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<南アジアFAQ目次
※HN「チャウキダル」氏のリクエストに基く.
※叩き合いがうざいと思う方は,「だねえ」氏のレスだけ拾い読みすると良いでしょう.
「社会学板」◆林信吾スレReloaded ←サーバ・トラブルのため,レスno.470まで回収
【反論】
265 :名無しさん@社会人:2009/11/21(土)
11:21:06
>260その他
言うことはそれだけか?
もはや「JSF病患者認定」だな.
タリバンが初めて登場したのは1994年.
これがJSFの議論の前提だが,それは間違いだとついに認めた.
ところが,それでなにを言い出すかと思えば,
『防衛黒書』が正しいとする資料もない,だってwwwww.
言っとくが,上記のwwwwは脱力した笑いだからね.
これをなぜ「JSF病」と言うかだけ,教えてあげよう.
この馬鹿ブロガーは,陸自の新戦車が7億円で調達できるのだと主張し,
そんなわけない,と論駁されたら,とたんに信者を動員し(もしかしたら自分がなりすまして)
「金輪際7億円にならないという根拠もない」
などと言い出した.再度,脱力のwwww
モスボールの時もそうだったが,同じビョーキが蔓延してるよ.
見ててごらん,今度はきっと
「JSFが書いたこととは微妙にニュアンスが違う」
とか言い出すから.もはや笑いもでない.
ただ,JSF病はまっとうな知性を持った人には感染しない.ご安心を.
【再反論】
>タリバンが初めて登場したのは1994年.
>これがJSFの議論の前提だが,それは間違いだとついに認めた.
んー? 誰がー?
分かりやすく言うとこういうことだよねえ.
●タリブとはイスラム神学生のこと ⇒ △
アラビア語では学生全般を指すんだけど,パシュトゥニスタンでは特にマドラサの生徒のことを指すようになった.
これがいつ頃からそうだったのかどうかは,ちょっとはっきりしない.
アラビア語由来の単語なので,アラブ・アフガンが本格的に流入し,かつ,過激原理主義思想がマドラサに浸透してきた,1986年頃からじゃないかと個人的には思ってるけどねえ.
エジプトやサウディから義勇兵が,渡航費はサウディ負担でペシャワールに送り込むシステムが確立されたのがこのころで,でもって体のいい国外追放代わりに,過激分子をサウディはどんどん送りつけたらしいからねえ.
●タリバンという名称で呼ばれた武装部隊が1994年以前にいた ⇒ ×
タリブ出身の兵士はムジャヒディン各派に漏れなくいたようだけど,タリバンという呼称で紹介された例はないんだよねえ.
ゲリラにはそもそも,何何部隊といったはっきりした編制がなかったんでねえ.
大雑把に「ラバニ派のマスード軍」とか,「ドスタム軍のハザラ人部隊」とか呼ばれていた程度だったんだよねえ.
アフガン・ゲリラに同行,または参戦した日本人の手記も,何冊か出てるから,そこらへんは読めば分かると思うけどねえ.
「基本的文献」の人はどうも読書嫌いみたいだから,どうせこれも読まないんだろうけどねえ(笑)
でもって,オマルが武装勢力「タリバン」を自称して,南部アフガンを席巻していることが外部に報道されるようになったのが,1995年中ごろからの話なんだよねえ.
仮にサンヒザル事件が,タリバンのスポークスマンの話が事実だったとしても,タリバンのデビューは1994春ってことになるしねえ.
●当初,タリバンがムジャヒディン義勇兵の中核をなしていた ⇒ ×
これは黒井文太郎氏の言うとおり.
それに,オマルの話を信じるなら,彼がアフガン紛争に参戦したのは1989〜1992年のことだしねえ.
●そのタリバンが後に政権をとってタリバン政権となった ⇒ ×
んなわけなーい(笑)
ざっとこんなところ.
ファハミディ(お分かり)?
>ところが,それでなにを言い出すかと思えば,
>『防衛黒書』が正しいとする資料もない,だってwwwww.
>言っとくが,上記のwwwwは脱力した笑いだからね.
んー?
脱力するだけでいいのー?
これって重大な話なんだけどねえ.
仮にだよ,ナンチャラ黒書のほうが正しいとすると,これまでタリバンについて書かれた本の全てが間違ってたってことを意味するんだけどねえ.
タリバン研究の第一人者のアハメド・ラシッドも間違ってて
タリバンのオマルとインタビューできる数少ない記者のサミ・ユサフザイも間違ってて
ダリー語研究家の田中浩一郎先生も間違ってて
(その他書き連ねるときりがないので省略)
唯一,林って人だけが正しいって,あんた,そう言ってるも同じなんだけどねえ.
しかも,典拠もなく.
それって盲信って言わないのかねえ?
追伸しとくねー,林ナントカが正しいとするとだねえ,「基本的文献」の人が挙げていた両方の「タリバン」や「イスラム事典」までもが間違ってたと,そういう話になるんだけど,いいのかねえ?
もしや記述が変わったのかと思って,某大型書店で新版のほうの「イスラム事典」をチェックしてきたけど,やっぱりタリバンの記述に関しては,
「1994年11月頃に突如出現」
みたいな表現だったしねえ.
(つまりサンヒザル事件については,根拠不明として無視してあるわけだねえ)
「イスラム関係の研究書をことごとく蹴散らす林カッコイイ」とでも,
盲信者は思ってるのかねえ?
それとも林って人,カビール(偉大)な超人か何かなのかねえ?
279 :名無しさん@社会人:2009/11/22(日) 13:08:49
唯一神,ホホイ神誕生の瞬間である(笑)
社会学板,2009/11/22(日)〜11/23(月)
青文字:加筆改修部分
>タリバンが初めて登場したのは1994年.
>これがJSFの議論の前提だが,
違う.
JSFの議論の前提は,
「当初のムジャヒディンの中核を為したのは,パキスタンの神学校の生徒ではなく,エジプト人とアルジェリア人である」
だよ.
組織としてのタリバンの登場が1994年だというのは,その傍証にすぎない.
相変わらず,流石の日本語能力だねえ.
>この馬鹿ブロガーは,陸自の新戦車が7億円で調達できるのだと主張し,
>大内一佐は公式記者会見で個人的な願望を含むと前置きしつつ
>最大限に量産効果が発揮された時点での価格は7億円と発言し
>各マスコミはそれをそのまま報道し
>JSFもそれをソースとして「7億円なら安い」とエントリを書き
>量産化でも10億と報道した朝日は根拠を説明すべきと批判した.
>そんなわけない,と論駁されたら,とたんに信者を動員し(もしかしたら自分がなりすまして)
事実:
初年度に7億にならなかった!とはしゃぎまわるアンチ君に,スレ住人が「量産化したら」って言ってたでしょ,と諭すが無視.
「動員・成りすまし」については「妄想お疲れ様」としか.
>「金輪際7億円にならないという根拠もない」
>などと言い出した.再度,脱力のwwww
事実:
「金輪際7億にならないと証明しろ」と言われたアンチ君が,何故か「その前に1円にならない証明をしろ」と言い出し,それでも真面目に,現在の物価を考えれば1円で戦車が作れるわけねーだろ,と答えると,
「1円も7億円も同じだ!」
とアンチ君おおいばり.
わけわからん.
>「JSFが書いたこととは微妙にニュアンスが違う」
>とか言い出すから.
微妙とかニュアンスとかってレベルじゃないんですけど,どうしたらいいですか.
嘘ばっかりだなあ.
>ただ,JSF病はまっとうな知性を持った人には感染しない.ご安心を.
お前の知性が「まっとう」なら,俺はお前と違う方でいいや.
社会学板,2009/11/21(土)〜11/22(日)
青文字:加筆改修部分
【反論】
283 :名無しさん@社会人:2009/11/24(火) 22:44:18
〔略〕
林が正しかったらほかの研究者が全部間違えてることになる?なんで?
『防衛黒書』の記述に即した議論ができてない人が,こんなことを言ってもな.
結局何をどうやっても,JSFの自爆を否定できないんだから.
【再反論】
>林が正しかったらほかの研究者が全部間違えてることになる?なんで?
「なんで?」ってなんで?
林って人の記述が,他の研究者の記述全てと食い違っていて,それでどっちも正しいなんてことは,論理的にありえないと思うけどねえ.
>『防衛黒書』の記述に即した議論ができてない人が,こんなことを言ってもな.
意味不明だねえ.
タリバンについて,また,アフガンについて一切論じることができていない例の人(=ハンドルネームが色々異なっているけれど,論旨も文体もよーく似てる一群の人々)が,そんなことを言い出してもねえ(笑)
社会学板,2009/11/24(火)
青文字:加筆改修部分
【反論】
346 :名無しさん@社会人:2009/11/28(土) 18:19:57
>341他
ふーん.302をバカにしてたんだぁ.
笑った?さぞや笑いがひきつったんでないかいwwww
君らがこれまでさんざ持ち上げてきた講談社版の書籍を典拠にして,
JSFの議論をたたきつぶしたからねえ.
ついでだから,もう少し「笑わせて」あげよう.
>345も,レスする前に検索かけ直すといいけど,
1994年以前に,タリバンと呼ばれる武装勢力は存在しなかった.
このように,事実として明記されている典拠があったら,出してみな.
そうでない限り,
JSFが正しかったら,作家や研究者が軒並み違ってる.
ということになってしまうよ.いくら信者でも,そこまで言うかい?
それにしても,具体的に反論できなくなったら,
「そんなもん,お前の思いこみだ」
と言って笑っちゃえばいいんだ.
バカの理屈の中で生きてると,なにやら楽しそうでいいねえ.
参考になったよwwww
【再反論】
なんだかなあ.
要するに,
「当初,義勇兵の中核を為したのはパキスタンのイスラム神学校の学生たちで,彼らはタリバンと呼ばれた.」
を認める作家も研究者も文献も,林信吾以外には存在しないけど,1994年以前にタリバンと呼ばれた武装勢力が存在しないとする作家も研究者も文献もないから,
「当初,義勇兵の中核を為したのはパキスタンのイスラム神学校の学生たちで,彼らはタリバンと呼ばれた.」
は事実である,と言いたいってこと?
アンチ君のレベルの低さは今さらなので,悪魔の証明云々はもうどうでもいいけど,
>1994年以前に,タリバンと呼ばれる武装勢力は存在しなかった.
>このように,事実として明記されている典拠があったら,出してみな.
>そうでない限り,
>JSFが正しかったら,作家や研究者が軒並み違ってる.
>ということになってしまうよ
なんで?
JSFはただの一度も
>1994年以前に,タリバンと呼ばれる武装勢力は存在しなかった.
なんて言ったことはないよ?
JSFが言ってるのは,
>組織としてのタリバーンが出現したのは1994年以降で,
だよ.
さらに
>その中心はパキスタン領内のアフガン難民でマドラサで学ぶイスラム神学生であり,
>ソ連侵攻時にはまだ生まれていないか幼かった者ばかり
とも書いているので,ここでいう「組織としてのタリバーン」が指すのは,明らかに後に政権を取る「タリバン」のことだね.
他にタリバンと呼ばれる武装勢力があろうがなかろうが,関係ないよ?
おおかた,自分が言われたことをなんとかしてオウム返ししたかったんだろうけど,それならそれで話の流れくらい把握しとかなきゃ.
話の流れをおさらいしておくと,そもそもの発端は林信吾が,
「当初,義勇兵の中核を為したのはパキスタンのイスラム神学校の学生たちで,彼らはタリバンと呼ばれた」
と書いたこと.
それをJSFが,黒井文太郎著『イスラムのテロリスト』を参考にして否定した上で 組織としてのタリバーンが出現したのは1994年以降であり云々と傍証を提示したわけ.
そこを最近ご無沙汰の雨さんが
「林の言うタリバンは,後に政権を取るタリバンとは別なので,それらを混同したJSFの指摘は的外れだ」
と言った.
ところが,どうやら混同していたのは林信吾の方であるようなので,JSFの指摘は的外れではない.
94年以前,どこかに「タリバン」と呼ばれる武装勢力が存在していたとしても,JSFが書いているのは明らかに「後に政権を取るタリバン」のことなので,JSFの記述に間違いはない.
ついでに,94年以前にタリバンと呼ばれる武装勢力が存在していたとしても,それが当初の義勇兵の中核を為したパキスタンのイスラム神学校の学生たちでなければ,林の記述が正しいとは認められない.
が,これはJSFの記述とは関係ない.
理解できたかな?
>それにしても,具体的に反論できなくなったら,
>「そんなもん,お前の思いこみだ」
>と言って笑っちゃえばいいんだ.
だって,散々否定されてる「タリバンを中核とする抵抗運動」が前提なんだもん.
ソースの提示もないのに.
思い込みって言うしかないじゃん.
社会学板,2009/11/28(土)
青文字:加筆改修部分
あとは,第三者にも参考になりそうなレスをつけられそうなのは,
>1994年以前に,タリバンと呼ばれる武装勢力は存在しなかった.
>このように,事実として明記されている典拠があったら,出してみな.
に関して,くらいかねえ?
例の人の揚げ足取りは,もう殆ど例の人自身の読解力のなさに起因しているものだからねえ.
典拠も何も,ナントカ黒書以外はタリバンの登場年を1994年としているから,それはすなわち,
>1994年より前に,タリバンと呼ばれる武装勢力は存在した.
とする見解とは並立できないよねえ.
よって,
>1994年以前に,タリバンと呼ばれる武装勢力は存在しなかった.
の典拠を挙げるとすれば,「アフガン現代史について触れられた書籍全て」ということになるだろうねえ.
さて問題は,イスラム事典のように1994年後半と見るか,サンヒザル事件を事実と考えて,1994年春と見るか,ということになるんだけれど,オレ自身はサンヒザル事件みたいなものはあったんだろうと思うねえ.
でないと,ISIの目にオマルが留まることなんてなかったろうからねえ.
ただ,タリバンのスポークスマンの言うストーリーは,おそらくかなり誇張されていると思うんだよねえ.
少女を拉致した(とされる)軍閥司令官を,戦車の砲身に吊り下げたということは,その基地には戦車,ないし装甲車輌があったということであり,それを武装が自動小銃だけの30人で制圧するなんて,まず不可能だからねえ.
たぶん,オマルらのグループと軍閥司令官との間で,何らかの小競り合いが起こり,オマルがパーキスターンに逃げ込んだのは事実なんだろう.
でも,オマルが軽武装の30人程度で勝てると踏んだのだとすると,そのターゲットは軍閥司令官という大物ではなく,どこかの軍閥の私設関所程度の小物だったんじゃないかねえ?
パダル(復讐)を恐れて逃げたという事実も,襲撃相手の親玉が生き残っていたことを示唆するしねえ.
そしてその程度の小競り合いなら,当時の治安の乱れたアフガンでは日常茶飯事であって,事件とも呼べない規模なので,タリバン登場は事実上1994年10月ないし11月と見ていいと思うんだけどねえ.
社会学板,2009/12/01(火)
青文字:加筆改修部分
【珍説】
301 :名無しさん@社会人:2009/11/25(水) 22:43:02
↑これは失礼.誤記でした.
君たちの典拠がwikiくらいしかないということと併せて,教えてくれてありがとうwww
>277,295その他まとめて.
JSFがなにをどう間違えたか,文献読めば理解できるんだけどなあ(脱力のwwww)
講談社版の『タリバン』のp26に,こんな記述がある.
「一九九四年冬,神秘的なタリバンがはじめて出現してカンダハルを占領」
これだろ?しかしだね,p23を読んでごらんなさいよ.
「一九八〇年代のアフガン戦争で,ソ連軍と戦った経験のあるタリバンの戦士は数十人しかいなかった」
「かれらは,パキスタンのアフガン難民キャンプにつくられた数百校のマドラサ(イスラム神学校)の神学生だった」
矛盾しているよね.つまり,p26の記述にある「はじめて登場」は「アフガニスタン領内で,公然と」という文脈で
ないと成り立たないんだ.英語原書に当たってみないとこれ以上のことは断言できないが,
翻訳者があまり親切じゃなかったんだね.
しかしそれでも,JSFがもう少し資料を慎重に読んでいれば,『防衛黒書』に突撃して
自爆するような恥はさらさなくて済んだ.それだけの話なのだよ.
今度こそ,お分かりかな?
302 :名無しさん@社会人:2009/11/25(水) 22:49:02
↑続き
さて.こう書くと今度は「中核」という言葉にかみついてきそうだな.君たちは革マル系かな?
『防衛黒書』に書かれているのは,あくまでも「当初」と断ってあるよね.
タリバンを中核とする抵抗運動が始まってほどなく,いわゆるアラブ・アフガンの義勇兵が大挙して
はせ参じるわけだが,アラブ・アフガンという名称にも関わらず,非アラブ人が多数派を占めていた.
JSFが提示した資料に書かれてるのは,そのことなんだね.
つまり,時空列を決定的に間違えてるのはJSFの方.
これで,話は終わりかな.
【事実】
んーと,ここまで読解力が低いと,この人はどうせ分かろうとはしないだろうけど,ROMしてる人まで誤解しないように説明しておくとだねえ,
>「一九八〇年代のアフガン戦争で,ソ連軍と戦った経験のあるタリバンの戦士は数十人しかいなかった」
のあとに続いているのは,こんな文章なんだねえ.
>1989年にソ連軍が撤退したあと,四年間も続いたナジブラ政権との戦いには,
>もう少し多くのタリバンが参加しているが,ほとんどのタリバン戦士は,
>共産主義者と戦ったことはない.
そしてそのあとに続くのが,
>「かれらは,パキスタンのアフガン難民キャンプにつくられた数百校のマドラサ(イスラム神学校)の神学生だった」
という文章なんだねえ.
そして,さらに
>その神学生から選び出されて,タリバンの戦士になったのだ.
つまりこの部分は,タリバンの兵士たちがタリバンに加わる以前の,従軍経験の有無について説明しているんだねえ.
それを補完するのが,第1章p.55から始まる「タリバン首脳の実像」での,オマルの従軍経験についての説明や,p.69から始まるタリバン一般兵士の出自についての,もう少し詳しい説明なんだよねえ.
つまり読了していれば,まず上記反論のような勘違いはしないはずなんだよねえ.
つまりこの人は,「読んでないよねえ?」と指摘されて,慌てて読み始めたばかりなんだろうねえ.
>タリバンを中核とする抵抗運動が始まってほどなく,いわゆるアラブ・アフガンの義勇兵が大挙して
>はせ参じるわけだが,アラブ・アフガンという名称にも関わらず,非アラブ人が多数派を占めていた.
>JSFが提示した資料に書かれてるのは,そのことなんだね.
んー???
これはどこをどう読めばどんな理解になるのか,さっぱり分からないんだけどねえ.
>アラブ・アフガンという名称にも関わらず,非アラブ人が多数派を占めていた.
というのはどの箇所のことを指すのか,引用してほしいもんだねえ.
(といってもどうせしやしないだろうから,引用箇所が示されない限り,「また,いつもの誤読・誤解だねえ」で終わる話だと思うねえ)
社会学板,2009/11/26(木)
青文字:加筆改修部分
>つまりこの人は,「読んでないよねえ?」と指摘されて,慌てて読み始めたばかりなんだろうねえ.
読了してても不思議じゃないけどね.
過去のJSF批判のときも,全体の流れは無視して,エントリの中のごく一部を,自分の主張に合うように省略したり捻じ曲げたり切り貼りしたりするのが,この人の常だったから.
社会学板,2009/11/26(木)
青文字:加筆改修部分
んー,どうだろうねえ.その可能性も否定できないけれど,
一般的に言って,読書嫌いの人がこういったハードな内容の本を,読了するのはけっこう骨が折れると思うんだよねえ.
まして比較的専門性の高い内容だし,例の人にアフガン知識がないことは,マドラサがどんなものか彼がロクに知らなかったことから明らかだし.
該当地域に関する予備知識もなく,読書習慣もない人がチャレンジすると,けっこう時間がかかると思うんだけどねえ.
>自分の主張に合うように省略したり捻じ曲げたり切り貼りしたりするのがこの人の常だったから.
それにしたって小学生レベルと揶揄されるようなことを,わざとやってるとしたら,それはとりもなおさず,例の人には重度の人格障害があるっていうことにならないかねえ?
心理学はあんまり知らないけどねえ.
たとえば,
>アラビア語が堪能な君が,なんだってまた初心者向けの辞書で語源を調べようなどと?
といったレスを見ると,例の人が
>まず辞書だけどねえ,
>「パスポート初級アラビア語辞典」本田 孝一,出版:白水社
>で初心者は十分だねえ.
>ステップアップしたいときには
>「日本語アラビヤ語辞典」内記良一,大学書林
を読んで,「日本語アラビヤ語辞典」まで初心者向けの辞書だと天然で勘違いしているとしか思えないんだけどねえ.
>ステップアップしたいときには
と書いてあるから,この辞書が初心者向けなどでないことは,普通に読んだら分かるはずだから,これが捻じ曲げだとしたら,失笑を買うレベルのねじ曲げでしかなく,かえって逆効果だと思うんだけどねえ.
逆効果だと分からないということは,それはつまり,他人とのコミュニケーションに普段から問題を抱えているとしか考えられないわけで,
ちょっと怖いよねえ......
>語源を調べようなどと
にしても,
>アラビア語辞典の「たー(アラビア語のアレフ・バー=アルファベットって2ちゃんでは貼れないのかねえ?)」の項目も
>片っ端から見て回ったけど
>やっぱり「神の声が〜〜〜」なんて話にはかすりもしなかったしねえ.
>もし仮に語源的にそんな意味合いがあったとすると,
>似たような発音を持つ同一語源の類語があってしかるべきのはずだけどねえ.
と,「似たような発音を持つ同一語源の類語の有無を調べた」んであって,「語源」を調べたんじゃないことは,スレッドを追って読んでいけばすぐ分かるはずだしねえ.
意図的な歪曲だとしたって,即バレレベルだからねえ.
普通は,もうちょっと込み入った歪曲するんじゃないのかねえ?
>本のタイトルも含めて,大慌てでネットで検索して書いたとバレバレだよwww
に至っては,話が飛躍しすぎていて,この人の「超理論」についていける人は,いないんじゃないかねえ.
小学生頭とか揶揄されているけれど,きょうび,小学生だってもうちょっと頭はいいと思うけどねえ.
社会学板,2009/11/27(金)
青文字:加筆改修部分
そもそも,反論者の言うとおり「ソ連と戦ったタリバンが数十人しかいなかった」のならば,
「タリバンがムジャヒディンの中核をなしていた」by林信吾
は明確に否定されるよね(笑)
>『防衛黒書』に書かれているのは,あくまでも「当初」と断ってあるよね.
>タリバンを中核とする抵抗運動が始まってほどなく,いわゆるアラブ・アフガンの義勇兵が大挙して
>はせ参じるわけだが,アラブ・アフガンという名称にも関わらず,非アラブ人が多数派を占めていた.
「当初」が指す期間をどれだけ短く区切ったとしても,パキスタンの神学生が中核だったというソースが,防衛黒書以外にない事実は変わらないし,「当初」が指す期間を短く区切れば区切るほど,パキスタンの神学生が中核だったということは実質的な意味を失うし,林信吾が「学生」を指す単語である「タリバン」と,後の政権を獲得する武力組織の呼称である「タリバン」を,混同していた事実も変わらない.
まあ,とりあえず君が想定している「当初」の期間は,どれくらいなのか教えてくれない?
>時空列
はいはい時系列時系列.
「くう」と「けい」をどうやったら,うっかりミスのレベルで誤記できるのか知りたい.
泣いていいよ?
社会学板,2009/11/25(水)
青文字:加筆改修部分
そういえばこんなの見つけたんだけど……
――――――
http://obiekt.seesaa.net/article/107293395.html#20091024201417
<略>
このように,前段階からきちんと語られているわけで,著者が時空列を間違えているなどどいうのは,JSFの愚劣な
思い込みになりません.
<略>
Posted by 戦記ファン at 2009年10月24日 20:14:17
――――――
……今コピペして思ったけど,「思い込みになりません」って,「思い込みに過ぎません」の間違いだよなぁ.
なんかいろいろ日本語が怪しい人ではある.
社会学板,2009/11/28(土)
青文字:加筆改修部分
【反論】
331 :名無しさん@社会人:2009/11/26(木) 23:07:05
〔略〕
当初の期間ねえ.なにが問題なんだろ.
『防衛黒書』の記述からは,
「1979年にソ連がアフガンに侵攻した直後の一時期」
ということしか読み取れないけど.
それが数週間なのか1年近くなのかによって,議論のなにがどう違ってくるの?
バカの理屈はどうもよく分からん.
【再反論】
>『防衛黒書』の記述からは
そもそもそれが疑われてるっていうのに,なんで防衛黒書を典拠にしてんだよ?
発足からたった数週間の間に,他の勢力にたやすく乗っ取られてしまうような勢力は,「中核をなしていた」なんて呼ばれるに値しないし,1年近く中核勢力を維持していたと言うのなら,「防衛黒書」以外の文献にもその存在が残っていて然るべき.
そうなっていないのは何故だろうね?
>当初,義勇兵の中核を為したのはパキスタンのイスラム神学校の学生たちで,彼らはタリバンと呼ばれた.
林信吾は何を根拠に,この一文を書いたんだろうね?
社会学板,2009/11/26(木)
青文字:加筆改修部分
んーとねえ,中核を林って人がどんな意味で使ったにせよ,
>当初,義勇兵の中核を為したのはパキスタンのイスラム神学校の学生たち
という事実自体が存在しないんだから,中核の意味について言い争ったって無意味だと思うけどねえ.
なぜって,その前段の
> 一九七九年暮れにソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると,
>まずは現地のイスラム教徒が抵抗運動を組織してゲリラ戦を開始し,
>ほどなく隣国パキスタン,さらには中東諸国から多数の義勇兵が馳せ参じた.
からして間違ってるからなんだよねえ.
なぜってアフガニスタンで抵抗運動は,タラキがいわゆる「サウル革命」という名のクーデターで,政権を奪取して暫くすると,もう始まってるからなんだよねえ.
>いわゆる「サウル革命」と呼ばれる改革案は,土地の再分配,教育の宗教からの分離,
>女性のベールからの解放を目指したもので,
>アフガニスタン各地ではソ連の侵攻が始まる1年も前からジハードが火を噴いた.
マイケル・グリフィン「誰がタリバンを育てたか」p.29より.
林って人は,何がアフガンの人々を抵抗運動に駆り立てたのか,それすら理解していないんじゃないかねえ.
社会学板,2009/11/27(金)
青文字:加筆改修部分
【反論】
338 :名無しさん@社会人:2009/11/27(金) 18:45:24
>332〜
んー,とうとうJSF擁護は放擲して,枝葉末節な揚げ足取りに走ったねえ.
だよね馬鹿も洋書の一件には答えられずじまいでwwww
>335なんて,支離滅裂じゃん.
こっちの質問は「なにを,どうやって調べたの?」というだけのことなのに,
答えがチグハグだったわけで,誤解するとかしないとかいう以前の問題なんだけど.
>332もそう.
「疑う」のは勝手だけど「間違ってる」証拠をなにひとつ提示しないまま,
林はどんなつもりで書いたんだって.そういうことは林に聞け,って何度言ったらwww
【再反論】
>んー,とうとうJSF擁護は放擲して,枝葉末節な揚げ足取りに走ったねえ.
いや,お前の妄想と思い込みから捏造された「反論」をバカにしてるだけなんだけど?
>当初,義勇兵の中核を為したのはパキスタンのイスラム神学校の学生たち
ここが既に典拠つきで否定されているし.
上述のように,学生を指す単語である「タリバン」と,後に政権を取る武装組織としての「タリバン」を混同していたのは,JSFでなく林の方だった,ということも明白だし.
今さら擁護なんて必要ないもん.
>「疑う」のは勝手だけど「間違ってる」証拠をなにひとつ提示しないまま,
何度も言うけど,既に示されているね?
>林はどんなつもりで書いたんだって.そういうことは林に聞け,って何度言ったらwww
いや,君が妄想と思い込みで捏造したじゃん,林の言い分を.
君の捏造についての質問だから,君に聞いてるんだけど?
自分の捏造の責任を,林センセに押し付けちゃいけないなあ.
まあそんなことよりさ,
「書名を微妙に間違えて書くことによって張ったワナ」
について詳しく説明してよ.
今のところ,君以外の誰も理解できていないようだし.
ここは一発バシッと決めちゃってくださいよう!
社会学板,2009/11/27(金)
青文字:加筆改修部分
【反論】
338 :名無しさん@社会人:2009/11/27(金) 18:45:24
>337
ふーん.後のタリバン政権樹立につながる対ソ抵抗運動と,イスラム原理主義の台頭を
区別して考えることができないんだ.
これって,JSFがブログでやらかしたのと,まったく同じ思考回路による詭弁じゃない.
どういうことか,なんて詮索しないよ.どっちでもいいもん.
ネットで偉そうにしてる連中の頭は大体こんな程度ってこと.
339 :名無しさん@社会人:2009/11/27(金) 19:09:04
>337
ついでに言っておくと,『防衛黒書』p222だけど,
君が引用した部分の続きに,なんて書いてあるのかなぁ.
カブール大学などでは半年以上も前から「ソ連軍が来る」という
話で持ちきりとなっており,抵抗運動も半ば公然と準備されていたという.
こういう情報を林が公開してることを無視して,
最初に結論ありきの引用をするってのは,それこそ歪曲じゃないのかね.
一生やってなwwww
【再反論】
>ふーん.後のタリバン政権樹立につながる対ソ抵抗運動と,イスラム原理主義の台頭を
>区別して考えることができないんだ.
またまた小学生頭が,苦し紛れの口からでまかせを.
タリバンなんてぶっちゃけ,パキスタンがアフガンに送り込んだ,親パ政権樹立のための武装勢力じゃないか.
そんなタリバン政権が,アフガン・ゲリラの抵抗運動にどう繋がるんだよ(笑)
社会学板,2009/11/27(金)
青文字:加筆改修部分
>ふーん.後のタリバン政権樹立につながる対ソ抵抗運動と,イスラム原理主義の台頭を
>区別して考えることができないんだ.
わはははは,こりゃ酷いねえ(笑)
ここで皆さんにクイズです.
上に引用した一文の中には,間違いが幾つ含まれているでしょう?
答は後ほどレスするので,考えてみてねえ.
〔略〕
お待たせー.
では,回答編するねー.
>ふーん.後のタリバン政権樹立につながる対ソ抵抗運動と,イスラム原理主義の台頭を
>区別して考えることができないんだ.
という文章の中にある間違いは,これだけあるんだねえ.
1.対ソ抵抗運動とタリバン政権樹立との間には,何の繋がりもないんだよねえ.
2.そもそもタリバンは対ソ抵抗運動ではないしねえ.
3.イスラーム原理主義とイスラーム過激原理主義は別物だねえ.
4.タラキ政権樹立後に起きた抵抗運動はイスラーム原理主義とも過激原理主義とも関係ないしねえ.
5.というか,タリバンこそイスラーム過激原理主義そのものなんだけどねえ.
まずはの1.について.
これは大筋では,他の人の言う通り,
>タリバンなんてぶっちゃけ,パキスタンがアフガンに送り込んだ,親パ政権樹立のための武装勢力
だねえ.
まあ,他にも通商ルートの安定確保とか,パーキスターンが,それまで肩入れしていたヘクマチアル派をついに見限ったとか,色々動機はあるみたいだけどねえ.
しまいにはISIのコントロールも利かなくなって,タリバンは暴走しちゃうけどねえ(笑)
タリバンにのちに集まる者のうち,少数は対ソ戦にも参加したことあるけど,オマルからして従軍経験は1989〜92年で,ナジブラ政権軍との戦いがメインみたいだしねえ.
その上,タリバン軍はアフガン統一に当たって,むしろムジャヒディン各派を撃破し,残兵を吸収して占領地も拡大してきたんだし,むしろ,かつて対ソ抵抗運動をやっていたムジャヒディンとは,戦う側なんだよねえ.
実際,タリバンとの対比で名前が良く出てきていた北部同盟は,これは自称ではなく,自称はあくまでも「ムジャヒディン」だったしねえ.
…ということは,ラシッドの「タリバン」を読めば書いてあることばかりなんだけど,それすら分かってないってことは,この人,やっぱり読み終えてなさそうだねえ.
余談だけど,研究者の遠藤義雄は,アフガンでは合従連衡の動きが激しいゆえ,これから先,状況次第ではこの旧北部同盟勢力が,タリバン側に寝返る可能性があることを指摘しているねえ.
末端では武器の横流しなどしていて,すでにカネ次第では協力しているという話もあるしねえ.
そうなったらカルザイ政権は崩壊するし,オバマも真っ青になるだろうねえ.
でー,続いて2.について.
すでに書いたこととかぶるけれど,のちにタリバンに合流する連中のうち少数が,対ソ戦に参加していた事実はあるけれど,タリバン部隊と言うものは対ソ戦時代には存在しなかったし,もちろんオマル率いるタリバンがソ連軍と戦った例などないんだよねえ.
オマル自身,ムジャヒディン同士の内戦で乱れに乱れた治安を回復するための,世直し運動だと自称していたしねえ.
事実としても自称としても,「対ソ抵抗運動」などタリバンはやっていないんだよねえ.
ちなみにラシッドなどによると,オマルはムジャヒディン各派のうちハリス派にいたらしいと言われているけれど,ハリス派がのちのタリバンの母体になった事実などないし,上で書き忘れていたけれど,その他のムジャヒディン各派のうち,タリバンの母体になった組織など存在しないんだよねえ.
続きー.
3.について.
こんなところで「イスラム原理主義」を持ち出すのがそもそもおかしいんだよねえ.
乱暴に言えば,欧米文化を頑なに否定するのがイスラーム過激原理主義.
これに対して,イスラーム原理主義と言うのはイジュティハート論者の事を指すんだよねえ.
アフガーニーやシャリアティーのような人たちだねえ.
イジュティハート論をここで詳しく述べる暇はないけど,要するにこれは社会の近代化に合わせて,クルアーンを解釈変更すべしと主張するものだから,むしろ過激原理主義とは反対の立場にあるんだよねえ.
このへん,けっこう一緒くたにしてる人は多いんだけど,イスラームの誤解の元になるから気をつけて欲しいねえ.
続きー.
4.について.
タラキ政権樹立後に起きた抵抗運動は,イスラーム原理主義とも過激原理主義とも関係ない,という話だねえ.
でね,タラキの改革案というのは言葉だけ並べると立派だけど,共産主義者のインテリ馬鹿にありがちな,現場を見ていない頭でっかちな施策ばかりで,現実には実行困難だったものを無理矢理施行したことから,アフガンの人々の大規模な抵抗運動を招いたんだよねえ.
農村地方ばかりでなく,カーブルなどでも大規模なデモ,ゼネストなど起こったことや,政府軍からの部隊単位での離脱が相次いだことなどから見ても,それは明らかなんだねえ.
(頭でっかちな非現実的な「改革」という点では,アミンやカルマルも大差ないようだが)
つまり例の人は,タラキ政権時代のことを何も知らないんだねえ.
無知が無理矢理議論に参加しようとするなら,罵倒や挑発を繰り返す「構ってクン」にしかなれないってのは,
あちこちのスレでよく見られるパディダ(現象)だねえ.
最後に5.についてだけど,タリバンこそイスラーム過激原理主義そのものなんだということは,大方の人にとっては説明の必要もないと思うんだけど,
(厳密に言うと,タリバン初期は単なる保守主義だった可能性もある.
だってオマルはかつては,バーミヤン大仏を保護する命令を出したこともあるからねえ.
ところがビンラディンに懐柔されて,どんどん過激原理主義のほうへ傾いてしまったらしい.
このへんのことは「大仏破壊」という本に詳しいから,興味のある人は読んでみてねー.)
例の人のような小学生レベルの人のために,改めて簡単に説明するとするかねえ.
イスラーム過激原理主義というのは,まあ幅もあるけど,おおむね共通するところを述べると,
「イスラーム世界はイスラームに悪意を持つ欧米世界に包囲されている.
彼らに反撃し,彼らの影響力を拒否することこそ,クルアーンの原理に立ち戻ることであり,立ち戻ることでイスラーム社会の抱える色々な問題は,(彼ら自身が何もしなくても)たちどころに解決される」
ってところかねえ.
で,タリバン政権の施策を見ると,特に後期になるにつれ,そういう傾向が顕著なんだねえ.
たとえば音楽は欧米のポップスも,ついでに土着の民族音楽もひっくるめて,CDやラジカセの所有を禁止しているし,映画やテレビなんてもってのほかだったしねえ.
(そのくせタリバン上級幹部は,衛星TVを持ってたというからお笑い)
政権崩壊後も大統領や議会の選挙を,「議会政治というのは欧米のだから」という理由で,選挙妨害テロを起こしまくってたしねえ.
こんな連中について,(過激)原理主義と区別して考えろ,なんてタワゴトを言うのは,ラシッドの「タリバン」を読んでない証拠だと思うんだがねえ.
(んー,ちょっとセルフ補足しておこうかねえ.
対ソ戦を戦ったアフガン・ゲリラ各派も,イスラーム“過激”原理主義と全く無縁だったのではなく,軍閥によってはタリバンとどっこいどっこいの連中もいたので,念のため.
ヘクマチアルとかイスマイル・ハーンとかがそうだねえ.
マスードの親分のラバニについても,そうだという意見と,そうでないという意見と,両方あるらしいねえ)
アフガン人が元来保守的なのは否定できない事実であって,たとえばアマヌラ国王は憲法を制定して議会を開き,また,女性のチャダリー(いわゆるブルカのこと)を禁ずるなど,当時としてはかなり急進改革派だったため,バッチェ・サkカウの乱(1929)を招いて王権を失っているんだねえ.
ただタラキ〜カルマルの共産政権は,改革と言うよりただのムチャ・横暴だったし,タリバン政権は,その保守的なアフガン人をして嫌がられるほど,過激原理主義的だったということなんだねえ.
ついでに言うとだねえ,
>カブール大学などでは半年以上も前から「ソ連軍が来る」という
>話で持ちきりとなっており,抵抗運動も半ば公然と準備されていたという.
だけど,この人はアフガン現代史もまるで知らないんだねえ.
ソ連軍侵攻は1979年12月で,タラキ政権ができたのは,その1年以上も前の78年4月なんだよねえ.
その引用箇所は,林って人が「抵抗運動が起きたのはソ連軍侵攻が始まってから」と思い込んでいる (「準備されていた」だからね)証拠にしかならないねえ(笑)
もっとkハーンダン(勉強)したほうがいいと思うよー.君も林も.
社会学板,2009/11/28(土)
青文字:加筆改修部分
【反論】
372 :名無しさん@社会人:2009/12/03(木) 18:41:16
>357
やれやれ.ここまで論理に弱い人間が,どうしてここまで偉そうにするか.
ほんと,2chとは面白いわwwww
『防衛黒書』にも,ソ連侵攻は1979年末だと書かれている.
んで,この馬鹿は,ソ連侵攻以前に「対ソ」抵抗運動が始まるなど
あり得ない,ということさえ分かっていない.
半ば公然と準備が進められていた,という記述に着目すれば,
当時の政権との間に緊張をもたらす動きであったことは明らか.
官許の運動なら公然もへったくれもないからね.
あらためて教えてもらいたいのだが,バカの理屈では,
これがどう転がると,林が親ソ政権の存在を知らない証拠になるわけ?
「著作で触れていない→だから著者は何も知らない」
こういうのを,なんと言うか教えてやろうか.
悪
頭
の
証
明
覚えておきなwwww
それにしても,初弾から自爆してどうするんだかwwww
373 :名無しさん@社会人:2009/12/03(木) 18:45:34
>361
あのね.こんなこと言うのは幼稚園頭の人だけなの.
「だねえの人」はインテリっぽく見せてただけなの.
本当にちゃんと調べたのならすぐ答えられるはずの質問に,
答えられなくなって逃げ出したの.
ものすごい,恥ずかしいお馬鹿さんだったの.
ぼくちゃんも,ちゃんと本読まないと,こんな人になっちゃうんでちゅよ.
分かったら,お休みなさい.
【再反論】
悪頭の証明……爆笑
読み方はやっぱり「あくとう」ですよね.
悪党にも通じますし.
でも,自分的には「わるあたま」も語呂がよくて捨てがたいっす.
社会学板,2009/12/03(木)
青文字:加筆改修部分
>んで,この馬鹿は,ソ連侵攻以前に「対ソ」抵抗運動が始まるなど
>あり得ない,ということさえ分かっていない.
んー?
林って人は「対ソ」とは書いていないよねえ?
なのに勝手に補足しちゃう根拠は何ー?
林って人本人にでも聞いたのかねえ?(笑)
それにして,この人はタラキ政権がどのようなものだったか全く知らないんだねえ.
もしかしたら,「タラキ政権はソ連の擁立した傀儡政権だった」ということも知らないんじゃないのかねえ?
それとも,タラキ政権に対する抵抗運動は,ソ連に対する直接の抵抗じゃないから対ソ抵抗運動じゃない!とか言い出すつもりなのかねえ?
もしそうだとしたら,タラキ,アミン,カルマルと政権が変わっても継続しているこの抵抗運動は,何運動と呼ばれるべきなのかねえ?
「ありえない」どころか,アフガンの歴史をちゃんと理解していれば,十分にありえることが分かるはずなんだけどねえ.
アフガン現代史については,
マーティン・ユアンズの「アフガニスタンの歴史」
とか
前田耕作の「アフガニスタン史」
とか読むといいと思うよ〜(と第三者向けレス)
>半ば公然と準備が進められていた,という記述に着目すれば,
>当時の政権との間に緊張をもたらす動きであったことは明らか.
>官許の運動なら公然もへったくれもないからね.
にいたっては,抽象的過ぎて何言ってるんだか分からないので,もっと具体的に説明して欲しいとねえ.
どうとでも受け取れるような言葉を並べ立てられても,議論が曖昧茫漠となるだけだからねえ.
あと,林って人が,君が補足するようなことを言っていたと読み取れる箇所の引用もして欲しいねえ.
それがないと,単なる君の想像ってことで話が終わってしまうからねえ.
>これがどう転がると,林が親ソ政権の存在を知らない証拠になるわけ?
仮に林って人が,タラキ政権が傀儡政権であるということを知っていたと仮定しようかねえ.
そうすると彼の頭の中では,アフガン人は傀儡政権の間は抵抗運動しなかったけれど,ソ連軍が侵攻してくるという噂が出てきてからようやく準備を始めた,と考えていることになるねえ.
アフガン人がそんな奇妙な連中であるとは,さすがのトンデモ黒書の著者でも,そこまでトンデモなことを考えていないだろうから,
ゆえに仮定のほうが間違っているということになるねえ.
それともお前さんは,林って人はそんなトンデモさんだと言いたいのかねえ?
オレはそこまで林って人を悪く言おうとは思わないけどねえ.
社会学板,2009/12/03(木)
青文字:加筆改修部分
▼
ちなみに林は,『防衛黒書』以前にも,以下のように書いている.
――――――
79年12月27日に,アフガニスタンで親ソ派によるクーデターが勃発し,ソ連軍が「援助進駐」した.
これに抗議した米国は,80年夏のモスクワ五輪をボイコットしてしまう.
日本も同調し,多くの選手が涙を呑んだ.
――――――『日本人の選択 総選挙の戦後史』(林信吾&葛岡智恭著,平凡社,2007.6.11),p.146
わざわざ「親ソ派」と書いているところから見て,それ以前のタラキ〜アミン政権もまた親ソ派政権,というよりソ連の傀儡政権であったことも分かっていない可能性が,やはり高い.
ついでに言えば,クーデターが勃発してからソ連軍がアフ【ガ】ーンにやってきたのではなく,その逆.
ソ連が軍事介入してアミンを殺害した後に,駐チェコ大使だったカルマルを帰国させ,国家元首に据えた.
モスクワ五輪をボイコットしたのも日米だけではないので,この書き方は誤解を与える.
ボイコットした国々は,中国など50ヶ国近くになる.
▲
>すぐ答えられるはずの質問に,
>答えられなくなって逃げ出したの.
「書名を微妙に間違えて書くことによって張ったワナ」
について詳しく(ry
社会学板,2009/12/03(木)
青文字:加筆改修部分
【反論】
380 :名無しさん@社会人:2009/12/03(木) 21:38:09
↑
救いようがないとは,このこと.
ソ連が入ってくる,という情報があって「準備された」抵抗運動が
対ソでなかったらなんなのか.小学生でも理解できそうなもの.
ソ連はアフガニスタンに宣戦布告して侵攻したのではなく,
傀儡政権の要請で「援助進駐」したのは常識だが,
俺が言ったのは,「林が知らない」という証拠を,
たとえバカの理屈でもいいから示してみろ,ということ.
お前が勝手に林の頭の中を「仮定」して,
前段と後段が論理的に全くつながらない決めつけをしても,
なんの証明にもならない.
それとも,なにか林の著作に
「アフガン人は傀儡政権の間は……」ということが書いてあるのか?
俺は,お前がトンデモ野郎で,林はまだまともだと言ってるだけ.
インテリぶった化けの皮もはがれたし,妄想と事実の区別がつかないことも,
この一文でバレたな.
お前,泣いて泣いて泣き疲れて眠るまで泣いていいよwwww
【再反論】
んー?
とするとお前さんは,カルマル政権以降の抵抗運動を「対ソ抵抗運動」と呼んで,それ以前のタラキ〜アミン政権時代の抵抗運動と区別しているということになるんだけど,なぜそれを区別するのがさっぱり理由が分からないねえ.
上述したように,抵抗運動は傀儡政権のムチャな共産主義政策が原因で起こっているんであって,ソ連軍が来た(ないし来るという噂が流れた)のが原因じゃないんだけどねえ.
というか,なんでソ連軍が来たのか分かってないんじゃないのかねえ?
そしてまた,仮にトンデモ黒書の記述の通りだとすると,前にも言ったように,ほぼ同じ政策をとられているにも関わらず,アフガン人は
「タラキ〜アミン政権の間は抵抗運動を起こさないけど,カルマル政権の時代になって突然抵抗運動を起こした」
ということになってしまうけれどねえ.
アフガン人はそんな奇妙な連中だと,林って人はそう言ってることになるんだよねえ.
ということで,
1.タラキ〜アミン政権時代の抵抗運動と,カルマル政権以降の抵抗運動とが,どう異なるというのか説明して欲しいねえ.
2.アフガン人はそんな奇妙な連中だと言い張りたいのなら,ここでもまた根拠を示して欲しいねえ.
ほらほら,出さなきゃならない典拠が山積みだよ〜.
そうそう,言い忘れてたけれど,タラキ政権以降の共産政権には,KGBが顧問として指導に当たっているから,
>当時の政権との間に緊張をもたらす動き
なんてあったら,シャバック(秘密警察)がすぐさま乗り込んできて,証拠も何も関係なしに,怪しいやつは片っ端からプルチャルキ刑務所に投獄するだけだねえ.
「当時の政権との間に緊張をもたらす動き」なんて,林って人も書いてない上に,当時の状況としてもありえないと思うんだけど,お前さんには何か,林って人も知らない情報ソースでもあるのかねえ?
あるんだったらこれも出すべきだろうねえ.
でないと,想像で口からでまかせ言ってるとしか思えないんだよねえ.
社会学板,2009/12/03(木)
青文字:加筆改修部分
ところで,
>『防衛黒書』にも,ソ連侵攻は1979年末だと書かれている.
>んで,この馬鹿は,ソ連侵攻以前に「対ソ」抵抗運動が始まるなど
>あり得ない,ということさえ分かっていない.
と
>ソ連が入ってくる,という情報があって「準備された」抵抗運動が
>対ソでなかったらなんなのか.小学生でも理解できそうなもの.
を ,同じ人間が書いている・・・のか?
準備している段階では,まだ始まっていない,という理解なのか?
>それとも,なにか林の著作に
>「アフガン人は傀儡政権の間は……」ということが書いてあるのか?
そこは,仮定を真実とした場合に導き出される論理の部分じゃん.
背理法も知らんの?
お前,もしかしてマジで中卒か何か?
それにしても,「泣いていいよ」っていう言葉が,こいつにとってはよっぽどトラウマなんだろうな.
388 :名無しさん@社会人:2009/12/04(金) 23:39:10
そういや,郵便局強盗中学生の某氏は,高校もちゃんと行ってたか怪しいモンで.
389 :名無しさん@社会人:2009/12/05(土) 17:59:08
んー,まあ,単に意固地になっていて,苦し紛れに「林の著作に〜〜」とか言い出しただけだろうけどねえ.
定年間近のイイ年した教授でも,変に意固地になるやつは残念ながらいるしねえ.
この人がアフガン近現代史を全く知らないのは,事実だろうけどねえ.
既出でないアフガン史の固有名詞一つ,この人のレスからは出てこないしねえ.
アフガン史というのは,調べてみれば意外に面白い分野なんだけどねえ.
日露戦争後の,英国からの日本に対するアフガン出兵要請とか,第3次アフガン戦争については,英国人はこれを英国の敗北とは思っていないらしいこととか,興味深いエピソードも色々あるんだけどねえ.
社会学板,2009/12/03(木)〜12/04(金)
青文字:加筆改修部分