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◆◆総記
<◆イラク 目次
中近東FAQ目次


 【link】


 【質問】
 イラクの原油埋蔵量は?

 【回答】
 イラクのシャハリスタニ石油相が2010.10.4会見し,新たな調査を行った結果,イラクの原油埋蔵量が1150億バレルから1431億バレルへと,24%増加したと発表しました.
 英の石油大手BPの統計資料によると,イラクの確認埋蔵量は昨年末時点で世界第4位で,今回,イランを抜いて第3位に浮上しました.

 ちなみにこの埋蔵量には,北部のクルド自治地区にある油田は含まれてません.
 南部の西クルナ油田は433億バレルあることが確認され,世界第二位の巨大油田となりました.

⇒ 原油確認埋蔵量の上位国は次のとおりです.
(2009年末BP調査による)
1位 サウジアラビア 2646億バレル
2位 ベネズエラ 1723億バレル
3位 イラク 1431億バレル(イラクの発表)
4位 イラン 1376億バレル
5位 クウェート 1015億ドル

 埋蔵量が多いことは結構ですが,どうやってそれを掘り出すのでしょう?
 どれだけコストがかかるのでしょう?
 結果,どれだけ手間がかかるのでしょう?
 そのコスト,手間を誰が負担するのでしょう?

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)10月11日(月)


 【質問】
 イラクの石油生産の,2009年現在の状況は?

 【回答】
 2009/6/22付,MEMRIによれば,イラク戦争により2002から03年の間,約260万バレル/日から約150万バレル/日へと急減し,その後,平均230万バレル/日と持ち直したが,なお2001年と02年の生産レベル,約270万バレル/日を下回るという.
 施設は老朽化し,新たな油井が掘削されておらず,2010年までに生産が増えるどころか減少することも懸念されているという.
 また,サダム政権による詳細不明の密輸と,イラク戦争後の窃盗,破壊活動のため,イラク石油生産のレベルは不安定であり,2007年,「石油警察」として知られる特別警察を新設して監視に当たっている,と述べられている.

 詳しくは同ページを参照されたし.


◆◆フセイン政権時代


 【珍説】
 追伸:伊吹文科大臣,“「同質的な国」発言の前段では,イラクを例に出し「宗教的対立が激しいと,同じイスラムの中でも宗派が違うだけであれだけ厳しく対立する」とし・・・”なんぞとも発言したらしいが,(関連情報),少なくとも一般市民レベルでは,イラクのスン二派もシーア派も仲良くやってたんだぜ(呆).
 米国がイラク分裂を招くようなことを繰り返してきて,日本もその片棒かついで,今のイラクの状況があるんだ,たわけ.

シバレイのブログ,2007-03-01-19:29

 【事実】
 酒井啓子も言っているけど,イラクで宗派対立が起こるようになったのは,スンニー派優遇政策をとったサッダーム・フセイン政権に原因があるんだよね.
 逆にスンニー派や非アラブ系少数民族(トルクメン人やクルド人など)は,サダム・フセインから虐待された.
 クルド人に対してフセイン政権が毒ガス攻撃を行った話は有名だが,他にも例えば,別項にもあるように,イラン・イラク戦争の際にはシーア派住民はある日突然,着の身着のままで国境まで連行され,そこで放り出されたりしている.

 それと,一所懸命シーア派のモスクを爆破して回ったのはアル・カーイダ系過激派.
 連中は同じことをパキスタンでもやってるし.
 これは宗教対立を煽って,治安を悪化させるのが目的だ.

イラク板
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 フセイン大統領は,ヒトラーやスターリンのような独裁者と言われるが,イラクの伝統社会は少数民族クルド人やキリスト教徒も抱えている一方で,血縁や地縁でつながる部族,氏族の社会集団が林立して,なかなか国家としてまとまりにくいため,これを纏める,フセインが独裁的権力を振るうのはやむを得ない面がある.

 【事実】
 フセイン政権下では,国が纏まるどころか,石油利権の分配が難しくなると共に,同盟部族の反乱や親族の権力争いが起きるようになっていったのが実情.
 例えば酒井啓子『イラクとアメリカ』(岩波新書, 2002.8)によれば,以下のような反乱・内部抗争が起こっている.

 95年5月には,「共和国防衛隊の高級将校を多く輩出し,親政府部族として協力関係にあったドゥレイミ部族(スンナ派,イラク西部出身)が反乱を起こした.親族の一人がクーデター未遂事件に連座したとして処刑されたことに反発しての反乱である.
 反乱自体は数日で鎮圧され,地域的広がりも見られなかったが,同じようにこれまで軍を任せていたジュブーリシャンマルなどの同盟部族もまた,相前後して反旗を翻した.彼らは同じスンナ派の部族で,イラン・イラク戦争で兵員不足が深刻化した折,政府が急遽これらの部族に協力を仰いで,兵士を掻き集めたのである.その彼らが反乱したことは,政権を支える部族間協力体制の一角が崩れたことを意味し,政権の安定性に大きな影響を与えた.
 だが,この忠誠ネットワークの崩壊は,部族同士の同盟関係に留まらない.翌月には大統領長子ウダイが,大統領異父兄弟で内相のワトバーン・イブラヒームに発砲,これを負傷させるという,一族内のスキャンダルが発生した.ウダイの行状は,これまでもさまざまなところで取り沙汰されている.
 折しもアリー・ハサン国防相は,ドゥレイミ反乱の責任を取って辞任させられていた.
 その裏では,政治的や心を高めるウダイが,伯父筋に当たるワトバーンやアリー・ハサンを追い落とし,政府要職を狙っていたのではないか,と囁かれていた.
 そのことを最も恐れたのは,ウダイと並んでフセイン大統領後継者候補に名を連ねていた,大統領娘婿のフセイン・カーミル石油相(当時)である.次にウダイの標的になるのは自分か,との危機感から,95年8月,彼は突然,隣国ヨルダンに亡命する.
 〔略〕
 親族内の不協和音は,その後96年末に大統領長男のウダイが暗殺未遂事件に遭い,下半身に障害を残して事実上,後継争いから脱落した,という事態にまで発展したが,そのピークを越えると,フセイン政権は安定を取り戻した.フセイン親族内では次男のクサイしか実質的な後継者はいないということで,混乱は落ち着いたのである」

 フセイン政権下でもシーア派の宗教対立があったとされる情報もある.

「イラクのシーア派は,外見は一枚岩のようでも,内部では金と権力,名声をめぐって憎悪と敵対心が渦巻いている.暫定政権の樹立プロセスに直接選挙を含めるべきだと唱えてアメリカを困らせているアリ・シスタニ師(73)でさえ,絶対的な権力はもっていない.
 ナジャフでは,彼を含む4人の大アヤトラ(最高位のイスラム聖職者)が権力を分け合っている.シスタニ以外の3人は,宗教の政治的役割を限定的なものにとどめようと考えているようだ.
 有力なシーア派指導者の一部は,こうした考えに強く反対している.とくに強硬なのが,若い聖職者ムクタダ・アル・サドルだ.彼は民兵組織「マハディ軍」を擁し,反米感情をあおる説教をナジャフ近郊で行っている.
 サドル派とシスタニ派は,何年も前から反目し合ってきた.
 ハキム家とサドル家はともにイラクのシーア派の名門だが,フセイン政権時代,ハキム兄弟はイランに逃れた.サドル家はイラクに残り,サドルの父ムハンマド・サーディク・アル・サドルは,ナジャフの宗教学校の運営に携わった.
 そのため,サドル家はハキム家を「イランの犬」と非難.逆に,ハキム家はサドル家を「バース党の犬」と呼んでいる.
 99年,フセインを批判したサドルの父は,銃撃を受けて死亡.フセイン政権の崩壊後,息子が勢力を盛り返した」

(ニューズウィーク日本版 2003年12月17日号 P.38 抜粋要約)

 ちなみに,以下の論法と,上の珍説がそっくりなのが,興味深いところである.

「北朝鮮系新聞平壌支局長が初激白!」

ナレーション(以下ナ):北朝鮮系の在日コリアンの団体,朝鮮総連.その機関紙を発行しているのが,ここ朝鮮新報社だ.今回日本のテレビ局として初めて社内にテレビが入った.
(朝鮮新報社の編集部に入る山本,対応する朝鮮新報社崔寛益編集局長)
山本「意外と数が少ないですね.記者さん」
崔 「記者は35〜36人しかいませんので,まぁ,精鋭部隊でやっています」
山本「じゃあ,往年は,盛んな時は,じゃ,きっと」
崔 「いや,もう,全部で250〜260人いた時がありましたけど,記者だけでも百何十人いた時代もありました」

ナ:文聖姫(ムン・ソンヒ)記者.平壌での取材の経験もある記者歴20年のベテラン.
 2002年9月そんな彼女を揺るがす衝撃的な事件が起こった.
  (金正日総書記 拉致を認める)のインサート

文 「やはり頭が真っ白になりましたね.他は何も考えられなかったですね」
山本「拉致問題はありえなかったことだと,固く信じていらっしゃいました」
文 「ええ,信じてました.でぇー,それで,まぁ,そういう署名記事も何度か書かせていただきましたし」

ナ:彼女は朝鮮新報60年の歴史の中でも,極めて異例と言われる自己批判記事を書いた
 「朝鮮新報」2002年9月25日 の記事のフレームアップ
 (記事のアップの内容) 祖国の発表を信頼して報道してきたとはいえ,「拉致はねつ造」と書いてきた記者としての責任を痛感している.

文 「怒りのFAX,メール,電話を連日のように頂きました.もう同胞達もどこに怒りを向けていいのかっていうのがあったと思うのですね.変な話,日本の方に向けるわけにもいかない」
ナ:しかし,朝鮮新報の紙面は日本に対し厳しい.
 平壌から記事を送り続けてきた金志永(キム・ジヨン)平壌支局長は先月日本に帰国.初めて日本のメディアの取材に応じた.
山本「この拉致問題というのは,解決する為には何が必要だと思われますか?」
金 「これは平壌側から言う問題ではないと思うんですよね.感情のもつれというのは,やはりね,人間同士で会ってしないと一方的な宣言だけでは駄目なわけなんですよ」

ナ:金支局長は朝鮮大学校を卒業後,朝鮮新報社に入社.13年間平壌特派員を経験.現地の実情に精通する記者の一人だ.
(テロップ) 金志永(キム・ジヨン)平壌支局長(39)在日3世朝鮮大学校政治経済学部卒

山本「平壌で取材上の制限とか,金記者にもあるのですか?」
金 「当然,どの国の記者でも出来ない取材はありますよね.それと同じのが適応されると考えればいいと思います.」
山本「ほとんどの人達が独裁体制だという風に北朝鮮を見ていますよね.」
金 「その独裁うんぬんというのは外のものさしで計っているものであって,実際にあそこに住んでいる人達は独裁という表現はつかっていませんよ.
 朝鮮人ほど団結が難しい民族はないと僕は思いますよ.まとまらない.
 だからこれをどう束ねるかという発想でずっとやってきたのが共和国です.

 全体的に,そのいわゆる北朝鮮情報は映像先行なんですよ.説明背景が何もないんですよね」
 (北朝鮮とおぼしき映像のインサート←これを見た金氏の説明なのかは不明)
「あれが,本当に国内なのか,場所が.記者や同胞もあれ,全員,何故バッジがないんだなんて話はしますよ」

「ワイド!スクランブル 水曜 山本晋也コーナー」
2005.7.13 12:16ころから12:36ころまで

+

 【質問】
 よくそんだけの犠牲者で押さえ込んでるなとしか思えんが.
 「反乱自体は数日で鎮圧され」たり,親族同士の権力争いくらいのもんでしょ.
 全く平和な国家なら誰も苦労しないわけで.

 正直,イラクの現状みてもフセインに治めさせといたほうが良かったと思うが?
 【回答】
 数日で鎮圧された反乱ってのはドゥレイミ反乱で,
「同じようにこれまで軍を任せていたジュブーリやシャンマルなどの同盟部族もまた,相前後して反旗を翻した」
という後段もあるんだが.

 親族同士の内紛は「忠誠ネットワークの崩壊の崩壊」の1例.
 重要なのはこの「この忠誠ネットワークの崩壊」そのものだと思うが?

 それに宗教対立は無視かい?

 それにまた,「そんだけの犠牲で済んでいる」というが,そんだけの犠牲で済ますために,絶えず秘密警察の留置場を満員にしていたことを忘れてもらっても困るな.犠牲者のトータルで言えば,さほど変わらないだろう.

 だいたい,イランイラク戦争にしろ湾岸戦争にしろ,内政の矛盾を外にそらす形で起きた戦争なんだが.
 その間にも,例えばクウェイトとの間では散々ゴタゴタしていて,紛争防止のため,アラブ合同軍が両国国境に展開していたなんてこともある.
 そこから考えても,フセインが突然リベラルな改革派になるという奇跡でも起こらない限り,イラクとその周辺はゴタゴタし続けただろう.

 また,北朝鮮との契約一つとってみても,NBC兵器開発の意欲自体はあったわけだから,そのゴタゴタの過程でNBC兵器が使われていた可能性は決して低くなかっただろうね.

 アメリカ軍の統治があまりにヘタクソなことと,フセイン自体の評価は,混同して考えないほうがいいぜ. 

(軍事板出張スレッド in コヴァ板)



 【質問】
 宗教対立はわかるが,フセインじゃなければ宗教対立なくなるのか?
 フセイン以外だと,そんなに簡単に収まる国なの?

 【回答】
 少なくとも,フセインに治めさせるより公平だろうね.
 「フセイン以外だと簡単に収まるか」はやってみないとわからないが,現在は宗教に関しては成功しつつあるよ.
 これは間違いなく言える.

 宗教対立はフセイン登場以前はそんなに酷いものではなかったんだ.
 バース党が政権を取る前の歴史を調べてみなよ.

 なぜ殺し合うまでひどくなったかと言えば,フセインの少数優遇政策で,少数スンニを優遇して多数派シーアを冷遇したからさ.
 サマーワに自衛隊が派遣されるべきかどうかの議論の頃にも,シーア派の都市であるサマーワの,インフラ整備冷遇ぶりが紹介されていたはずだがな.
(ゴーマニズムを正すもの ◆u07eUXxQAU他 in 軍事板出張スレッド,コヴァ板)

 【珍説】
 フセインは中東の優等生と言われ,西洋かぶれと言われる程の近代化推進者ではないか!

(小林よしのり from SAPIO 2003/4/23, P.58)

 【事実】
 これまでの小林自身の主張と矛盾も甚だしい.

 フセインのバース党は,小林(シャオリン)主席の嫌いなフランス系社会主義革命思想です.フセインが作った大学二つの内一つがイラクで最も左翼的な所で,バース党のシンパが多かった.
 バース主義というのは,フランス留学から帰ったアラブ人が,あちらの社会主義的革命思想を学び,政治から宗教はむしろ離して,アラブ全体をそのような政治携帯にする,というタテマエです(手元に資料がないから細かい所はカンベン)
 じゃあ何で小林は,タリバーン等の思想とは完全に矛盾するタテマエなのに連帯するのか? 反米反イスラエルという共通項があれば,それが小林にとっては「大義」だという事でしょう.

(キルロイ)

 また,石油利益バラ播き政治がフセイン政権の権力の源泉であったことは,酒井啓子『イラクとアメリカ』(岩波新書)に詳細に述べられている.バラ播き政治が結果として近代化に繋がったというだけの話を指して,
「フセインは偉かった」
と言えるものなのかどうか.

 そしてそれによれば,多数派シーア派に比較して少数派スンニー派を優遇するなど,扱いに大きな差があったわけだが,冷遇された人々のことは黙殺かね?


 【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)

 サダム・フセインのイラクは,ユネスコに表彰されるほどの教育立国だった.

小林よしのり from SAPIO 2003/6/11号,p.59他

 【ツッコミ】
 これ,実はそれほど誉められた話ではありません.

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/20030506.html
より引用.

――――――
 なんでも,聞くところによると,70年代にUNESC0の認定で,当時のイラクは中東でも屈指の教育水準にあったらしいのですが,それはサッダーム・フセインが,学校に子供を行かせない親を投獄したりする厳罰主義を採った結果,識字率が大幅に改善されたからだそうです.
 逆に言えば,サッダーム・フセインの下では自由なカリキュラムを作ることは許されていなかったのです.

 帰り際に,一人の品の良い薄化粧をした女性がツカツカとやってきて,井ノ上書記官に早口のアラビア語で何やら訴えています.
 井ノ上書記官に訊いてみたら,
「治安も,電気も,水もまだ充分じゃないけど,サッダーム・フセインがいなくなって本当に良かった.
 これだけは言いたかった」
と語ったそうです.
 そして帰りがけに私の方をみて,"Sadaam, very bad!"といって立ち去っていきました.

――――――

▼ そもそも,学費や医療が無料だって事は,国民に学校を通わせる金も,医者に診せる金もないって事なんだがな.
 勘違いさせられがちだが,個人の資産がないから,必要最低限のものを国が与えないと破綻するって事だよ.
 これは,他の中東の国も似たようなものだが.

マスコミ板
(「エセ保守監視小屋」に転載)

 プロパガンダに乗せられて無闇にフセインを持ち上げるのは,プロパガンダに乗せられて無闇にフセインを全否定しようとするのと同様,避けたいところです.


 【珍説】
 クルド人はトルコからもイランからも,周辺諸国から弾圧されているが,イラクは自治権を与えていたではないか!(図にイラク内のクルド自治区)

(小林よしのり from SAPIO 2003/423, P.58)

 【事実】
 「イラクがクルド人に優しかった」って・・・・絶句モンだな.
 自治区? 「おまえらのいてよい場所はココ」って程度のモン.
 確かにクルド人はそこらの国で弾圧されていたが,毒ガス使って殺したのはイラクぐらいだろう.オウムで毒ガスで殺されかけたと自称してるんなら,毒ガスの歴史をちょっとは調べてると思うが.

 あまり知られてないけど,湾岸戦争終結後,国内では航空機が比較的自由に使えたので,それをチャンスとクルドをヘリ等使用して叩いた.
 これは終結後,
「非軍事目的の物資輸送等のために,ヘリだけは許可してくれ」
というのを米側が許したという迂闊さも有るだろうが(レーダーで回転翼と固定翼は容易に区別が付く).
 これについて,フセイン政権自体の崩壊は望まない(これ自体は当時は当然だろう)米が,クルドを攻撃するのを予想した上で許可した,という説も有るが,個人的には有りうると考える.

(キルロイ)


 【珍説】
 「国民」ができるまでは,日本でも,血を流し合う凄惨な時代があったではないか.
 織田信長なんて,政教分離のために平然と女・子供まで虐殺した
 その近代合理主義において,フセインと近いじゃないか.

(小林よしのり from "SAPIO" 2003/6/11, p.60)

 【事実】
 当時の時代背景はまさにやるかやられるか.時代背景が違う.
 でも,織田信長がどうこうとか関係ないよ.そんなことは問題じゃない.
 また,独裁者だから絶対に悪だとも言っていない.
 フセインが国民をいじめてきた虐殺者だということだよ.
 なんでそれをマンセーするわけ,小林は???
「米国もむかつくがフセインも同じくらいむかつく」
 とかいうんならまだしも,反米のあまりにフセインマンセーなんて,自分を見失っているとしか思えない.

 それにしても,織田信長の虐殺が「政教分離のため」だった,など初耳ですな.
 とても興味深い親切ですので,学会で発表なさってはいかがですか?
 運が良ければ,「ムー」ぐらいは興味を持ってくれるかもしれませんよ.

 長島一向一揆に対する虐殺も,比叡山焼き討ちも,公然たる敵対勢力に対する攻撃であり,「政教分離」その他の宗教政策の産物ではありません.
 信長が政教分離を指向したというのは一般の小説ビジネス書向きではありますが,信長は当時のインテリである僧侶に意見を求めることもありますし,安土宗論等では寺社勢力を政権運用で利用しております.寺社勢力が,見返り無しに信長に協力するとは考えにくいですね.
 信長は,小説などでイメージされているような独裁者ではありませんから.

 それにサダム・フセインは,政教分離のために政治犯で刑務所をいっぱいにしたり,クルド人を虐殺したわけではありません.政権を維持するためです.

 2003/05/29,NHKで,フセイン政権で行方不明になった人二十万人の話やってた. イラクに帰ってきた人が処刑名簿で家族見付けて泣いてたよ. 小林はこれを近代化した政権だと誉めあげていやがった.しかも,歴史が持続してる保守政権だとよ. くそが.

(エセ保守監視小屋日本史板他)


 【珍説】
 バース党のバースはアラブ語で「復興」という意味です.アラブの伝統,6000年前のチグリス・ユーフラテス河のほとりで生まれたイラク文明の伝統を復興させながら,統一国家として近代化を進めようとしているのがバース党です.イラク近代化をめざす勢力がバース党に集中し,対抗できる政党が生まれていないことは事実ですが,最近では複数政党制をめざす動きもあるし,メディア規制の緩和の兆しもある.イラク内部にはフセイン大統領が嫌いな人々もいるし,亡命者もいる.しかし,一方でフセイン大統領を信任するかしないかの国民投票をすると,ほとんど100%の信任票が出ます.今のイラクは国難と言える状況にあるが,その中で国民が一致団結するとなると,フセイン大統領とバース党に結集するしかない.(阿部政雄

 【事実】
 フセインが,限定的ではあるが「政治的自由化」推進の試みをしたのは,
・ソ連でグラスノスチ,ペレストレイカが始まったことの影響
・イラン・イラク戦後,大量の兵士が社会に帰還したが,その就職先がなく,多くのエジプト人出稼ぎ労働者が「自らの居場所を奪う者」として襲われるなどの社会不安が増したため
・長男ウダイのスキャンダル
を鑑みて,「現体制を維持しつつ,限定的な民主化によって国民の不満のガス抜きを行う」(酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書)ためだったと推定されている.
 以下引用.

 政府がとりわけ強調したのは『情報公開』である.フセインは自ら『恐れることなくペンを取れ』と述べ,各メディアに投書欄を充実させるように命じた.だが,そこに寄せられる政府批判は,予想外に手厳しいものだった.
 むろん,『国民からの苦情』は,フセイン大統領自身に対してでなく,むしろ官僚批判の形で各省庁が矢面に立つよう操作された.

 だが,給与格差やインフレ,失業や戦後復興の遅れ,医療福祉行政の遅れなど,ありとあらゆる分野に苦情が殺到し,それに対して政府が根本的に対応できないことが明らかになってくると,『ガス抜き』とばかり言っていられなくなる.
〔略〕
 だが,僅かな情報公開でも薮蛇となって体制崩壊に繋がりかねない,との懸念を政権に抱かせたのは,89年の東欧での情勢であった.おりしも東欧で吹き荒れる『民主化』の嵐は,ルーマニアで,チャウシェスク大統領に対する大衆の独裁批判の噴出と大統領の惨殺という,衝撃的な先例を生んだ.フセインとチャウシェスクとは,「非同盟諸国会議機構」の中心的指導者として親しい関係を維持してきた過去がある.

 これを機に,政治改革の動きは一機に減速し,『民主化』は頓挫した.『民主的』システムを漏り込むはずの新憲法草案は,イラク軍がクウェイトに軍事侵攻する2日前に公表され,その後,国会などでの議論にかけられる予定,と発表された.いったん解き放たれて膨れ上がった国民の『民主化』への期待に対し,政府は十分応えることができない.限定された『上からの民主化』しか準備できない状況にあったからこそ,政権は国民のその不満をそらすために,この時期にクウェイトへの軍事行動を実施したのではないか.そう後に噂されるほどのタイミングであった.

(酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書)

 信任100%などという数字に至っては,そんな数字が信用できないことは,そのような数字が出るのは歴史的に見て,北朝鮮などの徹底した恐怖政治支配の他にないことから明らか.
 そのような数字を真に受ける人間は,どうかしている.

 ちなみに,サダム・フセインが米軍に拘束された後の12/15-21の間に,バグダッドの民間調査機関「イラク戦略研究センター」が,イラク国内主要8都市で,18歳以上の国民千人を対象に実施された意識調査では,以下のような結果となっている.

 フセイン拘束についての感想は?
「とても嬉しくて安心した」 59%
「驚き,衝撃を受けた」 20%
「悲しかった」 16%
「関心がない」 5%

 フセインの処遇について望むのは?
「死刑」 56%
「投獄」 25%
「赦免」 19%

(読売新聞 '03 Dec. 29)



 【珍説】
 台湾が蒋介石の独裁政権から,蒋経国を経て,ついに李登輝で民主化を達成したように,イラクも自力で変化してゆける可能性があったのではないか?

(小林よしのり from SAPIO 2003/4/23, P.59)

 【事実】
 「可能性」だけを取り沙汰するなら,北韓だって中国だって,その可能性はゼロではない.

 しかし,秘密警察の監視網が張り巡らされているイラクにおいては,上述のようにそれは難しいし,民主化するより先にサダム・フセインがWMDを開発する可能性のほうが高いし,一旦そうなってしまえば,現在の北韓がそうであるように,扱いに非常に苦慮する結果となる.
 アメリカは,そんな事態を座視できなかった,というだけのこと.

 イラクの民主化云々は,アメリカ産のプロパガンダで,開戦の本質とは関係ないよ.

+

 【質問】
 1980年夏のイラクにおけるシーア派大量追放は,どのように行われたのか?

 【回答】
 真夜中に家族ごと国境に連行され,追放されたという.
 その数は4万から5万に達した.
 以下引用.

 1980年夏のある夜,バグダッドのイラン系シーア派の人々の家を秘密警察のメンバーが密かに訪れ,一家を連れ去ったという.
 一家はトラックに乗せられ,そのままイラク国境外に追放された.その数は4万から5万にも達したといわれる.イラクに住むイラン系の人々の半分に当たる数であった.
 フセイン政権はこれらイラン系住民に対して
「国を出てゆくか,それとも共に戦うか」
と呼びかけていた.
 こうした人々の存在が混乱の引き金になることを恐れた現政権は,強制措置に踏み切ったのである.
 バグダッドの外交筋は
「借りているアパートの家主にアパート代を支払いに行ったら,家主の所在は分からず,警察官が1人主のいない家を守っていた.
 以後誰に代金を払うべきか途方に暮れている」
と,決して笑えない話を語った.

佐藤健爾 from 「危機の三日月地帯を行く」
(日本放送出版協会,1981/4/20),p.101-102

 イラン・イラク戦争前に,イランに味方しそうにフセインには思えた人々を,あらかじめ予防的に追放した模様.
「イラクは独裁者でなければ統治できなかった」
などと奇妙なサダム・フセイン擁護をしている連中をときおり見かけるが,サダムの「統治」の内実はこんなもの.


 【質問】
 湾岸戦争やイラク戦争では,イラク軍は局地的な勝利もなかったんですか?

 【回答】
 幾つかある.だが,本当に局地的で全体としてみれば21日でクウェート国境からバグダッドまで米軍は到達,英軍はイラク入り.

 イラク軍というか,イラク民兵の抵抗,ゲリラ的な戦闘で米陸軍が一時的に危険となった場面や,米海兵隊にBBC従軍特派員が随行して国境越えたら歩兵戦闘になり,一時的に後退したのが報道されたとかそういう感じのならばある.

 有名なところでは,米陸軍第11攻撃ヘリ連隊のアパッチがカルバラの先にいるであろう敵砲兵や機甲部隊に夜間襲撃をかけたら,イラク側の対空火網に掛かって散々に撃たれてなんとか逃げ戻ったという話がある.
 これは一応,局地的勝利かなぁ.
 判断する人次第です.

 湾岸戦争のときなら,イラク側の局地的な勝利はカフジの戦いの初期があげられます.
 これはクウェートからサウジのカフジへイラク軍の一部が突進し,一時占領したもので,街中に米海兵隊の偵察が逃げ潜む事態が生じています.
 奪還にきたサウジ部隊を一回目は撃退していますから,この場面でも一応局地的勝利でしょう.

 ちなみに米軍が恐れたのは,イラク軍戦車より自分がいつの間にか味方の前に突出していて,背中から誤射されないかのほうです.
 ことに現在は砲兵の前線観測員が誤って,敵と味方を取り違えれば味方の行軍車列の上に,鉄の雨を降らせることになりかねません.

 イラク軍が陣地を構えて進撃してくる米軍ともろにぶつかった例でも結果はイラク側の惨敗に終わっています.
 戦術のみでは挽回するのは困難だったかと思います.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 バゾフト事件とは?

 【回答】
 英紙「オブザーバー」記者ファルザド・バゾフトがスパイ容疑で処刑された事件.

 イラン生まれのバゾフトは,1989年9月,イラクの火薬工場爆発事件を取材中,スパイ容疑で逮捕され,英国の助命要請にも関わらず,1990年3月,死刑判決が革命裁判所で下され,その数日後に死刑執行された.

 革命裁判所は,裁判官は全員バース党員で構成され,革命後のイラクにあって20年あまりも政治犯らを「密室審理」で裁いて来た.
 1991/5/20,民主化のポーズを取るフセイン大統領により廃止.

 刑執行は湾岸戦争の5ヶ月前であり,これが欧米の「イラク憎し」の気持ちを煽ったことは否めない.

 詳しくは布施広著『アラブの怨念』(新潮文庫,2001/12/1),P.218を参照されたし.


 【質問】
Who is  UGLA ABID SAQR AL-KUBAYSI ?

 【回答】
Ba'th Party Regional
Chairman for Maysan
Governorate

He surrendered to U.S. forces on May 19, 2003.


 【質問】
 サミール・アブド・アル・アジーズ・アル・ナジムって誰?

 【回答】
 サミール・アブド・アル・アジーズ・アル・ナジム Samir Abd al-Aziz Al-Najim (写真右)は,1937年又は1938年,バグダ−ドの生まれ.
 サダム・フセイン政権の下,バース党バグダッド東部地区議長,元石油相代理,元駐埃大使などを務めた.
 フセイン崩壊後,行方をくらましたが,クルド人組織に拘束され,2003年4月17日 モスルで米軍に引き渡された.

 【参考ページ】
http://genko.system.to/mideast/iq/us_iq55.html
http://www.kojii.net/news/iraq2003.html

【ぐんじさんぎょう】,2008/12/18 00:10


 【質問】
 Who is SAYF AL-DIN AL-MASHHADANI?

 【回答】
Sayf al-Din al-Mashhadani was the Ba’ath Party Regional Chairman for the al-Muthanna district under Saddam Hussein's regime.
He was captured by coalition forces on May 24, 2003.


 【質問】
 バルザーン・イブラーヒーム・ハサン・アル=ティクリーティーって誰?

 【回答】
 バルザーン・イブラーヒーム・ハサン・アル=ティクリーティー BARZAN IBRAHIM HASAN AL-TIKRITI はサダム・フセインの異父弟.

 1951年,サダム・フセインと同じティクリートで生まれる.
 バグダードのマンスール大学で法学と政治学を専攻.
1979年〜83年,イラク諜報機関長官.
1988年(wikipediaでは1989年)〜97年,ジュネーブ国連代表部イラク大使.
 その後,イラクに帰国し,外交関係の業務に就いた.

 ロンドンの人権団体は,バルザーンが1983年に敵対部族数千人の殺害に関与,諜報機関時代に地方での殺害,強制移住,拉致などでイラク・クルド人に対する戦争犯罪を告発しようとしていた.
 また,海外での反体制派の暗殺事件でも嫌疑が掛けられていた.
 ちなみに国連代表部にいた頃には,彼は国連人権委員会に属したこともある(おいおい……)

 さらに国の石油収入の一部(150億ドルとも言われる)を20年以上に渡って流用,欧米で株式投資をしている疑惑がある.
 ジュネーブではサダム・フセインの秘密口座を管理していたと見られている.
 国連って,いったい……

 しかしその後,バルザーンは,フセイン大統領次男,クサイの後継者指名に反対したため,大統領宮殿に蟄居状態となっていた.

 米軍のバグダード進攻後,彼は身を隠した――指名手配トランプの「クラブの5」だった――が,米軍によってバグダード市内で拘束された.
 イラク暫定政府によって2005/10/19から,上述のような容疑で裁判にかけられたが,彼は公判中,しばしば激昂して退廷させられた.
 また,彼やサダム・フセインの弁護団は暗殺や暴行などの危険に晒された.
 2006/11/5,死刑宣告.
 2007/1/15,絞首刑執行.

 息子2人
Mohamed Barzan ibrahim Hasan al-Tikriti
Al Barzan ibrahim Hasan al-Tikriti
と娘4人
Saja Barzan Ibrahim Hasan al-Tikriti
Noor Barzan ibrahim Hasan al-Tikriti
Khawla Barzan ibrahim Hasan al-Tikriti
Thoraya Barzan ibrahim Hasan al-Tikriti
がいる.

 【参考ページ】
http://en.wikipedia.org/wiki/Barzan_Ibrahim_al-Tikriti
http://www.uruknet.info/?p=33927
http://www2.pf-x.net/~informant/iraq/iraqbarzan.htm


 【質問】
 AL-YASSINって誰?

 【回答】
 フサーム・ムハンマド・アミーン・アル・ヤシン Husam Muhammad Amin Al-Yassin は,1953年,または1958年,ティクリート生まれ.
 国家監視局長.
 2003年4月,イラク戦争のさなか,総合情報局長官ターヒル・ジャリールがアメリカのスパイではないかと疑われ,サダム・フセインによって彼の逮捕命令が出された際,その後任に任命された.

 【参考ページ】
http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/ko150910b.htm
http://www.accuitysolutions.com/ofac.html?id=200510275TS14PV1
http://en.wikipedia.org/wiki/Tahir_Jalil_Habbush_al-Tikriti
http://ja.wikipedia.org/wiki/ターヒル・ジャリール・ハッブーシュ

【ぐんじさんぎょう】,2010/10/08 20:30
を加筆改修

 画像の人物〔略〕フサーム・ムハンマド・アミーン〔略〕で,元国家監視局長を務めた人です.

イラクマニア in FAQ BBS,2010/8/9(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 アミル・ムハマド・ラシドって誰?

 【回答】
 アミル・ムハマド・ラシド(Amir Muhammad Rashid al-Tikriti al-Ubaydi)は,イラク軍の元将軍.
1995〜2003年 石油相
2003年〜 大統領顧問
2003年〜 石油相代理
2003年4月28日 米軍に投降.

 イラクのフセイン政権下でミサイル開発計画に深く関与したとされている.
 また,「細菌博士」ことリハブ・タハ Rihab Taha の夫であり,彼女の行方も不明であったことから,その鍵を握る人物と目されていた.

 そういえば昔,「イラク元国防相」というコテハンがいたなあ…

 【参考ページ】
http://genko.system.to/mideast/iq/us_iq55.html
2003/4/30/08:57,読売新聞(カイロ=黒瀬悦成)(リンク切れ)
http://www.globalsecurity.org/military/world/iraq/ubaydi.htm

【ぐんじさんぎょう】,2010/06/10 21:00
を加筆改修

 なつかしい…….

唯野 in mixi,05月30日 22:12

 また懐かしい名前を(笑)

バルセロニスタの一人 in mixi,05月31日 00:25

 イラク戦争前と進行中は,そのものずばり「イラク国防相」を名乗っておられましたけどね(笑)
 実物の方は,戦前は画像の縦横比を間違ったのかと思うほどデブだったのが,米軍に収監された後,獄中で激ヤセしたのが印象的でしたな.

ソフトヒッター99 in mixi,05月31日 16:19

 イラン国防相とあわせ.当時は楽しくバトルさせていただきました…
 「ir」に彼のユーモアの100分の1でもあったなら……

イスラエル元国防相 in mixi,05月31日 17:38

▼ 上記のページで,アミル・ムハマド・ラシド(アミール・ムハンマド・ラシード)元石油相の写真として,「イラクのお尋ね者カード」の画像を使用していますが,画像の人物はラシード氏ではありません.
 フサーム・ムハンマド・アミーンという別の人物で,元国家監視局長を務めた人です.
 ですので,画像の訂正もしくは削除を求めます.
〔削除しました――編者〕

 参考までに,ラシード氏の写真を紹介しておきます.
http://www.life.com/image/1749988

イラクマニア in FAQ BBS,2010/8/9(月)
青文字:加筆改修部分


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