが走行中も操作可能であったのに対し,擲弾筒は輸送状態でしかサイドカーに搭載できず,擲弾筒使用時にはサイドカーに固定されているそれを外して設置する必要があったという.▲

 製造数は不明.

 ハンガリー軍では他にドイツ製の5cm擲弾筒 leichter Granatwerfer 36 も使われた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431078/en/
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_av_m_ma_5.html
https://live.warthunder.com/post/539038/en/

2017.5.12

1枚目:39.M擲弾筒
(図No.faq170512gr,こちらより引用)

2枚目:擲弾
(図No.faq170512gr2,こちらより引用)

3枚目:擲弾装薬
(図No.faq170512gr3,こちらより引用)

4枚目:サイドカーで運搬状態にある擲弾筒
(図No..faq210108gr,こちらより引用)

2021.1.8


 【質問 kérdés】
 36.M迫撃砲とは?
Mi az 36.M aknavető?

 【回答 válasz】
 36.M 81mm迫撃砲は第二次大戦ハンガリー軍で使われた迫撃砲で,1936年に開発された.
(1枚目:図表番号 faq170512mt)
 正確には口径は81.4mmで,発射態勢時の重量は85kg.
 4.125kgの砲弾を発射した.
 熟練した射手は毎分20~25発発射することができ,最大射程は4300m.
 砲身底部には早期発射防止安全ボタンがあった.

 1939年,改良型の36/39.M迫撃砲が登場した.
(2枚目:図表番号 faq170512mt2)
(3枚目:図表番号 faq170512mt3)
 安全ボタンは廃止され,射程は6200mに伸びた.

 戦争初期,この迫撃砲を生産する工場は一つしかなく,常に不足していた.
 1943年になって,2つの工場が生産に加わり,供給不足は緩和された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431141/en/ ※faq170512mt引用元
http://mek.oszk.hu/04900/04967/html/ ※faq170512mt2引用元
https://forum.axishistory.com//viewtopic.php?t=158323  ※faq170512mt3引用元

2017.5.12

4枚目:36/39M迫撃砲とその操作班
1942年,ドン川戦線
(図表番号 faq190624mt,こちらより引用)

2019.6.24


 【質問 kérdés】
 120mm 43.M迫撃砲とは?
Mi az 120mm 43.M aknavető ?

 【回答 válasz】
 第二次大戦ハンガリー軍は,東部戦線においてソ連軍のM1938 120mm迫撃砲を大量に鹵獲した.
 ハンガリー軍はこれら鹵獲兵器を自軍装備に加えると共に,コピー生産も行った.
 それが43.M迫撃砲である.
(写真1)

 詳細データは不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431156/en/ ※写真1引用元

2017.5.13


 【質問 kérdés】
 第二次大戦でハンガリー軍が有した外国製の迫撃砲は?
Milyen az aknavetők voltak amagyar honvédség, akit idegen készült a második Világháború?

 【回答 válasz】
・軽迫

ドイツ製 8cm Granatwerfer 34
チェコ製 8cm minomet vz. 36
ユーゴスラヴィア製及びオランダ製の「ストークス・モーター」
ソ連製 82mm迫撃砲

・重迫

ドイツ製 10cmネーベルヴェルファー40
 ハンガリー軍では煙幕発射機として,1943年のみ使用

フランス製150mm T迫撃砲 1917年秋モデル
 1941~1943年,「ボトンド」装甲列車に搭載.
 フランスでの鹵獲品をドイツから供与された.

▼・NbW40

 ドイツでも317門しか製造されなかった珍品.
 ハンガリー軍の演習の場面の中に,存在が確認できる
 ドイツ軍では本来の用途だった化学戦で使われず,空軍野戦師団へお流れに.
 ちなみに,ヘルマン・ゲーリング師団のリーフレットにも掲載されている.
https://mobile.twitter.com/Nasikandar_/status/1205100312073142273?p=p
https://mobile.twitter.com/Nasikandar_/status/1205105898936356868?p=p
https://mobile.twitter.com/yosizo/status/1205116219860254720?p=p
https://mobile.twitter.com/yosizo/status/1205146658759004160?p=p

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431141/en/
http://live.warthunder.com/post/431156/en/

2017.5.12
2019.12.21追記


 【質問 kérdés】
 10.5cm 31.M野戦重砲とは?
Mi az 10.5 cm 31.M tábori löveg?

 【回答 válasz】
 1931年,ハンガリーはスウェーデンの1927年式10.5cmカノン砲のライセンスを購入した.
 この野戦重砲には,オリジナルの砲と同じように隔螺式閉鎖機構があったが,砲自体の仕様はオリジナルとは異なっていた.
(写真1)
 31.Mは機械化砲兵に配備され,一般歩兵や機械化歩兵,戦車隊支援に用いられた.
 この砲はさほど多くは生産されておらず,1943年1月からのOstrogozhsk-Rossosh 攻勢により,全てが失われた.

<要目>
放列重量5995kg
砲弾重量 17.5kg
仰角 -5°~+45°
旋回角度 22.5°
初速 8.5 m/s
射程 19,500m
砲身長 5250mm,L/50口径

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431684/en/ ※写真1引用元

2017.6.3


 【質問 kérdés】
 7.5cm野砲 Canon de 75 mle TRとは?
Mi az Canon de 75 mle TR?

 【回答 válasz】
 元はベルギー軍に配備されていた野砲で,1905年式クルップ野砲をライセンス生産したもの.
 写真1は第一次大戦時のベルギー軍における,この野砲の状況を示す.
 おそらくはどこぞの博物館展示.

 第二次大戦序盤にベルギーが降伏すると,この砲をドイツ軍は鹵獲し,7.5cm FK 235(b)と称して自軍に編入した.
 その後,供与品としてハンガリー軍に渡ってきた.
 ハンガリー側としては,もっと良い砲をよこせと言いたかっただろうが,言える立場になかったから仕方ない.

 以下に要目を示す.
 ただし,ベルギー軍在籍時の要目であることに留意されたし.
重量: 1,190kg
砲身長:1.7445 m,L/30口径長
砲弾重量: 6.52kg
仰角: マイナス10度~プラス21度
初速: 540m/s
射程: 10km

 なお,ほぼ同じ口径の76.2mm 1942年式野砲ZiS-3を,ハンガリー軍はソ連軍から鹵獲して配備している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431296/en/
http://www.forumeerstewereldoorlog.nl/wiki/index.php/Canon_de_75_mle_TR
https://forum.axishistory.com//viewtopic.php?t=151322

2017.6.5


 【質問 kérdés】
 8cm 05/08.M野砲とは?
Mi az 05/08.M tábori löveg?

 【回答 válasz】
 第一次大戦後も,ハンガリー軍は8cm野戦カノン砲M05/08を使用し続けた.
(写真1)
(写真2)
(写真3)
 この砲の多くは,戦間期にイタリアからハンガリーに返還されたものである.
 05/08.M野砲は軽量であることから,主に騎兵部隊麾下の騎砲兵部隊に配備された.
 写真4は,馬車牽引時の様子を示す.
 この砲は7kgの砲弾を,9300mの距離まで飛ばすことができた.

 この砲のうちいくつかは,対空砲としても使われた.
 例えばラーバ Rába "Vr"対空自走砲は,この砲を装備した.
 また,カッシャの対空防衛網は1941.6.26,主として05/08.M対空砲で構築された.
 05/08.M対空砲の最高射撃高度は4800mだった.

 ハンガリー軍はこの砲を長期間配備し続ける予定はなかったので,大戦勃発時にはすでにこの砲は生産されていなかった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431311/en/ ※写真1引用元
http://www.honvedelem.hu/nyomtat/34737 ※写真2~4引用元

2017.5.23


 【質問 kérdés】
 8cm 18.M野砲とは?
Mi az 8cm 18.M tábori löveg?

 【回答 válasz】
 第一次大戦後,ハンガリーは旧オーストリア=ハンガリー時代の8cm野砲 Feldkanone M18 (写真1枚目:図表番号faq170524fg3)を,ハンガリー軍仕様にして配備し続けた.
(写真2枚目:図表番号faq170524fg)

 18.M野砲は騎兵砲であり," ベーラー砲"と綽名されて,様々な兵科に配備された.
 ベーラー Böhler はオーストリア=ハンガリー時代のこの砲のメーカーの名前である.
 6.5kgの砲弾を射程距離8400mまで発射することができ,新規にこの砲が製造されることはなかったにもかからわず,その砲がもはや軍務に耐えられなくなるまで,戦争全期間を通じて使用された.
 ハンガリー軍の装甲列車101号と103号は,この18.M野砲で武装していた.

 1922年,18.M野砲を改良して18/22.M野砲とした.
 砲は軽量化され,フサール部隊により適したものとなった.
 ハンガリー水軍の砲艦の中にも,22.M野砲を搭載する22.M砲塔を備えたものがあった.
 ハンガリー軍の装甲列車102号と104号は,この22.M野砲で武装していた.
(写真3枚目:図表番号faq170524fg)

 1941年にバルバロッサ作戦が始まると,トゥラーンI戦車の40mmボフォース砲では武装貧弱なことが思い知らされた.
 そこで18.M野砲を改良した75mm砲を,この戦車に搭載することになった.
 これは75mm 41.M対戦車砲と称された.
 41.Mはハンガリーでは初の,水平半自動スライドブロック horizontal semi-automatic sliding block 機構を持った対戦車砲となった.
(写真4枚目:図表番号faq190319fg)

 8cm 34/35.M徹甲榴弾が18.M野砲や18/22.M野砲用に製造されたが,この砲弾の装甲貫徹能力は不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431318/en/ ※写真2~4引用元
https://hu.wikipedia.org/wiki/8_cm_Feldkanone_M._18
http://www.wikiwand.com/hu/8_cm_Feldkanone_M._18 ※写真1引用元

2017.5.24


 【質問 kérdés】
 10.5cm 14.M榴弾砲とは?
Mi az 10cm-es 14.M Tarack?

 【回答 válasz】
 第一次大戦後もハンガリー軍はオーストリア=ハンガリー時代の10cm M14榴弾砲 M 14 Feldhaubitze を,ハンガリー仕様に改修して使い続けていた.
 ハンガリー軍上層部はこの砲を全て,新開発の10.5cm 40.M榴弾砲に更新することを計画しており,14.Mの新規生産はされなかった.
 しかし,1941年に新型の砲が登場するまで,14.Mは使い続けられた.
 この砲は騎砲兵として,どの兵科でも見ることができた.
 戦闘態勢時重量1417kg.
 砲弾重量11.5~20kg.
 射程8000m.
 写真2は,第一次大戦時代のM 14 Feldhaubitzeを示す.

 14.M榴弾砲のいくつかは大戦間に,より強力な砲弾を発射できるよう改修された.
 これが14/A.Mと呼ばれるタイプである.
 この改修により,重量は1420kgに増えたが,13.75kgの砲弾を用いて射程は8870mに伸びた.
 この砲も14.Mと同時期に退役した.
 写真1は14/A.M榴弾砲を示す.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.landships.info/landships/artillery_articles/10cm_Feldhaubitze_m14.html ※写真2引用元
http://nagyhaboru.blog.hu/2010/10/18/borbely_kalman_tuzer_fohadnagy_hadiutja_12_resz
http://live.warthunder.com/post/431564/en/ ※写真1引用元

2017.5.25


 【質問 kérdés】
 10.5cm 37.M榴弾砲とは?
Mi az 10.5 cm 37.M track?

 【回答 válasz】
 1937年,ハンガリーはドイツから10.5cm軽榴弾砲 leichte FeldHaubitze 18を大量に輸入した.
 ただしライセンスは購入しなかったので,これをハンガリー国内で製造することはできなかった.
 37.M榴弾砲は騎砲兵向けおよび自動車化砲兵向けのヴァリエーションがあった.
 写真1写真2写真3写真4写真5は騎砲兵用のタイプ.
 自動車化砲兵用の砲にはゴムタイヤが装備されていた.

 1943年時点で,ハンガリー軍には騎砲兵25個中隊,自動車化砲兵14個中隊があった.
 第二軍の損失を補うため,ドイツから榴弾砲の供与を受け,砲兵の数は増加した.
 だが,戦訓によってこの砲は騎砲兵にとっては重すぎることが判明し,全て自動車化砲兵に転換された.

 この砲は,一般砲兵,自動車化砲兵,騎兵,および戦車隊を支援する砲兵部隊によって使用された.
 彼らはこの砲を「ゲーリング砲 Göring-howitzers」と呼んだ.

 1944年には,ドイツからさらに10.5cm軽榴弾砲 leichte Feldhaubitze 18/40を供与され,これを使用している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431657/en/ ※写真1引用元
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1613843225530443&id=1580549015526531 ※写真2引用元(元出典は『Huns on Wheels』)
http://www.honvedelem.hu/container/files/attachments/55342/ht_2013-6_teljes_red.pdf

2017.6.4


 【質問 kérdés】
 10.5cm 40.M榴弾砲とは?
Mi az 40.M tarack?

 【回答 válasz】
 オーストリア=ハンガリー時代の旧式砲ばかりだったハンガリー軍では1939年,ようやく新型榴弾砲の開発を始めた.
 これが10.5cm 40.M榴弾砲である.
(1枚目:図表番号faq170526hw)
(2枚目:図表番号faq170527hw)

 しかし製造上の問題に依り,完成は1941年1月となり,その間,ハンガリー軍ではドイツから10.5cm 軽榴弾砲 leichte FeldHaubitze 18を輸入して凌いだ.

 40.M榴弾砲にはマズルブレーキと,右方向へ開く水平スライド機構 horizonal sliding block があった.
 また,この砲の揺架には油圧ブレーキと,砲身を戦闘位置まで戻す油圧式復座機があった.
 砲架は10cm 14.M榴弾砲のものを流用.
 このため砲身はFH-18よりもかなり短かった.
 しかし,ハンガリー軍総参謀本部は,ドイツ砲と同等の砲口速度,最高471m/sを望んでいたため,この砲だけのための追加装薬を開発した.
 これにより,40.M実包を510m/sで発射することができた.

 40.M榴弾砲の開発により,10cm 14.Mおよび14/A.M榴弾砲は更新され始めた.
 どの部隊でもこの砲は騎兵砲とされた.
 砲弾重量は14.75~15.8kgで,FH-18の砲弾との間に互換性があった.
 口径はL/20,砲身長は2148mm.
 仰角俯角は-5°~+45°.
 traverse 4°.

 1942年10月,ハンガリーのMÁVAG工場は,10.5cm 42.M榴弾砲の青写真を示した.
 だが,この新型砲は量​​産には入らず,1944年にはハンガリーを占領したドイツ軍により,全ての榴弾砲の生産が停止させられた.

 40.M榴弾砲は終戦まで使用され,うち何門かはズリーニII ZrínyiII 突撃砲の主砲となった.
(3枚目:図表番号faq170527at)
(4枚目:図表番号faq170526at)

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431597/en/ ※faq170526hw & faq170526at 引用元
https://hu.wikipedia.org/wiki/40_M._10,5_cm-es_tarack
http://fegyverarzenal.mindenkilapja.hu/html/18011623/render/loveg
http://magyarhadseregcsataji.webnode.hu/tuzerseg/
http://ftr.wot-news.com/2014/02/17/4043m-zrinyi-ii-and-44m-zrinyi-i-assault-guns/ ※faq170527hw & faq170527at 引用元

2017.5.26


 【質問 kérdés】
 15cm 14.M榴弾砲とは?
Mi az 15 cm-es 14.M tarack?

 【回答 válasz】
 第一次大戦後も,ハンガリーは同国仕様にして15cm schwere Feldhaubitze(重榴弾砲)M14を使用し続けた.
Az I. világháború után Magyarország 15 cm-es schwere Feldhaubitze (nehéz mező tarack) M 14-et használt, de magyar megnevezéssel.
 写真1は,ウィーンのHeergeschlictes博物館にあるオリジナルのM.14(wikipediaより)
1. kép van egy eredeti M.14 a Heergeschlictes múzeumban, Bécsben (a wikipediából)
 写真2はハンガリー軍の砲である.
2. kép volt egy magyar honvédség tüzérsége.
 砲の多くは,両大戦間期にイタリアから返還されたものだった.
Sok tarackakat Olaszország adta vissza Magyarországra a háború közti időszakban.
 第一次大戦であれば効果的な兵器だったが,第二次大戦時には殆どの砲が改修を受けていた.
Ez volt az egyik hatékony fegyver az első világháborúban, de a második világháborúban ilyen sok tarackokt módosított.
 オリジナルの14.M榴弾砲は放列重量2765 kg,L/14口径で砲身長2087mm,仰角+ 5°~+ 70°,旋回角度8°.
Az eredeti 14.M tarack tömege 2765 kg volt.
Ez hordó hossza 2087 mm volt, ami L / 14 kaliber hordó hosszúságot adott.
Ez magassági irányzása + 5°~+ 70°, és ez ldalirányzása 8 °volt.
 42kgの砲弾を初速350m/sで射程8000mまで発射できた.
Emellett 42 kg-os héjat 8000 méterre, 350 m / s-os szívósebességgel tüzelt fel.

 1935年,この砲の改造が行われた.
1935-ben ez tarackot módosított.
 それが14/35.M榴弾砲である.
14/35.M tarack volt.
 煙突状の着脱可能なマズル・ブレーキをつけ,砲尾には反動エネルギーを減衰させるための鋼製の追加の重りがついた.

 14/35.M榴弾砲の要目は以下の通り.
重量2965kg
砲身長2574mm,L/17口径
仰角+ 5°~+ 70°
旋回角度4°
砲弾重量42~47kg
射程距離10690m
初速 277~380m/s.

 第二次大戦勃発前の1939年,二度目の改修が砲に対して行われた.
 それが14/39.M榴弾砲である.
(写真3)
 14/39.Mでは砲身,砲架,油圧ブレーキ機構が一新された.
 14/39.M榴弾砲の要目は以下の通り.
重量2765kg
砲身長2644mm,L/17.5口径
仰角+ 5°~+ 70°
旋回角度4°
砲弾重量42,7kg
初速345m/s

 これらの砲は全て騎砲兵に配備され,歩兵,機械化歩兵,騎兵,戦車への支援砲撃に用いされた.
 ただし,その重量のため,山岳部隊には配備されなかった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431821/en/

2017.6.2


 【質問 kérdés】
 15cm 31.M榴弾砲とは?
Mi az 15 cm 31.M tarack?

 【回答 válasz】
 1931年,ハンガリーはスウェーデンのボフォース1931年式150cm榴弾砲のライセンスを購入した.
1931-ben Magyarország megvásárolta a svéd Bofors 150 mm tarack 1931-es modell engedélyét.
 この重榴弾砲は,オリジナルのそれのように隔螺式尾栓 interrupted screw breech 式だったが,性能要目はオリジナルとは異なっていた.
Ez a nehéz tarack megszakította a csavart, mint az eredeti, de a tarack maga is különbözött az eredetiől a többi specifikációban.
 砲弾重量42~47kg.
Lőszer 42 -47 kg.
 初速530~583m/s.
Csőtorkolati sebesség 530~583 m/s.
 射程14600m.
Max. lőtávolság 14,600 m.
 31.Mの砲身はL/24口径で長さ3600mmだった.
A 31.M hordó hossza 3600 mm volt, ami L / 24 kaliber hordó hosszúságot adott.
 放列重量は5595kgで,仰角は-5°~+ 45°,旋回角度は22.5°だった.
Ez tömege 5595 kg a lőállásban, ez magassági irányzása -5 °~ + 45 °, és ez ldalirányzása 22,5 °volt.
 この砲は自動車化砲兵に配備され,一般歩兵や自動車化歩兵,戦車隊の支援砲撃に用いられた(写真1)
Ezeket a motorizált tüzérségben telepítették, és a általános vagy motorizált gyalogság és páncélgyalogság számára támogató bombázásra használták (1.fénykép)
 写真2は28.Mパヴェシ Pavesi 砲牽引車と15cm31.M榴弾砲(1940年).
A 2.fényképben 28.M Pavesi tüzérségi vontatója és vontatmánya egy 15 cm-es 31M tarack (1940)
 この砲は終戦まで使用された.
A háború alatt használták ezeket.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431832/en/ ※写真1引用元
http://www.keptelenseg.hu/sorozat/ritkan-lathato-tortenelem-magyar-kepek-2-78152 ※写真2引用元

2017.5.31


 【質問 kérdés】
 21cm 39.M榴弾砲とは?
Mi az 21 cm 39.M tarack?

 【回答 válasz】
 1939年にハンガリーはイタリアから,1935年式22口径210mm榴弾砲 Obice da 210/22 modello 35を輸入すると共に,ライセンス生産権を購入した.
 オリジナルの砲を(写真1)および(図1)に示す.

 この砲はアンサルド社によって開発されたもので,輸入された砲は39.M榴弾砲という名称でハンガリー軍に配備された.
(写真2)

 以下に原型のアンサルド砲の要目を示す.
砲口径: 210 mm
砲身長: 4.62 m
放列重量: 15,885 kg
俯角仰角: 0°~70°
左右角度: 75 °
砲弾重量:101kg
初速: 560 m/s
射程距離: 15,445 m

 その後,ライセンス生産が行われ,これは40.M榴弾砲と呼称された.
 砲弾重量は102~117.5kgとなり,初速は528~553m/s.
 放列重量は15,021 kg.

 1943年からは改修された型が生産され,41/A.M榴弾砲と呼称された.
 砲弾重量は101kgで射程は16000m.
 初速は570m/sだった.
 L/23.8口径で砲身長は4998mm.
 放列重量は15885kgだった.

 砲は輸送時には砲身と砲架とに分割できたが,荒れ地での運搬では4分割することができた.
 短距離の移動であれば,砲は分割せずに輸送することもあった.
 砲は馬での牽引には重すぎたので,自動車化砲兵部隊に配備された.
 1943年を最後に生産は止まったが,終戦まで配備され続けた.

 ちなみに運用実績は良好だったらしい.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431892/en/
https://en.wikipedia.org/wiki/Obice_da_210/22
https://weaponsandwarfare.com/2016/02/15/obice-da-21022-modello-35/
https://www.flickr.com/photos/41890777@N07/10257768076/lightbox/

1枚目:オリジナルの1935年式22口径210mm榴弾砲:側面図
(図表No. faq170530hw3,こちらより引用)
2枚目:オリジナルの1935年式22口径210mm榴弾砲:写真
(図表No. faq170530hw2,こちらより引用)
3枚目:39M榴弾砲
(図表No. faq170530hw,こちらより引用)

2017.5.30


 【質問 kérdés】
 15cm 43.M多連装ロケット・ランチャーって何?
Mi az 15 cm-es 43.M rakéta-sorozatvető?
 【回答 válasz】
 ドイツのネヴェルヴェルファー41をハンガリーでライセンス生産したもの.
 1944年夏から生産開始.
 ドイツ製のものと同様,ハンガリー製のものは煙幕や榴弾を発射することができた.

 ハンガリーで何基のネヴェルヴェルファーが生産されたのかは分かっていない.

 ハンガリー製のメッサーシュミットMe 210 Ca-1戦闘爆撃機の左右の翼下に3連装ロケットランチャーを1基ずつ吊り下げたものや,ズリーニ突撃砲にロケット・ランチャーを搭載したものも,少なくとも3~4つ作られた.
 これらは試験結果は良好だったが,試作段階にとどまり,実用化はされなかった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/433337/en/
https://hu.wikipedia.org/wiki/15_cm_Nebelwerfer_41
http://mek.niif.hu/12900/12993/pdf/12993_2.pdf

43.M多連装ロケット・ランチャー
(図No. faq170609rk, こちらより引用)

2017.6.9


 【質問 kérdés】
 ティハニィ・カールマンって誰?
Ki az Tihanyi Kálmán?

 【回答 válasz】
 ティハニィ・カールマン(1897.4.28 ウズベーグ~1947.2.26 ブダペシュト)はハンガリーの物理学者,電気技師,発明家であり,イコノスコープの発明者.
Tihanyi Kálmán (Üzbég, 1897. április 28. – Budapest, 1947. február 26.) magyar fizikus, villamosmérnök, feltaláló, az ikonoszkóp megalkotója.
 ハンガリーに時々現れる,「天才,でもニッチ」の一人.

 ブラチスラバの電気技術専門学校に学び,その後ブダペシュトで研究を続けた.
 1914年には最初の特許2件を出願し,翌年にはそれが認められた.

 初期のテレビ技術のパイオニアの一人で,ブラウン管(CRT)の開発に重要な貢献をし,1928年に陰極管を用いたブラウン管の特許をハンガリー,ドイツ,フランス,英国,アメリカにおいて取得.
 CRTはラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(後のRCA)が買収し,さらに改良された.
 また,1929年には彼は,英空軍省の依頼で無人航空機を設計・開発した.

 1939年,彼は完全にフラットなテレビを発表した.
 これは明らかにプラズマ・テレビの元祖であり,壁に掛けることができるという触れ込みだった.
1939-ben jelentette be teljesen lapos, valójában egy igen korai plazmatelevíziónak tekinthető televízióját, amely a leírás szerint keretbe foglalva akár falra is akasztható, ennek a gyártását a háború utáni Magyarországon tervezte beindítani.
 彼は1933年からこのアイデアに取り組み始め,1936年には特許申請していた.

 1940年夏,帰国したティハニィは,超音波砲の軍事利用計画に取り組むことになった.
 戦争勃発より前,彼は超音波に大きな関心を持ち,ペストを媒介する昆虫を駆除する超音波砲を発明していた.
 しかし彼はいかなる政府当局も信用しなかったため,摂政ホルティ・ミクローシュが直接この計画を支援することになった.

 1941年末までに,工場や研究所の組織化が完了し,技術将校9人を含む45人の特別チームが選抜された.
 コードネーム「TVR実験」と称されたこの計画は,最高機密とされた.
 主要部品はGanz工場とLáng工場において製造され,直径2mの羊皮紙の反射鏡のようなものもそこで作られた.
 この反射鏡により,「ティタン Titan」と名付けられたこの砲は,有効射程5~8kmと見積もられていた.
 ドイツの音波砲と基本概念は同じだが,ドイツのそれが対空砲として計画されていたのとは異なり,ティタン砲は用途がより広かった.

 しかしこの計画は,1943年後半までには問題がくすぶっていた.
 それは政治の問題だった.
 彼のスタッフの何人かは,潜在的反体制分子に置き替えられ,ティハニィ自身,反国家社会主義者として知られている政治家バイチ・ジリンスキイ・エンドレ Bajcsy-Zsilinszky Endre やその弟と接触していた.

 1944年3月,枢軸陣営から離脱しようとしたハンガリーは,ナチス・ドイツによって占領される.
 ティタン砲が実用化にならない可能性はますます高まっていたが,これがドイツに接収されるのは必然に思われた.
 そこでティハニィは,完成を遅らせようと試みた.
 一方,サボー・グスターヴ Szabó Gusztáv教授ととペシュル・イムレPöschl Imre教授が外部監査役としてプロジェクトに参加.
 1944.4.5,ティハニィはスタッフとともに逮捕された.
 4.11,彼はハディク Hadik 兵舎から マルギット・ボウレヴァルド Margit Boulevard の軍の収容施設に移され,5ヶ月間,非公開のまま拘禁されたが,不起訴となった.
 解放後,彼は再び野党指導者と接触したが,サーラシ・フエレンツの矢十字党政権が誕生すると,野党は全て非合法化された.

 終戦時,ティタン砲は80%まで完成していたが,戦後の混乱期の中で行方不明となった.
 現在でもその行方は分かっておらず,科学アカデミーに図面が残るのみである.
 結局ティタン砲はモノにならなかったが,超音波技術の可能性は大きく発展することになった.

 戦後,彼は衰弱状態にあったにもかかわらず,再び精力的に活動し,1日16~17時間も働いた.
 彼は中空成形のボール・ベアリングの製造を行う傍ら,テレビ放送会社やるブラウン管工場の設立を計画した.
 しかし彼はこの計画を暫く延期し,超音波技術を応用した金の遠心分離器の開発を始めた.
 これを成功させるために地質学研究所のラヨシュ・ローチ Lóczy Lajos と協力し,試作機の製造を始めた.

 しかし1946年冬,最初の心臓発作が彼を襲った.
 そして1947.2.26に二度目の心臓発作が起こり,彼はそのまま永眠した.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/454211/en/
http://ujszo.com/online/panorama/2017/05/01/tihanyi-kalman-pontosan-tudta-mekkora-jelentosegu-a-talalmanya ※リンク切れ
http://mult-kor.hu/cikk.php?id=16575
http://mek.oszk.hu/00300/00355/html/ABC15363/15728.htm

1枚目:肖像写真
(図No. faq170927th,こちらより引用)

2枚目:英空軍省研究所のドアの前に立つティハニィ
(図No. faq170927th2,こちらより引用)

mixi, 2017.9.27


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の音源測距儀について教えてください.

 【回答 válasz】
 大戦中,ハンガリー軍砲兵部隊は,敵砲兵部隊の位置を特定するための方法として,航空偵察の他,音源測距を用いていた.
 しかし戦後,資料が失われたため,詳細は殆ど知られていない.
 ただ,アーカイブ映像が残されており,ハンガリー軍における音源測距の手順を見ることができる.
http://filmhiradokonline.hu/watch.php?id=4772
 この映像の説明音声によれば,

------------
Az egész mérőrendszer előkészítését a század előretolt mérőállomásai végzik, és az adatokat lovas küldönccel juttatják a mérőközponthoz.
A nem látható szovjet ütegállások helyét a század az ellenséges lövegek lefényképezett dörejeinek hangképéből állapítja meg.
 中隊の前線観測班が,測定システム全体の準備を実施し,そのデータは騎乗の伝令によって測定センターへ送られた.
 視認できないソ連軍砲兵部隊の位置は,中隊では敵の砲の音像を撮影したものから割り出した.
------------

という.

 上述した理由により,音源測距儀の種類,ハンガリー国産なのかドイツ製なのかは不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/457320/en/

mixi, 2018.5.6


 【質問 kérdés】
 36.M 70cm測距儀とは?
Mi az 36.M 70cm távmérő?

 【回答 válasz】
 36.M 70cm測距儀(写真1)は砲兵観測用の測距儀.
 見ても分かるように,ドイツのEM34のほぼコピー.
 ライセンス生産かどうかは編者には不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453001/en/ ※写真1引用元

mixi, 2017.9.16


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