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◆◆◆◆ドイツの国力
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<◆◆総記
<◆大西洋・地中海方面 目次
<第2次世界大戦


(画像掲示板より引用)


 【link】

「ダイヤモンド・オンライン」◆(2009/09/30)ハイパーインフレでより深刻に… ドイツの命運を握る賠償金問題の行方


 【質問】
 ワイマール時代のドイツでは,再軍備の為の隠し予算があったと聞きましたが,どういったものだったのでしょうか?

 【回答】
 全体的に軍事費の規模が縮小傾向にありましたが,必要なものを賄わないといけないので,偽装した支出が行われています.

 種類的には以下のものです.
 1. 予算には合法的に計上されていながら,ノレ基準(Versailles条約に基づいて国際軍事監視委員会が規定した軍備制限)を越える軍備活動に対する支出
 2. 予算に正規に計上されていない軍備のための支出
 3. 軍備制限規定に違反し,かつ予算上の措置も執られていない軍備活動に対する支出

 1920年代初頭の場合は,国防省に対する民間からの献金を財源に基金を設立,また,合法的に取得した予算費目から一部をそう言った基金に組み入れて運用すると言うケースがありました.
 1925年以降,陸軍では,正規の歳出額の1割をそうした非合法支出に充てていましたし,1923年のルール闘争に際して,政府が国防軍に提供した,総額1億金マルクの資金から,ルール基金という基金を設け,これと民間からの寄付をを財源に企業に非合法の出資とか融資を行い,補助金を交付しています.

 例えば,これらの資金を以て,旧軍需産業で解体・撤去された軍需生産用の設備を買い取り,ロッテルダム,ストックホルムで保管した後,新規に軍需生産に従事する企業にこれらの設備を提供し,資金を得ています.これが,総額7,450万マルクに上りました.

 また,1927年に発覚した,海軍の「ローマン事件」では,海軍軍令部海上輸送部の部長だったローマンと言う人物の汚職事件ですが,これは,海軍の秘密軍備資金を運用するために,映画会社の株式を取得し,その映画会社は,国防相,蔵相,海軍軍令部長の債務保証の下に,資金借入を行い,映画の輸入割当についても政府から特別な便宜を図るなどした見返りに,彼の個人秘書に対し,映画会社は彼女に多額の給与と住宅の贈与を行い,映画会社からローマンに対するキックバックは,1000万マルクに上ったと言うもので,こうした資金運用が,陸海軍の裏基金を支えていました.

 流石に,こうした偽装工作は政府の危機を招くことになったので,政府,議会,軍部と折衝の結果,1928年以降は以下のように秘密資金の設定が行われるようになります.

1. 秘密再軍備のための資金は,合法的な会計上,陸海軍予算案の諸科目に偽装して計上されます.
  また,一部は国防予算以外の政府支出で,「扶助」「一般財政管理」の予算案にも偽装した名目で国防軍支出が計上され,予算成立後,それを組み替えて本来の支出目的に支出されました.
2. 合法的な会計は,陸海軍とも<白>会計と呼ばれ,陸軍の非合法会計は<青>会計,海軍のそれは,<赤>会計と呼ばれていましたが,1928年以後は陸軍の非合法会計をX会計,海軍の非合法会計をB会計と言うようになりました.
 なお,陸軍の非合法会計は,「軍備基金」とか「修繕基金」とする場合もあります.
3. 政府支出のうち,「戦後処理負担」の「武装解除・撤退」の支出の一部は,「製造施設基金」として軍需産業に補助金として交付されたり,X会計に繰り入れられたりしています.
4. 航空戦力に関する支出は,X会計,B会計のそれぞれで支出されたほか,政府支出の「運輸省」支出からも民間航空に対する補助金を実際の必要以上に多額に計上するやり方で行われました.
5. 陸軍では,陸軍兵器局が支出の担当となり,予算の集約,現金収支統制と支出統制は,1920年代半ばは参謀本部,その後は国防局が当たっています.
 その支出を管理する特別の国庫勘定としては,B勘定が設定され,全ての資金収支を統一的に管理することになっていました.

 この支出の内訳ですが,陸軍はたいていの場合,総動員時に急増する軍備に備えて予め建設しておく製造設備資金に多く充てられています.
 1928年度のX会計予算は,総額6,910万マルクで,これは正規国防支出項目の実に43.2%に相当しています.
 このうち,4,610万マルクはノレ基準に対する違法支出であり,更にその中の2,370万マルクは別の支出項目からの繰り入れ支出でした.
 施設建設支出の例を挙げると,既存製造設備を偽装して,歩兵・砲兵用兵器製造の為の機械設備の整備として,ポルテ,ボルジッヒ,リグノーゼに資金を提供しますが,ポルテ以外は非合法企業でした.
 火薬の製造能力向上のため,ヴォルフ,リグノーゼ,クリュンメル,ブラウエに対する事業所新設費用を提供しますが,この4社とも非合法企業であり,事業は表向き,各社の自主的なものとされていました.
 また,ドイツ硝子白熱光製作所(アゥワー)に対しては,ガスマスク製造施設の拡大が図られますが,名目上,これは,「市民のガス防護の準備」,ティール・ゼーバッハ兄弟社は合法企業として信管製造を行っていましたが,計画による施設拡大と製造能力向上は,動員時の必要を満たすためであったために,この事業は「時計製造施設の拡張」として実行されました.
 最後に,毒ガス戦闘用資材の調達は,中間製品は通常取引でしたが,最終生産はソ連領内で行っていました.

 ちなみに,国防軍支出に対する非合法支出(対歳出比)は以下の通りです.
                1925 1926 1927 1928 1929 1930 1931 1932
陸軍非合法支出額     40   35   50  75.2  59.4 64.9   ?  66.6 (単位100万マルク)
国防費の支出割合     9.1   7.7 10.0  13.8  12.1  13.1     14.6
海軍非合法支出額                  6.9  7.7  12.3
対支出比                        3.3  4.0  6.8

 大蔵省内部では,
「海軍は何時も嘘をつく.
 陸軍は本当のことを言うが,ただ,それは極稀だ」
と言われていました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/10/22(土)
青文字:加筆改修部分

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ナチスが再軍備を宣言した時に,経済制裁みたいのってされなかったの?

 【回答】
 国家的な経済制裁はありません.
 例えば,外国銀行からの起債引き受けが民間レベルでしにくくなった程度です.

 英国は,そのドイツをどうやってあやしていくかを模索し,英独海軍協定を締結しています.
 フランスは,ドイツの再軍備に反対しますが,国内の軍人からドイツの動員力を過大に見積もった報告書を出され,行動を思いとどまっています.
 その頃,ドイツの継戦能力は6週間しか無かったのですが.

眠い人◆gQikaJHtf2,2006/10/22(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第2次世界大戦のとき,ドイツはベルサイユ条約による天文学的な借金を抱えてたのに,どうやってポーランドを占領するほどの軍事費を拠出したんですか?

 【回答】
 まず,賠償額を現実的な金額に減額させることにドイツは成功します.

 米国がドーズ賠償協定を成立させ,J.P.モルガンを主力とする2億ドルの借款供与によって,ドイツを金為替本位制に復帰させることで,ドイツ経済は安定し,米国はドイツ金融市場に短期資金を貸し付けます.
 これには,フランスも戦債を米国に依っていたので,同意せざるを得なかった訳です.

 ところが,1929年の世界大恐慌に端を発した世界的な金融恐慌は,ドイツに於いては,1931年5月初旬にオーストリアのクレディット・アンシュタルトが支払い不能となったのを契機に,6月に多額の信用が海外に逃避して信用危機が発生しました.
 その対策として,米国大統領フーヴァーがモラトリアム宣言を出して,政治債務の一年支払い停止が実現します.
 だが,ドイツに於いては信用恐慌が激化して金融機関の閉鎖が相次ぎ,英国は平価切り下げと金本位制の停止を行いました.

 事此処に至って,賠償履行は不可能であることが,各国によって支持され,1932年6月に賠償の停止を 決定した訳です.

 軍事費については,1920年代から既に再軍備のための資金を密かに蓄積していました.
 例えば,1923年のルール闘争に際して,政府が国防軍に提供した総額1億マルクの資金に由来するルール基金とか,民間からの寄付金を元に企業に非合法の出資や融資を行い,補助金を交付することなどが行われています.
 こういう会計は,陸軍では<青>会計,海軍は<赤>会計と言われており,後に,汚職事件をきっかけに表に出てきましたが,前者をX会計,後者をB会計と改称され,維持されました.
 これによって,Weimar期の戦争遂行資金は密かにプールされています.

 また,ヒトラー政権移行後,最初はメフォ手形という金融手形を発行して,国防費に充てていました.
 しかし,償還額が膨大になり,これが行き詰まってくると,不足分は,納入者国庫証券という6ヶ月満期の割引国庫証券を発行し,現金の代わりに,これで業者への支払いを行います.

 ところが,チェコやオーストリアへの出兵の結果,その証券発行額の予測値を大きく上回ってしまい,軍需に偏った生産体系の整備の結果,民生品の供給が不足し,輸入需要の増大,輸出の停滞も招き,金・外貨準備高は枯渇し,ライヒスバンクでは,オーストリア国立銀行の金・外貨準備,外国証券売却などの手法で,ようよう枯渇を免れ,これを機に,大蔵省は国防省会計に制限を加えます.

 しかし,軍需発注は止まるところを知らず,冗談抜きで,9月末には国家破産の状況に陥ってしまうところでした.

(世界史板)


 【質問】
 チェコ,ポーランド,フランスなどの直接ドイツに占領された国家の軍隊や資本は,どういう処置を受けたのでしょうか?
 例えばドイツ国内では戦線が悪化しても基本的に企業を国家が接収するというような事は行われていませんが,占領地域の税金,国家資産,民間資産などがどう扱われたのか,詳しいサイトや書籍などがあれば御教示頂けないでしょうか?

 また,その国の軍隊や兵器,軍需工場などの行方も気になります.
 チェコの戦車工場の接収とか,各国のSSの義勇兵などは有名ですが,膨大な規模とは言えませんし,負けたとはいえ大量にあった兵器・弾薬などの有効活用がどれくらいなのだろうかと.
 ポーランドやフランスなど,自国開発の戦闘機などもあり,その製造ラインでドイツ機を製造すればもっと生産台数が向上したのではないかと思うし,徴兵も出来れば戦力的には大変助かったと思うのですが・・・・

 【回答】
 フランス兵は終戦まで捕虜収容所で働かされています.
 フランス軍の鹵獲(ろかく)兵器はドイツ軍に使用されており,ノルマンディの海岸要塞にルノー戦車の砲塔が流用されたり,パルチザン対策にホチキス戦車が使用されたりしてます.
 企業も,ルノー社はドイツの為に軍需生産しており,そのために戦後,酷い目にあっています.

 レン・デイトン著『電撃戦』(ハヤカワ文庫)には,1940年のフランス戦役で得たドイツの利得について,以下のように書かれています.
「フランス,ベルギー,オランダにおいて,ドイツ軍はその戦争能力を一変させるに足るほどの軍需資材と工場とを見つけ出した.
 ドイツにおいては軍需生産は現に低下していた.
 ドイツ陸軍における車両化歩兵部隊と車両化補給部隊の極度の不足を救ってくれたのは(中略)じつはフランスの自動車工業だった.
 さらにドイツの燃料備蓄は,10ヶ月間の戦闘によって底をつきそうになっていたが,この戦争機構がさらに2年間働き続けられるくらい補充された」

 戦前からの工業国だったチェコの場合は,ドイツによる保護領化後,ドイツのために兵器を生産しています.
 接収ではなく,スコダは普通に受注して普通に生産してます.
 戦争開始から中盤くらいまで,ドイツ軍の装甲師団のかなりはチェコの38(t)や35(t)戦車でした.

 またドイツ軍は鹵獲した占領国の兵器や装甲車,戦車などを使用しています.
 珍妙極まりない例でいくと↓でしょうな.
http://www.panzer-modell.de/berichte/t-26_mit_7-5cm_pak/t26.htm
 非常に大規模かつ有効に活用されてます.

 ただし,元が外国製のなので補給や用兵等の問題があり,占領地域で治安維持に当たる部隊が主に使用しました.
 さらにルーマニアやブルガリアなど,工業生産力が低い同盟国に鹵獲兵器を供与しています.

 さらに,ドイツ陸軍は1942年の段階で定員不足に陥っていたので,工業用人口を召集しました.
 その結果,ポーランド,ロシア,フランスなどの捕虜が大々的に労働力として投入されています.
 つまり間接的に「人口増加」を行っていたわけです.
 そのお陰もあって,ドイツの兵器生産は,1944年1年間だけで1939〜42年に匹敵します.

「1942年3月,ザウケルが労働力調達の最高責任者に任命された後,「募集」方法はますます強権的暴力的になっていった(3).
 こうして戦争末期の44年夏,ドイツ国内で「就業」している外国人労働者は約760万人(戦争捕虜193万,外国人(市民)労働者572万)にたっした」

軍事板,2005/03/14
青文字:加筆改修部分

 なお,国家による企業接収は,ドイツ本国でも行われていました.

 ドイツでは,R企業(Rustungsbetriebe)と呼ばれるものがありました.
 これは「戦時におけるその活動を国防軍によって規制され,平時 に於いて既にそれに備える企業」と定義され,主に戦闘用兵器生産企業が指定されています.
 また,国防経済に関与する場合は,k企業(Kriegswichtige Betriebe)やl企業(Lebenswichtige Betriebe)に指定され,いずれも,国防軍経済監督部やライヒ経済省地方支所などの指定,監督の下に設けられています.

 更に,国防軍にはそれぞれの軍に,「専用企業」というものがあり,空軍の場合は,Junkers,Aradoなどの航空機製造企業4社,ドイツ航空銀行,航空施設有限会社など合計20社に上っています.
 陸軍は,有限会社鉱業資源再利用協会という特殊会社の元に,陸軍専用工業企業(HIB)がその資産管理の 元で操業していました.
 これは,1944年11月には111企業に上っていました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/03/14
青文字:加筆改修部分

French tank used by German
フランスから接収したハーフトラック「ユニック・ケグレス」に,7.5cm pak40を搭載した突撃砲
ルノー・トーチカ
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 なんで大戦時のドイツは科学技術が優れてたんですか?

 【回答】
 優れていないから負けた.

 後退角翼・デルタ翼・軸流ジェットの実用化.赤外線暗視装置・ワルターボート……など読み物としては面白いが.そのほかの部分で,戦争を遂行する上で技術的に不得手な分野は多々あった.
 例えば,ごくごく当たり前の大型輸送トレーラーを作れない皺寄せで,末端の補給部隊は馬車を使用していた.

 たまたま兵器開発のシーソーゲームの順番が途切れたので目立つ物もある.
(ドイツが新兵器を投入した後,連合国が対応する前にドイツが負けた.とか.)

 もう一つ.もう散々語りつくされていることだが,ドイツは開戦時点で希少金属や非鉄金属の供給に不安があった.高オクタン燃料も同様.
 そのため,ドイツ人は様々な形で代替技術を模索したり,性能の劣る方式を渋々使っていたりする.
 実はこの辺りの”無いものを如何に補うか?”と言う部分に寧ろ技術面で面白い工夫が見られるんだが.
 それもまたヲタク的ドイツ信者には渋々採用した方式が「連合国より優れた方式」と映る.
 では何故戦後はその方式は廃れたのか?と聞くと大抵は
「ドイツが負けたから」
「戦後の技術革新で連合国の方式が発達したから」
と言う.

 誤認が連綿と繰り返されており,過度に高い評価を受けている場合がある.

(引用元:朝目新聞)


 【質問】
 先の大戦において,
「ナチスの科学力は世界一イイイイイイイイイイイイイ」
てのは,どの程度正しかったんですか?

 【回答】
 着想点と,理論はともかく,それを実現にうつす科学力,工業力は劣っている.

  ドイツの科学力の証としては,例えば各種誘導弾を開発していた.
 対地,対空,対艦まで様々な種類の誘導弾……ミサイルが開発され,一部は実戦に使用されていた.

 が,劣っているところ(というか問題)も色々あった.

 有名な例では,T34のエンジンコピーすらできなかった冶金技術,各種電波工学など.
 ドイツの場合,鉄に強いイメージがあるけど,耐熱合金や超硬合金作るのに必要なニッケルなんかが入手できないし,そっち方面では必ずしも一流じゃない.
 ティーガー2やパンターの場合,鍛造で装甲を作成することができず,表面硬化処理などでごまかしえるので,装甲が割れるという事象が多発している.
 ティーゲル戦車や,パンテル戦車の装甲は有効だったが,それは装甲の厚み(有効厚も含む)で有効だっただけ.

 ソ連軍の調査でも,独軍の装甲の割れやすさは指摘されている.
http://www.battlefield.ru/index.php?option=com_content&task=view&id=282&Itemid=123&lang=en

 電波工学で1940年ころはともかく,1943年以降は明確に英米に遅れをとっており,Uボートの大量喪失につながっている.

 とにかく調べれば色々と出てくる.
 机上の空論だけで判断するのは大間違い.

 一方,意外かもしれんが,ロシアというか,ソ連は伝統的にこっち方面には強かったりする.
 冶金工学ってのは奥が深くてな.
 帝国時代,ロマノフ王朝の元で宝飾品の製造の過程として希少金属の加工技術が何気に進歩してた,ってのが大元にあるようだ.
 俗に言うところの「錬金術」にも熱心だったみたいだしね.
 ソビエトになってからは学術研究に派手に予算を投じてるし.
 「科学と技術の進歩」は社会主義の重要なスローガンだしな.
 また,一説には自国内でほとんどの鉱物を産出できるからとか.

かじりかけ ◆8x8z91r9YM(黄文字部分)他 in 軍事板,2009/09/26(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 理論・着想の面において,なぜドイツは兵器開発力に優れていたんですか?

 【回答】
 まずヨーロッパ全体の概論として……

 過去数百年間の産業と教育の蓄積,としか言いようがない.
 それから,石炭と鉄鉱石がよく出たので,産業革命に無理なくついていける.
 いくら未開国の王様が欧州に追い付こうと決意しても,自前の鉄鉱石ないと,やっぱり重工業育ちませんから.

 それからヨーロッパ人の性格.
 ある時期まではアラビア方面のほうが科学は優れていたんだけど,それをガンガン吸収して,自分で発展させるのが結果として得意だった.

 ドイツに限ればミシェル・フーコーの研究を読むといいという話.
 かいつまむと,下記の通り.

 ・18世紀までドイツは貧しく,遅れた国だったため,フリードリヒ大王らが理知的に国家を管理することで効率化を図った(日本でいう「富国強兵論」の基)
 ・プロイセンによって官僚教育が浸透し,政府の科学発展振興が大々的に行われた
 ・今のアメリカにある軍産学共同体の原型が,19世紀に出来上がった.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ラッパロ条約でググると独ソ間のみですが,他の国にドイツの技術者は流出しなかったのでしょうか?
 国家間で条約なり取り決めないと,一時的とは言え軍需産業の移動は無理なんですかね?

 後,ソ連は仏ソ相互援助条約も結んでましたよね?
 この辺はOKだったんでしょうか?

 【回答】
 かつての日本陸軍が導入したユンカースK-37爆撃機は,スウェーデンで製作されたものですし,有名なスツーカもK-47複座戦闘機として,スウェーデンで最初に製作されたのが原型です.
 スイスにはドルニエが工場を開設して,水上機を生産して南欧諸国に売ってますし,イタリアで生産されたドルニエ飛行艇も,技術を待避したものですし,日本にもその辺の技術者が流れてきています.
 例えば,ロールバッハ飛行艇の技術者と廣工廠の関係とか,ドルニエの技術者と川崎の関係,ユンカースの技術者と三菱の関係,ハインケルの技術者と愛知航空機の関係などが挙げられます.

 オランダのフォッカーはちょっと微妙ですがね.

 潜水艦に関してはオランダとスウェーデン,トルコにB&Wなどのダミー会社を作り上げて,其所で生産技術を温存していますし,日本でもU121級の導入に際しては,ドイツ人技師が来日して指導しています.

 戦車については,第1次大戦末期に造られたK戦車をスウェーデンで生産し,その後,ランズベルクとしてスウェーデンを始めとする小国に供給しています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 合成石油はドイツでどの程度,供給されたのか?

 【回答】
 最盛期で46%を賄った.
 だが,それは採算を度外視したものだったため,それを頼りにして戦争を継続することには難があったという.
 以下引用.

 第1次大戦の敗戦国・ドイツは,イラク一帯に確保していた石油利権をフランスに譲渡し,「持たざる国」に転落した.
 1933年(昭和8年),ナチスが政権を掌握すると,軍事体制の確立と共に,石炭を液化する「合成石油」の開発に力を入れた.
 ヒトラーは化学者らを前に,
「今や石油を抜きにした経済は考えられない.
 政治的独立を求めるドイツは,いかなる犠牲を払ってでも石炭液化計画は続行すべきだ」
と強調した.
 この結果,39年(昭和14年)9月,ドイツがポーランドに侵攻して第2次大戦が始まった直後には,合成石油の生産は日産7万2千バーレルに達し,ドイツの全石油供給量の46%に上った.

 第2次大戦の開戦当初,ドイツは華々しい快進撃を続けた.
 しかし,英国への本土上陸作戦は難航した.
 このため,採算を度外視して開発する合成石油だけで,戦争を継続させことは容易ではなかった.
 これがヒトラーの目を東に転じさせる一因となる.

 ソ連のコーカサス地方は,バクー油田を始め世界的な産油地帯だった.
 1870年代に帝政ロシアの下で開発が進み,革命時の混乱を乗り越えて,再び生産を本格化させていた.
 京都大名誉教授の野田宣雄氏(ドイツ近代史)は,
「ヒトラーが第2次大戦を始めた当初から,ソ連の石油を狙っていたとまでは考えられない.
 だが,最終的にバクーが対ソ戦の目的の一つになった」
と語る.

読売新聞 2005/12/22


 【質問】
 第二次世界大戦でドイツの燃料事情を支えた合成石油には,採算面で問題があったと聞きますが,この合成石油からは天然石油と同様の石油製品が得られたのでしょうか?
 また,採算面での問題とは具体的にはどのようなものがあったのでしょうか?

 【回答】
 低温乾留法は,工業化が最も容易ですが,石油収得率は石油の10〜15%にしか過ぎません.

 合成法のうちフィッシャー法は,ガスに加熱水蒸気を混合して水性ガスとしてこれをコバルトかニッケルの触媒で石油化するものですが,こちらは直接液化法よりもコストが高く,得た石油は直接液化油に比べると質が低いです.
 また,触媒にはコバルトを用いるのが良いのですが,コバルトの産出はコンゴとかカナダだった筈なので,触媒の量もドイツ国内での利用には限りがあります.
 イービング法はガスを冷却してベンゾール油に吸収したものを更に熱してガソリンを得るものですが,これもベンゾールが大量に必要です.

 直接液化法(高圧水素添加法)は,ドイツで最も普及しており,戦前の時点で80万トンの生産となっています.
 原料石炭は褐炭の様に揮発分が多いものが良く,出来た製品は87オクタン程度のガソリンにはなったかと記憶しております.
 但し,工場設備に莫大な費用を要する事(つまり,コストが掛かる)と,非常に高い技術が必要という欠点があります.

 コストについては,日本の例ですが,年産10万トンの揮発油製造工場を建設するのに,水素添加法だと6,000万円 (1940年の時点)掛ります
(因みに,ガス合成法で4,000万円).
 重油なら油価が1トン50円,ガソリン200円,航空ガソリン500円,機械油1,400円です.
 1トンの人造石油を造るのに,市場石炭5〜6トンが必要で,市場石炭の価格を10円として,原料費が50〜60円となり,建設費償却を加えると水素添加法なら1トン当り60円,ガス合成法なら40円が加わり,これに労務費,修繕費を加えると,トン当り200円の原価が必要になるという計算が出ています.

 ドイツは,1935年末現在,水素添加法5工場,フィッシャー法4工場で合計生産高90万トン.彼の国のガソリン生産高は170万トンなので,そのうちの3分の2弱が合成石油になっています.
 1937年の計画では,水素添加法190万トン,フィッシャー法70万トンで,もし戦争が無ければ,1940年に653万トンを自給出来る予定でした.

 以上は,『戦時日本重工業』(小島精一著,春秋社,1938)からの抜粋です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ドイツも液化石炭に頼っていたのは周知ですが,液化石炭からは重油はとれないのですか?
 ドイツ戦車はガソリンエンジンばかりなので,もしかしたらこの辺が理由になったのかな?と思い質問.

 【回答】
 一番基礎的な石炭の低温乾留法でも,ガソリン,重油,軽油,パラフィンは生産されています.
 ちなみに,乾留終了後の残渣は,木炭の代用品です.
 石炭79,592tから,ガソリンは433kl,クレオソート油2,765kl,パラフィン104t,ピッチ1,238t,発動機油9kl,コールタール16kl,B重油11kl,含蝋油9kl,酸性油10klとコーライト21,123tが出来ています.

 合成法だと,もう少し生産量が多くなります.
 ドイツなんかは乾留法よりもっと進歩したものなので,もう少し品質と種類が多かったみたいです.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 大戦中のドイツでも,日本のように金属回収や供出などをしていたのですか?

 【回答】
 とりあえず,ボーキサイトが産出されなかったので,その辺は撃墜機やら,占領国の機体やらを回収して,アルミのインゴットに換えることはありました.
 ジュラルミンの加工で生起した屑金や廃材の回収再生は,産業四ヶ年計画庁の統一指導下に,国内廃品蒐集再生機構の一部として活動しています.

 航空機工業に於ては,次の方法が採られています.
 まず,航空機工業に於ては,材料倉庫に付属している切出し鈑取り工場に於て,品種毎に蒐集する.
 また,加工作業間の削り屑も,また注意して品種毎に蒐集し,実際に飛散消耗する材料重量を減らす.
 この見地から,工場の一角に品種毎の削り屑入れの壺を設け,間接工が絶えず工場を巡回して,削り屑を集めること.
 最後に,廃品航空機は空軍の航空本廠で解体し,利用しうる部品は修理用部品として再利用するほか,残材は品種毎に選別蒐集する.
 なお,廃品航空機の解体が軍で行われるのは,解体や分類の工数が非常に大きいため,これを民間で行った場合に生じるであろう,再生材の原価に跳ね返らない様にする為です.

 こうした再生用廃材屑金は,金属商品管理所の統制下,大企業内のものはドイツ労働戦線の活動,中小企業や家庭でのそれは,屑物商によって蒐集選別されて,再生会社に売却されます.
 この再生用資材の価格は,法規によって公定していますが,この公定価格は基本的に100kg当りの最低買取金額(屑金は最高買取価格)で,蒐集の重量が小さくなると高め(屑金は逆に最低買取価格)に,誘導されています.

 こういったものは,軽金属に留まらず,1942年7月13日には古鉄回収指令がシュペーアから出されます.
 これは統治区の経済会議所が所管地区内の古鉄回収指導者となり,統治区長官の同意を得て数量調査,回収行為の指導を担当するもので,回収の範囲は,数量の如何に関わらず,以下のものになります.
 まずは,各種工業及び手工業製作所の工場に存在する各種古鉄,
 次いで,製品の種類並びに寸法変更のために未加工の状態で放置される鉄鋼材,
 更に,註文取消によって半製品状態になっている鋼材,
 同じく形式の変更により,最早使用し得ず,放置状態の鉄鋼製もしくは鋳鉄製完成部品,
 最後に,休止機械施設で,短期間に軍需生産用に転換し得ないもの(但し,戦時経済遂行または,一般生産合理化の犠牲となって休止した新式機械施設は除外)
の五種類が挙げられています.

 これらの価格は原則,屑鉄価格が適用されますが,二番目の未加工状態の放置鉄鋼材については別途の規定,三番目,四番目,五番目も,所有者自身で評価する保証申込書を資材配給統制有限会社に提出することで,補償される場合があります.
 これらの回収物品は,所有者の責任に於て,現品引渡し場所で輸送準備を実施し,同所から軍・防空警察・古鉄所有者または古鉄商の所有する運搬用具で古鉄蒐集倉庫に運搬した後,倉庫内で古鉄商が配当された労力を用いて選別し,爾後は,軍需大臣の申し出で,交通省が製鉄所または鋳物工場に輸送することになっていました.

 こういったものの輸送は,大概が輻輳してしまうのが常ですが,1942年6月に運輸機関使用節約令の公布で統制され,円滑な輸送が行われています.
 この省令では,全国に32カ所の輸送監督部を開設し,当該管轄地区の物資を一定の地域的限界を超えて輸送する場合には,この輸送監督部の許可を得ると言うもので,これが結構機能していたようです.

 また,金属としては,他に錫,タングステンについては不足を生じて,代替材料を探しています.

 その他の鉱石,特に鉄鉱石については,何だかんだ言っても有力な鉱脈が自国やフランス,ルクセンブルクなどにありますので,その分に於いては潤沢でした.
 従って,国民が挙って金属回収するシチュエーションは,彼の国では行ってません.
 鍋や釜まで回収していた何処かの国に比べると,まだ混乱が少ないと言えるのでしょうかね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/03/21(火)
& 眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi(黄文字)


 【質問】
 戦時下のドイツにおける,女性の動員について教えられたし.


 【回答】
 ドイツも日本の様に,戦争が始まると男手を戦争に取られ,「女性は子供を産み,育て,家庭に籠もる存在だ」と言っていた政府も,段々と生産現場に女手を入れる必要に迫られます.
 とは言え,政府は,国民を養う食糧政策を重視し,農業を国家の最重要基盤と位置づけていた為,ナチス女性団は戦前から収穫期間に農村援助活動を展開していました.
 1939年以後は,17〜25歳の独身女性全員に半年間の労働奉仕義務が導入され,農村奉仕は重要な活動の柱となりました.

 その内容は,耕地を耕したり,収穫作業は勿論のこと,特設保育所を設置して農村女性の子供の世話をしたり,はたまた家事をこなして農村女性の家庭での仕事を軽減しました.
 こうした団員達の奉仕活動により,農村女性は心置きなく農場の仕事に励むことが出来る様になりました.
 更に,収穫期には女子青年団だけでなく,ナチス女性団,ドイツ女性事業団も参加しました.

 当初は農村支援が主でしたが,労働力不足は深刻化し,労働者階級の妻が工場に働きに出る様になると,就労していない中産階級の女性が子供の面倒をみると言う支え合いが要請される様になります.

 また,戦争が激しくなり,男性の職場だった様な場所,例えば交通機関にも進出していきますが,こうした労働に動員されたのは,労働者階級の女性だけであり,中産階級には拡がりませんでした.

 その傾向が変わっていったのは,1943年1月のスターリングラードの敗戦により,戦局が明らかに逆転した2月のことで,宣伝相ゲッベルスは,「総力戦宣言」を行い,軍需工場への女性の動員,工場まで行けない場合は,家庭での内職,あるいは近くに共同作業所を開設して労働力の確保をする様に国民に訴え,動員を開始しました.
 この段階では,労働者階級の女性だけでなく,中産階級の女性へも対象が広がった訳です.

 ただ,この段階での労働総動員は,届出義務制であり,女性の労働総動員は進みませんでした.
 これは,占領地や同盟国からの外国人労働者を組織的に動員出来たことも原因です.
 1942年5月〜1944年5月までの2年間で増加した女性労働者は49.1万人に過ぎず,一方で外国人労働者は301.1万人も増加しています.
 そして,上層階級や中産階級の女性達は,様々な理由を付けて届出義務制による労働動員を逃れました.
 これは労働者階級の女性から見れば,この非常時に許されざる行為であると言う事で,こうした不満が指導部に対する労働者階級の不満を強める結果となり,ナチスの指導部は国家統合の危機に直面する事になっていきました.

 ところで,1939年頃,国防軍で働いていた女性達は16万人いました.
 最初は,ナチスの女性イデオロギーに抵触しない,事務職,記録係,交換手,料理人,掃除や裁縫係として後方で働く程度でしたが,唯一前面に出ていたのは従軍看護師です.
 看護師そのものは,患者の健康を気遣い,世話をすると言う点で女性向きの仕事でしたが,前線近くの野戦病院で活動することも多く,彼女たちを頼る兵士達からは「同志」と呼ばれていましたし,アフリカ戦線では2名の看護師が自らの命を顧みず兵士の看護をしたことで,2級鉄十字章すら授与されています.

 独ソ戦以降,軍事「補助員」として女性を用いる場面が増えていきます.
 これは言語や守秘義務の観点から,外国人を用いるのが不可能だったからです.
 1939年の独身女性の半年間の労働奉仕義務は,1941年からは1年に延長され,新たに国防軍司令部,官庁,病院,運輸業務などにも動員されるようになり,1944年以降,労働奉仕義務は無期限に延長されました.
 「補助員」と言う名称からして男性の補助者と言う扱いですが,例えば航空通信補助員は,昼夜の別なく監視業務,監視準備,非番が交互し,安息日も何もあったものではありませんでした.

 その彼女たちは,特に肉体疲労にも増して精神的疲労が酷かったようです.
 と言うのも,彼女の報告1つで大勢の人々の死に繋がるからです.
 爆撃機の大規模来襲は,過労も顧みず集中せねばなりませんし,それが飛来しなくとも,偵察機の1機が侵入するだけで彼女たちは休まる暇が無かったりします.

 更に,1943年8月に動員されることになった高射砲補助員は,正に女性兵士そのものでした.
 彼女たちは男性兵士達と同じく軍服に身を包み,投光器を操作したり,聴音機を扱ったり,高射算定具を操作したりするなど,ほぼ空軍高射砲兵と同じ業務に就いていました.
 1943年末には,何千名と言う高射砲補助員が任務に就き,代わりに空軍高射砲兵は,前線で戦う兵士として送られていきました.

 しかし,この段階であっても,あくまでもナチス指導部は女性を「兵士」として扱っていません.
 それはナチス指導部が謳ってきたイデオロギーに反するからです.
 1945年3月23日の国防軍最高司令部の発表でも,原則として戦闘の為に女性が銃器を使用する事はないとしていましたが,例外は高射砲部隊と志願した女性で,戦闘地域に女性が動員されれば,歩兵用対戦車ロケットなどの様な携帯火器の装備を許可し,実態は女性兵士の肯定となっています.
 しかし,それでも頑なに「補助員」と言う呼称は変えなかった訳で….

 1945年始めの国防軍補助員は50万人に達し,他に軍に属さない労働奉仕団の女性が8〜10万人います.
 高射砲補助員に従事していたのは,全国労働奉仕団の女子5万人で,投光器部隊には最多で3万人おりましたが,末期戦には周辺機器だけでなく,高射砲そのものを扱い,戦闘に巻き込まれていきました.

 敗戦後,彼女たちの運命は過酷なものでした.
 西側にいた女性補助員は,国際法に則って戦時捕虜として遇されましたが,東側にいた女性補助員の運命は悲惨で,ルーマニアから帰還した補助員は僅かであり,チェコスロヴァキアやユーゴスラヴィアでも数百人単位で捕虜と成ったものの,全てが闇に消えました.
 ソ連では捕虜として扱われず,強制労働収容所に入れられて,その地で何千人も死亡しています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/09/13 21:39


 【質問】
 ドイツでは女性を労働力としてはどのように活用したのですか?

 【回答】
 ドイツの場合は,平時から17〜25歳までの女性を,アルバイトデーンストという勤労奉仕隊に召集し,国民としての団体訓練を受け(どちらかというと不純異性交遊の温床という話もあったりするのですが),社会的事業に労力を提供する形を取っていましたが,大戦3年目の1941年に漸く,総動員体制下の戦争補助労働力として動員されることになりました.
 これは,1941年7月29日公布の「女子青年勤労奉仕隊の戦時服務に関する総統兼首相告示」が根拠となり,勤労奉仕隊に召集された女子青年は,その終了後更に半年間戦争補助勤務に服務することになったものです.

 その仕事の範囲は,国防軍(陸海空軍)の各所役所並びに官庁に於ける事務,または,病院及び社会的事業所に於ける仕事の援助,または,救援を必要とする家庭,特に子女多き家庭への家事援助とされています.

 女子挺身隊の服務指導,監督については,内務省の勤労指導官が行いますが,勤労奉仕隊に関しては,予めアルバイトデーンストの地方指導書に申込み,同所はその仕事の状況を確かめた上で所要の人員を配属し,使用方針と待遇に関しての指導を企業などの使用者側に行います.

 これらは日本と同様に労働雇用関係ではありません.
 但し,仕事に関しては,勤務場所の服務規程,懲罰規程の提要を受け,アルバイトデーンストの服務者に適用されている秘密厳守の義務,結婚許可,内職実施許可も適用されます.

 彼女たちの勤務時間は週51時間まででありますが,一方で緊急且つやむを得ない事由がある場合は,服務者は代償を要求することなく,所定時間以上働かねばならない義務があります.
 ただ,徴用の女工の場合は,週56時間までとなっており,それよりは緩めに設定されています.

 休みは許可制で,半年に5日の休暇を取ることが出来ます.
 しかし,これも自由に休めるものではなく,勤労奉仕隊地方指導所から通告があって,使用者が初めて与える形.
 別の日に休む場合は,その使用者の責任者の許可が必要になります.
 また,家庭の補助任務に就いている場合は,一般女中と同じ待遇が適用されると言うことになっています.

 使用者としては,勤務間の食事と宿舎を用意する必要があります.
 一方で雇用関係にありませんから,給料は支払われず,代りに一日0.5マルクの小遣いと,1マルクの被服補償費が支払われる形になります.
 とは言え,病気や怪我の場合を考慮して社会保険関係の支払いは行われています.

 1943年2月には,労働就職全権受命者から,申告義務令,即ち,「戦時任務に対する男女の申告義務に関する法令」が公布され,女子挺身隊以外の女性も申告によって徴用されるケースが出てきました.

これは,
(1) 16〜65歳までの男子,17〜45歳までの女子に対して,労働局の調査に基づき,緊急の必要がある場合,国防任務nため召集される.
(2) 労働局は,男女を召集した後,各個人についての技能と個人的事情を調査し,それぞれ国防に関係のある任務を振分ける.
 この際,個人は自分の身辺事情を申し出ること.
(3) 婦人に対する調査は慎重に実施し,その服務地はなるべく現在の居住地とする.
(4) 徴用除外者は以下の通り.
 a. 既に重要産業部門で1週48時間以上勤労している男女
 b. 本業として農業あるいは公共事業に従事している男女
 c. 5人以上の従業員を持つ独立の経営主
 d. 16歳以上の男子,17歳以上の女子で公認学校に通学
 e. 外国人または聖職者
 f. 妊産婦,5歳以下の幼児1名,6〜14歳の児童2名以上を育てている母親

 逆に,徴用される者は,
 a. 子供の居ない者
 b. 15歳以上の子供が居る者
 c. 6〜14歳の子供が1名しか居ない者
の順番になっています.

 つまり,子供を産むのなら仕事に行かなくても良いよ,と言うものです.「産めよ殖やせよ」ってことですね.

 徴用された場合は,1日最大8時間,週最大56時間の労働時間勤務します.
 但し,家庭を持つ主婦については,家事の処理,健康保全,能率向上の面から,家庭労働日を制定し,週48時間勤務の場合は,本人の希望で自由時間を設けています.

 こうした主婦の社会進出を支援するために,女子青年団による家庭生活補助(買い物の手助けとか裁縫など)を導入したり,洗濯業や婦人服仕立業の優先取扱特典を与えたり,午後5時まで勤務する場合は,買物特別取扱証明書を交付し,登録商店に商品を取り置きさせると言った配慮を示していますし,野菜や果物などは職場で優先配給販売を行ったり,工場の門前に販売所を設置して,消費生活物資を販売したりと言うこともしています.

 泥縄の日本式よりは,平時の体制が整っていた分,円滑に行ったのかもしれませんね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi


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