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◆◆◆◆フセイン政権崩壊以後
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中近東FAQ目次


 【link】

Personality Identification Playing Cards(サダム・フセイン政権指名手配者トランプ,英語)
   ┃
   ┗Trading Cards: American Crusade 2001(パロディ画像トレーディング・カード,英語)

朝目新聞」●米軍の駐留拠点として半ば廃墟となった「サダム・フセイン宮殿」の姿(ofらばQ)

「中東の窓」◆(2012/09/10)イラク情勢(副大統領に対する死刑判決等)

「不確かな軍事情報」◆(2010-01-19) イラク:元国防相,化学兵器攻撃で4度目の「死刑」

『イラク博物館の秘宝を追え 海兵隊大佐の特殊任務』(マシュー・ボグダノス著,早川書房,2007.4)

 初めて感想書く.
 書評とか書き慣れてないけど.

 面白かった.
 まさに現代版インディージョーンズ.
 主人公は予備役大佐だった検察官だか検事だったが,911を機に復帰.
 様々な組織(FBI,税関,煙草取締局等)から集めた兵士からなる,対テロ部隊の指揮官をするが,イラク博物館から略奪された物の回収(略奪されたものをテロリストが売却しテロ資金源にならないために)を,独断で部隊を動かしておこなうことに…
 そのためか正規な補給もないため,現地の補給所の責任者に直接交渉し補給したり,イラク各地を許可申請しなくても移動できるため,他の高級将校から疎まれたり,本来の任務である対テロ部隊を行わない大佐に不満な部下や軍高官たちとの間に挟まれて,苦悩するのが中間管理職みたいな感じだった.
 一応,対テロ部隊を扱ってるけど,戦闘シーンは無い.

 イラク博物館の幹部は,バース党の出身で,博物館では戦後も彼らを使っていたので,誰が信頼できて信頼できないのかなど,それでいて彼らは何かを隠しているので,ミステリー小説のような雰囲気だった.

 この本にもハレル准将が出てきて,色々な本に登場するせいか俺の頭の中では現代版,辻ーン,フォン・メレンティンみたいなイメージになった.

-----------------軍事板,2011/11/01(火)

『グリーン・ゾーン』(ラジブ・チャンドラセカラン著,集英社インターナショナル,2010.2)

 イラクのCPA(連合国暫定当局)にまつわるヒドイ話.
 バグダッド陥落直後,2003〜2004年の話で,出版は2006年(日本では2010年)

 当初,米軍(というかラムズフェルド一派)は,戦後3ヶ月程度でイラクに政府を設置して,さっさと帰るつもりだったらしい.
 しかし,戦争で行政機能が破壊された上,フセイン派の旧権力者(バース党員,スンニ派)を公職追放したので,早期の政府樹立が不可能になった.
 それどころか最終的に何も出来ず,戦後の貴重な1年を空費することになる.

 元々の見積りが甘すぎたせいもあって,CPAの現場は常に予算・人員不足.
 アメリカには優秀な頭脳や専門家がいるはずだが,イラクに送られてくるのは専門知識のない素人ばかり.
 その理由はスタッフの人選に,まず共和党への忠誠心を問うから……
 たとえば医療分野では,イラク経験のある医療支援の専門家(元軍人)が,1週間でクビになって,共和党に近いだけの素人が代表になった.
 この人物はイラクの社会主義的な医療制度を,アメリカ流のシステムで改革しようとしたが,途中で時間がかかりすぎる事に気づいて放棄.
 結果,汚職の蔓延するシステムが残された上,必要な薬すら満足に届かなかった.

 戦前のイラクでは,(汚職はあれど)行政はきちんと機能していたようだ.
 治安も非常に保たれていた(主に秘密警察による拷問のおかげで)
 ところが,戦争で軍と警察が消滅したことから,治安機能が失われ,すべての公共施設が略奪を受ける.
 こうして,イラクからガスも水道も電気も学校もゴミ回収も,何もかもが失われた.
 子どもが学校に行っても机がない,電気がない,誘拐されるのでそもそも行かないという状況.
 戦後1年近くたっても改善はなく,治安はますます悪化する一方.
 最初はフセイン打倒を喜んだイラク人も,これじゃアメリカを支持できるはずがない.

 そんなこと露知らず,安全地帯(グリーン・ゾーン)内で妄想にふけるCPAが,この本では批判されている.
 ジャーナリストの取材による良著.

------------軍事板,2011/03/03(木)

 【珍説】
 アメリカはイラクの体制を変換しましたな,何の根拠もなしに.
 これは立派な内政干渉です.

 【事実】
 体制を変換させたのは,決議1511で暫定政府に主権を与えた国連安保理.
 それが駄目っていうなら,文句は安保理に言え.

 アメリカはフセインを追放なんてしていない.
 米軍が攻撃したらサダム・フセインは雲隠れしたんだから,自ら政府としての役割を捨てたも同然でしょ?
 政府がなけりゃ困るから,暫定政府ができたわけで.

「軍事攻撃をして国の体制が変わっちゃ駄目」
などと主張したいなら,ユーゴスラビア空爆も駄目だったって事?(笑)



 【珍説】
 ほう,決議1511が開戦前に出ていたのかな?(棒読み) 事後法は無効というのは法学上の常識だぞ.
 【事実】
 国連決議について言っておくと,あれは事後法と見るべきじゃなくて,むしろ行政法で言うところの「確認」とか「公証」とかの概念に近い趣旨なんじゃないのかな?
 この辺り解説すると面倒だし長くなるんで割愛するが,要するに事後的に「お墨付き」を与えた趣旨と見て良いだろうね.
 その辺り,事後法と区別しとかないといけないんじゃないかなー

 そもそもさっきまでイタイ主張をしてた人は,国際法と国内法の構造的な相違すらも理解していない(理解したくない)ようだったし,自力救済が原則として禁止されている国内法とは違って,国際法ってのはその解釈も法の執行についても,基本的には「侵害された国家」自体がするもんだし.

 要するに国際法ってのは,国際司法裁判所の存在をもってしても,構造的には「分権的」であるので,おいそれと合法・違法を論じられないし,ましてやそれにペナルティーを与えることはできないってこと.

 そういう形而上の,しかもアメリカを非難するためだけの議論をするよりは,どうすればイラクを良くすることができるのか?という観点に国連は立って,事後的にイラク暫定政府を承認したんじゃないかなー?

軍事板


 【質問】
 開戦前,アメリカはイラク復興費用をどのように見積もっていたのか?

 【回答】
 『ニューズウィーク』誌によれば,暫定占領当局は年内の予算として60億ドルを計上.
 例えば以下のような使途を想定していたという.

電力 2億9400万ドル
法と秩序 2億3300万ドル
修復 2億3100万ドル
防衛 1億6500万ドル
通信 1億5000万ドル

 一方,この資金の調達方法は,以下のようなものを当てにしていたという.

産油収入 34億ドル
アメリカの拠出 28億ドル
国連・国際機関の拠出 20億ドル
イラクの凍結資産 17億ドル
接収されたフセイン関連の資産 7億9500万ドル
国有企業の収入 3億7900万ドル

 しかし実際には,石油収入は2億ドルに落ち込むなど,見通しが甘かったことは否めない.
 詳しくは『ニューズウィーク日本版』 2003年7月23日号 P.31を参照されたし.

サダム・フセインの遺産(サダムの戦車コレクション)
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 もしケリー政権が誕生していたら,どのように対イラク戦略は変化しただろうか?

 【回答】
 ケリー候補自身は,'04年4/13付Washington Post紙上に於いて,"A Strategy for Iraq "と題し,以下のように述べている.

To be successful in Iraq, and in any war for that matter, our use of force must be tied to a political objective more complete than the ouster of a regime. To date, that has not happened in Iraq. It is time it did.

In the past week the situation in Iraq has taken a dramatic turn for the worse. While we may have differed on how we went to war, Americans of all political persuasions are united in our determination to succeed. The extremists attacking our forces should know they will not succeed in dividing America, or in sapping American resolve, or in forcing the premature withdrawal of U.S. troops. Our country is committed to help the Iraqis build a stable, peaceful and pluralistic society. No matter who is elected president in November, we will persevere in that mission.

But to maximize our chances for success, and to minimize the risk of failure, we must make full use of the assets we have. If our military commanders request more troops, we should deploy them. Progress is not possible in Iraq if people lack the security to go about the business of daily life. Yet the military alone cannot win the peace in Iraq. We need a political strategy that will work.

Over the past year the Bush administration has advanced several plans for a transition to democratic rule in Iraq. Each of those plans, after proving to be unworkable, was abandoned. The administration has set a date (June 30) for returning authority to an Iraqi entity to run the country, but there is no agreement with the Iraqis on how it will be constituted to make it representative enough to have popular legitimacy. Because of the way the White House has run the war, we are left with the United States bearing most of the costs and risks associated with every aspect of the Iraqi transition. We have lost lives, time, momentum and credibility. And we are seeing increasing numbers of Iraqis lashing out at the United States to express their frustration over what the Bush administration has and hasn't done.

In recent weeks the administration -- in effect acknowledging the failure of its own efforts -- has turned to U.N. representative Lakhdar Brahimi to develop a formula for an interim Iraqi government that each of the major Iraqi factions can accept. It is vital that Brahimi accomplish this mission, but the odds are long, because tensions have been allowed to build and distrust among the various Iraqi groups runs deep. The United States can bolster Brahimi's limited leverage by saying in advance that we will support any plan he proposes that gains the support of Iraqi leaders. Moving forward, the administration must make the United Nations a full partner responsible for developing Iraq's transition to a new constitution and government. We also need to renew our effort to attract international support in the form of boots on the ground to create a climate of security in Iraq. We need more troops and more people who can train Iraqi troops and assist Iraqi police.

We should urge NATO to create a new out-of-area operation for Iraq under the lead of a U.S. commander. This would help us obtain more troops from major powers. The events of the past week will make foreign governments extremely reluctant to put their citizens at risk. That is why international acceptance of responsibility for stabilizing Iraq must be matched by international authority for managing the remainder of the Iraqi transition. The United Nations, not the United States, should be the primary civilian partner in working with Iraqi leaders to hold elections, restore government services, rebuild the economy, and re-create a sense of hope and optimism among the Iraqi people. The primary responsibility for security must remain with the U.S. military, preferably helped by NATO until we have an Iraqi security force fully prepared to take responsibility.

Finally, we must level with our citizens. Increasingly, the American people are confused about our goals in Iraq, particularly why we are going it almost alone. The president must rally the country around a clear and credible goal. The challenges are significant and the costs are high. But the stakes are too great to lose the support of the American people.

This morning, as we sit down to read newspapers in the comfort of our homes or offices, we have an obligation to think of our fighting men and women in Iraq who awake each morning to a shooting gallery in which it is exceedingly difficult to distinguish friend from foe, and the death of every innocent creates more enemies. We owe it to our soldiers and Marines to use absolutely every tool we can muster to help them succeed in their mission without exposing them to unnecessary risk. That is not a partisan proposal. It is a matter of national honor and trust.

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A6753-2004Apr12.html

 以下は,その分析.

 "Kerry's Iraq Choices By Harold Meyerson(By Harold Meyerson)によれば,ケリー候補にとってイラク政策というのは困った問題なのだ,としている.簡単なたとえ話にするとケリーが
部屋にいて,三つのドアが目の前にある状況といえよう.
@のドアには「イラクへ兵力を削減」
Aのドアには「イラクの兵力を維持」,
Bのドアには「イラクへの兵力を増加」
と書いてある.困ったことに,ケリー候補がどのドアを選んでも不利になる.

 ケリーが@のドアで兵力削減を言えば,共和党側は待ってましたとばかりに戦争に弱いマサチューセッツ・リベラルの大統領候補と宣伝しまくるだろう.これは不利なこと極まりない.
 ではABのドアはどうか.その場合,民主党の多くはそれを承認し,共和党はそれを攻撃できないが,ラルフ・ネーダーの率いる反戦勢力はケリーを激しく非難するだろう.民主勢力の一部が独立系のネーダーに流れれば,結局のところ大統領選挙に勝てない.
 ケリーは三つのドア以外のオプションを必要としているわけだが,それは米国も同じである.

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A2329-2004May4.html

 また,クリストファー・レイン Christopher Layne も,アメリカンコンサヴァティブという雑誌において,"The Next Emperor"と題し,「あまり変わらない」という主旨のことを書いている.

Kerry sketches a foreign policy vision scarcely different from the Bush administration’s.

http://www.amconmag.com/2004_03_29/index1.html


 【質問】
 イラク報道には問題があるか?

 【回答】
 ナッサー・フレイ・ハッサン Naseer Flayih Hasan は,問題があると主張している.

FPM:左巻きジャーナリストは,いかに私の祖国(イラク)を裏切っているか

 最後のイラク戦争が終わるまで,私達イラク国民は世界の情報からは遮断されていた.イラン・ イラク戦争以降は,バース党は旅行の自由などを禁じるだけでなく,衛星TVのアンテナを厳しく取り締まり,インターネットなどは厳重に規制されていた.
 そうした長期の情報の孤立状態のために,殆どのイラク国民は世界の情勢を知らなかった.

 そうではあっても,私達は人権は普遍的な価値であり,西欧文明はそれを尊重することを知っていた.

 イラク戦争の後で西欧のジャーナリストがバクダッドにやってきたのだが,その人たちがアメリカを非難することを知ったときには,私はショックを受けた.私がMutinabi街で出会ったオランダ人の女性ジャーナリストは,どのくらい長くイラクにいるのかとの問いに「三ヶ月」と答えた.
「では戦争を見たのですね?」
というと
「アメリカの犯罪を見るために,ここに来たのよ」
と答えたので,私は固まってしまった.
「サダム政権の犯罪については知っていますか? もしサダムが今も政権についていれば,私が今あなたと話していることは犯罪で,拷問の対象ですよ」
と私はいったのだが,とたんに彼女は血相を変えて
「すぐにアメリカはもっと悪いことをやるわ」

 私は西欧の「平和活動家」や「人権活動家」といわれる人たちにバクダッドで会って驚かされたのだが,彼らはイラクについて,住んでいる私よりも良く知っていると信じていて私にお説教をしたがるのだ.
 イラクの殆どの家庭は,長期にわたる暴政のために,家族の中に虐殺や拷問の被害者を持っているのだが.
 彼ら西欧のジャーナリストや人権活動家は,そのサダム政権支持者のテロリストのことを,レジスタンスと呼ぶのだ.

 私は信じているのだが,アメリカがサダム政権を崩壊させたことはイラクに民主主義をもたらす.
 しかし同時に私はアメリカにイルージョンを抱いているわけではないので,アメリカの行動はアメリカの国益追求のためだと信じている.
 イラクの場合は,テロリスト政権の崩壊がアメリカの国益と彼らはみなすのだろう.
 そして短期的には,現時点ではイラクの民主化がアメリカの国益につながると思える.
 フランスや露西亜は,その国益追及のために,サダム政権を支持したわけだ.

 私のように,左翼というのは一般的に社会の進歩発展を支持すると思っていた人には,西欧のジャーナリストや活動家の左翼の言辞はショッキングだった.
 フランス人と話していてシラク大統領がテロリストの反乱勢力のゲリラに反対していないと聞くことは耐えがたいことで,イラク国民はサダム政権や戦後のテロリストのサダム支持派がどのくらい暴力的で非人間的な怪物であるかについて,熟知しているのだ.

 そういうわけで,私はイラクにやってくる西欧の左翼にはすっかり興ざめしてしまった.
 彼らは大変上品で,レトリックに富み,スターのように見える.
 しかしながら,周りに起こっている事実には全く気がつかず,彼らの心の中にあることのみ語る.
 彼らの理想はすばらしいが,彼らの思想は全く柔軟ではなく,彼らの行動は不必要であるばかりではなく有害なのだ.
 それは,ドグマというものが人間を血の通っていない彫像のようなものに変え得るという証拠である.

 アメリカの対イラク政策はもちろんアメリカの国益に基づいて行われたモノであるが,それは以前はフセイン体制,今はテロリストに苦しめられているイラク国民にとっては福音でもあった事は事実だ.
 なぜ左翼巻きジャーナリストは実態を無視し,テロリストをあたかも正義のレジスタンスのように描くのか?

 アフガンの復興が進むにつれて,タリバン政権下の実情が世界に周知されるようになったように,イラクの復興が進むにつれてフセイン政権下の実情が,今まで沈黙を強いられてきたイラク人の口から語られるようになってくる.

 イラクにあるアメリカ軍駐屯地の食堂で,テロリストが米兵十数人を道連れに自爆した事件があったが,その事件に絡んで駐屯地周辺のイラク人多数が弔意を示した事などは,メディアは伝えない.

( from "Front Page Magazine", 2005/1/3)他?


◆◆サダム捜索


 【珍説】
 アメリカ軍はウダイとクサイの遺体を各国報道陣に公開し,世界各地で放送されましたが,これは明らかにジュネーブ条約違反.
 ジュネーヴ第3条約第13条第2項に,
「また,捕虜は,常に保護しなければならず,特に,暴行又は脅迫並びに侮辱及び公衆の好奇心から保護しなければならない」
とあるので,捕虜をテレビ出演させるのはこの条項に反します.
 死亡者については,第1〜4条約のそれぞれに,死者の宗教に基づく丁重な埋葬を行うことを定めた条文があるので,これに抵触する可能性があります.

 【事実】
「邸宅に接近したところ内部から小火器による攻撃」
「米軍は投降を呼びかけた」
「ウダイ・クサイは投降を拒否,米軍に対して攻撃をしかけた」
「米軍はこれに対して,やむを得ず防衛のための反撃を加えた」
「反撃の結果,ウダイ・クサイは死亡した」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030723-00001024-mai-int
 法的には正当防衛ですな,テレビのニュースや新聞などの情報では.

 また,ジュネーヴ条約での,死者に関する規定は第一条約の第十七条〔死者,墳墓登録機関〕で
*死体の綿密な検査
*死体への識別票の添付
*衛生上などの理由を除いて火葬にしない事
*目立つように設置して埋葬後の発掘を可能にすること
*公の墳墓登録機関を設置する事
などが規定されているが,それらを行う前にTVで公開していいかどうかはグレー・ゾーン.

 ちなみに,この戦争で最初に「死体をテレビで晒すのはジュネーブ条約違反だ」と主張したのは,自国兵の死体がイラク軍によって放送されたアメリカであり,主張するのは自由.
 実際にそれが違反行為と断定されたわけではない以上,「敵がやるなら,我々も」ということになっても,ジュネーヴ条約上は現状問題なし.

 【質問】
 ウダイ&クサイって一応民間人ですよね?
 民間人に警察ではなく軍隊が投降を呼びかけるってのも違和感があるし,相手から攻撃してきたからって反撃の仕方がちょっと過剰ではないですか?
 【回答】
 ウダイ&クサイは,戦域司令官だったので「民間人」とはいえません.

 また,もし民間人が軍人に発砲したら,ゲリラとしてその場で処分されても合法.

 【質問】
 フセインが逮捕されましたが,今後どうなりますか?

 【回答】
 フセイン支持派によるテロについては,これで組織的なテロは少しは減るのではないか?
 まず,テロの情報網がうまく機能しなくなると思われる.
 また,テロリストの内の旧フセイン派の士気も,大きく挫かれるだろう.ルーマニアで,チャウシェスクが処刑された途端,セクリタテの抵抗が弱まったという例がある.

 また,これ以降,銃撃やら自爆やらの事件が起きてもそれは,「山賊」,「暴徒」,「テロリスト」のたぐいが起したことということが確定し,鎮圧して当然の対象となる.

 ただし,フセインを救出しようと画策する残存勢力が出てこないとも限らない.

 それにまた,アルカイダによるテロについては,殆ど影響がないだろう.

(軍事板)

「イラクでの反米聖戦とアルカイダの作戦にとって,サダムの拘束はプラスだ」と,国境地帯でアルカイダと連携しているタリバンの一人,ラフマン・ホタキは言う.「多くのイラク人はサダムを憎んでいたので,戦いに参加しなかった.今後はもっと多くのイラク人が反米聖戦に加わるはずだ」

サミ・ユサフザイ(ペシャワル) & マイケル・ハーシュ(ワシントン)
from ニューズウィーク日本版 2003年12月31日/2004年1月7日号 P.36

 【予言】
 先日,田岡俊次元帥がNステで「フセインは見つからない,大量兵器も見つからない,治安も悪化してイラク情勢はますます混迷します」といった途端これか.すげえ!!
 「元帥発言=反作用の法則」は,まさに神がかりだな.

http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1071398409/l50

http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1071406826/l50

(画像掲示板より引用)


 【珍説】
 発見,発見と大騒ぎしているので,ついに大量破壊兵器が発見されたのかと思ったら,フセインが土蜘蛛のように発見されたという.
 まるで麻原彰晃にそっくりだ.

 こんな男を発見して今さらどうなる? ばかとちゃうか.

(小林よしのり「新ゴー宣」199章,from SAPIO)

 【事実】
 旧バース党残党が,サダムを再び頭として担ぎ出すことで,その勢力を再結集させる可能性もあったわけですから,決して「ばか」みたいな行為などではありません.
 例えば,何のためにルーマニアでチャウシェスクに対する裁判が慌しく行われてチャウシェスクが銃殺されたのか,よく考えてみることですな.
 また,サダムによって虐殺された勢力にとってみれば,彼を捕らえて裁判にかけることは悲願であったわけで,それを無意味と断じるのは,イラクに対する知識不足を露呈しているだけです.


 【質問】
 ジュネーブ条約では,戦争終結とともに捕虜は釈放されることになっていると聞きますが,いまだにフセインはまだ戦争捕虜の身分なんでしょうか?
 別の身分において拘束中というわけではないんでしょうか?

 【回答】
 以下の条項が拘束の根拠です.

ジュネーブ第V条約 第二部 敵対行為の終了の際における捕虜の解放及び送還第百十九条〔手続の細部〕
 (5) 訴追することができる違反行為についての刑事訴訟手続がその者について進行中の捕虜は,司法手続及び必要があるときは刑の執行を終るまでの間,抑留して置くことができる.
 訴追することができる違反行為について既に有罪の判決を受けた捕虜についても,同様とする.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE


 【質問】
 バース党の残党はどうしているか?

 【回答】
 イラクでのテロへの関与が囁かれる他,フランスで息を吹き返しているという.

-----------------------ここから引用----------------------------------

 バース党の宣伝機関はパリに活動拠点を求め,そこから英,仏及びスペイン語で定期刊行物を発行,反米宣伝活動をおこなっている.
 第二次大戦時の反ナチ抵抗運動になぞって,バース党活動家は自分達の運動をレジスタンス(la resistance)と呼ぶ.二つは同じと言いたいのである.

●イラク・レジスタンス民族評議会

 民族評議会(National Council for the Iraqi Resistance)は,統一評議会(United Council for the Iraqi Resistance)ともいわれ,2003年6月に発足した.バース党活動家(闘争家と称す),イラク軍及び共和国警護隊の残党,そして“国家治安機関の英雄達”で構成される.

評議会の指導部メンバーは秘密とされる.しかし,アル・デュリ前副大統領(Izzat Ibrahim Al-Duri)がインタビューで自分がリーダーであると述べている.プレスリリースによると,バース党レジスタンスの傘下で行動する組織には,次のものがある※3.
※ イラクバース社会主義アラブ党(秘密組織)
※ (イラク)抵抗・解放運動
※ 統一評議会
※ その他“サッダムのフェダイーン隊”や“モハマドの第二軍”と名乗る武装組織※4
プレスリリースによると,共産主義者,ナセル主義者を含むさまざまな“愛国的諸団体”が後詰めで控えているという.

●情報の発信源

 評議会の資料は,Comites Irak de Baseと称する組織から発行されている.編集責任者のミシェル(Luc Michel)の住所,メールアドレスは次の通り.

128/01 rue de Montingy-B/6000 Charleroi Iraqcommitttees@yahoo.com

 別のニュースレターによると,住所は下記の通り.

39 Maagdenstraat-B/1000 Brussels

 後の発行資料では評議会のメールアドレスが,次のようになってきた.

http://comitesirak.free.fr (frはフランス)

 別の資料では情報発信源は,イラク委員会(ブラッセル)の多国間協力部として,次のところになっている.

Tel: International + 32 2 218 73 09

Fax :International + 32 2 218 73 59

Francophone Coordination(パリ)

Tel/fax : 01 43 83 75 32 International + 33 143 83 75 32

 ミシェル(Luc Michel)はニュース・レターによると,ベルギーの出版者,アラブ援護で知られる人物で,ニュースレターAl-Ba`th Al-Iraqiの編集者である.情報は次のメールアドレスで入手できる.

commiteirak@yahoo.fr.

 Me(マドモアゼル)Dominique Jourdain という人物に率いられた弁護団チームは,次のメールアドレスを使っている.

djavo@club-intenet.fr

 ニュースレターのなかには,「注意,この資料はTitle 17 U.S.C Section107にもとづき,研究及び教育目的で当該情報の入手を事前に求めた者に対し,実費で配布される」と明記したものもある.

 刊行物の大半がヤフー・フランスを経由して出されていることから,制作がその国のなかで行なわれている疑いもある.
 出資者は不明だが,自称フランス・イラク親善協会(Amities Francaise ?Irakiennes)は,サッダム・フセインが石油1510万バレルを割当ててもうけさせたイラク・フランス親善協会(Iraqi-French Friendship)と同じではないかと思われる※5.

●刊行物の内容

A サッダム・フセインの擁護

 フランス・イラク親善協会(前出)は,「サッダム・フセイン大統領に対する不当な取扱い,国際法の違反行為」と題する国際アピールをだしている.それには,署名者は「サッダム・フセイン大統領が戦時捕虜として1949年のジュネーブ協定にもとづく処遇をうける権利」があることを厳粛に表明する,とした署名用紙が付いている※6.

 2004年7月7日,「サッダム・フセイン大統領を政治掩護,運動組織化!」と題するニュースレターが発行された.
 このグループは国際委員会が発足したとし,
 「委員会は,アメリカ・シオニストの支配するメディアによる嘘と憎悪のキャンペーンに痛打を浴びせ,サッダム・フセインとバース党の正しい姿を伝え,再認識させる」
と主張する※7.

B フランス語圏の活動

 2003年発行のニュースレター(月日明記なし)は,イラクの国家紋章がついていないが(それ以降の発行分にはついている),筆致は絶叫調である.曰く,
“世界中我々に無数の味方あり,特にフランス語圏は頼もしい.ヤンキー共の占領に結着つけるだけではない.
 全員がバース党の抵抗に勝利をと,日夜願っている」とし,「バース党の勝利はサッダム・フセインの勝利なり.今やイラクの抵抗,解放運動として組織された」
(文章はフランス語からの下手くそな英語である※8).

 このニュースレターは,「イラクを踏みにじるアメリカ・シオニスト帝国主義をたたきのめす」だけではなく「ほかの第一線特に被占領パレスチナとヨーロッパでの抵抗に結集せよ.いずこでもヤンキー共の支配は風前の灯だ」と叫び,チェゲバラ調に「帝国主義には頭部がある.それはアメリカだ.その頭部は切断しなければならぬ」と書いている.

 フランス語圏はベルギー,フランス,ケベック,フランス語圏のスイスとされ,「この地域は,フランス語圏協力体制によって勢力圏となるであろう」としている.

C 占領1周年

 占領1周年に際して,統一評議会名で政治コミュニケがだされた※9.

 このコミュニケによると,
「10ヶ月前イラクレジスタンス民族評議会が結成された.バース党闘争家,軍部隊の軍人,治安機関の英雄達がこぞって参加している」
とあり,更に
「諸部族の高貴なる族長達,宗教界のムジャヒディン,外国人イスラム教徒(非イラク人の意)等々」が,「作戦実施,抵抗計画の策定,推進を目的とする組織化のため,この勇敢なるレジスタンスにきそって参加」
とある.

 コミュニケが提示する行動計画には,次のものが含まれる.

 1.占領の全面的拒否.「侵略者に奉仕し人民を裏切る背信的委員会,機関,制度等々,占領の手先と道具がつくりだすものを,すべて拒否」する.

2.三軍すべての抵抗続行.デモ,抗議,ボイコット等々あらゆる手段を投入した大衆総動員によるレジスタンス.

3.政府機関,軍を2003年4月9日以前の原状に戻す.

4.改革の青写真.コミュニケは,政治的自由を保障し,人権問題高等委員会の設置,総ての緊急法の廃止を公約している*10.

D 権限の委譲

 暫定憲法のもとで暫定政府に権限が移されることを予期して,フランスとベルギーのバース党残党は,「イラクレジスタンスは,大統領,暫定政府,国連管理下の組織を含め6月末の権限委譲後もイラクに残る団体,外国軍を攻撃対象にする」と宣言した*11.

E アル・デュリ前副大統領インタビュー

 情報通信,第47号(2004年10月17日付)は,ヨルダンの週刊誌アル・マジド(Al-Majd 2004年10月17日付)によるインタビュー記事を転載している.
 例の旧体制側55名の指名手配トランプでは,ダイヤのキングになった人物である.
 インタビュー記事は本人を「最近レバノンで開かれた秘密議会後(バース党)の党首に選出された人」と紹介している.
 フランス語版によると,レバノン又はシリアにおける秘密議会」となっているが,英語版ではシリアの名が削除されている.

 アル・デュリによると,バース党は「極めて健全な状態にあって,アラブ共同体の至高且つ崇高なる戦いを先導」している.
 対米交渉の可能性をたずねられると,アル・デュリは「アメリカの占領下では交渉はあり得ない.武器と抵抗による交渉しかない」と答えた.

 サッダム・フセインの逮捕はバース党にどう影響するかと質問されると,
「同志指導者を初め指導部の同志達におきたことは,我々にとって別に驚くことではなかった.あらゆる可能性に備えていたからだ.投獄か殉教か.覚悟の上」と答え,「はっきり言っておきたいが,我々は誰ひとりとして戦闘の性格,結果,課題について誤判断しなかった.
 占領から1年半経過した現在,世界中が長期戦の帰趨がどうなるか,知っている.
 判断を間違ったのは悪の米帝とその仲間ということも世界中が知っている」
と言った.

 レジスタンスの構成については,アル・デュリはバース党闘争家,イラク軍兵士,共和国警護隊,治安機関,サッダムのフェダイーン隊,アル・クッズ軍で構成されていると答えた※12.

 最後の質問では,アル・デュリはイラク南部のシーア派について良いことは余り言わなかった.
 シーア派組織は「領土よりも偏狭な党派主義を前面に押しだしている」と批判し,「その組織は我が人民に対する敵の犯罪行為をカバーアップしている」と言った.
 アル・デュリの反応は,シーア派に対するバース党の伝統的態度を反映している.

F アブ・ムタシム将軍インタビュー

 ニュースレター第47号(2004年11月1日付)は,アブ・ムタシム将軍(General Abu-Mu`tassim)とのインタビューをのせた.やはりヨルダン誌Al-Majd(2004年10月11日付第456号)のインタビュー記事の転載である.
 「英雄的イラク・レジスタンスの心臓部にはいりこむことができた」というふれこみで掲載されている.

 アブ・ムタシム将軍(変名)は,「レジスタンスのリーダー」にして,解体された共和国警護隊の「野戦司令官」と紹介されている.
 イラクにおけるレジスタンスについて話をしており,イラク流にいうとそのレジスタンスは「燎原の野火の如く全土にひろがり,多数の都市を制圧するに至った.そのなかにはファルージャ,サマラー,ラマディのようにニュースになっている都市のほか,バクダッド郊外も含まれる.
 アメリカはもう損害を隠しきれない.イラク人民はその損害規模を知っている.戦果拡大もできるのだ」と主張した.

 このインタビューでアブ・ムタシムは武装組織の構造と指揮系統を明らかにすることを拒んだ.
 しかし,「統合司令部があって,イラク全土のレジスタンスを統一指揮している」と述べた.
 指導部は「イラク軍の精鋭将校,共和国警護隊,サッダムのフェダーイン隊,情報・治安機関の有能人士から成る」とし,武装組織の司令部は「バース党政治部代表も含まれる.代表は軍政双方の指導部の統合調整役」という.

 最後にアラウィ政権が,サドル派のマフディ軍を無力化した点について質問され,「サドルとサドルの代理役は,政治意識のない間抜け集団である」と答えた.

※ 3 イラク委員会のプレスリリース(2004年11月15日付).
 本リポートに指摘したイラク委員会の刊行物は,すべてインターネットに掲載されている.

※ 4 イラクのナキブ内務相( Fallah Al-Naqib )は,ファルージャで,モハマド軍( Jaish Muhammad )のアフマド司令官( Mu`aiyyid Yassin Ahmad 通称アブ・アフマド)を逮捕したと発表した.
 アブ・アフマドは前バース党指導者アル・アフマド( Muhammad Yunis Al-Ahmad )と対多国籍軍作戦を協議する目的で,ダマスカスへ行ったといわれる.
 モハマド軍は,バース党の武装組織としてサッダム・フセインが没落前につくった部隊(2004年11月17日付 Al-Sharq Al-Awsat ,ロンドン).

 ※ 5 ニムロッド・ラファエリ著「サッダムの石油便宜割当―ヨーロッパ編」参照,2004  年10月1日イギリスで開催された「人道支援不正行為」会議向け論文.

 ※ 6 イラク委員会のプレスリリース(2004年1月6日付).

 ※ 7 サッダム・フセイン大統領掩護国際委員会のプレスリリース(2004年7月7日 付).

 ※ 8 英語版はアラビア語及びフランス語からの翻訳.オリジナルのテキストは極めて 御粗末な場合が多いが,なるべく原文に忠実な形で引用した. 

 ※ 9 日付は2004年4月5日でUNCIR(イラクレジスタンス民族統一評議会)のサイン入り.

 ※ 10 2004年4月5日付UNCIRの政治コミュニケ.

 ※ 11 2004年5月30日付アラブバース社会主義党(イラク)の声明.

 ※ 12 アル・クッズ軍は,“エルサレム解放”のためサッダム・フセインがつくった民兵組織.創設当時イラクの政府筋は民兵々力数百万と称していた.

-----------------------引用ここまで----------------------------------

(ニムロッド・ラファエリ博士〔MEMRI中東経済研究プログラム主任分析員〕,
from MEMRI, 2004/11/23)


 【質問】
 バース党残党のフランス政府への影響力はどんなものか?

 【回答】
 ラファエリ博士によれば,影響力を増しているという.
 以下引用.

 フランスは,イラクの将来を話合う機会が生じたら,“レジスタンス”代表も参加すべきである,と主張する.
 それはフランスのミシェル・バルニエル外相が,フランスのテレビ局France Interのインタビューで述べたもので,外相は政治プロセスの開始を求め,それには「武力によるレジスタンスの道を選んだいくつかの集団及び人士」も参加すべきである,と発言した※2.
 ※ 2 2004年9月27日,駐米フランス大使館.
 陳情書にも触れる必要がある.ブッシュ大統領,アナン国連事務総長,ブレイアー英首相その他に宛てられたもので,イラクの市民運動,イラク及びアラブの知識人達が署名している.
 その陳情書は,イラクの民主化を妨害する複数の政府を非難,フランス政府が先頭にたって妨害しているとしている.詳細は,www.petiononline.com/ocsi/petition/html.

(ニムロッド・ラファエリ博士〔MEMRI中東経済研究プログラム主任分析員〕,
from MEMRI, 2004/11/23)


 【質問】
 サダム・フセイン処刑で何が変化したのでしょうか?
 刑務所で留置されているのと,処刑されるのとの違いを教えてください.

 【回答】
 シーア派+クルド人が今のイラクの実権を握ってる以上,処刑されないっていうifは殆ど存在しないんで…
 恨み骨髄だし.
 時期的なところからいえば,アンファル事件の審理が終わってないのにってことで,クルド人は不満を持っているらしいが.

 バース党の残党はがっかりしてるかもしれん.
 担ぐものがなくなっちゃったから.
 テロ活動の主な部分を担ってるイスラム過激派は,特に影響なし.
 サダムさんは殉教者にするにゃ生臭すぎる.

イスラエル交通相 ◆3RWR.afkME in 世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 処刑されたサダム・フセインは替え玉で,本物は生きてるってホント?

新陰謀説:処刑されたのはフセイン元大統領の替え玉

 ここ数週間エジプトで新しい陰謀説が広がっている.
 処刑されたのはサッダム(Saddam)(フセイン元イラク大統領のファーストネーム)ではなく,替え玉だったという説だ.
 さらに,この陰謀説によると,サッダムの二人の息子ウダイ(’Uday)とクサイ(Qusay)も,イラク戦争中に殺害されたのは本人ではなく替え玉だったという.

 2007年1月初め,エジプト人の研究者兼文筆家兼ジャーナリストのアニス・アル・ダギディ(Anis Al-Daghidi)の著作『サッダムは処刑されず,ウダイとクサイも殺害されなかったーー米国の嘘と替え玉ゲーム』(363ページ)が出版された.
 アル・ダギディはその中で,サッダム・フセイン(Saddam Hussein)が逮捕されたことはなかったし,処刑されたのは彼の替え玉だったと主張している.※1

 エジプト政府系日刊紙アル・グムフリーヤ(Al-Gumuhouriyya)のコラムニスト,マフムード・ナーフィウ(Mahmoud Nafi’)はアル・ダギディの主張を否定しながら,この本の内容の詳細をこう紹介する.
「処刑されたのがサッダムではなく替え玉だったことを証明するために,アル・ダギディが第一に焦点を当てたのがサッダムの額あるいは側頭の黒子だった.
 『本物の』サッダム・フセインにはそうした黒子はなく,従って裁判に掛けられたサッダムは替え玉のミハイル・ラマダン(Mikhail Ramadhan)だった.
 替え玉の本名はマクルーフ・ラマダン(Makhluf Ramadhan)と言う・・・

「さらにサッダムの髪は濃かった.しかし,われわれが法廷で見た替え玉の髪は薄かった・・・

「イラク系イラン人医師ムハンマド・アサシディ(Muhammad Asasidi)はサッダムについて科学的調査を行い・・・逮捕され,裁判にかけられた『サッダム』の耳と,(本物の)サッダムの副大統領時代――つまり,まだ替え玉がいなかった時代――の(耳)を,コンピューターを使って比較した・・・その結果,二つの耳の間には明白な違いが発見された・・・

「イラク人の方言の区別ができるイラク人によると,本物のサッダムは写真がなくても識別できる.なぜなら,サッダムはイラク中部出身者の方言を話すからだ.
 一方,替え玉は南部出身者の方言を話した.

「さらなる証明は,サッダムと替え玉の筆跡の違いだ.それは二人の『ター』と『ヤウ』の文字と・・・発音区別符の書き方でわかる・・・」※2

エジプトの政府日刊紙アル・アハラム(Al-Ahram)は,こう書いた.アル・ダギディは著書で,サッダム・フセインの二人の息子の死を謎と指摘した.
 なぜなら,二人の死に対するサッダムの反応,二人がどのようにして死んだのか,
 また,なぜ二人の遺体が母親に引き渡されなかったのか,情報が全くないからだ.
 この本はまた(サッダムの長男)ウダイ・フセインの替え玉はラティフ・ヤヒヤ(Latif Yahya)という男だったと主張している.※3

 類似の主張を行っている人物に,カイロ大学の統計・数学の講師アディル・アブドルカーディル(’Adil‘ Abd Al-Qadir)がいる.
 彼は数学理論に基づき「アラブ・ムジャヒディーン(ジハード戦士)は刑務所からサッダムを解放することに成功した.
 彼は処刑されなかった.処刑されたのはサッダムではなく,『黒子』のある替え玉だったようだ・・・」と言う.※4

注:

(1)アル・ライ(Al-Rai’)紙(クウェート)2007年1月17日付

(2)アル・グムフリーヤ紙(エジプト)2007年1月25日付

(3)アル・アハラム紙(エジプト)2007年1月18日付

(4)アル・ライ(Al-Rai’)紙 (クウェート)2007年1月14日付

――MEMRI,Feb/4/2007

 【回答】
 南極に逃れた共和国防衛隊の残党がですね(略
 バース党はひそかにUFOを(略

Shaul in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 なにその戦車砲塔付きUFO

EF63-24 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 サハラ砂漠の奥深く,そして,中央アフリカのジャングルの中に,フセインの息子達が密かに生活し,雌伏の時を過ごしているんですね!!!!11

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 映画化決定!

新所沢の三等兵◆Uk in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 えぇと…,「どこから来た少年」にしますか?

○じゅん○ in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 製作 アルジャジーラ

肥後守 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 禁じられたアークを掘り出すんですね!11!

zen in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

・大陸に渡って大帝国を築くよ派(判官贔屓派)
・そのうち姿を変えて某国首相のブレーンになるよ派(天海=光秀派)
・薩摩に落ち延びたよ派(大坂方派)
・生き延びたのはやっぱり影武者だけど,フセインを演じているよ派(隆慶一郎派)

蒼野青 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

>そのうち姿を変えて某国首相のブレーンになるよ派(天海=光秀派)
 金多遂(新羅)=天武天皇派

水上攝提 by mail ▲

 まあ,上でフセイン生存説を主張してるのはいずれもエジプト人ですが,その他のアラブ国家まで含めて大衆には

栄光あるイラクが(異教徒の国)アメリカによって完膚無きまでに叩き潰され,その首領は(異端に)とっつかまって吊された

ことに対する不満がうずまいています.
 単に民族の誇りや宗教心からくる怒りというよりも,むしろその国で生きていく上での不満(貧困や政治的自由の欠如)がそういった形で現れてくるのですが.怒りの対象となるのはアメリカはもちろん,何もしなかった自国政府に向けられることもしばしばで,下手をすればそのパワーは暴動,反乱,革命へと繋がります.

 もちろん各国政府もそんなことは先刻承知なわけで,そこでメディアを使ったガス抜きが行われます.
 エジプトには報道の自由なんてものはありません.
 逆に言えば,新聞に載っている記事は全て政府の意向が何かしら含まれてるわけです.終わり.

Shaul in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 一般的なイスラム教徒は,我々日本人より世間の情報へのアクセスが限られています.
 そして中東のメディアには,真偽も定かでない,アメリカとイスラエルについての偏向情報が満ち溢れている一方,フセインの所業については情報が少ないです.

 このような状況では,Shaul氏言うところの
「よくわかんないけど兎に角アメリカが悪いんだろ!?」
という短絡的な怒りに民衆が飛びつくのも無理はないでしょう.

Tono in 「軍事板常見問題 mixi支隊」



 【質問】
 そもそも,フセイン大統領はイランやクウェート侵攻したり,クルド人を弾圧したり,石油利権を家族で奪い合ったりしとるわけでして.
 一般的なイスラム教徒から見ても,フセインが人気者とは思えないのですが・・?

 まあ,日本にも社民党信者とかいるぐらいなので,イスラム圏にも変な連中は居るでしょうけど,社会的には少数派であるように思います.

はぐれメタル=牛乳係 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 【回答】
 たしかにクルド人,イラン人,クウェート人(とイラク人の多く)はフセインの処刑を間違いなく歓迎していますが,そもそも前の2つはアラブ人じゃありません.クウェート人は数が少ないですし.

 過去は栄光を極めていたのに今は…という現代アラブ人の鬱屈ぶりは相当なもので,それがイスラム原理主義(=反欧米的価値観)に走る原因のひとつにもなっています.
 同時に,(たとえばエジプトのような)腐敗した現体制を自分に都合がいいからといって強力に支持するような国は,民衆からするとやっぱり敵なんですよ.
 詳しくは池内恵氏の一連の著書などが参考になるでしょう.

 フセインは湾岸戦争においてアラブの団結を主張,それがかなわないと見るやいきなり敬虔なムスリムを自称し,十字軍への抵抗を呼びかけました(実際それに呼応してPAなどで支持デモが行われました).
 彼の無定見ぶりはみんな分かっちゃいるんです.
 しかし,そんなフセインを旗印に掲げざるをえないところに,アラブ人の悲劇があるのです.

Shaul in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


◆◆捕虜虐待事件


 【質問】
 最近問題になっている米軍によるイラク捕虜虐待に関してなのですが,気になる事が2つあります.よろしくお願いします.

1 なぜ米軍はわざわざ虐待の証拠になる写真を撮って残しておいたのか?
  しかも米兵の顔がモロ出し.こういうヤバイ写真を撮るのに米兵が写らないようにしたり,マスクを被っていないのはなぜか?

2 そもそもこのような重大な写真が外部に流出したのはなぜか?
  内部から流出したのか.だとしたら誰が何の目的で?
  それとも証拠写真をそこら辺にいい加減に適当に置いていたら,スクープ狙いの記者に盗られたのか?

 【回答】
 1,記念撮影(いや,まじで)
 2,ソンミをすっぱ抜いた記者によるもの(つまり,記者の実力)

 ヤヴァイという認識が米兵にないところに問題の深刻さがある.



 【質問】
 なぜ彼らは虐待など行ったのか?
 【回答】
 先日BSの海外ニュースでこの事件に関連して,70年代にあるアメリカの大学で行われた心理学実験を紹介していた.
 学生を「看守」と「囚人」に分け,看守は檻に閉じ込めた囚人に対して絶対的な権力を行使できるというものだ.
 するとわずか数日の内に看守のモラルが低下し,囚人に対する虐待が横行するようになった.
 実験が終了する直前には,囚人に対する性的虐待が行われる寸前までいっていたということだ.

 また,アイヒマン実験というものもある.

 ナチスドイツのホロコーストの責任者であるアドルフ・アイヒマンが捕まり,裁判になった.
 アイヒマンはそこで,
「私は命じられた事をしただけだ」
と主張した.
 それはそう不思議ではないが,その時の彼はどこにでもいる気弱そうな男で,とてもこのような残虐な事をする人間ではないかのようにも見えた.

 それに不思議に思ったのか,彼が死刑となった翌年にアメリカのエール大学のスタンレー・ミルグラム教授が「アイヒマン実験」という心理学的実験を行った.
 アメリカの一般市民を対象とし,権威有るものの命令によって彼/彼女らが,どこまで残酷になれるかを調べるものだ.

 服従の心理―アイヒマン実験 河出書房新社  S・ミルグラム (著), 岸田 秀
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309706142/250-7663716-8117028

 現在この本は在庫切れだが,下のリンクを見ればおおよその事がわかる.
http://www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p96_2.html
http://www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/new_page_41.htm
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4263/220.html

 権威ある上位者が命じ,その行為を承認した場合,この実験ではしばしば善良な一般市民が平然と残酷な行為を行っている.

 このように,人間は絶対的な権力を行使できる立場に立ち,それを制止する者がいないとき簡単に残酷になれるものなのかもしれない.



 なお,この文に「米軍の虐待行為を援護する」という意図はさらさら無い.むしろ逆.

 この『正常な人間でも状況次第では信じがたく残酷になる事が多い』という米国の大学での実験は有名なものである.
 ならば,自国の軍の捕虜収容所などで同様の事が起こる可能性を事前に考慮するべきだった.
 米の政府機関で,事前に十分な「収容所等においての残虐行為の防止対策」を作り厳守させるべきだ(監査機関を設けて監視するなど)

 あと「実行犯の刑が軽い」と言われるが,それよりも上部の実際の責任者である司令官等に厳罰を与えるべきだ.兵士の戦争犯罪の責任は,兵を使う責任を持つ司令官に有るのが普通だからだ.
 司令官が何もせず下が勝手にやった,というのならば監督責任が有るかどうかとなるが,このケースでは実行犯は上官に命令されたのだから.

(軍事板&キルロイ ◆dtIofpVHHg



 【質問】
 英軍にも虐待があったとする報道があったが,そちらはどうなったのか?
 【回答】
 以下の記事によれば,こちらは捏造の可能性が高い.

英軍の虐待写真に数々の疑問=ねつ造の可能性も−BBC

 【ロンドン2日時事】英BBC放送は2日,イラク駐留英軍がイラク人を虐待している証拠として大衆紙が掲載した写真には疑問が多いと報じ,この写真がねつ造である可能性を示唆した.
同放送の防衛担当記者は写真の疑問点として,
(1)写真の兵士が携行しているライフルはSA80mk1に見えるが,その型のライフルはイラク駐留軍に配備されていない
(2)イラク駐留兵がかぶっているのはベレー帽かヘルメットであり,写真の兵士のようなよれよれの帽子ではない
(3)写真に写っている軍用トラックは,イラクに配備されている型と異なる
−などの点を挙げた.
 1日付紙面で特ダネ写真を掲載した大衆紙デーリー・ミラーは,イラク戦争に一貫して反対してきた.同紙は,写真の信ぴょう性に疑問はないと強調している. (時事通信)
[5月2日23時5分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040502-00000489-jij-int

これが問題の虐待映像とされるもの
http://www.albasrah.net/images/iraqi-pow/iraqi-pow

で,これは某ポルノサイトの画像(18禁)
http://www.paintheory.com/sexinwar/01/gallery01/
 「仁義なき英国タブロイド伝説」という本の最終章ですでにネタにされています.デイリーミラーのライバル大衆誌(英で最も売れている新聞だが)The Sunが直後から反論を載せ,
「(誤報をして)ごめんなさいと言え!(第一面で笑)」
とまで書く.
 その後,ディリーミラーは一面で
「我々は騙されていました,ごめんなさい」
と降伏しました.
 大英帝国万歳のSunに対し,反イラク戦争のディリー・ミラーが,ネタ欲しさに目が眩んだのでしょう.デイリー・ミラーは某暗いサイトでよくネタにしてますな.

 Sunの記事によれば,あの自動小銃は日本製のトイガンだそうです.
 私の考えでは,今は廃番モデルになった昔のエアソフトガン(ガスガン)でしょう.電動ガン以前のガスガン時代は,サバイバルゲーム用にとブルパップのコレがモデルにされたのでしょう.
(P90は最近になって電動ガンになったが,そのずっと昔にガスガンで出ていたものの,廃番に)

 英のタブロイドは一般に「大衆紙」と訳されています.
 信用できないかというとそんな事もない(誤報ややらせも有るが.細かい記事だと思いっきりネタをやったりとかは有るが)
 イギリスでは,クオリティ・ペーパーよりもタブロイド誌の方がはるかに多く売れています.
 英国のニュース・ソースが新聞の場合,フィナンシャル・タイムズとタブロイドばかり目だって,タイムズ紙の存在感がまるで希薄なのは当然なのでした.

 以下はジョンブル魂(パンジャドラムを3輪化,ワイヤーリモコン化まで開発したとか含む)の理解の助けになるすばらしい本です.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100975/250-4919655-8719457
 また,別の本によれば,英国人は会話で(2chで言う)「釣り」をするので,相手が妙な事を言ったと思っても,流して答える方が安全だそうす.

 該当記事のサーチはできませんでしたが,これがSun誌のウェブサイトです.
http://www.thesun.co.uk/
 蛇足ですが"Page 3"とは,Sun自慢の3ページ目に乗っているトップレス・ヌードです.

(キルロイ◆dtIofpVHHg in FAQ BBS)


 【質問】
 イラクのアブグレイブ刑務所捕虜虐待事件が,思わぬ方面に余波を引き起こしたって本当?

 【回答】
 本当.
 なんと,古典的フェミニズム論
(「どこまでも男性が加害者,女性が被害者であって,あらゆる不平等の根源は,女性に対する男性の性的暴力だった」
「女性のほうが道徳的であるという考え方」
 共に下記著作P.185より引用))
に止めを刺してしまった,という話がある.
 というのも,この事件に関係する最終責任者が,ほぼ全て女性であったため,「兵士の戦争犯罪の責任は,兵を使う責任を持つ司令官に有る」事を考慮すると,軍隊は最終的に女性が戦争の被害者,男性が加害者という枠組みが崩れてしまうためです.

 自身をフェミニストと公言するバーバラ・エーレンライク著「スーパーリッチとスーパープアの国アメリカ」には,こんな記述がある.
「アブグレイブの一件では,軍隊のヒエラルギーにもっと多くの女性がいれば虐待は防げたはずで,その点こそが問題だった,などと主張することすらできない.
 アブグレイブ刑務所の責任者は女性で,ジャニス・カービンスキー准将といった.
 また,イラク駐留米軍の諜報部門の責任者を務めるとともに,捕虜の身分を調べ,釈放するかどうかを決める立場にあったのは,やはり女性のバーバラ・ファスト少将である.
 そして,イラク駐留米軍のマネジメントに最終的な責任を負っていたのは,コンドリーサ・ライス国務長官だ」
 で,結論.
「われわれがアブグレイブの一件から学んだのは,子宮は分別のある判断をする機能を持たないことである」(上掲図書P.186)
そうでして・・・,
 「そんなの当たり前」とか言っちゃだめです.

カードのまにあ in FAQ BBS,2011/8/8(月) 23:18
青文字:加筆改修部分


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