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◆◆◆ハンガリー空軍 Magyar Légierő
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<第二次大戦FAQ


 【link】


 【質問】
 第二次大戦のハンガリー空軍について教えてください.

 【回答】

 マジャルは,二重帝国の一方(マジャル王国)として第一次大戦では戦敗国の扱いを受け,トリアノン条約で,スロヴァキア,クロアチア・スラヴォニア,バナート地方,トランシルヴァニアを割譲し,軍備の制限を受け,軍用機の保有を禁じられました.
 この点はドイツと同じです.
 そしてドイツと同じく,空軍の建設は1921年末から徐々に進められましたが,公式の空軍創立は1939年まで行われていませんでした.

 当然,その保有機は隠密裡に行わねば成らず,殆どの機材は,ドイツ,イタリアからの購入に頼っています.
 1938年末の保有機は230機で,主力戦闘機がFiat C.R.32,爆撃機はJunkers Ju-86D,Heinkel He-70,偵察機がMeridionali Ro.37,Heinkel He-46がありました.

 そして,1938.3のオーストリア吸収でドイツと国境を接するようになり,イタリアからドイツの影響が強くなり,顧問などを受け入れてます.

 1940.11には三国同盟に加入し,巻き返しを図ったイタリアから,Fiat C.R.42戦闘機,Caproni Ca-135/P11爆撃機,Caproni Ca-310軽爆撃機,Nardi F.N.305練習機を比較的安く購入し,前オーストリア陸軍航空隊で使用されていたC.R.32を供与されています.

 1941年,マジャルはソ連に宣戦を布告します.
 このときには,戦闘機2個連隊,爆撃機2個連隊,独立長距離偵察1個大隊,短距離偵察11個中隊で構成されており,航空機350機を保有していました.

 7月から12月まで,ソ連戦線派遣軍に戦闘機中隊1(Fiat C.R.42),小隊1(Reggiane Re-2000×6),爆撃機中隊1(Ju-86D),小隊1(Caproni Ca-135/P11×6),短距離偵察中隊2(Heinkel He-46,WM21)を派遣しました.
 しかしながら,このとき空戦は殆ど発生せず,無事に部隊は帰還しました.

 そして,1942年にはドイツからBf-109E(40機),Ju-87D,Ju-88A,Do-215,He-111と言った第一線機の供給があり,夏に再び東部戦線に派兵します.

 さて,1942年半ば,マジャル空軍は再び戦場に赴きます.
 このときは,戦闘機1個大隊(Re-2000),爆撃機1個大隊(Ca-135/P11),長距離偵察1個大隊(He-111,後Do-215,更にJu-88),短距離偵察1個中隊(He-46)を派遣しますが,戦闘は激烈で,1943年には最後に残ったRe-2000を破壊して退却を行いました.

 そして,戦力の再整備が行われ,ドイツからの供与品として,戦闘機はBf-109が,爆撃・長距離偵察機としてJu-88,急降下爆撃機にJu-87D,そして短距離偵察機にFw-189が引き渡され,戦闘機中隊を除いて,1943年末まで東部戦線で戦闘を行いました.

 さて,1944年に入ると,4月から本土が米陸軍航空隊の爆撃を受けるようになります.
 当初はBf-109の2個中隊しか本土にありませんでしたが,夏には戦闘機6個中隊に増強され,秋には,Bf-109Gを8個中隊,Me-210が3個中隊,Fw-190Fが2個中隊に加え,夜間戦闘機隊も創設されました.

 1944年秋からは本土にソ連軍が攻め込んだため,戦闘機隊はその防戦に勤め,輸送機,連絡機は包囲されたブダ=ペシュトの救援を行いましたが,1945年1月,休戦協定が結ばれ,終戦となりました.

 しかし,それを潔しとしない人々がドイツ軍と共に戦い,1945年4月になるまで,空軍は抵抗を続けています.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2003/03/16~03/19
青文字:加筆改修部分

▼ 以下,光人社NF文庫『弱小空軍の戦い方』の一部な―.

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…政府高官の政の不調をよそに,ハンガリー空軍のピューマ部隊は来襲する連合軍機を相手に奮闘を続けた.
 ハンガリー空軍にはFw190(戦闘爆撃機型)も七十機ほど渡ったが,戦いの後半の主力はBf109G.
 少数のBf109Fや供与機,ライセンス生産機併せて五百機近いBf109を擁して,数十人ものエースを輩出している.

 やがて秋口から友邦の枢軸国が次々にソ連,連合国と休戦し,対ナチスドイツ攻撃に回るなか,ハンガリー軍はソ連軍が領内に侵攻,翌1945年2月にブダペストが陥落しても,なおドイツ軍と共闘.
 新造のBf109は部隊への引き渡し前に連合軍側戦闘爆撃機に破壊される状態になっていたが,最後の防空作戦はナチスドイツの降伏直前の時期まで続けられたということである.
------------

 ・゜・(ノД`)・゜・

軍事板,2008/01/21(月)
青文字:加筆改修部分

1944.9.1当時のハンガリー空軍編制
こちらより引用)

2017.2.1追記

ハンガリー空軍機の部隊章一覧
faq170225le.jpg
faq170225le2.jpg
こちらより引用)

2017.2.26追記


 【質問】
 第二次大戦ハンガリー空軍の軍装について教えてください.
Kérem, mondja meg nekem, milyen a Magyar Légierő katonai egyenruhák voltak a második világháborúban.

 【回答】
 ▼クリス・マクナブによれば,ハンガリー空軍標準のカーキ色の勤務服.
 こちら↓は,ハンガリー空軍標準のカーキ色の勤務服.
 1943年,ロシア南部におけるハンガリー空軍中尉のイラストである.
(ネットで拾った画像だが,下掲書に載っているイラストと同じもの)▲
 勤務服は地上・航空要員共通だった.
 その上にドイツ製羊皮ジャケットを着用.
 軍帽は茶色で,革製ひさしつき.

 詳しくは,
クリス・マクナブ『世界の軍装図鑑』(創元社,2014),p.199
を参照されたし.


 写真1は,夏用カバーオール.
 空軍部隊の多くで戦争終結まで着用された.
 その時々の入手可能な衣料素材によって作られたため,基本色は白とベージュであるものの,多くの色違いのものがあった.
 初期のものはボタン(左端),後期はジッパー付きになった(中央左).
 パイロットその他の航空機搭乗員は,ジャケット(中央右)やベスト(右端)などをオーバーオールの上に羽織った.

 写真2はレザー・ジャケット.
 戦争初期,ハンガリー空軍にはフィアットCR.32やCR.42のような開放式コックピットの戦闘機があったため,気象条件が悪い時に着用された.

 写真3写真4は,冬用カバーオール.
 戦争初期,戦闘機,爆撃機,偵察機の搭乗員に支給された.
 ハンガリー空軍にも加圧キャビン付きのコックピットが導入されると,このジャケットはパイロットには必要なものではなくなったが,偵察機や爆撃機の搭乗員は依然として着用.
 より軽い「夏用」レザー・ジャケットも登場した(写真4).

 写真5は布スリーブ付きの革ベスト.
 陸軍だけでなく,空軍でも好まれた.
 パイロット達は搭乗中,パイロット・スーツの上にそれを羽織った.▲

▼ 写真10は,30M空軍ジャケット.
 空軍所属の志願兵が着用.
 色を合わせてフィールド・ブラウンのズボンを履く.

 写真11は,空軍将校および准士官用のスーツ.
 このスーツには色違いの3種があった.
・フィールド・ブラウンの戦闘服
・白の夏用勤務服
・ダーク・ブルーの正装用制服
 ダーク・ブルーの制服をメス・ドレス(夜会服)として着るときには,ボウ・タイか,さもなければ一般的なネクタイを着けた.
 フィールド・ブラウンの騎兵用ズボンかパンタロンを同時に着用したが,夏季用には白いパンタロン,正装の時には黒いパンタロンを着用した.
 地上勤務将校には正装として黒いスーツを着た.
 空軍将校はフィールド・ブラウンのスーツを着る時にはベージュのシャツと黒いタイを着用したが,勤務服または正装を着用するときには白いシャツだった.
(写真10~11はこちらより引用)▲

▼ 写真13はベルトとバックル.
 勤務用や正装用のもの.
 黒いベルトは将校や准士官によって使われた.
 バックルは金色.
 茶色の皮ベルトは下士官用で,バックルはブロンズだった.▲

▼ もちろん他にもヴァリエーションあり.
 下掲の「ハンガリー空軍記章一覧」のイラストを参照されたし.
 この「ハンガリー空軍記章一覧」のイラストを参照されたし.
こちらより引用)
 文字が潰れて読めないのが残念.

 イラストや写真に見えるパイロット用の飛行帽は,リネン(春夏)とレザー(秋冬)の2種.
 戦争初期のハンガリー軍機には無線機が搭載されていなかったため,飛行帽もそれに対応していなかった.
 写真3がそのラジオレス飛行帽.
 1942~1943年にかけて無線機が搭載されるようになると,ラジオレスのタイプは使用できなくなり,全ての飛行帽が無線対応のものとなった.▲

▼ 写真7はパイロット用ブーツ.
 第二次大戦始めから,パイロット達に支給された.
 後に徐々にビルゲリ靴や,「メッサー・ブーツ messer csizma」に置き換えられた.

 写真8がそのいわゆる「メッサー・ブーツ」
 ドイツ空軍のブーツに触発されたハンガリー空軍のパイロット達が,1943年から使い始めた.
(7~8はこちらより引用)

 写真9は冬季用ブーツ.
 パイロットに支給された.
こちらより引用)▲

写真12は冬用革製飛行士用手袋
 空軍が使用した革手袋で5本指.
1本指にすることができる追加パーツもあった
(こちらより引用)▲

▼ なお,飛行服の左袖には飛行中隊の記章がつけることが珍しくなく,写真や動画の中に見かけることができる.

1943年,ロシア南部におけるハンガリー空軍中尉
(ネットで拾った画像だが,上掲書に載っているイラストと同じもの)


ハンガリー空軍記章&制服一覧
(こちらより引用)

 【参考ページ】
クリス・マクナブ『世界の軍装図鑑』(創元社,2014),p.199
http://live.warthunder.com/post/375336/en/
http://live.warthunder.com/post/403810/en/

▼ 【関連リンク】
http://live.warthunder.com/post/409495/en/
 空軍軍装写真10枚▲

mixi, 2016.6.29
2017.2.9改訂 felülvizsgálat
2017.3.4追記 utóirat
2017.3.22追記 utóirat
2017.4.16追記 utóirat
2017.4.17追記 utóirat
2017.4.29追記 utóirat


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー空軍のコートはどんなもの?
Milyen felöltő volt a magyar légierő a Második világháborúban?

 【回答 válasz】
 こちらがそのコート.
 木綿製.
 陸軍のコートとは異なり,ボタンは4対.
 また,襟の素材はコートと同じだが,将軍には赤いボーダー柄がつき,内側も赤だった.
 幕僚と将校だけが,襟までボタン止めをせずにコートを着用することが許されており,左の袖に階級章が着いた.

 また,1943年からは,いわゆる「ルフトヴァッフェ・ジャケット Luftwaffe kabát」なるもの
faq160629af6.jpg
faq170315ct8.jpg
を空軍パイロットが着用するようになった.
 それを着たのは主として第101戦闘航空団「プーマ」のパイロット達だった.
 これはドイツ空軍のジャケットをコピーしたものだった.
 その後,他のパイロット達にも広まった.

 【参考ページ】
※ 画像引用元も同じ
http://live.warthunder.com/post/375336/en/
http://live.warthunder.com/post/405623/en/
http://military-shop.hu/termek/1199mh-hajozo-zold-kabat--uj-c70ab69b.html

mixi, 2017.3.17


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー空軍の軍帽は?
Mi az Magyar légierő sapkájai a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 主に2種類あった.

 一つはベレー帽 svájci sapka.
 1942年にボチカイ帽に置き換えられるまで,空軍参謀本部の要員が着用した.
 JNCOはブロンズ,NCOはシルバーの空軍章がついた.

 もう一つは勤務帽 gyakorló sapka.
 パイロットのようなNCO, WO,将校が使用したが,カルパソマーニョシュのJNCOの中にも,正式に将校としての訓練を受けており,かつ,自弁できるほどの余裕のある者は,これを被っていることもあった.
 将校とWOには金のストライプ,空軍章,ボタンがついていたが,この帽子を自弁する志願兵用のものには,ストライプは無く,記章はブロンズだった.
 1942年,この帽子もボチカイ帽に置き換えられたが,多くのパイロットはドイツ空軍の影響で,この帽子を使い続けた.
 帽子には革性のアイ・シェードがつき,また,デザインは主に高さの点で,年と共に僅かながら変化があった.
(画像上は30年代,画像中央は40年代初め,画像下は1943年以降)
 色はフィールド・ブラウン,濃紺,または白.
 聖なる王冠を持つ鷲をかたどった空軍章がついていた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/407634/en/
(画像引用元も同じ)
http://katpol.blog.hu/2008/10/02/tanyersapka

帽子の各部名称
ただしこの帽子はWW2ハンガリー空軍のものではない
(こちらより引用)

2017.4.8


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー空軍の戦功徽章とは?
Milyen Teljesítmény Jelvények voltak magyar Légierő a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 第二次大戦ハンガリー軍の戦功徽章はサーラシ政権時の1944年11月,ソ連軍がハンガリーに侵入し,ブダペシュトが包囲されつつある頃に作られたもので,授与が行われた記録が1945年5月までは存在する.
 もちろん士気高揚が目的.
 陸空軍のどの徽章も3階級に分かれ,
3等はブロンズ,
2等は銀色,
1等は金色.
 大きさは45×60mmの楕円形で,アルミのプレス加工品.
A teljesítmény-jelvények 45/60 mm méretben, ovális alakban, alumíniumból préselve készültek.
 ジャケットの左の胸ポケットにつけることとされた.
 複数の徽章を与えられる将兵もいたが,ポケットにつけることができるのは一つだけとされた.

 写真1は航空機撃墜章 Repülőgép lelövési jelvény.
 対空砲と爆発する飛行機がリレーフされている.
 敵機を撃墜または不時着させた将兵に授与されたもので,
3等は5機
2等は10機
1等は15機
の戦果で与えられた.

(写真未入手)は航空戦闘章 Harcos repülő- jelvény.
・長距離偵察機,夜間戦闘機
・爆撃機,輸送機
・急降下爆撃,近距離偵察機
の航空搭乗員に授与されるもので,最前線を飛行するか,味方支配地域上空で空中戦を行うことが条件だった.

 長距離偵察機,夜間戦闘機では
3等:10回
2等:20回
1等:50回.

 爆撃機,輸送機では,
3等:20回
2等:40回
1等:100回.

 急降下爆撃,近距離偵察機では
3等:40回
2等:80回
1等:200回
の出撃で授与された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/410994/en/
http://magyarhonved.blogspot.jp/2012_10_01_archive.html
http://www.roncskutatas.hu/node/6149 ※写真1引用元

2017.5.4


 【質問 kérdés】
 防空章とは?
Mi az Légoltalmi Jelvény?

 【回答 válasz】
 防空章(写真1)は摂政ホルティ・ミクローシュの名の下に,軍人と民間人の両方に対して授与された勲章.
 1944.5.19制定.
「防空が有効に実行することを組織し,発展させ,普及することを目的とし,最低1年間,義勇的又は職業的な効果的活動を――1年間防空義務を完全に達成した者と同じように――,そして空襲の最中または空襲後に救助活動,消火,傷病者救護,不発弾処理などを少なくとも1回行った者」にこの勲章は与えられた.

 勲章の大きさは60mmでアルミ製.
 勲章の表には"LÉGOLTALOMÉRT"(防空によって)という文字があった.
 裏面には留め具がついている(写真2)

 制服にこの勲章を着用する際は右の胸に,スポーツ熟達章の上につけることとされた.
 今日ではこの勲章をつけることはできないという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/450792/en/ ※写真1引用元
http://kituntetes.webnode.hu/jelvenyek/legoltalmi-jelveny/ ※写真2引用元

mixi, 2017.9.8


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー空軍の栄誉装飾短剣とは?
Mi az a magyar Repülős tiszti dísztőr?

 【回答 válasz】
 空軍下士官や将校の,勤務服や正装用の短剣.
(写真1)
(写真2)
 全長38cm.
 鍔には鷲の頭をかたどった装飾が施されている.
 完全に儀典用で,刃はついていなかった.
 将校用のものは鞘も鷲の頭の装飾も金色だったが,下士官用のものは鞘は銀色,装飾はブロンズだった.
 刀身には浮き彫りの装飾が施され,また,受章者らしき者の名が刻まれている.
(写真3)
(写真4)
(写真5)
 ベルトには,以下の写真のように装着する.
(写真6)

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/409316/en/ ※写真1引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/5371 ※写真2引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/2073 ※写真6引用元
http://hideg-fegyverek.armybazar.eu/hu/kesek-torok-szuronyok/eredeti-horthy-repulos-tiszti-disztor-id23001/ ※写真3-5引用元

2017.4.25

 【質問】
 第二次大戦中,ハンガリーが有した爆撃機は?
Mi az magyari bombázók a második világháborúban?

 【回答】
 以下の通り.
 100機を超える機体が殆ど無いというのが悲しい.

機体 メーカー   機数  就役期間  備考 
Bf-109F-4B Messerschmitt (Germany)  66 1942-43 戦闘爆撃機
Ca.101/3m Caproni (Italy) 15 1931-44  
Ca.135bis Caproni (Italy) 68 1940-44  
Cr.42bis Fiat (Italy) 12 1944-45 軽攻撃機
Fw-190F-8 Focke-Wulf (Germany) 72 1944–45 戦闘爆撃機
Fw-58C /B-2 Focke-Wulf (Germany) 17 1944-45 夜間攻撃機
He-111H-6 Heinkel (Germany) 12 1944-45 夜間爆撃機 
Hs-129B Heinschel (Germany) 4 1943 対地攻撃機 
Il-2 Ilushin (USSR) 1 1942-44 対地攻撃機,鹵獲機
Ju-86K-2 Junkers (Germany) 63 1937-45  
Ju-87A Junkers (Germany) 4 1941-44 急降下爆撃機
Ju-87B-2 Junkers (Germany) 10 1941-43 急降下爆撃機
Ju-87D-1 /D-3 Junkers (Germany) 30 1943-44 急降下爆撃機
Ju-87D-5 Junkers (Germany) 20 1944-45 急降下爆撃機
Ju-88A-14/C-6 Junkers (Germany) 32 1944-45 戦闘機としても使用
Ju-88A-4 /A-5 Junkers (Germany) 51 1943-45
Me-210Ca-1 Messerschmitt (Germany) 128  1944–45 戦闘爆撃機 他に33機が夜間戦闘機他として使用
Re.2000 Héja MÀVAG (ライセンス生産) 2 1943-45 急降下爆撃機,戦闘機としても使用
SM.79 Savoia-Marchetti (Italy) 1 1941.42
WM-16 Budapest  Weiss Manfred (Hungary) 9 1933-42 フォッカーC Vdを元に開発された偵察機兼軽爆撃機
WM-21 Sólyom Weiss Manfred (Hungary)  128 1938-42  WM-16の発展型で偵察機兼観測機兼軽爆撃機 1942年以降は練習機

 【参考ページ】
ジョルジョ・プンカ『ハンガリー空軍のBf109エース』(大日本絵画,2003)
『航空機 第二次大戦1 万有ガイド・シリーズ4』(小学館,1981)
http://www.niehorster.org/015_hungary/_aircraft.html
http://www.masodikvh.hu/haditechnika/repulogepek/magyar-repulogepek/1801-wm-16-budapest-koezelfelderit
http://www.masodikvh.hu/haditechnika/repulogepek/magyar-repulogepek/704-wm-21-solyom-felderitbombazo

カプロニCa101/3m
こちらより引用)

東部戦線における4/III爆撃群のカプロニCa135bis
こちらより引用)

ユンカースJu-86K-2
こちらより引用)

https://www.youtube.com/watch?v=PNmGcwo_Bfc

mixi, 2017.2.4


 【質問】
 ハンガリー空軍で使われたHe-111について教えてください.

 【回答】
 王立ハンガリー空軍では,長距離偵察機として,1936年にHe-70を18機発注します.
 これらは,Zeiss RMKS 18×18cmカメラとTelefunken276F無線機を搭載していました.
 で,実際には,He-70ではなく,ハンガリーが主エンジンとして用いていた,Gnome-Rhone14K を搭載した型が引き渡され,1/1 L-RRSと1/2 L-RRSに配備されました.
 これらは,ユーゴスラヴィア戦に投入され,次いで東部戦線に用いられました.

 このほか,2機のJu-86がソ連・ハンガリー国境線に於ける要塞構築状況,歩兵の集結状況,空港,空軍基地の設置状況を探る隠密戦略偵察任務に投入されていました.

 しかし,爆撃機としてのJu-86が少なくなったため,秘密偵察任務に使用されていた機体も,爆撃機型に戻されることになり,その後継機となったのがHe-111Pです.
 ハンガリー空軍は,ドイツに長距離偵察任務用に12機要求しましたが,結局は20機の発注となりました.

 そのうち2機は1940年7月に,4機が1942年3月に,6機がその年の年末までに到着し,結局,12機しか引き渡されませんでした.
 しかも,最初の2機は何処をどう間違ったか,爆撃機型のHe-111P.
 ハンガリーはHeinkelにクレームを付けたのですが,工場に余裕がないと言う理由で,仕方なく爆撃機型のまま,慣熟訓練に用いられ,後に余裕が出た時点で再度工場に戻され,偵察機仕様に改造されました.

 これらの機体は,1943年初頭まで偵察任務に使用され,その後は残った機体は練習機に格下げされてしまいました.

 1944年,空軍司令部は二線級装備となった残存He-111を,夜間攻撃飛行隊に配備する計画を立てます.
 これはHerder Groupと言う名称が付きましたが,結局実戦には投入されませんでした.

 1944年秋,敗色濃いハンガリー政府は一つの決断をします.
 そして,ハンガリー空軍のHe-111Pは劇的な飛行を敢行します.
 それは,政府の降伏の為の密使を派遣する為に,ハンガリー空軍の塗装をドイツ空軍の塗装にした機体を,イタリアに向けて飛行させたのです.
 この機体の飛行は成功しましたが,その降伏の動きは事前に察知され,残念ながらハンガリーはドイツの軛を抜けることに失敗しました.

 成功していたら,救国の為の飛行だったのですが.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2004/03/28
青文字:加筆改修部分


 【質問 kérdés】
 第二次大戦中,ハンガリー軍が保有していたドローンについて教えてください.
Kérem, mondja meg az drone, amit bírt a Honvédség a második világháborúban.

 【回答 válasz】
 第一次大戦中,ハンガリーが世界で初めて実用ヘリコプターを開発・運用していたことは,あまり知られていない.
 PKZ-2という名のそれは,1918年4月,観測という軍務に初めて就いた.
https://www.youtube.com/watch?v=yqiEoDPMRnw

 第一次大戦後,このヘリはイタリア軍に接収されたが,技術者はハンガリーに残った.
 アシュボト・オスカール Asboth Oszkár はヘリコプターの研究を続け,1920年,彼にとって最初のヘリを完成させた.
 だが当時,トリアノン条約の枷によって,ハンガリーは軍備を厳しく制限されていた.
 アシュボトのヘリも,協商国軍統制委員会の命令によって破壊されてしまう.
 彼が次に試作機を飛ばすことができたのは,1928年になってからのことになる.
 PKZ-2を基にしたその試作機は,1930年までの間に150回以上の飛行成功をおさめた.
https://www.youtube.com/watch?v=_c382hxGQVI

 しかし,当時のハンガリー軍はまだ再軍備宣言前であったので,それを採用するわけにはいかない.
 アシュボトは英国に移住して同国やフランスに会社を作り,1938年,英軍への売り込みに成功した.

 皮肉にもその同じ頃,ハンガリーは再軍備を宣言した.
 とはいえ,軍事費に乏しいハンガリーが,そうやすやすとヘリを導入できるわけがない.
 そこでハンガリー軍が考えたのが,安価な超小型無人ドローンの開発だった.
 ドローンの開発自体は既に先の大戦末期,PKZ-2無人機型を開発していたので,技術的にはそう難しいことではない.
 1941年にハンガリーに帰国したアシュボトは,同年のうちにそれを作り上げ,41.M飛行爆弾 Repülő bomba として制式採用された.

 名前が示す通り,これは無人爆撃機だった.
 遮蔽物の向こう側にいる敵や,塹壕に籠る敵のところへ,このドローンを飛ばし,ドローン諸とも敵を爆破するためのもの.
 爆弾は楕円球形の機体にしまい込むことができるようになっており,5kgまでの爆発物なら何でも搭載出来た.
 前線ではしばしば手榴弾を集めてこのドローンに載せることが行われた.
 全高は1.02m.
 爆弾を除くと,自重は6.3kgしかなく,幾つかのパーツに分解すれば,歩兵でも携行可能だった.

 第二次大戦勃発当時,ドローンは主として歩兵連隊付属の工兵小隊に,3~5機が配備されていた.
 とはいえ,それは一線級の師団8個にあっただけで,後備師団には配備されていなかった.
 また,空軍や水軍には配備されなかった.

 独ソ戦にハンガリー軍第2軍が投入されると,ドローンは初めて実戦を経験した.
 強力なソ連軍を前にして苦戦するハンガリー軍は,たちまち手持ちの全機を使い果たした.
 対戦車火力の貧弱なハンガリー軍は,T-34戦車の頭上にドローンを飛ばし,後部エンジンルームを狙って爆撃することも試みたが,この戦術はあまり成功はしなかったらしい.

 追加生産も検討されたが,そんなおもちゃみたいな兵器より優先して生産すべきものが,ハンガリー軍には沢山あった.
 アシュボトのドローンのお仕事は,そこでしまいとなった.

 アシュボトは大戦を生き延び,ラーコシの時代に投獄されたり釈放されたりしながら,回転翼についての研究を続けた.
 彼の業績は高く評価され,ハンガリー国内外で賞を授与された.
 1969年,彼はブダペシュトにて死去したという.

 【参考ページ】
http://www.aviastar.org/helicopters_eng/petroczy.php
http://modelingmadness.com/review/w1/austrian/fosterpkz.htm
http://www.feltalaloink.hu/tudosok/asbothoszkar/html/asboszindex.htm

41.M飛行爆弾
こちらより引用)

2017.4.1
注意! この項はエイプリル・フールのネタです


 【質問】
 マジャル王国空軍の捕獲機について教えてください.

 【回答】

 捕獲機と言っても,記録に残っているのはほんの少数で,余りネタにもなりゃしないけど.

 1939年,Poland崩壊時に国境を越えて亡命した機体が3機ありました.
 1機はP.11aで,残りがRWD-8.
 P.11aは戦闘練習機として,戦闘機学校で用いられ,後に民間に払い下げられてスポーツ機となりました.
 また,RWD-8は連絡兼初等練習機として空軍で用いられています.

 更に,Slovakiaとの軍事衝突で,Avia B.534を1機Gyorの飛行場に不時着させ,それを修理して戦闘練習機として用いました.
 1943年初頭に,この機体は民間に払い下げられ,工科技術大学のスポーツ航空部に所属して,グライダーの曳航に使用されました.
 最終的には,1945年にGyorの飛行場でソ連軍に撃破されています.

 ソ連との戦闘では,幾ばくかの機体を捕獲していますが,殆どがドイツ軍に引き渡されています.
 記録に残しているのはUT-2初等練習機1機だけで,連絡飛行隊で雑用任務に就いていました.
 マジャル空軍兵士は,これをSanyiと呼んでいたそうです.

 このほか,米軍機,ソ連軍機をいくらか捕獲していますが,Il-2は,1942年に破壊された2機から1機分を再生したそうです.
 これは,1943年のソ連軍の攻撃で失われました.
 再びIl-2が捕獲されたのは1945年初頭で,技術研究と戦技研究に用いられました.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2003/03/22
青文字:加筆改修部分


 【質問 kérdés】
 34/A.M ゾロターン軽機関銃とは?
Mi az 34/A.M Solothurn légvédelmi géppuska?

 【回答 válasz】
 1934年,31.Mゾロターン軽機関銃を航空機用とするための改修が行われた.
 射撃速度を毎分1000発に上げるため,マズル・ブースターを追加.
 しかし初速は730m/sのままだった.
 この機銃の弾倉は,2個の着脱可能なドラム・マガジンであり,発砲ごとにこの2個が交互に使用されることにより,発砲が続くにつ入れて銃身に影響を与えないようになっていた.
 ハンガリー軍総司令部では,航空機の防御兵器としては34.M ゲバウアー Gebauer機関銃のほうがより良いと判断したため,この機銃は少数のユンカースJu-86爆撃機にのみ装備された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434735/en/

2017.6.19


 【質問 kérdés】
 8cm 29.M高射砲とは?
Mi az 8 cm-es 29.M légvédelmi ágyú?

 【回答 válasz】
 1929年にハンガリーがスウェーデンの1929年式ボフォース Bofors 高射砲のライセンスを購入し,生産したもの.
 1929年式ボフォース高射砲には75mmモデルと80mmモデルとがあったが,ハンガリーは後者を選択.
 この砲は地上部隊および水軍で使用された.
 写真1はgoogle検索レベルでは来歴不明.
 写真2は1942年夏,ソ連の Stary Oskol において射撃態勢につく,ハンガリー第2軍の29.M高射砲である.

 この砲の要目は
口径長 L/48
砲身長3840mm
仰角 -3°~80°
旋回角度360°
重量 4200kg
砲弾重量 8kg
初速750m / s
射程高度 6~8000m
射程距離10000m.

 移動には牽引車が必要とされた.
 砲架にはゴム・タイヤがつき,牽引可能.
 図1は,牽引姿勢にするまでの手順を示す.
 写真3は射撃姿勢.
 タイヤは取り外され,傍らに置かれているのが分かる.

 派生型も作られた.

 29/38.Mはマズル・ブレーキをつけ,仕様を幾つか変更したもの.
 砲身はL/47.125口径長,砲身長は3770mmとなった.
 仰角,旋回角度は原型と同じ.
 重量は4215kgに増加した.
 銃口エネルギーは229mt.
 射程高度は8~9000m,射程距離は14900mに延伸した.
 既存の29.Mも全て29/38.Mに改修された.

 29/44.Mは,ハンガリーを爆撃する米軍爆撃機が高度1万mを飛行し,29/38.Mでは対空砲火が届かなかったため,さらなる改修をしようとしたもの.
 29/44.Mの要目は
口径長 L/57.3
砲身長4585mm
仰角 -5°~80°
旋回角度360°
重量 3260kg
砲弾重量 8kg
初速880~910m / s
射程高度 10800m
射程距離18500m
銃口エネルギー 322.8mt.

 試作砲は完成したが,生産にとりかかる前に工場がソ連軍に占領されて頓挫.

 ハンガリー国産のタシュ重戦車も,29/38.Mを対戦車砲に改造したものを主砲とする予定だった.
 29/35.M 徹甲榴弾を使用したときの29/38.M高射砲の装甲貫徹能力は,仰角60度で
距離100mで83mm
距離500mで77mm
距離1000mで70mm
 ニムロード対空自走砲を改造して,この対空砲を載せる計画もあったが,やはり計画だけに終わっている.
 計画図を見ると,無理矢理感が大きい.

 生産はMÁVAG社にて行われたが,生産数は200程度と推測されている.

 なお,ハンガリー軍には1944年以降,ドイツ製の88mm FLAK-36高射砲も配備された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://en.wikipedia.org/wiki/Bofors_75_mm_Model_1929
http://live.warthunder.com/post/433069/en/ ※写真1引用元
http://www.flamesofwar.com/hobby.aspx?art_id=2607
https://www.pinterest.jp/pin/238550111488639038/ ※写真2引用元
http://ftr.wot-news.com/2014/01/20/hungarian-firepower-nimrod-and-nimrod-80mm-tank-destroyers/
http://www.ww2incolor.com/hungary/29M+Bofors+80mm+gun+and+carriage.html ※写真3引用元
http://karosszektabornok.blog.hu/2015/08/18/169_a_29_m_8_cm-es_legvedelmi_agyu
http://second-world-war-hu.webnode.hu/tengely-hatalmak/tengely-hatalmak-tuzersege/magyar-tuzerseg/ ※図1引用元
http://docplayer.hu/2433133-Legvedelmi-tuzerseg-fejlodestortenet-bevezetes.html

2017.6.9


 【質問 kérdés】
 44.M「リデールツ」ロケット弾って何?
Mi az 44.M "Lidérc"rakéta?

 【回答 válasz】
 ドイツ本土への米軍の爆撃が始まると,ハンガリー政府は国の運命を予見した.
 そして,米軍の大型爆撃機に対抗するために,幾つかのアイディアが考案された.
 「リデールツ」はその中の一つで,世界で2番目(1番目はドイツのもの)に計画された空対空ロケット弾だった.
(写真1の左側,右側は「サーラシ・ロケット」(別項目参照))
(写真2)

 「リデールツ」は近接信管がついたものとしては世界初だった.
 これは物理学者プルヴァーリ・カーロイ(写真3)の発明である.
Ezt dr. Pulváry Károly fizikus találmánya.
 その頃,他国のロケット類はまだ時限信管か着発信管だった.
 これにはまた,衝撃を増幅させるための化学的フラグメント・カバーがついていた.
 この近接信管はエンジンの音波に反応するものだったので,爆撃機編隊の中央に飛び込ませるようにロケット弾を発射する必要があった.

 ロケット自体は,それを収納する2つの筒から構成されていた.
 内側の筒は推進剤が充填されており,内側の筒と外側のカバーの間の隙間には,テルミットと酸化バリウムの混合物が充填されていた.
 この混合物はアクアマリン色の硝煙と複数の破片を生じさせた.
 図2は,この内部構造を示す.
 ロケット弾の長さは1430mm,直径は295mm,重さは130kg.
 1944年夏に実射試験が行われ,そのときの最長飛距離は8000mだった.

 だが,ハンガリー国境にソ連軍が迫りくる状況下では,試験は3~4回行われただけだった.
 これを搭載するに適当な航空機が無かったため,「リデールツ」は空対空ロケットとしては使われなかったが,その代わり,地対地ロケット弾として使われた.
 図2はその専用発射筒である.
 この発射筒は再使用可能だった.
 生産は当初,チェペルとマンフレート・ヴァイスの工場で行われたが,1944.7.27の空爆で両工場は大きく損壊したため,生産はMÁVAGに引き継がれ,約60~70基のロケット弾が作られた.
 そして,地上目標に対する適切な誘導機器を欠いたままのロケット弾として,戦争の最後の数か月間,地上戦に投入されたのだった.
S a megfelelő irányító berendezés hiánya miatt földi célok elleni rakétaként vetették be a háború utolsó hónapjaiban
 すなわち,その全てがブダペシュト包囲戦,コンラード作戦,および春の目覚め作戦にて使われた.

 ちなみに「リデールツ」は,ハンガリー神話に登場する悪魔の名前に因む.
 ルーデルとは関係ない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/433405/en/ ※図1引用元
https://tortenelem.444.hu/2017/05/10/magyar-egre-magyar-lidercet ※写真2&図2引用元
http://jobbikit.hu/vilagunk/tortenelem/csodafegyverek-2vilaghaboruban-2-resz
http://www.termeszetvilaga.hu/szamok/tv2006/tv0608/sarhidai.html
http://www.hangosfilm.hu/filmenciklopedia/pulvary-karoly  ※写真3引用元
http://forum.worldoftanks.eu/index.php?/topic/173880-a-rare-find-hungarian-rocket-tanks/ ※写真1引用元

2017.6.7


 【質問 kérdés】
 40mm 36.M対空機関砲とは?
Mi az 40 mm 36.M légvédelmi gépágyú?

 【回答 válasz】
 1936年,ハンガリーはライセンス購入したボフォース40mm L/60機関砲の生産を,MÁVAG社の工場において開始した.
Magyarország megvásárolta a svéd Bofors 40 mm L / 60 géppuska engedélyét, és 1936-ban elkezdte elkészíteni a MÁVAG gyárában.
 この砲は,オリジナルを完全にコピーしたものとなった.
(写真1)
(写真3)
(写真4)
(写真5)
(写真6)
 1942年末までに,この砲は1084門発注されたが,1936~1944年の間に430門しか生産されず,220門をドイツから輸入した.
 この機関砲は非常に正確で効果的であったので,1940~41年,対空砲兼対戦車砲の両用砲として用いられた.
 兵士の証言によれば,この砲は非常に正確で,2~3km先のトラックの運転手を一連射で射殺できたという.
 しかし防御に勝れたソ連軍戦車に対しては,効果は殆ど無かった.
 1943~44年には,ハンガリー軍は特殊弾薬を使用して,地上目標に対してこの砲を使用するようになった.

 1943年には,装甲貫徹能力を向上させた42.M páncélrobbantó gránát ("armor exploder grenade",成形炸薬弾,写真2)という砲弾が採用された.
 この砲弾はフィンで弾道を安定させていた.
 新しい徹甲弾 43.M magvaspáncélgránát (弾芯徹甲弾)も配備された.
 しかしハンガリーにはタングステンの資源も加工技術も無かったので,この弾芯徹甲弾は鉄芯だった.

 ところで,36.M対空機関砲では,敵の小火器による攻撃にも防御力がないことが明らかになったので,操作員を防御するため,厚さ6mmの防盾をつけた.
 このタイプを36/40.M機関砲と呼ぶ.
 この改修により,重量は300kg増加している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/433036/en/
http://magyarhonved.blogspot.jp/2012/11/a-36m-legvedelmi-gepagyu.html
https://www.gyakorikerdesek.hu/politika__hadsereg-hadvezetes__1343204-a-magyar-gyartmanyu-29m-80mm-es-bofors-es-36m-40mm-es-bofors-legvedelmi-agyuk-is

2017.6.7


 【質問 kérdés】
 39.M固定測定式観測用電信測距儀とは?
Mi az rögzített intézkedés jeleztette megfigyelő távmérő?

 【回答 válasz】
 これ(写真1)はドイツのメーカー,ゲルツ Goerz の10×80測距儀と同型のもの.
 ハンガリーのメーカーGAMMAでは,39/40.Mという独自の派生型も開発した.
 後に,44.Mという派生型も製造されたが,これはドイツからライセンスを購入しての製造だった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453001/en/ ※写真1引用元

mixi, 2017.9.14


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の対空砲用測距儀は?
Mi az magyar távmérőjek a légijárművel szemben a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 以下のようなものがあった.

・125cm 38.M測距儀(写真1)
 ハンガリー国内で開発されたもの.
 40mm 36.M ボフォース対空機関砲中隊にて使用.

・2m 35.M測距儀(写真2)
 Goerz製の測距儀を1935年に採用.
 1940年に改設計され,ギッター goitter が垂直振り子に変更された.
 この改良型は35/40.M測距儀として制式採用され,後に35/42.Mも開発された.
 8cm 5/8.M高射砲中隊や8cm 29.M高射砲中隊にて使用.

・4m 35.M測距儀(写真3)
 1935年採用.
 8cm 29/38Mのボフォース高射砲中隊にして使用.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453001/en/ ※写真1~3引用元

mixi, 2017.9.17


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の探照燈は?
Mi az magyar fényszórójai a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 第二次大戦におけるハンガリー軍の探照燈の歴史は,第一次大戦の中古品から始まる.
 110cm 16.M探照燈(写真1)がそれ.
 対空監視の役割には既に不適当なものとなっていたが,第二次大戦でも使い続けられた.

 1931年以降,ハンガリーはイタリア,ガリレオ社から探照燈を輸入した.
・120cmのものを2種類(写真2図1)
・150cmのものを1種類(写真3)
 輸入台数は不明.
 それぞれ120cm 30.M,120cm 37.M,150cm 30.Mという名称がつけられた.

 次いで1938~39年,今度はドイツのシーメンス社から探照燈を輸入し,150cm 39.M探照燈と呼称した(写真4)
 ハンガリーが注文したのは50台.
 だが,24台しか受け取ることができなかった.
 1940年にはハンガリーはシーメンス社に84台を注文したが,これもドイツ政府は出荷を「延期」させ,ハンガリーには届かなかった.

 これらドイツ製とイタリア製の探照燈は,大戦を通じてハンガリーで使用された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453600/en/ ※写真1~4 & 図1引用元
http://uni-nke.hu/downloads/bsz/bszemle2003/hdm120302.html

mixi, 2017.9.19


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の聴音機は?
Mi az magyar akusztikus lokátorai a második Világháborúban

 【回答 válasz】
 WW2ハンガリー軍の聴音機は,他の兵器の多くと同じく,イタリアからの輸入から始まり,ドイツ製に移行した.
 1930年制式採用となったのは,ロンチ Ronchi という会社のものだった(写真1)
 1937年にはガリレオ社製が採用された(写真2)

 1938~39年には,ハンガリーはドイツからゲルツ Goerz 製の聴音機25セットを輸入した(写真3)
 これらはハンガリー軍によって39.M機械化聴音機として制式採用され,対空中隊で使用された.
 1940年にハンガリーは更に61セットを発注したが,ドイツは出荷を延期し,ハンガリーには届かなかった.

 ドイツによるハンガリー占領後,ドイツ人は多くのRingtrichterrichtungshörer 聴音機,すなわちRRH-6を持ち込んだ.
 ハンガリー軍のゴルツ製聴音機操作員はRRH-6を操縦するための訓練を受け,戦争が終わるまでそれらを使用した.

 その他,ハンガリー独自開発も行われたという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453581/en/ ※写真1~3引用元

mixi, 2017.9.18


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリーのレーダーについて教えてください.
Mi az magyar Rádiólokátorai  a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 1942年,ハンガリーはドイツとイタリアに軍事代表団に送り,同盟国の対空システムを研究した.
 遣独代表団はレーダーについて報告し,ハンガリー政府はすぐさま早期警戒システム開発を始めた.
 1942年12月,もう一つの代表団がドイツに派遣されたが,これはレーダー探知機について学ぶためであり,また,可能であればライセンス購入をするためでもあった.
 しかしドイツはライセンス販売を強く拒否し,Freya4台,Würzburg8台の輸出のみ許可した.
 そのうちハンガリーに届いたのはFreya2台とWürzburg5台のみだった.

 そのためハンガリーは1943.3.5,同国独自のレーダー開発を開始した.
 この開発は,軍事技術研究所,スタンダード・エレクトリカル Standard Electrical JSCおよび トゥンシュグラム Tungsgram JSCの共同事業.
  トゥンシュグラムはハンガリー最大手の真空管製造会社であり,1938年に電子増幅の原理で成果を挙げたバイ・ゾルターン Bay Zoltán (1900–1992)が在籍していた.
 パップ・ジェルジ Papp György , シモニ・カーロイ Simonyi Károly , ヴィンテル・エレネー Winter Ernő , ブディンチェヴィツ・アンドル Budincsevits Andor ,ダッロシュ・ジェルジ Dallos Györgyらバイの研究チームの主要メンバーも,レーダー開発に参加した.
 1943年以降,早期警戒用の「シャシュ Sas」「ボルバーラ Borbála」,夜間戦闘機用の「バゴイ Bagoly」が開発されたが,生産数はごく少数だった.

 1944年にドイツがハンガリーを占領した後は,ドイツ人は多くのレーダーをハンガリーに持ち込み,ハンガリー独自のレーダー開発・製造はドイツの命令で停止された.
 そして一説によれば,少なくとも4台のWürzburg-Dレーダーがハンガリーで製造されたという.
 これはハンガリーでは「ドーラ Dóra( "Dolly")」と呼ばれた.

 ハンガリーで製造されたレーダーの数ははっきりしない.
 これは一つには,輸入されたFreyaレーダーもSas,WürzburgレーダーもBorbála,Würzburg ReiseもBagolyとある時期から呼ばれたためである.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453691/en/
http://uni-nke.hu/downloads/bsz/bszemle2007/2/09_lamper.pdf
http://inno-anno.blog.hu/2013/06/27/holdfogok

mixi, 2017.9.22


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