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<第二次大戦FAQ
【質問】
第2次大戦勃発時のフランス空軍の勢力は?
【回答】
当時,フランスが保有する軍用機は4,800機(植民地配備の機体を含む)で,単発戦闘機は400機保有していましたが,そのうち225機は比較的旧式なモラン・ソルニエMs406であり,カーチス・ホーク75Aを100機輸入して穴埋めをしていました.
1933〜37年にかけての航空機生産量は月50〜70機にすぎず,世界の一線級機に肩を並べると期待された新鋭のドボアチンD.520はまだ配備に至っていませんでした.
爆撃機部隊は400機弱保有していましたが,どれも高翼の旧式機だったので,夜間爆撃以外には使えませんでした.
【参考ページ】
http://www17.ocn.ne.jp/~senshi/seihoudenngeki3.html
http://www.sky.sannet.ne.jp/mfumio/new1939.htm
http://www.sky.sannet.ne.jp/mfumio/new1940.htm
http://stanza-citta.com/bun/category/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e7%a9%ba%e8%bb%8d
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/war-economy.htm
【質問】
テグジュペリって誰?
【回答】
アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(1900〜1944)は,フランス・リヨン生まれの飛行家であり,小説家であり,童話作家.
20歳の時,兵役に就き,アルザス地方の航空隊に配属されたが,曲技飛行中の事故によって頭蓋骨を骨折し,22歳で除隊.
その後,ラテコエール社に入社してカップ・ジュピーの飛行場長に任命され,そのときに書いた,航空郵便の飛行士としての体験を書いた「南方郵便機」「夜間飛行」で作家として成功した.
第2次世界大戦では偵察部隊に配属された後,フランス降伏後に米国に亡命.
1944年7月31日,偵察飛行中に行方不明となった.
【質問】
ペイヤンって誰やん?
【回答】
谷村新司……ではなく,ニコラス=ロラン=ペイヤン
Nicolas-Roland Payen は,「極小面積の主翼+デルタ翼状の大型揚力尾翼」にとりつかれた航空技師.
1933年,19歳のときに,最初のデルタ翼機
ペイアンPa.100を完成させました.
彼の追求したデルタ翼は,のちにコンコルドの設計に生かされることになりました.
第2次大戦中,戦局には全く寄与していないようですけどね.
【参考ページ】
http://de.wikipedia.org/wiki/Nicolas-Roland_Payen
http://home.att.net/~dannysoar2/Payen.htm
http://www.ww2aircraft.net/forum/aviation/payen-3222.html
http://www.aviafrance.com/constructeur.php?ID_CONSTRUCTEUR=1012
【ぐんじさんぎょう】,2008/11/3 17:30
に加筆
Pa-100
Pa-22
第二次世界大戦中フランスを占領したドイツ軍が興味を示し,1942年に試験飛行させた
faq01fr99p22.jpg
faq01fr99p22b.jpg
(画像掲示板より引用)
【質問】
スド・エスト S.E.-100って何?
【回答】
Sud-Est(またはS.N.C.A.S.E.) S.E.-100は,1930年代に各国で流行った双発重戦闘機のフランス版です.
20mm機関砲を機首に4丁,そして残る1丁は後部胴体の裏からにょきっと出てきます.
1939年半ばから試験飛行が始まりましたが,エンジンの出力不足を指摘され,1940年の試作機の墜落事故および第2次大戦勃発により,開発は事実上の中止となりました.
日本語サイトではなぜか「偵察機」となっているところばかりですが,武装から考えても重戦だよなあ….
なんでだろ?
【参考ページ】
http://hyperscale.com/features/2002/se100fm_1.htm
http://www.aviafrance.com/f119.htm
http://www.airwar.ru/enc/fww2/se100.html
http://www.aviastar.org/air/france/sud-est_se100.php
http://www.pwm.org.pl/viewtopic.php?f=12&t=661
【ぐんじさんぎょう】,2008/11/8 20:30
に加筆
SE-100
faq01fr01s100.jpg
faq01fr01s100b.jpg
(こちらより引用)
SE-100の後部に装備される20ミリ機関砲の収納ギミック
(こちらより引用)
【質問】
ブレゲー Breguet 27 偵察機について教えてください.
【回答】
フランス航空隊による1928年の要求提示に応えて設計された一葉半複座偵察機で,1929年に初飛行した.
ヴァリエーションを総称して「ブレゲー270」シリーズとも呼ばれる.
材料として鋼を多用,胴体,エンジン,下翼,尾翼を全て鋼製の基台に取り付ける,頑丈な造りとした.
胴体は,後方偵察者席の機銃発射の妨げにならぬよう,細い梁として尾翼を支えた.
主翼は上反角つきで胴体上の倒立V字形支柱とV字形翼間支柱で支え,張線はなかった.
車輪間隔の広い,左右1本脚の固定脚の車輪には,整形覆いをつけた.
最高速度,約230km/h.
1930年に85機,1932年に45機が生産され,100機余りがフランス空軍で使用された他,ブラジル,ベネズエラ,中国にも少数が輸出された.
また,ブレゲー 33という名称の,高高度偵察機型も2機製作された.
WW2のドイツ軍のフランス侵攻時には,3個グループが本機を装備していたが,容易に撃墜されるため,軍は残余の機体を一線から引き上げた.
…というか,こんなのを第一線投入したのか.
チャレンジャーだな,フランス軍.
【参考ページ】
佐貫亦男「飛行機のスタイリング」,『航空ファン』1995年4月号,p.156
http://winds.moo.jp/jousetsu/057-Breguet27/Breguet27.html
http://www.aviationsmilitaires.net/display/aircraft/873/br_27
http://lesailesdelaterre.free.fr/lesailesdelaterre/aerostcommentaires.html
【ぐんじさんぎょう】,2013/04/10 19:50
を加筆改修
【質問】
ポテーズ25について教えてください.
【回答】
ポテーズ25 Potez 25 は,1924年に初飛行した,一葉半の複座多目的機.
操縦席からの前下方視野が良く,また,偵察者席と操縦席との間隔が狭く,連絡が良かった.
また,主翼47m^2の翼面積を,左右両舷各1対の上へ,広く前へ傾いた翼間支柱で支えている.
エンジンはロレーヌ・ディエトリック水冷12気筒450hp(ポテーズ25TOE型)
世界各国20カ国以上の軍の他,民間機としても使われ,特に郵便機として活躍した.
サン=テグジュペリ『夜間飛行』にも登場する.
【参考ページ】
佐貫亦男「飛行機のスタイリング」,『航空ファン』1995年4月号,p.153
http://www.airwar.ru/enc/bww1/potez25.html
郵便飛行機型のポテーズ25
(二木麻里訳 『夜間飛行』(光文社古典新訳文庫)より引用)
ポテーズ25A2三面図
フランス空軍のポテーズ25TOE
ドイツ空軍のポテーズ25(使っていたんだ…)
(こちらより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2013/03/17 20:58
を加筆改修
【質問】
ポテーズ37って何?
【回答】
1930年に完成した高翼単葉複座偵察機で,ポテーズ25やブレゲー27の後継機として開発されたが,不採用となった.
胴体後部を細く絞り,かつ,水平尾翼を横へ細長くして,後席の偵察員の機銃射撃視野を広くした.
胴体前部も,主翼支持中央と斜支柱が脚柱と込み合う場所を,巧みに処理して纏めている.
構造も金属骨格で強固だった.
当時としてはエンジン出力が大きく,翼面積も小さいので,海面で最大速度260km/hを記録した.
【参考ページ】
佐貫亦男「飛行機のスタイリング」,『航空ファン』1995年4月号,p.153-154
http://military.sakura.ne.jp/world/w_potez37.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Potez_39
http://www.aviastar.org/air/france/potez-37.php
http://www.aviafrance.com/potez-37-r-2-aviation-france-10231.htm
Potez 37
(こちらより引用)
Potez 37-R.2
(こちらより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2013/03/11 20:10
を加筆改修
【質問】
ルバッスール Levasseur PC.8ってどんなの?
【回答】
こんなやつ.
結構格好良く見えるんだけどね.
水密艇体型胴体に萌え〜.
http://www.luftfahrtmuseum.com/htmi/itf/pl8n.htm
こいつはリンドパークに先立つこと1ヶ月前の1927年4月,大西洋横断に挑戦した飛行機.
愛称は「白い鳥」号.
パイロットは第一次大戦のエース,シャルル・ナンジュッセ.
航空士はフランソワ・コリ.
機体は,フランス海軍が使用していたPL4艦上雷撃機を改造したもので,胴体幅を拡大し,直列配列(前後)のコクピットを並列にして,その周りに大量の燃料を搭載できるようにした.
この水密構造の機体って一時期流行って,特にフランスのLevasseurで色々試作された.
日本海軍も赤城艤装時の研究機材として,三菱を通じてC.1
Marin艦上偵察機を購入している.
不時着水時でも安全に着水でき,長時間水平姿勢で浮けるように滑水可能な水密胴体を有し,車輪は緊急時離脱式,プロペラは水平位置停止装置が付いて,更に下翼も水密構造,なので,補助翼は付けられず,上翼に取り付けられていると良いことずくめ.
不時着水しても,機体は回収できるので,貧乏国日本にぴったりと思ったのかどうか判らないけど,大正15年の450馬力級新型艦上戦闘機の競争試作では,仕様要求に,「滑水可能V字形底面の水密胴体」,「水密式下翼前縁」,「プロペラ水平位置停止装置」,「緊急時離脱式降着装置」,「着陸速度制限装置」が盛られた.
しかし当然,こういう装備を持つと重量が重くなる訳で….
愛知がハインケルに委嘱して作った愛知H式(HD-23)試作艦上戦闘機と,国産の三菱鷹型試作艦上戦闘機は,その仕様をモロに受けて不採用となり,中島はそれを端から無視して,三式艦上戦闘機として採用されたそうな.
ついでに,三菱は同じ構造で特種艦上偵察機を製作したが,重量は成る程軽くなったものの,操舵が重く,効き不足となり不採用となった.
「白い鳥」号は飛行中に行方不明となり,現在,ル・ブールジェの航空博物館に,離陸時に投棄した車輪だけが展示されているらしい.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/05/01〜05/05
青文字:加筆改修部分
”白い鳥”号は,実は横断に成功していた,てNHKの身に番組でやってたなー.
なんでも山林に破片が残ってて,当時アメリカでは作っていなかった形状のバックルとかが見つかった,て.
もうちょっとで着陸,というところで墜ちて,朽ち果てちゃったらしい.
その後,話を聞かないから,本当に「白い鳥」だったのかどうか知らないけど…
軍事板,2003/05/05
青文字:加筆改修部分