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 【link】

『ワイルド・ブルー』(S.E.アンブローズ著,アスペクト,2002)

 B‐24爆撃機乗組員のノンフィクション.
 ドイツの航空戦力が枯渇したあとの1945年以降も,高射砲による被害は凄かったとか.

 著者のアンブローズって『バンド・オブ・ブラザース』の著者でもあるのね.
 登場人物達の少年時代から描き始める手法は,確かに似てる.
 ただ,軍事用語の訳がちょっとアレ.
 第101空挺中隊ってのは完全に誤訳だろ.
 かなり面白そうなんだけど,その辺が気になって.

------------軍事板,2002/05/29
青文字:加筆改修部分
 第8空軍の影に隠れがちな,イタリアに展開した陸軍航空隊ボマー・コマンドの話.
 B-24という爆撃機を主軸に,それに乗って戦う爆撃機乗りの「日常」を描いた作品.
 戦闘の様子だけでなく,軍隊生活における様々な情景をいきいきと,あるいは淡々と描写する様は読みやすい.
 時折,あまりに堂々と自分達アメリカの正義を正当化したり称賛したりするくだりや,あまりに劇的すぎる展開(最後のエピソードとか)が,鼻に付くかもしれないけど,第2次大戦の航空伝記として良作,オススメ.
 続けて同じ作者の,「バンド・オブ・ブラザーズ」に挑戦してるけど,同じ陸軍でも歩兵・空挺と航空兵の違いがまた面白い.

 にしても,いくら敗戦で餓えてたとはいえ,イタリアの一般人がアメリカ軍の食事を絶賛するとは……
(逆に爆撃機乗り達は,現地の市民が出してくれた,肉抜きトマトソース・スパゲティを絶賛したり)
 同じ本に,兵員を載せた輸送船がイタリアに接岸しようとするときに,
「海岸で必死に手を振っている子供たちに,食糧を投げてはならない.
 彼らは飢えている.
 先日,我が軍の兵士が投げ入れた食糧を取ろうと殺到して,海に落ち,溺死者が出た.
 決して食糧を投げてはならない」
なんて放送が流されるエピソードがあるぐらいだし.
 当時のイタリア国民,それだけ飢えていたんだ.

 しかし,スティーブン・アンブローズって'03年に亡くなってたのか……
 知らなんだ.
 英軍空挺部隊の話を書いた「ペガサスブリッジ」とか,どっかで翻訳してくれんかなあ.

------------------軍事板,2011/08/24(水)〜08/25(木)
青文字:加筆改修部分

●動画

「ワレYouTube発見セリ」:B-17 Daylight Raid

「ワレYouTube発見セリ」:B-17 Flying Fortress

「ワレYouTube発見セリ」:B-17 Flying Fortress(その2)

「ワレYouTube発見セリ」:WWII fighters - B-17 mission 1945

「ワレYouTube発見セリ」:WW2 Bombing Air Raids (Ploesti) B-24 Liberator

「 ワレYouTube発見セリ」:Corsairs in Action

「ワレYouTube発見セリ」:Douglas Dauntless

「ワレYouTube発見セリ」:Grumman TBF Avenger


 【質問】
 1942〜43年に掛けての米陸軍航空隊第8空軍の昼間爆撃の効果は?

 【回答】
 今から10年位前,Memphis Bellと言う映画が封切られました.

 当時,原作を買って読んだ私は,非常に行きたかったのですが,東京の映画館の混みようが全く判らなかったので,結局,映画館の前で怖じ気づいてしまい,遂に映画館で見ることはありませんでした.
 その事は,青春時代の甘酸っぱい思い出と共に思い出します.

 さて,そんな映画にも描かれていましたが,1942〜43年に掛けての米陸軍航空隊第8空軍の昼間爆撃は,殆ど効果が見られませんでした.

 未だ米国の航空機産業に十分な数の爆撃機を供給する能力が無く,一度に運用出来る爆撃機の数が少なく,ドイツ側の対空砲火は濃密,その為に効果的な爆撃が出来ず,一方,ドイツ側の復旧能力が優れていて,少々破壊されても直ぐに復旧が行われており,結果として,何度も同じ目標に反復爆撃を繰り返さなければならない単調な作業に陥り,それと比例する様に,対空砲火は増強され,益々損害が増すという状況になります.

 平均すると,一度の出撃で爆撃機隊員の4%が戦死,若しくは行方不明になりました.
 第8空軍の任務完了の平均回数は約14.72回.
 即ち,米陸軍航空隊の爆撃機乗員達が帰国を許される25回(後に35回に増やされます)を達成するより早く,いなくなる兵士が多かった事を表しています.
 この数字を見ると,Memphis Bellの乗員が如何に尊い存在だったか,良く判ります.

 彼ら爆撃機乗員は,言ってみれば一蓮托生です.
 それはチームというに相応しいもので,時が経つにつれ緊密になっていきます.
 それ故,馬の合わない者がいると,転属を交渉しますし,規範を乱す者も嫌われます.
 反面,機上戦死などで仲間が居なくなると,その喪失感は何にも増して彼らを苛み,遂には心労で倒れる機長もいた程です.
 機長は将校,機銃員は軍曹と立場は違いますが,例え,上官と部下の関係でも,彼らは上下の関係無しにやっていかないと立ち行かない事が良く判っていたのです.

 英国の爆撃機乗員もそうですが,この時期の米国陸軍航空隊の爆撃機乗員も,無力感,無常感が拡がっていました.

 1943年8月には,沈滞した空気を変えようと,司令部がある空爆作戦を実行します.
 今までも,発電所,ボールベアリング工場,航空機工場を爆撃しましたが,その効果は劇的に見えませんでした.
 其処で計画されたのが,石油精製施設の爆撃です.
 先ずは8月1日,ルーマニアのプロエシュティ油田を爆撃します.
 此処は,ドイツの石油資源の6割,ガソリンの3分の2を供給していました.
 この作戦(大津波作戦)は低高度絨毯爆撃となり,ベンガジを起点に目標まで侵攻しました.
 使用機は航続距離の関係で,第8空軍から2個,第12空軍から3個スコードロンのB-24を180機抽出し,それぞれに1000ポンドと500ポンドの爆弾,英国製焼夷弾を290発,米国製焼夷弾140発など合計311tの爆弾を搭載し,爆弾倉には補助タンクが2個増設されて,燃料は1機当り3100ガロンの満杯状態.

 理論上,これらのB-24は目標を2分未満で完全に破壊出来る筈でした.

 故障などで脱落した機体を除き,177機のB-24が1725名の兵士達を乗せて8月1日の払暁にベンガジを離陸します.
 コルフ島からバルカン方面に向かいますが,積雲に阻まれて進めず,編隊が乱れた状態で,プロエスティ油田から100kmの所に設定された爆撃開始点に各々向かい,其処で高度を150mに下げ,爆撃を開始します.
 この時点で,ルーマニア空軍やドイツ空軍の執拗な迎撃や対空砲火に晒され,爆撃によって生じた上昇気流や粗塞気球,工場の煙突,炎などに邪魔されながら何とか爆撃を終え,旋回して基地に戻る最中でも,執拗な迎撃を受けました.

 この爆撃で精製施設の42%を破壊したと判断しますが,これらは直ぐにドイツによって復旧されたり遊休施設を利用したりして精製施設の生産能力は前と殆ど変わらなくなりました.

 結局,この野心的な爆撃行で,B-24の3分の1に相当する54機が失われ,兵士532名が戦死又は行方不明,捕虜となりました.
 これで生き残った機体は,8月13日にヴィーナノイシュタットの航空機工場爆撃に駆り出され,英国空軍は,17日にはシュヴァインフルトのボールベアリング工場,レーゲンスブルクの航空機工場を爆撃します.

 因みに,これらの目標は,米国や英国の目から見れば,ドイツの戦争遂行に於ける鍵と思われていましたが,戦後に行われたゲールングやシュペーアに対する聞き取り調査では,ドイツ側にとっては,確かに破壊されたら厳しいが,復旧する位の工業力は未だあった状態だったので,そんなに戦争遂行に影響する状況ではなかったそうです.
 寧ろ,発電所,火薬工場や弾薬工場,更に窒素とメタノールを生産していた化学工場を狙った方が効果的に,ドイツを降伏まで追い込めたのではないか,と述懐しています.

 結果として,連合国の上層部が,ドイツの戦争経済を過小評価しすぎていたと言う事です.
 正確な情報の把握や,きちんとした情報分析が出来てないとどうなるか,と言うのが良く判る事例ではあります.

 尤も,それで彼ら爆撃機搭乗員達の努力が徒労だったと言う事はありませんが….

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年09月03日23:00


 【質問】
 アメリカ陸軍第15空軍とは?

 【回答】
 欧州戦線の爆撃機隊と言えば,絶対取上げられるのが第8空軍です.
 しかし,イタリア戦線では第15空軍が奮戦していました.

 元々は第8空軍から分かれたものですが,南イタリアから出撃することで,東欧やオーストリア,ドイツの南部や東部を爆撃することが出来,また,必要に応じてイタリア戦線やバルカン戦線の友軍の支援に転用出来ると言うのもありました.
 更に,英国の過密状態の緩和に繋がり,天候不順の多い英国より,地中海性気候のイタリアの方が晴れの日が多く,其の分,頻繁に出撃することが出来る,また,南部ドイツには主要な航空機工場があり,ドイツはそれらを守る為に少なからぬ戦闘機を移動させねばならなくなるので,戦力の分散になって,第8空軍の負担軽減にも繋がる.
 その上,アルプスを越えて爆撃するので,ドイツのレーダー監視網に引っかかることは少ない.

 連合国最高司令部はこの様に考え,北アフリカの第12空軍から6個スコードロンの重爆撃機と,第8空軍から15個スコードロンのそれを回す様に指示します.
 しかし,第8空軍司令官のイーカー将軍はこれに反対し,結局,アーノルド将軍に楯突いたことで,彼は飛ばされ,カール・スパーツとあのドゥーリットルが欧州に赴任することになります.
 第15空軍の司令官にはトワイニング将軍が就任しました.

 1943年12月1日,フォッジア周辺に支援部隊が展開し,ドイツ軍が使用していた滑走路を元に修復を施し,排水工事を施工した後,滑走路に鋼板を敷き詰め,舗装が為され,こうして,12月末までには45カ所に飛行場が建設されました.
 また,このほかにサルジニアとコルフ島に中型爆撃機用の滑走路兼緊急発着場が作られました.
 同時にガソリン供給用パイプラインも,バーリからフォッジアまで敷設されています.

 此の間,12月2日には早くもドイツ軍の1個爆撃機中隊が,作業基地であるバーリを夜間空襲し,そこに滞在していた輸送船19隻を撃沈,7隻が大中破し,2隻の軍艦が損傷を受け,タンカーへの爆弾の直撃で大火災が起き,作業員1000人以上が死亡し,港の復旧に数週間かかると言う妨害がありました.

 これら妨害にもめげず,基地群には6個重爆撃機群と,2個戦闘機群からなる第15空軍が入り,1944年4月までに,その数は21個重爆撃機群と7個戦闘機群になるまでになります.
 12月25日には早くもアウグスブルクのメッサーシュミット工場を爆撃し,1944年1月にはアンツィオ上陸作戦の支援,2月からは本格的に稼働し,第8空軍と協同で,1週間に渡る爆撃作戦を開始し,1日に双方から1000機以上の爆撃機を動員してオーストリアのシュタイアーを手始めに,レーゲンスブルク,アウグスブルク,フュルト,シュツットガルトなどを爆撃します.

 当然,損害も多く,その1週間で第15空軍は90機の航空機と搭乗員達を失います.
 因みに,そのうち33機は最後の1日にて失われました.

 此の間,爆撃機には改良型スペリー爆撃照準器やAPS-15レーダーなどの装備が付けられ,質の改善も行われました.
 1944年4月5日には,前回苦汁を飲んだプロエシュティ油田を再攻撃し,その後も油田に対して,15日,24日,6月6日,23日,24日,7月9日,15日と毎月爆撃を繰り返しました.

 損害も多かったのですが,スパーツはアイクの反対を押し切って,油田爆撃,精油所爆撃を繰り返しました.
 これらの爆撃はその後,ドイツに致命的な影響を与え,国内への石油供給が極端に減ることになります.
 ただ,ドイツ側も直ぐ様対策を講じ,爆撃機がバルカン半島に達して警戒網に察知されると,プロエシュティ上空に爆撃機がやって来る40分を利用して,精油所の周辺で数百個の発煙筒に火を付け,目標を覆い隠しました.
 これに対し,米軍側は新型のAPS-15でレーダー照準爆撃を行うことになります.
 それに対抗して,ドイツ側は対空砲火や戦闘機部隊をプロエシュティ油田周辺に集中させます.

 この結果,プロエシュティ油田は,欧州で3番目(1番目はベルリン,2番目はウィーン)に防衛が強固な目標となりました.
 これに対抗し,米軍側はボックス編隊を導入して防衛火力を強化します.

 結局,この矛盾のやり合いの結果,7月には第15空軍の爆撃機の損害は318機に達します.
 しかし,9月までに20回,延べ59,834名の搭乗員がこの地に飛び,13,469tの爆弾を投下し,350機の重爆撃機と搭乗員を犠牲にして執拗に爆撃を繰り返した結果,ドイツ側は180万トン分のガソリンが入手出来なくなり,8月30日にソ連軍が侵攻した際には,精油所には廃墟しか残っていないという報告を受けることになりました.

 余談ですが,ルーマニアにソ連軍が侵攻すると,国内では政変が起き,ドイツ軍に対し矛を逆しまにして襲いかかります.
(とは言え,ドイツ軍から見れば,ルーマニア兵はソ連のウズベク兵に劣るものとみなされていたみたいですが)
 この時,ブカレスト周辺の捕虜収容所には,プロエシュティ油田爆撃で撃墜され,捕虜となった搭乗員1000人以上がいました.

 ルーマニアの名門貴族の一人で60機以上を撃墜したカンタクジーネ大尉は,捕虜の中佐と語らって,自分のBf-109に星条旗を書いて,彼を無線室に押し込み,危険を顧みずイタリアへの飛行を敢行します.
 中佐はトワイニング将軍に面会すると,直ちに救援隊の派遣を依頼.
 将軍は即座にそれを了承し,B-17爆撃機56機を輸送機として派遣すると共に,カンタクジーネ大尉に余剰のP-51に乗って国内の偵察を要請.(Bf-109は物見高い米国の戦闘機乗りが乗って壊した)

 彼の確認で,周辺部にドイツ軍が居ないことがわかると,これらB-17爆撃機はブカレスト郊外の飛行場に続々と着陸し,1機に20人が乗り込み,3日間ピストン輸送を続けて1,247名の捕虜を救出することに成功しました.
 彼らは,必要な措置や手当を受けると本国に送り返されますが,これが第15空軍の士気を著しく高めたそうです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年09月04日22:30

 さて,暗黒と言えば,ドイツの石油事情.

 ルーマニアが脱落し,第15空軍が石油精製施設をしつこく爆撃した結果,ドイツは戦争に必要な燃料の20%しか得られなくなりました.
 これは前線は未だしも,後方には大きな影響を及ぼし,陸軍では戦車戦の訓練が出来なくなり,戦車兵の練度が低い儘,戦車師団は出撃して鉄屑となり果て,補給用のトラックは贅沢品となって,再び馬匹が活躍し,空軍では戦闘機の訓練も不十分になって,不十分な儘前線で戦闘したパイロット達は,忽ち連合国の戦闘機の餌食となって死んでいきます.
 1944年6〜10月の間,ドイツ空軍兵士の喪失は1ヶ月当り3.1〜4.4万人に達しました.
 結果として,休息が必要な熟練搭乗員も疲弊し,これまた撃墜されて死亡する者が相次ぎ,戦闘機があるのに操縦士がいないと言う状況に陥り,最終的には都市防空は高射砲に頼らざるを得なくなります.
 その代り,中学生まで動員して対空砲を操作させた訳で,対空砲火網は濃密でした.
(因みに,Rommelの息子は,14歳で空軍対空砲兵として88mm砲を操作し,防空任務に就いていたそうです.
 戦後,シュツットガルト市長となった彼に,連合国の元飛行士たちが会いに行った際,「僕はあなた方が生き残るようにわざと目標を外して撃っていたんですよ」と冗談を言ってたそうな)

 一方,米国でも1944年の夏に第8空軍は,保有する2,100機の重爆の内900機以上を失い,第15空軍も1年半の間に,3,544機のB-24と1,407機のB-17の配備に対し,1,756機のB-24と624機のB-17が撃墜されています.

 ドイツも米国も,乗員の喪失による過重出撃が問題となり,当事者達の士気は衰えていきました.
 米国では爆撃機1機に対し2組の乗員を用意しようと計画していましたが,消耗に補充が追いつかず,1機に2組の体制を整えることが出来たのが,1944年12月と言う大戦も末期の状況になります.

 特に第15空軍の連中が不満だったのが,ローマが占領され,ノルマンディー上陸作戦が開始され,庶民の関心はドイツ本土に移り,その結果,第8空軍にのみスポットライトが当たっていた事でした.
 映画俳優のJames Stewartは,現役の隊長としてB-24を操縦していましたし(冗談抜きで彼は将軍まで上り詰めた),Clark Gableも第8空軍にいました.
 有名人は他にも多数第8空軍におり,更に英国を拠点にしていた為,マスコミにも取上げられやすかった事もあります.

 1944年の年末近くには,一つの飛行隊に12機のB-24と23〜24組の乗員がいました.
 操縦士,副操縦士は合わせて46〜48名,其の他将校が50名以上です.
 新人が配属されると,機長になる操縦士は,5回目の出撃まではベテランの操縦士と組み合わせて,先ず副操縦士として戦闘に臨みます.
 先ずは,先輩に戦場で生きる為の知恵を伝授して貰う為,そして,真っ先に戦場の雰囲気に慣れて貰う為と言う狙いがありました.

 第15空軍麾下の飛行隊は,屡々オーストリアやマジャールへの爆撃を行っていました.
 このうち,ウィーンとかリンツ,ブダ=ペシュトと言った古都を爆撃する場合は,操縦士と爆撃手に対し,最大限の注意を払って,文化財と教育施設の爆撃を厳禁する様に警告していました.

 操縦士は機長も兼ね,B-24内部に於ては殆ど絶対神に近い存在でした.
 事故の無いように離陸し,飛行中は機内の状況を常に把握し,機体の状況の報告を受け,判断を下し,無事に帰投させる任務を負っていました.
 彼の手の中にクルー10名の生命が握られていた訳ですから.
 ちょっとでも,彼が判断を過てば,それは即ち死が待っています.

 原則的に彼らは,訓練時から同じクルーで生活していますし,気心が知れては居ましたが,実際の戦闘では,冷静さを欠く機長も居ます.
 そんな機長に当たった場合は,クルーはひたすら自分の不幸を嘆き悲しみ,優秀な機長のクルーに欠員が出来,自分が抜擢されることを祈るのです.

 爆撃行については決して強制された出撃ではなかったりします.
 メンバー表に自分の名前が有れば,出撃する事が求められる訳ですが,行きたくなければ「No」という事も出来ました.
 ただ,彼らは戦争に来ている訳ですから,実際にはNoを言う人は居なかったそうです.

 爆撃行には,対空砲火が激しい場所もあります.
 そんなところに,直線コースで飛び込むのですが,それは正に飛んで火に入る夏の虫です.
 最初の編隊や2番目なら未だ幾らか照準は甘いのですが,段々照準は正確になっていきます.

 そう言った場合,Pathfinderは無言のサボタージュをするケースもありました.
 即ち,目標上空直前で僅かに進路を変え,対空砲火のない野原に誘導して,其処に爆弾を落とした訳で.
 敵の領空に入ると,出撃回数が1回とカウントされます.
 このサボタージュに関しては,列機から誰も何も言いませんでした.

 第二次大戦では,様々な人間ドラマが,様々な場所で展開されたのですが,こうしたエピソードも,彼らが戦争機械ではなく,人間であることを教えてくれます.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年09月05日22:12


 【質問】
 第15空軍に関する情報収集活動について教えられたし.

 【回答】
 さて,連合国爆撃機部隊と枢軸国防空部隊との虚々実々の駆け引きは,様々なドラマを生み出します.

 第15空軍が進出する時点でも,既に駆け引きは始まっていました.
 現地建設作業員の中に,少なくとも1名,枢軸側のスパイが居たことが判っていて,連合国側では彼を泳がせて,偽情報を送らせたりしています.
 尤も,二重スパイに仕立てた訳ではなく,知らない内に偽情報を送っていたと言うもの.

 その代り,何でも無いことは其の儘流させたりしたので,例えば,基地に食堂を建設した際は,その位置情報を送らせたり.

 ただ,目標に関しては極力知られない様に注意を払い,離陸時に欺瞞進路を取ったり,ブリーフィングの際には,憲兵がブリーフィングルームの扉の前に陣取り,中に入る際には,認識票とその日の出撃名簿を照合し,OKだったら中に入れた後,扉に鍵をすると言う徹底ぶりです.
 とは言え,他の情報収集手段によって,離陸しない内から枢軸側には目標が判っていたみたいです.
 特に有線電話での重要事項の伝達は厳禁.
 司令部の電話と雖も,こうした有線電話は常に盗聴されていました.

 また,斯ういう事もありました.

 第742爆撃飛行隊のB-24が,空襲からの帰投時,片肺状態で編隊から遅れ始めると,送り狼としてBf-109が襲いかかってきました.
 B-24の操縦士は,降伏の証に脚を降ろさせます.
 其の儘,基地に着陸して捕虜になると言う意思表示.
 安心して,Bf-109が近づくと,機関銃を一斉に発砲し,2機とも撃墜して,何とか窮地を脱して,基地に帰投しました.
 この第742爆撃飛行隊の機体の尾翼には,チェッカーボードが描かれていましたが,以後,この尾翼のB-24は迎撃機から目の敵にされたそうです.
 第742爆撃飛行隊では,余りのしつこさに堪らず尾翼のマークを変えましたが,常に第一目標にされたそうな.

 爆撃飛行では,特殊な司令部要員が乗り組む事もありました.
 彼の仕事は,枢軸国の無線周波数に割り込み,迎撃機の管制を混乱させることで,戦闘機の編隊に対する迎撃指示を地上が出した後,地上管制員のふりをして,帰還指示を出したりしました.
 こうした要員は,少なくとも1個スコードロンに2〜3名は居たようです.
 一方で,連合国側の無線士も同じ事をされたら困るので,使用周波数はしょっちゅう変更していました.

 ドイツ側も国内に不時着したB-17やB-24を修復して,編隊から離れた機体の様な顔をして,目標の近くを飛行し,編隊に潜り込んでその高度や方向,速度などのデータを地上に送り,迎撃機を誘導したり,対空砲火のデータを修正させたりする任務の機体を使っていました.
 こっちには英語に堪能な無線士を乗せて,欺瞞を行っていますが,希に,偽装がばれて護衛戦闘機に撃墜されたりする訳で.

 こうした機体が飛行隊を作れるくらい,不時着していたのもまた事実.

 損傷して,基地に帰り着けなければ,不時着用飛行場を目指して飛ぶ訳ですが,例えばエーゲ海にある不時着用飛行場の長さは,僅か660mで,着陸後に山が迫ると言う地形にあり,其処に降りるのは至難の業でした.
 と言っても,海上に不時着水したのなら,B-24は先ず沈みます.

 それで駄目なら,スイスを領空侵犯して不時着して抑留されるか,ユーゴスラビア上空まで逃れて,運良くチトーのパルチザンに助けられない限り,戦争捕虜となります.
 場合によっては,抵抗したと見做されて,射殺される場合もあったりします.

 一応,パラシュートの他,彼ら乗員には,数個のキャンディーバー,モルヒネ注射1回分,絹製の欧州地図,羅針盤などの緊急用品一式を与えられ,捕虜になった際には自分の名前,階級,認識番号しか喋るなと言う教育を為されていましたが,実際には,拷問を避ける為とか,ちょっとした雑談からつい情報を漏らすと言うケースが多かった様です.

 ドイツ側の尋問官は皆一様に若く,英語が堪能で,大抵は自分たちも元搭乗員で,負傷などによって任務を離れた者が多く,同世代で,同じ兵科の気安さで御喋りをしました.
 その中で,情報をポロリと漏らす訳.
 しかも,彼らは捕虜の部隊名や司令官の名前などの詳細な情報を得ていたので,捕虜達はコロリと騙された訳です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年09月07日21:26


 【質問】
 WW2の米海軍の艦載機の質問です.
 TBDやTBFの「TB」はトーピードボマーで雷撃機だと思うんですが,SBDやSB2Cの「SB」は何の略なんでしょうか?
 急降下爆撃機ならダイブボマーだから,「DB」になると思うんですが.

 【回答】
 偵察爆撃機(Scout Bomber) の略.

 第二次世界大戦当時の米大型空母は,多くの場合,戦闘機中隊×2,急降下爆撃機中隊×2,雷撃機中隊×1を搭載しておりました.
 で,急降下爆撃機中隊のうち1個は「爆撃中隊」,もう1個は「偵察中隊」と呼ばれておりました.
 当時の米空母機動部隊は,索敵に急降下爆撃機を使用していたので,偵察中隊と爆撃中隊を編成していたのです.

 ただし,この2つの部隊の編成はおおむね同じで,偵察中隊であろうと爆撃に参加しますし,爆撃中隊が偵察を行うこともあったようです.


 【質問】
 B-17の実用上昇限度はF,Gとも1万mを超えています.
 でも,対独爆撃では5000mから7000mで侵攻していました.
 迎撃側のドイツのレシプロ戦闘機は,高度が7000mを超すと急激に性能が落ちることが知られています.
 ここから考えると,B17が侵攻高度を上げれば,あんなに大きな被害を出さずにすんだと思うのですが,なぜ高度を上げなかったのでしょうか?

 【回答】
 B-17にはB-29みたいな機内の与圧装置無いんですよ.
 しかも胴体側面の銃座は吹きさらし.
 高度一万で酸素マスクと電熱服だけでは,乗員がとてもまともに動くことが出来ませんって.
 カタログデータと実際は違うってことです.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 B-17改造の無人遠隔操作爆弾「アフロディーテ」とはどんな物なのでしょうか?

 【回答】
 「アフロディーテ」は正式にはBQ-7誘導爆弾と言いまして,耐用時間超えた中古のB-17に約9トンの爆弾と無線操縦装置を積み込んだ機体です.
 離陸する際は2名の操縦員が搭乗し,離陸した後に操縦員はパラシュートで脱出して,他の機体の誘導によって目標に突入すると言う代物です.
 1944年に25機が改造され,8月から翌年1月までに15機が使用されています.

 余談ですが,ケネディ大統領の兄のジョセフ・ケネディ海軍大尉はこの誘導爆弾の実験にかかわっており,44年8月12日,実験に使用したPB4Y-1が離陸後に爆発して死亡しています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2005/09/07(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 シュバインフルト爆撃って何?

 【回答】
 1943年8月,10月に行われた,連合軍による爆撃作戦.
 出撃機666のうち120機が失われた.

 特に10/14の「暗黒の木曜日」では,出撃した第92爆撃航空軍団のB-17,382機が,1000機以上のドイツ空軍機に迎撃され,
被撃墜65機,
大破放棄12機,
損傷112機
という損害を受けた.


 このような損害を出した原因は直接的には,ドイツ上空まで爆撃機についていける航続距離を持つ戦闘機が.P-51が登場するまでは無かったため
 実際,P-51登場後は全行程を護衛出来る様になった.

 しかし,もっと根本的な原因がある.
 もともと「高速の爆撃機はほとんど迎撃を受ける事は無い」という35年の訓練結果を正しいものとして採用していたんだ.
 シェンノート将軍が
「訓練は戦闘機が旧式で爆撃機が最新だから,明らかにこのシミュレーション結果は恣意的で疑問がある.
 アメリカは爆撃機には護衛戦闘機が必要」
と訴えたにも関わらず,これを上層部に具合が悪いからと黙殺したのは,米航空部隊の中枢がこの説の提唱者だったという事情がある.

 P-51まで護衛がなかったのは,そういう護衛戦闘機軽視の思想と,戦闘機や爆撃機の仕様などの配備計画に悪影響があってのこと.
 そしてシェンノートの訴えを黙殺して,損害を重ねても考えを改めず,英空軍のBOB(バトル・オブ・ブリテン)の経験から出した忠告も無視して,護衛無し爆撃を多用し続けた.

 シュバインフルト爆撃はその誤りが,取り繕えないほど頂点に達したというだけなんだ.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 B-24の操縦性は?

 【回答】
 「空のランチョンミート缶」,「翼の付いたニューヨーク港ゴミ運搬船」,「バナナ・ボート」,「妊娠中の雌牛」,「空飛ぶ煉瓦」,「断末魔の老朽ワゴン」….

 米国の航空機搭乗員は,口さがない連中が多く,公式名称で自分の機体を呼ぶことが滅多にありません.
 この機体もその一つ.

 図体がでかく,鈍重で,酷く窮屈な機体ですが,第二次大戦中の米国の四発爆撃機で最も多く(18,181機)作られたのがこの機体です.
 公式の愛称はLibarator,軍の公式呼称はB-24,メーカーではConsolidated Type32と呼ばれました.

 同じ四発爆撃機でも,前作のB-17は,B-24より離陸が容易で,着陸も簡単,海に不時着しようが破損したり沈む機体でもありません.
 しかし,B-24乗りからすると,B-17は,「女子供の操縦する飛行機」だそうです.

 B-24は最も操縦の難しい機体の一つでした.
 酒場でB-24の操縦士を見分けるのは簡単,左腕が右腕より逞しいかどうかを見ればいい,などと言われました.
 これは編隊を維持するのに左腕で操縦輪を握り,右腕でスロットルやスイッチ類を操作したからです.
 この操縦輪を維持するのは,油圧サーボはなく,全くの人力.
 操縦士向けの取扱説明書には,「B-24にはガッツがある.辛苦に耐えて,遣って退ける力がある.どの航空機よりも多くの爆弾を,速やかに,遠くまで,毎日運ぶことが出来る」と書いてありました.

 任務を終えて帰投した時,余りに疲れ果てて他の乗員に操縦席から引っ張り出して貰わねばならない操縦士も居た位です.

 ただ,Toughなのは事実で,作戦飛行中に喪失した割合は,B-17が15.2%なのに対し,B-24は13.3%と僅かながら勝っていました.
 とは言え,元々がアンダーパワーでターボの力で無理矢理性能を出している為,1発停止でも厄介な自体に陥り,主翼のDavis Wingは,当初の要求性能である航続距離4,800kmを満たす為に採用され,断面は巡航時の抵抗が小さいとされていましたが,対空砲の破片で穴が空くと,忽ち折れてもげてしまう厄介な癖を持っていました.

 B-24は最初に前車輪式の降着装置を採用した機体です.
 これまた地上では厄介な代物で,屡々ステアリングに失敗して滑走路の溝に嵌るなんてことをやらかしてます.
 また,前車輪を引込む際にはその回転を止めなければならないのですが,離陸時の最大速度が出ている最中に,もう機首が浮いたと早合点して前車輪をロックし,急につんのめって,満載の爆弾や燃料と共に真っ白に燃え尽きると言う事故が続出しました.

 爆弾倉はシャッター式で2カ所にあり,開いた時にバフェッティングを起こす心配はなく,2000lb爆弾なら4発,1000lb爆弾なら8発,500lb爆弾なら12発,100lb爆弾なら20発が搭載出来,これは後の改良型では更に増えています.
 ただ,元々3,600kgの爆弾搭載量を無理矢理5,800kgに持って行ったので,これまた安定性に皺寄せが行っています.

 B-24に搭乗する場合,機首のハッチから機首旋回機関銃手,爆撃手,航空士の順番で機体に入ります.
 ハッチから中に入ると,先ずしゃがみ,その姿勢を保ったまま横歩きで前輪格納室を抜け,自分の場所までにじり寄る必要がありました.
 機関銃手が砲塔に潜り込むと,爆撃手は機関銃手の直ぐ後ろの小さな席に踞り,爆撃照準器に覆い被さるか,床に座り込むかのどちらかの姿勢を取る必要があります.
 航空士は,その後方で,尻が乗るか乗らないかと言うスツールに腰掛け,正面の航空士用テーブル(と言っても,機首と操縦席間の隔壁)に地図を広げます.
 彼の目の高さには,丁度操縦士と副操縦士の足が見えます.

 機首以外の乗員は,爆弾倉扉から機内に入り,内部に入ると直立して,幅の狭いバーを踏みしめ,前方のフライトデッキか,後方の胴体に進んでいきます.
 通信士は副操縦士の直ぐ後ろ,一段下がったところにあるデスクに就き,通信装置と向かい合います.
 航空機関士は,離陸時には操縦席に陣取り,操縦士,副操縦士の間から計器チェックの手伝いをし,それが終わると,通信士の向い側に座ります.
 彼は戦闘時には,上部旋回機関銃手となり,砲塔に入りますが,その砲塔の足置きは,通信士の頭の数センチ上だったり.

 胴体部機関銃手,下部旋回機関銃手,尾部旋回機関銃手は後方の胴体に進み,尾部旋回機関銃手は,小さい砲塔の上に立って,そろそろと脚を砲塔内部に入れます.
 此処はパラシュートを着用することは出来ません.
 胴体部機関銃手は立った儘です.
 下部旋回機関銃手は,砲塔に攀じ上り,入った後はハッチを引いて閉め,身を屈めて持ち場に就きます.
 地上を除くのは膝の間です.
 彼は一般に身体の小さな者が選ばれました.
 パラシュートは勿論付けられず,万一必要になった場合は,胴体部機関銃手が砲塔を引上げ,下部旋回機関銃手が出て来るとパラシュートを付けるのを手伝う必要がありました.

 さて,この機体を離陸させるには,エンジンを毎分2,500回転に保たねば成りません.
 上昇時には毎分2,400回転を保つこと.
 これが保たれなければ,即ち,死が待っています.

 1943年の1年間だけで,訓練中にB-24は298機が墜落し,850名が死亡し,事故を起こして生き残った者でも余りの恐怖からシェルショックを起こし,使い物にならなくなりました.

 あんなに大きな機体なのに,爆弾を運ぶのに特化したからか,意外に窮屈だというのが,ちょっと信じられないですね.
 しかし,B-29が採用され,B-32が少数生産に終わったのは,搭乗員からしたら不幸中の幸いだったかもしれません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年09月02日21:26


 【質問】
 PBJ-1って何?

 【回答】
 PBJ-1哨戒爆撃機は,米陸軍の爆撃機ノースアメリカンB-25ミッチェルを,米海軍および海兵隊向けとした機体.
 B-25C,B-25D,B-25Jが海軍でPBJ-1C,PBJ-1D,PBJ-1Jとして使用された.
 また,海兵隊では哨戒爆撃任務だけで無く,輸送機としても大量に使用した.
 上述のように複数の形式があるが,装備等は陸軍同タイプに準ずる.
 翼端にAN/APG-23捜索レーダーを搭載した,PBJ-1Hという型式も存在.

 【参考ページ】
http://zukanda.jp/image/10620
http://military.sakura.ne.jp/world/w_b25.htm
http://shouou.blog.so-net.ne.jp/2010-02-21
http://pbjmitchell.com/
http://bluejacket.com/usmc_avi_ww2_pbj-1.html

側面図
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2012/06/22 20:20
を加筆改修

PBJ-1

ゆずこせう in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2012年01月20日 22:28



 【質問】
 Pは哨戒(パトロール),Bは爆撃(ボミング)だと分かるんだけど,Jはなんだろう?

鉄底海峡 in mixi,2012年06月17日 07:24

 【回答】
 Jは,ノースアメリカンに海軍が振った符号ですよん.
 例 SNJテキサン

 海兵隊のPBJは沖縄戦以降,大型ロケット”Tinny Tim”を搭載,使いましたとさ.
http://vmb612.com/pbj

ゆずこせう in mixi,2012年06月17日 08:55


 【質問】
 エンパイア・ステート・ビルにB-25が飛び込んだ事件について教えられたし.

 【回答】
 ボストン郊外のベッドフォード飛行場から発進した1機のB-25Dが1945/7/28/09:35,雨雲による視界不良のため,同ビルの75階に衝突.死者14名,重傷者26名.
 このとき,休暇中だった17歳の沿岸警備隊衛生兵,ドナルド・モロニーがいち早く現場に駈けつけ,決死の救助活動で多くの負傷者を救出した,というエピソードが残っている.

 詳しくは「航空ファン」 2006年4月号,p.135,またはアーサー・ワインガーテン Arthur Weingarten 著「空が堕ちてくる」(集英社,1979)を参照されたし.

消印所沢

 この事件は,今は無き「航空ジャーナル」誌の1979年6月号にも掲載されました.

 ニューヨークタイムス1945年7月28日号から−
 陸軍航空隊のB−25双発爆撃機1機が霧てで視界を失い,エンパイア・ ステート・ビルの地上から975フィートの所に突入した.
 この惨事により乗員スミス中尉ら3人と79階にいた10人が死亡し,26人が負傷した.
 突入 した機体の一部がビル中央部を貫通した際,エレベーターのケーブルを切断した為,6番エレベーターは79階から地下室まで約1,000フィート落下し,オペレーターのベティ・オリバーは重傷を負ったが,奇跡的に一命を取り止めた.
 機のガソリンタンクが爆発した為,5番街1,050フィートの高さの同ビル展望台まで,煌くオレンジ色の炎が立ち昇り,周辺地区に一時パニック状態をもたらした.

 ボーイング767が突入した貿易センタービルは倒壊しましたが,エンパイア・ステート・ビルは外壁に穴が開いたものの,衝突した機体は地上に落下炎上しました.
 理由は一介の素人には分かりませんが,ビルの構造が違う他にレシプロ機とジェット旅客機では運動エネルギーが桁違いだっのでは無いでしょうか.

赤とんぼワークス in mixi支隊


 【質問】
 B-29をヨーロッパに投入しなかったのはなぜ?

 【回答】
 実戦投入された頃には欧州方面の戦略爆撃はあらかたカタがついてたから.
 それに,1944年の夏以降ならフランスにも飛行場が作れるから,それこそ超長距離爆撃機の必要性はない.

 余談だが,フランスから出撃できるようになったあとは,B-25などの双発中型爆撃機がドイツ国内の幹線道路と鉄道,それに運河水運を徹底的に攻撃し,ドイツ国内の物流態勢をほぼ壊滅させた.
 それまでは大型4発爆撃機は都市戦略爆撃に手一杯,単発(P-38とか含む)の戦闘爆撃機は地上支援に忙しく,そういった「精密な爆撃が必要だが小さな目標なので,高空からの爆撃では効果が低い」戦略目標を効果的に破壊する手段がなかったのでそれらは見逃されていた状態で,ドイツの戦略輸送体制は毎日毎晩戦略爆撃されてるにもかかわらず健在だったが,これによってドイツは国内の物資輸送はおろか部隊の移動すら満足に出来ない状態に追いこまれる.

 更に付け加えておくと「終戦のその日まで,空襲で破壊されてもその日のうちに復旧する態勢を保ち続けた」と国鉄関係者が自慢する日本の鉄道網は,これら双発中型爆撃機が日本本土への空襲にほとんど参加できなかったために維持できたというところが大きい.

軍事板

 【質問】
 でもドイツでB17って大損害出してたのに,それでもB29を投入する考えは出てこなかったんですか?

 【回答】
 随伴戦闘機が付くようになってからは,B-17はかなり難しい相手になっている.
 それに,B-24だってランカスターだって大損害を出してるよ.
 確かに莫大な損害を出したが,それでも相手に与えたダメージのほうがでかかったからいいのだ(戦死したクルーには悲惨な話だが).

 B-17/24,ランカスターに替わる新型は待望されたが,それでも新型を泥縄式に投入して現場が混乱するよりは,大損害を出してでも現在の態勢で徹底的に集中攻撃する方が戦略としては正しいと判断され,それは実際そうだった.

 ・・・あくまでも計算上だが,戦略爆撃を断念させるには,出撃毎の被撃墜機を出撃数の30%を越えたかどうかが分水嶺と言われていた.
 イギリスの統計だと戦略爆撃機の被害は3〜7%で,この数字には程遠い.

 それでもイギリスの対独戦略爆撃作戦では,約9000機の戦略爆撃機が失われ搭乗員6万名が未帰還(戦死)している.

 アーメン.

軍事板


 【質問】
 主に艦爆(ドーントレスやヘルダイバー)を偵察に使っていた米軍も,デバステーターやアベンジャーなど雷撃機は三座となっているのは何故なのでしょう・・・

 【回答】
 基本的に性格が違います.

 TBDの場合は,前方から操縦手兼爆撃手,爆撃手兼補助パイロット,後部銃手で,爆撃時には爆撃手が胴体内に潜り込み,照準窓に腹這いとなって照準を行います.
 また,操縦手が死亡すれば,代わりに機体を操る事になります.
 なお,雷撃時は操縦手が雷撃の照準を付けます.

 TBFの場合は,前方から操縦手,爆撃手兼無線士,偵察員兼銃手で,爆撃手と言っても照準については,爆撃室が胴体内にあるので,其処まで降りて行わねばなりません.
 こちらについては,投下は操縦手が行うので,実質上無線の操作が主要な役割となっています.

 また,後下方銃座の操作は,爆撃手の仕事ですが,即応性には欠けています.

 なお,銃手は偵察員兼務と言っても,実質的に砲塔に収まっていますので,銃手としての役割の方が強いです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦末期の米軍で,空対地ロケットは実用化されてたのでしょうか?
 また,実用化されていたなら,P51ムスタングに装備されたものは何でしょうか?

 【回答】
 マスタングに搭載されていたロケット兵器としては,まずP-51Aから搭載されていたM104.5インチロケット弾があります.
 これは3本の長い発射筒を束ねて1セットとし,左右の主翼下面に各1基搭載したものです.
 弾道性能が悪く,ヨーロッパ戦線ではあまり使用されませんでしたが,アジア方面では多用されました.
 また,P-51Dの後期型から搭載され始めた5インチHVARがあります.
 ”ゼロ・レール式ロケット弾”と呼ばれたこれは発射筒を必要とせず,小さなマウント二個で固定されました.
 P-51D/Hでは両外翼下面に最大で10発搭載可能でしたが,通常は3発ずつ計6発を搭載しました.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE


 【質問】
 ”Tiny Tim"とは?

 【回答】
 第2次大戦末期にアメリカ海軍が使用した,航空機搭載用ロケット弾.
 固体燃料式.
 対空防御の濃密な敵艦に対し,その射程外から装甲甲板を貫徹することを目的として開発された.
 直径11.75インチ,弾頭は150ポンドの半徹甲弾.射程は1500m.速度885km/h.

 ジェットブラストによる機体の焼損を防ぐため,弾対投下後安全な距離に長さを設定された引き綱が引っ張られて,外れた瞬間,点火装置が起動する方法をとった.

 カルフォルニア工科大学(Cal tech)と海軍が,共同で開発にあたり,1944年4月に地上から試射,6月にはTBFアベンジャーによる空中発射に成功した.
 その後,その年一杯までに部隊における訓練,充足を終えた.

 欧州戦線におけるV-1バンカーの破壊作戦(クロスボー作戦)に投入する予定でもあったが,これは結局キャンセルされた.
 初陣は1945年4月からの沖縄戦.
 ここでは日本軍の地下防御陣地の破壊のために投入された.
 運用した航空機は主にF6F,F4U,TBF,SB2Dなどの艦載機.

 また,海兵隊第612爆撃飛行隊(VMB-612)は1945年,硫黄島にて本弾を受領し,6月からPBJ-1J(B=25の海軍型)にて,沖縄より10回にわたるミッションを実施した.

 【参考ページ】
Directory of U.S. Military Rockets and Missiles
Marine Bombing Squadron SIX-TWELVE

”Tiny Tim"
faq120624tt.jpg
faq120624tt2.jpg

「Tiny Tim」を搭載したPBJ-1
faq120624tt3.jpg
faq120624tt4.jpg

その発射方法

ゆずこせう in mixi,2012年03月02日17:03


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