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(画像掲示板より引用)


 【Link】

「OSINTSUM」◆(2010/02/26)ベトナムでパンターが使用されたという話関連

「OSINTSUM」◆(2010/03/26)ベトナムでパンターが使用されたという話関連

『図説パンター中戦車パーフェクトバイブル』(野木惠一著,学研,2007.2)


 【質問】
 パンター戦車のコストは高いのか?安いのか?

 【回答】
 パンターは意外と低コスト.4号の1・5倍,ヘッツァーの2倍程度でしかない.車体規模や性能を考えれば,コスト・パフォーマンスに優れているといえる.

 武装や装備品は当時のいずれもドイツ軍の標準品と言えるもの(パンター専用品ってのは殆ど無い).
 装甲は,出来るだけ安く上げろとクルップに命じ,実際にティーガIより重量当たりの単価はかなり安く上がった.
 ミッション系のトラブルは装甲を増した結果の重量増大で負荷が増えた為(強度不足).これも標準品を使いたかった為.

 初期の企画段階での新機構は殆どが没になってる.

 では,ステレオ式測距儀や赤外線暗視装置といったものの存在はどうだったか?
 ステレオ式測距儀はF型で量産されていない.
 また赤外線暗視装置は末期のパンターG型に装備された事で有名だが,なにもパンター用に開発されたわけじゃない.
 装置自体は1936年より兵器局第6課が指揮を取ってAEG社と協同で開発にあたり,1943年にはマルダーIIに装着して試験をしている代物.
 これが実用段階になって主力戦車であるパンターに装備されただけの事.

 天然ガスと酸素を用いたトーチによる焼き入れでの表面硬化と,装甲厚に従って高・低周波の電流を流して表面硬化処理を行う高周波表面硬化法の2つの採用は,ニッケル・タングステン・モリブデン等が超希少金属であったドイツでは「ニッケルを一切使わない装甲板」として量産化の為の大命題だった.
 もしニッケルをふんだんに使えるなら,ドイツ兵器技術者の苦労は相当に軽減されていただろう.
 また,溶接方法(装甲を一部切り欠いた噛み合わせ構造など)は,強度の確保と溶接時間の短縮の一石二鳥によりパンターの生産性の向上に大きく貢献している.

 自動消火装置は,他のティーガー系列の独戦車にも付いているが,「凝った」装備と呼ぶほどのもんじゃない.極めて単純な機構の装置.ただ幸か不幸かG型以前のパンターでは必需品だったが.

 ダブル・トーションバーや挟込式転輪配置だけが,パンターの中で唯一凝った設計と言える.

 なお,値段はPanzer Worldによると:

2号 49−52
3号 103
3号突撃砲 82
4号 115ー125
5号 117
6号 299
虎U 321
シャーマン 100くらい

単位は1000Reichmark.1Reichmark=0.4-0.5ドル

官給品扱いの武装とエンジン,変速機,無線装備を除いた素の状態でのパンターの車両価格は117,100ライヒマルクで,三号戦車が96,163ライヒマルク,四号戦車が103,462ライヒマルク,ティーガーIが250,800ライヒマルクで,実際に官給品を載せればこの差は開くけど,上で挙がってる「凝った設計」のダブル・トーションバーや挟込式転輪を採用しながら,車体自体は極めて安価な事が分かるだろう.

(軍事板)

低コストを追求してみました
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ドイツ戦車に関する資料で,パンターのトーションバー・サスペンションの構造が4号戦車に比べて複雑などと書いてあるのを見かけるのですが(最近では「ドイツ戦車パーフェクトバイブル2」学研),そもそもトーションバーの利点は単純な構造で信頼性が高い事にあるんじゃないでしょうか?

 【回答】
 たしかにコイルやダンパーを使わないんで仕組みは単純ではありますが,本当に単純な構造なら,なんでヤクトティーガーで縦型トーションバー使ったボギー方式のサスを試したの?つう話になります.
 車体の箱に穴開けてサスをボルト止めすれば済むボギー方式と比べて,トーションバーは車体下部を貫通しているわけですから製造の際の工作にも手間がかかるのは当然です.
 もしトーションバーにひびが入ったら,左右の転輪外して抜き変えないといけないわけで….

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2005/10/26(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 パンター量産のためにW号戦車を生産中止にしようという動きがあったという話を聞いたのですが,本当でしょうか?

 【回答】
 本当です.
 軍需大臣アルベルト・シュペーアは戦車生産の一元化のため,ヒトラーを説得してW号戦車を生産中止にし,工場を駆逐戦車の製造に切り替えることをもくろんでしました.

 これを聞いた機甲兵総監ハインツ・グデーリアン将軍が
「パンター戦車の生産はまだ軌道に乗っておらず,W号戦車を生産中止にすれば,前線に送られる戦車はティーガー戦車だけになってしまう」
としてこれに反対しました.
 こうして,グデーリアン将軍の意見が通る形で,W号戦車は終戦まで生産が続けられました.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2004/10/02
青文字:加筆改修部分


 【質問】
「4号戦車の後継として期待されたパンター戦車だったが,結局ドイツは最後まで4号戦車を作り続けた.
 これはパンター戦車に,兵器にとって重要である量産性について深刻な欠陥があったからだ.」
というふうな話を何かの本で読んだのですが, 具体的にはどんな欠陥があってシャーマン戦車のように大量生産ができなかったのでしょうか?

 【回答】
 まず,4号を作り続けたと言う点についてだが,4号は他車種の車台に生産転換され,4号戦車そのものが大増産されていた訳ではない.
 他方で,38(t)の車台をベースに再設計した4号戦車・突撃砲用の車台を元に,4号戦車の生産も継続する検討もされてはいた.

 根本的に勘違いしてはいけないことだが,ドイツは第二次世界大戦前,ベルサイユ条約の賠償による経済的な苦境を経ていて,工業後進国だった.
 5ヶ年計画で工業化を果たし,レンドリースを受けた工作機械でさらに生産力を増したソ連や,元々自動車大国だったアメリカとは比較にならない.

 もう一つ,当時のドイツには,第一次世界大戦は戦時下の経済難にあえいで,結果的に敗戦したと言う意識が強く,イギリスやソ連との開戦に到っても,戦時体制に移行して兵器を大増産しようと言う決断を避け続けた.
 結果として,開戦前の時点で,大重量の戦車を生産出来る工場とそうでない工場の差は,大戦中期以降も相変わらずで,国家が民間企業の設備投資に手を貸したり,国営工廠を増強するようなことはしておらず,結果的に
「4号戦車クラスの戦車しか作れない会社は,大戦末期まで4号系の戦車しか作れない」
と言う状況が続いている.

 戦時体制を施行した後も,元々の工業力の低さから,状況は同じと言えた.
 ・既存の兵器に大掛かりな設計変更を行うと,兵器の生産数を落とさずに生産転換することが出来ない.
 ・同様の理由で,ある兵器を作っている工場が,別種の兵器に生産転換するには,酷く時間をかけてしまう. 
 アメリカのように技術者を養成しながら新工場を作ってしまうような体制では無かった.
(アメリカは戦後,軍需産業の維持や縮小に苦労している.)
 ・4号戦車は元々少数生産の支援戦車・指揮戦車として開発された上に,ドイツ国内の橋梁の荷重限界内の重量で設計されるなど,凝った部分が少なく,比較的工業力の低い工場でも生産が出来た.
 ちなみに,この生産にあたった企業の工業力の低さは,大戦中期,4号戦車の増産が決まった時に予定通りに増産が進まない原因になった.

軍事板
青文字:加筆改修部分

増産しやすいよう,サイズを1/6に縮小してみました
faq25n01b05m.jpg
faq25n01b05m02.jpg
faq25n01b05m03.jpg
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 WW2のドイツのパンター戦車は,ソ連のT-34の影響を受けて開発されたそうですけど,足回りはティーガーと良く似たタイプですよね?
 T-34は転輪を大きくして,キャタピラの幅を広く取って,接地圧を下げる事で泥地でも動けるようになっていたと思うのですが,パンターはどうしてそうならなかったのでしょうか?
 車重が10t位違ってたと思うので,パンターにも有効な方法だと思うのですが・・・

 【回答】
 大直径転輪を使うという発想は一緒なんですが,枚数を増やして履帯全体の平均接地圧だけでなく,転輪一個あたりの最大接地圧を下げるというのがドイツ技術者の思想だったようです.
 パンターの前身である20トン級中戦車VK2001計画では,すでにオーバーラップ転輪が検討されていて,パンターの試作案でT-34のコピーといわれたダイムラーベンツ社のVK3002(DB)でも,足回りはT-34と違って8個の転輪を互い違い二列に並べて配置しています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 もともと泥濘地ってのは,冬に地面が凍るところにできやすい.
 つまりソ連ではおなじみの地形というか,泥濘地でスタックしてたら戦争が始まらなかったわけ.

 車体の幅が一定の時に,履帯,転輪の幅を拡げたら当然車内はやたらに狭くなる.
 装甲厚さ確保+重量軽減のために,ただでさえ狭い戦車内での作業性を考えると,「ここまで履帯の幅取らなくても」と,「最適化」した設計になるのは自然な流れ.

 ただ,西ヨーロッパならそれが確かに最適であり,性能を発揮してくれるが,泥濘地まで出張って戦争始めると,最適でないことに気付かされる.

軍事板
青文字:加筆改修部分

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 千鳥転輪ってメリットあんの?

 【回答】
 抵抗の少ない大直径転輪を用いつつ,重量を(前後に)分散できます.

 大径転輪は高速走行に適しているが,サスの間隔が長いために振動が起きる.

 小転輪を並べると,サスの間隔が短くて乗り心地はよい.
 また,転輪が小さい分,転輪の数が多くなり,サスペンションの数が多くなるので,地面の凹凸にきめ細かくサスペンションが追従するので車体に揺れが少なくなる.
 が,大型転輪よりも小型転輪は高速走行に向かない.
 何故なら,同じ速度で回転する小型転輪と大型転輪では,大型転輪の方が距離が稼げる → 速度が出しやすいからだ.

 と言うわけで,両方をイイトコ取りしたんですな.

 トーションバーが重量に耐えられないので苦肉の作で作ったとか言う説もあるが,ケッテンクラートにまで採用してるのを見ると,余程性能に惚れこんだんでしょう.

 懲りすぎと言われればそれまでよん.

(軍事板)


 【質問】
 千鳥転輪と挟み込み転輪との違いは?

 【回答】
 この2つは間違われることが多いので注意.

千鳥= −_−_−

挟み込み= −_−_−
        −_−_−
        − − −

 ティーガーは3枚組み転輪なので,一番内側の転輪を交換するには,9枚の転輪を外す必要があります.

(軍事板)


 【質問】
 パンターのカマボコ型防盾は,下部に砲弾が当たると砲弾が滑って戦闘室を破壊するといいますが,戦闘室を破壊されて放棄されたパンターの写真を見た事がありません.
 本当の話なんでしょうか?

 【回答】
 手元の資料をめくると,「シュトルム&ドランクNo.5 パンター」の111ページに,米第703戦車駆逐大隊が鹵獲したパンターに対し,90mm砲で試験射撃を行った写真が掲載されています.
 それを見ると,1〜5と番号が書き込まれた命中痕のうち,
1・2番が正面装甲を貫通,
3番が防盾下部に命中の後無線手席上面を貫通,
4・5番が防盾を叩き割っています.
 また,104ページには戦闘室上面の吹き飛んだ,パンターの写真も掲載されています.

 G型後期から防盾下部を垂直に近い形状に変更したという事実からしても,跳弾による戦闘室への被害は実際にあったとみて何ら不思議はありません.
 そもそも戦争末期の混乱の中で,無意味な設計の変更がなされるはずもないですし.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WW2の独逸軍の五号戦車はD→A→G→Fの順だったと思いますが,どうしてアルファベット順じゃないんでしょうか?
 何か特別な意味でも有るのですか?

 【回答】
 パンターの形式名称はD⇒A⇒G⇒Fの順ですが,AはEの誤りという説があります.
 ドイツ語のE(エー)を,アメリカあたりの研究者が英語のA(エー)と誤って広めたとか.
 また,真の後継車であるF型は,先に開発が始まっていましたが,大幅な改良であり時間がかかるので,簡易改良型であるG型が後から作られ,先に完成しました.
 その説に従うと,A,B,Cは試作型でD,E(我々の知るA型),F,Gの順に開発され,実戦に投入されたのはD,E(我々の知るA型),Gだけであったということです.
 ちなみにパンターUは,FをベースにティーガーUと部品を共通化した物だそうで,車体(砲塔はG型を搭載)がアバディーンにあります.

 このように開発順と実践投入順がずれている例には,他にソ連のYaK戦闘機があります.
 YaK1を大幅に改良したのがYaK3ですが,時間がかかるため,簡易改良型というべきYaK7やYaK9が,先に投入されました.
 YaK1の真の後継機であるYaK3は,最後に投入されてYaKシリーズの最高傑作機となりました.

軍事板,2001/05/19(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 パンターD型の前期型と後期型は,どう違うの?

 【回答】
 パンターD型は1943年7月以降,いわゆる後期型に生産が切り替わっています.
 その内容は,
*簡略化のためにヘッドライトを二つから一つに省略
*車長キューポラ上に対空機関銃を取り付けられるリングマウントが追加
*転輪をリムボルトを追加して16個から24個にした強化型に変更
*砲防盾上の双眼鏡式照準機用の穴に雨除けを追加
*履帯を改良し,ハの字型の滑り止めを追加

 また,シュルツェンの追加は5月から,ツィンメリットコーティングは9月から行われています.
 発煙弾投射機の廃止は,5月に行われた野戦試験で小火器による誘爆が問題になったためです.
 転輪の補強もこの時期から検討されています.生産簡略化の検討も同様と思われ.
 下二つはクルスク戦の戦訓による改良です.(9月生産分に実施)

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2006/01/31(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 パンターの車体に4号(H型以降?)の砲塔を載せた車両の画像を見かけたのですが,これは一体どういった車両なのでしょうか?

 【回答】
http://www-d0.fnal.gov/~turcot/Armour/pz4.htm
の真ん中辺に,4号戦車H型の砲塔を載せたパンターD型についての記述がある.

――――――
"Interesting conversion was Ausf D1 (some sources state that it was an early model Bergepanther)
fitted with bolted on PzKpfw IV Ausf H's turret (that could not be traversed), which served as a
command tank of schwere Heeres Panzerjager Abteilung 653 on the Eastern Front in early/mid of 1944. "
――――――

 要約すると,パンターD型もしくはベルゲパンターの車体に4号戦車の砲塔を乗せた車両が,指揮戦車として1944年頃に第653重戦車駆逐大隊に配属されていた,とある.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 三野正洋の『戦車対戦車』(朝日ソノラマ文庫,1995.12)に,フランスは戦後,パンターを 自軍の戦車に採用したとありましたが,あの繊細な戦車を使いこなせたんでしょうか?

 【回答】
 別に6号戦車ほど酷いものではありませんでしたから.
 それに,部品なども潤沢にありましたし.

 仏印に持ってくるとか持っていかないと言う話もありましたね.
 余談ながら,戦後のFrance空軍の主力戦闘機は,P-39QやYak-3よりも,Fw-190Aの方が多かったりします…国産化もしていますからね.

 また,4号戦車なら,戦後の東欧諸国で引き続き使用され,それらは退役したら中東,特にSyriaで使用され,Israelと戦闘を繰り広げています.

 仏印のパンターは,ソ連の重戦車対策で極少数(1両?)持っていったものの,まともに稼動できず,結局実戦には参加していないようです.

 そういえば,戦後のワルシャワ動乱かプラハの春あたりの映像で,虎を見たという話を読んだことがあるけれど.

眠い人◆gQikaJHtf2

http://jp.youtube.com/watch?v=XQRnLBQsdkw
の2分48秒目.
 パンターがパリの警備に駆りだされる様子.
 1961年4月,アルジェリアで起きたクーデター未遂事件,「将軍達の反乱」の一コマです.

全裸黄金 ◆d8Xqc/vVP2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分

戦後,おふらんすにて使われた,パンター改造クレーン車
(画像掲示板より引用)


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